FC2ブログ

やまなしなひび-Diary SIDE-

変わらない価値のあるもの

| PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

「知っている役者さん」が出ていること、嬉しいですか?

 色んなことに合点がいった話。


 人間って、基本的には「知っていること」から「興味」を広げていくものだと思うんですね。
 
 例えば「スポーツ中継」とかも、どちらのチームの選手も一人も知らないとなると「日本代表」の試合であっても観る気が起きないけれど、一人でも知っている選手がいるならちょっと観てみようかなと思うもので……なので、スポーツニュースなんかでも「スター選手」を作り出そうとするし、サッカー日本代表の試合中継とかでも右上に「香川・長友出場中」みたいに比較的有名な選手が出ていることをずっと表示するのでしょう。

 「知っている」と「知らない」のでは天と地ほどの差があって、どんな人だって「まったく知らない」ものにはなかなか手を出せないものだと思うんです。
 『ドラゴンクエスト』の新作が発売されたら「ドラゴンクエスト!知っている!買ってみようかな」と思ってもらえるけど、『ぺちょまにゃーがりゃぐにょにょ』という聞いたこともないタイトルの新作が発売しても「全然聞いたことない!面白そう!」とは思ってもらえないですよね。
 でも、ゲームに詳しい人になれば、「タイトル」だけじゃなくて「メーカー」とか「開発会社」とか「開発者」とかまでチェックするので、実はその『ぺちょまにゃーがりゃぐにょにょ』は昔『ドラゴンクエスト』を開発した人の新作らしいぞみたいなことを突き止めて興味を持ったりしますが、それも「知っているもの」から興味をつなげているだけですからね。(※1)
 インディーゲームとかだと、開発者は全然関係がないのだけど「ロックマンに影響を受けている」とか「MOTHERに影響を受けている」みたいにリスクペクト先を明らかにすることで「自分の知っているものに近いものだ」と思ってもらおうとしたりしますね。

(※1:一応言っておきますけど、実在しないゲームを喩えとしてでっち上げただけですからね)


 引用したツイートで話されていたことは「洋画の吹き替え」のことだと思うんですが、「アニメの吹き替え」にしても同じようなことはよく話題になります。

 「『君の名は。』の監督の最新作だよ」と言われたら、『君の名は。』を観た人には「知っている!」→「興味がある!」と思ってもらえるけど、(その人にとって)全く聞いたことのない監督の最新作と言われても「知らない」し、「興味がない」となってしまうと思うんですね。
 そこで、アニメに詳しい人が「この監督は知っている」「この作画監督は知っている」「この脚本家は知っている」「この声優さんは知っている」と言っても意味がないのです。アニメに詳しくない人にとっては『ぺちょまにゃーがりゃぐにょにょ』と一緒なんです。だから、「バラエティ番組とかでおなじみのあの人が出ていますよ」で「その人なら知っている!」→「興味が出てきた!」としたいのでしょう。そして、実際にそれで観に行く層が一定の数はいる……


 要は「知っているもの」の分野と広さがちがうだけだと思うんですね。
 アニメファンだって「知っている声優さんが出ているから観る」とか「あの監督の過去作は観たことあるから今作も観よう」みたいなカンジで「知っているもの」から興味をつなげているだけで、アニメファンもアニメに詳しくない人も「知っているものから興味を持つ」のは一緒だと思います。




 ということを前提にして、ここからが私の話なんですが……
 私、「知っている役者さんが出ているか」どうかってあまり気にしないんですよ。むしろ「知らない役者さん」の方が嬉しいときまであります。これは「アニメ」でも「実写」でもそうです。

 「実写」の映画の方がイメージしやすいでしょうから、「実写」で説明しましょうか。
 他の映画とかでもよく見かける俳優さんとか、バラエティ番組でよく知った顔が出てくると、もうその映画は「作りもの」だと私は思ってしまうんですね。だって、この人の職業は本当は警察官じゃないじゃんとか、この人ホントは死んでないじゃんとか、この人プライベートでは○○さんと結婚して幸せな家庭を築いているのに映画の中で「俺は不幸だ」みたいに言われても困るわとか思ってしまうのです。

 逆に言うと、例えば『カメラを止めるな!』みたいに全然知らない役者さんばかりだと、「役」と「役者」の境界線があいまいになって没入度が増していきます。怖い役の人は本当に怖く見えるし、情けない役の人は本当に情けなく見えてきます。


 とは言え、この記事の冒頭に書いたように「人間は知っているものにしか興味を持たない」ものなので、興行的なことを考えたら有名な役者さんをズラリと並べた方がイイというのは分かります。「全然知らない役者さんばかり」で映画を撮り続けるのは難しいですよね。
 なので、私は日本の映画を観るのは程々にして、「昔の映画」とか「外国の映画」とかをキャストを知らずに観て、「全然知らない役者さんばかりだ!」「本当に悪い人にしか見えない!怖い!」と没入度を楽しんだりするという。これはまぁ、私は特に外国人の顔を覚えられないというのも大きいのですが(あと、没入度が高い=楽しいというワケでもないんですけどね)


 んで、アニメの声優さんについてもそうで―――
 私は「知っている声優さんが出ている」ことをあまりプラスに捉えられないんですね。もちろん「好きな声」とか「好きな演技」とかで好きな声優さんがいないことはないんですが、好きな声優さんが出ていると「キャラクター」というよりも「声優さん」の方に気が取られて、「この人、本当にこういう演技が上手いなー」とか「こういう声も出せるようになったのか!」みたいに“演技”として見ちゃうんですね。

 だから、芸能人の吹き替えとかも「演技の上手い/下手」以前の問題で……
 「キムタクが声優初挑戦!」みたいな作品に対して、感想が「キムタクの演技、思ったほど悪くなかった」みたいになっちゃうの、何その授業参観みたいな感想って思っちゃうんですよ。“演技”として見ちゃった時点で、もうその映画は「作りもの」じゃん!


 ということは、私の理想的なアニメの楽しみ方は「キャストを全く知らずに観る」で、観終わった後にEDクレジットで「えー、あの人って○○さんがやっていたんだ!気付かなかった―」と確認するのがイイんでしょうけど、キャストの情報は真っ先に入ってきちゃうのでなかなか「知らずに観る」ってのは難しいんですよね……


 「知っている役者さん」が出ていること、みなさんは嬉しいですか?


| ひび雑記 | 17:56 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

大人になって鈍感になる舌と、敏感になってしまった感情

 漫画『甘々と稲妻』にこういうシーンがあります。

amaama-1.jpg
amaama-2.jpg
<画像は漫画『甘々と稲妻』2巻その6「きらいな野菜とコロコログラタン」より引用>

 この漫画は、男手一つで幼稚園児の娘を育てている父親が、娘のために今までしてこなかった料理に取り組んでいく作品で―――「娘はどうしてピーマンを嫌いなのだろう」と相談した際に出てきた会話です。小鳥ちゃん曰く「子供の舌が敏感だから」とのこと。


 この話、私にとって天地がひっくり返るくらいの衝撃だったのです。
 子供の頃は「コーヒーにはたっぷり砂糖を入れなければ飲めない」くらい苦いものが苦手だったり、わさびが苦手だったり、カレーは甘口じゃないと食べられなかったり、強烈な「苦さ」や「からさ」が苦手だったじゃないですか。そういうことを「舌がお子ちゃまだ」と、未成熟なものかのように言っていて。

 大人になって苦いものが食べられるようになったり、からい物が食べられるようになったりすると、「これは大人の味だ」とあたかも自分が成長したかのように言い出すこともあって。


 でも、実際は年をとって舌が鈍感になって「苦さ」や「からさ」を感じづらくなったから食べられるようになっただけで、克服したワケでも成長したワケでもなかったのか!むしろ老化というか、退化しただけだったのかと驚いたのです。
 この話は「漫画の中だけで語られている俗説」ではなくて、「子供の舌 敏感」とかでネット検索してみると山のように解説記事が出てくるので、ある程度信ぴょう性のある話なんでしょう。「コーヒーに砂糖を入れて飲むのはダセエ」と言われて、必死にこらえてブラックコーヒーを飲めるようにがんばった日々は何だったのだ(むしろ、その努力で舌がバカになった結果が今と言える)。




 さて、この話……
 漫画でもアニメでも小説でも映画でも、「作品」を楽しむ際にも言えることだと思うんですね。

 分かりやすい例を出すと、「年を取ると涙腺が緩くなる」が挙げられます。
 オッサンになってくると些細なことでも泣けるようになるのだけど、これは「人生経験を重ねた」ことと「想像力が鍛えられた」ことによって、相手だったりキャラだったりの気持ちがより分かるようになって「つらさ」や「嬉しさ」が2倍・3倍も伝わるようになるからだって言われています。「大人になると舌が鈍感になる」の逆パターンで、「大人になると感情移入が敏感になる」とでも言いますかね。

 「泣ける作品で泣けるようになる」だけなら別に構わないと思うのですが、「つらい作品はよりつらく感じるようになる」こともあるので……大人になったら「つらいストーリー展開をしていく作品」に耐えられなくなって、『ごちうさ』とか『ゆるキャン△』みたいな平和な世界の作品しか観られなくなるのは、こういう原理だと思うんですね。


 逆に言えば、碌な人生経験を積まず、想像力もない人だったら、年齢を重ねたところで特にその辺の感性が敏感になることもないので……「舌がバカになっている私の味覚」のように、より刺激的に「味の濃いもの!味の濃いものが正義だ!」とジャンクフードのような作品をいつまでも求め続けるということかな……?

 「ジャンクフードのような作品」が、どの辺の作品のことを指すのかはみなさんのご想像にお任せしますが。




 突然なんでこんな話を書きたくなったかというと、私ここ数年「本棚にしまってあった本を自炊(スキャン)して読み返している」のですが……先週、十数年ぶりに『サユリ1号』という漫画を読み返して、昔に読んだとき以上に打ちのめされてしまったのです。

sayuri1gou.jpg
<画像は漫画『サユリ1号』2巻1話「祭りの夜7」より引用>

 この漫画は2002年~2003年にビッグコミックスピリッツで連載されていた村上かつら先生の作品で、リアルタイムに読んだというよりは完結してからしばらく経ってからこの作者の別の短編にハマって遡って集めたくらいだったので、当時は「たくさんある面白い作品の一つ」くらいに思っていました。

 内容を簡単に説明すると……大学3年生の主人公の頭の中には、子供の頃から「妄想でするオナニーの相手」としてサユリという理想の女性がずっといたのだけど、彼が部長を務めるサークルの後輩に「サユリそっくりの顔をした」コが入ってきて―――から始まる壮絶な話です。
 このあらすじだけ読んで「男の願望を形にした都合のイイ漫画かな」なんて思った人がいるかも知れませんが、そんなもの木っ端みじんに打ち砕く展開の連続です。みんなが心のどこかに抱えているけど、決して他人には見せないものが、次から次へと暴かれていくみたいな作品で―――紹介しておいてアレなんですけど、心の弱い人は読まない方がイイと言いたくなる作品です。


 でも、昔に読んだときはそこまで壮絶に思わなかったんですね。
 大体のストーリーは覚えていたし、最後こうなるということも覚えていたのだけど、読んでて「こんなすごい作品だったっけ!?」と心がグラグラしてきました。
 昔好きだった漫画を読み返すのって、「ストーリーを覚えている」分だけあまり楽しめないことが多いし、好みも変わるから「どうして昔の俺はこんなものに夢中になっていたんだ」と思うことも多いのですが……この作品は、逆に「どうして昔の俺はこの作品を落ち着いて読んでいられたんだ!?」と思ってしまったくらいです。


 多分これが、「年を取って舌が敏感になった」ことだと思うんですね。

 昔の自分にとってフィクションの中で起こっていることは他人事で、キャラが苦悩しているのも「自分ではない誰か」が苦悩しているものだったのですが……今の自分は、苦しんでいるキャラがいるとついつい「これは俺だ」と思って読んでしまうのです。
 いや、まぁ冷静になるとこの主人公は俺より全然モテてるんだから、「よく考えるとちっとも共感できねーぞ」とも思うのですが(笑)。自分とは全然ちがう境遇のキャラの気持ちになりきれてしまうことが、昔より多くなったのかなと思うのです。特に『サユリ1号』の場合は、主人公よりも悲惨な末路に進むキャラも少なくないですし、その辺がダメージになったのかも。




 人間、長く生きていれば好みは変わるし、考え方も変わるものです。
 「子供の頃に比べて舌がバカになった」と先ほどは書きましたが、おかげさまでコーヒーを飲めるようになったし、ピーマンも大好きになったし、辛口のカレーもキムチもわさびも喜んで食べるようになりました。「昔の自分」と「今の自分」、好みが変化していくことで「昔は美味しいと思わなかったものを美味しいと思えるようになった」のならそれはイイことだと思うんですね。その逆に、「昔は美味しいと思っていたものを美味しいと思えなくなった」としても。

 同じように、年を取って感情が敏感になってしまったことで「楽しめるようになった作品」「楽しめなくなった作品」があることも、長い人生を俯瞰的に見れば悪くないことだと思うのです。十数年前の自分には『サユリ1号』の本当の凄さは分からなかったので、それが分かるようになった今読んでみて良かったと思います。その分だけ、心に深くダメージを喰らいましたけど(笑)。


 逆に考えると、「今の自分が楽しめないもの」も十数年経てば楽しめるようになるってこともあるのかも知れませんし、自分が十数年前に通過したようなものを若者が楽しんでいるのを見て「あんなものを楽しんでいるのか」なんて言っちゃいけないよななんて思いました。


 

| ひび雑記 | 17:54 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

『タッチ』、知っていますか?

 「知ってて当然」という話じゃなくて、「知ってて当然、だと思っていた自分にビックリ」という話ね。





 『タッチ』という作品は、1981年~1986年に少年サンデーにて連載されていたあだち充先生の大ヒット作です。甲子園を目指す「高校野球漫画」と、幼馴染との三角関係を描く「ラブコメ漫画」を融合させたような作品なため、野球にあまり興味のない女の子とかでも好きな人が多かったそうです。『金魚屋古書店』に、好きな女の子に『タッチ』の単行本を1巻ずつ貸す話があって、すごい好きだったなぁ。




 テレビアニメは1985年~1987年にフジテレビ系列で放送、昔はゴールデンタイム(19時~)にアニメが放送されていたこともあって、Wikipediaによると視聴率は常時20%越えは当たり前、30%を超えたこともある人気番組だったそうです。
 テレビアニメ放送期間に合わせて劇場版アニメが3本作られ、その後は放送局を変えて再放送されることも多く(自分の印象では日テレのアニメだった)、その再放送に合わせてなのか1998年と2001年に日本テレビ系列の金曜ロードショーの枠で「原作のその後」を描くオリジナルアニメも放送されました(あだち先生は制作にはノータッチなので、原作とはパラレルワールド的な話なんでしょうけど)





 んで、そんな『タッチ』から30年が経ち―――
 『タッチ』の30年後を舞台にした漫画『MIX』が2012年からゲッサンで始まります。
 『タッチ』の時代には強かった明青学園の野球部が、30年経ってすっかり落ちぶれてしまったため、古豪復活を目指していく話だそうです。今のところ『タッチ』の主人公達の30年後が描かれているワケではないみたいですね(浅倉南の30年後は、あまり見たくないと思ってしまう自分がいる……)




 そして、この4月から『MIX』も読売テレビ・日本テレビ系列でテレビアニメ化されます。

 私は新しいアニメが始まる前に、そのシーズンに始まる全作品を紹介する記事を書いて、その記事を元にアレコレ語る生配信をしているので、『MIX』のことももちろん紹介したのですが……「(『MIX』の元ネタである)『タッチ』のことはみんな知っているだろうから説明しなくてイイよね」と言ったところ、視聴者の誰一人『タッチ』を読んだことも観たこともなかったのです。

 「え~~、『タッチ』も知らないでやんすか~~」と煽るつもりは毛頭なかったんですが、まさか「自分以外誰も知らない」だなんて思わなかったので、知らない人に対して失礼なリアクションになっちゃって申し訳ないなと反省しています。どんなにメジャーなものでも知らない人はいるだろうからちゃんと説明するがコンセプトのブログなんだから、その覚悟は持っていなければならなかったですね。
 ただ、私の中では『タッチ』を説明するのって「『スーパーマリオブラザーズ』ってヒゲのオッサンが右に進むゲームがあって……」と説明するくらいのイメージで、「それくらい知ってるわボケエ!」と言われそうだなと思っていたんですよ。



 どうして私が「『タッチ』くらいみんな知っているよね」と思っていたかというと、流石に全員がリアルタイム世代だと思っていたワケではなくて、ずっと再放送でやっているイメージだったんですね。特に夏休みの時期には再放送が延々とループしているので、野球に興味のない小中高生もついつい観ちゃって知っていると思っていました。
 あと、最近もそういう番組があるのかは知りませんが「みんなが選ぶアニメの名場面50!」みたいな番組をやると、大抵『タッチ』のあのシーンとあのシーンが入って、実際にはアニメ観ていない人でも「最後どうなるのか」は知っちゃっているイメージがありました。私も『フランダースの犬』は最後のシーンしか知らない。トンデモないネタバレだよね、あれ……



 しかし、調べてみると『タッチ』が夏休みに再放送されていた時期ってそんなに長くないんですってね。

 何を観ていたかで年代バレ!「夏休み子供スペシャル」の変遷を振り返るしらべえより)

 この記事によると夏休みの午前中に『タッチ』の再放送がされていたのは1993年と1994年、2002年、2005年だけみたいです。マジで?「毎年やっている」くらいのイメージでしたが、4年間だけだったの?
 Wikipediaだとまたちがう情報が書かれていて、「1996年前後」「2002~2005年」とのことで微妙にズレてはいるけど、比較的近い時期ではありますね。「最後に再放送されたのは14年前」なのは衝撃的な情報だわ……


 いずれにせよこの時期に(夏休みのある)子供時代を過ごしていなければ再放送を観ていないだろうから、「夏休みに『タッチ』の再放送を観ていた」というのは割とピンポイントの世代だけの現象なんですね。しかも、もちろんこの再放送枠というのは関東ローカルの枠でしょうから、地域によってはまたちがう番組をやっていたでしょうし、そもそも野球に興味がないから観なかったという人も多いでしょうし。

 自分にとっての「知ってて当然」が、ちっとも当然ではないことを改めて思い知ったのです。



 そうすると、今の時点でもなお自分が「みんな知ってるよね?」と思っているものも、実は誰にも知られていないってこともあるのかなぁって思いますねぇ。
 例えばさっき例に出した『スーパーマリオブラザーズ』も、このブログを読んでいる人の誰も知らないんじゃないかと心配になってきました。『スーパーマリオブラザーズ』というゲームは、まず1980年にニンテンドーオブアメリカという会社が出来て、『レーダースコープ』というアーケードゲームをアメリカに輸出したら大失敗して、大量に余った基盤で何かを作れないのかということで当時まだゲームデザインをしたことのない宮本茂さんが『ドンキーコング』という大ヒット作を作って、その主人公マリオは色んなゲームに出演するようになって、「対戦タイプのゲームを作ろう」という企画で『マリオブラザーズ』が生まれて、その『マリオブラザーズ』のファミコン版が長く売れていたことで「やっぱりマリオのゲームは人気なんだな」とファミコンROMカセット最後のゲームのつもりで開発していた横スクロールアクションゲームの主人公にマリオが抜擢された―――ということも、「知ってて当然」じゃなくて「知らない人もいる」かも知れませんよね!!



 では、どの辺りなら「みんな知ってるよね?」と言って良いラインなのか。

 『ドラえもん』は「みんな知ってる」でOK?
 『ルパン三世』はちょっと微妙?
 『浦島太郎』でも、ひょっとして「みんなは知らない」?
 「椅子」ももしや「知らない人がいる」?その人は人生の半分くらい損していますよ!
 「米」はみなさん知っています?美味しいですよ!
 「りんご」は?もちろん知っています?
 じゃあ、「アップルパンチ外崎修汰」も知っていますよね?内外野が守れて走攻守の三拍子が揃ったイイ選手ですよ!万が一知らなかったという人がいたら覚えて帰ってくださいね!


| ひび雑記 | 17:49 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「令和○年=西暦×年」を簡単に導きだす方法

 新元号が「令和」と発表されましたね。

 さて、元号が変わると発表された時から私が気になったのは、「2019年が新元号1年となると計算が大変そうだなー」ということでした。
 例えば「2021年が新元号1年」とかだったら計算は楽だったのでしょうが、「2019年が新元号1年」だったら咄嗟に「2034年は新元号で何年だっけ?」とか聞かれても答えられる自信がありません。「2018を引けばイイんだよ。簡単じゃん?」とか言ってくる人は、金輪際もう私に話しかけてこなくて結構です!暗算できるか、んなもん!

 平成の時は、例えば2000年が平成12年だったこともあって……「午後4時=16時」ということは時計を読める年齢以降の子供なら誰でも分かるように、2004年が平成16年だなといったことは瞬時に導き出せたので。それと似たような「簡単に導き出す方法」が令和にもないものかと考えてみました。


・令和元年=2019年
・令和2年=2020年
・令和3年=2021年
・令和4年=2022年
・令和5年=2023年
・令和6年=2024年
・令和7年=2025年
・令和8年=2026年
・令和9年=2027年
・令和10年=2028年
・令和11年=2029年


 まずは「令和11年まで」。
 令和元年は置いといて、令和2年以降は面白い法則があって……「西暦の下2桁の数字を足すと、令和の年になる」んですね。例えば2023年の場合、「23年」の「2+3」で「令和5年」となるのです。
 逆に令和から西暦を導き出すのは、2020年代の間は「2を引けば」OK。令和5年だったら、5から2を引いて3で2023年ということですね。ここまでは分かりやすいです。


・令和12年=2030年
・令和13年=2031年
・令和14年=2032年
・令和15年=2033年
・令和16年=2034年
・令和17年=2035年
・令和18年=2036年
・令和19年=2037年


 厄介なのはここから。
 しかし、「咄嗟に分からなくなる」のは2桁になってからだと思うので、「簡単に導き出す方法」が必要なのもここからなんですよね。

 2020年代の「西暦の下2桁の数字を足すと、令和の年になる」が分かっていれば、要はそこから十の位が1つ増えただけなので、「西暦の下2桁の数字を足すと、令和の2桁の合計になる」のは一緒と導き出すことが出来ます。
 例えば、2037年の場合……下2桁は「37」なので、「3+7=10」。令和の方も「1+9=10」です。下2桁の合計が一緒と覚えていれば、咄嗟の時に間違えなくて済むんじゃないかと思います。



・令和20年=2038年
・令和21年=2039年


 が、厄介なことにその法則は「西暦の下2桁の合計が11以上」になると当てはまらないという(笑)。


・令和22年=2040年
・令和23年=2041年
・令和24年=2042年
・令和25年=2043年
・令和26年=2044年
・令和27年=2045年
・令和28年=2046年
・令和29年=2047年


 ここも「西暦の下2桁の数字を足すと、令和の2桁の合計になる」のは一緒です。
 例えば、2044年の場合「4+4=8」ですし、令和26年の「2+6=8」と一緒になります。


・令和30年=2048年
・令和31年=2049年


 でも、ここも計算がおかしくなるんですねー。
 令和の方の下1桁が「0」と「1」の時はバグが起こるのです。


<厄介なやつらまとめ>
・令和元年=2019年

・令和10年=2028年
・令和11年=2029年

・令和20年=2038年
・令和21年=2039年

・令和30年=2048年
・令和31年=2049年


 これらは「西暦の下2桁の数字を足すと、令和の2桁の合計になる」の法則が当てはまらないのですが、実は「西暦の下2桁の数字を足して出来た2桁の数字を合計すると、令和の2桁の合計になる」という法則があります。
 例えば、2038年の下2桁「38」の合計は「3+8=11」で、この「11」を合計すると「1+1=2」で、令和20年の「2+0=2」と一緒になるのです。こここここれなら、簡単に導き出せまままままっますよねねねねねねねねねね?よし!分かりやすい!解散!


| ひび雑記 | 17:55 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

Amazonの「ほしい物リスト」を通じていただいた「バレンタインデーのプレゼント」を開封する配信を行いました!(3年目)

 1年目に書いた企画の意図などはこちらをどうぞ。

 Amazonの「ほしい物リスト」を公開しようかと考えています
 Amazonの「ほしい物リスト」を公開する際&公開している人に贈る際に気を付けたいこと
 Amazonの「ほしい物リスト」を通じていただいた「バレンタインデーのプレゼント」を開封する配信を行いました!


 Amazonには一つ一つの商品を「今はまだ買わないけど、忘れないようにリストに加えておこう」という機能があるのですが、このリストを公開リストに設定することで他の人に買ってもらうことが出来る上に、なんならリストに入っていない商品も贈れるため「貴方のおすすめの商品を贈ってください」みたいな使い方も出来るのです。

 これを使えばいわゆる「福袋開封配信」みたいなことが出来て面白いなと思ったのと、「リア充のためのイベント」「だから爆発しろ」みたいに言われがちなクリスマスとかバレンタインを妬むんじゃなくてもっと面白いイベントに出来ないかと考えたのと、ブログとか配信とか創作活動をしている人達はもっともっとAmazonの「ほしい物リスト」を公開した方がイイんじゃないかとこの企画を考えました(ここまで一昨年のコピペです!)


 昨年は「ほしい物リストに入っていないもの“だけ”を贈る」ことが出来なかったのですが、今年は仕様が再度変更になったみたいで、「ほしい物リストに入っていないもの“だけ”を贈る」ことが出来ると1月4日に確認した上で企画を行いました。
 今年も本気で嬉しいものばかりをもらった上に、ゲラゲラ笑える楽しい開封配信を行うことが出来ました。プレゼントをくださった皆様、本当にありがとうございました。こういう想いに支えられているんだと兜の緒を締めて、もっともっと楽しいブログ記事を書いたり、もっともっと下手なゲーム実況をしたりしていきたいと胸に刻みました。

 今回も、開封する様子は生放送で開封したものの動画と、その後にブログ用に書いたテキストの両方でお届けしますので、お好きな方でご覧ください。



 ↓ テキスト版はこの後です。

≫ 「続きを読む」

| ひび雑記 | 17:50 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

男性作家が、女性キャラを「ブス」と描くことは許されるのか

 Twitterでこんなアンケートを取っていました。
 多くの人に拡散してもらったので、普段の自分のアンケートに比べて何倍もの回答数をいただくことが出来ました。ありがとうございます。


 どうしてこんなアンケートを取りたくなったのか―――
 事の発端は、「漫画・アニメ・ゲームなどのフィクションにおいて、男性キャラはイケメンもオッサンもブサイクも登場して活躍するのに対して、女性キャラは“若くて美人なキャラ”ばかりなのが許せない」といった女性のツイートを複数人からあがっているのを見たからです。
 その意見に対して「いや、美人じゃない女性キャラが活躍する漫画・アニメ・ゲームもあるやろ」と言いたくなる人もいらっしゃると思いますが、そこは置いといて……



 私が思ったのは―――
 男性作者が、女性キャラを“敢えて”「ブス」に描いてもイイのか?ということでした。


 アンケートは「漫画家」に限定しましたが、漫画に限らずアニメでもゲームでも小説でも映画でも、男性作家が女性キャラを「ブス」に描くのってものすごーーーーーーく勇気が要ると思うんですね。それは「ブスな女性キャラだと人気が出ないから」とかではなくて、男の子って幼稚園・小学生の頃から「女の子の容姿をバカにしてはいけない」という鉄の掟を植え付けられているからです。


 例えば、私(男)が一人のクラスメイト女子を「ブス!」と罵ったとします。そうすると、本当にその子が「ブス」であろうがなかろうがその女子はひどく傷つきますし、それを見ていた他の女子から「やまなしって最低ー」「女の敵だよねー」「もう女子全員で無視しよう」と女子全員から嫌われてしまうことだってあります。
 もっと事態がエスカレートすると、「先生ー、やまなし君が○○ちゃんのことをブスって言いましたー」と密告されて、緊急学級会が開かれることもあります。その結果、クラスのみんなの前で「ブスって言ってゴメンナサイ」と公開謝罪をさせられることや、「女の子のことをブスと言ってはいけません。言った男子を見かけたらすぐに先生に報告を」みたいな相互監視社会が出来上がることまであります。


 故に、男性作家には大人になった後でも「女性キャラを“敢えて”ブスに描く」ことに抵抗がある人が少なくないんじゃないかと思うんですね。「絵として」ブスに描くのは画力のせいと言い訳できますが、「設定として」ブスに描くのはもっと抵抗があると思うのです(アンケートの文で“作中でも周りから「ブス」や「デブ」と言われているなど「容姿が劣っている」と描写していたり”と書いたのはそのため)
 つまり、「男性読者から人気が出ない」ことを恐れるというより、「女性読者から嫌われる」ことを恐れるがゆえに、標準以上の女子しかいない作品世界が出来上がるんじゃないのかなと私は思います。


 なので、例えば『ヤング○○』系の雑誌みたいに「ターゲットが男性読者に大きく偏っている」場所で描かれた作品には、敢えて「ブス」に描かれた女性キャラクターはそれなりにいると思いますし(ギャグなものも含めて)―――全年齢・全性別に向けた万人向けタイトルほどそういう冒険はしにくいから、国民的な大ヒット作品だけを見ると「女性キャラにブスがいない。美人以外は存在してはならないというのか」と思えてしまうのかなぁ……と。



 ということで、冒頭のアンケートにつながるのです。
 男性作家の目から見て「女性キャラを敢えてブスに描くことは女性読者から嫌われる」と思って、今まで避けてきました。全世界に向けて作品を発表する立場になれば、緊急学級会でクラスメイト全員の前で謝罪させられるだけではすみません。全世界に向けて「○○ちゃんをブスに描いてゴメンナサイ」と謝罪しなければならなくなるぞ―――と。

 しかし、女性の立場から「どうしてブスな女性キャラは出てこないんだ!」という声が幾つもあがっているのを見て、「え?描いてイイの?」と思ったのです。
 描いてイイなら全然描きますよ? ヒロインが全員ブスなハーレムものとか、ブスのお姫様が魔王にさらわれる勇者ものとか、ブスが世界を守って戦う変身ヒロインものとか、アイディアならたくさんありますよ!全部「これ描いたら女性読者からむっちゃ嫌われるよなぁ」と没にしたものばかりだ!設定を説明しただけで既にもう「やまなしって最低ー」「女の敵だよねー」「もう女子全員で無視しよう」と思われている気がする!



 さて、投票結果はどうだったかというと……

 女性の回答だけを見ると恐らく177票で、割合は以上のようになります。
 「腹が立つ」と「何とも思わない+嬉しい」を比べるとダブルスコア以上の差があるので、「なーんだ、女性も別に気にしていないんだ!じゃあ、ガンガン描いていってイイかな!」と思ってしまいそうになるのですが……割合を見ると「4分の1以上」「3割弱」の女性が「腹が立つ」に投票していると考えることも出来ます。

 全女性の3割を敵に回すとなると炎上には十分な数ですし、これは緊急学級会→ 公開謝罪の流れになりかねません。この投票結果を見ると、「わざわざ火中の栗を拾ってヒロインをブスにするリスクを背負うことはない」と私なら考えます。
 仮にそれが「どうしても描きたいもの」であって、「最後まで読んでもらえればヒロインをブス呼ばわりした意味が分かってもらえる」ものであったとしても、まず間違いなく最後まで読んでなんかもらえませんからね。推理小説の前半だけ読んで「こんなの犯罪だ」って言われるのが現代社会なんですよ!?


 しかし、7割以上の女性は「何とも思わない+嬉しい」と感じたのだから、こういう女性達の中には「漫画・アニメ・ゲームなどのフィクションにおいて、男性キャラはイケメンもオッサンもブサイクも登場して活躍するのに対して、女性キャラは“若くて美人なキャラ”ばかりなのが許せない」と思ってしまう人が出てくるのかも知れません。要は、「女性の意見」といっても一枚岩ではないということですし、こういうのは多数決に従って少数派の意見を無視すればイイということでもありません。

 「7割の女性を信じて死地に飛び込む」のか、「3割の女性からの炎上を恐れて無難な道を進む」のか―――


 私は無難な道を進むことにします。
 ヒロインが全員ブスなハーレムものも、ブスのお姫様が魔王にさらわれる勇者ものも、ブスが世界を守って戦う変身ヒロインものも、私は炎上が怖くて描けないので、描きたい人がいらしたらどうぞご自由にお使いください。


 

| ひび雑記 | 21:04 | comments:9 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「好きな順」にランキングを作ったり得点を付けたりすることの危うさ

 あ、えーっと……「恋愛の話」じゃなくて、「作品の話」ね。
 「好きな漫画」「好きな映画」「好きな小説」「好きなゲーム」……今日は、そういったものの話です。


 私は、毎年3月末あたりに「前年4月~3月に最終話を迎えたテレビアニメの中から、好きな順にトップ5に並べて発表する記事」を書いていました。ライフワークと化していて、今年もやるとしたら10年目になるんですけど……去年のを最後に、もうやめようかなと思っています。

 「点数の基準を変えて再スタートする」ということではなく、もう「完全にやめる」つもりです。というのも、作品に対して順位を付けるということを、あまりしたくないって考えるようになっちゃったんですね。


 これは「私の話」であって、「みんなもそうしろって話」ではないのですが……
 アニメに限らず、「今年一番好きだった漫画」「今年一番好きだった映画」「今年一番好きだった小説」「今年一番好きだったゲーム」といった話が年末になるとわんさか出てきます。私も昔は書いていましたし、人のを読むのは嫌いじゃありません。ただ、私はそれを考えたくないと思うようになってきたのです。

 ゲームの話が一番分かりやすいですかね。
 『オクトパストラベラー』と『ニンテンドーラボ』と『マニュアル・サミュエル』を並べて、「どれが一番好きか」って考えるのムチャじゃありません?

 「スーファミ時代が全盛期だと思われた2Dドット絵&コマンドRPGの、その先を見せてくれた『オクトパストラベラー』」、「これは果たしてゲーム体験なのか?と言いたくなる独特の体験をくれた『ニンテンドーラボ』」、「生配信でゲラゲラ笑いながら遊んで、「最近こんなゲーム遊んでさー」と話す鉄板ネタにもなった『マニュアル・サミュエル』」―――それぞれに魅力があったし、これらの作品は狙いが完全に別物だと思うんですね。

 カレーライスとハヤシライスを比較することは出来ます。
 ですが、カレーライスとケーキとブラックコーヒーを並べて「どれが一番好き?」と訊かれても、「その時の気分による」としか答えられません。朝眠い時ならブラックコーヒー、昼お腹が空いてきたらカレーライス、おやつの時間にはケーキが欲しいじゃないですか。

 「好きな作品」もそうで。
 ガッツリと冒険したいときには『オクトパストラベラー』、サクッと変わった体験がしたいときには『ニンテンドーラボ』、ゲラゲラ笑いたいときには『マニュアル・サミュエル』……といったカンジに、それぞれの作品を欲するときはちがうので、どの作品が一番好きだなんて言えないのです。


 アニメの場合もそうで。
 去年から「その季に開始するアニメを全作品紹介」の記事を書き始めて、んでそれをみんなに紹介しつつ雑談したりする生配信を始めると、世の中にたくさん作品があることが分かるじゃないですか。そして、たくさんあるそれぞれの作品の狙いはみんなちがっていて、それぞれの作品がくれる感情は別物なのだから、そこに順位を付けたり点数を付けたりするのは「作品が意図しているもの」を何も理解していないんじゃないかと思うのです。


 例えば、今季の『私に天使が舞い降りた!』だったら「子供がかわいい部門」第1位で100点満点中100億点くらいあげられる作品ですが、『約束のネバーランド』は「子供がかわいそう部門」第1位で100点満点中100億点あげたいですし、『どろろ』は「開幕に妊婦さんが登場する部門」第1位で100点満点中100億点あげたいですし……

 それらの作品を好きな順にランキング形式で並べようとしても、「今はかわいい子供をただ眺めたい気分だ」とか「今は壮絶な話が観たい気分だ」とか、その時の気分で順位がコロコロ変わっちゃうんです。朝ならブラックコーヒーが1位で、昼ならカレーライスが1位で、小腹が空いてきた時間ならケーキが1位みたいなことで。


 あ、一応フォローしておくと『どろろ』はめっちゃクオリティ高く「原作の再構築」をしている良アニメですからね。妊婦さんには別に興味がないって人も観てね!『私に天使が舞い降りた!』は、子供を好きな人だけが観ればイイと思います!


↑ 紹介した3作品、全部プライムビデオで観られるみたいなんでどうぞ

 「好きな作品」と「面白い作品」と「素晴らしい作品」は別

 私は昔から「好き←→嫌い」「面白い←→つまんない」「素晴らしい←→駄作」は別の評価軸だということを書いてきました。この考え方は今も変わっていません。
 しかし、「その中でも私は“好き”を重視する」と言ってきたことは、ちょっと考えが変わってきました。「好き」という感情は、自分自身にすら制御できない、不確かで、信用ならない感情なんじゃないかと思ってきたのです。


 「嫌いなゲームかどうか」と「面白くないゲームかどうか」は別

 昨日はガチマッチで3連勝できたから「Splatoon大好き!」と言っていた人が、今日はガチマッチで5連敗したから「こんなゲーム大嫌いだ!」と言ってしまうように……「好き←→嫌い」なんてコロコロ変わるワケですよ。

 長らくインターネット上で文章書いたり漫画アップしたりしてきた身だと、「やまなしさん大好きです!むっちゃ応援しています!やまなしさんがやりたいことをやってくれたら、ずっと追いかけますよ!」と言ってくれる人ほど、すぐにもう見に来なくなるという実感がありますからね……
 『やがて君になる』で七海先輩が言っていた「自分を好きだという人は信じられない」ってヤツですよ。「好き」なんて感情は、変わりやすく、移ろいやすく、消えやすい、信用ならないものなんです。


 「一番好きな作品」を訊かれ、昔のものを挙げる人と最近のものを挙げる人

 しかし、実はこの話……頭では理解していなかったけど、本能では理解していたと思うんですね私。
 「一番好きな作品は何?」と訊かれて最近の作品を答えるということは、「昔の好き」を「現在の好き」ほどに信用していないってことだと思うんです。「好き」は変わりやすいから、「昔好きだったもの」はあくまで「昔好きだったもの」でしかありません。だから、「現在好きなもの」を答えるのは、自分の中では理屈が通っていたんだなぁと思いました。

 この話を読んでピンと来ないという人は、
 恋人に「一番好きなのは誰?」と訊いてみて、「中学生の時に付き合っていた○○君が今まで一番好きだった人かなー」なんて言われたと考えてくださいよ!思春期の思い出なんて、所詮は若い頃の気の迷いだって思うでしょ!?


 だから、ランキングを付けるということを10年近く続けていると、最近の作品の方がどうしても上位に来ちゃうんですね。
 10年前に1位を付けた『とある科学の超電磁砲』とか、その後に他の長井監督作品に「うーん」ってなったり、2期のアニメオリジナルの話が「うーん」だったりしたため、現在はあまり良い印象がなくなってしまい。そうすると「じゃあ『ゆるキャン△』は『超電磁砲』より上だなー」みたいに点数がインフレしていってしまうのです。

 でも、2009年に『超電磁砲』に救われた気持ちと、2018年に『ゆるキャン△』に癒された気持ちは、比較できるものじゃないと思うんですね。朝飲んだブラックコーヒーと、昼食べたカレーライスを比較するみたいな話で。カレーライスが美味かったからといって、じゃあ「朝飲んだブラックコーヒーは2位だな。明日から朝もカレーを食べよう」とかやっていたら、一日中カレーを食べ続ける人になってしまいます。


 なので、ランキングとか得点とかを付けるのはもうやめます。
 「記事として分かりやすい」から、読む側として楽しかったと仰ってくれる人もいるかも知れませんが……とりあえず現在の私がやりたい方向性とは相反するもので、どちらかと言うと「全作品紹介」とかの方がやりたいことなんで、今後はそういう方向性を大事にしていきたいです。

| ひび雑記 | 17:50 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT