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やまなしなひび-Diary SIDE-

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リセマラやりますか? ゲーム辞めますか?

 私は昨年から、3ヶ月ごとに「アニメの新番組」を全作品紹介する記事を書いていて、ただし紹介文は3行しか書けないから語り足りないことを言うために全作品を紹介する生配信を始め、その中で毎回2~3本はある「スマホゲーが原作のアニメ」についてあまり語れないなと思い、今年の春から「基本無料のスマホゲーが原作のアニメ」や「基本無料のスマホゲーが出ているメディアミックス作品」のゲームを事前に遊ぶ実況をするようになりました。


 自分で説明してても、「なんでこの人、こんなメンドくさいことしてるの?」って思うな……
 要は、アニメ化するくらいのスマホゲーは片っ端から遊ぶぜ!ってことを春から続けてきたんですね。

 遊んだゲームは10本。
 その内の8本は、ガチャでたくさんのキャラを入手してそれらのキャラを育成して、その中から何人かでチームを編成して「戦闘」とか「試合」とか「ライブ」とかに挑むタイプのゲームでした。ソーシャルゲーム……と言うと、「それは正確ではない」と怒られるので、『ドラコレ』タイプとか『パズドラ』タイプとか言えばイイのかな。そういうタイプのゲームが8割だったんですね。

 『ハチナイ』『消滅都市』『あんスタ』『Re:ステージ』『アズールレーン』『スタンドマイヒーローズ』『天華百剣』『FGO』……男性向け、女性向け、ストーリー重視、育成重視、それぞれちがう部分も多いし、ゲーム部分は特に作品の特色が出るのですが。「ガチャ」「育成」「編成」は、どの作品にも共通する要素です。


 んで、そうしたゲームを8本連続で遊んで私が気づいたことを今日は書こうと思います。
 それまでにもそうしたゲームを遊んだことがなかったワケじゃないんですけど、『バンドリ』を除けばそうしたゲーム、例えば『パズドラ』も『黒猫のウィズ』も『デレステ』もハマれなかった自分がどうしてそれらのゲームにハマれなかったのか―――それが見えてきた気がするんですね。


 これらのゲーム、

 最初のガチャで、「好みのキャラ」が出ないとやる気も出ないんですよ。


 ……

 ………

 …………今、「何をそんな当たり前のことを」って思われている気がする。

 「みなさん、シマウマってどうしてシマウマって呼ばれているか知っていますか? なんと! シマがあるからなんです!」みたいなことを言ったと思われていそう。ちがうんです、そういうことじゃないんです、単に「ユニコーンちゃんに会いたくてついつい『アズールレーン』起動しちゃう」って話じゃないんです。


 これらのゲームには、「戦闘をすると経験値がもらえてレベルが上がる」以外の育成要素があることがほとんどです。例えば、「スキルカード」のアイテムを使うとスキル経験値が溜まっていき、スキルレベルが上がるとか。特定アイテムを揃えて使うことで「進化」とか「覚醒」とか「限界突破」とかするみたいな。

 有限のアイテムを使って、「レベル」とはまたちがうパワーアップをする要素があるんですね。



 んで、最初から「好みのキャラ」が自軍にいてくれれば、貴重なアイテムもガンガン使ってどんどん強くしていけます。そして、そのキャラを強くすることによって、「スキルレベルが上がるとこんなに強くなるのか」とか「進化するとこんなに強くなるのか」と、ゲームの一番面白い部分を体感できるんですね。

 でも、最初のガチャで碌なキャラが出なかった場合、貴重なアイテムをそういうキャラに使うのは勿体ないって思うから、「いつか石が溜まったらガチャを回すから、そこで好みのキャラが出たときのために取っておこう」って心理になるのです。そのため、有限アイテムはなるべく使わず、スキルとか進化とかの要素にも手を付けず、ゲームの一番面白い「様々な育成要素」にまったく触らないままゲームを進めていくんですね。


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<画像はiOS版『アズールレーン』より引用>

 私、この8本の中では断トツで『アズールレーン』を楽しんでいますが、それは偏に「キャンペーンか何かで最初にユニコーンちゃんをもらえた」ことに尽きます。
 スキル鍛えまくり、ソッコーで「限界突破」させて、寮舎に入れて戦闘でも出し続けてレベル上げまくって、常に装備も鍛えられるだけ鍛えたものを渡し、ダブリのキャラは片っ端からユニコーンちゃんの強化に使った結果―――敵を一瞬で蒸発させるユニコーンちゃんの出来上がり。わーい、たのしー。課金だってしちゃうぞー!

 こんな私ですが、もし最初にユニコーンちゃんをもらっていなかったら、とっくに辞めていたと思います。


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<画像はiOS版『アズールレーン』より引用>

 ウチの嫁、世界一かわいい。


 だから、8本の中で一番遊んだからと言って『アズールレーン』が一番優れたゲームとは思わないし、残りの7本が『アズールレーン』より劣っているとは思いません。どのゲームが一番オススメかということも言えません。最初のガチャで好きなキャラが出れば神ゲーになるけど、そうでなければ凡ゲーになっちゃうんですよ。

 ファミ通のクロスレビューで言えば、ガチャに成功した人は「10点」、失敗した人は「4点」、そういうジャンルのゲームだと思うんですね。こういうゲームを客観的に評価するのなんてムリじゃないのかなぁ。




 さて、実はここからが本題。
 ここまでは本題の前に語っておかなくちゃいけない前提でした。

 この話を生配信でした際に、視聴者のみなさんと出た結論は「だからみんなリセマラするんだよね」って話でした。


 リセマラとはニコニコ大百科より引用)

<以下、引用>
 リセットマラソンとは、スマホゲーム(ブラウザゲーム除く)に於いてインストールとアンインストールを繰り返す行為のことである。
 殆どのスマホゲームは(基本無料+アイテム課金制)であり、最初のチュートリアルを終了すると何回かレアガチャを回すことができる。そこで高レアリティの強キャラを当てるまでアプリのアンインストール・インストールを繰り返すことで、目当てのものを所持した状態でゲームをはじめることができる。

 インストールとアンインストールをマラソンの如く長時間続けることからリセットマラソン、略してリセマラと呼ばれるようになった。

</ここまで>
※ 改行・強調・余計な文字の修正など、一部引用者が手を加えました


 最近も言われるのか分かりませんが、かつてはこの「リセマラで何度もダウンロードをやり直させた」ことによって、累計○○○万ダウンロード達成!みたいなことを謳い文句にしていた時期がありますよね。例えば300万ダウンロードと言っていても、1人が30回リセマラをしていれば、ダウンロードした人数は10万人しかいないみたいなカラクリです。

 死ぬほど面倒くさい行為で、それをやらせるゲーム会社も、それをやるゲームユーザーも、正直理解できませんでした。でも、最初に「好みのキャラ」が手に入るかどうかでゲームの面白さが「10点」か「4点」か変わるというのなら、「10点」が出るまでリセマラする人の気持ちも分かってきました。


 いや、私……自分では絶対にリセマラなんてしませんけどね。
 「やる人の気持ち」も分かるってだけの話で、私はやりませんけどね。


 そもそもの話なんですけどさ……
 私達って別に「それらのゲーム」を絶対に遊ばなくちゃいけないワケじゃないですよね?

 次から次へと新しいゲームがやってきて、遊ぶ時間が全然足りない現代の世の中で、「好みのキャラ」が出るまでリセマラするほど付き合わなきゃいけない義理なんかないですよ。「最初のガチャで好みのキャラが出なかった!じゃあ、もうこのゲームは二度とやらなくてイイや」と、辞めるくらいの人がほとんどじゃないかって思うんですよ。


 私達がゲームに選ばれるんじゃないですよ、私達がゲームを選ぶんですよ。
 酷いガチャだった時点でも「もうこのゲームいいや」と二度と起動せず、AppStoreでも低評価だ!ってなってもおかしくないんです。



 2年前に『きららファンタジア』を遊んだとき、このゲームはリセマラをしなくても何度でも最初のガチャを引き直せる仕様で感動したんですね。あー、ようやくゲーム業界はリセマラみたいなクソ仕様を終わりにしようと思ってくれたんだと。
 でも、今にして思えばなんですが……『きららファンタジア』って「アニメ化した芳文社原作の漫画キャラが集合するゲーム」ですから、例えば『ステラのまほう』にしか興味ない人が始めたのにガチャで出たの全員『NEW GAME』のキャラみたいなことも起こりえちゃうんですね。だから、自分の好きな作品のキャラが出るまで引き直せるようにしてあったのかなーと。

 んで、その『きららファンタジア』の売上はどうだったかというと……うーん、まぁ別に「リセマラがないからダメだった」とは言いませんけど、ユーザーフレンドリーな最初だからってそれが売上につながるワケではないって思っちゃいました。




 私は「ガチャは悪い文化だ」とは思いません。
 ガチャゲーだからこその面白さは作れると思っていて、手に入るキャラがプレイヤーごとにちがうからこそ、プレイヤーごとにちがう自分だけの体験になるみたいな側面はあると思います。『ファイアーエムブレム』みたいなSRPGだと、プレイヤーの数だけ使っているキャラがちがってプレイヤーごとにちがうゲーム体験になることがありますが、その延長線上にあるジャンルだと思っています(※1)

(※1:このブログに何回も書いていますが、『紋章の謎』で私が毎回“強キャラ”だと思って鍛えていたカシムが、未だに誰にも「俺も使っていた!」と言ってもらえないのみたいなヤツ。ひょっとしてウチのカシムが強かったの、ウチにあったROMカートシッジの個体差だとか……?)


 でも、それ故に「碌なキャラが出なかったから」辞める人も多いと思うんですよ。
 『パズドラ』以降のほとんどのガチャゲーに私がハマれずにことごとく辞めてきたのもそういう理由ですし、今後も私は「ガチャで碌なキャラが出なかったから」という理由で辞めていくと思います。これだけゲームがあふれている現代で、リセマラするだけの時間も、重課金するだけのお金ももったいないですもの。


 みなさんはどうですか?
 そこまでして、ガチャを回し続けますか?


   

| ゲーム雑記 | 17:52 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ファミコン版『タッチ』は本当に「どうしようもないゲーム」なのか?

 レトロフリークを買いました!
 バーチャルコンソールなどに出ていない昔のゲームも遊べる環境になったため、夏の間に千葉に遠征してまでファミコンやスーファミのゲームを買いあさってきましたよ。今後はそういうゲームの話題も出せていけたらなって思います。

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<画像はファミコン用ソフト『CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE』より引用>

 そんな私が真っ先に買ってきたのがファミコン版『タッチ』です。
 このゲーム……インターネット上では「原作無視のクソゲー」やら「原作者をブチギレさせた(憶測)黒歴史ゲー」として有名なのですが、私はプレイしたことがありませんでした。『タッチ』の漫画を全巻読んだのももっと後なんで、ファミコン時代には手に取らなかったんですね。でも、実際に遊んだことがなくて知った顔で「クソゲーなんでしょ?」なんて言ったら、実際に遊んだことのある人に笑われるなんてケースを多々見てきたワケで……

 じゃあ、実際に買って遊んでみよう!と遊んだら、フツーに面白いゲームでやんの。インターネット上の評判なんてマジでアテにならねえな!



◇ 名作野球漫画『タッチ』のゲーム化が、野球ゲームにならなかった理由
 『タッチ』という漫画を知らない人もいらっしゃるという話は以前に書きましたんで簡単に済ませますと、1981年~1986年に少年サンデーで連載されていた名作野球漫画です。

 その『タッチ』がゲーム化されるんだから野球ゲームだと思ったら、ベルトスクロールアクションだった!原作無視のクソゲーだ!―――というのが、よくあるインターネット上での批評なんですが。ちょっと待てと私は言いたい。


 このファミコン版『タッチ』の発売は1987年3月です。
 ファミコンの野球ゲームの代表作である『ファミスタ』シリーズの1作目の発売は1986年12月です。

 もちろん『ファミスタ』以前にも任天堂の『ベースボール』のような野球ゲームはありましたが、選手一人一人に独自のパラメータが搭載された「キャラゲーとしての野球ゲーム」の市場が出来たのは『ファミスタ』以降のことで、各社それから後追いで野球ゲームを作っていったのです。

・ジャレコ『燃えろ!!プロ野球』 1987年6月発売
・コナミ『エキサイティングベースボール』 1987年12月発売
・タイトー『究極ハリキリスタジアム』 1988年6月発売
・バップ『スーパーリアルベースボール』  1988年7月発売
・バンダイ『名門第三野球部』 1989年8月発売
・ケイ・アミューズメントリース『甲子園』 1989年10月発売
・カルチャーブレーン『超人ウルトラベースボール』 1989年10月発売
・エポック社『ファミコン野球盤』 1989年12月発売
・テクモ『激闘スタジアム』 1989年12月発売
・カプコン『水島新司の大甲子園』 1990年10月発売
・サンソフト『なんたって!ベースボール』 1990年10月発売

 ジャレコの『燃えプロ』が『ファミスタ』より半年後に発売されていましたが、コナミでも1年後、それ以外の会社は1年半くらいは『ファミスタ』の後追いゲームを出せていません。ファミコンに野球ゲームがわんさか出てくるのは1988年後半~1989年あたりなんですね。

 初代『ファミスタ』から3ヶ月後に発売されている『タッチ』に「野球ゲームだと思ったら、なんと!アクションゲームなんですよ!スタッフは頭おかしいんですかねー?」みたいな言説は、当時ではありえないんです。当時のファミコンの野球ゲームは任天堂の『ベースボール』とナムコの『ファミスタ』しかありませんからね。恐らくはインターネットが普及して以降の「ファミコンのアレなゲームをクソゲー扱いして笑う」ブームで生まれた言説じゃないかと思われます。


 「じゃあ、『タッチ』のゲームはそんな時期に出さずに、2年後くらいにフツーの野球ゲームとして出せば良かったんじゃ?」と思った人もいるかも知れません。しかし、『タッチ』のゲームは1987年3月に発売しなくてはならなかったのです。何故なら1987年3月にアニメが終わるので。
 アニメ終了のタイミングまでにゲームを発売しなくてはならなかったので、その後の野球ゲームブームなどつゆしらず、この時期に開発できるゲームを全力で作ったらアクションゲームになった―――それだけの話なんです。「野球ゲームだと思ったら、なんと!アクションゲームなんですよ!スタッフは頭おかしいんですかねー?」というのは、後の歴史を知っている人が「織田信長は殺されちゃうのにどうして本能寺に行ったのかなー。バカかなー?」って言うようなもんなんですよ!


 「いやいや、野球ゲームが無理なら恋愛アドベンチャーゲームとして出せよ」と思った人もいるでしょう。
 「恋愛アドベンチャーゲーム」は1990年代以降のジャンルだから1980年代には存在しないんですよ……という話は置いといて、ストーリーを追うタイプのコマンド選択式のアドベンチャーゲームはこの時期にも存在しました。というか、実際にコマンド選択式のアドベンチャーゲーム『タッチ』は出ています。1987年1月にPC用ソフトとして。



 じゃあ、これをファミコンに移植すればイイんじゃ……みたいに思われるかもですが、PC用のゲームをファミコン用に移植するには年単位の時間がかかるもので。
 例えば同じようなコマンド選択式のアドベンチャーゲーム『めぞん一刻』のゲームは、1986年12月にPC版が出て、1988年7月にファミコン移植版が出ています。しかし、それが可能だったのは『めぞん一刻』のアニメが1986年~1988年に放送されてたからだと思うんですよ。アニメ放送ギリギリ(はみだしている)タイミングでファミコン版が移植できたから発売できたのであって―――

・1987年1月 PC版『タッチ』発売
・1987年3月 ファミコン版『タッチ』発売
・1987年3月 テレビアニメ版『タッチ』放送終了

 このタイミングだとPC版の移植なんか間に合わないんですね。なので、PC版とは全然ちがう形のファミコン版がアニメ放送終了直前に発売されたのでしょう。
 『タッチ』という漫画・アニメが大ヒットした時期はまだゲームのジャンルが出そろっていない黎明期だったので、、割とこういうことはよくある話だったと思います。『うる星やつら』だってキャラをすげ替えたアクションゲームが出ていますし、原作に全然関係ないジャンルになったからクソゲーだって言うのは「ゲームが作られた時代背景」を無視した言い分ですよ。




◇ じゃあ、何故ベルトスクロールアクションなのか?
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<画像はファミコン用ソフト『CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE』より引用>

 そうして出てきたファミコン版『タッチ』はベルトスクロールアクションゲームだったワケですが、ネット上をサラッと検索しても「当時はマリオが流行ってたから何も考えずにアクションゲームにしたんだろうな」なんてことを言っている人を結構見かけます。いやいや、待て待て。

 『スーパーマリオ』とベルトスクロールアクションを「同じジャンル」とみなす人間は、もうゲームについて語る資格ないでしょう?

 ベルトスクロールアクションゲームは、『熱血硬派くにおくん』(アーケード版は1986年5月、ファミコン版は1987年4月)から始まったと言われ。その後はテクノスジャパンのお家芸となり、『ダブルドラゴン』(アーケード版は1987年6月、ファミコン版は1988年4月)、『ダウンタウン熱血物語』(1989年4月発売)などを経て――――
 セガの『ゴールデンアックス』(アーケード版は1989年5月、メガドラ版は1989年12月)、カプコンの『ファイナルファイト』(アーケード版は1989年12月、スーファミ版は1990年12月)などで一世を風靡したジャンルです。


 さて、『タッチ』。
 先ほども散々書いたように1987年3月発売ですから――――実はファミコン版『熱血硬派くにおくん』よりも早い発売なのです。

 ということは、ファミコン初のベルトスクロールアクションゲーム……?
 なんてことはなくて、『くにおくん』とはまたちがう系譜の『がんばれゴエモン!からくり道中』(1986年7月発売)に影響を受けているのかなと思われます。広いマップを上下左右に進んで探索しながら、お金を貯めてお店で買い物するとこなんかもそのまんまですし。




 ベルトスクロールアクションというジャンル名だと『くにおくん』や『ファイナルファイト』のような格闘ものを指すことが多いと思うのですが、『ゴエモン』や『タッチ』の系譜も存在していて、近年明らかになった「スーパーマリオブラザーズ3は当初俯瞰視点で作られていた」という話もこの系譜じゃないかなと思うんですね。『マリオ3』開発開始の時期と『ゴエモン』発売の時期が近いですし、アイテムを入手しながら国から国へと旅するシステムは『ゴエモン』っぽいと言えなくもないですし。


 閑話休題、『タッチ』の話に戻します。
 『タッチ』が『ゴエモン』とちがうのは、「ステージクリア型」のゲームではなく、「最初からどこにでも行けるオープンワールド型」のゲームであることです。目的はバラバラになった子犬10匹を探すことで、広大なフィールドをアイテム屋で買い物なんかしつつ探索するゲームということで―――ゲーム性としては初代の『ゼルダの伝説』(1986年2月発売)っぽいんですね。

 つまり、外側は『ゴエモン』で中身は『ゼルダの伝説』ってゲームなんです。
 これだけ聞くと、むっちゃ面白そうでしょ?
 実際、ちゃんと遊べば面白いんです。



 アクションゲームとしての出来も全然悪くないです。
 ゲームカタログを始めとして、このゲームを「クソゲーだ」と書いているサイトが判を押したように批判しているのが「ライフ=経験値=お金」システムです。

 このゲーム、スタート時には達也も和也も「ライフ」が250あって、敵と接触すれば当然それが減って、0になったらゲームオーバーなのですが……敵を倒すたびにこの数値が増えて、更に買い物時にはこの数値を消費してアイテムを入手します。

 それ故に、このゲームを「クソゲー」扱いしているサイトはどこでも「ライフが少ない状態でうっかり買い物をすると、敵に触れて即ゲームオーバーになる」のをクソゲーポイントと挙げています。コピペしたかのようにどこのサイトでも必ずと言ってイイほど書かれています。


 アホかと言いたい。
 例えば「ライフが260」の時にうっかり「価格が250するアイテム」を買っちゃうと、残り「ライフが10」になって敵にすぐやられちゃうからクソゲーだ!って言い分が成り立つんだったら。この世界のゲームは全部クソゲーになっちゃうわ。

・「うっかりマリオがクリボーに当たったらやられちゃったからクソゲー」
・「うっかり宿屋に泊まらずに冒険に出たら回復できてなくてすぐにやられたクソゲー」
・「うっかり自分の背丈以上の段差から落ちたら死んだからクソゲー」

 「ライフ=経験値=お金」ということが分かっているのに、敢えて所持金ギリギリのアイテムを買ってライフが少なくなって死んだ―――なんてクレームはこのレベルのクレームですよ。言いがかりでしかありません。
 なのに、どうしてみんなコピペしたかのようにここを批判するのか。実際に自分では遊ばずに評判だけ聞きかじったのを書いているだけなのか、それとも「みんながクソゲーと言っているからクソゲーに決まっている」とネット上のデマに踊らされているのか。



 実際に遊べばすぐに分かるのですが、「ライフ=経験値=お金」システムのおかげで、安全に敵を倒せる場所で5分稼ぎプレイをすれば「ライフ=経験値=お金」が無尽蔵に増えるので―――ほぼゲームオーバーにならない、「アクションゲームが苦手な人でも楽しめる」よく出来た仕様なんですよ。

 例えば『ドラキュラ』シリーズなんかだと「回復アイテムが出ないー」とシビアなプレイを要求されますが、『タッチ』は言ってしまえばすべての敵が回復アイテムを落とす仕様なので、恐ろしい勢いでライフが増えていきますし、敵にちょっと当たったくらいではへこたれません。“アクションゲームとしての”難易度は激低です。「簡単すぎて物足りない」と言われるならともかく、「難しすぎる鬼畜ゲー」と言っている人は本当に遊んだのかと言いたい。



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<画像はファミコン用ソフト『CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE』より引用>

 じゃあ、「ライフが無尽蔵にあるから緊張感のないつまらないゲーム」なのかと言うと……そこを上手く料理しているのが「浅倉南」の存在です。
 このゲームは1人プレイの場合は「達也」と「和也」をセレクトボタンで切り替えながら遊び(動かしていない方は『グラディウス』のオプションのように連動して動く)、2人プレイの場合は1Pが「達也」で2Pが「和也」と分担して遊ぶのですが……「浅倉南」は完全NPCで攻撃手段を持たず、このキャラが敵に接触すると泣きだしてしまって動きが止まります。

 その泣き方が「浅倉南」っぽくないとは私も思いますが……それ故に、「達也」と「和也」で連携して「浅倉南」を守るフォーメーションを取るというのがこのゲームの基本的な遊び方なんですね。


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<画像はファミコン用ソフト『CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE』より引用>

 こんなカンジに、右にいるキャラが左に撃って、左にいるキャラが右に撃つことで画面全体を攻撃できるように陣取るのが理想です。それでも敵は執拗に「浅倉南」を狙ってくるし、中でも「浅倉南」の目の前に地中からドリルで現れるゲッター2みたいな敵が凶悪なんですが……最近まで遊んでいた『零』でもそういう敵がいたから私は気になりませんでした。『零』の幽霊みたいに瞬間移動で避けたりしてこない分だけ当てやすいし。

 開発会社のコンパイルは、後に『ザナック』『アレスタ』などの良作シューティングゲームを作る会社なこともあって……ベルトスクロールアクションと書いてきましたが、『くにおくん』とも『ゴエモン』ともプレイ感覚はちがって、「任意スクロールシューティングゲーム」に近いのかもって思います。


 また、先ほども書いたように「達也」と「和也」の2人同時協力プレイが可能で……ベルトスクロールアクションで2人同時協力プレイを実現するのは、テクノスジャパンで言えば『ダウンタウン熱血物語』(1989年4月発売)が初で、ゴエモンシリーズで言えば『がんばれゴエモン2』(1989年1月発売)が初ですから、それらのシリーズより2年早く2人同時協力プレイを実現しているのも地味にすごいところです。

 当時の最先端だった『ゴエモン』の外側と『ゼルダ』の内側を融合しつつ、『ツインビー』のような2人同時協力プレイをスクロールゲーでも取り入れて―――実はムチャクチャ高い技術力で作られた最先端のゲームだったんだと思うんですよ。後の時代から振り返ると「1987年のゲームも1989年のゲームも変わんねえだろ」と思うかもしれませんが、当時のゲーム業界だと2年経てば「別の時代」です。

 「時代を2年先取りした」とまでは言いませんが。
 少なくとも「テキトーに作られた志の低いゲーム」なんかではなかったと言えます。



◇ アドベンチャーゲームとしての難易度は確かに高い、高すぎる
 とは言え、「じゃあ万人にオススメできる良作ゲームなんですか?」と訊かれると返答に困るのも確か。アクションゲームとしての難易度は激低ですが、アドベンチャーゲームとして難易度を見るとムチャクチャ高いと思います。


 まずはマップが超広大。全体マップやオートマップなんかもなし。
 インターネット上にはこのゲームを評価して、攻略サイトを作り、全体マップを公開してくれている人もいらっしゃいます。ネットも捨てたもんじゃないですね!感謝感謝!

 タッチ攻略ファミコンマックシング!!さん)

 この広大なマップの中にいる「10匹の子犬」を見つけるのが目的で、最後の2匹を除いた8匹はどういう順番で見つけても構わないみたいです。セオリーは「北から攻略した方がイイ」らしく、ゲーム内でもそういうヒントがもらえますが。

 また、アイテムを持てる数が少ない(初期で4→リュックを買うと8に増える)のに、『ゼルダの伝説』並に「この場面だとこのアイテムがないと進めない」箇所が多い上に、使用済みのアイテムも好きな時に捨てられないという仕様(※1)

(※1:民家に入るとたまに「、、、、、、」と何もヒントをくれない住人がいるのですが、ここでのみアイテムを捨てることが可能です。いらないアイテムにカーソルを合わせて住人の前でA+B同時押しでアイテムを処分できます。どういう仕様なんだこれ・笑)


 ハッキリ言って、攻略サイトなしではクリアできるゲームとは思えません。
 そこは認めます。


 しかし、「マップが広大でどこに行ってイイか分からない」というのなら『ゼルダの伝説』だってそうじゃないですか。
 「オートマッピングがない」というのなら『メトロイド』(1986年8月発売)だってそうじゃないですか。当時のゲームだと『メトロイド』だって『リンクの冒険』(1987年1月発売)だって、もっと言うと『ドラクエ1』(1986年5月発売)だって、自分でノートにマッピングして遊ばないとクリア出来ないゲームだったじゃないですか。

 「アイテムがたくさんあってクリアのためには必須のものも多いのにゲーム内でヒントがない」みたいなのも、『ドルアーガの塔』(アーケード版は1984年7月、ファミコン版は1985年8月)だってそうじゃないですか。当時のゲームは「友達同士で攻略情報を共有してみんなでクリアする」のが普通だったじゃないですか。

 『タッチ』の難しさって、当時のゲームとしては割と普通のことだと思うんですよ。



 「いやいや、やまなしさん。私はリアルタイムにそれらのゲーム全部プレイしていて、『ドルアーガ』も『ゼルダ』も『ドラクエ』も『メトロイド』も『リンク』も全部自力でクリアしたよ。友達の口コミもなかったし、攻略本にも頼らずクリアしたよ。でも、『タッチ』は無理だった」と言われたら、それは申し訳ありませんとしか言いようがありませんが……

 その場合にゲームに形容される言葉は、「ムリゲー」とか「ムズゲー」とかであって、「クソゲー」じゃなくないですか?


 『ドルアーガ』や『ゼルダ』や『ドラクエ』や『メトロイド』や『リンク』が決して「クソゲー」と呼ばれず、むしろ「時代に残る名作」と言われているのに、どうして『タッチ』が「クソゲー」扱いされるのか……それは単に「周りが誰もやっていないから」に過ぎないと思います。
 「友達同士で攻略情報を共有してみんなでクリアするゲーム」なのに、友達が誰もやっていない。売れていないからゲーム雑誌なんかでも攻略記事が組まれない。そのため、自力でヒントなしで独力でクリアしなくちゃいけない、でもノーヒントでは難しすぎる、だからクソゲーだ!みたいな。


 現に、上述のサイトのように「インターネット上に攻略情報が載る」ようになってから遊んでみたら「意外に面白いゲームだった」と言っている人はチラホラいます。私もその一人です。広大なフィールドを冒険して、多彩なアイテムを駆使して、子犬を集めていくのはワクワクしました。

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<画像はファミコン用ソフト『CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE』より引用>

 森。

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<画像はファミコン用ソフト『CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE』より引用>

 砂浜。


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<画像はファミコン用ソフト『CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE』より引用>

 学校。
 と、様々なロケーションを冒険するのは楽しいですし……そして、何と!



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<画像はファミコン用ソフト『CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE』より引用>

 甲子園も出てきます!
 中には入れませんが、原作では出来なかった「和也が南を甲子園に連れていく」ことが出来るゲームなんです。

 まぁ、南ちゃんからしても「甲子園に連れていってって、そういうことじゃねえんだよ」と言いたくなるかも知れませんが(笑)。



 先ほどこのゲームはアイテムの所持数が厳しいと書きました。
 そのため、このゲームは1人用で遊んでも「達也」と「和也」を切り替えて、2人の所持アイテムと所持金を上手く管理しなくてはなりません。「達也」ばかり使っていると「達也」の方ばかり所持金が増えて、アイテムを買うのも持つのも「達也」ばかりになって、あっという間にアイテム欄が8コ埋まっちゃいますからね。

 なので、このゲーム―――
 原作では出来なかった、「達也」と「和也」を的確に切り替えながら(タッチしながら)進めることが重要になっていて……確かにストーリーは原作に全然関係ないし、サブキャラも全然出てこないゲームではあるんですが、原作では出来なかった「if」を実現しているゲームと言えなくもないのです。



◇ パスワードについて
 インターネット上でこのゲームを「クソゲーだ」と書いているサイトのほとんどが、コピペしたかのように「ライフ=経験値=お金」システムをクソ仕様扱いしていると先ほど書きました。そして、更にもう一つほとんどのサイトが書いているのが、この「卑猥なパスワードを入れると達也のみ最強状態で始まる」ということです。

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<画像はファミコン用ソフト『CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE』より引用>

 これにより原作者がブチギレて、以降あだち充先生の漫画はゲーム化されなくなっただの。原作ファンはこのパスワードを読むとショックを受けるので閲覧禁止だの。ネット上ではそれがさも真実かのように語られて、それを読んだ人がコピペするかのように色んな場所に書いて、どんどんどんどん拡散されているのですが……


 3つほどツッコミたいことが私にはあります。

 この時代のファミコンのパスワードは「簡単な法則」で成り立っているので、その法則さえ解析してしまえば好きなように作文できてしまうものです。有名なのは『ドラクエ1』の復活の呪文で、例えば後に薬物で捕まった芸能人の名前を羅列すると最強状態で始まるから「ドラクエ1は未来を予知していたんだ!」なんて言う人がいますが、好きなように作文してその法則を知らない人にデマとして吹き込んでるだけの話なんですね。

 『タッチ』のパスワードが解析されているのかは分かりませんが、パスワードが通るのが開発者からのメッセージだなんて騒ぐのはどうかと思います。


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<画像はファミコン用ソフト『CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE』より引用>

 もう一つ、ネット上で出回っている有名なこのパスワードは実は最強状態ではありません。
 ライフこそ3000ありますが、ライフなんて15分もあれば3000くらい溜まりますし、アイテムも揃っていません。そして何よりの問題ですが、10匹集めるべき子犬が7匹しか集まっていません。


 「10匹中7匹も集まっていれば十分では?クリア直前では?」と思った人は、もうちょっと頭を使って生きてください。このゲーム、オープンワールドゲームのように「攻略順が決まっていない」んですよ。最後の2匹は恐らく順番的にみんな最後にするとは思うものの、後の8匹はどういう順番で救出するかはプレイヤー次第なんです。それが7匹しか揃っていないパスワードとはどういうことかというと……

 どの子犬を見つけていないのか、正規ルートと同じように8カ所回って調べなきゃいけないのです。1カ所目で正解を引けばクリアは近いですが、8カ所目だった場合は普通にゲーム始めるのと変わりません。実用性のないパスワードなんですよ。
 もし開発者が意図的に「卑猥なパスワードを入れたら最強状態から始まるようにしよう、ムフフッ」と企んだ場合に、こんな中途半端な嫌がらせみたいなパスワードにするでしょうか?普通だったらクリア直前&アイテムも揃った状態のパスワードにするでしょう。




 そして、最後のツッコミ。
 読んだことのない人のイメージだとそうなのかも知れませんが、そもそも原作の『タッチ』って結構エロイ漫画ですよ?

 そりゃ少年誌だから濡れ場とかはありませんが……女のコが水着とかレオタードなんかを着て、それを男のコがムフフッと眺めるみたいなお色気シーンがふんだんにある作品ですよ?私なんかは、むしろあだち充作品=あざといくらいにお色気シーンを入れてくる漫画というイメージです。

 「Hしてしまいました」なんて稚拙な一文のパスワードが通る(しかも出てくるデータは実用性皆無)だけで、「原作ファンは閲覧禁止」とか「原作者がブチギレた」みたいに騒ぐ人――――『タッチ』どころか、あだち充作品を1作品も読んだことないでしょ?


 手塚治虫先生とか『ドラゴンボール』とかが、そのパブリックイメージゆえに健全なものと思われて、「最近の漫画はエロやグロにすぐに走る!手塚作品や『ドラゴンボール』なんかを見習ってほしい」みたいに言われて。手塚作品や『ドラゴンボール』のガチファンが「オマエ、読んだことねえだろ!」と思うみたいな話ですよ。

 『タッチ』に健全なイメージしか持っていない人、「アニメ名場面集」みたいな番組で断片的な情報だけで全部観た気になってんじゃねえの?



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<画像はファミコン用ソフト『CITY ADVENTURE タッチ MYSTERY OF TRIANGLE』より引用>

 というワケで、レトロフリークを買って最初にクリアしたゲームはファミコン版『タッチ』でした。フツーに面白かったです。


 もちろん実際に遊んだ人が「自分には合わなかった」と言うのは仕方がありませんが、このゲームが開発&発売された時期を無視した批判とか、ゲームシステムを1ミリも理解していない批判とか、ゲームどころか原作も碌に知らないのに面白がって「クソゲークソゲー」騒いでいる人達が多いのには本当に嫌気がさしました。

 「みんながクソゲーって言ってるからサンドバッグにしてイイんだよ」って論理は、イジメの構造と何ら変わりありません。反省してください。反省した人はとりあえず原作漫画を全巻買って読んでください。さすれば神もアナタを許すでせう。


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何故ぼくはフローラを結婚相手に選んだのか~1992年にあったゲームの分水嶺

※ この記事はゲーム版『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』のネタバレを含みます……というか、記事タイトルがネタバレです!
※ 劇場版『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』については観ていないので語りませんし、ネタバレもありません。



 チラッとTwitterで話したことなんですが、もうちょっとしっかり文章にまとめた方がイイかなと思ったのでブログに書きます。

 『ドラゴンクエストV』というゲームは、ストーリーの中盤で「結婚相手」を選ぶイベントが起こります。スーファミ版では「幼馴染のビアンカ」と「その町のお嬢様:フローラ」の二択で、このイベントを通過しなくてはゲームが進まない強制イベントです。
 そして、選んだ方のキャラがお嫁さんとなって一緒に冒険することになり、更にストーリーが進むと子供も生まれます。この子供の髪の色が、ビアンカを選んでいると金髪、フローラを選んでいると青髪になるのも芸が細かいんですよね。


 この「ビアンカかフローラか」論争というのは、何十年間もゲーム好きの間で話のタネになっていて。「ストーリーの流れでは絶対にビアンカでしょ」「幼馴染を裏切ってフローラを選ぶヤツは人でなしだ」みたいに、その人の人間性をはかる指針になっているところもありました。

 ゲームの攻略的に見ると「フローラの方が戦力にはなる」「金持ちの義父が支援してくれる」とフローラの方にメリットがあるのに対して、「ストーリーの流れではビアンカを選ぶのが普通」「選ばれなかった場合のビアンカは山奥でずっと父親の世話をするはめになって可哀想」とストーリー的にはビアンカが正規ルートっぽいカンジがするのも確かです。そんなこと言われるビアンカのお父さんも可哀想じゃない?


 この辺がよく言われること。
 ただ、この「ビアンカかフローラか」論争であまり語られない要素があるな―――と思ったので、今日ここに記事を書くことにしたのです。
 このゲームが発売された1992年にこのゲームを遊んでいれば誰もが何となく分かったであろう“当時の空気感”みたいなものがあまり語り継がれていなくて、『ドラクエV』は遊んだことがないけど「ビアンカかフローラか」論争だけは知っている人とか、リメイクなどで後から遊んだという人も多くなってしまい。「ビアンカかフローラか」論争が、「ストーリー的にはビアンカ」「ゲーム攻略的にはフローラ」みたいな単純な二択にされているのは大事な本質が抜けているだろうと私は思うんですね。


 つまり、「ゲームデザインとしてのフローラの存在意義」について、語る人があまりに少ないと思うのです。



◇ それはそうと1992年のスーファミタイトルってやばくない?
・1月28日 『ロマンシング サ・ガ』
・3月7日 『弟切草』
・6月10日 『ストリートファイターII』 ※ アーケード版は1991年稼働開始
・7月14日 『マリオペイント』
・8月27日 『スーパーマリオカート』
・9月27日 『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』
・10月30日 『真・女神転生』
・12月6日 『ファイナルファンタジーV』

 時代を切り開いた名作が次々と発売されている年なのです。
 スーファミ本体発売が1990年11月21日ですから、ハード2年目に入って「スーファミの性能を活かした新しいゲーム」がどんどん出ている時期―――この時期に『ドラクエV』は発売されたんですね。あの『ドラクエ』がとうとうスーパーファミコンで出るぞ!と。


 んで、ちょっと話をズラします。
 このブログを長く読んでいる人なら耳にタコができるほど読んだ話だと思いますが、「ファミコン→ スーパーファミコン」にゲームが移行するにあたって、『ドラクエ』や『ゼルダ』はかなり別のゲームに変化しているんですよね。
 ヒントも最小限で「さぁ!好きなところに行くがよい!うっかり強敵だらけのところに足を踏み入れて死んでも知らんぞ!」というファミコン時代から、「そっちはまだ行っちゃダメ。だから、岩で区切っておくね。ここでストーリー進めてこのアイテムを手に入れたころには強くなっているだろうから、そうしたらここ通れるようになるよ。安心でしょ?」というスーファミ時代に変わりました。

 自由度を捨てて、『ドラクエ』や『ゼルダ』が得た“遊びやすさ”


 「自分で考えて冒険するゲーム」から、「ストーリーを追うゲーム」へ。
 『ドラクエII』でよく語られる思い出話が「ロンダルキアが地獄すぎた」とか「水門の鍵とかどこにあるか分かるワケねーだろ」といった冒険の難所についてのものが多いのに対して、『ドラクエV』でよく語られる思い出話が「ビアンカとフローラどっち選んだ?」とか「キラーパンサーのシーンが泣けた」といったストーリーについてのものが多いのも、象徴的だと思うんですね。


 もちろんそれで『ドラクエV』も、この後の『FFV』も大ヒットしたから「当時の需要にマッチした」と私は思うのですが……このスーファミ時代は「日本のRPGはロール(役割)をプレイングする(演じる)ゲームではなくなってしまった」「一本道のストーリーを追うだけのジャンルになってしまった」とよく言われたものです。
 そして、それは後のプレステ時代につながり、「ムービー偏重でゲームというより映画みたい」「これはもうゲームでなくてイイのでは?」みたいに言う人が出てきて―――その流れで、未だに「海外のゲームは自由度が高い。日本のゲームは一本道のストーリーを追うだけ。日本人は自由度が高いと何をしてイイか分からなくなるから」みたいに言ってる人がいるくらいですからね。その話題、1992年の時点で散々語られたヤツですよ!?20年以上前からタイムスリップしてきたの!?


 しかし、流石の堀井雄二です。
 『ドラクエV』が「一本道のストーリーを追うゲーム」になってしまったところに、一つの爆弾を落とすワケですよ。それが「ビアンカかフローラか」の二択です。「自分で考えて冒険するゲーム」から「ストーリーを追うゲーム」になってしまったから、そのストーリー部分に「自分で考えなくてはならない二択」をぶちこんだのです。


 つまり、ですね。
 「フローラという選択肢」は、ゲームにおけるマルチシナリオ・マルチエンディングの走りだと思うんですね。


◇ 「自分の選択」がゲームに反映される時代が来た、1992年
 マルチシナリオ・マルチエンディングの定義は難しくて、『信長の野望』(1983年~)とか『三國志』(1985年~)のような歴史シミュレーションも「自分だけのシナリオが展開するゲーム」と言い張ることも出来るのですが……自分の肌感覚としては、やはりこの「1992年」が時代が変わった瞬間だったと思うんですね。


 一つには、フリーシナリオRPG『ロマンシング サ・ガ』。
 実はこのゲーム「選んだ主人公によってちがう展開をするのは序盤だけ」みたいに言われることもあるのですが、最初に選ぶ8人の主人公によってスタート地点が変わったり、起こるイベントがプレイヤーが行く場所次第だったりすることで、プレイヤーの数だけちがう冒険があるゲームでした。
 当時の自分にはシステムが複雑すぎて、クリア出来なかったですね……そのくらい斬新すぎるゲームでした。

 もう一つは、サウンドノベルの草分け『弟切草』。
 「正解を探すアドベンチャーゲーム」ではなく、「選んだ選択肢によってストーリーが分岐するアドベンチャーゲーム」として作られていて、何度も遊んで別のエンディングを目指すゲームでした。まだスーパーファミコンを持っていなかった自分が、友達の家で初めて見てぶったまげたゲームNo.1でしたよ。こんなゲームが世の中にあるのかと思ったものです。


 「存在しなかった」とまでは言いきれませんが(例えば1991年発売の『くにおくんの時代劇だよ全員集合』なんかもマルチシナリオと言えなくも……ない、か?)ファミコン時代には「選択肢によってストーリー展開がまったく変わるゲーム」って相当珍しかったと思うんですね。
 形としては「はい/いいえ」という選択肢が用意されているのだけど、正解は「はい」であって、「いいえ」を選んでも「そんな、ひどい…」と言われるだけで永遠とループし続けるとか。「世界の半分をやろう」に「はい」を答えるとその場でゲームオーバーとか(これもある意味では「マルチエンディング」の先駆けか?)―――選択肢は用意されていても、正解の方の選択肢は決まっているというのがファミコン時代のスタンダードだったと思うんですね。


 そこに来た『ドラゴンクエストV』です。
 当時の私は、発売日にこのゲームを買った兄貴のプレイを後ろから眺めていたのですが……「ビアンカかフローラか」を選ぶシーンでは、「いやいや、どうせコレはビアンカが正解であって。フローラを選んでも、なんだかんだストーリーが進まないでビアンカを選ばされるんだろ?」と兄弟で話したのを覚えています。

 そうしたら数日後、兄貴のクラスメイトの中には「フローラを選んで、フローラと結婚して、フローラの子供が生まれた」と言い張っているヤツがいるという噂を聞くのです。「いやいや、それってアレでしょ?高橋名人が指にバネ仕込んで逮捕された、みたいなデマでしょ?」と思ったら、ホントでやんの。ホントにフローラと結婚できるでやんの。
 この衝撃って、予め「ビアンカかフローラか結婚相手を選べるゲーム」として知った上で始めた人には絶対味わえないものだったと思います。


 ファミコン時代の自由度なんて、初代『ゼルダ』にしても『ドラクエII』にしても、「必ず行かなくちゃいけない場所」を好きな順番で行けるくらいの自由度だったと今なら思います。スーファミ時代の自由度は、「自分の選択によってストーリーが変わる」という衝撃だったのです。
 今の若い人に説明するなら、『ブレス オブ ザ ワイルド』で「明らかに正規の解法じゃない方法でクリアしちゃって、え?イイの?と思った」ようなあの衝撃を―――1992年に『ドラクエV』を遊んだキッズ達は受けたのです。本当にビアンカと結婚しなくてイイの?フローラと結婚しちゃってイイの?と。

 ちなみに、同じ1992年の『ファイナルファンタジーV』もラストバトルの内容によってエンディングが変わるという要素があります。これは流石に「自分の選択によってストーリーが変わる」とまでは言えないと思いますが、同じ1992年の二大RPGの比較としてなかなか面白いなと思います。



 恐らく、若い人からすると「自分が選んだ選択肢によってストーリーが変わる」なんてことは何の衝撃もないんじゃないかと思います。この後、マルチシナリオ・マルチエンディングのゲームなんて山ほど出てきますからね。「それが普通じゃん」「ストーリーが変わらない選択肢なんて意味があるの?」くらいの感覚かも知れません。

 しかし、マルチエンディングのRPGとして有名な『クロノ・トリガー』は1995年発売ですから、この3年後。プレイヤーの選択によって好きなヒロインと結ばれるマルチエンディングの恋愛シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』は1994年発売ですから、この2年後のゲームなんです。
 PCのゲームも考慮すると、『ときメモ』につながる系譜として……例えば『卒業』や『同級生』は1992年、『プリンセスメーカー』でも1991年が初出です。


 先の『ロマサガ1』や『弟切草』の例のように、1992年当時ってマルチシナリオ・マルチエンディングのゲームは最先端のトレンドだったんだと思うのです。ゲームに使えるスペックと容量が増えたことで、こんなことも出来るようになったぞという流行だったのだと思うんですね。

 そこに『ドラクエ』が持ってきたのが「ビアンカかフローラか」という、結婚相手の二択だったのですよ。

 『ドラクエ』シリーズは元々「ゼロから画期的なものを生み出すシリーズ」というよりかは、既にあるものを万人向けに編集してその魅力を伝えるシリーズだと思うんですね。PC向けのRPG自体は『ウィザードリィ』や『ウルティマ』などたくさんあったところ、日本のファミコンユーザーでも楽しめるRPGとして初代『ドラクエ』は生まれたワケですし。

 「マルチシナリオの要素」も、別に「初めてマルチシナリオを採用したゲームはドラクエVだ」なんてことは言いませんが、あの当時に「自分の選択によってゲームのストーリーが変わってしまうんだという体験」を初めて味わった人が多かったのがドラクエVのビアンカかフローラの二択だったとは言えると思います。



 その観点が、「ビアンカかフローラか」論争には欠けていると思うんです。
 若い人の中には、「ビアンカを選ばないなんて人でなしだ」とか「むしろビアンカ以外の選択肢を用意する意味が分からない」とまで言う人がいます。マルチシナリオやマルチエンディングが当たり前にある時代の人間からすると、そういう感想になるのかーって思いました。当たり前にあるものは、それがなかった時代のことなんて考えられないというか。


 少なくとも発売日近辺に『ドラクエV』を買って結婚相手にフローラを選んだ人は、「フローラと結婚すれば金持ちの義父が支援してくれる」とか「フローラはイオナズンを覚える」みたいな理由で選んでいません。そういう理由でフローラを選ぶ人が出てくるのは、攻略本などが発売されて情報が出そろってからの話です。

 今のインターネット時代、配信開始日のソシャゲでも「有利なキャラが出揃うまでリセマラする」みたいな攻略方法が当然なのかも知れませんが。1992年時点の日本ではインターネットはほぼ普及していません。何も分からないそういう状況でフローラを選んだ人達を「金に目がくらんだ」みたいに言うのは、当時の皮膚感覚としてはありえません。


 じゃあ、彼らはどうしてフローラを選んだんだ?って思いますか?
 「お金目当て」でも、「イオナズン目当て」でも、「子供の髪色を青色にしたくて」でもなくて。

 我が家では「兄が買ったゲームは兄がクリアするまで弟は触ってはいけない」という決まりがあるので、私が『ドラクエV』をプレイ開始したのはもうちょっと後だったと思いますが……何を隠そう、私は「フローラ」をお嫁さんに選んだ人間です。その私からフローラを選んだ人間の理由を語らせてもらえば。

 選択肢によってストーリーが分岐するのを見たかったんです。

 ストーリー上では明らかに「ビアンカを選べ」と言っている。
 そもそも発売前からビアンカが「唯一のヒロイン」みたいな扱いで宣伝されてた。
 パッケージにもソフトにも「ワシが嫁やで」と言わんばかりの顔で描かれていた。
 でも、それに逆らうことが出来る。

 ゲームが進化したことで、「用意されたストーリー」に逆らうことが出来たのです。
 生まれて初めて、ゲームに逆らうことが出来た―――その象徴がフローラなのです。


 これは、もっと本格的な「マルチシナリオ」のゲームである『ロマサガ1』や『弟切草』よりも強烈な体験でした。「8人の主人公の中から1人を選ぶ」とか「選択肢によってストーリーが分岐する」以上に、「明らかに用意されているヒロインじゃない方を選ぶ」という体験は背徳的で印象深いものですからね(強いて挙げるなら『ロマサガ1』のアイスソードの選択肢はこれに近いかも)(私は当時そこまで行けなかったけど)




 一応言っておきますが、「だから、フローラ派はエライんだ」みたいな話じゃないですよ?
 ビアンカを選ぼうが、フローラを選ぼうが、デボラを選ぼうが、人の自由だと思います。

 ただ、未だに熱く議論される「ビアンカかフローラか」論争で、1992年当時には確実にあった「フローラを選ぶことが出来るだなんてこのゲームはすごい!」という衝撃が何故だか語り継がれないのがもどかしかったのです。それが語り継がれなかった結果、「フローラを選ぶような男は金に目がくらんだクズ野郎だ」みたいに言う人があふれているのはホントどうかと思いますよ。

 「ビアンカかフローラか結婚相手にどっちを選ぶ?」って場面で、攻略サイトを開いて「お、フローラを選ぶと資金援助してもらえるのか。よーし、フローラを選ぶぞー」ってやると思っているの?
 ゲームにおける選択肢を、攻略サイトを読み込んですべて最適なものを選んでいるという考え自体が私はキライですわ。自分の頭で考えろよ!そのために、わざわざ堀井雄二は「二択」を提示してくれたって言うのに!


| ゲーム雑記 | 17:50 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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「大体どのくらいの頻度でセーブできるか」って、ゲームにおいて重視しませんか?

 過去に似たような記事を書いたことがありますし、生配信でも話した内容なんですけど……時間もネタもないので、ちょっとみなさんに聞いてみたい話を書こうと思います。


 例えばゲームを買うかどうか悩んでて、レビュー等で情報を調べてから買おうとする際、
 「セーブポイントが出てくる頻度」みたいな情報って気にしませんか?



 改めて考えるきっかけになったのは『じんるいのみなさまへ』で―――
 あのゲームに対する自分の評価は「不満点はたくさんあるけど志は買うので好きなゲーム!」なんですけど、その不満点の代表例がセーブ周りで、紹介記事でもそこはハッキリとダメだと書かせてもらいました。

 『じんるいのみなさまへ』紹介/満点ではないけれど、唯一無二の「日常系アニメの中に入れる」ゲーム

 「そもそもどんなゲームか知らん」人に説明すると、キャラクター達の会話を眺める「ノベルパート」と、キャラクターを動かして秋葉原の街を移動する「探索パート」で構成されているようなゲームです。ゲームオーバー要素とかはありません。
 んで、このゲームのセーブできるタイミングというのが、「ノベルパート」では章の終わりのみ、「探索パート」では1日の終わりのみなんです。「探索パート」の1日の終わりには食材を使うのが普通と考えると、セーブするために食材が必要とも言えて、ノーリスクではないんですね。


 この「好きなタイミングでセーブできない」「セーブできる頻度が少ない」ことが私の不満点で、他人にこのゲームを薦められるかどうかを考えたときに頭を抱えてしまうマイナスポイントで、だから紹介記事でも批判したのですが……

 他の人のレビューを読んでも、ここを批判している人ってほぼいなかったんです。
 このゲームを絶賛している人はもちろん、酷評気味だったファミ通のクロスレビューでも、「マップに現在地が表示されない」みたいなことしか書かれずに、セーブ周りについては誰も触れていませんでした。


 「これだからファミ通は一般人の視点に欠けてるなぁ」みたいなことを言ってたら、あれ?ひょっとして世間一般の価値観からズレているのは俺の方だったのかと思えてきたのです。今までゲームの紹介記事を書く際には、なるべくセーブ周りについての説明を書こうと気を遣ってきたのですが、ひょっとしてこの情報は俺以外誰も重視していないのか?と。


 「重視しない人もいる」というのは分からなくはなくて……
 今のゲーム機は大体スリープモードが完備されているので、1本のゲームを一気にプレイする人だったら「セーブなしで最初から最後までスリープだけでクリアする」みたいな人も多いと思うんですね。セーブポイントの頻度を気にするかどうか以前に、セーブすらしないでクリアする人もいるだろうと。

 しかし、私みたいに、Nintendo Switchのソフトだけでも『じんるいのみなさまへ』と『スーパーマリオメーカー2』と『Downwell』と『プチコン4』を同時並行で遊ぼうとした人にはその方法は使えません。スリープモードはあくまで「1本のゲームを遊び続ける」ことしか出来ませんからね。ゲームの切り替えをしようとすると、スリープではないセーブをする必要があるのです。

 だから、私は『じんるいのみなさまへ』のセーブ方式が不満だったんですね。



 また、ファミ通のクロスレビュアーのような「プロのゲームライター」さんの場合、仕事でゲームをプレイするワケですから、1日の余暇時間の合間にプレイする私のような人間とはとらえ方がちがうんだろうなとも思います。
 分かりやすい例を出すと、「1日30分しかゲームを遊べない人」と「1日10時間ゲームを遊んでいる人」なら、セーブポイントの捉え方は変わりますよね。「1日30分しかゲームを遊べない人」は30分以内にセーブポイントまで辿りつけなかったらその日のゲームは進捗ゼロですというのもありえるくらいなのですが、「1日10時間ゲームを遊んでいる人」ならセーブポイントの頻度なんて気にしないと思うんですね。

 私はどちらかというと「1日30分しかゲームを遊べない人」側なんですけど、今ゲーム機でゲームを遊んでいる人は「熱心なゲーム好き」が多いでしょうから、10時間は言い過ぎだとしても「1日2~3時間ゲームを遊んでいる人」なんて全然珍しくないと思うんですね。もしくは休日などの「2~3時間のまとまった時間がなければゲームを起動しない人」とか。


 そういう人が多いのなら、セーブポイントの頻度は「2~3時間に1回出てきます」でも問題ないし(ゲームオーバーの際にどこからやり直しになるのかは重要だと思いますが)、いちいちセーブポイントの頻度なんて気にしないのかなぁと。



 みなさんは気にしますか?
 誰も気にしないのなら、ゲーム紹介記事でも今後触れなくてもイイかなと考えているので、意見を聞かせてもらえたらありがたいです。

| ゲーム雑記 | 17:52 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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セグメントゲームズさんに誘われてラジオで喋ってきました & Skype結構イイねという話

 セグメントゲームズのpartygameさんに「ゲームについてラジオで一緒に喋りませんか?」と誘われたので、ゲストという形で一緒に喋ってきました。YouTubeで聴けるのでみんなも聴いてね!



 「話したいテーマはありますか?」と事前に言われていたので、恐らく「私とおなじように宇宙飛行士タイプのpartygameさん」にずっと聞いてみたかったこととして「遊んだことのないシリーズやジャンルのゲームってありますか?」をテーマとして挙げさせてもらいました。予想外の話に発展していって、一人喋りのゲーム実況とはまたちがう楽しい時間を過ごさせていただきました。


 内容について語っちゃうとネタバレになるので、そちらは是非動画で観てください。ゲーム好きな人なら「分かる分かる」とか「うそぉ!」とか思いながら聴ける話がどんどん出てくると思いますよ!





 さて、ラジオの内容とは別個でちょっと考えたこと。
 「ラジオで一緒に喋ってきた」と言ってもSkypeでつないで電話のように喋っただけなのですが、私実はSkypeって初めて使ったんですよ。元々友達がほとんどいないし、数少ない友達もインターネットが家にない人ばかりだし、PC用のマイクを買ったのもゲーム実況をする時に初めて買ったくらいですし。

 「こんなにクリアに聴けるんだー」って思いました。
 昨年、『スーパーマリオブラザーズ3』をフレンドの人とオンライン協力プレイで一緒にクリアする配信をやったのですが、その時はNintendo Switch Onlineの公式アプリのボイスチャットを使ったため。音がプツプツ途切れたり、回線が途中で切れちゃったり、あんまりクオリティ高くないなと思ったんですね。

 もちろん今回は2人ともPCにマイクをつないだから音声がクリアになっただけで、スマホからSkypeをするとここまでクリアじゃないのかも知れませんし。Nintendo Switch Onlineの公式アプリは、例えば『Splatoon2』でプライベートマッチをやった際、「味方のチームだけボイスチャットが聞こえるようになる」みたいなゲームと連動したボイスチャットが出来るというのがウリなのですが。

 もし次に「フレンドと一緒にボイスチャットありで何かのゲームに挑戦する」機会があるのなら、Skypeという選択肢もありかなーと思ったんですね。その方が「ボイスチャットには参加したいけど声バレしたくないからボイスチェンジャー使いたい」みたいな人も参加できると思いますし、選択肢が増えると思うんですね。

| ゲーム雑記 | 17:55 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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運ゲー、アドリブゲー、覚えゲー

 以前の生配信で出た話題なのですが、言いたいことをちゃんと言い切れないまま終わっちゃってその後語る機会がなかったため、ブログにしっかりと自分の考えをまとめておこうと思います。


 「アドリブゲー」と「覚えゲー」の違いは、どこにあるのか?

 例えば、従来の格闘ゲームはコンボを覚える「覚えゲー」だったのに対して、『スマブラ』はダメージ蓄積量によって吹っ飛ぶ距離が変わるので同じコンボが毎回成立しない「アドリブゲー」を目指した―――みたいなことはよく言われるのですが。従来の格闘ゲームだって「アドリブゲー」として楽しんでいた人達はいるし、『スマブラ』も「覚えゲー」だと言っている人もいますよね。


 「○○は覚えゲーだ」「いや、○○はアドリブゲーだ」と、話が噛み合わないことが何故起こるのか――――

 それは、同じゲームを遊んでいても、ゲームが下手な人には「運ゲー」だったり「アドリブゲー」だったりするのに、ゲームが上手い人にとっては「覚えゲー」になるからだと思うんですね。



tetris-adrob.jpg
<画像はNintendo Switch用ソフト『テトリス99』より引用>

 分かりやすく、多くの人が一度はプレイしたことがありそうな『テトリス』で例えましょう。

 私くらいのへっぽこゲーマーからすると『テトリス』って「運ゲー」なんですよ。
 テキトーに積みあがった形に、きっちり合うブロックが次に落ちてくるかどうかが“ランダムで”決まるので―――運が良ければ生き残れるけど、運が悪ければ瞬間で死ぬゲームなんです。『テトリス99』やっても基本70~80位くらいなんですが、時たま20~30位くらいになれるのはたまたま欲しいブロックが落ちてきたってだけなんですね。


 んで、恐らくもうちょっと上手くなっていくと『テトリス』は「アドリブゲー」になっていくと思うんですね。
 落ちてくるブロックは“ランダム”で決まるとは言え、瞬間瞬間の“とっさの判断”で対応していくゲームになるんじゃないかと思われます。運要素で左右されない立ち回りが出来るかどうかのゲームになっていって、『テトリス99』に昔はなかった(よね?)「好きなブロックをキープしておけるHOLD機能」や「NEXTが6つ先まで表示される」があるのも、運をアドリブで制御できるようにするためだと思われます。私には使いこなせませんけどね!


 そして、達人クラスになると『テトリス』は「覚えゲー」になるらしいんですよ。
 初心者~中級者には聞いたこともない「Tスピン」という、凸型のブロックを回転させてスキマに埋め込むテクニックを達人たちは使いこなしていまして。『テトリス』を極めていくと、最終的にはこの「Tスピンが出来る形」と「そこに埋め込むためにはどのタイミングでどっち回転のボタンを何回押すのか」を覚えるゲームになるらしいんですね。

 「んなバカな」という人は、↓こちらのブログをお読みください。

テトリス講座 Vol.10 絶対に覚えておきたいTスピンテンプレ集
テトリス講座 Vol.10-2 絶対に覚えておきたいTスピンテンプレ集【2】

 『テトリス』の解説で「火力の底上げ」って言葉が出てくるとは……(笑)
 『テトリス』を「運ゲー」だと思っている私には怪文書にすら思えてきます。「やまなしさんもこれを覚えたら強くなるんじゃ?」と思った人がいるかもですが、私は未だに「AボタンとBボタンのどちらを押すと右回転なのか左回転なのか」すら覚えられていないんですよ!無理に決まっているじゃないですか!




 ということで、同じゲームであってもプレイヤーの熟練度によって「運ゲー」か、「アドリブゲー」か、「覚えゲー」かは変わるのです。
 例えば私、「スマブラ以前の格闘ゲームはコンボを覚える覚えゲーだった」という話がちっともピンと来ないのは、私はコンボを覚えられないどころか、コンボが出せたことがないレベルだからです。波動拳ですら6回に1回くらいしか出せない自分がコンボを覚えたところで何の役にも立ちません。だから、格闘ゲームは基本ガチャガチャとボタンを押して当たればラッキーという「運ゲー」です。

 レースゲームやリズムゲームも「何度も同じコースを遊んで覚えていく覚えゲーですよ」と言われるのですが、何を覚えればイイのかすらよく分かりません。「このカーブは何十回と挑戦しても曲がれない」とか「ここのスライドでいつも失敗してコンボが途切れる」みたいなことは覚えられるけど、それを覚えても次もまた同じ失敗をするだけです。

 それでも最近のゲームは難易度調整とか自分と同じレベルの人とのマッチングとかが充実しているため、そんなレベルでも全然楽しく遊べてしまうんですね。だから、私にとってのレースゲームやリズムゲームは「アドリブゲー」という感覚なのです。



◇ 「運ゲー」と「アドリブゲー」の境界線
 ゲームに“ランダム要素”を入れる目的は、「最適解を覚えれば絶対勝てる覚えゲー」ではなくすためと言えて、友達同士で集まって遊ぶ対戦用ゲームなんかでは重要な要素になります。
 例えば、『スマブラ』『マリオカート』『マリオパーティ』なんかは“ランダム要素”を意図的に入れることで、「どのアイテムが入手できるか」次第で初心者でも中級者と互角に戦えたりするのです。これは、トランプみたいなアナログゲームにも言えることですね。


 しかし、じゃあそれらのゲームが完全に「運ゲー」かというとそうではなくて、先の『テトリス』と同様に“ランダム要素”に左右されない立ち回りが出来るかどうかが問われるゲームだと思うんですね。上手い人相手にはゴールデンハンマー持って突撃しても避けられるし、上手い人は碌なアイテムが出なくても最初から最後までずっと1位をキープできるし、道中いろんなことがあっても最終的には上手い人が1位になるし。

 運が良くて勝てることはあっても、運が悪くて負けることはなく、負けたのは運に左右されるような立ち回りしか出来なかったから―――というべきか。


downwell-adrib.jpg
<画像はNintendo Switch版『Downwell』より引用>

 イメージしやすそうなのは、ローグライクに代表される「ランダム生成」のゲームです。

 例えば、この『Downwell』は毎回地形が変わるので「地形を覚えて最適な動きをする」みたいな攻略法は出来ず、手に入るアイテムも毎回変わるので、序盤で強力なアイテムを手に入れたことでサクサクと進めてしまうこともあります。
 しかし、じゃあ完全に「クリアできるかどうかは運次第」かというと決してそんなことはなく、その都度その都度で手に入ったアイテムを活かした立ち回りをしていくことによって、(キャラクターではなく)プレイヤーに経験値が溜まっていって「最初はワールド2にも行けなかった」のが「ワールド3には安定して行けるようになる」とか「1時間やればワールド4は1回くらい行けるようになる」みたいにどんどん先に進めるようになるのです。

 なので、「ランダム生成」のゲームは基本的に、「運ゲー」ではなくて「アドリブゲー」だと思うんですね。



◇ 「アドリブゲー」と「覚えゲー」の境界線
 「覚えゲー」の定義というのは難しくて、「何も覚えなくても全く不利にならないゲーム」なんて世の中にはほとんどないとは思います。
 極端な話、「ジャンプするために押すのはAボタンかBボタンか」くらいは覚えないとゲームなんて遊べませんし。操作方法がスーパーシンプルな『パックマン』ですら敵の色によって動きがちがう、みたいな覚える要素がありますからね。


 ということで、代表的なWEB百科事典ではどう書かれているのか調べてみました。

覚えゲー - Wikipedia
<以下、引用>
 ゲームに現れる規則性・法則性、およびそれに基づく攻略手順(パターン)を覚え、その通りにプレイすることで楽に攻略できるゲームのこと。パターンゲーともいう。肯定的な意味でも、蔑称としても用いられる。パターンを覚える過程で何度もゲームオーバーを繰り返すことになるため、「死んで覚えるゲーム」を略して死にゲーと呼ばれることもある。
</ここまで


覚えゲーとは(オボエゲーとは) - ニコニコ大百科
<以下、引用>
 ゲームを進めていく上で、特定のパターンや情報などを「覚える」ことで有利に進めることが出来る、または覚えることが必須の作業とされるようなバランスのゲームについてこう呼ばれる。類似語として、特にアクションゲームなどの死亡・撃墜などを伴う物の場合は特に「死にゲー」とも呼ばれる。
</ここまで>


覚えゲーとは - はてなキーワード - はてなダイアリー
<以下、引用>
 ビデオゲーム、特にシューティングゲームや音楽ゲームなど広義のアクションゲームにおいては、ゲームを有利に進められるようになる方法のひとつとして、敵の出現パターンなどを「記憶する」ことが求められる。

 その度合いが強いゲーム、すなわち、ゲームの進行を覚えるほどゲーム上の目標を達成しやすくなる、もっといえば「覚えさえすればうまくなる」ゲームが「覚えゲー」である。

</ここまで>


 共通で書かれているのは「パターン」という言葉。
 敵の出現位置や動きが毎回同じなため、何度も同じステージ(等)を繰り返し挑戦することでその対処法を覚えることが求められるゲームといったところでしょうか。もちろん『Cuphead』みたいに「数パターンある動きの中からランダムで1つ選ばれる」というゲームも「覚えゲー」になるのでしょうが。


salmonrun-adrib.jpg
<画像はNintendo Switch用ソフト『Splatoon2』より引用>

 例えば、『Splatoon2』の「サーモンラン」は、出てくる敵(シャケ)の特性や、こちらのブキの特徴、ステージのギミックなど覚えなくてはならないことが多数あるのだけど……敵(シャケ)の出現パターンは一定ではなく、毎回変わるので、「覚えゲー」ではないと言えるのだと思います。



 しかし、この定義だと格闘ゲームは「覚えゲー」ではないってことになりませんかね。敵の動きは(CPU戦であっても)毎回変わるワケですし。コンボでハメちゃえば相手が動くことも出来ずに倒せるみたいなこと?

 また、この定義だと『スーパーマリオブラザーズ』みたいなアクションゲームも全部「覚えゲー」ってことにならないかなと思うのですが、『スーパーマリオ』の場合は地形や敵の出現パターンを覚えていたところであまり有利にはならないってのがミソですかね(無限ループなどは除く)。
 でも、そうか……私くらいの実力だと『スーパーマリオブラザーズ』は「アドリブゲー」なのだけど、最速クリアを目指すRTA勢にとっては地形や敵の出現パターンは絶対に覚えなくちゃいけない「覚えゲー」になるってことか。それを言い出すと『ブレス オブ ザ ワイルド』とか、すべてのゲームが「覚えゲー」になっちゃいそうだけど(笑)。



 昨年『ドラキュラX』を血を吐きながらクリアしたときにも思ったことなんですが、何十回やってもまったく勝てる気のしなかった中ボスも、攻略サイトを見て「この動きをしてきたときはこうやって避ける」「この動きをしてきたときはこうやって避ける」といったパターンと対処法をそのまんま実践したらあっさり勝てたりして―――

 敵のパターンを覚えてそれにあった対処をするという「覚えゲー」は、攻略本とか攻略記事のビジネスとムチャクチャ相性がイイんですね。
 プロのゲームライターの方々が何度も挑戦してそこで覚えた「記憶」を、そのまま譲り受けてプレイできるので自力で何十回とやられて覚える必要がないのです!

 また、「何十回とやられて覚える必要のあるゲーム」というのは一人のプレイヤーからたくさんお金を巻き上げるアーケードゲームのビジネスとも相性が良くて、アーケードゲームに勢いのあった時代には適応したジャンルだったのかなと思われます。「覚えゲー」の代表と言われる、シューティングゲーム、格闘ゲーム、レースゲーム、リズムゲーム、全部アーケードゲームの人気ジャンルでしたもんね。

 そして、そのビジネスモデルは現在は「スタミナ制のスマホ用ゲーム」に受け継がれているんじゃないかと、『ドクターマリオワールド』の制限時間付きステージをプレイしていて思います。このゲームには多少の“ランダム要素”はあると思うんですが、大まかな配置は決まっているので何度も何度もプレイして「このカプセルが来た場合はこっちに」「このカプセルが来た場合はこっちに」と最適解を想定してあらかじめ覚えていく必要があるという。

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<画像はiOS版『ドクターマリオワールド』より引用>

 すっごく面白いゲームですが、時間が足りなくてゲームオーバーになると「(課金したら入手できる)ダイヤを使えば10秒だけ続きが出来るけどどうする?」って言われるのはすっげえイラっとします。『猫のニャッホ』の時にもあったからスマホ用のパズルゲームにはよくある仕様なんでしょうけど、ゲーマー的には「ぜってえコンティニュー=課金しねえでクリアしてやるかんな!」って思うもんじゃないかなぁ。


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≫ EDIT

何故ぼくはゲームを「積む」のか

 カウントしている「積みゲー」の数がとうとう230本を超えてしまいました。

 ただまぁ、この「積みゲー」の定義は「私が今後プレイする予定のゲームで既に入手しているもの」というカンジなので、毎月3本ずつ増える『ファミリーコンピュータ Nintendo Switch Online』のソフトとか、2週に1本くらいのペースで配っているEpic Gamesストアの無料配布ゲームとか、福袋から出てきたけどいらないやと友達が置いていったゲームとかも含んでいるんですけどね。

 「私が選んで買ったゲームを積む」ケースというのは、福袋から出てきたものを除けば、セールになっているソフトを「セール期間中に買っておいて後で遊ぼう」としたまま何年も遊んでいないケースがほとんどで……
 新作ソフトは買ったら最優先ですぐに遊ぶようにはしています。しかし、『じんるいのみなさまへ』の翌日に『スーパーマリオメーカー2』が発売されるみたいなことが起こると、両方買って片方積んじゃうのはしょうがないんですよね。9月なんて、メガドラミニと『ゼルダ』と『ライザちゃん』と『ドラクエ』を買う予定なんですけど、どうなっちゃうんだろう(笑)。



 さて……これは、以前の生配信でも話したことと重なるところもあるのですが。
 同じようにゲームが大好きな人であっても、こんな風にたくさんゲームを積んでいる私のような者を見ると「どうしてすぐに遊びもしないゲームを買っているの?バカなの?」と言いたくなる人もいると思うんですね。

 あなたは、「一つのゲーム」を何周もプレイしますか?

 それは1年前に書いたこの記事である程度説明が出来ます(というか1年前のこの記事によると、1年前の時点では積みゲー107本だったそうですよ。1年で倍以上に増えている!!)
 1つのゲームをとことん遊びつくす「天文学者タイプ」と、色んなゲームを片っ端から遊びたい「宇宙飛行士タイプ」がいて―――宇宙飛行士は天文学者を見て「どうして同じゲームを何度もプレイしているの?」「どうして1000時間も同じゲームやってるの?」と思うのだけど、天文学者は宇宙飛行士を見て「どうして全部のエンディングを見ないうちにやめちゃうの?」「どうしていっぺんにゲームを何本も買うの?」と思うのだという。

 私は断然「宇宙飛行士タイプ」で―――
 これはゲームだけじゃなくて、漫画もアニメも映画も小説もそうで、1つの作品を何度も何度も読み返したりはせず、なるべくいろんな作品を知りたいと思っているんですね。だから、「積みゲー」以上に「積み本」も多いという。




 んで、これを書くと負け惜しみみたいに聞こえるかもですが……
 私は自分のことを「ゲームが下手」だと思っているし、そう名乗っていますが、そもそもゲームを「上手くなりたい」という欲がそんなにないんですよ。苦労せずに上手くなったらラッキーだけど、そのためにわざわざ苦労したくはないなくらいのカンジ。

 私にとって、ゲームというのは「知りたい」という欲なんですよ。
 次から次へと新しい惑星に旅立ちたい宇宙飛行士のように、すべてのゲームを「知りたい」し「遊びたい」と思っているのです。世の中に自分の「知らないゲーム」があるとものすごく損した気分になるので、出来るだけ多くの作品を「遊びたい」んですね。だから、1つのゲームを極めたいみたいな欲は薄いのです。

 世の中にあるゲームは「既に遊んだことのあるもの」か「これから遊ぶ予定のもの」のどちらかで、「これから遊ぶ予定のもの」がセールされていたら「いずれ遊ぶんだから今のうちに買っておこう!」となるのです。


 でも、もちろん現実的に一人の人間が世にあるすべてのゲームを遊ぶことは不可能なので、「既に遊んだことのあるゲームのリメイク」とか「既に遊んだことのあるゲームの続編」とか「既に遊んだことのあるゲームに似たゲーム」とかは優先度が低くなってしまうんですね。
 昔から私がブログに書いてあまり共感されてこなかった「好きな漫画がアニメ化されてもあまり観る気がしない」とか「好きなゲームの続編には興味が湧かない」とかも、これで説明がつくのです。それは「既に知っているもの」だから、それに時間を割くくらいなら「知らないもの」に手を出したい―――と。



 ……と、ここまでは今までにもブログで書いたり、生配信で語ったりしたことなので、今日話したい本題はここからです。では、ゲームを「知る」というのは、どこまで遊べば「知った」とみなして良いのだろうか??



◇ 何故ぼくはゲームを「クリア」しようとするのか
 私はこのブログに月に1~2度「近況報告」の記事を書き、その期間中に遊んだすべてのゲームの感想を残すことにしています。
 どうしてそんなことをやっているのかというと、宇宙飛行士タイプの私が片っ端からゲームを遊んで「知って」いっても、次から次へと新しいゲームを始めると遊んだゲームのことを忘れていってしまうので……かつてはメディアマーカーというサイトに感想を書き残していたのを、メディアマーカーが終わってしまったのでブログに書くようになったというカンジです。


 んで、どうして自分でそう設定しちゃったのかは分からないんですが……
 遊んだゲームを「クリアした」「(クリアのないゲームなので)引退した」「ギブアップした」「まだプレイ継続中」「ちょっとプレイ中断中」に分類して、「継続中」と「中断中」を除き、「クリア&引退」したゲームの割合が75%以上になることを目標にすると自分の中で決めています。

 つまり、1本ゲームを「ギブアップ」したら、3本ゲームを「クリア」ないし「引退」くらいまで遊ばなくてはならないということです。おかげで、難易度の高いファミコンのゲームとか迂闊に始められなくなってしまいましたよ!(笑)


 ぶっちゃけた話、ゲームを「ただ知りたい」だけならどんなゲームも30分だけ遊んで「ハイハイ、分かった分かった」と終わらせていきゃ良いんですね。そうすれば積みゲーなんてガンガン消化できますし。「遊びもしないゲームをどうして買うの?バカなの?」みたいな幻聴に悩まされる必要もなくなります。

 でも、ゲームってある程度まで遊ばないとその本質が分からないとも思うんです。単純に「最後まで遊ばないとストーリーが分からない」というだけの話じゃなくて。
 例えば『ファイナルファンタジーVIII』なんかは、中盤くらいまでは「ひたすら召喚獣を呼ぶ」だけで戦闘はゴリ押し出来ちゃいます。でも、終盤はそれでは何ともならなくなって、ジャンクションシステムをしっかり使いこなすことでゲームの面白さが分かるようになっているのです。このゲームを序盤だけ遊んで「FF8は召喚獣でゴリ押しできるゲーム」なんて言う人は、果たしてこのゲームを「知っている」と言えるのかという。

 同じようなことは色んなゲームにも言えて、例えば『スーパーマリオブラザーズ』の序盤は「Bダッシュを使わなくてもクリアできる」けど、終盤は「Bダッシュジャンプが出来ないと物理的にクリア不可能になっている」とか。『巨人のドシン』はクリア(エンディング)を目指すと「どの色の住民をどう配置するのか」を考えるシミュレーションゲームになるとか。『ハングオンGP'95』は22日目にしてようやく「「あと1秒を縮めるため」にどのラインで走れば如何に減速を少なく出来るかを考えるパズルゲーム」だと分かったとか。


 そのゲームの「ツボ」が分かるにはある程度のプレイ時間は必要なんですね。
 その目安が「クリア」しているかどうかだと考え、ゲームが「上手くなりたい」とは思わなくても、ゲームを「知る」ためにはクリアまで遊ばなくちゃならない――――最低限どのゲームも「クリア」を目指して遊ぶようにした結果、1本のゲームに長く時間がかかって積みゲーが全然減らないという。だから、積みゲーが増える一方なのはイイことなのです!ゲームをしっかり理解しようとしているからなのです!





 しかし、問題は「クリアのないゲーム」ですよ。
 というか、2010年代のゲームは「インターネットに繋がっていることが前提の運営型のゲーム」が主流なので、「クリアしたかどうか」ってもうあんまり重要じゃないんですね。

 例えば、現在の日本で主流のスマホゲーム―――ガチャでキャラを集めて編成して育成していくゲームは、ステージもストーリーもどんどん追加されていくので「遊び尽くす」ことは不可能なんですね。サービスが終わるまで付き合うしかありませんし、人気がある限りはサービスは終わりません。

 そういうゲームはどこで「知った」とみなしてイイのか。どこまで遊べば次の惑星に向かってイイのか。
 春アニメの原作ゲームを遊ぶチャレンジの時、その時点で配信されているステージ&ストーリーを全部プレイしようとしてウンザリしちゃったように。無理に全部やろうとするとゲームを嫌いになるので、どこで見切りを付ければイイのか悩むところなんですね。


 それこそスマホのゲームに限らず、『Splatoon』だって『スマブラ』だって、一応「一人用のモードをクリアすればエンディング」だけど「本編は対戦モード」だと言えるので……
 『Splatoon2』を「ちゃんと知る」ためにはウデマエXまで上がらなくちゃならないとか言われたら、私は発狂するしかないと思うんですね。シリーズ400時間くらいやってても、未だにウデマエC+とB-の間くらいだし。ウデマエXに到達するためには、山籠もりとかして仙人に教えを乞わなきゃならないレベルですよ。その間、他の積みゲー崩してたら仙人から怒られますかね?


 でもまぁ、こういうことを突き詰めていくと「オンライン対戦のないパーティゲーム」を一人で遊んでも、そのゲームを「知った」と言えるのかって話になっちゃうんですよね。Epic Gamesストアの次の無料配布ソフトが『Overcooked』なんだけど、1作目にはオンラインモードないので(2作目にはある)、このゲームを一人で遊んで果たして「知った」と言えるのかとは思います。


 つまり……何だ?
 「世の中にあるゲームを全部知りたい!」とか言う前に、私は「現実で友達を作る」という経験をまずは知っておかなくちゃいけなかったということか。死にたい(一度死んで小学生からやり直したい)。


| ゲーム雑記 | 17:54 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

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