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「睡眠」をどうエンターテイメントにするのか、『ポケモンSleep』を予想する

 『ポケモンGO』で「歩く」をエンターテイメントにした後は、『ポケモンSleep』で「睡眠」をエンターテイメントにするぞ!ということで、2020年開始予定のスマートデバイス向けアプリ『ポケモンSleep』が発表されました。




 「睡眠」と「ゲーム」について、私には一過言ありますよ!
 ちょうど10年前の2009年に、任天堂は『睡眠記録 めざまし時計』というDSiウェアを200円で発売しています。寝る前にゲームをセットしてスリープモードにして、目覚ましが鳴ったら(鳴る前でも)ボタンを押して「眠った時間」を記録、それをグラフ化してくれるという実用ソフトでした。

 唯なら俺の隣で寝ているよ。『睡眠記録 めざまし時計』紹介

 当時のレビューを読むと、「平沢憂が起こしに来てくれたボイスを目覚まし音に設定すれば、俺の横に平沢唯が寝ている気分になれる」というどうかしているとしか思えないことを書いているのですが……『ポケモンSleep』が発表された現在、実はあながち馬鹿にできたもんでもないと思うんですね。理由は後述します。


 ということで、今日は「睡眠」と「ゲーム」についての話をして、『ポケモンSleep』がどういうゲームになるのか、果てはその先にある「睡眠ゲーム」の未来を予想していきたいと思います。



0.任天堂のQOL事業とは別のシステム
 と、その前に……
 熱心な任天堂ファンの中には、今回の『ポケモンSleep』の発表で「生きていたのかQOL!」と思った人もいらっしゃるかも知れません。

 QOLというのは、任天堂がWii Uでズッコケた際に「ゲーム機が失敗したときのためにゲーム機以外の事業もやっておかないとヤバイで」と立ち上げを発表した健康事業で、第1弾が「睡眠センサー」だったんですね。発売されたワケではなくて発表されただけでしたが。
 枕元に置いておくだけで、マイクロ波の非接触センサーが身体の動き、呼吸、心拍などを計測し、自動計測されたデータをインターネット上のQOLクラウドサーバーに送り、そのデータから睡眠状態と疲労状態を見える化する―――という装置でした。この発表が2014年の10月です。

 睡眠と疲労を見える化する任天堂の「QOLセンサー」ねとらぼさんより)


 しかし、その後任天堂は「キャラクターIP戦略」としてスマートデバイス向けアプリを展開するようになり、QOLの続報も出てこなくなり、2018年の6月には共同開発を行っていたパナソニックが離脱したという報道が出ていました。

 任天堂、パナソニックが離脱し「QOL」事業化が遠のくt011.orgさんより)


  そして、今回出てきた『ポケモンSleep』と計測デバイス「ポケモンGO PLUS+」の説明によると、枕元に置いた装置の加速度センサーを使って睡眠時間を測定するとのことで……QOLの時に語られていた「マイクロ波の非接触センサー」とは別物なんですね。むしろ、今回任天堂が「加速度センサーで睡眠時間を測定する装置を発売する」と発表したことで、「QOLのマイクロ波の非接触センサー」の開発が断念されたことが分かってしまったというか。

 そして、「枕元に加速度センサーを置いて睡眠時間を測定する」アプリというのは、いろんなメーカーから既にスマホ用にたくさん出ています。なので、恐らく計測デバイス「ポケモンGO PLUS+」を買わなくても、スマホを枕元に置けば『ポケモンSleep』は遊べるのでしょう。




1.睡眠の「時間」と「周期」をグラフ化する?
 “「枕元に加速度センサーを置いて睡眠時間を測定する」アプリというのは、いろんなメーカーから既にスマホ用にたくさん出ている”と書きましたが、だから『ポケモンSleep』がダメだって話ではありませんからね?『ポケモンGO』だって『Ingress』という既に出ていたゲームをベースにしていましたし、既にある技術にポケモンのキャラと世界観を融合させるだけでも絶対的な魅力になると思います。

 では、既にたくさん出ているというスマホ用の睡眠測定アプリはどういうものなのか――――


 基本的には、記事冒頭で紹介したDSiウェア『睡眠記録 めざまし時計』と似たようなもので、寝る前にアプリをセットしてスリープモードにして、目覚ましが鳴ったら(鳴る前でも)タップして「眠った時間」を記録、それをグラフ化してくれるという実用アプリです。枕元に置く「加速度センサー」タイプのものと、多少離れたところにも置ける「マイク」タイプのものがありますね。

 んで、それらのセンサーによって「レム睡眠」と「ノンレム睡眠」の周期を判定して、眠りの浅い「レム睡眠」のときに目覚まし音を鳴らすみたいなことも出来るのです。例えば「6時30分~7時30分の間に目覚ましをかけて」とセットしておけば、その1時間の中で目覚めやすい「眠りの浅いタイミング」を狙って起こしてくれるんですね。

 これを毎日続けてグラフ化していけば、「自分が気持ちよく起きられるのは何時間睡眠だ」とか「何時に寝ると目覚めやすいか」みたいなことが分かってくるのかなと思います。



 恐らく『ポケモンSleep』も「睡眠時間のグラフ化」と「レム睡眠・ノンレム睡眠の周期の判定」「レム睡眠のタイミングでの目覚まし」は出来るだろうと思います。でなかったら、加速度センサー付きのデバイスなんてわざわざ発売しないでしょうし。

 ポイントはそのデータをどうゲームに使うのか、だと思います。
 DSiウェアでもアプリでも睡眠記録を取っていた私の意見を言わせてもらうと、ただグラフにするだけだとすぐに飽きちゃうんですね。10年前から「ただグラフに残す」だけのソフトはあるのだからなおさらです。

 そのグラフによって、ポケモンが独自の成長をしていくとか、変わったアイテムが手に入るとか、ゲームに変化が出てくることで「睡眠」はエンターテイメントになっていくと思うんですね。
 例えば、「毎日規則正しい時間に眠って起きている人」だと穏やかな性格のポケモンになるけど、「毎日寝ている時間が大きく変動する不規則な生活の人」だと激しい性格のポケモンになる―――みたいな。




2.「ゲームを遊んでいない時間」にゲームが進む放置ゲー?
 さて、「睡眠計測アプリ」は既にたくさん出ていると先ほど書きました。
 ならば、『ポケモンSleep』より以前から、「睡眠」と「ゲーム」を合わせたアプリはないのかなと思ったら……これも既にあるんですね。

sleepquest.jpg
<画像はiOS版『SLEEP QUEST by ねむゲー』より引用>

 このゲームはまくら株式会社という寝具メーカーから出ているアプリで、「プレイヤー」と「勇者」の睡眠時間が連動することで「プレイヤーの睡眠時間によって勇者のHPが回復される」というゲームシステムになっています。

 iOS版はこちら。Android版はページが消えている……?

 この記事を書くために数日プレイしてみたのですが、アイディアはイイのだけどゲームとしては工夫が足りず「勿体ないなぁ」という印象です。そりゃ寝具メーカーから出ている無料アプリで、広告も課金要素もないのだから、そんなに作りこめなかったのでしょうが。

 寝る前にゲームをセットしてスリープモードにして、目覚ましが鳴ったら(鳴る前でも)ボタンを押して「眠った時間」を記録(グラフ化はしてくれませんし、レム睡眠・ノンレム睡眠の判定もなし)―――睡眠時間に応じて勇者のHPが回復して、たくさん寝ると褒められて、あんまり寝ていないと心配されるみたいですね。
 日中は勇者が冒険に出ているためまったくやることなく、夜にまた寝ようとすると勇者が帰っていて、「HPが回復したおかげでこんなに冒険が出来ました!」とレベルが上がったりアイテムを持ち帰って部屋に飾っていたりするそうです。レベルが上がってもプレイヤーに得があるのかさっぱり分からないのだけど、とりあえずアイテムコンプが目標のゲームみたいです。

 ゲームデザインとして「プレイヤーが寝る前に成果を教えてもらえる」ようになっているのだけど、個人的にはこういうゲームは「起きた時に成果が欲しい」って思います。『ポケモンSleep』のコンセプトが「朝起きることが楽しくなるゲーム」なように、「睡眠」って「寝る」よりも「起きる」方が苦痛なワケですから、「起きる」時に楽しみを与えて欲しいのですよ。

 その辺は、ゲームメーカーのアプリじゃないからなぁってところなんですが……



 それはさておき。
 『ポケモンSleep』も、『SLEEP QUEST』と同様にプレイヤーが「睡眠」している間にパラメータが増減する放置ゲーになると思われます。流石に「眠っている間に、夢の中で操作しろ!」みたいなことは言わんでしょう(笑)。

 放置ゲーは究極的に言えば「遊ばなくても良いゲーム」です。
 就寝時と起床時以外にゲームを起動する必要がないのなら、『ポケモンGO』や「ポケモン本編」を遊ぶ時間を奪わなくても済みますし、むしろ『ポケモンSleep』で育ったポケモンを「ポケモン本編」に連れていけるみたいな機能があれば「放置ゲーで育てたキャラを別のゲームで活躍させられる」という新しい可能性にもなると思うんですね。

 「睡眠計測アプリ」は既に山のように出ているレッドオーシャンですが、「睡眠」と「ゲーム」の橋渡しになるアプリというのは、既に強力なコンテンツを持っているポケモンにとってはむしろブルーオーシャンなのかなと思います。




3.「ポケモンと暮らす」コミュニケーション系ソフト?
 とは言え、『SLEEP QUEST』みたいに「昼間は何もやることがない」ゲームにはしてこないと私は思っています。

 『ポケモンGO』のヒットって、「遊んでいる人」が街中を歩いて可視化されたことによって「私もやってみたい」と思わせたのが大きいと思うんですね。それに比べると「眠っている時だけ起動する」『ポケモンSleep』では、みんなが遊んでいる姿を見ることが出来ません。「そんなアプリが出た」ことすら知られないまま消えかねません。

 なので、「人に見せびらかしたくなる要素」みたいのを入れてくると思うんです。持ち歩けるスマートフォン用のアプリですしね。そうすると、「眠る」時以外でもポケモンと遊べる―――ポケリフレ的な要素を拡充してくるんじゃないかと予想します。


 記事の冒頭で「目覚ましの音を平沢憂にすれば俺の隣に平沢唯が寝ている気分が味わえる」なんてことを書きましたが、『ポケモンSleep』が発表された際の映像では「眠っているプレイヤーの横でピカチュウが寄り添って眠り始める」というイメージ映像が流れていました。「ピカチュウなら俺の隣で寝ているよ」です。

 「ポケモンが隣に寄り添って眠るイメージ」ならば、例えば相棒に設定したポケモンが朝起こしてくれるみたいな機能は入れてくると思うんですね。小さな子供だったらポケモンのぬいぐるみと一緒に寝てたりもするでしょうから、そうしたポケモンが起こしてくれるというのはワクワクする話ですし、もっと言うと『ポケモンSleep』と連動したスピーカーや振動機能が内蔵されたぬいぐるみとかも発売されるかも知れません。


 「ポケモン本編」のように「ポケモンを鍛えて敵に勝つ」みたいなバトル路線というより、「ポケモンが生活の中に入り込む」コミュニケーション系のソフトになるんじゃないかと私は予想します。『nintendogs』みたいなカンジで。なので、「睡眠」以外にも色んなコミュニケーションが取れるんじゃないかと思うのです。



 この「お気に入りのキャラが一緒に寝てくれて、朝起こしてくれる」のって、ポケモンに限らず、美少女キャラだったりイケメンキャラだったりで絶対需要があると思うのですが……どこもまだあまり手を付けていないように思います。
 それこそ『ラブプラス』なんかは目覚まし機能があったそうなんですが、もっと生活に根付いたカンジで、「朝起こしてくれる」だけじゃなくて「一緒に夕食を食べてくれる」とか「ヒマな時に話し相手になってくれる」みたいになってくれると―――そのポジションって、Alexaなんですよね(笑)。

 Alexaのポジションにゆくゆくは美少女キャラだったりイケメンキャラだったりが入るのかも知れないのだけど……とりあえず現時点で「生活を共にしてくれる」ポジションとして、『ポケモンSleep』はその位置を狙っているのかなぁと思います。


  
 ということで、私『ポケモンSleep』以上に「ポケモンSleepの後追い作品」とか「それらの作品によって変わる世界」に興味があります。

 「キャラクターと一緒に寄り添って寝ることが出来る」から、「自分の生活をキャラクターが共に過ごしてくれる」になっていけば、それはもうAR(拡張現実)の世界だと思います。1年後、2年後にそうなるとは言いませんが、10年後、20年後には「立体映像で作られたピカチュウが自分の部屋で普通に生活している」なんてこともあると思うんですね。

 それがポケモンキャラに留まらず、美少女キャラだったりイケメンキャラだったりにも出来たのなら「○○は俺の嫁」みたいなことも夢じゃないし、「○○は俺の嫁」ってある意味ではAR(拡張現実)だったのかもと思わなくもない。



 それはそうと、こんな記事を書きながら私ポケモンに全然詳しくなくて、私がプレイしたことあるポケモンのゲームは『ポケモンスナップ』と『名探偵ピカチュウの1作目(途中で話が終わるヤツ)』だけなんですけど……添い寝にふさわしくないポケモンもたくさんいますよね?
 巨大なポケモンは体長が10m以上あるらしいですし、常に燃えているポケモンとか、毒をまき散らすポケモンとか、一緒に寝るのは無茶じゃなかろうか。いや、むしろ電気毛布とか空気清浄機とかと連動して「このポケモンと添い寝すると暑くて寝苦しい」とか「このポケモンと添い寝すると息苦しい」とかすると、AR(拡張現実)としては完璧なのか……?

| ゲーム雑記 | 17:50 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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マリオを動かしているのは誰だ?俺が、俺が……マリオなのか?

 偶然なんですけど、この記事この記事とで連続して「一人称視点」「三人称視点」の話になったので、この機会に「ゲームにおける視点」についての話を書いておこうと思います。


 ゲームにおいて「一人称視点」「三人称視点」という言葉が出てきたとき、それが意味するのは「カメラの位置」です。

 「一人称視点」は、「カメラの位置」が「主人公の目」とイコールなゲームですね。
 『DOOM』や『Halo』といったFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)が代表例ですが、古くは『ウィザードリィ』や最近では『世界樹の迷宮』などの3DダンジョンRPGも「一人称視点のゲーム」と言えますし、『ポートピア連続殺人事件』や『ファミコン探偵倶楽部』などのテキストアドベンチャーも「一人称視点」なことが多く、そこから派生している恋愛アドベンチャーゲームなんかも「一人称視点」なことが多かったです。

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<画像はセガサターン版『慟哭 そして…』より引用>

 ゲームがドット絵からポリゴンになって、シームレスに動きまくれる3Dアクションゲームが出てくるのは大体90年代の中盤ですが、それ以前から「一人称視点のゲーム」は(特に非アクションゲームならば)たくさんあったんですね。主人公の目線とプレイヤーのカメラをイコールにすることで没入度を上げる手法は、コンピューターゲームの黎明期から続く手法なんです(例えば、最古のFPSは1973年の『Maze War』というゲームらしい)




 それに対する「三人称視点」は、「カメラの位置」がキャラクターとは関係のない場所にあるゲームです。
 『Splatoon』や『フォートナイト』のように「キャラクターの背後にカメラが回り込む」タイプのTPS(サードパーソン・シューティングゲーム)が分かりやすい例と言えますが、監視カメラのような位置から画面を映していた初代『バイオハザード』や、『スーパーマリオブラザーズ』のような横スクロールアクションや『ゼルダの伝説』のようなトップビューのアクションアドベンチャーも「三人称視点」と言えば「三人称視点」なんですよね。

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<画像はプレイステーション版『バイオ・ハザード ディレクターズカット』より引用>


 マリオシリーズは3Dアクションになった以降も「三人称視点」ではあるんですが、初めて3Dになった『スーパーマリオ64』のオープニングで「ジュゲムがカメラを持って飛び回る」姿を描いて、今までは固定されていたカメラが今回から動き回るんだとプレイヤーに教えて始まるという。「三人称視点」のカメラワークにちゃんと理由を付けている稀有な例だと言えるのですが、「ジュゲムって敵じゃないの?」とは当時から私納得がいっていません(笑)。

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<画像はWii Uバーチャルコンソール版『スーパーマリオ64』より引用>



 「一人称視点」か「三人称視点」かの話で語っておかなくちゃいけないのは『ドラゴンクエスト』の話です。『ドラゴンクエストソード』の記事では「ドラクエは元々一人称視点のゲームだった」と書きましたが、それは半分ウソで、『ドラゴンクエスト』は元々「戦闘は一人称視点」だけど「移動は三人称視点」のゲームなんですね。

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<画像はWii版『ドラゴンクエスト』より引用>

 これは、戦闘部分は「一人称視点」の3DダンジョンRPG『ウィザードリィ』を、移動部分は「三人称視点」のターン制RPG『ウルティマ』を参考にしているからだと言われていますが、『ウルティマ』もダンジョンは3Dらしいんですね。
 そのせいか『ドラクエ』以前の日本産RPGにも「一人称視点」と「三人称視点」を融合させたものも結構あって、光栄の『ダンジョン』とか、『夢幻の心臓』とか……流石にこれらの作品は私やったことがないんで、どういう狙いでそうしたのかは分からないんですが、この時期のスタンダードな方式だったと言うことが出来るのかなとは思います。



 「一人称視点のゲーム」と「三人称視点のゲーム」を比較すると、「三人称視点のゲーム」の方が“カメラがキャラクターに縛られない”ために自由なアクションが出来るかなぁと思います。
 もし『Splatoon』が「一人称視点のゲーム」だったなら、イカになってインクの中に潜伏した途端に何も見えなくなってしまいます(笑)。もし『マリオ』や『ゼルダ』が「一人称視点のゲーム」だったなら、スピンジャンプや回転斬りをするたびに画面が高速でグルグル回るので3D酔いが半端なかったでしょう。

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<写真はWii Uソフト『Splatoon』より引用>


 なので、「一人称視点のゲーム」は『マインクラフト』とか『Portal』みたいに「主人公が多彩なアクションをする」のではなく「フィールドの方に様々な働きかけが出来る」ゲームの方が向いていると言えますし、『フィンチ家』とか『Firewatch』のような最近流行のウォーキングシミュレータのようにアクション要素があまり強くないゲーム(注2)や、コマンドバトルRPGやテキストアドベンチャーなんかに向いているのかなぁと思います。

(注2:いや、『フィンチ家』はある意味では「多彩なアクションをするゲーム」か……?おかげでむっちゃ3D酔いするので自分はクリア出来なかったのだけど)




 というのが、お行儀よく「一人称視点」「三人称視点」について語った話です。
 ここからは私らしく、ぶっ飛んだ話をしていきます。

 そもそも、ゲームというのは「プレイヤーがキャラクターを操作する」以上、すべてのゲームが「一人称のゲーム」と言えるんじゃないかとも思うのです。カメラの位置に関係なく。

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<画像はNintendo Switch Online版『スーパーマリオブラザーズ2』より引用>

 例えば、『スーパーマリオ』でマリオをジャンプさせている時(この画像はルイージだけど)、私達は超能力のようなものでマリオ(ルイージだけど)をコントロールして彼の体を操っているとは思っていませんよね。私の指とマリオ(ルイージだけど)が一体になって、俺が、俺こそがマリオ(ルイージだけど)なんだ!と思ってプレイしているんじゃないでしょうか。



 これは、『スーパーマリオ』のマリオだろうが、『ゼルダの伝説』のリンクだろうが、『星のカービィ』のカービィだろうが一緒です。私が操作している以上、私は「私が操作しているキャラクター」になりきっていると思うのです。
 女の子が主人公のゲームを遊んでいる時は私は女の子になるし、『ファイナルファンタジーVI』みたいに「プレイヤーキャラが次々と切り替わるゲーム」はその度に「俺がティナだ!」「俺がロックだ!」「俺がマッシュだ!」となりきるキャラクターが切り替わります。

 野球ゲームを遊ぶときは打順によって「俺が秋山だ!」「俺が清原だ!」「俺がデストラーデだ!」となりきっているし、守備時は「俺が渡辺久信だ!」と投げた後、例えば4-6-3のダブルプレイとかだと「俺が辻だ!」と思った後「俺はボールだ!」とボールになりきって飛んでいるように思います。

 この辺りから段々「やまなしさん、何言ってんの……?」と思われてそう(笑)。



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<画像はSteam版『プリンセスメーカー リファイン』より引用>

 『プリンセスメーカー』とか、『たまごっち』とか、『nintendogs』みたいな育成シミュレーションは、「俺が娘だ!」「俺がおやじっちだ!」「俺が犬だ!」と思うのではなく、育てる側と一体になるので「俺がお父さんだ!」「俺が飼い主だ!」「俺がお父さんだ!」となりきります。

 同様に『シムシティ』とか『A列車』みたいなミニスケープ型のシミュレーションゲームも、「俺がビルだ!」とか「俺が線路だ!」なんて思わず、「俺が市長だ!」「俺が社長だ!」となりきってプレイしています。
 『信長の野望』のような歴史シミュレーションも、一人一人の武将ではなく、それを指揮する立場になりきって「俺が信長だ!」と遊びますし。『ファイアーエムブレム』のようなSRPGや、リアルタイムストラテジーやタワーディフェンスなどのゲームも、全体を指示して動かす立場になりきってプレイします。「俺がマルスだ!1人10体くらい倒せ!」

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<画像はWiiバーチャルコンソール版『デア ラングリッサー』より引用>

 これは『ドラクエ』とか、私はプレイしたことがないですけど『ポケモン』とかもそうで、『ドラクエ』や『ポケモン』のようなコマンドバトルRPGは「たくさんのキャラを操作している」のではなく「主人公が仲間に指示を出している」という形なんですよね。なので、4作目以降の『ドラクエ』は仲間が勝手に動くようになったのに、主人公だけはオート戦闘に出来ないという。



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<画像は『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ』より引用>

 ソーシャルゲーム……というか、キャラをガチャで集めてチームを編成して育てていく基本無料ゲームもこの延長線上にあるので、例えば『デレステ』でリズムゲームを遊んでいても「俺が橘ありすだ!」となるのではなく、プレイヤーはあくまで彼女らのプロデューサーで彼女らに指示を出しているという形なんですよね。


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<画像は『BanG Dream!ガールズバンドパーティ!』より引用>

 これが『バンドリ』になると、プレイヤーは「ライブハウスの新人スタッフ」というポジションで、(プレイヤーがその場にいない)彼女達に起こった出来事を後日「こんなことがあったんですよ~」とノロケ話のように聞かされているという。
 百合ゲーとして捉えるなら、「私は彼女達を眺めるだけの壁になりたい」みたいな意味での「俺は壁だ!」ということなのか。


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<ファミリーコンピュータ Nintendo Switch Online版『ドクターマリオ』より引用>

 落ちものパズルゲームはどうなのかというと、『ドクターマリオ』は分かりやすいですよね。「俺がマリオだ!」と思ってカプセルをぶん投げる。ぶん投げた後のカプセルを自由に動かせたり、ぶん投げるカプセルを選べなかったりするのはどういうことだと思わなくもないですが、落ちものパズルゲームも「全体を指揮する立場」になるゲームだと思います。

 『ぷよぷよ』も一匹一匹のぷよ(スライム)になるんじゃなくて、「ばよえーん!」とか叫んでいるアルルのポジションがプレイヤーですもんね。「俺がアルルだ!」
 『テトリス』は分からん。アレって誰がなんのためにブロックを積み上げて消しているの……?ゲームボーイ版でロケットが打ちあがるということは、「ブロックを揃えることで何かの部品が完成してやがて大きな製品が出来上がる」みたいな意味なのかな。とすると、プレイヤーはそれを維持する為政者とも考えられて「俺が共産主義だ!」ってこと????


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<画像は『どうぶつの森+』収録の『ピンボール』より引用>

 「俺は一体、誰なんだ……?」と謎なのは、「ピンボール系のゲーム」です。
 いや、ファミコンの『ピンボール』のようなゲームなら、「俺はピンボール台の前に立っているプレイヤーだ!」と思うことが出来るのですが……謎なのは、そこから派生した「アクションゲームにピンボールを足したようなゲーム」達です。

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<画像はSteam版『SEGA Mega Drive and Genesis Classics』収録の『Sonic Spinball』より引用>
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<画像はNintendo Switch版『Yoku's Island Express』より引用>

 『ソニックスピンボール』や『Yoku's Island Express』は、2Dアクションゲームのように主人公キャラを動かしつつ、フィールド中に多数存在するフリッパーもすべて私が動かします。「俺が!俺がソニックだ!」と思っていたら、「あれ?そのソニックを打ち上げるフリッパーも俺なの?」となってしまうという(笑)。




 とまぁ、一部まだ考察したりないジャンルはありますが、コンピューターゲームは基本的に「プレイヤーが特定のポジション・キャラクターになりきって操作する」ものだと思うんですね。「一人称視点」だろうが「三人称視点」だろうが、ゲームは大体「一人称」だろうと思うのです。

 しかし、そう考えると謎なのはむしろボードゲームとかカードゲームです。
 将棋やチェスは「指揮官になるゲーム」で、囲碁やオセロも「陣取り合戦の指揮官になるゲーム」だと思うんですが、麻雀はナニあれ。あれは一体何をしているの?一九字牌を全部集めたから「国士無双だ!」って、俺は一体何をしているの?

 トランプゲームはもっと謎で、ババ抜きとか大富豪(大貧民)は恐らくマスゲームの一種だと思うのですが……神経衰弱とかは俺はどの立場で何をやらされているのだろうか?ページワンから派生したUNOとかも、俺はどの立場で「手札を0にしたら勝ち」なのか。世の中に「早く失った方が嬉しいこと」なんてあるのだろうか。煩悩か?あれは煩悩を捨てているのか?


   

| ゲーム雑記 | 17:54 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

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E3前だから『どうぶつの森』Nintendo Switch版のタイトルを予想する

・どうぶつの森(NINTENDO64、2001年)
・どうぶつの森+(ゲームキューブ、2001年)
・どうぶつの森e+(ゲームキューブ、2003年)
・おいでよ どうぶつの森(ニンテンドーDS、2005年)
・街へいこうよ どうぶつの森(Wii、2008年)
・とびだせ どうぶつの森(ニンテンドー3DS、2012年)
・とびだせ どうぶつの森 amiibo+(ニンテンドー3DS、2016年)

 スピンオフタイトルを除けば、『どうぶつの森』シリーズのタイトルはこんなカンジです。
 『おいでよ』『街へいこうよ』『とびだせ』と、プレイヤーに呼びかける言葉が付いているのがシリーズの特徴なことが分かると思います。ということは、2019年に発売予定のNintendo Switch版もこれに準ずることが予想されます。

 『目覚めよ どうぶつの森』とか、『歯みがけよ どうぶつの森』とか、『一歩前にふみだせ どうぶつの森』みたいな。



 また、この「呼びかけの言葉」は、そのソフトならではの新要素を説明しているのも特徴です。

 『おいでよ』はシリーズ初の携帯ゲーム機でのソフト&インターネット対応なこともあって、「友達を自分の村に招待して一緒に遊ぶことが出来る」のが特徴でした(それまではメモリーカード等を使って友達の村に一人で遊びに行くという形だった)。だから『おいでよ』。

 『街へいこうよ』は、「自分の村」とは別の「街」に行けることができるのが特徴でした。そこで「フレンドがオークションに出品した商品を買うことができる」みたいな“フレンドとのつながり”を打ち出したかったのだと思うのですが、そこがイマイチしょぼかったために「シリーズの中では失敗作」とはよく言われますね。

 『とびだせ』は、立体視対応の3DSで発売されたということもありますし、インターネットを使った「夢見の館」や「島」など他のプレイヤーのところに遊びに行くシステムや、「すれちがい通信」に対応していたことで「3DSを持って(現実で)出かけよう」みたいな意味も込められていたのかなぁと思います。



 ということで、『どうぶつの森』シリーズの新作タイトルを予想するためには、今作ならではの新要素を予想しなくてはならないんですね。
 以前にも書きましたが、前作『とびだせ』が出た2012年から現在までの7年間においてゲーム業界最大のトピックは『Minecraft』以後だということだと思うんですね。

 もちろん『どうぶつの森』と『Minecraft』は全然別のゲームなのだけど、「自分の好きなようにマップを作り替える自由度」「友達を招いて遊べるマルチプレイ対応」という“遊びの根っこ”の部分に似たところが多いため、『Minecraft』に比べて『どうぶつの森』は自由度が少ないな―――みたいに比較して語る人は出てくると思うんですね。というか、前作の時点でもいましたからね。「本当にやりこもうとすると自由度が少ない。子供だましのゲームだ」ってコメント、ウチのブログにも書き込まれましたからね。


 ということで、「タイトル」を予想するためには「新作ならではの要素」も考える必要があるので、『Minecraft』以後の『どうぶつの森』がどうなるのかを考えてみようというのが今日の記事です。



1.そもそも『どうぶつの森』は「自由度の高いゲーム」だったか?
 10年くらい前までは「日本人は一本道のストーリーを追うRPGしか遊べない」「海外で主流になっているオープンワールドゲーだと何をしていいか分からなくなる」「だから日本からは真に自由度の高いゲームは生まれない」みたいなことを平然と言っている人がたくさんいました。

 自由度万歳!一本道はクソゲー!

 みたいな価値観で「日本のゲーム」と「(自分以外の)日本人ゲーマー」を断罪する人が多かったこと多かったこと。


 でも、日本でもサンドボックスゲー『Minecraft』は大ヒットしたし、『ゼルダ』も『FF』も『メタルギア』も『無双』もオープンワールドになったし、「日本人は自由度の高いゲームだと何をしてイイか分からなくなる」なんて話はどこに行ったんだと思うのですが……そもそも「自由度」というものにみんな夢を抱きすぎて、それが何だかよく分かっていなかったんじゃないかって思うんですよ。


 『Minecraft』の「自由度」は「なんでも出来る自由」だと思います。
 好きなようにブロックを積み上げて、家を作っても、塔を作っても、島を作っても良い―――だだっ広い「砂場」を自分の好きなようにいじくって遊べる楽しさというのは、確かに「自由度が高いゲーム」です。最近でも『Minecraft』で「ブレスオブザワイルドのハイラル城を作った」なんてことが話題になりましたね。

 それに対して『どうぶつの森』の「自由度」って、「やりたくないことはやらなくてイイ自由度」なんですよ。
 『どうぶつの森』は代々「借金」を背負わされるところから始まるのですが、この「借金」をどうやって返済するかはプレイヤーに任されます。魚を釣って稼いでも、虫を採って稼いでも、木の実を収穫して稼いでも、カブで大金を稼いでもイイ。もっと言うと「借金」を返さなくてもイイのです。
 村人との会話も、家具集めも、着せ替えも、全部「やりたい人だけやればイイ」というスタイルなのです。だから、「スローライフ」ゲームなのです。

 もちろん前作の「夢見の館」で見られたトンデモない村のように、マイデザインを活かして『Minecraft』のように作りこんだ村を完成させる人もいましたが―――基本的には、『Minecraft』の「自由度」と『どうぶつの森』の「自由度」は正反対のものだと思うんです。
 「なんでもできる自由」と「やりたくないことはやらなくていい自由」―――例えば『ブレス オブ ザ ワイルド』の自由度は「やりたくないことはやらなくていい自由」だという話は以前にも書きました。「一本道ゲー」だった頃の『ゼルダ』は一つの謎解きが出来ないだけで詰むゲームだったのが、「オープンワールド」になったことで解けない謎は解かなくてもイイとなったのです。



 ということで、ですね。
 Nintendo Switch版の『どうぶつの森』も、いたずらに「なんでもできる自由」みたいな方向には行かないんじゃないかと思うんですね。『Minecraft』がヒットしたからといって、『Minecraft』のような『どうぶつの森』になるということはないと私は予想します。

 その根拠の一つに、『どうぶつの森』は2015年にスピンオフ作品『ハッピーホームデザイナー』を出しているんですね。「たぬきハウジング」に入社した主人公が、どうぶつ達の要望に合わせた家を作っていくというゲームで―――シリーズの一要素だった「自分だけの家を持つ」部分を拡張したスピンオフ作品と言えるのですが、ある意味では『Minecraft』の「なんでも作れる」を『どうぶつの森』なりに仕上げた結果と考えることも出来て。

 また、2017年に配信になったスマホ向けゲーム『ポケットキャンプ』は、「素材」を集めてクラフトして「家具」を作るという、より『Minecraft』っぽい仕様になっていました。「好きなものを作れる自由」を手に入れた分、「やりたくないことはやらなくてイイ自由」は失ったというか―――そのため「本編とは別ゲーだよね」とはよく言われますね。


 つまり、“『Minecraft』のような『どうぶつの森』”は既に『ハッピーホームデザイナー』と『ポケットキャンプ』で既に世に出ていると思うんですね。「家具を自由に作れる」「家具を自由に組み合わせられる」ゲームとして。

 ならば、本編の『どうぶつの森』は(『ポケットキャンプ』との棲み分けという意味でも)全然別の方向に進むんじゃないのかと私は予想します。まぁ、「夢見の館」用に村を作りこむ人のために、「マイデザイン」の枚数くらいは増やしてくれないかなぁとは思っていますが。




2.『どうぶつの森バトルロイヤル』が来るか?
 それでは「前作とあまり変わらないどうぶつの森になるのか?」というと、7年も経過しているのだから「今風のどうぶつの森」になるだろうとは思います。私は「マルチプレイの拡充」が一つのポイントかなと予想しています。

 『Minecraft』は「なんでもできる自由度」ばかりが取り上げられますが、自由度とセットで「他プレイヤーと一緒に遊べる」ことが大きかったと思うんですね。よゐこの2人が協力プレイで遊んで「創造神」「破壊神」とそれぞれを呼んでいたなんてこともありましたし、現在の『PUBG』『フォートナイト バトルロイヤル』『荒野行動』などのバトルロイヤルゲームのブームも元を辿れば『Minecraft』でこういう遊びが流行ったところに行き着くそうなんですね。「多人数がインターネット経由で集まれば自分達で遊びを作り出せるんだ」という自由度も、『Minecraft』は持っていたんですね。


 ということは、『どうぶつの森』も100人の「むらびと」が最後の1人になるまで殺し合う『生き残れ どうぶつの森』になるんじゃないのか―――ってのは冗談ですけど、3DS版までの「同時に遊べるのは(自分含めて)4人まで」という縛りから、もうちょっと多くなるんじゃないかと私は予想しています。

 ネットワークをフル活用した『どうぶつの森』を考えると、インターネットを通じたフレンドの人と同じ村に住むことが出来る―――みたいな新要素があったら楽しそうなんですが。その場合「インターネットにつながっていない外出先で遊んだ場合はどうなるのか」が問題になるので、それは流石にないですかねぇ。
 現実的にありそうなのは、『街へいこうよ』の「街」や、『とびだせ』の「島」のように、「自分の村」とは別の場所に行けるようになってそこはインターネット接続が必須で「フレンドと共有してみんなでカスタマイズ出来る」みたいなのですかね。


 『とびだせ』の「島」のように、知らない人とも一緒に遊べる対戦&協力ミニゲームみたいなのが増えている可能性は高そうですね。さっき言った「同時に遊べる人数が増えるのでは」という話とつながるのですが、例えば10人で同時に遊べるようになったら簡単なフットサルくらいは出来るので色んなミニゲームが作れるようになると思うんですね。


 また、「インターネットを使った多人数の遊び」ばかりを拡充させると、Nintendo Switchをインターネットにつないでいない人だったり、親から「まだインターネットで知らない人と一緒に遊ばせるのは不安」という年齢の子供だったりは楽しめないので。
 オフラインでの遊びとして、Joy-Conを「おすそ分け」して、画面分割して1台のSwitchで2人同時に遊べる―――みたいなのを予想しておきます。お父さんと息子が、同じ村に住みながら同時に遊べるというのも魅力ですが。例えば出先で「ちょっと私の村を見てよ」と、Switchを持っていない友達にもJoy-Conを渡すだけで「ゲスト」キャラみたいな形で一緒に遊べたらどんどん広がっていくとも思うんですね。


 そう考えると、新タイトルとしてありそうなのは……『隣人に分け与えよ どうぶつの森』とかだろうか。全然面白そうじゃない(笑)。




3.鍵は「コンテンツの共有」か?
 『Minecraft』のことは一先ず忘れることにしまして……
 『どうぶつの森』シリーズ最大の武器となる「要素」とはどこなのかなと考えると、私は実は「マイデザイン」にあると思っています。

 ドット絵をポツポツと打つことによって、ある人は「オリジナルの服」を作るし、ある人はそれを「家具に張り付けて模様にする」し、ある人は「地面に貼って道路を作る」し……“自分なりの遊び”が出来る幅を作っているのが、「マイデザイン」の要素だと思うんですね。

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<画像はニンテンドー3DS用ソフト『とびだせ どうぶつの森』より引用>

(関連記事:『とびだせ どうぶつの森』で作ったマイデザインのQRコードを晒すよ!


 前作『とびだせ』は、作った「マイデザイン」をQRコード化することで、それをホームページや掲示板などに載せて3DSのカメラで撮影すれば気軽にダウンロードできるようになっていたのです。
 しかし、Nintendo Switchにはカメラ機能がありません。前作と同じ方法では「マイデザイン」の共有が出来ないんですね。


 前作で出来たことが出来なくなればただのパワーダウンになりますから、『スーパーマリオメーカー』で自作したステージをインターネットにアップしてそれを誰でもダウンロードして遊べるように、『どうぶつの森』も「マイデザイン」をどこかにアップロードしてみんなが好きなように使える「共有」要素を強めてくるんじゃないかと予想します。

 「夢見の館」も前作よりも分かりやすい形で、「最近話題の村」とか「テーマ性のある村」とかで検索できるようになるとか……あと、フレンドと一緒に「夢見の館」経由で色んな村に遊びに行けるようになるとか、ありそうです。そうすることによって、「多人数で遊びに行ってかくれんぼするのに向いている村」みたいな作りこみが出来るようになりますからね。


 その観点で新タイトルを考えると……『シェア!どうぶつの森』とか?
 まさかの英語(笑)。




【言葉の響きでありそうなタイトルを考える】

・『翔べ!どうぶつの森』
 ガンダムっぽい。
 前作が『とび森』と略されたので、今作は『とべ森』。

・『すすめ!どうぶつの森』
 『おいでよ』『いこうよ』『とびだせ』と「移動を促す言葉」が続いていたので。
 しかし、このタイトルのゲーム内容がイマイチ思いつかない。

・『ゆっくりしてってね どうぶつの森』
 「労働ゲー」と化した『ポケットキャンプ』と比較して、何もしなくていい「スローライフゲー」を主張するタイトル。『もう休め どうぶつの森』、『楽にしていいよ どうぶつの森』、『キミは十分にがんばったよ どうぶつの森』など、この手のタイトルを考えるとどうしても社畜感が出てしまう(笑)。

・『いつでもどこでも どうぶつの森』
 「呼びかけのルール」ではなくなるけど。
 Nintendo Switchっぽいキャッチフレーズにしたけど、今まで散々携帯機で出てきたし、スマホでも出ているシリーズには合わないか。

・『New Style どうぶつの森』
 略して『NS森』で、Nintendo Switchの略称「NS」とかかっている。
 こんなタイトルだったらイヤだ!

・『入りこめ どうぶつの森』
 『ニンテンドーラボVR』に対応したことを暗示するタイトル。
 しかし、どこかから送り込まれたスパイみたいなタイトルになってしまった(笑)。

・『燃えあがれ どうぶつの森』
 ガンダムっぽい(二度目)。
 いろんな意味でヤバイ。

・『どうぶつの星』
 ま さ か の 『森』 で な く な る パ タ ー ン。

・『めぐりあえ どうぶつの宇宙』
 もうガンダム以外の何物でもない。


| ゲーム雑記 | 17:53 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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「面白かったです」の一言ももらえずに、『スーパーマリオメーカー2』のコースを作る気になれるだろうか

 6月28日に『スーパーマリオメーカー』の新作がNintendo Switchで発売になります。Wii Uという不遇のゲーム機で出たにも関わらずヒットした作品の続編が、Nintendo Switchという勢いのあるゲーム機で出るとどうなるのか―――このゲームは特に「遊ぶ人が多くなれば多くなるほどいろんな可能性が増えるゲーム」なのでワクワクしています。



 私も購入予定で、むちゃくちゃ楽しみにしているのですが……
 一つ気がかりなことがあります。



 それは「Miiverseの代わりになるもの」は用意しないのだろうか?ということです。

 「Miiverseって何?」という人もいるでしょうから説明します。
 任天堂がWii U本体の発売と同時にスタートさせたSNSで、「同じゲームを遊んでいる人」がつながれることを目指したものでした。SNSとしての特徴を挙げると、文字によるメッセージだけでなく手描き入力も可能なため、イラストの投稿も気軽に出来たというのがありますね。

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<画像はWii U用ソフト『スーパーマリオメーカー』より引用>

 『スーパーマリオメーカー』1作目は、更にステージ内の特定の場所にMiivereのメッセージを投稿することが可能だったため、コース作成者が「ヒント」を書き込んだり、隠しルートを見つけたプレイヤーが足跡代わりに「メッセージ」を残したりなんてことが出来ました。
 ↑のスクショは、それを利用した「みんなで絵しりとりをしよう!」というコースでした。




 2017年の11月にMiiverseはサービス終了してしまったため、『スーパーマリオメーカー1』も現在は投稿されたメッセージは全て消去されています。そのため、Miiverse終了直前の2017年9月に「すっかり放置していた絵しりとりのコースは完成していたのか確認しにいく」配信をやっていたのを思い出しました(笑)。
 これ、確か視聴者から「Miiverse終わる前に絵しりとりのコース見ておきません?」って提案されて見に行ったんですよね。今思うと、あそこで提案されていなかったら確認しないまま終わっていたと思うので感謝ですよ。




 さてさて。
 しかし、この「メッセージをステージ内に埋め込むことが出来る」機能以上に、Miiverseには大切な役割があったと私は思うんですね。それは「面白かったです」の一言を贈れる場所だったということです。

 ユーザーが「ステージ」だったり「キャラ」だったりを作成して、インターネットを介して投稿、それを他のプレイヤーがダウンロードして遊べる―――User Created Content(UCC)と言うべきか、User Generated Content(UGC)と言うべきか、まぁとりあえず「そういう系のゲーム」はここ10年くらいのトレンドだったと思います。

・Miiコンテストチャンネル(2007年、Wii)
・大合奏!バンドブラザーズDX(2008年、DS)
・リトルビッグプラネット(2008年、PS3)
・メイドイン俺(2009年、DS)
・Minecraft(2009年~2011年、PCなど)
・とびだせ どうぶつの森(2012年、3DS)


 パッと思いついたのはこの辺り。
 もちろん『RPGツクール』みたいなゲームは90年代からあるし、ステージエディットの起源は1980年代の『ピンボール・コンストラクション・セット』らしいとか、歴史を語るとキリがないのですが……ゲーム機のインターネット接続率の上昇と、大容量のセーブデータ領域の確保に伴って、インターネットを介しての自作コンテンツの共有が出来るゲームはここ10年前後で増えた印象があります。

 現在だと『ロードランナー・レガシー』とか『Ultimate Chicken Horse』とか、1000円台のダウンロードソフトにもこういった要素は入っていますし。先日『スマブラSP』でも無料アップデートで「ステージ作り」が出来るようになりましたし。



 『リトルビッグプラネット』のスタジオが手掛ける「どんなジャンルのゲームも作ることが出来るゲーム」『Dreams Universe』のアーリーアクセス版が先日発売になったり、「エロゲーのキャラ・マップ・ポーズ・シーンを作って共有できる」『エモーション・クリエイターズ』が先日発売になったり。



 ユーザーが作ったコンテンツを他のユーザーが遊ぶというゲームは、現在のトレンドの一つなのは間違いないと思います。「作る」のも楽しいし、他の人が作ったものを「遊ぶ」のも楽しい、それは分かります。

 ただ、「面白かったです」の一言ももらえず、ずっと作り続けられる人がどれくらいいるのだろうか?とも思うのです。

 例えば「このステージは200人の人に遊ばれました、その内20人の人がイイネを押してくれました」という数字を見せられるよりも、1人の人からの「遊びました!面白かったです!」のメッセージが嬉しいと思うんですよ。クリック一つで送れるイイネ20コよりも、ちゃんとその人の言葉で語られたメッセージ一つの方が私は嬉しかったのです。
 Miiverseにはそれがありましたし、Miiverseの場合は更に「メッセージを送ってくれた人の顔(Mii)」があったので、この人がこんな言葉で喜んでくれたんだと分かったんですね(イイネ押してくれた人の顔も見えるので、このフレンドが遊んでくれたんだみたいなのも分かった)。


 「ユーザーが作ったコンテンツを他のユーザーが遊ぶというゲーム」はトレンドというくらいにたくさん出ているのだけど、こういう「感想を贈るシステム」みたいなものはあまり重要視されていない印象で、それだと「何の反応がなくても作り続けるだけで楽しい」という一部のクリエイティブバーサーカーな人以外は「作り続ける」のは難しいと思うんですよ。

 Miiverseがあった『Splatoon1』の頃はフェスのたびにイラスト描いて投稿していたんですけど、Miiverseがなくなった『Splatoon2』でイラストを描いても「誰が見てくれたのか」も「イイネをどれくらい押してもらえたのか」も分からないため『2』ではほとんど描かなくなっちゃったんですよねー。


 Nintendo Switch初期に出さなければならなかった『Splatoon2』は仕方がないとしても、そこから2年近くが経った『マリオメーカー2』はその辺をしっかり解決してくれているとありがたいんですが……今のところ「Miiverseの代替になるもの」についての説明はないんですね。
 Nintendo Switchのオンラインアプリにその辺を期待していたのですが、SNSのような仕組みはほとんどないし……Twitterみたいな既存SNSを使うとなると「遊んだステージの感想をステージに紐づけて贈る」みたいなことは無理だろうし。

 この話は『マリオメーカー2』だけの話じゃなくて、今年末に発売されるであろう『どうぶつの森』新作とかにも言える話で……「夢見の館」とか「マイデザイン」とかは、MiiverseみたいなSNS機能があれば面白くなりそうなのになーと思ってしまいます。今年のE3で「Miiverse復活させます!」とか発表してくれないかなぁ、無理かなぁ……


| ゲーム雑記 | 17:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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桃太郎王国で友達が買ってきた「ファミコンソフト福袋」「スーファミソフト福袋」を一緒に開封しました!

 自宅にインターネット回線がない友達の代わりに、1月に「ファミコンソフト20本入り福袋」「スーファミソフト20本入り福袋」「ゲームボーイアドバンスソフト20本入り福袋」「ゲームボーイソフト20本入り福袋」を買って一緒に開封する配信をやったら「流石に買いすぎだ」と言われたので、しばらく福袋を注文するのは控えていたのですが……

 ゴールデンウィークが始まったとたんに、友達が「福袋を買ったから開けようぜ!」と連絡をしてきたので一緒に開封配信をすることにしました。しかも、「ファミコンソフト20本入り福袋」が5000円「スーファミソフト15本入り福袋」が5000円と、かなりのお値段だったそうです。
 この桃太郎王国というのは、いつも福袋を買っている「駿河屋」がサポートをしている店舗なのですが……どうも調べてみたら、「駿河屋と同じ箱に入れている福袋」もあれば、「この店が独自に作っている福袋」もあるそうで。前回のアイルーが入っているスーファミ福袋みたいに、駿河屋基準には当てはまらない福袋は「この店が独自に作っている福袋」だそうです。

 これは、果たして何が入っているのやら……


 動画でのアーカイブは今回、新たな試みとして「フリートーク部分を大幅にカットした時短版」を用意しました。

【ファミコン福袋・通常版】


【ファミコン福袋・時短版】


【スーファミ福袋・通常版】


【スーファミ福袋・時短版】


 ↓ テキスト版はこの後です。
 発売日の情報はWikipediaかAmazonの商品ページを参考にしています

≫ 「続きを読む」

| ゲーム雑記 | 17:49 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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ゲームの女性キャラはいつから戦うようになったのか

 最近こんな話題がTwitterで盛り上がっていました

 ドラクエとFFの女性キャラクターは主体を担わないか最終防衛ライン3さん)

 元のツイートをした人はもうこの話題をしたくなくなっちゃったらしく、ツイートを消されて鍵アカウントになっちゃったのですが、例えばこの最終防衛ライン3さんの記事のように「そこから始まった議論」はとてつもなく面白くて、この話題が始まったからこそ新しいことに気付かせてくれたと思うんですね。私は今まで意識していなかったのですが、『ドラクエ』の歴史って「女性」が戦う力を得ていく歴史だったのかもなんて考えました。


 『ドラゴンクエスト』1作目(1986年発売)は、明確に「主人公(男)がローラ姫(女)を助けにいく」というストーリーです。姫を助けないでクリアするなんてこともやろうと思えば出来ますが、正規ルートは男が女を助けて最後に結婚してメデタシメデタシみたいな展開と言ってイイでしょう。

 『ドラクエ』くらいメジャーな作品になるとオマージュやパロディの対象になることも多いので、「男が女を助けて最後に結婚してメデタシメデタシ」というテンプレを踏襲した作品も多くなり、どうしても『ドラクエ』=「男が女を助けて最後に結婚してメデタシメデタシ」という印象が出来てしまったのかもと思います。

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<画像はアニメ『えんどろ~!』第5話より引用>

 例えば今年の冬アニメ『えんどろ~!』(2019年放送)には、ローナ姫というどう考えてもローラ姫をもじった名前のお姫様が登場します。彼女は、歴代999人(998人だったかも)の勇者の物語を熟読して勇者に恋い焦がれていて、実際に現れた勇者に自ら会いに来たのだけど「え?勇者なのに女の子なの?」と戸惑うシーンがあるのです。

 まぁ、その10分後には「法律を変えれば女の子同士でも結婚できます」的なことを言っているのですが(笑)、要は「勇者=男の子」という固定概念に対するパロディネタなんですよね。
 この件に限らず、このアニメ「パロディであることが若干分かりづらい」ところがあって、正当な評価を受けていないんじゃないかといつも思っています。ソシャゲ批判回とかすごかったと思うんだけどなぁ。


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<画像はWii版『ドラゴンクエストII(ファミコン版)』より引用>

 続く『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』(1987年発売)のオープニングは―――まず「ムーンブルクの城が陥落した」という兵士の報告があって、その後王様から「サマルトリアとムーンブルクに仲間がいるから探しに行け」と言われるところから始まります。

 ムーンブルクは陥落したって今言われてたけど、聞いてた?と言いたくなるのだけどそれは置いといて(笑)。
 ここでは性別は言われていませんが、サマルトリアにいるのは「王子」で、ムーンブルクにいるのは「王女」です。ムーンブルクは既に滅んでいるので、亡国のお姫様を探すというストーリー展開をしていきます。そして、見事にお姫様を見つけた後は一緒に戦うことになります。

 つまり、1作目では「捕らえられて、助けられて、祈るだけだったお姫様」が、2作目では「助けられた後に一緒に戦う」ようになったのです。
 キャラ性能的には「攻撃魔法・回復魔法ともに最強クラスの呪文を覚える魔法要員」なのですが、このゲームは「主人公は物理攻撃しかできない・回復は薬草頼み」というところから仲間を集めて徐々に出来ることが増えていくというゲームデザインなので―――ムーンブルクの王女が魔法要員なのも、「仲間が増えれば今までに出来なかった魔法が使えるようになる」とゲームを面白くするための理由なんです。

 「男女平等にしなければ」とローレシアの王子もサマルトリアの王子もムーンブルクの王女も似たようなキャラ性能にしていたら、このゲームはクソつまんなくなっていたと思いますよ!



 で、続く『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(1988年発売)に至っては、主人公は男女どちらの性別も選べるようになり、仲間も職業・性別を自由に選べるようになりました。女性キャラにした方が装備できる防具が多いみたいなこともあって、当時から「女性優遇」のイメージはありましたね。

 また、主人公の親世代は「バラモスを倒そうと一人で旅に出た父親」と「帰りを待つ母親」という構図なのは、男が戦って女が帰りを待つという『ドラクエ1』の構図を前時代的と皮肉ったメタ表現に思えなくもないですし……実際、『ドラクエ3』には「女王に統治された国」がいくつか出てくるなど、ジェンダーの視点で見ると面白そうな題材なんですよね。


 ということで、初期『ドラクエ』シリーズにおける「女性の役割」はこんなカンジです。

・『ドラクエ1』:敵に捕らえられ、助けられるのを待って、祈るだけのキャラ
・『ドラクエ2』:助けられた後に仲間になって一緒に戦う。最強の魔法要員
・『ドラクエ3』:主人公も仲間も全員女キャラに出来る。戦士や武闘家にももちろん出来る


 どんどん女性キャラが前線に出ていっているという。
 堀井雄二さんは元々、『ウィザードリィ』や『ウルティマ』といった海外のPC用RPGを自分でも作りたいと思い、『ドラクエ3』のようなものを最初から作りたかったそうなんですね。しかし、RPGなんて知らなかった当時のファミコンキッズ達にいきなりそれを出しても理解できないだろうと、初めてRPGを遊ぶ人にも分かりやすく要素を絞って「チューニング」した『ドラクエ1』を最初に出したそうです。

 その「チューニング」として有名なのが、「最初から最後まで一人旅」だったり、「コマンドを理解しないと最初の部屋から出られないチュートリアル」だったりだと思うのですが……「男の子がお姫様を助けに行く王道ストーリー」にしたのも、その一つだったのかも知れません。


 「男の子がお姫様を助けに行く王道ストーリー」というのは、別に『ドラクエ1』が原点というワケではありません。
 ほぼ同時期に発売された『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)だって、『ゼルダの伝説』(1986年)だって、そうです。この2シリーズも、後々にはピーチ姫もゼルダ姫も自ら戦うようになっていくのは興味深い話ですね。
 それよりもちょっと前に戻ると『ドルアーガの塔』(1984年)も、「主人公(男)が恋人(女)を助けに行くストーリー」です。カイはお姫様じゃなくて巫女さんですけど。ちなみに続編である『イシターの復活』(1986年)では助けたカイとともに2人で塔を脱出するゲームなのでカイも戦うのだけど、ゲームスタート時にカイとギルの性別が選べるらしい。えっ?どういうこと?

 「男の子がお姫様を助けに行く王道ストーリー」と言えば、『スター・ウォーズ』シリーズ1作目(1977年のエピソード4/新たなる希望)は「辺境の星に住むルーク(男)がレイア姫(女)を助けに行くストーリー」ですし。何故『スター・ウォーズ』は4から始まったのかというと、「これが一番王道で分かりやすかったから」だと言われているんですね。
 つまり、1977年のアメリカの時点で「男の子がお姫様を助けに行くストーリーは王道」だと思われていたみたいだという。このルーツがどの辺りにあるのかも考えたいところですが、論点があっちこっち行っちゃうのでこの辺にしておきます。



 先ほど『ドラクエ3』こそが堀井さんが最初から作りたかったゲームだ―――みたいな話を書きましたが、堀井さんに影響を与えた『ウィザードリィ』や『ウルティマ』も「最初にプレイヤーがキャラクターを作成する」ところから始まりますし、もっと言うとその更に元ネタと言われるTRPGの『ダンジョン&ドラゴンズ』も最初に自分のキャラクターの「種族」「職業」を決めるところから始まるんですね。

 んで、それらのゲームで「性別」も決めるのかというと……『ウィザードリィ』はWikipeidaによると、「性別」を決めるようになったのは1990年の『6』からだと書かれています。『ドラクエ3』(1988年)より後ですね。
 一方の『ウルティマ』は、1作目(を1986年にコーディングし直したものらしい)を扱った東京レトロゲームショウという連載記事の中で性別を選んでいるスクショが確認できました。「Sex:Male」ってやつね。1981年バージョンから性別を選べていたなら、ひょっとして世界初の「女性が戦うコンピューターゲーム」が『ウルティマ』だったのか……?

 初期『ウィザードリィ』は性別の概念がなかった、『ウルティマ』は初期の頃から性別を選んでいた―――んで、実は『ファイナルファンタジー』は、『ドラクエ』みたいな和製RPGよりも、『ウィザードリィ』のような海外RPGの影響を受けていると言われているんですね。
 そのためか、『FF1』(1987年)のキャラクター達は「職業(ジョブ)」はプレイヤーが決めますが、「性別」の概念がないのです。それを踏襲したであろう『FF3』(1990年)もオープニングで「少年たち」と言われているのだけど、職業を変える(ジョブチェンジ)たびに男っぽい見た目にも女っぽい見た目にも変わるという(笑)。

 シリーズの始まりがこうだからなのか、『FF』シリーズは伝統的に「男キャラも女キャラもプレイヤーの好きなように育成できる」傾向があるかなぁと思います。『2』や『5』もそうですし、『6』も中盤以降はそうと言えるし、『10』は通常版はスフィア盤のスタート地点がキャラによって決まっていましたがインターナショナル版では全員中央からスタートにして自由な育成が出来るようになりました。


 『ドラクエ』『FF』を「前線で戦うのはいつも男、女はいつも回復役などにされる」と言って一斉にみんなから反論されたのは、この2シリーズは「自由なキャラクターメイキング」や「自由なキャラクター育成」に力を入れてきたシリーズなため(もちろん『FF4』みたいにそうでない作品もあるけど)、よりによって『ドラクエ』『FF』にそれを言うか!?って思われたからだと思われます。

 最初に話題にされたのがもし『ゼルダ』だったら、「リンク(男)は世界中を冒険して各地で楽しいミニゲームとかやっているのに、ゼルダ姫(女)はいつも捕まっていたり石になったり壁画になったり100年も厄災を抑えこむ羽目になったりして可哀想」というのは分からなくもないです(笑)。
 「リンク(男)以外をプレイアブルキャラにするゼルダ」というのも面白そうだとは思うんですけどね。




 『ドラクエ』『FF』以外を考えてみると、アーケードゲームのメーカーはかなり初期から「女の子が戦うゲーム」を出していたと思います。先ほど書いた『ドルアーガの塔』の続編『イシターの復活』は1986年7月、同じナムコのファミコン用ゲーム『ワルキューレの冒険』は1986年8月、タイトーのアーケードゲーム『奇々怪界』は1986年9月です。

 この時期の「女の子が戦うゲーム」をうんうんと思い出してみました……ジャレコのアーケードゲーム『モモコ120%』が1986年4月稼働開始か。あ、『アイスクライマー』の2Pはナナという女の子だった!あれは1985年1月発売です。ファミコン初の「女の子が戦うゲーム」はアイスクライマーだったのか!流石、子供達の性癖をねじ曲げることに定評のある任天堂だぜ!


 例えば「動物が主人公」だと性別がメスであっても女性キャラとみなすのは無理がありそうですし(母ブタが狼達を撃ち落としていく『プーヤン』は1982年)、アドベンチャーゲームとかスポーツゲームの主人公が女の子でも「女の子が戦うゲーム」とは言いづらいと思うので……『アイスクライマー』が日本初の「女の子が戦うゲーム」でイイのか調べてみましたが。

 なんと!後に『ソニック』を作る中裕司さんの処女作と言われる『ガールズガーデン』が、女の子を主人公にしたアクションゲームだったそうです。発売は1984年7月!やはりセガはいつだって時代の最先端だぜ!任天堂に勝った!


 ………と思ったら、このページの中さんへのインタビューで。

<以下、引用>
―― 『ガールズガーデン』開発当時の話を聞きたいと思うんですが、これは1984年の発売ですよね?

中「いや、これは1984年じゃないです。リリースしたのは確かに84年で(C)も84年になっていますが、たぶん翌年の2月発売だと思います。
 僕は1984年の4月にセガに入って研修一ヶ月やって、すぐにこれをつくりはじめています。それで開発期間は5ヶ月かかっている。その後、ロムの製造に当時は3ヶ月かかるんです。だから計算すると84年はありえない……と、思う(笑)。
 当時のチラシか何かで2月発売みたいなことが書いてあったような気がするし、先輩に「2月はモノの売れない季節だ」と言われて悔しかった思い出もあるし(笑)。」

―― そうなんですか。もしかしたら今、歴史が変わったかもしれません。
 多くのセガファンは『ガールズガーデン』の発売日は1984年と認識しているはずですから(笑)。

中「たぶん85年の2月、だと思う(笑)。」

</ここまで>
※ 改行や強調など、一部引用者が手を加えました


 『アイスクライマー』より1ヶ月遅くなったじゃないか!
 これが、セガ……!

| ゲーム雑記 | 17:49 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

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「説明書を読むのが好き・得意な人」と「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」

 この記事は火曜夜に書き始めているので実際にどうなったかはまだ分からないのですが、恐らく木曜夜には『ソウルハッカーズ』をクリアしているはず!3ヶ月間に及ぶゲーム実況もようやく終わりました。いやー、長かった長かった。当分RPG実況はしたくないですね……


 んで、未消化のフリートークテーマもちゃんと使い切ろうと、フリートークテーマ一覧に入れておきながら誰にも触れられなかったこの話題を今日は書こうと考えました!


 私はゲームを始める際、説明書を読まずにゲームを始めるんですね。
 これは別に生まれた頃からそうしていたワケではなくて、昔は説明書を読んでからゲームを始めていたのですが、故あってある時期から「こっちの方が自分はゲームを楽しめる」と確信して意図的にそうするようになりました。

 しかし、それをブログで公言したり、実際に説明書を読まずにゲーム実況を始めたりしたことで、「どうして説明書を読まずにゲームを始めるんだ」とか「説明書に書いてあることがどうして出来ないんだ」とか「説明書をちゃんと読まないオマエが悪い」とか、これまでに何十ッッッ回と言われてきました。
 それはもう「説明書を読んだ方がイイですよ」みたいなアドバイスじゃないんですよ。あたかもものすごく悪いことをしたかのように、叱責され、人格否定され、正義棒でぶん殴られるのです。たかだか説明書を読まずにゲームを始めただけで。

 例えば『Splatoon』でわざと地面を塗らずに煽りイカをずっとしていたなら「そんなことやめろ!」と言われても仕方がないと思います。オンラインゲームでそれやっちゃうと他の7人に迷惑ですからね。
 でも、1人用のゲームを「こっちの方が自分はゲームを楽しめる」と説明書を読まずにゲームを始めただけで、どうしてそこまで怒られなきゃいけないのか私にはずっと分からなかったのです。人それぞれ好みがちがう、ではダメなのかと。「多様性が大事」と表の口では言いながら、本質的にはまだまだこの国では「みんなが一緒でなければダメだ」という全体主義なのかと。



 でも、最近ようやく分かりました。
 世の中には「説明書を読むのが好き・得意な人」がいるんです。

 そして、私は「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」なんです。


 これは、「ネタバレされたくない人」と「ネタバレされたい人」がいる話とか、「一つのゲームをずっと遊びたい人」と「色んなゲームを浅く広く遊びたい人」がいる話とかと同じで―――要は「好みがちがう」というだけなのですが、そのちがいが明文化されてこなかったため、どちらの人も「自分達が標準」だと思っていて「そうでない人を矯正しようとする」力学が働いてしまうんだと思うのです。

 「説明書を読むのが好き・得意な人」からすれば、世界中の全ての人が本当は「説明書を読むのが好き・得意」にちがいないと思っているから、説明書を読まずにゲームを始める私に「どうしてこれだけ言っているのに説明書を先に読んでおかないんだ!」と怒り出すのです。
 また、「説明書を読むのが嫌い・苦手」な私からすれば、まさかこの世界に「説明書を読むのが好き・得意な人」がいるだなんて想像していませんでしたから、何十ッッッ回と「ゲームを始める前に説明書を読め!」と言われてきたのも100%善意で言われていたなんて思いもしませんでした。まさか本当に「説明書を読めば解決する」だなんて思っていないだろうなとタカを括っていました。





 私は「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」なんで、まずは「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」の言い分から書きましょう。

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 これは私が木曜日までプレイしていたセガサターンの『ソウルハッカーズ』の説明書です。このゲームが発売されたのは1997年なので、およそ20年前のゲームですね。

 とにかく「文字が小さい」上に、「ビッチリと文字が敷き詰められている」ため、読みづらいですし読む気が起きません。

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 手元にある文庫本と比較しても、文字が更に一回りも二回りも小さいことが分かると思われます。『ソウルハッカーズ』の説明書の場合は、これが64ページもあるのです。一日の中でゲームを遊ぶのに使える時間なんて限られているというのに、これを読み終えてからじゃないとゲームが始められないというのなら、「さあ始めるか」と思い立ってから実際に始めるのに3~4日くらいかかりそうですよ。



 そして、そもそも「何が書いてあるのかが読んでも理解できない」のです。
 書かれているのは専門用語ばかりですから、ゲームを始める前に読んでもチンプンカンプンです。『ソウルハッカーズ』の説明書に関しては28日間遊んだ後でも何が書いているのかよく分かっていませんし、『DESIRE』の説明書に関しては何十回読んでも「ディスク1からディスク2の入れ替えのタイミング」が理解できずにアルバート編を4回クリアした私なんで、ゲームを始めた後でも一緒じゃねえかと言われたらぐうの音も出ませんが。

 少なくとも「ゲームを始める前」よりかは、「ゲームを始めてから」説明書を読んだ方が理解できるだろうなと思って、ゲームを実際に始めてから「分からないところがあったら説明書でそこを調べる」ことに私はしています。これは家電の説明書とかもそうで、まずは実際に動かしてみて「ああいう機能はないのかな」と後から説明書で調べる方が私には理解しやすいんですね。



 最後に、これが私が「説明書を読むのが嫌い・苦手」な最大の理由なんですけど……こんなに小さい文字でビッチリと何十ページにもかけて専門用語連発で書かれた難解な文章を、覚えていられるワケがありません。
 「それくらい説明書に書いてあったでしょう!」とか「一度教えたことをどうして忘れてしまうんですか!」とお叱りを受けることが多々々々々々々あるのですが、私からすれば「そんなの覚えられるワケないじゃん」ですよ。

 未だに私、プレステのコントローラの□ボタンと△ボタンの位置がどっちがどっちだか覚えていないんですよ?28日間もプレイしていて「タルンダ」と「タルカジャ」のどっちがどっちだか分かっていないんですよ?「さくらいまさひろ」さんと「さくらいたかひろ」さんはどっちがゲームの人でどっちがアニメの人だか、ゲームの方のさくらいさんの本を多分全巻持っているのに未だに間違えるんですよ?

 そんな人間が、一度読んだくらいで説明書の隅から隅までを覚えられると思うんじゃない!



 私にとって「説明書を読めば全部解決する」というのは、「教科書を読めば学校のテストは満点を取れる」と同じくらい「なるほど完璧な作戦っスねーーーっ 不可能だという点に目をつぶればよぉ~~~」なんですよ。

1.小さな文字でビッチリと書かれた文を読むのが苦痛ではない
2.専門用語で書かれた文をちゃんと理解できる
3.何十ページにも渡って書かれたことを読んだだけで覚えていられる


 それが出来るのは、能力がある人間だけなんですよ。私にはそれがありません。
 「出来る人」には「出来ない人」の気持ちが分からないように、「説明書を読むのが好き・得意な人」には「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」の気持ちは分からないのです。





 じゃあ、「説明書を読むのが嫌い・苦手」な私には「説明書を読むのが好き・得意な人」の気持ちは分からないと思うのですが、ここで記事を終わりにしたら「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」の言い分を一方的に書いた偏った記事だと叩かれること間違いないので、「説明書を読むのが好き・得意な人」の言い分を精一杯考えてみます。

 んで、ふと思い出したことがありました。
 「説明書を読まないとコメント欄で怒られる」という話……『ソウルハッカーズ』みたいなゲームソフトの説明書に限った話じゃなくて、Wiiの説明書とか、Wii Uの説明書についても言われたことがあるんですよ。「そんなのは説明書に書いてあるでしょう。ちゃんと読んでください!」と。

 ゲーム機の説明書なんて、イチイチ全部読む人いるの……?

 と、その当時は驚きました。
 だって、ゲーム機の説明書なんてむっちゃブ厚いじゃないですか。しかも、最近のゲーム機は「色んなことができる」ためにその一つ一つをページ数使って説明していて、更にその大半は「説明書を読まなくても実際に操作してみれば分かる」ようなものじゃないですか。
 でも、そのブ厚い説明書の「何ページのここの部分にこう書いてあるのに、どうしてそれが分からないんですか」と責められるんですよ。ここは大学受験に向けた予備校か?



 しかし、世の中には「説明書を読むのが好き・得意な人」がいるという前提に立って考えてみると、分かるんですね。彼ら・彼女らからすれば、恐らく「説明書を読む」ということ自体が娯楽で、読めば読むほど知識が溜まっていくことに快楽があるんじゃないかと思うのです。

 例えとして相応しいかはちょっと分からんのですが、ウチの甥っ子(小4)は『スマブラSP』の超ブ厚い攻略本を読むのが大好きです。調べてみたら832ページもあるらしいですよ。
 甥っ子はそんなブ厚い本の隅から隅まで読んで覚えるのが好きなので、「Wii Fitトレーナーの空中後ろ攻撃はどーのこーの」とか「○○と××のキャラはアピールに当たり判定がある」とか「クレイジーハンドがこういう動きをした時は○○に移動して防御」みたいな知識をむっちゃ披露してくるのです。私も同じゲームを遊んでいるはずなのに、何一つ分かりません。だって私、「ダッシュして殴ると強い」くらいの知識で『スマブラ』を戦っているし……

 好きなものの知識を蓄えるのは楽しい、小4の甥っ子を見るとそれを実感しますし―――「説明書を読むのが好きな人」達も同じことなのかなと思うのです。
 Wii Uの説明書をイチイチ全部読むのも、Wii Uという新しく買ったゲーム機の全部を知り尽くすための情報がココに詰まっているぞ!読まないのはもったいない!と思っていたからで、そういう人からしたら説明書を読まない私は「お寿司のシャリを食べずに捨てている人」並みに「けしからん!」と怒りたくなったのでしょう。そこが一番楽しいのに、それを面倒くさがるなんてトンデモない!的な。




 この話、多分……「一つのゲームをとことん遊びつくす天文学者タイプ」と「色んなゲームをちょっとずつ遊びたい宇宙飛行士タイプ」の話とつながっていて。それがイコールなのかは分かりませんが、例えば天文学者タイプならそのゲームのことを知り尽くしたいから説明書や攻略本も読むのが楽しくて、宇宙飛行士タイプなら説明書や攻略本を読む時間を惜しんでその時間で次の星に行きたいと考える―――みたいな推論が立つのかなぁと。


 スマホ用のキャラ集めて育成するタイプのゲームとか、『Splatoon』みたいなオンライン対戦ゲームとかだと、「攻略サイトをちゃんと読め」とか「上手い人の動画を見て勉強しろ」とか言われることも多いんですけど……宇宙飛行士タイプの自分からすると、どうして「ゲームを遊ぶ」ために事前に「勉強」しなきゃいけないの?って思うんですよねぇ。それ、もう「遊び」じゃないじゃん。「毎日のつらい生活」から逃げ出して息抜きで「ゲーム」を遊びたいのに、こっちでも「勉強」しなきゃいけないならこっちも「つらい」になっちゃうじゃん。

 でも、天文学者タイプの人からすると「勉強も楽しいじゃん」ってなるんですよね多分。大好きなゲームについて研究するのって楽しいじゃんって。小4の甥っ子が832ページもある攻略本を喜んで熟読するように、好きなものについての知識を覚えるのって楽しいじゃんって思うのでしょう。「説明書を読むのが好き」というのは、その一歩目なのかなと。

1.小さな文字でビッチリと書かれた文を読むのが苦痛ではない
 → 大好きなゲームについての情報がたくさん書かれている!
2.専門用語で書かれた文をちゃんと理解できる
 → 難解で読みにくい文章ほど、読み解く歯ごたえが楽しめるぞ!
3.何十ページにも渡って書かれたことを読んだだけで覚えていられる
 → 一回で覚えられなくても、覚えるまで何十回と繰り返し読むから長く楽しめる!


 「説明書を読むのが嫌い・苦手」な私からすると苦痛でしかないことが、「説明書を読むのが好き・得意な人」からすれば「楽しくて仕方ない」にひっくり返るのです。だから、100%善意で、こんなに楽しいことをどうしてやらないんですかと怒ってくるのでしょう。



 まぁ……学校が大好きな人からすれば、学校に来たがらない人に「学校楽しいよ!」「学校に来てるみんなこんなに楽しそうにしてるよ!」と言いたくなるみたいなもんでしょうよ。学校嫌いな人からすれば、逆効果だけどな!「俺以外の全員が楽しそうにしている学校に、俺だけがつまんない思いをするために行かなくちゃいけないって何だよ!」







 さてさて。 
 こんな風に「説明書を読むのが好き・得意な人」と「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」がいるだなんて話は、過ぎ行く平成の風景とも言えて、そもそも説明書自体がなくなりつつあるのが現在です。


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 例えば、Nintendo Switchのゲームソフトには説明書は付いていません。
 印刷コストのこととかもあるのかもですが、電子説明書すらなくなったのは「ダウンロード版」や「ダウンロードソフト」との兼ね合いも考えてのことかなぁと私は考えています。
 例えば、海外のSteamゲームを日本でも発売したいと考えたとき、電子説明書を日本語で作らなきゃいけないとなると海外メーカーにとっては大変ですからね。私、Nintendo Switchにたくさんのインディーゲームが並ぶようになった要因の一つに「電子説明書を撤廃したこと」があると思っています。


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 そもそもNintendo Switchは、本体にすら説明書が付いていませんからね。
 詳しくはサポートサイトを見てねと、WEB上に説明書代わりになるものを載っけているのです。


 この理由はいくつか考えられて……
 一つには「今のゲーム機はバージョンアップで機能が変わる」からだと考えられます。

 例えば、私が以前に「Wii Uの説明書を読んでいないで怒られた」という話をさっき書いたのですが、怒られた内容が「バーチャルコンソールについて」だったんです。バーチャルコンソールのその機能はWii Uの説明書に書いてあるのにどうして読んでないんですか!と。
 でも、私がWii Uを買った時にはWii Uはバーチャルコンソールがなかったので(ソフトがあまりに少なかったので本体発売2ヶ月後に急遽スタート→正式なスタートはその3ヶ月後)、私の持っている説明書にはバーチャルコンソールの説明が書かれているワケがないんですね。そもそもその説明書をどうやら間違えて捨てちゃったみたいなんで、その確認も出来ないのですが(笑)。


 要は、発売後に追加された機能は「紙の説明書」では解説できないのです。
 例えば先ほどリンクを貼ったNintendo Switchのサポートサイトでは、つい先日のアップデートで追加された「セーブデータだけを他のSwitch本体に引っ越す機能」についての説明も書かれています。説明書をWEBサイトに載せることで、最新の情報にアップデートが出来るようになったんですね。

 これは「ゲームソフトに紙の説明書を付けない」理由の一つでもあるかも知れませんね。特に任天堂タイトルは段階的にバージョンアップさせることで「長く遊んでもらう」ことを狙っているため、『スマブラSP』の「ステージ作り」のようにモード自体が追加されていくことも多いですし。発売時に同梱した「紙の説明書」は、半年後には説明書として役に立たなくなってしまうのです。




 それと、Nintendo Switch本体に「説明書」が付いていない理由として考えられるもう一つのものは……今日の記事を踏まえることで意味がようやく分かることだと思うのですが、「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」にとってはブ厚い説明書があるとそれだけで「自分には無理そう」と思っちゃうんですね。

 さっき私はWiiの説明書やWii Uの説明書を読んでいないことで怒られたと書きましたが、誰に怒られるまでもなく自分自身で「このブ厚い説明書を全部読まなくちゃいけないんだ」とプレッシャーをかけてしまう人も少なくないと思うんですね。そういう人はちゃんと全部読もうとして、でも説明書を読むのが苦手ですから「自分には難しい」と、せっかく買ったゲーム機をほとんど起動しないでしまっちゃったりするのです。


 この例えはオッサンにしか伝わらないでしょうが、20年くらい前にパソコンを買ったら「俺が買ったのはパソコンか?それともパソコンの説明書か?」というくらいにブ厚い説明書が何冊も付いてきて、それでもうギブアップしてしまった人が結構いたんですね。逆に、「説明書なんかどうでもイイからとりあえず電源を入れよう」と、碌に読まずに始めちゃうような人の方がガンガン使いこなしたりしていて。
 その時代から考えると、最近のパソコンの説明書は「同人誌かよ」と言いたくなるくらい薄い冊子になっていて、買った人に怖がられないようになったと思います。



 世の中には「説明書を読むのが好き・得意な人」と「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」がいるという視点で考えると、昨今のトレンドは間違いなく「説明書を読むのが嫌い・苦手な人」に向けた商品展開なんですね。説明書はどうせ読まれないし、むしろあることで「読まなくちゃいけないのか」「面倒くさいな」「じゃあもう買うのやめよう」とまで思われるから、思い切ってなくしていこうと。

 「説明書を読むのが好き・得意な人」からすると、それは由々しき事態で「どうして説明書をなくしていくんだ!入れて損するものじゃないだろう!」と怒っている人もものすごーーーーーーくたくさん見かけるのですが。でも、アナタ達「説明書を読まずにゲームを始める私」のことを散々罵っておきながら、それは無責任じゃないですか?少なくとも私は「こんなに怒られるくらいなら説明書なんかなくなってしまえばイイ」ってずっと思っていましたよ!


 いや、もちろん「説明書を読まないでゲームを始めるヤツはけしからん!」って怒る人がいるから説明書がなくなった―――とは思いませんけど(笑)。説明書という存在が、「ゲーム」という娯楽のハードルを上げていた(=説明書に書かれているような知識がないと楽しめないと思われていた)側面はあるんじゃないのかなぁと思うのです。
 ガラケー時代のソーシャルゲームや、スマホのゲームなんかが「気軽に始められる」と思われたのも、説明書がないことで「最初のハードル」が低かったからだと思いますし。まぁ、そちらもそちらでやりこんでいくと「ちゃんと攻略サイトを読んで勉強しろ!」って怒る人が出てくるんですけど……

 あれ?結局、説明書があろうがなかろうが、私は息をしているだけで怒られるのでは?


| ゲーム雑記 | 17:53 | comments:13 | trackbacks:0 | TOP↑

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