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| 「リア充なんて本当は存在しない」、もしくは「この世界にはリア充しかいない」 |
ラジオを聴いていたら、とあるラジオパーソナリティが喋っていました。 そのラジオパーソナリティは20代で結婚をして二人の子どもを授かり、仕事は順調、趣味もたくさんあって友人もたくさんいる人。 その人にリスナーは言いました、「アナタはリア充じゃないですか」と。 すると、ラジオパーソナリティは反論をしました。「リア充ってのは中学生の頃に何の努力もしていないのに3人以上の女のコから同時に告白をされるようなヤツのことを言うんだ!俺はリア充じゃない!」
この一部分だけを切り取ってその人に悪印象を持って欲しくないので、「とあるラジオパーソナリティ」が誰かなのかは語るつもりはありません。御了承ください。
さて、この話―――皆さんはどう思いましたか? 私は「何だか、寓話みたいだな」と思いました。 登場人物を動物か昆虫に置き換えるだけで「こんな昔話があるんだよ」と言い張れそうな。
傍から見れば「リア充だ」と思われるような人も、「俺はリア充だ!」とは言わないものです。 このケースを見れば分かるように―――リア充とは多くの場合「自分が憧れているけどなれないもの」のことを指すからです。
「女のコと喋れるなんてリア充だ」と思われても、女のコと喋っているだけの人は「恋人がいるだなんてリア充だ」と思い、恋人がいるだけの人は「超可愛い恋人がいる人こそがリア充だ」と思い、超可愛い恋人がいる人は「恋人の他にセフレが3人くらいいないとリア充ではない」と思い、超可愛い恋人とセフレが3人いる人は「美女を10人集めたハーレムに住んでいるようなヤツだけがリア充だ」と思い、美女だらけのハーレムを築いた人は「国中の全ての女が命令しただけで股を開くような人こそがリア充だ」と思い、そんな人は「早く不老不死の薬を作るんだ」とか言いだすんです。
リア充とは「自称」ではなく「他称」なんです。 傍から見てとても幸せそうに見える人であっても、自分ではない誰かを見て「俺もあんな風なリア充になりたい」とか言うんです。人間の欲望は無限ですから。「オッス!俺、リア充!」「もうこれ以上何も要らない!」とか言っている人は見たことがないですよね?
天下を統一した人でも、そこに満足せずに外国に攻め込んだりするじゃないですか。 この世の春を謳歌してた人でも、テレビ局を買収しようとしたりするじゃないですか。
人間の心が決して「充実する」ことがないのならば――― この世界に、本当の意味での「リア充」なんて存在しないんじゃないでしょうか。
そもそもの話です。 「幸せって何でしょうか?」
冒頭では敢えて「女性からモテる=リア充」みたいな例を集中して挙げましたけど、それだけが幸せではありませんよね。幸せとは横一列に「日本一幸せな人!」「日本で二番目に幸せな人!」「日本で三番目に幸せな人!」と並べられるものではないのです。
一人の時間が好きな人。 男友達とワイワイするのが好きな人。 熱帯魚を眺めるのが好きな人。 好きな人と一緒に過ごすのが好きな人。 仕事をしている時間が好きな人。 電車に乗っている時が一番好きな電車マニアな人。
人それぞれ「幸せ」が違うから、誰もがみな輝いて見えるし、誰もがみな満たされないのです。 この私ですら「絵が描けるなんて羨ましい。絵が描ける人は世界が違って見えるんだろうね」と言われたことがあります。 羨ましいのなら変わってやんよ!そして、私は別に「絵が描ける」ワケではないぞ!!「色々と誤魔化す手段を知っている」だけなのだ!
「ブログをやっていて読者が付いているということは、アナタはもう非モテではない」と言われたこともありましたっけ。よし、このブログを読んでくれている女性は今すぐ私の前で股を開くんだ。
隣の芝生は#006600みたいな話で。 自分の中の満たされない部分を見つけて、それを持っている人を「幸せそうだなあ」と思ってしまうのなら―――誰もがみな「自分こそがリア充だ!」とは思えないと同時に、誰もがみな「俺以外の全員がリア充に見える!」と思っているのかも知れません。
どこかしらに持っている「小さな幸せ」に、自分自身には気付かなかったとしても、他人はそれを羨ましがっていたりする―――そう考えると、何だ、私達はみんな何らかの形でリア充に既になっていたのかも知れないのです。
こう考えていくと、「リア充って何なんだろうな?」って気になってきますよね。 ぼくたちが望んでいることは本当に「モテたい」なのだろうか?という記事もそうだったんですけど、存在の分からない“概念”に憧れて自分が不幸だと思いこむのは人生が勿体ないと思うんですよ。
自分は十代の頃、「彼女がいない」という一点だけで自分が不幸だと思っていました。 「あー、自分の人生には何の意味もないんだ」「さっさと死んでしまえば良かったんだ」とずっと思っていました。でも、「彼女がいない」なりに十代を楽しんでいたと思うし、「彼女がいない」ことと「チ●コが超小さい」ことを除けばそこまで不幸ではなかったんじゃないかと今ならば思いますもの。
「彼女がいない」ならば、一人で色んなことをする自由な時間がたっぷりあったワケで。 もっとちゃんとそれを利用すれば良かったと後悔しています。本当ならばそんな風にたっぷりあった時間こそが「リア充」だったかも知れないのに、それに気付かなかったのが勿体なかったです。もし十代の自分に手紙を送れるならば、それを言いたいです。
だからそう!
バレンタインデーに何ももらえなくたって、別に憂鬱でも何でもないですから!!!
[記事URL]
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| 「モテない」=「そんなにモテるワケではない」という意味で使ってくれるな! |
「ホントはそんなにモテないワケではない」のに、「モテないキャラ」でテレビやラジオに出ている芸能人の人達が嫌いです。嘘ついて笑いを取ってお金もらって―――良心が痛んだりしないんかなといつも思ってしまいます。
「モテないキャラ」が何故重宝されるのかは分かります。 「モテない視聴者」からは“自分に近い存在”と共感が得られ、「モテる視聴者」からは“自分より下の存在”と嘲笑える対象になるからです。これは「モテない」に限らず、「おバカタレント」とかもそうですね。自分を本来より下の存在と見せることで下からも上からも支持されようという考え方。
でも、「このブログを読んでくれている人の誰よりもモテない」自信と確信がある僕のような人間からすると、そういう芸能人が「嘘をついている」ことは汗の味を舐めなくても分かります。野球部に入ったことがない人が「野球部時代にこんなことがあってさー」と話しても、野球部経験者は嘘だって分かるじゃないですか。 「モテない人間」には「モテない人間」にしか味わえない経験があるんですよ。成りすまして想像で語っても、「テキトーなこと言ってらぁ」としか思えないし、本当に「モテない人間」をバカにしているのはそういう人達だと吐き気がします。
というようなことをTwitterで呟いていたら。 直接の反応じゃなかったですけど、「彼女や奥さんがいるのと、モテるかどうかは別の話だ」と言われました。確かにそう。僕も以前からそういう話は何度か書いています。
(関連記事:ぼくたちが望んでいることは本当に「モテたい」なのだろうか?) (関連記事:「100打数1安打」と「100打数0安打」と「0打数0安打」) (関連記事:「モテナイエリート」と「ライトモテナイ」)
問題は「モテない」という言葉には2つの意味があって、使っている人によってその意味が違っていることが多々あるということなのです。
女「アニメ?私もよく見るよー」 男「へぇ、今季は何を観ているの?」 女「今季ってのがよく分からないけど、トトロとか」 男「………」
――――みたいな話。
1.「モテない」=「そんなにモテるワケではない」 モテ力の絶対値が「+100P」の男がいます。 立っているだけで次々に女性が寄ってきて「抱いて」「抱いて」とせがんでくるとか、学校にはファンクラブが出来るとか、話したこともない別のクラスの女子から「○○くんってカッコいいよね」と噂されるような人が「モテ力100Pの男」とします。
「俺、100Pもないわー」って意味で「モテない」を自称する人は山ほどいますよね。 「プラスマイナス0P」の人はまぁ分かりますけど、「+20P」とか「+50P」くらいの人が「俺全然モテないからさー」と自称していたりするのを見て。貴様はよくぞそのポイントでモテナイを自称できるもんだと呆れかえることがあります。Cカップでヒンヌーを名乗っているAV女優を見た時の気分。
ただ、言葉をそのまんま捉えるとそれが間違っているとも言い切れないんですよね。 「モテる」の定義を「絶対値が+100P以上」とするならば、「+99P」でも「モテない人間」になってしまうんです。「モテない」を「モテる」の否定形と考えるなら、そうなってしまうんです。それも間違ってはいないんです。
でも、納得はいかないよね! ガチでどん底に「モテない人生」を歩んできた俺達からすると、その程度で「モテナイ」を名乗るんじゃねええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええって思いますよね。
2.「モテない」=「絶望的なまでに異性から好かれない」 僕らはモテ力の絶対値が「−100P」の人間です。 立っているだけですれちがう女性から距離を取られるとか、片想いしているコに何度も告白したらそのコが不登校になっちゃったとか、話したこともない別のクラスの女子から「○○ってヤツには関わりたくないよね」と噂されるような人なんです。不登校は僕の実体験じゃないですけど!
もはや「モテる」の否定形の「モテない」では収まらない領域なんです。 んで、他に言い換えられる言葉はないかなーと何度も考えてきたのですけど………イマイチ適したものがないんですよね。「嫌われ者」だとちょっと違うんです。あくまで「恋愛対象として」ポイントが壊滅的に低いだけなんで、嫌われているかどうかは関係がありません。 「ゴミ虫」とか「ゲロ」とかそんなカンジですかね、僕らを表す言葉として適しているのは。自分で書いてて死にたくなってきましたけど、死にたくない時の方が珍しいから普段と何も変わらない!
まぁ……だから、 冒頭僕が「嫌悪する」と書いた芸能人の人達も、「俺なんてモテ力が+30Pしかないんですよー」的な意味で「モテない話」をしていただけで、それを「−100Pの俺からすると甘っちょろいわ!!」と言っても仕方ないんでしょうね。本当にするべきことは「−100Pを表す言葉」を考える方かも、と。
例えば自分なんかも「モテない話」を各所でしていますけど、フツーの人は「まさか−100Pの世界がある」だなんて知りませんから、「プラスマイナス0P」とか「+20P」くらいの人にするアドバイス―――「頑張ればその内振り向いてもらえるよ!」とか、「日々努力をすれば何とかなるよ」みたいなことを言われることもありますし。もっと凄い人になると「それは努力が足りないからだ!」と説教をする人までいるんですけど。
サッカー日本代表の選手に向かって「毎日練習すればW杯で優勝出来るよ!」と言っているようなもので。 そういうこと全部やってもダメだから「−100P」なんだっての!貴方の常識の中だけでは収まらない真のゴミ虫がこの世界には生きているんですよ!
「モテない話」はいつか漫画に描くネタにしようと、最近はブログ記事にせずにストックしていたんですけど―――こうやって久々にブログ記事に書いてみると、自分がどうしてモテないのかがすげえ分かりますよね(笑)。性格の悪さがこれでもかってほどに詰め込まれています。イェーイ、うんこうんこー!
もし僕が「モテるようになりたい」と思ったなら、まず真っ先にブログを辞めるべきだと思ふ。
[記事URL]
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| コンプレックスの再生産産業 |
今週水曜日の『Dig』(@TBSラジオ)にて、イングランド代表のサッカー選手ウェイン・ルーニーが植毛手術を受けたことを公表したというニュースを受けて“カツラを公言しているスポーツライター”小林信也さんがゲスト出演されていました。
ウチのブログで小林信也さんの話を書くのは2年ぶり2度目。 前回の話は「カツラを被り始めたのは異性にモテるためではなく、同性からの目を気にしたから」という興味深い話でした。あの話は、世の中の色んな謎を説明できる事柄だったと思います。
(関連記事:男は男からの評価の中に生き、女は女からの評価の中で生きている)
んで、今回も面白い話がたくさんありました。 その一つが「自分達の世代(50代)に比べて、今の若い世代はあまり薄毛を気にしなくなっていると思う」ということでした。現在20代のルーニーが植毛手術を受けたというニュースの後にその話もどうかと思うんですが(笑)。
言われてみると……自分(20代)も恵まれた頭髪ではないですけど、身体の他の箇所に比べて頭髪はさほどコンプレックスではないですね。 これも小林さんの仰っていた例ですけど、高校野球の選手が坊主頭を義務付けられていた頃は坊主頭が虐待だとか言われていたのに、自由になったらなったで自主的に坊主頭にする選手が増えた―――みたいな話で。植毛技術や育毛技術が発達したおかげで、逆に「別にハゲくらい気にしないわ」って人達が増えたのかなと。
あー、これ「メガネ」もそうだ。 『Dr.スランプ』以前ってメガネ女子は「ダサい」みたいなイメージがあったなんて聞きますし、メガネ男子も昔は「のび太」「ガリ勉」「根暗」だなんて言われていましたけど、安くコンタクトレンズが購入できるようになったら、逆にオシャレのために伊達メガネをかける人なんかが出てきましたもんね。
さて……そんな風に「若い世代で薄毛に悩む人が減っている」ことを喜ばしいと言った上で、小林さんがボソっと呟いたことが自分には強烈に印象に残りました。
「カツラ産業や育毛剤なんかの産業にとっては困ることかも知れませんけどね」
コンプレックス産業ってコンプレックスがなくなっちゃうと困るんですよね。 虫歯がなくなったら歯医者が困るとか、ゴキブリが絶滅したら殺虫剤メーカーが困るとかの陰謀論にも近いんですけど……みんながみんな「ハゲたって構わないじゃん!」って発想になっちゃうと、「ハゲに悩む人」に向けた産業は壊滅するんですよね。
そう考えると……カツラや育毛剤のTVCMを作る際には、
・「薄毛を気にしている人」を出す。 ・薄毛が如何に恥ずかしいことか、薄毛によって如何に人生を損しているかを描く。 ・商品を買うことで薄毛が解消され、人生がとっても豊かなものに!
こういう方向性になりますよね。 あれ?コンプレックスって、実はどこかの産業が俺達から搾取し続けるために仕組んだ巧妙な罠によって作られたものなんじゃないのか――――?
・体重コンプレックスはダイエット産業が作り出した陰謀 ・学歴コンプレックスは進学校や進学塾が作り出した陰謀 ・彼女がいないコンプレックスはデート産業や装飾品業界が作り出した陰謀 ・童貞コンプレックスはゴム業界が作り出した陰謀 ・包茎コンプレックスは美容整形外科業界が作り出した陰謀 ・ヒンヌーコンプレックスはシリコン業界が作り出した陰謀 ・粗チ●コンプレックスは真珠業界が作り出した陰謀
世の中は陰謀にまみれているんだよ!! 「粗チ●コンプレックス」って伏字にした方が卑猥に見えます!本当にありがとうございました!
素直に「そうだったの!」と読んでしまう純朴な女子中学生がいるかも知れないので、「冗談ですよ」とは書いておきますけど………あながち間違っていないものも混じってはいると思います。 僕らが子どもの頃は「一生懸命勉強して、イイ高校に行って、イイ大学に行けば、一流企業に就職できて一生安泰なんだよ」と言われてクラスメイト達はみんな塾通いさせられていましたけど、そんなもの嘘っぱちだったことは今なら誰でも分かりますよね。あの頃、そんなウソを振り撒いていたのは誰かな?
女性のダイエットに関してもそうで。 「ガリガリな女性が好き」な男性って恐らくかなりの少数派で、むしろ「腰や太ももに肉が付いている方が好き」って男性はよく聞きます。モテるために過剰なダイエットをしている女性を見るととても切なくなります。
包茎についても、自分は高校生くらいまで「恥ずかしいこと」なんて発想がありませんでした。 高校生になって、男子同士のコミュニティの中で「包茎だと恥ずかしい」「女子は包茎がキライ」「包茎じゃなくて良かった」「え?オマエ包茎なの?じゃあ手術するしかないね」――――今考えると男子高校生どもの妄想乙!ってカンジなんですが、当時はインターネットもなかったし、包茎は生きる価値がないんだ……死のう……と真に受けていました。
それ以前に気にしなきゃいけないこと沢山あるだろ! そもそも彼女が出来る前から包茎の心配しててどうするんだ!!と、過去の自分にメールが送れるなら送りたい。いや、本当に過去にメールが送れるのならライブドア株を買うタイミングと売り払うタイミングを指示したい。
「陰謀論」って言葉は本質を見えにくくしていると思うんですよ。 前に書いた記事にもあったように、商機を自分達で作り出すことはどんどんやればイイし、それが気に食わないのなら買わなければイイだけだと思うんです。
(関連記事:「○○を売ろうとしているなんて××業界の陰謀だ!」)
でも、「みんな○○だよ」「キミだけ○○じゃないなんて恥ずかしいよ」というコンプレックスを、必要以上に気にすることは無意味だと思うのです。そのコンプレックスの出所はどこかな?本当に「みんな○○」なのかな?と。
しかし、こういう話になっていくと。
「自分はここもダメでここもダメでここもダメなんだ!」というコンプレックスから解放される一方で、
「世の中はこんなにも他人から搾取しようとしている人達で溢れているのか!もう何も信じられない!」と人間不信を招きそうですね(笑)。
[記事URL]
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| 便秘で悩んでいる人からすれば、俺も立派にリア充なんだろうな |
このブログを読んで下さっている人は御存知かと思いますが…… 僕という人間はまぁスペックの低い人間でして。背が低い・顔もイマイチ・髪は薄い・全身病気まみれ・目が悪い・口が臭い・運動神経はゴミクズレベル・ジャイアン並の歌唱力・リズム感皆無・車の運転も「こんな人見たことがない」と言われるくらいに下手・姿勢が悪い・性格も捻じ曲がっている・理屈っぽい・愚痴っぽい・味音痴・食も細い・マナーが悪い・ED・下品・勉強はそれなりに出来たけどそれで食べていけるほどではない・ブログを書いているけど文章が書けるワケではない・漫画を描いているけど絵が描けるワケでもない・お金がない・野心もない・センスもない・何よりこんなに悪いところを列挙出来るのに直す気がない。
まだまだまだ書いていないようなゴミクズ自慢は沢山あります。 僕という人間に5段階評価の通信簿を付けていけば、1と2ばかりになると思います。
さて、そんな僕の「まだ書いていないゴミクズ自慢」の一つに「トイレが近い」というものがあります。 前も後ろも。
特に後ろの方は、内臓がボロボロだったので数年前から常に水状態でした。 そこで「こりゃヤバイなぁ……」と何回かのプチ断食を試すことで通常の柔らかさのうんうんに戻ったのですが、今度は1日7回くらいフルサイズのうんうんが出ていまして。絶対食べている量より沢山出ているよ!オマエらはどこから出てきたんだよ!エントロピーを凌駕しているよ!現象が起こっていて。
正直、生活が不便なのです。 例えば日帰りで遊びに行った際には、1日くらいうんうんをガマンして遊べるくらいの体になりたいのです。
でも、時々便秘で苦しんでいる人からすると、「何その贅沢な話!」って思われるんだろうなと考えることもあるのです。トイレの中で。
これは「隣の芝生は青い」って話ではなくて…… 「ウチの枯れた芝生も、逆にキレイだね!って言ってくる人がいる」現象というか。
「貴方が悩んでいることを羨ましがる人だっているんですよ」という言葉にすると物凄く説教くさくてウゼーって思われるでしょうが、裏を返すと「どんなに他人から羨ましがられている人だって悩んでいる部分がある」とも言えて。
みんなそれぞれリア充な部分と、みんなそれぞれ非リア充な部分を持っていると考えると――― 一部分だけをピックアップして自分を卑下したり、他人を見下したり同情したりするのって、そりゃそこだけ見ればそうだよねって話な気がするのです。悪かった探しをすれば、そりゃ悪いとこ見つかるよね、と。
という記事を、このカテゴリーで書くことに若干の作為的なものを感じなくもないのですが(笑)。 自分の中の足りない部分を気にするのも時間のムダだよなーと思いつつ、僕はちょっと直した方がイイとも思いつつ、まぁそんなところです。
[記事URL]
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| 秋山澪に学ぶ「モテ/非モテ」学 |
久々に「彼女はいません」カテゴリーの記事です。
可愛い女のコが出てくる系のアニメでは、よく「モブの女のコまで可愛い」ことがあります。 そのためにちょっと不思議な現象が起きたりしますよね。
何故、『けいおん』秋山澪は“スター”に成り得たのか?
澪は確かに美人だし、人気があるのも分かります。ファンクラブがあるというのも納得です。 しかし、そのファンクラブの会員である曽我部先輩や佐々木さんだって十分に美人ですよね。キャーキャー言われている澪は美人、キャーキャー言っているファンのコ達も美人。この歪みは何なのか。澪と佐々木さんの差を分けたのは何だったのか―――と、佐々木さんファンの自分は考えていました。
僕はこれを「現実的ではない」「リアリティがない」とは思いません。 “可愛い女のコが出てくる系のアニメ”でしか起こらないことだとも思いません。
現実の「モテ」も実はこういうことだと思うんですよ。
澪は顔が良い。そしてモテモテである。 佐々木さんも顔が良い。しかし(少なくとも作中では)モテている様子はない。
現実でもこういう現象はそこら中で起こっていると思うのです。 「モテ=美形、非モテ=ブサイク」という単純な構図ではないんです。
そんな単純な式で「モテ/非モテ」は語れません。 「モテ/非モテ」って「人が人に何を求めるのか」という統計学的な話なので、マジメに分析し始めると一学問が出来てしまうんじゃないかと思います。
ひょっとしたら既にどこかにあるんだろうか、「モテ」学。 何だか「モテるようになりたい学生」が集まってきそうな学問ですね。
○ 「秋山澪ファンクラブ」が出来た理由 『けいおん!』原作もしくはアニメ1期を観ている人にとっては今更なことでしょうけど、2期からアニメを観たという人もいますし、『けいおん』観たことないけどこの記事を読んでくれているという人もいらっしゃるでしょうから解説します。
澪って多分、小学校・中学校の頃は目立たないように目立たないように生きてきたんだと思います。 初期の言動からはそうした過去が垣間見えていましたし、ベースを選んだのも「ギターに比べて目立たなくてイイから」でしたもんね(笑)。
でも、1年目の文化祭ではボーカル候補の唯がノドを痛めてしまったため、“仕方なく”ボーカルとして最前線に出て行くハメになって。結果、その文化祭での大成功とほかほかごはんによって、澪は一躍校内の有名人になり、ファンクラブが出来たのです。
梓「これって、一昨年の学園祭のDVD……」 律「そう!一昨年のライブと言えば…」 ムギ「澪ちゃんを一躍スターダムに押し上げた、あの…」 律&ムギ「伝説の」 澪「思い出させるなっ!」
2期25話「企画会議!」での会話。 澪がスターになったのはあのライブがあったからで、逆に言うとあのライブがなければ澪は(それまで通りに)平穏な日々を送れていたはずなんです。おのれ、唯め!グッジョブ!
たった1日でスターになった澪ですけど、当然「文化祭の前の日」と「文化祭の後の日」で劇的に何かが変わったワケではありません。(もちろん内面は成長しましたけど)以前から美人で、以後も美人なんです。でも澪を取り巻く環境は劇的に変わりました。
当たり前のことを敢えて大文字で書きます。
「モテているかどうか」を決めるのは、本人ではなくて周りなんですよ。
キャーキャー言われている澪でなく、 キャーキャー言っているファンクラブの人達がいてこそ「澪はモテている」と言えるんです。
ハンカチ王子だってスターになったのは4年前の甲子園があったからですが、当然それ以前から彼は美少年でした。美少年なだけではスターにはならず、スターになったのには“何をしたか”の方が重要だったのだと思います。 もちろんそこに“素材”の要素が全く影響していないとは言いませんけど、“素材”だけではスターになれませんし、功績次第では時として“素材”を補うスターになったりするのです。名指しするのは失礼なのでしませんけど、5打席敬遠された人とか……ゴニョゴニョ
『けいおん』に話を戻します。 面白かったのは2期になってから登場してきた1年生達の反応。 恐らく彼女らは2年前の文化祭なんて知らないのですが、曽我部先輩が残した「澪ファンクラブ」によって、2年前を知らない1年生達にとっても澪は“スター”なんですよ。評価が更なる評価を生む、言っちゃえば、桜高時代の澪は「バブル」状態なんです。
もちろん澪は最初から美人だし、それなりの評価を受けても不思議はないし、実際にその後に功績を残しているのだけど(ロミオとか)―――澪への評価の止まらなさ具合は、女子高という閉鎖空間独特の「一人歩き」感を覚えなくもなかったりします。
ぶっちゃけた話…… 現実世界でキャーキャー言われているアイドルとか俳優さんとかでも、「顔だけだったらそんなじゃね?」って人もいますよね。「顔だけならこっちのコの方が可愛いのになぁ」的な。でも、“スター”になるかどうかはそういうことではないんだと思うのです。
“本人”がどうというよりも、周りがそこに価値を見出すことによって「評価が膨れ上がっていく」感覚。閉鎖的なファンコミュニティほどそういうことが起こりやすいと思うんですけど……別に、今、俺、どこの業界がどうとかそういう話はしていないよ!マジで!深読みすんな!
○ 「俺がモテナイのは俺のせいじゃない!俺の魅力に気付かない女どもが悪いんだ!」 「魅力に気付かない」うんぬんはさておき、「マーケットのせい」というのは実は結構あるよなーと思うのです。小学校・中学校時代は目立たないように生きていた澪が、高校時代にバブル状態のスーパーモテエリートになったように―――モテるかどうかは周りの環境によって変わるのです。
まぁ、澪はあの連中と仲良くしている限り、大学でも同じような目に合いそうですけど(笑)。
これ、男女ともに当てはまる話ね。 中学校の頃には「非モテ」だった人が、高校に入ったら「モテ」になっていた―――みたいな話は。もちろん本人の努力もあるのかも知れませんが、「マーケットが変わった」ことでフラットな位置で評価されて改めて魅力に気付かれるってことなんだと思うのです。
ぶっちゃけた話……中学校レベルだと、“どのグループに属しているか”がモテ度に直結したりしますからね。顔だけならそこそこ格好イイor可愛い人でも、異性と交流のない暗めの友達グループにいると、なかなか声をかけづらかったりで。潜在的には隠れファンがいるのに、実績としては非モテになっているみたいなことがあります。
そういや、オイラの中学のクラスメイトにもそういうコがいたのだけど、たまたまそのコの高校の文化祭で会ってすげー明るくなっていてビックリしたことがあったっけ。 見た目はそのまんまだったんですけど、積極的に話しかけられて「え?半年前とキャラ違ってね?」と驚いたのです。環境が変わると、人は変わるんだなーと思ったものでした。きっと高校ではモテているんだろうなーと。
ウチの地元は、小学校→中学校が同じメンツだったので。 「一つのマーケット」で完結しちゃっていたので、そこで評価されないことで、本来モテ側のポテンシャルを持っているにも関わらず「私はモテないんだ……」と思い込んでしまっていたのかも。中学生くらいだと自分のモテポテンシャルなんて分かりませんものねー。
中学校・高校・大学・社会人、その間でもバイト先とか趣味の交友関係とか、色んなところに進出すると……それまでモテなかった人が、「あれ?ここでは自分はモテ側なんだ?」となることが結構あるんですよ。周りを見ていると、「あ、コイツあっち側に行っちゃったな」と思う瞬間というか(笑)。
なので、今現在「モテナイ」と自分のことを思っていらっしゃる人も――― なるべく色んなマーケットに進出してみると、何かが変わるかもって思うのです。
どこかにアナタが「モテる」場所があるかも知れませんよ!!
それでもどこにもなかった時は、「ようこそ!こちら側へ」と仲間として迎え入れてあげるよ!!(笑)
[記事URL]
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| 「モテナイエリート」と「ライトモテナイ」 |
元ネタ。
“ゲームをする人”と一言で言っても様々なタイプの人がいるように…… “モテナイ”を自称する人にも様々なタイプの人間が出来ましたよね。
言ってしまえば、“モテナイ”人口の拡大。 もう一歩踏み込んで語れば、「モテナイ」という言葉が随分と軽く使われるようになったなと思います。
それ自体は別に悪いことではありません。 「ゲームやってるよ」と言っただけで「うわ」「ヲタクだ」「近寄りたくない」と思われた時代よりも、ゲーム人口が拡大したことにより、気軽に「ゲームやってるよ」が言えるようになった時代の方が幸せじゃないですか。それがソーシャルゲームだったとしても別に構わないと思います。
だから――― 「俺、モテナイんだ」「私、モテナイんだ」と気軽に言えるようになることって大事だと思うんですよ。“モテナイ”ことは何にも悪くない、そんなことで人生は下らなくなったりはしないし、“モテナイ”ことでしか得られないものはたくさんあります。
“モテナイ”=人生の墓場みたいな偏見をなくすためにも、「モテナイ」という言葉が気軽に使われることは悪いことではないと思っています。むしろありがとう。もっと使っていきましょう。
We are Motenai!
(関連記事:「彼女はいません」が恥ずかしくない社会へ)
しかしです。 「モテナイ」という言葉が軽く使われるようになったことで、「モテナイ」の定義が広がってしまい、「俺、モテナイんだ」「俺も俺も」と言った際に2人の言っている「モテナイ」の次元が全然違うというのはよくあることです。最近草サッカーを始めた人と、サッカー日本代表の人が、どっちも「サッカーやってる」と言っているようなもの。
恋人とか奥さん(or旦那)がいる人が「モテナイ」を自称すると、ガチで半端なく「モテナイ」僕らからすると「アナタはそれ以上モテてどうするんですか?」と言いたくなるものですもの。
(関連記事:ぼくたちが望んでいることは本当に「モテたい」なのだろうか?) (関連記事:「100打数1安打」と「100打数0安打」と「0打数0安打」)
ですが、「モテナイ」という言葉の定義を考えれば、それが必ずしも間違っているワケではないというのも確か。100打数1安打の人は「100打数50安打」くらいにならないと「モテている」と自分では思わないでしょう。言葉の定義としては別に間違っていません。
ならば、新しい言葉を作ればイイじゃないか。 それが「モテナイエリート」と「ライトモテナイ」。
これで今まで僕らが抱えていた多くの問題は解決だねっ!
※ 分かりやすくするために、「女性からモテたいモテナイ男」というケースで書いています。
【ライトモテナイの基準】 ・同時期に複数の女性から告白されたことがない ・可愛いコ・気になっている女性から告白されたことがない ・こちらから告白した場合の成功率が50%以下 ・彼女がいない期間が人生の中で結構長い ・女子の間では特に話題にならない程度の存在感 ・自分のことを「イケメンじゃない」と思っている ・「イケメンだったらモテモテの人生だったろうになぁ」と思っている ・女性から声をかけられると「フラグキタコレ!」と早合点する
【モテナイエリートの基準】 ・女性から恋愛感情を持たれたことがない ・可愛いコ・気になっている女性とは目を合わせてもらえない ・こちらから告白した場合の成功率は0% ・人生=彼女がいない期間である ・女子の間では、「付き合いたくない男子」の筆頭に挙げられるくらいの存在感 ・自分のことを「ブサメン」だと思っている ・「顔だけイケメンになってもどっちにしろモテナイんだろうなぁ」と自信満々 ・女性から声をかけられると「今度はどの詐欺だろう」と早合点する
We are Motenaiélite!
[記事URL]
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| 血の繋がっていない女性に「お兄ちゃん」と呼んでもらう方法を考える |
「血の繋がった妹など要らん!」
妹キャラについての考察は随分前に書きました。 2年前の記事を今読み返してみると、「別に僕は自分が「お兄ちゃん」と呼ばれたいワケではない」と思いっきり書いてあるのだけど。
(関連記事:妹キャラは誰の妹?)
今の心境を書きますと、 妹のいない男は、可愛い女のコから「お兄ちゃん」って呼ばれてみたいものですよね! いや、まぁ……矛盾しているというか、2年も経てば人の心は変わるというか(笑)。
実は僕は「妹が欲しい」と思ったことは人生で一度もないんです。基本的には僕は僕のことが嫌いですから、こんな遺伝子は滅べばイイと思っているのに、遺伝子の近い女子が近くにいたりしたら激しく嫌悪するだけだと思います。「コイツ、俺に似て顔が気持ち悪ぃなあ」と。
ただ、最近ちょっと伊集院さんのラジオを聴いていて「あれ?別に血の繋がった妹がいなくても、兄と妹の関係になることってあるんだな」と考えました。そうすると、血の繋がっていない女のコに「お兄ちゃん」と呼んでもらうのも、何となくロールプレイ感というか背徳感が出て、何かグッと来るなぁ!と思い始めたのです。
【血の繋がっていない女性に「お兄ちゃん」と呼んでもらう方法】
1.親同士が再婚することで、互いの連れ子が兄妹になるパターン 王道の『みゆき』パターン。 あだち充御大の「そんな都合良い展開があって溜まるか!」というパターンではあるんですけど、つい先々週辺りの伊集院さんがラジオで面白い分析をされていました。
・今の時代、伊集院さんが子どもだった時代よりも離婚率は上がっている ・連れ子同士が兄妹になるケースも増えているはず ・『みゆき』のように、その“血の繋がっていない妹”が「抜群に美人」という可能性は低いだろうけど ・ぶっちゃけ「抜群にブス」じゃなきゃ、“女”として意識しちゃうよな!!
離婚件数/結婚件数の数字の変遷をグラフにしている記事がありました。 再婚率や「連れ子を伴っての再婚」率が分からないと何とも言えないのですが、離婚率はとりあえず伊集院さんの子ども時代より3倍近く跳ね上がっていることが分かります。その分だけ、連れ子同士が「兄妹」になる可能性も上がるはず!
しかし、この方法は実行可能な人が限られていますよね。 ウチの両親は両方健在な上に、別れる気配もありません。まさか「俺に義理の妹を作るために離婚して、美少女を娘に持つ親と再婚してくれ」と頼むワケにもいきません。そして、俺は新しい家庭と同居するのかよって話ですし。
2.弟のお嫁さん 兄弟姉妹の配偶者は「義理の兄弟姉妹」になります。 例えば、ウチの兄貴の嫁さんは、自分から見ると「義理のお姉さん」のはずです。
ということは、弟の嫁さんは自分から見て「義理の妹」になりますし。 弟の嫁さんから見れば自分は「義理のお兄さん」になります。
「お兄ちゃん」と呼ばせることだって出来るはずじゃないですか! 俺、弟いないんだけどっ!!
3.お嫁さんの妹 いや、そもそも「自分で行動できない」パターンなど無意味なのだよ。 ここからは自分の努力次第で実現可能なパターンを考えていきたいと思います。
『化物語』「まよいマイマイ」にて、戦場ヶ原ひたぎさんが仰っていた「ソロレート婚」。 これは元々、結婚によって結びついていた両家の関係が、片方の死によって断ち切れてしまうのを防ぐ習慣で。逆バージョンは「レビラト婚」と言うそうなんですが……
この文化的習慣を戦場ヶ原さんなりの説明にすると――― 姉妹の姉の方と結婚することで、妹の方とは「義理の兄妹」の関係になり、自分のことを「義兄ちゃん」と呼ばせる。その後、何だかんだあって姉の方が死亡してしまうのだが、両家の関係を断絶させないためにも妹の方と再婚する。そうすると「夫婦」であるにも関わらず、「義兄ちゃん」と呼んでくれるお嫁さんになる。
まぁ、後半の方はさておき(笑)。 姉妹の姉の方と結婚することで、妹に「義兄ちゃん」と呼んでもらうというのはアリですよね!
日本一モテない男である自分が“姉妹の姉の方と結婚することで”とかサラッと書いているのはどうかと思うけどな! つか、結婚できるくらいのリア充だったら、「お兄ちゃんって呼ばれたい」なんて思わないんじゃないのか!?どうなんだ?人間の欲望はそこまで底なしなのか!嫁も妹も欲しいとかぬかしやがるんですか!
4.「桃園の誓い」を立てる 「同年、同月、同日に生まれることを得ずとも、願わくば同年、同月、同日に死せん事を」
Wikipediaより抜粋。 『三国志演義』に登場する劉備・関羽・張飛は血の繋がった実の兄弟ではありませんが、同じ志を持つ者同士で意気投合し、盃を交えて義兄弟の契りを立てたと言われます。
兄妹にだって、血が繋がっていなくともなれるはず! 志をともにすれば!!
このブログを読んでいる女性読者は、僕のことを「お兄ちゃん」と呼べばイイと思うよ! 男性読者は呼ぶな!気色悪い!!
5.自分のニックネームを「鬼」と言い張る こんな話をTwitterで書いていたら教えてもらった話。 元々はバナナマンの日村さんが、ドラマで共演する上戸彩さんに「お兄ちゃん」と呼んでもらうために何をすればイイのか――という話から出てきたアイディアだとか。
検索してみたら、この回の『バナナムーン』の内容をまとめているブログがありました。
日村さんの企みは確か失敗したんだったと記憶しているのですが……みんながフツーに自分をこう呼んでいるよ、という雰囲気を出すというのは良い手なのかなと思います。 例えばこのブログを読んで下さる方々、Twitterで交流する方々は、自分のことを「やまなしさん」「やまなし氏」と呼んで下さります。でも、これは自分の本名じゃなくて、何となくで付けたペンネームですもの。本名でもない名前を当たり前のように呼んでくれるワケです。
なら、ペンネームを「おに レイ」にしておけば……!
「おにさん」と呼ばれる→徐々に「おにちゃん」と呼ばれるようにシフト→もはや「おにいちゃん」と呼ばれているのとほぼ一緒だ!!
ちょっと話変わりますけど…… 例えば自分に好きな女のコがいたとして、そのコが“血の繋がっていない男”を「お兄ちゃん」と呼んでいたとしたら――――正直かなりドン引きですよね(笑)。その女のコは何とも思ってなかったとしても、呼ばれている男の方は絶対アレな感じですって。「ヤレる!」って思ってますよね。
こんなことを書いたら、誰も僕のことを「お兄ちゃん」と呼んでくれないんじゃないだろうか(笑)。
とりあえず現実的に出来る方法として、平沢唯と結婚して、憂から「お兄ちゃん」と呼んでもらうことを妄想して寝ることにします。
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