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| アイディア勝負の作品は怖くて作れない |
消費者の立場では好き勝手に、「どこででも見たことのないような斬新な漫画が読みたい」とか、「アイディア勝負の奇抜なゲームが遊びたい」とか言ってしまうものです。 漫画でもゲームでも映画でも音楽でも小説でも、たくさんの作品を知っている人ほど「斬新なもの」「画期的なもの」「アイディア勝負なもの」を欲していくんじゃないかと思います。自分も、消費者の立場では気楽にそんなことを言っていましたし、言ってしまいます。
じゃあ、作る立場に立って、誰も描いたことのない「斬新な漫画」を描けばイイじゃない―――
漫画を描き始めた頃は、確かにそんなことを思っていました。 「漫画を描いたことのない人」は、「斬新なブログ記事」にでも置き換えて読んでください。誰もやったことのない、自分だけが切り開いた”斬新な作品”を目指したいとは誰もが考えることだと思うんです。むしろ、それがなければ始めようとしないでしょうし。
しかし、「斬新な作品」を実際に作ろうとするのは難しいんです。 だって、この世界には無数の漫画が既にあるんですもの。「誰もまだ切り開いていない斬新な作品」を生み出すためには、既にあるそうした作品達を全てチェックして、その上で誰もやっていないことをやらなければいけないのですが―――当然、そんな無数の作品をチェックすることは時間的に不可能です。
「漫画を描く」には膨大な時間がかかりますから、世に溢れている無数の「漫画を読む」時間なんてありません。ゲームも映画も音楽も小説もブログ記事もそうでしょう。作る時間がかかればかかるほど、世に溢れている他の作品をチェックする時間は削られます。
いや、仮に世に溢れている他の作品をチェック出来たとしても結果は一緒なのかも知れません。 「俺の知らないところにまだ作品はあるのかも知れない……」「俺が作っている間に、同じようなものを作っているヤツがいるかも知れない……」
「アイディア勝負の作品」を作ろうとすると、ずっとこの不安に取り付かれるのです。 「果たしてこれは本当に“斬新なアイディア”なのか?」と。似たような作品が実は存在するんじゃないのか、今はまだ存在していなくても俺より1日早く発表するヤツがいるんじゃないか。
どんな作品だってそうです――― 登場人物全員がいきなり自殺する漫画を描いた時ですら、「なんて斬新な作品を思いついちゃったんだ俺!天才!」→「こんな面白いアイディアを俺以外の誰も思いつかないもんか……?」→「うわああああああ!こんな作品、誰かが描いているに決まっている!!」→「俺なんかが描いたところで意味なんてないよな……」→「死のう」と思ったもんです。
重要なのは「こんな面白いアイディアを俺以外の誰も思いつかないもんか……?」の部分ですね。 アイディアに自信があればあるほど、自分以外も考えているだろうと思ってしまうもので。
なので、「アイディア勝負」ではなく「クオリティ勝負」の作品が増えるのも、自分がその立場に立って考えるとすごくよく分かるんです。
ゲームや映画の続編モノとか、アニメの2期とか――1作目が持っていた「アイディアの斬新さ」ではなく、「クオリティ」を上げることで勝負しているような作品を自分はあまり好きじゃないんですけど。そういう作品が生まれる理由は分かるんです。
短編漫画はまだ数ヶ月単位で完成しますけど、ゲームも映画もアニメも完成までに年単位がかかっちゃいますからもっと事態は深刻ですね。「斬新なアイディアだ!」と作成がスタートしても、完成した頃には古臭くなっていることも多いでしょうし、「アイディア勝負」で押し切るのは更に難しいでしょう。
(関連記事:違うんだ!パクったんじゃない!たまたま同じ電波を受信しただけなんだ!)
ということで、「アイディア勝負の作品」ってある程度の土壌がないと難しいんだろうなと思うのです。「低予算で作れる」とか「短期間で作れる」とか「ビジネス的に失敗しても取り返しが効くくらいの蓄えがある」とかの条件の業界でないと、アイディア勝負の作品はなかなか生まれてこないんだろうな、と。
(関連記事:漫画はお金がなくても作れるエンターテイメント)
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| 上手くなりたいと願えば願うほど、早くはなれない |
絵を描き続ければ、絵が上手くなって、描くのも早くなって、漫画1本を完成させるのも早くなるんだと思っていました。
絵が上手くなったとは自分では思えないのだけど(これは理由を書くと長くなるのでまたの機会に)、確かに「同じ絵ならば」描くのが早くなりました。でも、早くなればなるほど「同じ絵」では納得できなくなるんですよね。
特に自分のように「絵が描けない」というところからスタートした人間は、「1年前よりも今日の方が上手く」「今日よりも1年後の方が上手く」なりたいという向上心を持つものです。「1年前と同じ絵」ではダメだと思うから、1年前よりももっと時間がかかる絵―――線数の多い絵や難しいポーズの絵ややたら人数の多い絵などなどを描こうとして、結果1年前よりも時間がかかってしまうという。
もっともっと上手くなれたら、「それなりの絵」に納得して質よりも量を重視できるようになるんじゃないか?とも思うのですが。1年前も2年前も3年前も4年前も5年前も思っていました。「いつかはきっと」と。 でも、いつまで経っても自信なんてつかないから、現在でも「それなりの絵」ではダメだと思ってしまうし、常に「120%の絵」を目指してしまっています―――結果、ちっとも早くなっていません。
時間はかけようと思ったら無限にかけられるし、 時間をかけた分だけ目に見えてクオリティが高くなるし、 クオリティを高くしようと思ったら永遠に終わらないんです。
だから―――どこかで「ここまでだっ!」と見切らなければならない。 漫画に限らず、映画やゲームなどの娯楽作品ももちろん、何かの新商品とかだってそうだと思います。言っちゃえばブログだってそうだと思います。いつだってモノを生み出すのは“時間との相談”なんです。
「個人」でやる分には自分でその「ここまでだ」のラインを決めれますけど、「組織」でやる分にはある程度の納期が必要で―――それはどちらにもメリット・デメリットがありますね。無尽蔵に時間がある方がイイのか、ある程度の締め切りがあった方がイイのか。 人数が多ければ多いほど制作期間が延びると人件費(制作費)が膨れ上がっていくワケで、赤字にならないためには価格に転嫁されてしまうという話は、“電子書籍”とか“ダウンロード販売のゲーム”の話にも通じるかも知れませんね。
自分も、受け手の立場で作品に触れる際――― 例えばゲームをプレイしていても「ここにこういう機能があれば良かったのに」と思ってしまうし、それをつい書いたりしてしまうんですけど。
作り手の立場で、自分の描いたものに「ここにこういうシーンがあったら良かったのに」と言われると、「そのシーンを描くのにどれだけの時間がかかると思ってんだっ!!!!」とか言いたくなってしまうワケで(笑)。
そこも含めて「この作品はここまでだっ!」という見極めのラインの問題なんですよね。 これだけのものを作るにはこれだけの時間(予算)が必要だから、どこを優先してどこを切り捨てるか、結果して見てくれる人がどのくらい満足してくれるのか。
「好きな作品」と「素晴らしい作品」は別の論理で言うと―――素晴らしい作品はある程度の時間と予算をかけてクオリティを上げなければ出来ませんけど、好きな作品は“自分に直撃するか”なので必ずしもクオリティが高いものってワケじゃないですしね。
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| 「いっけない〜!遅刻遅刻〜!」テンプレの秀逸さを学ぼう |
ぶっちゃけマジメにやっているのは見たことがないし、元ネタが何かも分からないのですが。 「ベタな少女マンガのオープニング」として、パロディとかでよく使われる一連の流れがあるじゃないですか。
 1.うっかり遅刻しそうになった少女が、急いで学校に向かう。 パンをくわえたまま走り出すというケースが多い。
 2.曲がり角で見知らぬ男子と衝突! 勢いあまってケンカになってしまうが、遅刻しそうなことを思い出して捨て台詞を残して去る。
 3.「あー、間に合って良かった」とほっとしていると、先生から転校生の紹介が始まる。 少女「えー!今朝ぶつかった男子が転校生だってー!?」 男子「お、お前は今朝の女……!」 先生「何だ、お前達知り合いなのか。じゃあ男子くんは少女の隣の席で色々と教えてもらいなさい」 少女「うわー、最悪だー」
実際に大マジメにやっている作品は見たことはないんですけど。 「ベタなシチュエーション」として、1番だけとか、3番だけとか、部分的に使われているのはよく見ます。実はこのテンプレ、物語のオープニングとしてものすごくよく出来ているんですよね。
 1.遅刻しそうになっている少女。 この時点で少女のキャラクター(ドジっこ、せわしない、落ち着きがない、等)を描くとともに、「走って学校に向かう」ことで物語に躍動感を生んでいます。 時間通りに起きて、時間通りに落ち着いて家を出て、ちゃんと定められた時間に学校に着く、というちゃんとした主人公ではないことで―――「これから先もこのキャラには色んなことが起こりそう」と読者をワクワクさせてくれるのです。
また「家」というプライベートな空間から、「学校」という公的な空間への切替を描くことで、主人公の日常を見せることが出来ます。 “1番だけを部分的に使っている作品”で言えば、『けいおん!』アニメ1期の第1話や、『魔法少女まどか☆マギカ』の第1話でも似たようなシーンがあるのですが……どちらの場合も、朝を描くことで主人公の家庭環境を見せていましたよね。
 2.男側メインキャラの登場シーン。 その辺をただ歩いているだけの登場シーンならば、読者にとっても少女にとっても印象に残りません。事件とともに登場することで記憶に残りますし、「この人は特別な人なんだ」と思わせることが出来るのです。
キャラクターの描き方としても、最初に最悪な状態を見せておくというのも一つの手です。「不良が犬を助けているとギャップが生まれる」みたいな話で、最初にケンカしている姿を見せて「イヤな男だな…」と読者にも少女にも思わせておいた方が、後々の展開で「あれ……でも、コイツ悪いヤツじゃないかも……」と思わせることが出来ますよね。
セオリーとしては、この時点で「少女の感情」と「読者の感情」をイコールに繋げておく手法がよく使われますが。逆に、ここで少女側に突飛な行動を取らせて読者に「少女もキャラクターの一人」と思わせる手もありますね。 いずれにせよ、ここまで読んだ時点で「この作品ならではの独自性」が見えてくると思います。
 3.新たな日常の開始。 1番が「日常」、2番が「非日常」ならば、3番から「新しい日常」が始まります。
転校生というシチュエーション自体が、「昨日とは違う日常が今日から始まる」象徴のようなものですし。1番の段階で「日常」の様子を、2番の段階で「非日常」の様子を描けていればいるほど、転校生の存在による変化が楽しめるようになるのです。
そう言えば、『ギルティクラウン』の1話・2話・3話はまさにそんなカンジでしたね。 1話(終盤まで)が「何も出来ない日常の回」、2話が「何かを成し遂げてしまった非日常の回」、3話が「それによって始まる新しい日常の回」。
大多数の読者は「日常」の中に生きています。 そんな読者に「非日常」を体感させてあげられるのがフィクションの世界なのだから、読者のみんなが生きているような「日常」から始まって地続きに「非日常」へと展開させていく、というのが一つのセオリーになります(もちろん、読者に感情移入を敢えてさせないというセオリーの“裏”もあるんですけど)。
この1番・2番・3番が「序破急」と違うのは、ここで完結するのではなく、「4番以降を楽しみだと思わせられるか」に本当のポイントがあって―――ここ自体を楽しませることだけでなくて、「これから先も楽しみだ!」と読者に思わせられるかが勝負なんですよね。 そういう視点で考えると、「いっけない〜!遅刻遅刻〜!」の一連の流れは凄くよく出来ているんです。実際に今マジメにやろうとすると「今更こんなことマジメにやるの…?」と思われてしまうだけなんでしょうけど。ベタなものには「ベタになるだけの理由がある」と、見直してみるのも面白いんじゃないかと思うのです。
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| 『ももたろう』はどうして面白いのか |
「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」が「遊び」界のメジャータイトルだとしたら、『ももたろう』は「昔話」界の大メジャータイトルですよね。日本では世界各国からやってきた昔話・童話が親しまれていますが、その中でもダントツの知名度を誇っていると思います。
ひょっとしたら『ももたろう』って日本一有名な“ストーリー”かも知れませんね。 『ドラゴンボール』や『ガンダム』ですら、『ももたろう』の知名度に比べたら“一部の人しか知らないマイナーな作品”でしかないんですよ!
「好きか嫌いか」は置いといて…… この作品がこれだけ日本中で知られているのは、多くの人から「面白い」と思われているからですし、これだけ多くの人からそう思われるのは「素晴らしい」完成度の高さがあるからだと思うのです。 何故、僕らは『ももたろう』を「面白い」と思うのか―――分析してみる価値はあるな。といった理由で、『ももたろう』のストーリーを分析してみることにしました。
なお、この記事では『ももたろう』の簡単なあらすじとともに分析した文章を載せるため、『ももたろう』のストーリーの重大なネタバレを含みます。未読の方はご注意くださいな。
1.昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。 おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。
恐らく日本一有名な「ストーリーの出だし」の文章でしょう。 たった一行で設定説明を済ませてしまう「昔々あるところに〜」も凄いのですが、自分が注目するのは“日常描写”です。特に「洗濯」というフレーズは小さな子どもでも知っている作業で、この物語世界の住人も自分達と同じように日々の生活を送っているということが分かるのです。
つまり、この物語は「僕達の日常」と地続きの場所から始まっているんだよと知らしめる効果があるのです。
2.おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃が流れてきました。 家に持ち帰り、おじいさんと二人で食べようとしているとその桃が割れて中から赤ん坊が産まれたのです。二人はその赤ん坊に「桃太郎」と名付けて育てることにしました。
「僕達の日常」から一転、「非日常世界からやってくる主人公」の登場シーンです。 強烈な印象が残る登場シーンであることともに、桃から産まれるという「なんじゃそりゃ」な出自ということで、この主人公は普通とは違う特別な存在なことが分かります。
今の言葉で表現するならば、「厨二病」的設定の特別な主人公ということになります。 生まれながらにして特別な運命を背負い、生まれながらにして他とは違う選ばれた存在なんです。 大人からすると恥ずかしい「日本一」という幟を堂々と掲げられるのも、この作品が「厨二病的作品」だと考えると納得が出来ますよね。
また、「桃から産まれたという独特の設定」と「キャラクター名としての桃太郎」と「作品名としての『ももたろう』」がイコールで繋がっている点も見逃せません。 これが「桃から産まれた“たけし”という主人公が活躍する『鬼ヶ島道中記』」という作品だったら、これだけの大ヒット作品にはならなかったことでしょう。『ももたろう』という作品は非常にシンプルかつキャッチーな要素で構成されている作品だと分析できるのです。
3.成長した桃太郎は「鬼が人々を苦しめている」ということを知り、鬼ヶ島へ鬼退治に向かうことにしました。おばあさんは旅立つ桃太郎に、手土産として「きび団子」を持たせました。
桃太郎の旅立つ理由。ここで「悪い鬼をやっつける」という明確な目的があることが大きいです。 「鬼には鬼の事情があるのでは」とか「人々の方にも非があったのではないか」という描写は、大人読者にとっては深みが増す描写かも知れませんが、子ども読者にとってはあまりテンションの上がるものではありません。 また、『一寸法師』のように「なんか俺、立派になりたいから都へ行くよ!」というアバウトな目標で出発されても、自分探しの旅などしたことのない子ども読者としては感情移入がしにくいのです。
「鬼=悪いやつ」「人々=かわいそう」「桃太郎=それを助けようとするカッコイイ人」くらいのシンプルな構造だから、この作品は万人が楽しめる大ヒット作品になったのです。
また、ここでおばあさんが「きび団子」を渡すのも重要です。 当然これが後に犬・猿・雉を仲間にするキーアイテムとなるので、言ってしまえば「伏線が張られた」状態です。 「きび団子」なしで犬・猿・雉が仲間になるのでは「御都合主義だなー」と読者に思われてしまいますし、それを渡す人物が“生まれた時から桃太郎を育てていたおばあさん”という読者にとってもなじみのキャラクターだというのが大きいです。
それに加え、「きび団子」は物販品にもなります。 『けいおん!』の作中で登場人物が歌った歌がCDになって発売されるとか、『タイガー&バニー』の作中でブルーローズが実在の炭酸飲料を飲んで宣伝をするように―――読者が『ももたろう』に出てくる「きび団子」を食べたい!と思うことで土産品店の経営が潤うという効果があるのです。作品と商品のタイアップの“先駆け”とも言える要素ですね。
4.桃太郎は道中、犬・猿・雉に出会い、それぞれに「きび団子をくれたら家来になってあげるよ」と言われました。桃太郎はそれぞれにきび団子を与え、犬・猿・雉とともに鬼ヶ島を目指すこととなりました。
漫画家を目指している人ならば、一度は編集者さんに「キャラクターを削れ」「余計なシーンが多すぎる」とダメ出しをされたことがあるでしょう。キャラクターの多さは読者を混乱させますし、余計なシーンは退屈なだけです。
桃太郎が犬・猿・雉を仲間にするシーンは一見すると「余計なシーン」です。 ストーリーラインだけを見てみると、犬・猿・雉は登場しなくてもストーリーに影響がないんです。本来なら削っても構わない場面なんです。なのに、削られることなく「『ももたろう』と言えば犬・猿・雉」と定着しているんです。
何故なら、桃太郎というキャラクターは「生まれつき特別」「選ばれた存在」な主人公なため、読者からすると人間味を感じられず、あまり感情移入ができないんです。「厨二病的主人公」としてのメリットがあった一方で、デメリットも背負ってしまったのです。
そこで、犬・猿・雉の出番です。 『ドラゴンボール』でクリリンに感情移入する人が多いように、『ダイの大冒険』でポップに感情移入する人が多いように―――「特別な存在」としての主人公の横で。「特別ではない、どこにでもいる存在」としてのサブキャラクターが頑張ることで読者は勇気をもらえるんです。ポップ系のサブキャラクターの原点は「犬・猿・雉」にあるんです!
また……これは「鬼」や「おじいさん」「おばあさん」にも言えることなんですが。 『ももたろう』という作品に出てくるキャラクターは、桃太郎以外は「犬」「猿」「雉」とキャラクター名を持たないんです。「犬」は「犬」、「猿」は「猿」。『ももたろう』に出てくる「犬」はこの犬しか存在しないのですが、ポチでもジローでもジョンでもなく「犬」であるために、読者があらかじめ何となくの「犬のイメージ」を持つことができるのです。
極端な話、ここで仲間になるのが「犬・猿・雉」ではなく村の人間や旅人だった場合、「桃太郎以外のキャラクターも掘り下げなくてはならない」という面倒なことになってしまいます。昔話のサブキャラクターに動物が多いのは、こういう理由なのかも知れませんね。
5.とうとう鬼ヶ島に着いた桃太郎一行!
話が前後してしまいますが…… 「鬼ヶ島」というロケーションとネーミングも素晴らしいですよね。
「島」であるために、「桃太郎が育った村」と「鬼の本拠地である島」は別の場所であることが分かるのです。しかも、「おじいさんが山へ柴刈りに、おばあさんが川へ洗濯に」という冒頭の描写があるため、何となく「山から川が海になるまでの距離を歩かなくてはならない」という距離を感じることが出来るのです。
ストーリーを紡ぐ時、この“距離”を描写するのは非常に難しいです。 Googeleマップを見せて「こんなに歩いたんですよ!」と見せるワケにもいきませんからね。
そこを、「山」から「海」という表現であっさり描写しているというのは流石です。
6.何だかんだで桃太郎一行は鬼を倒しましたとさ、めでたしめでたし。
さて、この『ももたろう』という物語。 「鬼ヶ島に着く」まではかなり細かいディティールで中身を覚えていると思うのですが、「どうやって鬼を倒したのか」は覚えていないものですよね。これは絵本や語り部によって、省略していたり細部が異なっていたりするからじゃないかと思います。
しかし、その一方で。結末だけは皆が覚えていますよね。 僕もそれなりに長い人生を生きてきましたが、「『ももたろう』って最後どっちが勝つんだっけ?」と言ってきた人とは未だかつて一人も出会ったことがありません。『ももたろう』という物語を知っているほぼ全員が、「最後は桃太郎サイドが勝つ」と覚えているんです。
これって結構凄いことで…… 自分は実は『きんたろう』とか『かぐやひめ』の結末を覚えていません。『こぶとりじいさん』や『はなさかじいさん』なんかも、「何となくこんなカンジだったかな……」という曖昧な記憶しかないんです。
人間は「どっちが勝ったか」は覚えるものです。 『ももたろう』もそうですし、『さるかに合戦』も「どっちが勝ったか」皆さん覚えていますよね。
しかし、「どう勝ったか」の部分は実はどうでもイイのです。 前述の『一寸法師』や『さるかに合戦』は緻密な伏線が張られた知的バトル描写が魅力の昔話だと思うのですが、それゆえに『ももたろう』よりも上級者向けで「人を選ぶ」のです。
こうやって分析していくと、『ももたろう』という作品は現代の漫画やアニメの“一つのテンプレ”の原型になっていることが分かります。 かくいう自分も、昔描いた漫画に『ももたろう』と非常に似た構造の作品がありました。もちろん描いた当人は意識していなかったのですが、子どもの頃に読んだストーリーから「王道と言えばこんなカンジだろう」と根っこに染み込んでいたのだと思います。
そういう視点で考えると、『ももたろう』の完成度の高さ・ムダのなさは目を見張ります。 数ある昔話の中でもトップクラスの知名度を誇るのも納得です。
しかし、一方で「王道になりすぎたからこそ“一番好きな昔話”には挙げづらい」という哀しい側面もあると思います。映画でも音楽でも小説でも「一番好きな○○は?」と質問された際、そこで挙げるのは「自分だからこそ好きな作品」になると思うのです。
合コンで「一番好きな昔話は何ですか?」と訊かれた時、『ももたろう』とは答えにくいですよね。
「俺、陰湿な復讐劇だから『さるかに合戦』が一番好きかなー」 「私は『シンデレラ』の苦境にもめげずに耐え忍ぶところが好き」 「僕は『つるの恩返し』の、開けちゃダメだと分かっているのにって緊張感がイイな」
ちなみに僕が一番好きな昔話は『うさぎとかめ』です。 「色んな人がいるから世界は面白い」と考えていますから、うさぎと亀がお互いにそれぞれの良さを出し合って戦うところが好きなのです。人じゃねーけど、やつら。
最も有名で、最も「優れている」からと言って、最も「好きな作品」に挙げられるかは別問題。 昔話業界にも言える話なんだなーと思いました。
(関連記事:「好きな作品」と「面白い作品」と「素晴らしい作品」は別)
【まとめ・『ももたろう』の注目ポイント】 ・“日常”→“非日常”へ ・個性的な主人公と、非個性的なサブキャラクター達 ・「鬼を倒す」という明確な目標がストーリーの推進剤となっている ・伏線にも物販品にもなっている「きび団子」 ・「桃太郎が鬼に勝った」という結末が重要
[記事URL]
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| 違うんだ!パクったんじゃない!たまたま同じ電波を受信しただけなんだ! |
投稿用漫画は鋭意制作中でようやくゴールが見えてきた頃です。 しかし、制作終盤に入って気付いたことが一つ……
このヒロインの私服、今放送中のアニメのあのキャラの服にムチャクチャ似ているじゃないか! すげーパクッたみたいになっている!!
僕がこの服のデザインを決めたのは3月なので、4月から始まったアニメはまだ観ていなかったはず。 もちろん公式サイトその他でたまたま見かけて、脳内に入り込んで、いつの間にかそれっぽく描いていたという可能性も否定できないんですけど……… 「そのアニメのキャラの服」と「僕が描いているヒロインの私服」を比べると前者の方がディティールが細かいので、影響を受けるんだったら同等以上のクオリティにしろよボケェ!!と脳内俺に説教をしたい気分です。
いや、でも実際のところ影響を受けた可能性はほとんどなくて。 自分は服屋さんの広告を切り抜いてファイリングしていて、それを参考資料として使うことが多くて……今回のソレもとある服屋さんの広告を参考にして描いたんで、その服屋さんから「パクるんじゃねえ!」と言われたらグゥの音も出ないんですけど(笑)、アニメのキャラの服に似てしまったのはマジで全くの偶然なんです。
と、言うか……… 現実に生きていて、現実の服を参考に描いていたら、こっちの漫画の服とこっちのアニメの服が「たまたま似る」ことだってあっておかしくないじゃないですか!
確か島本和彦先生の『吼えろペン』に、「宇宙からの電波を同時に受信したために同じような漫画が全くの偶然で始まることがあるんだ。パクリじゃないんだ!」という回があったと思うんですけど…… 実際に、世の中の流れを見て、読者に面白いと思ってもらえるものを作ろうと考えたら―――生まれてきた作品が似てしまうという偶然も起こりうる現象だと思うのです。「宇宙からの電波」という壮大な話ではなくとも。
例えば、日韓でのサッカーW杯の前にはサッカー漫画が各誌で連載されたとか。 鬱アニメ全盛の後はカウンターとして日常のキャッキャッウフフアニメが大量に現れるとか。 ポリゴン技術が出てきたら、各社が一斉にポリゴンゲームを出すとか。
もちろん単なる「後追い」で出てきている作品も少なくないんですけど…… 製作期間から逆算すると、「このタイミングで出てこれるってことはパクリじゃないんだろうな」と思うものも結構あるのです。 例えば『まどか☆マギカ』が流行ったからと言って、『まどか☆マギカ』に影響を受けたテレビアニメはもうしばらく出てこないワケです。テレビアニメは3ヶ月で作れるものではありませんから。
そうだ。まさに似たようなことが。 E3で発表されたWiiの後継機「Wii U」について―――あの液晶画面付きコントローラを見れば、多くの人が「iPadのパクリだ!」と思うと思うんですが。「社長が訊く」の1ページ目でいきなり、「僕らはiPadが出てくるよりも前からこのコントローラを考えていたんです」と言っているという(笑)。
僕は『Wii Fit』の「ながらジョギング」(2007年)を知っているのでその延長線上にこの液晶画面付きコントローラがあるのは分かりますけど、この流れを知らない人は「iPadのパクリだ!」と思っても仕方がないですし、モノを作って出すまでの制作期間が長くなればなるほどこういうことは起こっていくんだろうなーと思いました。
閑話休題。 ということでですね。「これとこれは似ている!パクリに違いない!」と言っている人を見ると、作品作りってそんな単純な話じゃないんだよと思うことがしばしばです。中にはホントにパクっているものもありますけど(笑)、言いがかり的なものの方が多いと思いますもの。
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| 近況報告2011年春 |
本日投稿してきました。 今回は色々と考えた末、編集部への持ち込みじゃなくて郵送での投稿にしました。
やまなし史上最長の60ページの作品ということで、今回は長丁場で本当に大変でした。 60ページという物量がどのくらいの破壊力なのかを簡単に説明すると……

これ、「ペン入れした後に鉛筆の線を消すため」専用の消しゴム―――という漫画を描く人以外にとってはなんじゃそりゃな商品なのですが。台形状になっているために一度に広い範囲が消せてスーパー便利な代物です。アナログ派の人にはオススメ!
これが60ページ終えると、↓のようになります。

台形だった頃の面影がまるでありません。
この作業に限らず、全ての作業が「×60倍」ですからね。1ページなら楽しい作業も全て60倍! 「やったー!描き終わったぞー!後はセリフを入れて完成だ!」と思ってから、全てのセリフを入れるのに10時間かかるとか(笑)。
でも、ここまでしてでも「60ページで描きたいもの」があったんです。 これはずっと自分の中に引っかかってきたことで、自分は描くのが遅いから『Re:Survival』の時も『朝が来る』の時も『生き生け』の時も「ページ数を抑えよう」と思って削った要素がかなりあって。結果として、最初のプロットが持っていた“話の深み”のようなものが失われている心残りがあったんです。
もちろん、ページ数を限界まで抑えたから良くなった部分もあるんですけど。 一度、思う存分「俺が描きたいものを全部詰め込んだぞっ!!!」ってものを描きたいと思っていて。今回は初めてそれを実現できた作品だったと言えます。
自分にとって原液のような作品になった分、多分、「今までのやまなし作品を好きだと言ってくれた人達」にとっては楽しんでもらえるんじゃないかと思います。
逆に言うと、それは「スーパーニッチな需要」とも言えて(笑)。 自分や自分を応援してくれてきた人にとっては大切な作品になったけど、少し内向きすぎたかなーと描き終わった今ではちょっと反省しています。もうちょっと「今までのやまなし作品を好きじゃなかった人達」に向けても考えなきゃなってのが今回の反省点で、次はそれを活かさんとなと。
抽象的な話でゴメンなさい。 でもまー、今回のと次回のとを読んでもらえる日がきたら意味が分かると思います。
つーこって、早速今日から“次回作”の準備に取り掛かろうと思います。 お話はずっと前から考えてあるし、今回の作業も終盤「トーン作業」とか「ベタ塗り」「消しゴム」「修正液」といった仕上げの工程が続いていたため「早く絵が描きたい!!」衝動に駆られているのです。
傍から見ると「今朝まで漫画描いていて、もう次の漫画描き始めるの?」と思われるかもですが、漫画制作にも色んな過程があるのですよ。
今回は「時間がかかってでも自分が描きたいものを描く」がテーマだった分、次は「短い期間でしっかり仕上げる」をテーマにする予定です。
まー、その前にボロボロの内臓を休ませるために恒例のプチ断食をしつつ、「前回の作品(昨年の6月に仕上げた作品)」をWEB公開する準備もしなきゃですね。
○ 余談 この記事を書いている間に大きな地震が起こって、偶然にも記事タイトルが紛らわしいものになってしまいましたが、とりあえず自分の住んでいる地域は大きな被害もなかったようで家族も全員無事が確認できました。
五体満足な自分がとりあえずブログで出来ることは「いつもと変わらない更新を続けること」だと思うので、ひょっとしたら「こんな時に…」と思う人もいるかも知れませんが、こんな時だからこそウチのブログは来週から通常更新に戻そうと思います。ではでは。
[記事URL]
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| 俺は水嶋ヒロじゃないし、水嶋ヒロは俺じゃない |
始めに断っておきますと、自分はほとんどテレビを観ない人間なので、水嶋ヒロさんという人がどういう人なのかふわっとしか分かっていません。顔も知りません。検索したら出てくるんだろうけど、先入観なしで書いた方がイイなと思いますんで、この記事を書き終えるまでは知らないままでいようと思います。
なので、自分の中の「水嶋ヒロという人物像」はラジオやTwitterで他の人が評したことのまとめでしかないんですけど、大体こんなカンジ。
・イケメン ・元・超売れっ子俳優 ・元・慶應ボーイ ・サッカーに専念していればJリーグに入っていたくらいの運動能力 ・奥さんは元・超売れっ子歌手 ・愛妻家 ・小説家に転向したら、いきなり賞金2000万円の賞を獲った ・でも、2000万円は辞退
何だこの完璧超人は。 ただ、自分は別に敵意とかは抱かないですね。(本当のところはどうだか分からないのだけど)「愛妻家」というだけで、自分は好感が持てます。「こういう人が増えて欲しい」とすら思います。「イケメン」だからって次々ととっかえひっかえな人の方が、イヤだなーと思います。それがモテナイエリートの自分としての感覚です。浮気ダメゼッタイ。
で。 そんなカンジの自分のスタンスなんですが……彼が小説家として賞を獲った時に、それは彼に対して失礼じゃないか?と言いたくなる様なPOSTがTwitterのリツイートで流れてきて。せっかくだから書いておこうと思います。
曰く、「イケメンには多くの女性が言い寄ってきて恋愛経験が多くなるので、その豊かな人生経験を活かした創作活動が出来る」的なもの。保存とかしていなかったので、何となくでスミマセン。
この言い草は、水嶋ヒロさんに対しても、全ての創作家に対しても失礼ですよ。
恋愛経験は「成功した恋愛」だけで積み上げられるワケではありませんし、 人生経験は「成し遂げたこと」だけで積み上げられるワケではありません。
片想いの人に勇気を出して告白してフラれることも「恋愛経験」ですし、3年間ずっと好きだったけど告白できないまま離れてしまうことも「恋愛経験」です。多くの女性が言い寄ってくるイケメンにはイケメンの「恋愛経験」があって、50人にフラれた桜木花道には桜木花道の「恋愛経験」があるんですよ。
頑張って勉強したけど大学に入れないことも「人生経験」だし、サッカー部のレギュラーになれないことも「人生経験」だし、小説家を目指して必死に頑張っているのに元役者にあっさり賞を強奪させることも「人生経験」なんですよ。
『ドラゴンクエスト』の“経験値”は敵を倒した時にしかもらえませんが、でもプレイヤー自身の“経験値”は敵にやられた時の方が得られるんですよ。あぁ、ここでこうしちゃいけないんだ。あそこはこうすればよかったんだ。敗北から人は学べるワケですよ。
小説にしても漫画にしても、読者の共感を得るためにはそうした経験は絶対に活きます。 ほとんどの人間が何かしらの敗北感を抱えて生きているワケですからね。敗北感も絶望感も創作の糧になるんです。出来なかったことも経験なんですよ。重要なのは、そうした経験を活かせるかどうか。
「俺、碌な人生を送ってきていないもんな……」と、その資産から目を背けていたら、そりゃ読者の共感なんて得られないでしょうよ。 僕も、アナタも、自分しかしていない経験を持っているし。その点で水嶋さんと変わりはないのです。
僕は水嶋さんの小説を読んだワケじゃないし、そこに関して「出来レースだ」みたいな説も当然出てきていますけど(これは賞レース全体に対する不信感の表れでもあります)――― もし、彼の小説が面白かったのなら、彼だって挫折なり敗北なりを抱えて生きてきたことの証明でもあるし、それを単に「イケメンだから」「完璧超人だから適わないよね」で済ませちゃうのは、彼に対しても創作家の人々に対しても失礼だと思います。
とまぁ、そんなことを言えるのは自分が小説書きではないからであって。 突如として水嶋さんが「漫画を描き始めます!」と言い出して、2年後に小学館漫画賞とか獲りやがったとして、その時でも僕は同じことを言えるのでしょうか(笑)。
こ、こんな顔だったのか……
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