|
|
| 『ガンダムOO』に思う「ガンダムらしさ」 |
「私らが活躍すればするほど物価が上がるんだから、今の内に欲しいもの買っておかなきゃ♪」
やべー、『ガンダムOO』面白ぇー。 土曜夕方放送のアニメを火曜の夜にビデオ視聴している身でアレなんですけど、凄く楽しんでいます『ガンダムOO』。キャラの名前をまだ数人しか覚えられていないので、基本的には「あれだよ…あのハロ連れてるヤツ!」とか「ガンダムWで言うゼクスポジションのヤツ!」とか、遠回りでしかキャラを呼称できませんが(笑)、それでも楽しんでいます。
公式サイトを観ればキャラ名も分かるのでしょうが、今回はなるべく“毎週30分の映像だけで”楽しもうと思っているので、分からないなら分からないなりにそれもアリなのかなと。
世の中には色々な人がいるのだから、色々な楽しみ方があってイイと思うのです。 「作り手の意図を100%読み取ろうとする」人も、「とりあえず難癖を付けていく」人も、「チャイナのお姫様抱っこにハァハァする」人も―――それは同等な価値のある楽しみ方だと僕は考えていますし、楽しみ方に優劣の差はないと考えています。
全っ然、話は変わるけど。 日本シリーズで落合監督が山井を交替させたことには色々な意見があると思いますし、「俺はこう思う。オマエは?」と話し合うことが楽しいのだから結論なんか出す必要はないし、テストの答えのようなものが存在するものでもないと思っているのですが……… 僕が唯一許せないのは、「賛」であろうが「否」であろうが、自分の考えとは違う人を「そんなことを言うなんてオマエは野球を観る資格がない」とか言っちゃう人達です。そこで反対意見を叩き潰すことで何が生まれるの?世界が自分と同じ考えじゃないと気に食わないの?と、ゲンナリしてしまうのです。
世の中には自分と違う考えの人間が沢山いる―――だから楽しいのだし、それでイイじゃないか。 「ガンダム」の楽しみ方だって人それぞれなんですよ。
任天堂の岩田社長が、「マリオらしさ」「ゼルダらしさ」をそれぞれの最新作を作ったスタッフにインタビューしているのを読んでいて思ったことなんですが―――「ガンダムらしさ」というものもそれぞれに存在するはずなんですよね。 富野監督は「目がついててアンテナがはえてりゃマスコミがみんなガンダムにしてしまうのさ」と作中で言わせていましたが、その定義だと『CLANNAD』の古河渚もガンダムということになってしまいますよね。でも、渚たんをガンダムだと呼んでいる人を僕は見たことがありません。
というのは、屁理屈ですが(笑)。 新しいガンダムが始まるたびに起こる「こんなのはガンダムじゃねえ!」という新旧ファン同士の大激論は、別に『SEED』から始まったワケじゃなくて、『Zガンダム』の頃からずっとありました。
そうしたイザコザは、互いが思っている「ガンダムらしさ」のズレや「何を期待しているのか」のズレによって生まれてしまうものだと思います(単純な縄張り争いというイミもあるかも知れないけど)――― なので、どちらかというとコミュニケーション能力の方に問題があって、議論を始める前に簡単なプロフィールと「私がガンダムに期待するものは○○でございます」と互いに自己紹介をしておけば紳士的な議論が出来るんじゃなかろうか(笑)。
こういった新旧ファン同士の対決は罵り合いに発展しがちで見ていて気持ちのイイものじゃありませんし、「あぁ!人はこうも分かり合えないのだから、アクシズを落として地球に誰も住めないようにしなくてはならないのだ」と危険思想が生まれたりもしたのですが―――最近は、こうしたファン同士のイザコザもまた「ガンダムらしさ」なのかなと考えるようになりました。
僕自身が『ガンダム』という作品に期待しているのは「群像劇」です。 正直、政治とか経済とか宗教の話にはあまり関心がありませんし、言ってしまえばメカやバトルにもほとんど興味がありません。「戦わないガンダムがあってもイイよね」とか「ロボット(モビルスーツ)が出来る前のガンダムも観たいよね」とか言っているくらいですもの。
もっと極端なことを言ってしまえば……『舞-HiME』を「これが次のガンダムだよ」と渡されたとしても、フツーに受け入れて号泣していると思います。 「次のガンダムはロボット(モビルスーツ)が一切出てこないのか。サンライズは勇気ある決断をしたな」とは思いますけど(笑)。だってほら、プラモを売らないとビジネスとしては大変でしょうしねぇ。
初代『ガンダム』はホワイトベースの面々一人一人にそれぞれのドラマがありましたし、倒されていった敵側のキャラにも“人生”がありました。決して主人公一人の活躍を描いた作品ではありませんでしたし、主人公達の敵もそれぞれ背負うものがあるように描かれ、むしろ主人公達を戦場へと向かわせる“お偉いさん”に視聴者は怒りを覚えたものでした。
そういう意味で、今回の『ガンダムOO』は主人公サイド(ソレスタルビーイング)vs三大勢力(アメリカっぽいのとEUっぽいのと中国っぽいの)+それ以外の国のお姫様みたいな人+民間人+マスコミなどなど……雑多な陣営にキャラが割り振られた上に、それぞれの陣営も一枚岩ではなく思惑が交錯しあっている様子に、「群像劇」フェチの僕としてはゾクゾクしてしまいます。 凄く誉めているようで「○○っぽいの」とか言っている時点で、コアなファンからは「テメーふざけんじゃねえ!」とお叱りを受けるかも知れませんが(笑)。これはこれで僕の楽しみ方なのです。
もちろん「群像劇」はスタートは面白そうに描けるもので、後になればなるほどキャラの動かし方が難しくなってくるものなんですけど―――そうした不安も込みで、どうまとめてくるのかに期待をしています。
今のが僕の意見。 「人はそれぞれ考えが違って当然」という思想の元に「群像劇としてガンダムが好きだ」という僕ですから、そうではない意見の人がいるのも当然受け入れますし、そうでなければガンダムではないと思うのです。
「メカとしてガンダムが好き」「戦争物としてガンダムが好き」「マスクの下は美形だからガンダムが好き」「妹キャラが多いからガンダムが好き」「登場人物のほとんどがカタカナだからガンダムが好き」「子どものパンを盗む大人が出てくるからガンダムが好き」―――色んな人がいて当然だと思いますし、そうした“みんなの好き”全てを一つの新作で叶えることなんて不可能ですから、新作が出るたびに「こんなのはガンダムじゃねえ!」と怒る人が出てくるのもまた当然なんだと思うのです。
ちょっと言葉は悪いですけど、季節行事みたいなものというか…… 「FFは叩かれてナンボ」とか、「W杯の度に“得点力不足”と騒がれる」こととかと同じようなもので、「こんなのはガンダムじゃねえ!」という人が出てくることこそ「ガンダムらしさ」なのかも知れませんね。
むしろ、どこからも文句が出てこなくなった時こそ(ガンダムに限らず)シリーズの終焉なのかも。
[記事URL]
|
|
 |
|