|
|
| ジャンプ漫画におけるライバル再生産論 |
久々にPCにコーヒー吹きかけるんじゃないかと思った記事。
求:「お前を倒すのはこの俺だ!」とか敵味方の友情フラグ立てておいて、さくっと本当に殺っちゃう人(不倒城さん)
秀逸なのは後半の論理展開なんですけど、そこに触れるとまた一つの記事分くらい長くなってしまうので泣く泣く割愛させてもらいます。前半部分だけでも興味深いので、今日はそのことについて語ってみたいと思います。
「お前は俺の獲物メソッド」について考えると、喩えば現実のスポーツの世界なんかでは一般的なことだったりします。
喩えば、サッカーの場合。 デビッド・ベッカムは自身初めて出場した98年のW杯のアルゼンチン戦で、相手チームのシメオネのクレバーな(悪く言えば狡猾な)プレイによって退場処分になってしまい、イングランドがW杯で敗れた犯人だと国民から総叩きを受けました。 その後、ベッカムはクラブチームで大活躍をしますが、彼が本当に国民の信頼を取り戻したのは2002年W杯でのアルゼンチン戦……ベッカム自身によるPKで獲た1点を守り抜いての勝利であって。「同じW杯という舞台」で「同じアルゼンチン相手」に「自らの力で勝利をもぎ取った」瞬間でした。逆に言えば、W杯でアルゼンチンと再戦することがなければ彼のサッカー人生はまた違ったものになっていたことでしょう。
アルゼンチンは2002年W杯予選は圧倒的な成績で突破してきましたが、もし仮に予選で苦戦をして「W杯に出られないんじゃ…」という事態になっていたとしたのなら。恐らくベッカムは、アルゼンチンがW杯予選を勝ち上がってくれることを願ったんじゃないかと思います。
というのがスポーツの話。同じようなことはスポーツ漫画にも言えることだと思います。 上杉和也との再戦を願った新田が、亡き弟の意志を継いだ上杉達也との勝負を切望したように―――スポーツ漫画における「ライバル」は重要な要素であり、人間ドラマの一因になっています。ここまではOK、理解できます。
ただ……これが「殺し合い」の漫画の場合、「殺してしまいたいほど憎い相手」のくせに生存を願うのには確かに疑問を感じますね。結果的に憎いヤツが死んでればイイじゃんとは考えられないものなのか、具体的にそういう敵キャラを思い出そうとしてもなかなか思い出せません。
○ ジャンプ漫画と「お前は俺の獲物メソッド」 この話でパッと思いついたのは、ベジータを始めとする『ドラゴンボール』キャラだったのですが…… よくよく考えてみると、『ドラゴンボール』においては「俺がお前のなんちゃら」というよりは、「とりあえずコイツに協力しないと俺の命が危ねえぞ」という場当たり的な協力関係が多かったような気がします。サイヤ人が攻めてきてピッコロが仲間になったり、フリーザがいるからベジータと共闘したり。
天津飯は分かりやすく「戦いを通じて考え方が変わる」というプロセスでしたが、ピッコロやベジータは「とりあえず仲間になってから考え方が変わる」と言う順番で(ピッコロの場合は悟飯と、ベジータの場合はトランクスとの関係による)、実は彼らの中で悟空の存在ってどうでもいいものだったんじゃないかと思ったりもします。
『ドラゴンボール』以上に“敵が味方になる”印象が強い『ダイの大冒険』の場合はというと……ヒュンケルやクロコダインなど、仲間になるキャラは“ライバル”というよりも“なるべくしてなった”というカンジか。味方サイドに移る信念がちゃんと描かれていましたので、「お前は俺のなんちゃら」という印象はありませんでした。 終盤になると初期プロットとのズレも大きくなったせいか、ダイとハドラーとか、ヒュンケルとヒムなんかは、「お前は俺の獲物メソッド」が強い気もします。ハドラーの場合はそのために造反までしていましたし。
ただ、『ダイの大冒険』は「俺たちの正義の魂は負けない!」的な正方向への情熱が強い漫画なので、あの世界だとそれが当然だと思えてしまうんですよね。「だまし討ちをするだなんて武人の風上にも置けないヤツめ!」みたいなこと言われるし(笑)。
逆に、『ダイの大冒険』とは逆ベクトルの『幽遊白書』はというと…… 暗黒武術会は彼らにとっては“スポーツ”みたいなイメージでしょうから、武術会編のライバルキャラは省くとすると……しっかりと敵→味方へと鞍替えしたキャラは飛影と御手洗くらいしかいませんね。どちらも敵の時と味方の時とで人格が違うので(笑)。あんまり参考になりません。
良いサンプルが思いつかない…… あ、そうか。『武装錬金』の蝶野攻爵なんかはまさに「お前は俺の獲物メソッド」が全てのようなキャラでしたね。お互いがベストの状態で決着をつけなければならない的なことを言って、そのために尽力して、錬金戦団が何の役にも立たない烏合の衆だったのを尻目にカズキを人間に戻したもんなぁ。あそこまでやるとストーカーも格好良いぞという気になります。
ただ、じゃーそこに違和感があったかというと、「パピvヨンv」と言われると「おーなるほど」と思わされてしまうパワーがあって(笑)。気にしたこともありませんでした。
「ジャンプ漫画と言えばライバルキャラ」というくらい、沢山ライバルキャラがいるのに……不倒城さんの仰るような、漁夫の利でサクッと主人公を殺しにかかるライバルキャラはほとんどいませんよね。大概「決着をつけるぞカカロット!」的に「勝負」にこだわるヤツばっかりで。
これはやはりジャンプ漫画がスポーツの延長線上として「バトル」を描いているからなのかも知れませんね。 別に「ジャンプなんてお子様が読むものなのだよ」と言いたいワケではありませんが、それでも「少年が読んで感情移入しやすいように」描かれているのは間違いないので……「あのクソ野郎、ブッ殺してやる……」と心の底から願う敵キャラよりも、スポーツマンシップに乗っ取って「決着をつけるぞカカロット!」と正々堂々と向かってくる敵キャラの方が子どもは感情移入しやすいと考えての結果なのかもと思いました。
そう考えると、少年漫画・家庭用ゲーム・アニメ(は時間帯にも依るか)などの作品でそういう“友情フラグをブチ壊すやつ”が出にくいのもターゲット層を考慮した末の当然の帰結なのかも知れませんね。 ドラマとか映画には、結構“サクッと主人公が殺される”ものがあると思うんですけど……どう頑張っても超絶ネタバレになるので、具体例が出せないのが心苦しい(笑)。
あ、ちょっと思い出したことですが…… 『デスノート』の第2話でライトがLの挑発に乗ってしまうシーンについて「ライトってバカだよね」と色々言われていましたが、「決着をつけるぞカカロット!」的な視点からするとライトの行動も真っ当なジャンプ漫画のキャラの行動ですよね。 逆に言うと、ああいうのに納得いかない大人というのは、最初からジャンプはターゲットにしていないのかなぁと思ってみたりも。
でも、僕はライトよりL派。 ライトみたいなモテモテな奴は許せん。
○ ライバルキャラを味方キャラに鞍替えさせるメリット これほどまでに定番となっている「敵だったライバルキャラが味方になる」シチュエーションですけど、定番だったり王道だったりベタだったりすることには、それだけのメリットがあるんですよね。
一つには、“インフレ化”。 無印『キャプテン翼』なんかは分かりやすい例ですね。最初は敵だった若林くんなんかとチームを組んで全国大会に出場し、全国大会で戦った敵チームとともに“全日本”チームを立ち上げて国際大会で戦う―――という流れは、「あんなに強かった日向くんでも適わない敵がいるのか!」と読者をワクワクさせたのです。
「あんなに強かったベジータが太刀打ちできないフリーザって…!」 「あんなに強かったヒュンケルとクロコダインを瞬殺するバランの強さ半端ねえ」 「コレ以上ない変態だと思っていたパピヨンすら凌駕する全裸マッチョ戦部やべえ」
みたいな。
もちろんあらゆる技術は“使い方次第”なので、繰り返した結果「またこのパターンか……」と思われる作品もありますし、そうした作品に対して使われる「インフレバトル」という言葉は皮肉の意味が強いのですけど。
「どうやったら受け手がワクワクするのか」を突き詰めた一つの手法として、(使うかはともかく)その理論は見過ごせないなぁと思うのです。 別にバトル漫画だけに使われるワケじゃなくて、喩えば『ゼルダ』のダンジョンの解法なんかにも通じるところがあったり(あの場所で使ったこの方法では解けないけど、さっき取ったこのアイテムを組み合わせれば可能…とか)。頭の片隅にでも意識していると、人を楽しませるのに役立つ手法です。
もう一つには、“異なるシチュエーションに置くことでキャラを掘り下げることができる”というメリットがありますね。敵として魅力的だったキャラを、味方として描くことで違う魅力を出すことが出来るという考え方。
とある人が「後期『ドラゴンボール』はベジータの成長物語として読むと面白い」と仰っているのを聞いて、あーなるほどなと思ったことがありました。 僕があまり好きじゃない人造人間編も、ベジータの成長(心境の変化)という切り口で見れば面白いものがありますし、その過程を知っているからこそ魔人ブウ編での彼の行動も深いものがあるのですよね。
当たり前ですけど、これってベジータが敵のままなら描けなかったことです。 “倒すべき敵”はいつか倒されてしまうのですから。
漫画でもアニメでもゲームでもライトノベルでも、今の創作は“魅力的なキャラクターを作ること”に重点が置かれています。受け手が人間である以上、キャラクターに感情移入するのは当然ですし、キャラクターに愛着が湧くのも当然です。 ならば、そうして生まれた人気キャラの魅力を如何に搾り出すのかが作り手の命題になるのも自然な流れで、そのために“敵→味方”とか“味方→敵”とか“敵味方シャッフル”などの手法を使って一人のキャラを再生産して描き直すというのも合理的な思考の結果なんですよね。(合理的なものが必ずしも面白いかはさておき)
だからこそ、その理由付けに作り手は苦労して。そこで「お前は俺の獲物メソッド」が使われてしまうのも、安易な手段ではありますが、心情としては理解出来てしまうのです。
個人的には“敵だったライバルキャラが味方になる”のは別に構わないと思うし、auのCMしていた人がdocomoのCMやったりするのもイイと思いますよ。 むしろ僕が(「夢オチ」と並んで)許せないのは「死んだように描かれたキャラが実は生きてました!」ってアレ。これについてもいつか語りたいけど、罵詈雑言の嵐になると思うので自重したほうが良さそうですね(笑)。
許せないっつーかね……「俺の涙を返してくれないかな」というか。 好きだったアイドルがAVに出ちゃった、みたいなガッカリ?そういうのも「うぉーやった!ビーチク見れんじゃん!」とテンション上げられる人もいるのだとは分かりつつ、僕は萎えてしまうという話。
[記事URL]
|
|
 |
|