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| まるで死のバーゲンセールだな…… |
「死のインフレ」なのか「死のデフレ」なのか、経済用語に疎い僕にはどっちなのか分からなくなってしまったので……親戚縁者全員が超サイヤ人になってしまったことで、ベジータが吐いた「まるで超サイヤ人のバーゲンセールだな…」にちなんだタイトルにしました。これが一番分かりやすかった。偉大なり、ドラゴンボール。
今日はこの記事から。
ある漫画雑誌編集者さんから愚痴を聞いた話。(不倒城さんより)
「このキャラを殺せば感動的になりますよ」というファンレターの話。
「このキャラを死んだように見せかけて描いてましたが、実は生きていたのですよ!パンパカパーン!」みたいな漫画には、「さっさと殺した方がまだマシ」という抗議文を送りたくなる気持ちも分かりますが、そういう意味じゃないんでしょうね。
でも、「登場人物が死ぬ」も「登場人物が死んだように見せかけて実は生きていましたパンパカパーン!」も文句としては似たようなものなんですよね。繰り返されると飽きる。飽きるという言葉が相応しくないなら、「慣れる」でもイイです。
『ダイの大冒険』なんて、公式ガイドブックに「この年は、死んだと思われたキャラが実は生きていて再登場しまくった年だ!」とか書かれてて吹き出したことを思い出しました。開き直るにも程があるだろうよと。 大人になってから読み返しても、「あれ?このキャラって生きてたんだっけ……」と全く覚えていませんでした。一人目はまだ覚えていたんですけど、二人目、三人目と連続で出てきた「実は生きていたキャラ」なんてすっかり記憶になくてねぇ……繰り返されると印象がどんどん薄まっていくんですよ。
とか言いつつ、僕は『ダイの大冒険』はジャンプ漫画の中でも3本の指に入るくらい好きだという矛盾。号泣したポイントだけで一晩語り明かせる名作です。連載中に何度もテコ入れ入って長く続いてしまったのが、今読み返すには玉にキズですが。
僕が大好きな伊集院ラジオで、(最近やっていないんですが)『感動のつくり話』というコーナーがあります。このコーナーは……ギャグ抜きで、みんながちょっとずつ思いついたアイディアを出して感動話を作っていくコーナーなのですが。伊集院さんが採用するかどうかの判定基準が面白いのです。
えーっと……ここで伊集院さんが使っていた言葉が「死のデフレ」だか「死のインフレ」だかだったのですが(どっちか忘れました)、要は「死を連発させすぎると作中の死の価値が下がって、最後の「死にそう!」が引き立たなくなる」ということです。 喩えば、主人公は家族が死んで天涯孤独、ヒロインのコも母親が死んでて……みたいな設定にしてしまうと、作中で誰かが死にそうになっても「あー、またか」と視聴者が慣れてしまっているんじゃないかという発想なんですね。世の中を穿っていながら理屈っぽい伊集院さんらしい考えですよね(誉めてる)。
似たようなことは僕も思っていて…… 「ポニーテールのヒロインを描きたいなら、そのコ以外ポニーテールがいない世界にしなくてはならない」というのが僕の考えですし、貧乳カテゴリーのキャラ配置ネタというのはこうした発想を基に書いています。
「死」もそうですし、「ポニーテール」も一緒です。「登場する女性キャラが全員巨乳」じゃ逆に巨乳のありがたみを感じませんし、「登場するロボットが全部ガンダム」だと逆に名前を覚えにくいです。「慣れさせないこと」、そのために緩急を使うのです。
そういう意味で……「○○を殺すと作品が感動的になる」と言われても、作者や編集者の人は「そんなに単純なことじゃねえんだよー!!」と泣きながら反論したくなるのかなーと思いました。 『キャプテン翼』のドライブシュートみたいに“どっからでも入る必殺シュート”なんてありえないから、サッカーは色んな戦術やフォーメーションが研究されているんですからね。物語作りにも“必殺シュート”などないのです。
そもそも「こうすると面白くなると思いますよ」というファンレターって、「今のままだと面白くないよ」と言ってるのと大差ないですしね……送っている側にその気はないんでしょうけど。
一つの作品内で「死」を連発出来ないのは当然だとしても――― 喩えば、一つの雑誌内で連載されている漫画の中で5〜6作品同時に誰かが死んでしまった場合、最後の方に読んだ「死」は「あー、この作品でも死んだな」くらいにしか思えませんよね。 編集者はそうしたことも考えつつ、雑誌全体のバランスを取りながら作品を盛り上げていかなきゃならないのだから大変です。しかも、その上で責任や手柄は一作品ごとに背負うのですから……
漫画雑誌内で5〜6作品同時に「死」が描かれるケースというのは、そんなにないかも知れません。 ですが、こういうことが頻繁に起こるメディアってあるんですよ……
「深夜アニメ」の場合、同じくらいの話数で起承転結を描かなきゃならないので「死」が被ることが多いんですよね。
数年前、木村暢脚本の『ソルティレイ』というアニメが放送されていて僕も視聴していたのですが、同じ時期・同じ曜日・ちょっと前の時間帯の違うテレビ局で『舞-乙HiME』というアニメも放送されていました。 木村氏は『舞-乙HiME』の前作『舞-HiME』の漫画版のシナリオを書いていたということもあり、物語の構成も似ていました(謎を含んだ序盤、可愛い女のコが沢山出てくる中盤辺りまで、15〜16話付近で一気に話が加速して鬱展開、鬱を抜け出して立ち上がる、いつの間にか直面している世界の危機を力を合わせて打破、感動のフィナーレ)。それを言ってしまえば、多くの深夜アニメにも当てはまってしまうんですけど……
結果として、両方を観ていた僕としては「あー、『ソルティレイ』も(『舞-乙HiME』と一緒で)こういう展開なのかー」とイマイチ新鮮な気持ちで観られませんでした。 一作品だけなら申し分ない内容であっても、同時に多くの作品を観ていると「またか」と思ってしまう……ある時期は週に7〜8本アニメを観ていた僕が、今は週2本が限界になったのはこうした理由もあります。
こういう問題、アニメ業界が抱えている何よりも大きな不安要素だと思うんですが……あまり議論されないんですよね。みんな、気にならないんですかねー。ハーレムアニメの第1話を1週間に5〜6本も観れば、とてもじゃないけどキャラなんて覚えられませんよ。
プロとアマの大きな違いはありますけど、僕もWEB漫画描きの端くれとして「こうした方が面白くなりますよ!」みたいな意見をもらいます。 中には「もっと絵が上手くなった方がイイですよ!」とか、「『○○(他の漫画の名前)』を参考に描いたらイイんじゃないでしょうか」みたいな、トホホな意見もあります。で、トレス疑惑が漫画業界で新聞沙汰になった時には、「ああいうことをするのは漫画家としてどうかしてると思う」なんて同じ人が言っているという(笑)。
もちろん、そうした意見もプラスにならないワケではないです。 でも、多分意見を下さった人の思惑とは違って……「もっと絵が上手くなれだぁ!?ふざけんな!コイツ、いつか俺の足元に跪かせて靴裏舐めさせてやんよおおお!!」みたいな反骨心がメラメラ燃えてくるという意味でです。
なので、「○○を殺せば作品は感動的になりますよ」というファンレターも、「ふざけんな!もう絶対○○殺さないで、しっかりと感動的な話にしてやんよおおおおおお!」と思わせるという意味では役立つんじゃないですかね。僕の中の漫画家像は、全員炎尾燃なのか。
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