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| 『ファミコン探偵倶楽部PARTII うしろに立つ少女(スーパーファミコン版)』紹介 |
『ファミコン探偵倶楽部PARTII うしろに立つ少女(スーパーファミコン版)』 スーパーファミコン用/アドベンチャー 任天堂 (ニンテンドウパワー書き換え専用)1998.4.1発売 スーパーファミコン版公式サイト Wiiバーチャルコンソール用 2008.4.30配信開始/800ポイント 公式サイト
※ このレビューはWiiバーチャルコンソールにてリメイクされたものをプレイして書いているので、オリジナルのスーパーファミコン版とは内容が異なっている可能性があります。
『新・鬼ヶ島』、『はじまりの森』、『ファミコン探偵倶楽部 消えた後継者』、『メタルスレイダーグローリー』……元作品の発売時期も、ハードも、開発会社も、発売元も全くバラバラな作品ではありますが。バーチャルコンソールで配信されているアドベンチャーゲームを遊んできた僕としては、この『うしろに立つ少女』こそが到達点だとすら思いました。 使いやすいインターフェース、そこそこに描き込まれたグラフィックと(1作目の『消えた後継者』同様に)ドキリとさせる演出、適度に分かりやすく適度に先が気になるシナリオと、何より可愛いヒロイン―――「バーチャルコンソールでオススメのアドベンチャーゲームはどれ?」と訊かれれば、僕は迷わずこの作品を選びます。
このゲームは元々1989年に発売されたディスクシステムのソフトで(こちらはゲームボーイアドバンスに移植されています)、それを1998年にニンテンドウパワー書き換え用としてスーパーファミコンにフルリメイクした作品です。 89年と言えばディスクシステム末期で、98年と言えばスーファミ末期……というよりも、プレステ絶頂期ですね。「やるドラ」もこの年でした。
こうしたコマンド選択式アドベンチャーゲーム自体がメジャーではなかったこともあって、「知っている人は知っている」くらいの作品だったことは否めません。僕だってバーチャルコンソールで配信されるまでは遊んでいませんでしたからね。 ですが、現在のゲーム業界は『逆転裁判』シリーズ(2001年〜)の功績やゲーム人口の拡大もあって、携帯機を中心にアドベンチャーゲームが元気な状況です。バーチャルコンソールを通じてこの作品に触れてもらいたいのと同時に、今この時代に『ファミコン探偵倶楽部DS』みたいな新作が出てきても面白いのなぁと思いました。
そのくらい楽しいゲームでしたし、あゆみちゃんが可愛かったです。
↓ 以下、感想はクリックで。 [続きを読む]
[記事URL]
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| WEB拍手メッセージへの返信(5月4日〜5月10日分) |
ここ数ヶ月の予定を見ても(お布施的な『どき魔女2』を除けば)購入予定のゲームがないので、ゲーム話のテンションが上がらないというのが本音だったりします。サッカーサイトも、漫画感想サイトも、アニメ感想サイトも長続きしなかった僕にしては、2年近くゲーム話を書き続けたというのはむしろよく頑張った方かも知れませんね。
一方、貧乳カテゴリーネタは、テンションが上がらないというよりはネタを思いつかない……
「Wiiの話&貧乳話」というよく分からない二枚看板で1年近くやってきましたが、そろそろ新しいことを始めた方がイイのかもなぁと思いつつ。創作活動を最優先にしている現状だと、なかなか新しい趣味に手を出せるものでもないですし……さぁ、どうしたものか。
インターネット経由で、DSで楽しむコンテンツを購入するサービスDSvisionのサービス開始が6月26日になったみたいです。スタートの機器が3980円? 1年間で200万人のユーザーを見込んでいるっていうのはスゴいな。スゴいというよりは無謀?多分、Wiiをネットに繋いでいる人でもそのくらいだと思うんですけど……Wiiならではのバーチャルコンソールでも数十万人単位だと推測されるんですが、DSvisionはそれ以上のコンテンツを用意しているんでしょうか……
以前に任天堂の岩田社長が「DSを使って色々なことをしたい」と仰っていたので、これのことなのかと思っていたんですが……このDSvisionについては、あまり任天堂からのコメントって出てこないんですよね。 まぁ、とりあえず様子見ということで……
というワケで、先週分のWEB拍手返信です。↓ [続きを読む]
[記事URL]
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| 続・「ゲームらしいゲーム」のゲームらしさを考える |
前回書き残したこと&その後に思いついたことを今日は書こうと思うのですが…… その前に、世間で話題になっているこの記事の紹介から。
「PS3時代宣言」から「PS3反撃開始」へ ※ その後、「PS3反撃開始」は「PS3本格始動」というコピーに変更になったそうです
『忍之閻魔帳』さんの記事にて、6月発売の『メタルギアソリッド4』とPS3に関するコピーが「クリアしやすいゲームだと、クリアする喜びも小さい」のような比較広告であったことが話題になっていました。
多くの人が「メタルギアソリッドこそクリアしやすいゲームじゃねえか」のようなツッコミをしていて、それに関しては初代『メタルギアソリッド』で超序盤の基地侵入すら出来ずに積んだ僕が言えることなど何もないのですが…… それ以前にちょっと疑問が。この比較広告の対象ってWiiやDSのような任天堂陣営だろうと思うんですけど、よくよく考えてみるとおかしな話ですよね。
「クリアしやすいゲーム」も何も、『脳トレ』も『Wii Sports』も『Wii Fit』もクリア(エンディング)の概念がないゲームなんですよ。
どんなゲームよりもクリアが不可能なゲームを「クリアしやすいゲーム」と称するとは……?
この比較広告は“Touch!Generations”以外のソフトを攻撃しているのかなぁとも思ったんですが、『スマブラX』や『マリオカートWii』だとすると「一部の極悪仕様で爽快感がない!」と批判されていてそんな雰囲気じゃないですよね。そもそもスネークは『スマブラX』に出てたし。 『マリオギャラクシー』は確かにクリアだけならそんなに難しくないのでしょうが、(日本では)商業的に成功しなかったゲームへの比較広告は理解出来ませんし。『Newマリオ』は確かにクリアしやすいことが話題になっていましたが、2年以上前のソフトに対する比較広告というのも妙な気がしますし。うーん。
一体、どこに向かって攻撃をしかけた比較広告だったのか…… ひょっとして、このコピーを考えた人って“Touch!Generations”のソフトを1本もプレイしたことがなくて、何となく「誰でもクリアできるゲームなんだろうな」という雰囲気だけで書いたのでしょうか。 色んな方向性があるのだから『メタルギアソリッド』を始めとするPS陣営のソフトに『脳トレ』のような道を進んで欲しくはないのですが、「『脳トレ』は「クリアしやすいゲーム」だから売れたんだ」みたいな認識だとPS陣営はまだまだ厳しいのかなと思ったりしました。物事の表層すら見れていないのかよ、と。
単純にコピーのセンスがないだけなら良いのですが………
さてさて。 でもまー確かに、2001年発売の『どうぶつの森』までは「ゲームとはクリアがあるもの」という認識が強かったと思います。その『どうぶつの森』ですら借金返済という一応の目的はありますしね。『脳トレ』や『Wii Fit』のように、自分で目標を立てなきゃならないソフトを「ゲームではない!」と思う人もいるのかなとは思います。
要は、「ゲームらしさ」の定義が人によって違うという話。
ちなみに、前回の記事で僕が挙げた「ゲームらしさの定義」はこんなカンジでした。
1.「ゲームオーバーor敗北」の要素がある 2.「次も遊ぼう」と思える長期的な目標がゲーム内にある 3.爽快感・達成感がある 4.何の役にも立たない
詳しくは前回の記事を読んでもらいたいのですが……これらの条件全てが当てはまるものが「ゲームらしいゲーム」というワケではなく、どっちかというと“自分にとって納得がいく条件の”一つでも当てはまると「ゲームらしいゲーム」になるのかなと思っています。
今日は、その記事を書いてから思いついた定義を挙げようかなと思います。
5.「非日常」への欲求を満たしてくれる これは前回のコメント欄にて頂いた意見です。 単独記事にしてみようかと思ったんですが、あまりにスキがない意見すぎて面白くないなと見送っていました(笑)。
冒険系、箱庭系なんかも分かりやすいですが、『グランツーリスモ』のようなレースゲームも「実際には乗れない車でレースがしたい!」的な欲求ですよね。「日常」では実現出来ない欲を満たすのがゲームなんだろうと。ギャルゲー・エロゲーについては言ってくれるな。
しかし、逆に言えば……僕のように車に全く興味がない人間からしてみると、『グランツーリスモ』は魅力的に映らないのです。 そういや『モンハン』について、「モンスターを狩るための武器・防具の材料を集めるためにモンスターを狩るゲーム」「なら、最初から狩りに行かなきゃイイんじゃね?」みたいな哲学を語っている人がいましたが―――僕にとって『グランツーリスモ』はまさにソレ。興味がない車に乗ってレースをして、興味がない車を手に入れてまたレースをするゲーム(笑)。
この定義で言うと、「何に欲求を感じるのか」「何を日常としているのか」が人によって違うというのがミソですね。 料理を日常的にやっている人&料理なんてしなくてイイと思っている人からは『お料理ナビ』は「ゲームらしくない」と感じられるのでしょうし、リアル犬猫を飼っている人&犬猫が嫌いな人からしてみれば『nintendogs』や『夢ねこDS』は「ゲームらしくない」のでしょう。
同じように、日常的にゾンビを殴っている人からすれば『デッドライジング』は「ゲームらしくない」のでしょうし、アブライモビッチのようなサッカークラブのオーナーからすれば『サカつく』は「ゲームらしくない」……か? ゲームの「ウソ」の部分が「ゲームらしさ」なのかも知れませんね。『ゼルダ』にて、爆弾で穴が開く壁と開かない壁があることとか。そう考えると、「リアリティ(日常)」と「ゲームらしさ(非日常)」は相反するもの??
【当てはまらない例】 ・パズルゲーム ・プレイヤーの日常に近いゲーム ・実用ソフトやWiiチャンネルは人それぞれ
『ぷよぷよ』や『テトリス』も非日常ですが、欲求という面では「同じ色のスライムを4つ揃えて消し去りたい!」と思っている人はいないでしょうし微妙ですかね。
6.自分のプレイをコンピューターが評価(判定)してくれる これは何気に、今回の記事のド本命。 僕が『脳トレ』『Wii Fit』を「ゲームらしいゲーム」だと思うのに、『DS文学全集』や『お料理ナビ』はそうは思わないのはこの違いです。評価をコンピューターに委ねるからこそ、「次こそは!」と継続出来るという。
『スーパーマリオ』だって、マリオがクリボーに当たったかどうかを判断するのはコンピューターですからね。僕が「当たってない!当たってないって!」と主張しても、マリオは1機失ってしまうのです。TRPGのゲームマスターがコンピューターに切り替わったということを考えると、分かりやすいでしょうか。分かりにくいですよね。 草野球で審判をコンピューターがやってくれる、みたいな。
さて……そう考えると、「ユーザーの意見が勝敗に影響する」ものはどうでしょうか? 『みんなで投票チャンネル』や『Miiコンテストチャンネル』は、「膨大な量のユーザーの意見を集計して発表する」行為をどう見るか次第ですかね。個人的にはこれは「コンピューターの判断」とは違うと思うので、「ゲームらしくない」かなぁ。
でも、喩えばフィギュアスケートみたいな採点式のゲームがオンライン専用で発売されて、プレイも評価もユーザーに委ねられるようになったとして、自分がフィギュアスケートの審査員になった場合……それは「ゲームらしくない」のかというと微妙かなぁ。ユーザー参加型ゲームはこの定義だと難しそうです。
【当てはまらない例】 ・『お料理ナビ』『DS文学全集』、Wiiチャンネルなど ・ユーザー参加型ゲームはグレーゾーン ・TRPGはどっち?
7.プレイヤーによって得られる体験が違う 「プレイヤーによって」というよりは「プレイするたびに」の方がイイかな。
「何を言うんだ!ほとんどのゲームは一本道じゃないか!」と思う人もいるかも知れませんが、喩えば『スーパーマリオ』であっても無事ピーチ姫を助けられた人と最初のクリボーで死んでしまった人では違う体験をしているのですよ。 同じ一本道RPGの思い出を語っても、「あの○○ってボス強かったなー」「え?俺は別に…」ということがあるじゃないですか。
「マルチエンディングのゲーム」という言葉がありますが、観念的な話をすればゲームとは全てマルチエンディングのメディアなんだと思うのです。まぁ……「マルチエンディング」とは、ゲームオーバーではなくゲームクリアの到達点が幾つもあるよということなんでしょうけど。
これは6の「自分のプレイをコンピューターが評価(判定)してくれる」があってこその話で、評価・判定をコンピューターに委ねていなければそれぞれの進む道は変わりませんよね。「俺、今回クリボーにやられる〜!」みたいな人はいませんし。
逆に言えば、「どのプレイヤーでも大差がない体験になる」ものは「ゲームらしくない」と思われても仕方がないかもしれませんね。 喩えば……『DS文学全集』は読む本こそ自分で選びますが、読み手が作品内の登場人物の行動を「俺は羅生門に登りたくない!」と選ぶことは出来ません。そこから何を受け取るかは人それぞれですが、結末は誰が読んでも一緒なんですよね。 僕が最近ハマっているディスクシステム時代の「コマンド総当り性のアドベンチャーゲーム」なんかも、プレイヤーごとによる体験差が小さくて「ゲームらしくない」印象です(死亡フラグのないゲームは特に)。ムービーゲームと揶揄された10年前のRPGも似たようなものですかね。キャラクター育成に自由度を残していたとは思いますが。
【当てはまらない例】 ・『お料理ナビ』『DS文学全集』、Wiiチャンネルなど ・一本道アドベンチャーゲーム、ムービーゲームなど
そういや「『Wii Fit』なんかゲームじゃない!」と言っている人達は、『nintendogs』はどっちだと思っているんですかね?この「プレイヤーによって得られる体験が違う」という定義で言えば、育成ゲームなんかはまさに「ゲームらしいゲーム」ですし――― それを言うと、育成ゲームのような感覚で、「自分の脳を若返らせたり」「自分の体重を落としていったり」するのも大差ないとは思うんですが……
「ゲームらしさ」の定義の問題で言えば――― どうやら「目的」を「ゲームらしさ(ゲームらしくなさ)」と捉えている人と、「自由度」を「ゲームらしさ(ゲームらしくなさ)」と捉えている人に分けられるんじゃないかなぁというのが僕のとりあえずの結論です。
『脳トレ』や『Wii Fit』は「目的」はゲームらしくないけど、「自由度」は育成ゲームのそれっぽい―――だからこそ、人によって「ゲームらしくない!」「ゲームらしいじゃん!」と意見が分かれるというか。
僕は別に「ゲームらしくない」が貶し言葉になるとは思いませんし、「ゲームらしいゲーム」が誉め言葉になるとは思いません。でも、それが実際に貶し言葉・誉め言葉に使われているということを考えると、ソフトの本質を語るのではなく、そこに貼られた分かりやすいラベルだけを見てイイ・ワルイを語っているように思えて―――
ちょっと、哀しい気持ちになります。
その辺を意識してなのか、最近岩田社長は「ユーザー拡大型ソフト」という言葉を使っていますよね。 これはつまり―――ソフトの本質は別の次元に置いといて、“今までゲームに熱中してこなかった人達”&“ゲームに飽きてきている人達”を狙った商品ということで、ターゲットによって商品をカテゴライズしているということでしょう。
以前の記事のコメント欄に寄せられたのですが、こうした「ユーザー拡大型ソフト」と「従来型ゲームソフト」の売り場を分けるべきだという意見があります。実際、ゲームをターゲットごとのカテゴリに分けるということはそういうことですしね。 ですが、僕はそれには反対です。消費者が求めているものを見つけやすい売り場にはするべきですが、単純に二つに分類できるというものでもないと思いますし。そもそもこうしたソフトの目的は、「ユーザー拡大型ソフト」を買った人が徐々に「従来型ゲームソフト」も買うようにしていくことだったじゃないですか。 それを「従来型ゲームソフト」を愛好する人達から「こっちには入ってくんな」と門戸を閉じてしまうのは勿体ないですし、そういう人達が「日本では従来型ゲームが売れない」とか嘆くのはおかしな話だろうよと。
うぅ……今回も長くなってしまいました。 二度に渡ってこの話を書いてきましたけど、カテゴリに分けてラベルを貼る行為にさほど意味はないのかなーと最終的には思いました。興味があるかないかと、面白いと思うかどうかの方がよっぽど重要で……「ゲームらしい」「ゲームらしくない」なんて、本当はどうでもイイことなんでしょうね。
「ゲームらしいから買おう!」「ゲームらしくないから買おう!」という人なんていないワケで、「遊び応えがありそうだ!」「自分にも楽しめそうなゲームだ!」ということの方が重要なんですよ。定義論で市場は動きませんから。
むしろ、本当の問題は「ゲーム人口拡大は本当にみんなを幸せにするのか?」ということなのかなと思うのですが、流石に長くなったのでまたの機会にします。ではでは。
[記事URL]
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| 西尾維新『零崎双識の人間試験』読了 |
「多分彼女にとって――彼女のこれからにおいて、あなた達と過ごした十七年は、かけがえのない、他の何とも代理が利かない――輝いた、価値のある宝石に位置づけられることでしょう。彼女をここまで『守って』くれて本当にありがとうございます―――」
だから、西尾維新の小説はヤバいんだって。読むべきじゃないんですって。
買ってから1年近く放置しておいた『零崎双識の人間試験』ですが、『DS文学全集』ばっかり読んで飽きてきたので「最近の小説も読みたいなー」と手を出してしまいました。 案の定、中盤以降は休みどころを失い、後先考えずに一気に最後まで読んでしまったのです。「一気に」というけれど、僕は本を読むのが遅い上に、一行一行噛み締めながら読むので物凄く時間がかかった上に……読み終えた後、一週間くらいはポーッと余韻に浸っていて使い物にならないというアレっぷり。
好きすぎるのも考え物ですね。
ということで、ややネタバレ含む簡易感想はこちら↓ [続きを読む]
[記事URL]
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| 「リアルなグラフィックのゲーム」の未来に思う不安要素 |
「(日本では)ゲームらしいゲームが売れない」という空気は、『モンハン』や『スマブラ』が売れまくっていることでかき消されつつあって……(そもそも僕は『脳トレ』や『Wii Fit』を「ゲームらしいゲーム」だと思っているのですが、それを語るのは別の機会にします)
個人的には「一人用」か「複数人用」かの議論の方が面白いと思っているのですが、それは6月の『メタルギアソリッド4』の結果を見届けてからでも遅くなさそうですし―――むしろ現状ではコッチを語っておくべきかなと思いました。
「(日本では)リアルなグラフィックのゲームが売れない」のでは?
きっかけはこちらの記事を読んだから―――
次世代ゲーム機の映像にリアルさを感じられない(情報元:WY2K帳さん)
この記事のコメント欄で指摘されている「映像はリアルなのにゲーム部分はウソがある」という論はよく聞く話で、宿屋のディティールが物凄く緻密に描かれているのに主人公達は鎧を着たままベッドに寝るというような話をメールで頂いたことがあります。 「ゲームなんだからこういうウソがあるのも楽しいでしょ?」という感覚が、作り手と遊び手の間でズレているという……
ただ、僕自身は「売れるかどうか」の基準で言うと、この部分を解消してもイミがないかなと思っています。宿屋で鎧を脱ぐようになったからと言って、「おぉ!何てリアルなゲームなんだ!」と喜ぶ人は少ないだろうよと。
なので、この記事の本文で指摘されている「昔のゲームにはリアルさが欠乏していたから、みんながリアルさを求めていた」(=今はリアルさが目新しくない)という説の方が僕はしっくり来るかなぁ……
「(日本では)リアルなグラフィックのゲームが売れない」と先ほど書きましたけど、正確には「(日本では)リアルなグラフィックをウリにしたゲームは売れない」と言った方がイイでしょう。 極論してしまえば、『ウイイレ』や『モンハン』だってリアルなグラフィックの方向ですしね。でも、それらが売れたのは「リアルなグラフィックだから」という理由ではなく、そのゲーム独自の魅力を持っていたから(シリーズのブランド力を構築できたから)だと僕は思うのです。
「ゲームはグラフィックかゲーム性か」なんて議論以前の話です。 「グラフィックは良いに越したことがない」というのは、多くのプレイヤーが思っています。
本当の問題は、そのグラフィックは何を目指しているのか?ということなのです。 リアルなもの、現実に近いもの、現実そのものを全てのゲームが目指してしまえば、自然とどのゲームも似たようなグラフィックになってしまいます。特に3Dのゲームはカメラアングルが固定じゃないですし、画面だけじゃ区別が付かなくなっちゃうんですよね。
漫画ならば分かりやすい話で、漫画描きそれぞれにとって「デフォルメ」と「リアル」の配分が違うので絵柄は(似せようと思わなければ)似てきません。 現在レベル2〜3の僕が、レベル999まで上がったとしても荒木飛呂彦先生の絵にはならないんですよ。どっちが優れているという話ではなく、目指しているものが違うのですから。武闘家がレベル99になってもイオナズンは覚えない、みたいな。
まとめると――― 『ドラゴンボール』と『ジョジョ』の絵は誰もが見分けることが出来る(そして、どちらの絵も超上手い)。 だけど、『HALO3』と『ロストプラネット』の絵を見分けることが出来るのは、限られた人だけでしょうよと(そして、どちらのグラフィックも超スゴい)。
「それくらいフツーに区別つくよバーカ!」と思う人達からすると、「どうしてこんなに面白いゲームが日本じゃ売れないんだよ」と言いたくなるのでしょうが―――
画面写真・CMに触れる機会がない以前に、見かけることがあったとしても、僕らはそれらのソフトを個別認識出来ないのです。ぶっちゃけ、さっきの『HALO3』と『ロストプラネット』の喩えもテキトーで、僕はリアルなグラフィックのゲームの画面写真を「どれがどのゲーム?」と問題にされても当てられません。 「あー、何かさぁ。凄いグラフィックの映像がゲーム屋さんで流れてたけど、アレは何?」と言われてどのソフトか即答出来ないくらいならば、“凄いグラフィック”はセールスポイントにならないんですよ。
PS3にしても、Xbox360にしても、グラフィックでキラーソフトを作りたいのなら――― 他のゲームの映像は全部カスだけど、このソフトだけはグラフィックが化け物だから一見の価値あり!とくらい言わなきゃダメですよ。 そこまで露骨には言いませんでしたけど、初代プレステ時代の『FF』シリーズなんかはそういう認識だったじゃないですか。スゴい映像が観たければ『FF』買っておけば間違いはない、みたいな(本当にスゴかったかは置いといて)。
まぁ……僕は別に「リアルなグラフィックのゲームは売れない!」「リアルなグラフィックで勝負してはならない!」と言いたいワケじゃないのです。それならばそれでプロモーションの方法があるだろうと言いたいのです。 主人公のデザインに特徴を付けて、「あのキャラが出ているということはこのゲームだな」と思わせるCMをするとかね。任天堂がやっている手法はコレですし(『ゼルダ』の主人公はいつも同じ格好)、リアルではありませんでしたが“どのゲームも同じカメラアングル”だった格ゲーブームの頃は普通にやっていたことです。白い拳法着に赤いハチマキなヤツが出ているということは『ストリートファイター』だな、とか。
結局は、如何に他のゲームと差別化を図るかというコト。 「何故、こんなに面白いゲームが売れないの?」って、面白いかどうか以前に「区別が付かないから」だってことをどうして誰も指摘しないのか……あぁ、そうか。それをゲームマスコミが指摘してしまうと自らの無能っぷrゴニョゴニョ。
「区別が付かない」ついでに書いておくと、似たような名前のソフト&名前からではどんなゲームか分からないソフトが多いのも売れない理由の一つだと思います。洋ゲーだって昔の映画みたいに邦題にすればイイと思うんですが、海外にはそういう発想がないんですかね?
任天堂陣営に偏ってはいるとは言え、これだけゲーム情報にアンテナを伸ばしている僕でも区別が付かないんですから……一体、日本人ゲーマーの何人が区別出来ると言うんでしょうか。「売れなくても名作」ならばそれでもイイと思うんですが、それで「どうして売れないんだ!」とか言ってんじゃねえよと。
あと、もう半端ないのは略語ですね。 日参している個人ブログのプレイ日記を読んでいても、「このゲームは何というゲームなんだ?」と思うことがしばしば。皆さんは幾つ当てられるかな??
・DOA= ・PGR= ・N3= ・CoD= ・PSU= ・NFS= ・NFSC= ・NFSPS= ・TDU= ・GoW= ・GRAW2= ・MOH= ・KUF:COD= ・FFoW= ・DMC=
洋ゲー・和ゲーごちゃ混ぜにWikipediaで調べたXbox360ソフトの略称(一部Wikipediaに載っていないものもあります)。PS系も混ぜようかと思ったんですが、Xbox360に限定した方が面白いなと思ってこういうカタチにしました。
試験前か、コレは…… でも、冗談ではなく、プレイ日記にこういった略称しか書かない人はフツーにいるんですよね。で、そういう人達が「こんなに面白いゲームなのに日本では売れないんだよなぁ」とか言うの。応援したいんなら、せめて読んでいる人に何てゲームか分かるようにしてくれよ。
【正解発表】 ・DOA=デッドオアアライブ ・PGR=プロジェクトゴッサムレーシング ・N3=ナインティ ナイン ナイツ ・CoD=コール オブ デューティ ・PSU=ファンタシースターユニバース ・NFS=ニード・フォー・スピード ・NFSC=ニード・フォー・スピード カーボン ・NFSPS=ニード・フォー・スピード プロストリート ・TDU=テストドライブ アンリミテッド ・GoW=ギアーズ・オブ・ウォー ・GRAW2=ゴーストリコン アドバンスウォーファイター2 ・MOH=メダル・オブ・オナー ・KUF:COD=キングダムアンダーファイア : サークルオブドゥーム ・FFoW=フロントライン フュエル・オブ・ウォー ・DMC=デビルメイクライ
『GoW』って『ゴッドオブウォー』のことかと思っていたんですが(こっちはPS系のソフト)、検索してみたら「ゴッドオブウォーのことをGoWって略すんじゃねえよ!ギアーズと被るじゃねえか!」と怒っている人が出てきました。 これに加えて、2ちゃん発祥の略語とかもあったりして混乱はますます深まるばかり。『レインボーシックス ベガス 2』を『虹6V2』と略している人とかもいて、6なんだか2なんだか。
「タイトルが区別つかない」「プレイ日記を読んですら何というゲームか分からない」し、「画面写真や映像を見ても区別がつかない」上に、「やったことがないジャンルだから難しそう」と思っている人が大半の状況で、「どうしてこんなに面白いゲームが日本では売れないんだ!」って言っている人がいるのが凄いです。 だから、その「こんなに面白いゲーム」というのはどれのことなんだ。
いやね……「面白いゲームを作れば自然とみんなが買うはず!」なんてことを思っている人は少ないと思いますし、上で挙げたような洋ゲーであっても日本のゲーム以上にチュートリアルや難易度選択がしっかりしていて初心者でも楽しめるように工夫されているという話をよく聞きます。
ゲーム本編がそんなにユーザーのことを考えているのに、どうしてプロモーションはユーザー無視のまま進むんでしょうね。 むしろ、「こんなに面白いゲームなのに日本じゃ全然売れない」ことをプロモーションは恥だと思うくらいじゃないとダメだと思うんですけどね。そこで「日本のユーザーが悪いんだ!俺達は悪くない!」という発想になるから、そういうプロモーションになるんでしょうか……
[記事URL]
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| ネタを切り捨てる勇気 |
日本橋ヨヲコ『G戦場ヘヴンズドア』という作品に、主人公が描いた漫画(正確には漫画になる前のネームだけど)が「このコマを省略」「このフキダシは削って表情で見せる」と指示されるだけでどんどん読みやすくなっていくというシーンがありました。
僕がこのシーンを読んだのは自分で漫画を描き始める前だったので……“作品を良くする”という行為―――スポーツ漫画で言えば名監督がフォームを修正してくれるとか、バトル漫画で言えば師匠が新しい必殺技を教えてくれるとかに該当する行為に、『G戦場ヘヴンズドア』という漫画描き達を描いた漫画では“削ること”が使われていたことに驚きました。
“足す”なら分かりやすい。“変える”でもイイ。 しかし、この漫画では“削る”“省略する”“切り捨てる”ことこそが、漫画描きにとっての奥義であると描いていたのです。
そして数年経って。 自分で漫画を描くようになって3年、ようやく“削る”難しさと大切さが身に染みてきました。
何故、“削る”ことが大事なのか? 恐らく、必死すぎるのだと思うんですよ。思いついたものは全部見せなければ不安。作品の全部を伝えなければ魅力は伝わらないんじゃないかと不安。手を抜いていると思われたらどうしようという不安。 だから、全部のコマに自分の全部を詰め込んでいくのだけれど、その結果として重くて脂っこくて読みづらい漫画になってしまうのです。トンカツ!焼肉!ラーメン!みたいなもんで、年を取った我が身にはキツイですよと。
『G戦場ヘヴンズドア』の例では「コマ」や「フキダシ」という細かい単位でしたが、「シーン」や「エピソード」を丸ごとカットするなんてことは日常茶飯事ですし、場合によっては「キャラを丸ごと」削らなければならないこともあります。 “読みやすさ”のための場合もあれば、“際立たせる”ための場合もありますね。似たような女のコが二人いるならば、一人に集中させた方がイイだろうとかね。
後はもちろん……“尺”の問題もありますね。 テレビアニメやテレビドラマなんか典型的に“尺を変えられない”メディアなんで、泣く泣くシーンカットなんてのは当然でしょう。テレビドラマの場合は「人気があったから最終回の時間を増量しました」みたいなことがありますけど、アレって“本来は削るはずだったシーン”で水増ししているだけですよね? 映画もやはり観客が快適に観れる時間を考えなきゃなりませんし、ゲームの場合は容量の問題や手頃さのためにシーンカットをしているケースも多いです。
『大乱闘スマッシュブラザーズX』のアドベンチャーモードで、デデデとメタナイトのエピソードを丸ごと1つ削ったせいでよく分からなくなったという話が「スマブラ拳」最後の更新で語られていましたね。個人的には、アレくらい謎があった方がストーリーに食いつけるものではあるんですが。
映画でも、せっかくキレイにまとまっていた作品だったのに「未公開シーンを足した完全版!」のDVDを観たらゲンナリしちゃうこととかありますよね。「削るだけの理由があるシーンだったな…」とか、「削ってくれたままで良かったのに…」とか。
なので、僕はどんなジャンルでも「長さ」を謳っているものには魅力を感じません。 ですが、それは僕が“間”とか“緩急”を最重要視しているからだけで、「長く楽しめることが一番の幸せなんだ!」という考えの人もいるでしょう。好きな漫画に長く続いて欲しいとか、このゲームの冒険はいつまでも終わらないで欲しいとか、そういう考えの人が多いのも頷けます。
奥義が常に最強なワケじゃありませんからね。
さて、ここからが本題。 似たようなことはブログにも言えるんじゃないでしょうか。
“読みやすさ”のために、記事内で敢えて触れない事柄があるというのは当然のことながら…… そもそも、何でもかんでも記事を書けばイイものなのか?というのが最近の僕の迷いだったりします。 アクセスアップのコツとかは知りませんし、僕が語れることなんて何もないですが……書いてみてから自分で「面白くないなぁ」と思った記事をアップするかどうかに悩む人って、僕以外にも結構いるんじゃないかと思います。
ちなみに僕は昨日、久々の貧乳カテゴリーネタとして「俺達は女子高生が好きなんじゃない!女子高生の制服が好きなんだ!」というアレすぎる記事を書いていたのですが……3分の1まで書いたところで没にしました。面白くならなかったんですよ。
「変態に対する普通とは?」とか「準児童ポルノ禁止法の問題」とか「単純なデザインの美しさ」とか「僕はQさまで宮崎美子がセーラー服を着ているのでも全然イケるんだけど、女子高生の制服(でのエロ描写)を規制しろと言っている人達は、今言った僕のような思想を禁止することで被害者児童を減らせると思ってるのでしょうか」とか―――ダイジェストにしてみても、話にまとまりがなさすぎてワケ分からね。
アレやコレやを詰め込んで「で、一番言いたいことは何なの?」と言いたくなってしまうまるで僕が描く漫画のような記事になっちゃったんですよ。これは人に読ませるものじゃないな、とお蔵入り。自分が好きすぎることほど書きにくいという典型例でした。
「面白くない」ならまだマシな方で、「他人を不快にする」ようなものを何も考えずに書いてしまうことだって多いですからね。「世相を切ってやるぞ!」と書き始めたのに、「あれ?別に困ることじゃなくね?」と途中で気付いたりとか。 そういう記事を書いてしまった時、「これは人に読ませるものじゃない!」と言う天使と「でも、せっかく書いたんだし……喜んでくれる人だっているかも知れないし……」と言う悪魔の葛藤に悩まされるのです。
半年後も同じことを言っているかは分かりませんけど、とりあえずこのブログは「書いた記事でも納得がいかなければ切り捨てる」方向で行こうかなと思っています。 逆説的な話なんですが……「つまらなかったら切り捨てればイイ」という余裕があるからこそ、書き終わった時のことを計算せずに色んなことを書き始められるというのもありますしね。必死すぎないことが大事。
まぁ……こういうことを書くと、これから先アップされる記事全部が僕にとって「どうだ!面白いだろ!!」という記事だと宣言したということになるんですね(笑)。それでも別にイイですけど。
[記事URL]
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| WiiリモコンにはSTARTボタンもSELECTボタンもない……何故? |
こんにちは。 『みんなでパズループ』で母と対戦したらボッコボコにやられたやまなしです。
僕は知らなかったんですが……『パズループ』は元々10年前にアーケードから出てきたゲームで、プレステやゲームボーイカラー、携帯電話向けアプリなんかでも発売されていたんですね。ゲームとして物凄くよく出来ている上に遊び方が分かりやすいので、長く「定番」として愛されてもおかしくないゲームだと納得。 ただ、Wiiウェア版から入った自分からすると、現在『みんなのニンテンドーチャンネル』で配信されているDS版の体験版には驚きました。デザインが尖っていて“男のコのゲーム!”って雰囲気なんですよ。“家族で楽しむ”ライト路線のWiiウェア版とは大きく違います。
DS版の公式サイトと、Wiiウェア版の公式サイトを見ると差は一目瞭然。 DS版の感想を探してみたら、『忍之閻魔帳』さんの感想を発見しました。DS版で指摘されていた「取っ付きにくさ」をWiiウェア版では修正し、更に価格を1000円に抑えてきた辺りは流石に任天堂というところでしょうか。ミッチェルのホームページにはWiiウェア版の情報が載っていないので、今回は開発に関わらず権利だけのクレジットだったのかも知れませんね。
ミッチェルは『数陣タイセン』で評判を上げたと思うのですが、アレも全体的に地味なデザインがゆえに「取っ付きにくい」イメージだったのも確か。逆に言うと、パブリッシャーと組んで「取っ付きやすさ」を取り入れていけば面白いんですけどねぇ。
さて、こんな風に我が家では“ゲーム人口拡大プロジェクト”が成功し、これまでゲームには全く興味がなかった両親がハマるようになり、僕をあっさり打ち破るようになったのですが……そんな両親を見ていると、ゲーマーからは信じられないところで躓いていることに気付くのです。
ウチの父も母も、ゲーム中にポーズ(一時停止)が出来ないんですよ。
もちろんその度に「この+ボタンを押すと一時停止になるんだよ」と教えているのですが、『Wii Sports』でも『Wii Fit』でも『みんなでパズループ』でもその操作を覚えてくれませんでした。そのため、急に客が来た場合は「諦める」という潔さ(笑)。
冗談みたいな話ですが、僕が横から「プラスボタン押して!プラス!」と叫んだら、手元を見て十字ボタンを押していたことが何度も……確かに「プラス(+)」の形はしてますけどさぁ。初めてWiiリモコン触った人ならともかく、1年半の間、ほぼ毎週触っているのにも関わらずですよ。
「+ボタン=ポーズ」が覚えられないというよりは、Aボタン・Bボタン以上のボタンを使えないということなんでしょうね。『インターネットチャンネル』を使っている父に「+ボタンを押すと文字が拡大出来るよ」と説明しても覚えてくれませんし…… こういう人達を相手に商売をしなきゃならないんだから、任天堂の選んだ道って意外に大変なのかも知れませんね。
(参考:画面内に操作が全部あるということ)
しかし、ゲーム自体に不慣れなウチの両親でなくても、初めてWiiリモコンに触った人はビックリするんじゃないですかね。「あれ?STARTボタンがないぞ!どれでポーズするの!?」って。 実際には「STARTボタン=+ボタン」「SELECTボタン=−ボタン」と覚えておけばイイですし、バーチャルコンソールでWiiリモコン横持ちをする際にはまさにそのボタン配置になるのですが……なら、どうしてSTART&SELECTボタンではなく、+&−ボタンにしたんでしょうね?
検索してみたら、2006年5月の記事でWiiリモコンのボタンの名称が変わったという記事がありました。タイミングとしてはE3の頃で、Wiiリモコンにスピーカーが付いたことが明らかになった時期ですね。
ちょうどこないだ2005年9月の時点でのWiiリモコンの映像を紹介しましたが、アレを見てみると(上の記事とズレちゃうのですが・汗)―――現在のWiiリモコンでは「1・2ボタン」となっているボタンは「X・Yボタン」で、「+・−ボタン」となっているボタンは恐らく「START・SELECT」ボタンとなっていたみたいです(文字は読めないのですが、ボタンの下に文字が書かれているのが確認できます)。
2005年9月時点で発表されていたWiiリモコンのボタンの名称は「十字ボタン、Aボタン、Bボタン、STARTボタン、SELECTボタン、Xボタン、Yボタン、Homeボタン、電源ボタン(名称不明)」だった―――と考えると、面白いですね。名称だけならほぼスーファミのコントローラと一緒ですもの。
何故、STARTボタン・SELECTボタンは+ボタン・−ボタンに変更されたのか?
X・Yボタンは分かりやすいです。 元々スーファミのX・Yボタンも「A・Bボタンとは違うもの」として考えられたそうなんですが、実際には4ボタンは4ボタンとしてセットで定着してしまいましたからね。そうしたスーファミの4ボタンと、Wiiリモコンの4ボタンは意味合いが全然違うということを「A・Bボタン」「1・2ボタン」と分けることで浸透させたかったのでしょう。
では、用途もほとんど一緒な「STARTボタン・SELECTボタン」は何故?
○ 記号であることに意味があった 僕は敢えて「+ボタン・−ボタン」は「STARTボタン・SELECTボタン」と用途がほとんど一緒と書いたんですが……実を言うと、「STARTボタン・SELECTボタン」とは違う使われ方をすることもあるんですよね。
喩えば、Wiiメニューで画面を切り替えるのにはこの「+ボタン・−ボタン」を使います。どっちかというとLRボタンのソレに近いんじゃないでしょうか。後はまぁ、『インターネットチャンネル』などで使われた「拡大・縮小」用途。 これらは「STARTボタン・SELECTボタン」という名称よりも、「+ボタン・−ボタン」という名称の方がしっくり来ます。
あと、上で挙げた「画面内に操作がある」ということから考えると……「+ボタンを押して下さいね」という記号と「STARTボタンを押して下さいね」という記号を画面に載せる場合、前者の方がスペースが少なくて済む上に分かりやすいです。 極論ですが、「START」と「SELECT」ってゲームに慣れていない人からすると似てるんですよね。
○ そもそも「STARTボタン・SELECTボタン」って名称は何だよ? どうでも良いけど、Windowsで電源を切る時に「スタート」ボタンを押すのって哲学的ですよね。 「PCの電源を切って、俺はリアル世界に戻るんだぜ!」みたいな(多分違う)。
ファミコン最初期の頃は、「STARTボタン」はタイトル画面からゲームを始める時に使い、「SELECTボタン」はその際にゲームモードを選ぶのに使っていたと思います。用途と名称が一致していたんですよね。 この辺はファミコン以前のアーケード文化が影響していると思うんですけど、どうでしょう。ゲームを最初の状態に戻すリセットボタンを本体に付けて、ゲームを始めるSTARTボタンをコントローラに付けたのは“工夫”だったそうですし。
でも、僕が物心付いた頃には既に「十字ボタンとAボタン」で始められるゲームが主流になっていました。『ドラクエIII』なんてタイトル画面すらありませんでしたし。 その後のSTARTボタンは、A・BボタンやA・B・X・Yボタンなどとは違う役割のボタンという意味合いで……アクションゲームの場合はポーズ(これは最初からそうか)、RPGなどではメニューのような“上位ボタン”の位置を確立していたと思います。 SELECTボタンはその補佐でしょうか。
「SELECTボタンなんて要らなくね?」とか言い出すと、『スーパーマリオワールド』のように「既にクリアしたことがある面を脱出する」機能が使えなくなるという罠。『ゼルダ』シリーズでも多用したと思います(地図出すのに使うんだっけ?)。意外に重宝するんだよ、SELECTボタンは!!
でも、元々ボタンの名称由来となった「ゲームをスタートする」「モードを選択する」用途からとっくに外れているのも確か。そうした意味ならば、Wiiリモコンが「STARTボタン・SELECTボタン」という名称を捨てたというのも納得が出来ます。
逆に言うと……PS系とかはどうしていつまでも「STARTボタン・SELECTボタン」なんでしょうね? Xbox360の場合は「STARTボタン・BACKボタン」ですっけ。こっちはまぁ対比として分からんでもないか(そういう使い道があるのかは知りません)。
ポーズボタン=STARTボタンという共通認識があるから、これまではそこに手を付けて来なかったということなんだと思うのですが……こうしたところからも、PS3&Xbox360とWiiの方向性の差が見えて面白いですね。どっちがイイという話ではなく、狙っているところが全く違うということで。
しかしまぁ……『みんなでパズループ』のように使うボタンが「Aボタン」と「+ボタン」しかない(砲台回転はWiiリモコンをひねる)ゲームですら、「そんなにたくさん覚えられない!」と言われるんですからねぇ。 「ゲーム初心者でも楽しめる!」というキャッチコピーを実践しようとすると、如何に難しいことかと思います。それなのに、やたらと色んなボタンを使わすゲームであってもそんな「ゲーム初心者でも楽しめる!」的なコピーを使っているのが凄いジャロ。
本気でゲーム初心者にも売っていきたいのなら、いっそのことパッケージに「ボタンを幾つ使います」とか書けばイイのにね。最低限幾つで、最高幾つでプレイ可能――みたいに。
[記事URL]
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| モテない人こそが「モテる人はエライ」という社会通念を作っているのではないか |
これだけ価値観が多様化した社会なのに、どうして「モテない人はダメなヤツ」で「モテる人はエライ」みたいな意識がいつまでもなくならないんだろうと思う日々。
だって、みんな「個性が大事」とか「自分らしく生きるべきだよね!」とか言ってるじゃん! なら、モテないことを誇りに持つ人間が多くてもイイはずだし、僕のように“日本一モテない男”は「あそこまで極めてみたいよな」と崇められたってイイじゃないか!「フッフッフ!その程度で日本一を名乗るとは片腹痛いわ!」と、突如として(モテない道の)武者修行の旅に出ている男(学ランで楊枝をくわえている)からライバル宣告されたっておかしくないじゃないか!
……というのは、いつもの如く屁理屈。 「モテること」も「モテないこと」も立派に個性だとは思いますけど、そういう問題じゃないんですよね。
「もっとモテるようになりたいよなぁ」と思う人はたくさんいるけど、「もっとモテなくなりてえんだよなぁ」なんて思う人はほとんどいないのです。ドルより円を求める人が多くなれば円高ドル安になるのだし、円よりドルを求める人が多くなれば円安ドル高になるのです。
要するに、今は“モテない安/モテる高”なだけなんだと思うのです。 語呂が超悪い。
これってちょっと皮肉な話ですよね。 「モテる人はエライ」という社会通念を作っているのは、実際に「モテる人」ではなく、モテたいと思っている「モテない人」だという。 世の中の「モテない人」達がもっと「どうだ!モテない俺達(私達)はスゲーだろ!!」と誇りを持って生きるようになれば、こんな一方的な価値観はなくなって、みんなが幸せになる社会になるんじゃないかと青臭いことを思ってみたり。
こういうことって別に「モテる」「モテない」の話だけじゃないですよね。 喩えば、ニンテンドーDSが超絶大人気だった頃は「どこに行っても買えない!」「みんなが欲しがっている」ことがステータスになっていましたけど……DSを持っていて楽しんでいる人ではなく、DSをまだ買えていない人の量が人気のバロメーターになっていたという不思議な話。
漫画にしても、テレビにしても、ラジオにしても、アイドル歌手にしても……その人気を計るにはそのファンよりも、その当事者をよく知らない人がどう思うのかだったりするんですよね。当事者に近すぎると逆に冷静な判断が出来ないというか。
(参考:ゲームをやらない人が遊ぶゲームがベストセラー) (参考:「普段萌えない属性の人を萌えさせられるのがメジャーキャラ」説)
まー、これはあくまで「人気があるかどうか」というだけの話ですけどね。 「人気がある」「売れている」ものが自分にとって必ずしも気に入るものではないことくらい、恐らくみんな分かっていることだと思います。
同じように、世間から人気のない「モテない人」だって、その人にとってはストライクなことだってあるはずなのです。そうとでも考えなければ生きていけません。嗚呼、生きていけません。
[記事URL]
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| 右手にはWiiリモコンを、左手にもWiiリモコンを |
ちょっと前の話ですが、面白かった記事があったのでご紹介。
2005年TGSのトレイラーから見る、任天堂がWiiで果たせていないこと
2005年9月の東京ゲームショウでの、Wii(当時はレボリューションというコードネームですね)の「こんなことが出来るゲーム機ですよ」というお披露目映像です。ゲーム画面は一切なく、Wiiリモコンを使って遊んでいる人と音だけで構成されている変わった映像ですね。 上述の記事では、映像で「こんなことが出来ますよ」と使われている例を一つずつ「実際にゲーム化されているか」で判定しています。歯医者のゲームは、Wiiより先にDSで実現されてしまいましたね。
次に、2006年5月のE3のページ。こちらにもコンセプト映像がありますね。 初めてWiiソフトの画面がお披露目された発表会で……この映像とは別の話ですが、岩田さん・宮本さんなどによる『Wii Sports』の実演、『スマブラX』の映像披露とスネーク参戦で、ゲーム業界に「Wiiイケるんじゃないの?」という空気を呼び込んだ時期ですね。日本だと丁度DSバブルの時期でしたし(『Newマリオ』が発売された頃)。
ついでに、2006年9月のWii Previewのページも紹介しておきます。 順々に見ていくことで気付く面白さもあるでしょうし。「あ!リンクが左利きから右利きになった!」みたいに(笑)。
さて……これらの映像は「Wiiならこんなに色んなことが出来るんだ!」と思わせてくれるインパクトがあり、その結果として様々なソフトが発売されてきたと思うのですが―――部分部分にハッタリがあったのも確か。 具体的な例を挙げると……Wiiリモコンを両手に持ってドラムのように叩くゲームは、上で紹介した3つの映像には登場していますが、実際のゲームは未だに出てきていません。『Wii Music』に期待したいところですが、2008年4月の時点ではそういった機能が付いているのかも不明です。
本体発売から1年以上が経過してもドラムのゲームが出てこない理由。 一つには―――Wiiリモコンには位置センサーが付いていないことが挙げられます。 Wiiリモコンは(ポインターをセンサーバーに向けない限りは)「加速度」と「傾き」くらいしか感知できないので、多くの“振るゲーム”は苦戦をしてきました。ドラムのように“どこを叩くか”が重要なゲームを作るのには向いていないんですよね。
加えて言うと―――Wiiリモコンを二つ使うゲームの場合、「Wiiリモコンを一つしか持っていない」人は遊べないということもあります。 いやまぁ、『はじめてのWii』が200万本売れているのだから少なくとも200万台のWiiには2本のWiiリモコンが装備されているんですが……その場合であっても、2本のWiiリモコンでは一人用でしか遊べませんよね。流石に4本Wiiリモコン持っている人は少ないでしょうし、「複数Wiiリモコンを持っている人」というのは「複数人プレイで遊びたい人」が多いでしょうから、商品化が難しいのかも知れません。
個人的には、Wiiウェアでなら「Wiiリモコンを2つ使った一人用専用のゲーム」を出してみるのも面白いと思うんですけどね。それで手ごたえがあったのなら「もっと本格的に作ってパッケージでも出してみるか」となればイイのですし。
Wiiリモコン+ヌンチャクだと、ヌンチャク側に振動とスピーカーがないのが痛いんですよね……『Wii Sports』のボクシングをやっていても、左手で見事なパンチを当てても振動するのが右手(側のWiiリモコン)なのが残念でした。
せっかく“片手で操作出来る”Wiiリモコンなんだから、それを活かしてWiiリモコン二刀流のゲームがもっと出てきてもイイと思うんですが……僕が知る限りは、『はじめてのWii』の射撃くらいしかありません(しかも、あれは二刀流の方がスコアが上げにくい……)。
しかし、これはオフィシャルな遊び方での話。 ゲームというものは、いつだって作り手の想像を超えた遊び方を遊び手が編み出していくものです。
つーか、ウチの親父の話なんですけどね。 『Wii Sports』のテニスで、右手と左手にそれぞれMiiを用意してWiiリモコン二刀流で“一人ダブルス”を遊んでました。
なるほど!この手があったか! 通常、『Wii Sports』のテニスを一人で遊ぶ場合……前衛と後衛を1本のWiiリモコンで操作するため、前衛が空振った時に後衛も一緒に転んでいるということがよくありました。そのため、実力が伯仲すると「前衛がボレー出来ない球を見極められるか」ゲームになってしまい、爽快感に欠けるよなーとゲンナリしていたのですが。
右手と左手の役割を分けることで、思い通りのダブルスが可能に! これこそ“片手で操作出来る”Wiiリモコンの恩恵!!
……というところでやめておけば「ウチの親父ってスゴいなー」と思えたんですが。 その一人ダブルスにも飽きてきたらしく、次には「右手vs左手」の一人対戦で遊んでいました。延々とラリー。もうこうなるとワケが分からん。アンタは誰と戦っているんだ。
従来の“両手で持つコントローラ”では、一人で二人分の操作をするなんてことは不可能でした。 ですが、片手で操作出来る”Wiiリモコンならば一人で協力プレイ・対戦プレイが可能というのは面白い発想ですよね。 『細菌撲滅』や『みんなでパズループ』でも同様のことが出来そうです。ただでさえ脳を酷使するゲームを、二人分同時に考えなきゃならないのが楽しいかは知りませんが……
実際、コントローラを変えたことによって「これからはアイディア勝負の色んなゲームが出てくるぞ!」と思われたほどには……色んなゲームは現れていませんよね。ひょっとしたらゲーム業界の「アイディア」なんて大したことなかったのかなぁと寂しい気持ちになったところも正直言ってあります。 ロンチのソフトを除けば、「Wiiリモコンにはこんな使い方があるのか!」と驚けたのは『Wii Fit』の「ながらジョギング」くらいでした。それを考えたのも『Wii Sports』スタッフですしねぇ。
今後はWiiウェアもあるワケですし……ウチの親父の「右手vs左手」のように、「何じゃそりゃ!」と言いたくなるゲームが今後はもっと出てきて欲しいです。
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