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| 考察:“乳袋”はもっと評価されるべきだと思う |
二次元と三次元の違いのお話。 “二次元特有の文化”の中で、アナタが一番好きなものは何ですか?
自分の問いに、真っ先に自分で思いついた答えが「触手!」だった辺りが流石やまなし。 ただまぁ、「触手」は「エロ同人誌特有の文化」という気がしますし、西園寺さんの記事によると「触手」の原点は葛飾北斎らしいですし、“二次元特有の文化”と言い切るのには抵抗があるかも知れませんね。 オレ達の原点は北斎にあるんだ!とか言い張ると偉くなった気はしますが。
どうでも良いけど、Wiiリモコンで触手を自在に操るゲームとか出ませんかね?(出ねーよ)
当ブログで、「触手」とセットで紹介されるのが「百合」。 これもまぁ、“二次元特有”っちゃ“二次元特有”なんですけど……「三次元百合」という夢を追いかけ続けるのが百合好き達の生き様なので、「二次元にしか存在しない」とは言いたくないですね。百合こそが至高、世界中が百合に満ち溢れればイイのにと思う日々です。
ということで…… 「触手」でも「百合」でもなく、“二次元特有の文化”として僕はこれを推したい。
「乳袋」
ちぶくろ【乳袋】 (1)乳房。 「こなたは―もよいによつて/浮世草子・胸算用 3」 (2)「乳脹(ちぶくら)」に同じ。
ちぶくら【乳脹】 (1)三味線の部分の名。棹(さお)の上部で、糸座(いとぐら)の下の左右へ丸くふくれた所の称。乳袋(ちぶくろ)。 (2)鼓の胴で、両端のふくらんだ所の称。乳袋。
<Infoseekマルチ辞書より>
ではない。
“二次元特有”の「乳袋」とは「ちちぶくろ」のことです。 この「乳袋(ちちぶくろ)」―――ヲタク界では一般常識だろうと思っていたのですが、何とあのWikipedia先生にすらページが存在しないという衝撃の事実。概念としては多くの人が認知しているであろうことなのに、キチッとした定義がされていないということなんでしょうか。
この事実!おっぱい学の権威たる僕が見過ごすワケにはいきません!!
なので、“乳袋”を知らない人のために解説しましょう。 人間が着る服には、様々な素材・薄さ・形状があるので……喩えば、巨乳の女のコがピッチリしたボディスーツを着た場合と、分厚いコートを着た場合では、異なったシルエットになるというのが現実です。服が分厚く、堅い素材であればあるほど、おっぱいの形通りのラインにはならないのです。おっぱいを堪能できないんですね。
巨乳・貧乳話をしていた頃によく聞いた話だと、巨乳のコは似合う服が限られてしまうそうですね。ダボッとした服は、巨乳部分に押し上げられすぎてデブって見えてしまうというか。大きなおっぱいも良いことばかりじゃないんですよね(むしろ不便な話の方がよく耳にします)。
そんな夢も希望もない現実を打ち破ったのが、“乳袋”という概念です。 “乳袋”が……“乳袋”さえあれば、僕らはおっぱいの形を堪能出来るです!ブレザーであっても、コートであっても、冬物スーツであっても、ボディスーツを着ているかのようにジャストフィットしたおっぱいそのままのラインを描いてしまえ!というまさに“二次元でしか許されない”テクニックです。 それが、あたかも「あの服にはおっぱい用の袋でも付いているんじゃないか?」と言われたことで、“乳袋”という言葉になったのでしょう。具体的には、下乳のラインと谷間のめり込み具合で判定されるみたいです。
恐らくは、この言葉は「現実的ではない」「あんなのはリアルではない」といった揶揄から生まれた言葉なんだと思います。 実際に服屋さんが、巨乳の女のコのおっぱいごとにフィットした服を作って売っていくのは大変なことですからね。ほとんどがオーダーメイド。ちょっと油断して体型が変わるだけで着れなくなってしまいます。
確かにそう。「現実的ではない」。 ただ、だからこそ―――現実では存在しえないものすら描けてしまう二次元では、「現実的ではない」「リアルではない」からこそ“乳袋”を描き続けなければならないんだっ!!と声を大にして言いたいのです。
言わば!これは人々の夢! 世知辛い「現実」を描いているだけで人は夢を見ることが出来るか!?否、出来やしない!!
物理法則など知るか!そこに人々の夢と願いがある限り、喜んで僕らは“乳袋”を描こうではないか!
とは言え、物事には限度があるのも確か。
“登場人物のほとんどが美少女で全員主人公のことが好き”みたいなファンタジー極まりないハーレム漫画ならともかく、“今、医療界で起こっている現実をリアルな描写で暴いてしまおう”みたいな作品で乳袋はどうかと思います。許容レベルとしては、“ピンク髪”等と同じくらいですかね。
また、人によって好き嫌い・許容範囲が違うことも忘れてはいけません。 喩えば僕が「死んだと思ったキャラが普通に生きている」だけでその漫画を見限ってしまうとか、「物語の都合上、便利に記憶喪失になったり治ったり」が許せる人/許せない人がいるだとかと同じように―――「“乳袋”とか、冷めるわー」と思っている人もいるでしょう。
“乳袋”によって失ってしまうものもあります。 先ほど僕は「巨乳のコは似合う服が限られてしまう」→「“乳袋”ならばどんな服でもジャストフィットするので問題解決!」かのように書きましたが……これをやってしまうと巨乳ならではの悩みが一つ解消してしまうので、「巨乳コンプレックス」を感じているヒロインというものは描きにくくなってしまいます。 「巨乳コンプレックス」を感じているコが、おっぱいの形丸分かりな服を着ているというのも妙な話ですしね。
どんな場合であっても全ての人を満足させる“最適解”などないのです。 “乳袋”は万能ではなく、むしろ局所的に一部の人達を喜ばすことが出来るピンポイントなテクニックくらいに考えておくのがイイのでしょうね。過剰な幻想は禁物、おっぱいだってデカければイイというものではないのと一緒ですね。
僕が言いたいのは―――“乳袋”のような概念こそが、モノ作りでは大切ではないだろうかということなのです。必ずしも“乳袋”を使う必要はないけれど、“乳袋”から学べることは多いであろうと。
それはすなわち、描きたいものを描くためには物理法則なんか無視してしまえというシンプルな真理。
「これは現実的ではないんじゃないか」「このウソはやりすぎなんじゃ」「あれ…パース狂ってる?」 無から物語を紡ぐ際、どうしたって迷いが生じてしまうものです。読者(視聴者、プレイヤー)に夢を見させる以前に、自分がその夢を信じられなくなってしまうことがあるのです。それは仕方がない。ある限度を超えてしまえば、その先にあるのは破綻だけです。
でも、本当に描きたいもの&描かなければならないものがあるならば、その夢を自分が信じてやれなくてどうすると言うのでしょうか。「世の中のほうがそう変わるように祈れ!!」とは島本和彦先生の『燃えよペン』に出てくる台詞ですが、まさにその通り。
むしろ、俺の作品についてこれない現実が小っちゃいんだくらいの気持ちでいなければダメだと思うのです。男ならば(女でも)、戦わなければならない時があるのだ―――!!
……と、“乳袋”は教えてくれました。 たかが“乳袋”、されど“乳袋”。この世の中の全ての答えはおっぱいに隠されていると言っても過言ではないでしょう。おっぱい道、未だ道半ば。
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