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変わらない価値のあるもの

2009年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年02月

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『ドラゴンボール』終了のタイミングを考える

※ この記事は原作漫画版『ドラゴンボール』全編のネタバレを含みます。
アニメ版は未視聴なのでこの記事では触れないことを御了承下さい。



 まず始めに。
 自分は「あのタイミングでの終了」を全肯定しています。鳥山先生本人はもっと早く終わらせたかったとか、連載が続いたのは関係各社のためだったとか、ネットではもちろんネットがない時代から色々と言われていますけど……あれだけ連載が続いて、その間もずっと大人気で、今でも『ドラゴンボール』を愛している人が沢山いるのだから「もっと早く終わっていれば」なんて思えません。


 僕の世代だと「フリーザ戦で終わっていたら最高だったのに」と言う人も多いんですけど、フリーザ戦以降から『ドラゴンボール』を知った人ももっと下の世代にはいるでしょうし。そうやって色んな世代に愛されることが出来るというのが長期連載の特権だし義務なんだろうと自分は思っています。

(関連記事:「“ドラえもんに出てくるセワシ君”って誰ですか?」の意味



 なので、今日の記事は“不毛な話”の極みです。
 「もしタイムスリップ出来るとしたらいつの時代に行く?」とか「24時間後に地球が滅亡することを自分だけが知ってしまったらどうする?」みたいな、中二のファミレストークな雰囲気で読んでもらえたら嬉しいです。それと、僕はバナナマンが大好きです(謎)。



 かつて書いたことがあるんですが……『ドラゴンボール』は「○○編」ごとに違うルールで描かれている作品だと思うのです。

 喩えば「サイヤ人は死の淵から復活すると強くなる」という設定は、実はナメック星編以外ではほとんど活用されていないんです。セルが1回使っただけ。ベジータが人造人間にコテンパンにやられた時も、フリーザ戦の時のように「俺を撃ってくれ!」とクリリンに頼めば良かったのにね。そしてトランクスに「父さん、そんな趣味が……!」と驚かれる。

 「しっぽ」と「大猿化」もサイヤ人編ではキーアイテムになりましたが、その後はベジータも悟飯もしっぽが生えてこないし大猿にもならないんですよね。トランクスと悟天のしっぽはどういう設定なんだったっけ……



 だから、『ドラゴンボール』は「○○編までだよね」と言われやすい作品なんだろうって思うのです。
 新しいルールを受け入れられない人も多くて当然。それこそ「ドラゴンボールが手軽に生き返られるアイテムになってしまった」と嘆くのも、それ以前の作品が大好きだったからこそだと思うのです。

 ならば歴史のifとして、「もし○○編で終わっていたら『ドラゴンボール』はどうなっていた?」を考えてみると面白いんじゃないかと今日も見切り発車のまま書き始めてみました。一体どんな結論になるんだろうね!(他人事)


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ケース1.「ギャルのパンティおくれー」で終了
 現実的にはありえませんけどね。
 人気絶頂だった『Dr.スランプ』を終わらせてまで始めた『ドラゴンボール』をあの時点で終了させることは、鳥山先生にとってもジャンプ編集部にとっても不本意でしょうから。

 ただ、それはそれで良作という気もするんですよね。
 山奥で暮らしていた田舎モノ孫悟空が、ブルマとともに旅に出て、外の世界には色んな人間がいることを知り、最終的には“自分”を知ってエンディング―――彼らはドラゴンボールを揃えられなかったのだけど、ブルマもヤムチャも“願い”を叶え、外の世界を知った悟空は亀仙人の元に修行に行くというラストでも非常に美しい終わりじゃないですか。


 後の超絶ヒットを知らなければ、これでも「それほど有名ではないけれど隠れた名作」的な存在になったと思います。冨樫先生の『レベルE』みたいなカンジで。ただ、商業的には「もっと続けてよ!」と関係者は思うでしょうけどね(笑)。

 良いところ:非常にコンパクトにまとまった良作になったと思う
 悪いところ:短い


ケース2.ウパの父ちゃんを生き返らせて終了
 当時はあんまり意識していなかったんですけど、孫悟飯(じいちゃんの方)との戦いってラスボス戦のような描かれ方とも読めるんですよね。
 強敵レッドリボン軍との戦い、カリン塔での修行を経て、亀仙人にすら「ワシにも見えんかった」と言わしめるほどの強さを手に入れた悟空が最後に戦うのは育ての親―――強さでは勝っていても、実は弱点だったしっぽをつかまれてしまうという。これも前に書きましたけど、悟空がしっぽという弱点を克服したことが『ドラゴンボール』という作品の変化の始まりだったと思いますし。

(関連記事:『ドラゴンボール』におけるインフレバトルの葛藤


 その後にピラフ一味と戦うというのも、前回は揃えられなかったドラゴンボールという視点で考えると非常に面白いですし。未消化の伏線もほとんどありません(占いババの発言がなければ)。ここで終わってもまた非常にキレイにまとまった作品になっていたことと思います。

 良いところ:描くものを全て描き、伏線も消化しきる最高のエンディングになったかと
 悪いところ:クリリンがヘタレのまま終わる


ケース3.ピッコロ大魔王編で終了
 最後にドラゴンボールを復活させるかは置いといて―――
 初めて本格的に“世界の危機”に直面したピッコロ大魔王編で終わるというのもキレイなエンディングだと思います。次々と倒れていく仲間達、ドラゴンボールすら失い、最後に頼れるのは孫悟空ただ一人!という状況での最終決戦はムチャクチャ熱かったです。

(関連記事:「ピッコロ大魔王」編の衝撃は半端なかった


 ただ、ここで終わってしまうと「悪」を「悪」として葬って終わりなんですよね。
 二代目ピッコロやベジータが心を改めるのは分かりやすいんですけど。フリーザだって、あれだけの「悪」で宇宙を震撼させた人物が、自分よりも強い存在を知るとどんどんどんどんチッポケな存在だったことが露呈されて(これはレッド総帥の最期にも通じる)。魔人ブウも「別の形で出会っていれば」というラストでしたし。セルについてはよく分かんないんだけど(笑)、『ドラゴンボール』って「実は悪人も大して変わらない存在なんだよね」と描いている作品なんだと思うのです。


 いや、「○○編によってルールが違う」法則からすると「最後の相手だけ純粋な悪」という終わりでも構わないんですけど。後の『ドラゴンボール』を考えると、ここでの終わりというのはしっくり来ない部分もあるのです。


 良いところ:作品の集大成のような最終決戦に、美しすぎるラストだとは思う
 悪いところ:ただちょっと「勧善懲悪」が強すぎて『ドラゴンボール』らしくない気も



ケース4.天下一武道会優勝で終了
 「もうちょっとだけ続くんじゃよ」のところで終了というケース。
 史上初、トーナメントに進出した8人全員が既出キャラという天下一武道会の通り、“締め”としても“未来を描く”意味でもエンディングには相応しいと思います。天津飯は過去を乗り越え、クリリンはピッコロに認められるほど強くなり、悟空は所帯を持ち、ヤムチャは髪が伸びました(笑)。

 ここまでの3つのケースは全て「悟空が修行に出る」ラストだったんですが、このケースだけが違うんですよね。悟空はチチと結婚することで“家”を手に入れるんです。ブルマと出会って以降、旅と修行を続けていた悟空が初めて“帰る場所”を手に入れるんです。

 ラディッツ戦でピッコロに「てめー修行サボってやがったな」と嫌味言われるくらいですからね。
 よっぽど楽しい新婚生活だったことでしょう。


 良いところ:登場人物一人一人の物語を描いたキレイなエンディングになったと思います
 悪いところ:ヤムチャと餃子は例外


ケース5.サイヤ人撃退で終了
 これはない。
 サイヤ人編は「ピッコロが悟飯を救うために死ぬ」という一本の筋道が早い段階で出来ていたので(神様が死を予感していた)、サイヤ人を倒してもドラゴンボールが失われることは決まっていました。ここで終わったらハッピーエンドにならないんですよね。

 まー、「誰かが死んだらハッピーエンドにならないのか」という議論はありますし、ヤムチャも餃子も天津飯も生き返ったところで大した出番もなかったし……という暴論もあるんですが。やっぱり後味は悪いと思うのです。
 そもそもベジータって何がしたいのかよく分かんない敵でしたしね。不老不死になりたかったのはフリーザへの敵対心で、フリーザが悟空に負けてからは悟空を超えることに目的が移ったのだろうけど。この時点では「何がしたいんだコイツ」という印象でしかなかったし。

 良いところ:「地球のみんなで戦った」名勝負ではありましたけどね……
 悪いところ:ここで終わっていたら後味悪かったと思います



ケース6.ナメック星でフリーザ倒して終了
 僕の世代だとこの「フリーザ戦で終わっていれば最高」という意見は多いんですよねー。
 天下一武道会でピッコロ倒して優勝もそうなんですけど、「悟空が最強になってエンディング」という締めをキレイと思う人が多いんじゃないかと思います。宇宙最強だったフリーザを超サイヤ人になった悟空が倒して、地球の仲間も復活して、確かに伏線も消化し終わって後味も良いとは思います。


 ただ、自分としては「悟空が最強になってエンディング」というのは極めて『ドラゴンボール』らしくないと思うんです。これはあくまで僕の『ドラゴンボール』観なんですけど……『ドラゴンボール』って最強になった人はその後に没落するんですよ。
 サイヤ人編で悟空に完勝して間違いなく「最強」だったベジータは、ヤジロベーに足をすくわれ、最後は大猿悟飯に潰されて敗走するハメになります。宇宙「最強」だったフリーザは、名も知らぬ青年に粉々にぶった斬られてミジメな最期を遂げます。そのフリーザを倒した宇宙「最強」の孫悟空も心臓病には勝てませんでした。セルについては後述。魔人ブウ編でゼットソードの力で「最強」になった悟飯はあっさり魔人ブウに吸収される体たらく。その魔人ブウも、一人で戦い続けるも地球みんなの力を合わせた元気玉を喰らって消滅―――

 『ドラゴンボール』は「最強」を目標とした作品だと思うんですが、同時に「最強」がゴールではないことも描いていたと思うんです。
 まー、そりゃ「最強」キャラが「最強」のままだったらストーリーにならないんですけどね(笑)。何度も書いているように自分は『ドラゴンボール』は脱インフレバトルを目指した作品だと思っているので、「悟空が最強になってエンディング」というのはしっくりこないんです。


 良いところ:悟空が宇宙最強になって宇宙が平和になるエンディング
 悪いところ:でも、「強いものが正義だ!」ってラストは『ドラゴンボール』らしくないと思う


ケース7.セルゲームに勝って終了
 ということで、個人的にはこっちの方がしっくり来ます。
 主人公(=悟空)が最強になるのではなく、我が子を最強の戦士に育てて世代交代をして終了。

 以前にも書いたことですが、人造人間やセルは“旧世代”の力の結集なんです。そもそもレッドリボン軍の生き残りという辺りが“過去の呪縛”とも言えて。“旧世代”の技術によって作られた「最強」の生物セルを、“新しく生まれてきた”悟飯やトランクスが打倒することに意味があったのだと思います。悟空やベジータはそれを導くだけで、己は戦いの舞台から去っていく……

 もちろん魔人ブウ編では再び悟空もベジータも戦いの舞台に戻ってくるんですが(笑)、逆に言えばココで終わっていれば悟空やベジータらの“旧世代”が、悟飯やトランクスら“新世代”にバトンタッチして終わるというキレイなエンディングになったと思うのです。

 (関連記事:コルド大王は“旧世代の象徴”だったのだと今更ながらに気付きました


 ただ……個人的には人造人間編はあんまり好きじゃないんです。
 敵が強くなって、味方も強くなって、その分敵も強くなって、味方も強くなっての繰り返しだし。サイヤ人編のヤジロベーや魔人ブウ編のミスター・サタンのように「最弱のキャラが世界を救う」こともないし(強いて言うならベジータか?)。『ドラゴンボール』全編の中ではワクワクしなかった時期なのです。

 そんなことを言い出すとキリがないんですけどね。


 良いところ:「世代交代をしてエンディング」というのは見事なラストだと思います
 悪いところ:ただ、その分ストーリーが地味という印象があるんだよなぁ



ケース8.魔人ブウを倒して終了
 んで、これが実際のラスト。
 「その後も天下一武道会に出たじゃん?」と思うかも知れませんが、アレは魔人ブウ編のエピローグだと思いますんで。ゲームをクリアした後のエンディング的な扱いというか。

 魔人ブウ編はラストが大好きなんで肯定したいんですけど……魔人ブウ編ほど「行ったり来たり」という印象のストーリーはありませんよね。ドラゴンボールを一つずつ集めるワケでも、セルが完全体に近づいていくワケでもなく。最初から最強の魔人ブウを、超サイヤ人3悟空が互角に戦って、ゴテンクスが抜いて、ゼットソード悟飯が抜いて、ベジットが抜いて、最終的に元気玉でやっつけるという。

 う…ん。冷静に考えると「元気玉の必要なくね?」と思うんですよね。
 2つの願いでみんなを生き返らせた後、瞬間移動で悟飯だけ連れてきて倒してもらえば良いのだし。デンデの件とか、ドラゴンボール使って悟飯が生き返らないことに誰も気が付かないとか、ツッコミどころはキリがない話だったと思います。「魔人ブウ編は蛇足」という意見もよく聞きますし。


 でも、この魔人ブウ編が何だったのかを考えると……
 “お父さん世代”が意地を見せた話だったのかなぁと思うのです。最後、魔人ブウを倒したのが悟空・ベジータ・サタンだったというのももちろんそうなんですけど、ピッコロがすっかり親のようにゴテンクスを指導しているとか、界王神よりも偉い界王神が出てくるとか、審判のオッチャンだけ悟空達を覚えているとか。

 人造人間編で“旧世代”として描かれた人達が、ところがどっこい俺達まだまだ現役だぜ!と頑張るお話なんですよね。悟飯のゼットソードは何だったんだとか思わなくもないんですが、実力だったら悟飯やゴテンクスの方が上だろうに、悟空やベジータが意地を見せて世界を救うことに意味があったというかね。


 良いところ:でも、オヤジ達も元気だぜ!という30代男性を勇気付けるエンディング
 悪いところ:子ども達の立場がない


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 やっぱり初期の頃に終わっていた方が、キャラ数少なかったら一人一人をしっかり描いていたし「キレイにまとまっている」感は強くなったと思います。でも、それだとその後に登場するキャラクターは登場しないし、その後に描かれたものは描かれないんですよね。


 端的に言うと、フリーザ戦で終わっていたら「どんなに努力しても悟空に勝てない」ベジータの悲哀は描かれなかったし。セル戦で終わっていたら「最後の最後にウソをホントに変えてしまった」ミスター・サタンの勇気は描かれなかったワケですよ。サタンがベジータ抱えて走って、悟空がサタンを認めるあのシーンが自分は大好きでねぇ。


 だから、『ドラゴンボール』を「○○編で終わっていれば」と意見が分かれるのって、その人が作品に何を求めるのかが分かって面白いと思うんです。分かれるから分かる。コンパクトにキレイにまとまっているものを求めるのか、スケールの大きさやダイナミックさを求めるのか。「最強の敵」を求めるのか、「弱くても意味があるんだ」を求めるのか。


 なので、個人的には「魔人ブウ編で完結」というのは悪くないエンディングだったと思うんです。
 それは僕が作品に求めているもの……「最強だけが正義ではない」とか「弱くても意地を見せなくてはならない時がある」と描いてくれたから。描く角度は随分と変わりましたが、本質的には「ギャルのパンティおくれー」と変わらないし、「ドラゴンボールはこうでなくっちゃ!」と思えたというかね。

 でも、「ドラゴンボールは1対1で戦って、勝った方が正しいって作品だよね!」と思っている人も少なくないでしょうし、そういう人は自分とは違うタイミングでのラストを願って当然ですし。そうした意見の違いがあるからこそ面白いと自分は思うのです。


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| 漫画読み雑記 | 18:00 | comments:26 | trackbacks:1 | TOP↑

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