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2014年10月のまとめ

 11月は、バンダイチャンネルの有料会員見放題サービスを利用しようと考えています。
 2012年から「普段アニメを観ない人にもアニメを観てもらおう」を一つのテーマにしてきましたが、そういう人達にとって壁になることが「毎週決まった時間にテレビを観たり、録画したりが出来ない」という話をよく聞かされました。確かに、私達が当たり前にやっていることも慣れない人にとっては面倒くさいのかなーと。

 また、こういうことをブログに書き始めてようやく実感したんですけど……夏アニメも、秋アニメも、新しく始まる作品が40作品以上もあったんですよ。再放送とかを抜きにして、ですよ。我々にとっては「こんなにいっぱいあって選び放題!」なものも、初心者にとっては選択肢が多すぎることは「どれを選べばイイのか分からない」マイナスポイントになってしまうと思うのです。
 なので、私は新番組が始まる前に「自分が注目している7作品」を発表したりして、何とか手助け出来ないかなとやってきたのですが……これはこれで「まだ始まっていないから本当に面白いかどうかが分からない」問題があって……


 じゃあ、既に放送が終わった「評判が確立されている名作」をオススメしていけばイイか……というと、アニメはリアルタイムに追う分にはさほどお金がかかりませんが、後から追いかけるのはお金がかかるメディアです。もちろんそれでアニメ業界のビジネスが成り立っているから文句は言っちゃいけないんですけどね。

・ブルーレイ&DVDを買う
 ← 全巻揃えると万単位のお金がかかるので、初心者にはオススメできない
・DVDレンタル
 ← 近くに店があるか&在庫があるかという問題と、発売に時間がかかるという問題も
・ネットのストリーミングサービスでレンタル視聴
 ← 画質は落ちるけど、「全話パック30日間1800円」みたいなサービスもあってお得



 こう考えると、「ネットの配信で観る」というのはなかなかリーズナブル。
 ただ、それでも「観たことのない作品にいきなり1800円払う」のは初心者にはハードルが高いのも確かだと思います。私はこのサービスを何度か使っていますけど、それでも「気に入った作品の前作を観ていなかったから観よう」みたいな“面白さが保証されている”時にしか使っていませんからね。



 なので、「有料会員は見放題」サービスは、初心者にオススメしやすい選択肢かなーと思うんですね。
 1ヶ月間だけ有料会員になって、観たい作品をその1ヶ月で一気に観る。もし、その作品が自分に合わなくて途中で観るのをやめたくなったら、残りの日は別の作品を観ればイイ。

 とりあえず11月はバンダイチャンネルの見放題サービスを試してみます。11月1日に有料会員になって、11月30日に無料会員に戻る戦法です。もちろん会社さんからすると「ずっと有料会員でいてくれよ!」と思われるでしょうが……初心者の人にススメするには「1ヶ月だけでも」という入口を作っておくのがイイかなと思うんです。

 12月になったら、そのレポート記事を書く。

 当然アニメの「有料会員は見放題」サービスはバンダイチャンネルだけではないので、例えば2月はdアニメストアの「有料会員は見放題」サービスを試してみて、3月にそのレポートを書く―――とか、やっていこうかなと考えています。



 また、一人のアニメファンとしても、これを機に「今まで観たかったけど観てこれなかったアニメ」を片っ端から観ていけたらイイなとワクワクしています。
 みなさんからオススメ作品を募集するかと考えたこともあったのですが、自分でリストアップしただけで「とてもじゃないが1ヶ月では観終わらない」量の作品が挙がっちゃったんで……それは、またの機会に(笑)。


 「2014年10月のまとめ」は私事・創作活動の報告などが大半なので、今月も読みたい人だけ「続きを読む」をクリックして下さいな。

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| ひび雑記 | 17:48 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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考察:「○○は俺の嫁」を、どういう意味で使っているのか

 ネット上でよく言われる「ヲタク批判」というか「ヲタク自虐」に、「ヲタクは3ヶ月ごとに嫁を変える節操のない人達」みたいな言説があります。
 「ヲタク」という言葉を使っていますが、これは「アニメオタク」に限った話です。深夜アニメは3ヶ月ごとに新番組が始まるので、3ヶ月ごとに「お気に入りの作品」が変わるし、「お気に入りのキャラクター」も変わる―――という話なんですが。


 2009年4月から、5年6ヶ月の間ずっと「平沢唯は俺の嫁」と言い続けている私は節度があって、人間的にも立派で、人望を集めるべき存在であると思うんですが!どうなんですか!どうなんですか!!

 とまぁ……『SHIROBAKO』を観て、10年前の『げんしけん』最初のアニメのことを思い出して、この10年で「ヲタク」に対する扱いも変わったよなーと考えている間に――――「俺の嫁」って言い回しはいつから使われているのか、自分は「俺の嫁」をどういう意味で使っているのか、私はいつまで「平沢唯は俺の嫁」と言い続けているのか、考えてみたくなったのです。
 いや、別に『SHIROBAKO』観てて「絵麻かわいいなー、絵麻かわいいなー」と思っているから「安原絵麻は俺の嫁」と言いたいというワケでは……なくもないんですけど(笑)、ちょっと「かわいい」と「俺の嫁」は別の感情なんじゃないかと思うのです。


 果たして、「俺の嫁」って何だ……?



○ 「俺の嫁」は、いつから使われているのか?
 『SHIROBAKO』の2話に、「“萌え萌え”って死語だろ」という会話があるんですよ。その直前に「(これって)萌えアニメじゃないの?」という台詞があるのに。
 でも、確かに自分もそう。「萌えアニメ」という言葉はまだ使っているけど、「萌え萌え」とか「○○たん萌え~」とかは使っていません。使っている人も、最近ではネット上でもあまり見ないように思います。それこそ『げんしけん』の最初のアニメをやっていた2004年くらいの時期は普通に使っていたと思うんですけどね。


 で、「俺の嫁」。
 この言葉がいつから使われているのかを、思い出してみると……2006年の『涼宮ハルヒの憂鬱』の頃には「長門は俺の嫁」という言葉があったので、少なくとも2006年には定着していたと思います。元々は腐女子の人達が使っていた言葉だとか(実際、現在でも女性ヲタクが男性キャラに使うことも多い)、90年代からあったものが変化したとか、色んな説があるのですが……

 俺の嫁 /嫁同人用語の基礎知識

<以下、引用>
 ただしパソコン通信の時代は、「嫁」 よりは 「恋人」 というニュアンスが前述の通り多かったですし、「萌え」 という言葉が流行り言葉となっていましたから、「俺の嫁」が2000年代後半のような流行り方はしなかったのだと思います。
 しかし 「萌え」 が流行語大賞にノミネートされる (2004年) など、あまりに一般化して拡散、あるいはおたくな人たちの中で言葉としては陳腐化する中で、新しい云い回しとして2000年代中期に注目を集めるようになったのでしょう。

</ここまで>
※ 改行・強調は引用者が手を加えました


 自分の感覚でもしっくり来る話。
 2004年は『電車男』のあった年。流行語大賞のノミネートに「アキバ系」「電車男」「メイド」「コスプレ」「萌え」が入っていたそうです。『げんしけん』1度目のアニメ化もこの時期。そして、2005年の流行語大賞では「萌え○○」がトップ10に入っていたそうですし、『電車男』の映画化・ドラマ化もこの時期。

 「流行語大賞を取ったお笑い芸人は消える」という法則のように、一般にまで広く「萌え」という言葉が浸透してしまったために、ヲタクは「○○たん萌え~」とは言わなくなった―――でも、分類を表す言葉として「萌えアニメ」とか「萌え絵」とかは残った。こんなカンジですかねぇ。


 そして、「○○たん萌え~」と入れ替わるように「○○は俺の嫁」という言葉が使われるようになって、2006年には「長門は俺の嫁」に代表されるように定着した―――「起源」は分かりませんけど、「転機」としては大体こんなカンジかなと。



○ どういう意味で使っている?
 ただ、私の言語感覚としては「○○萌え」と「○○は俺の嫁」は、ちょっとニュアンスが違うとも思うんですね……いや、「萌え」という言葉も何を意味しているのかは正直よく分からんのですが……「俺の嫁」はかなり限定した感情であって、単に「このキャラかわいい」の最上級ではないと思うんですね。


 俺の嫁(Wikipedia)
 俺の嫁(ニコニコ大百科)
 俺の嫁(ピクシブ百科事典)

 主に男性が理想的な女性(2次元のキャラクターを含む)に対して発する言葉
 Wikipedia

 ネット上やオタクの間では「お気に入りの二次元キャラ」に対して使われる。
 ニコニコ大百科

 架空のキャラクターに対する愛情表現。萌え。
 ピクシブ百科事典


 いずれの場合も「肯定的な意味」で紹介されていますね。
 決して「旦那の稼ぎが少ないことを罵ってくる」とか「旦那の留守中に男を連れ込んでいる」とか「家の中で旦那だけいないものとしている」みたいな「否定的な意味」では使われません。肯定も肯定、キャラクターに対する「全肯定」として使われることが多いんじゃないかなーと自分は思います。

 「○○さん、可愛い」だったら、見た目の可愛さへの言及。
 「○○たん萌えー」だったら、「愛玩」だったり「見ていたい」だったりの感情。
 「○○は俺の嫁」だったら、見た目も境遇も人間性も全部ひっくるめての肯定―――ってカンジかなと思います。


 加えて言うと、「俺の嫁」の「俺の」の部分には“独占欲”“支配欲”のようなものもあって、「嫁」の部分には“特別な一人”という意味が込められていると思います。
 「唯可愛い、澪も可愛い、ムギちゃんも可愛い、あずにゃんも可愛い」という発言は何も間違っていないけど……「唯は俺の嫁、澪も俺の嫁、ムギちゃんも俺の嫁、あずにゃんも俺の嫁」とは言ってはなりません。
 いや、まぁ……“だからこそ”「みんな俺の嫁!」と言う人もいるのは確かですが、基本的にはその中から一人を選んで「平沢唯は俺の嫁」という発言になるんじゃないかと私は考えています。


 つまり……使い方としては、
 「エヴァで言えば、お前はレイ派?アスカ派?」「伊吹マヤ派」といったカンジの「○○派」とか、アイドルに対しても使われるし『SHIROBAKO』でも「あやちん推し」という言葉が出てきたように「○○推し」に近い言葉―――それの、より拘束力の強い言葉として「○○は俺の嫁」という言葉があるんじゃないかなと。


 「○○は私の旦那」とは言わないので、男女差別感もあるのだけど……女性ヲタクが好きな男性キャラを言う時にも「私の嫁」という表現が使われたり、作品に対するカップリング妄想で「男×男」「女×女」を語る時にも「○○は△△の嫁だから―――」という表現が使われたりするように。
 「嫁」という言葉が性別を超越している感もあります。小さな女のコが「しょうらいのゆめは、およめさんです!」と言うみたいな、概念的で現実感のない存在が「俺の嫁」なのかも知れませんね。


○ 「好き」だけど「俺の嫁」とは違う感情
 「俺の嫁」に本来なら近いはずの言葉に「孕ませたい」という言葉があります。
 好き→結婚→嫁→子作り→妊婦さん(イヤッホゥウウ)
 という流れを考えれば似た位置の言葉に思えるのですが……

 「平沢唯は俺の嫁」と「平沢唯を孕ませたい」では、全然印象が違いますよね(笑)。
 相手の了承も得ずに「俺の嫁」と言うのだってそりゃどうなんだって話なんですが、「孕ませたい」となるとより“身勝手さ”が出て“体が目当て”感が凄い。純粋に「私の子どもを産んで欲しい」みたいな意味ではなく、「中出しセックスがしたい」というニュアンスになってしまうという不思議。

 それに比べると、「俺の嫁」の紳士さと真摯さは立派ですよね!
 最初から「責任を取るつもりですよ!」と意思表示をしているワケですからね!そうでもない?そうですか。


 ちなみにコレも女性ヲタクが男性キャラに対して使っているのを見たことがあるのだけど……作中の男性キャラ同士を妄想して「孕ませたい」なら分かるんだけど、女性である自分が男性キャラを「孕ませたい」と言っている人を見るともう何が何やら(笑)。


 考察:「エロイと思うキャラ」と「エロ同人誌を描きたいキャラ」は別

 懐かしい記事。2007年ですって!
 元々は西園寺さんの書いた「萌えという感情にエロは含まれるのか?」という記事に影響を受けて書いた記事で、まぁ……今とは随分キャラの趣味が違うな……というカンジなのですが。


 私は「平沢唯は俺の嫁」と5年6ヶ月も言ってきたワケですけど、平沢唯でエロイことを考えられるワケでもないし、平沢唯のエロ同人誌を読みたいとは思わないし、描きたいとも思いません。

 昔、「アニヲタ=女性キャラ目当てで観ている=萌えがどうこうにしか興味ない=しかも性的な目で見ているのでエロ同人誌が大好き」という偏見について記事を書いたことがあるんですけど……その記事にすら「そんなワケがない!」ってコメントが付くように、きっと「俺の嫁」と言っているからには「コイツは毎日平沢唯でオナニーしてんだろうな」的に思っている人がいるかも知れません。
 でも、よく考えろオマエラ。世の中の夫婦で、「嫁」のエロ同人誌を読んだり描いたり、「嫁」を妄想してオナニーしている夫がいるか?いや、いないとも断言できないけど……「俺の嫁」と言ったからといって、オナニーのオカズにしているワケじゃないですからね!


 別に……あの…「好きな人をオナニーのオカズに使うのは失礼だ!」と言いたいワケでも、「好きだったらオナニーのオカズに使うべきだ!」と言われたいワケでもなくて。「○○は俺の嫁」という感情と、「エロイことを考えられるかどうか」は別の基準であって―――たまたま私は「エロイことは考えられない」キャラを、「俺の嫁」だと思ってしまっただけです。

 なんか……ここはちゃんと言っておかないと、全アニヲタが性欲の塊みたいに思われるのが許せんなと、過去の記事のコメント欄を見て今更憤っているのですよ。ホント今更。



 あと、これは何度かウチでも書いた話ですが……作中でカップリングが成立していると「俺の嫁」とは言いにくいというのもありますね。

 「貴方の好きなヒロイン」には、主人公とくっついて欲しいですか?

 主人公とくっ付いてしまうヒロインとか、男女関係なく「俺」より相応しいカップリングが作中にいる場合は、「俺の嫁」とはなかなか言わないかなーと思います。『アルドノア・ゼロ』の韻子も私は大好きだったけど、韻子はニーナの嫁なので「俺の嫁」とは思いませんでした。

 「俺の嫁」は作中では(恋愛的に)報われないキャラに使いたくなる感情かな、と。
 それを言い出すと……「平沢唯はあずにゃんの嫁だろ!」と言われかねないのですが……私が言い始めた第1話にはあずにゃん出てなかったし、憂もほとんど絡んでなかったし、「あくまで個々人の感覚です」と言い訳しておきます(笑)。



 なので、『SHIROBAKO』の絵麻はかわいくてかわいいしかわいいのですが、今の段階だと「俺の嫁」というよりも「しずかの嫁」ってカンジなので……まだ何とも言えないんですね。
 「東京行ったらクーラーある部屋に住もうね」って言っているということは、キミタチ同棲することを前提の上京ですかい!みたいな。若手女性声優と新人アニメーター(女)のカップル!うん、イイ!そんなあの2人が現在どうなっているのか、うーん……『SHIROBAKO』の続きが早く観たい。


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 あぁ……っ!
 やっぱり唯はかわいいな……


【3行まとめ】
・「萌え」という言葉が陳腐化したことで、「俺の嫁」という言いまわしが定着した
・キャラクターの「全肯定」であり、一人だけを「推す」表現で、「エロ」はあんま関係ない
・作中でカップリングが成立していて、そこに満足している場合は使われない
・平沢唯はやっぱりかわいい


 この「俺の嫁」という表現。
 二次元だけではなく、ネット上では三次元の対象にも使っている人はいて、例えば「なでしこジャパン」の試合でも「俺の嫁が活躍した」と言う人もいるんですね。これもまぁ、アイドルの「○○推し」に近い表現なのかなと思います。でも、私は流石に三次元には使いづらいな……(笑)。


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| ヒンヌー | 17:55 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

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とうとう見えたMiiverseの真価。『クニットアンダーグラウンド 』紹介

【三つのオススメポイント】
・広大なマップに「さぁ!どこにでも行けばイイさ!」と投げ出される自由さ
・操作してキモチイイ、そして歯ごたえ十分の「アクションパズル」
・「宗教観」「恋愛観」「文明観」「人生観」……パズルのピースから何を想う?


『クニットアンダーグラウンド 』
 Wii U用/地底探索摩訶不思議アクション
 フライハイワークス/開発:Nifflas' Games.
 2014年8月20日発売
 1200円(税込)※Wii U eShop専売
 セーブデータ数:1
 公式サイト

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 本体のリンク貼ったら、マリオカートの紹介記事みたいになっちゃったな……
◇ 広大なマップに「さぁ!どこにでも行けばイイさ!」と投げ出される自由さ
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<画像はWii U版『クニットアンダーグランド』より引用>

 実績コンプして、2周目もクリアしたのでようやく紹介記事が書けます!


 『クニットアンダーグラウンド』は元々スウェーデン人の開発者が作ったPC用のインディーゲーム『Knytt Underground』のローカライズ作品です。この作者による『Knytt』シリーズは3作目。前の2作はローカライズされていませんが、PC用のフリーゲームとして日本からでもダウンロードして遊べるのでついでに紹介します。
 しかし、前2作を遊んでいないと楽しめないなんてことはなく、『クニットアンダーグラウンド』から遊んでも問題なく楽しめることは最初に書いておきます。


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<画像はPCゲーム『Knytt』より引用>

 『Knytt』公式サイト
 シリーズ1作目。
 おサルのクニットがUFOにさらわれたのだけど、そのUFOが見知らぬ惑星に不時着して壊れてしまいます。
 プレイヤーはクニットを操作して、見知らぬ惑星に散らばった「UFOの部品」全て探し出してUFOを修理することが目的のゲームです。細かい差はあるけれど、クニットの操作感覚と操作性能は『クニットアンダーグラウンド』のミィとほぼ一緒です。

 日本語ローカライズはされていませんが、ほとんど台詞はないのでローカライズのしようもないかも。ゲームコントローラには対応していないみたいですが、私はJoyToKeyを使ってコントローラでプレイしました。フリーゲームなので、興味のある人は気軽にどうぞ。


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<画像はPCゲーム『Knytt Stories』より引用>

 『Knytt Stories』公式サイト
 シリーズ2作目。
 少女ユニを操作して、滅び始めている世界を食い止めることが目的のゲームです。前作のクニットが「最初から全ての能力が備わっている」マリオタイプのゲームだったのに比べて、今作のユニは「見つけたアイテムによって能力が増えて探索できるエリアが広がっていく」ゼルダやメトロイドタイプのゲームになっているのが特徴です。
 「行かなければならない場所」は最初から分かっているのですが、そこに行くだけの能力が最初はないので、世界を探索してユニの行動範囲を広げていく必要があるんですね。最終的にユニは、『クニットアンダーグラウンド』でも出来ない「二段ジャンプ」や「傘をパラシュートのように使ってゆっくり落下」ということまで出来るようになって楽しかったです。

 こちらもPC用のフリーゲームとして公開中。英語の台詞は前作より増えているけど、翻訳サイトがあれば何とかなるレベルかな……
 ちなみにこのゲーム、自分だったり他人だったりが作った「自作ステージ」を追加出来ます。なので「Stories」というタイトル。永遠に遊び終わりそうにないので、自分は最初から入っているのだけクリアしたところで引き上げました(笑)。
 ユニの名前は『クニットアンダーグラウンド』でも「語り継がれる物語の主人公」として、チョコチョコと登場します。でもまぁ、知らなくても『クニットアンダーグラウンド』は楽しめるとは思います。


 前2作とも「アクションパズル」の要素は弱め、ストーリーも「英語が読めなくても問題ない」と言われるレベルですが、「探索」の楽しさと、BGMを含めて雰囲気が素晴らしいとフリーゲーム愛好者の間ではそれなりに有名なゲームだったそうですね。
 また、自分はクリアしてから知ったんですけど……「クリア」だけではない「隠し要素」も多いソフトだったそうです。


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<画像はWii U版『クニットアンダーグランド』より引用>

 ということで、『Knytt Underground』。
 シリーズ3作目にして初の有料ソフトです。海外ではPCゲームだけじゃなくて、PS3やVitaでも発売しているみたいですね。日本ではフライハイワークスさんがローカライズしたWii U版だけが発売されています。

 有料ソフトなので……

・画面サイズが大きくなって、背景もHDグラフィックに
・マップがとてつもなく広大になり、自由度も跳ね上がる
・「人間形態」と「ボール形態」を使い分けることで、アクションも多彩に
・アクションパズルの要素が強まった分、「死んでもその場で復活」するように
・住人との会話の要素が加わり、世界観の描写が細かくなる
・住人からの依頼「クエスト」の要素なども追加


 ……といったカンジに、ありとあらゆる部分がパワーアップしています。
 しかし、このシリーズの根っこにあるのは“「探索」の楽しさと、BGMを含めて雰囲気が素晴らしい”ってとこだと思うんですね。そこは3作目でも変わっていないどころか、とてつもなく強化されています。


 ネタバレになってはいけないので、全て埋まっているものではなく、プレイ途中のマップを貼り付けておきます。「こんなにマップ広いの!?」と呆れてもらいたいので。

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<画像はWii U版『クニットアンダーグランド』より引用>

 しかし、ただ広大な世界に放り投げるだけではありません。
 第1章、第2章はチュートリアル&プロローグみたいなものなので、第3章の話をしますが……主人公は「世界を救うために6つの鐘を鳴らして来い」という冒険に出ることになります。マップには6つの鐘の場所が最初から描かれているので、そこに行けばイイ。
 ただ、その鐘の前にはゲートを作って通せんぼをしている人がいるので、ゲートを開けてもらいたいのだけど「アイテムかコインを幾つよこせ!」と言ってきます。なので……『Knytt』では「UFOの部品」を集めたように、『Knytt Stories』では「ユニのパワーアップアイテム」を集めたように、『クニットアンダーグラウンド』では「ゲートを開けてもらうアイテムかコイン」を探索して集めるゲームなんですね。

 でも、全部を集める必要はありません。
 最低限の数だけ取ればイイし、マップも行きたくなければ行かなくてイイ場所ばかりです。
 なのに、アイテムは全部集めたくなるし、マップも全部埋めたくなりますよね(笑)。そういうゲームなのです。

 行った場所にアイテムがあれば「i」のマークが付くし、クエストを言ってくる住人がいたら「Q」のマークが付き、クエストで頼まれた場所は光って教えてくれます。
 Wii Uなので、テレビ画面をメインモニターにしていると、ゲームパッドの画面で常にマップの確認をしながらプレイ出来ますし。テレビ画面を使わずに、ゲームパッドの画面をメインモニターにしている時は、Xボタンで即座にマップが表示されます。

 広大なマップに放り投げられるゲームなんですけど、プレイヤーを放置させるんじゃなくて、しっかり「親切」に「遊びやすい」んですね。



 また……こんなにマップが広大なのに、クリアとは関係のない「マップにはない隠し要素」も無茶苦茶多いこのゲーム。ハッキリ言って自力では見つけられなかった要素もたくさんありました。そしてこのゲーム、以前にも書いたようにマイナーすぎて攻略サイトがありませんでした!

 だから……ものすごくMiiverseに一体感があったのです。
 攻略サイトがないことで、逆に「そこはどうやって行ったの!?」「実績がどうしても見つからない!」とMiiverseで情報を交換する文化が出来ていて―――
 あの当時、一緒にこのゲームを遊んでいた人達は「一緒にこの未開の地を冒険した仲間」という感覚がしましたし、Miiverseは「冒険者達の情報交換の酒場」みたいでした。最近このゲームを始めたという人も、Miiverseの書き込みを辿って「先人達が遺した宝の地図」を頼りに進めているという話で。

 このゲームの持つ「探索要素」と、このゲームがマイナーなことによる「攻略サイトがない問題」と、なのに自力で見つけるのは果てしなく難しい「隠し要素」と、Miiverseによる「情報共有の楽しさ」が奇跡的にマッチして……多分、1980年代の『ドルアーガの塔』をアーケードで遊んでいた人達はこんなカンジだったのかなぁと思う貴重な体験が出来ました。

 ホント……一生忘れないMiiverseの思い出だと思いますよ。
 元々はPC用のゲームで「Wii Uのために作られたゲーム」ではないんですけど、こんなにMiiverseが真価を発揮したゲームはなかったというくらい「Miiverseでゲームが面白くなった」体験でした。

(関連記事:Miiverseを実装した任天堂の未来は
(関連記事:昔の名作ゲームを今遊んでも100%の面白さを味わえるワケがない



◇ 操作してキモチイイ、そして歯ごたえ十分の「アクションパズル」
 前2作にもそういう要素がなかったワケではないのですが、今作は「探索」に加えて「アクションパズル」の要素が強くなっています。アイテムのある場所に行くには、「アクション」の腕と「パズル」のアイディアがなければたどり着けない――――というカンジに。

 私は2Dの「アクションパズル」が大好きなのですが、「アクションパズル」というジャンルのゲームはどこが一番大事なのかを考えると「操作してキモチイイ」ことだと思うのです。自キャラの動きに、それだけの魅力がないとダメだろうと。
 ボタンを押した時のレスポンス、難所を越えた時の爽快感、そして何より「このゲームでしか味わえないキモチヨサ」が「アクションパズル」には必要だと思うのです。

 (人によってはアクションパズルだとは思っていないでしょうが)2D『ゼルダ』シリーズにおける、「ダッシュ」のスピード感と、草を次々と刈っていく感触。
 『ラビ×ラビ』におけるアリスとリリの「二段ジャンプ」の浮遊感、『ラビラビ外伝』のサンダーやメテオの爽快感……「アクションパズル」の肝は、私はこうした操作のキモチヨサだと思っています。


 さて、『クニットアンダーグラウンド』。
 第1章は「人間形態」のミィを操作して、第2章は「ボール形態」のボブを操作します。第1章と第2章はチュートリアル&プロローグみたいなものなので、第3章からが本番。「人間形態」と「ボール形態」を切り替えながら遊ぶ骨太アクションパズルとなっています。

 操作方法は……
 「移動」が、十字キーか左アナログスティック。
 「ジャンプ」が、Bボタン。
 ボール形態の時のみ、Yボタンでバウンドを抑えることが出来ます。
 「形態の切り替え」は、RボタンかZRボタン。
 「特殊技」が、LボタンかZLボタン。
 人間形態の場合は「光の力」を使い、ボール形態の場合は「サンダーロープ」を使います。これはどちらも「その場所にあるギミック」を使うのであって、常に使えるワケではありません。

 アクション操作はこれだけ。
 Aボタンで「話す」「調べる」、Xボタンで「マップ画面に切り替え」、-ボタンで「アイテム画面」、+ボタンで「ポーズ」なんかもありますが……アクションで使うボタンは上に書いたものだけなんですね。これでアレだけの多彩なアクションをするんだからなぁ……


 「人間形態」の時は、緻密な操作が出来ますし、壁に張り付くことが出来るのですが……ジャンプ力が低いです。
 「ボール形態」の時は、勝手にバウンドされたり大変なのですが、バウンドを活かせば高いジャンプが出来ます。

 この2つを切り替えて……例えば、
WiiU_screenshot_GamePad_017B7_20141026204645159.jpg
 「人間形態」のジャンプでは届かないところも……

WiiU_screenshot_GamePad_017B7_201410262047198f9.jpg
 「ボール形態」でバウンドして……

WiiU_screenshot_GamePad_017B7_20141026204759b3d.jpg
 空中で「人間形態」に戻って、壁に張り付く!!

<画像は全てWii U版『クニットアンダーグランド』より引用>


 「ボール形態」のバウンドの浮遊感と、「人間形態」に戻って壁にピタリと張り付く感覚がキモチイイのです。また、これを応用して、「高いところからボール形態で落ちて高くバウンドして、空中で人間形態に戻って反対側の壁に張り付く」などの多彩なアクションが可能です。
 自分は「実績コンプリート」+「2周目クリア」のために2ヶ月間ずっとこのゲームを遊んでいましたが、「自分の手足のようにキャラが動く」ことと「手足以上の動きが出来る」ことの両方があったからこそ、60時間以上遊んでも全く飽きることなく遊べたんだと思います。



 アクションパズルとしては……マップに表示される「通常ステージ」は、どうやって突破するかというアイディアが重要な「パズル」要素が強めで。
 マップに表示されない「隠しステージ」は、通常ステージで使ったアイディアをフル動員して腕で勝負する「アクション」要素が強めかなーと思います。

 特に「隠しステージ」は鬼のような難しさで「ふざけんじゃねえぞこんにゃろう!」という冒険者達の悲鳴がMiiverseに投稿されまくっていたのですが……自分も含めて「こんなんクリア出来るかボケエ!」と言っていた人が、その後に「クリア出来たーーーー!」と言っているのを何度も見たので、難易度調整としてはひょっとして絶妙なのかもと思いました。

 「これ、俺はクリア出来たけど、みんなはクリア出来ないんじゃないの?」と全員に思わせるゲームこそが、最良の難易度調整だって言われますもんねー。



 数少ない不満点を挙げるなら、「キーコンフィグできるようにして欲しかったなー」とは思いました。
 先ほども書いたように、アクション操作は「移動」+「Bボタン」「Lボタン(ZLボタン)」「Rボタン(ZRボタン)」と3つのボタンを使います。私……「Lボタン」と「Rボタン」がしょっちゅうごっちゃになっちゃうんですね……

 また、ゲームパッドを太ももの上に置いて操作していると、夢中になった時に「ZLボタン」「ZRボタン」に触れちゃって暴発してしまうことが何度かありましたし……そもそも「Lボタン」「Rボタン」を一瞬のタイミングで押すみたいなことに(3Dシューティングやらない人は特に)慣れていないので、人差し指が釣りそうになりながらプレイしていました。

 この辺を自由に設定出来たり、「ZLボタン」「ZRボタン」をオフに出来たりすれば良かったのになーとは思いました。



◇ 「宗教観」「恋愛観」「文明観」「人生観」……パズルのピースから何を想う?
 元々、この『Knytt』シリーズは「雰囲気が素晴らしい」と言われるゲームでしたが、この『クニットアンダーグラウンド』もBGMを含めた世界観の描写が独特の作品でした。ともすると、“難解”とも“投げっぱなし”とも言われてしまうストーリーでしたが、自分はとても楽しめました。

knytt5.jpg
<画像はWii U版『クニットアンダーグランド』より引用>


 このゲームの主人公は「小人」で、お供をしてくれる「妖精」二人は更に小さい。
 かつては「小人」も「妖精」も、「人間」と一緒に地表で暮らしていたのだけど……500年前に「何か」があって地表には住めなくなり、「人間」は姿を消して、「小人」と「妖精」は地下に逃げてきてそこで暮らしている―――恐らくそういう設定の話だったと思います。

 地下に逃げてきた「小人」や「妖精」も文化を持ち……「人間」の遺した機械を分析・解明しようとしているインテリ集団:インタネットと、「人間」の機械文明を否定するミリアディスト教の対立を始めとして。非常にたくさんのキャラクターが、色んな立場を持ってて、色んな物語を抱えています。

 プレイヤーはミィという主人公を操作して、広大なマップを自由に「探索」出来るのだけど、住人に話しかけたりクエストを受けたりすることで“断片的に”この世界のことやキャラクター達のことを知ることが出来るのです。
 それらはあくまで「パズルのピース」のようで、分かりやすい物語としては語られないのだけど、それぞれのピースからプレイヤーが何を考えるかを委ねる物語にしたかったのだと作者は語っていました。


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 例えば、ミリアディスト教では「人間が地表から消えた理由」を「戦争によって滅んだ」と語られているのだけど……

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 インタネットの人達は、人間は優れた文化を築いていたのだから「人間が地表から消えた理由」を「宇宙に上がっていった」と語っているのです。

<画像は全てWii U版『クニットアンダーグランド』より引用>


 異なる意見を持つキャラクター達から何を想うかはプレイヤー次第。
 私も正直1周目はピンと来なかったのですけど……キャラクター達をMiiverseにメモ取りながら2周目をプレイしたところ、確かに“難解”かも知れないし“投げっぱなし”かも知れないのだけど、一つ一つのピースを組み合わせることで初めて見えてくるもののある見事なストーリーだったと思います。

 キャラクターの中には「主人公を騙してくる」イヤな奴もいる、分かり合えないキャラクターもいる、取り返しの付かないこともしてしまう……でも、そこから何を想うかはプレイヤー次第ですし、私はこのゲーム全体から「人間賛歌」というか「人生賛歌」のような暖かいものを感じました。
 シリヤとハンナの話はとても良かったけど、何故それを描いたのかという作者のコメントがまたグッと来るんだ……


 第3章になると、ミィという「小人」と、ドーラとイリヤという「妖精」の3人旅になるんだけど……このドーラとシリヤの正反対コンビもイイキャラをしているんです。
 「とにかくポジティブ」なドーラと、「とにかくネガティブ」なシリヤで、住人との会話で「はい/いいえ」を選ぶのではなく「ドーラ/シリヤ」を選ぶところが頻繁に出てきます。「とにかくポジティブ」なドーラと「とにかくネガティブ」なシリヤのどちらを住人と話させるかで会話内容が変わるという。

 元々はスウェーデン人の作った英語のゲームで、テキスト量も半端ないと思うのですが、フライハイワークスによるローカライズも丁寧で違和感がなかったです。キャラデザは置いといて(笑)、遊んでいる最中は「海外のゲーム」であることを忘れていたくらい。
 フライハイワークスの社長さんは、10歳まで日本で育った台湾人で、その後は台湾に戻るのですが子どもの頃のファミコンの思い出を捨てられずに日本に戻り、現在は日本国籍も取得された方だそうです。「日本の中から見た日本」と「日本の外から見た日本」を知っているからこその丁寧なローカライズなのかなーと思いました。台詞によるキャラ付けとかもすごく丁寧なんですよ。



knytt8.jpg
 これは汎用性の高い台詞なので、保存しておこう。

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 これは腹の立つコメントをもらった時に役立ちそうなので、保存しておこう。

knytt10.jpg
 これも腹の立つコメントをもらった時に使おう。

knytt11.jpg
 これは一生懸命書いたブログの記事に腹の立つコメントが付いた時に使おう。

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 これは一生懸命書いたブログの記事がワケの分からない批判をされた時に使おう。

<画像は全てWii U版『クニットアンダーグランド』より引用>


◇ まとめ
 ということで、超楽しいゲームでした。
 「探索」好き+「アクションパズル」好きの私にとっては、トンカツにカレーかけてカツカレーにして食べているようなゲームでした。プレイヤーに考えさせるストーリーも好きだったので、2014年に遊んだゲームの中では今のところ一番のお気に入りです。

 そして、何より「Miiverseでこんなにゲームが楽しくなる」という見事なケースを見せつけられました。
 『ドルアーガの塔』ばりに「分かるかボケ」と言いたくなる隠し要素も、みんなで探して情報交換してって経験だったからこそ楽しかったし。
 「アクションパズル」なので「解き方が分からなくて詰まる」こともあるのですが、Miiverseで教えあって攻略出来たし。
 パズルのピースのようなストーリーも、みんなで覚えている情報を寄せ合って「ということはこうなんじゃない?」と考察していったのも楽しかったです。ホントさ……第2章のアイツに関しては、みんな「えええええ?」と思ったと思うよ。でも、ちゃんとそれもピースを揃えると答えが出るようになっていました。



 ただ、人によってはかなりの「マイナス点」になるとこもありました。
 1台のWii Uにつき、1つのセーブデータしか作れないことです。
 セーブデータが1つしか作れないどころか、アカウントを変えても1台のWii Uでは共有のセーブデータしか作れません。「セーブデータが1つしか作れない」のは、まぁ……このゲームを遊びに遊んだ自分にとっては「望ましくはないけど意図は分かる」んですけど。
 アカウントを変えてもセーブデータが共有なのは、正直……「どうしてこんな仕様なんだ……?」と疑問しかないです。分けるの難しいんですかねぇ。家族でこのゲームを遊びたいって人は、お兄ちゃんのデータを消さないと弟は遊べないワケで。うーん……ここはかなり残念かなぁ。


 ということで……惜しい点もあるので「ダメなところが全くないゲーム」とか「全ての人にオススメ!」とはなかなか言いづらいのは確かです。「探索」ゲームも、「アクションパズル」も、どっちかというと現在ではニッチなジャンルでしょうしね。
 でも、ハマる人には「このゲームにしかない魅力」がしっかりハマるし、私はこのゲームを遊んでようやく「Wii U買って良かったなー」「任天堂がMiiverseを始めたことは正しかったんだ」と思えました。

 それくらいの1本。
 「探索」ゲームや「アクションパズル」が好きな人は是非。

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予想は「外すため」にするんだ

 Twitterだったりブログだったりにアニメの感想を書いている今や、週刊漫画誌の感想を書いていた昔は、「感想」ではありつつも「今後の展開の予想」を書くことがあります。これこれこういうキャラ配置でこういう伏線を張っているということは、この後こういう展開になるんじゃないのか―――といったカンジに。

 んで、そうすると実際の展開が全然違っていて、「オマエの予想と全然違うじゃないか!」とか「予想を外すということは正しく観れてない証拠だ!」とか「こんな記事を書くなんて苛立たしい!」とか言われることも多いです。


 ふーむ……
 私はそういうことを言われる度に思うのです。
 「漫画やアニメは、今後の展開を当てるクイズか?」と。

 開き直っているワケでも、言い訳をしているワケでもなく―――私は「どうして“今後の展開の予想”を書くのか」の理由を訊かれたら、大真面目に「外すために書いています」と言います。「外すために」というか、「外れるとイイな」と思っているというか、「外れたらガッツポーズだな」というか。


 そのルーツは、先日「漫画紹介」の記事で紹介した『テレキネシス』を連載時に読んでいて、こういうエピソードがあったからです。2巻に収録されている「男の出発」という回。

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 主人公:東崋山の高校時代のエピソードで、映画監督だった父のアドバイスで「映画作りに興味があるなら、面白い作品に出会った時は途中で中断して、後半のストーリーがどうなるのかを想像してから後半を観ろ」ということを崋山は実践していました。

 私も、ちょうどその頃は自分で漫画を描いてみようと思っていた時期なので、映画に限らず、漫画でも、アニメでも、ドラマでも、「その後のストーリー展開」を想像しながら観るくせが付きました。
 もちろん、この「想像するストーリー」は単に「自分の好きな展開」だけを想像してはダメです。前半で仕込まれた伏線をちゃんと活かし、出てきた登場人物達を無駄にせず、御都合主義や後出しジャンケンだと観客に思わせず、尺の中に収めて、制作費も無理のない範囲で、ストーリーの山場を作って、観客が満足して映画館から帰ってくれる―――そんなストーリー。
 ストーリーを考える人になりたいのなら、ちゃんとそれらを全部踏まえた「後半のストーリー」を考えられるようにならなければ。


 んで、「私の考えた後半のストーリー」と「実際に作られた後半のストーリー」の対決。
 贔屓目ではなく、冷静な目で、どっちが面白いかの真剣勝負。

 「私の考えた後半のストーリー」の方が面白いなら、「俺SUGEEE」と自信を持とう。
 同じストーリーだったとしても、「俺もそこそこやるじゃん」と思える。
 しかし、「実際に作られた後半のストーリー」の方が面白かったら……「参りました!」と頭を下げて、自分の脳では想像も出来ないような名作に出会えたことに感謝をします。



 段々そうすると……本来の目的だった「訓練」からは外れていきます。
 私はこうした「自分の脳では想像も出来ないような名作」に出会いたくて、予想を書くようになっていったのです。

 だってほら、映画を観るのも漫画を読むのもアニメを観るのも「楽しみたくて」やっているのでしょ?
 予想屋で生計を立てているワケじゃないから、予想が当たっても「展開の予想が当たった!」なんて喜ぶどころか、「まぁ……予想通りの展開だったな……」とガッカリしてしまうだけです。だから、私は「予想が外れることを望んでいる」のです。予想が当たるかどうかなんかよりも、「自分の脳では想像も出来ないような名作」に出会えることが重要だろうと。



 幾つか例を出すと……
 『まどか☆マギカ』なんかは、まさにそういう作品でした。「御都合主義」や「後出しジャンケン」ではなく、ちゃんと事前に提示した情報を使って、私の予想もしなかった展開の連続で「参りましたー!」と言いっぱなしでした。
 当時、リアルタイムに1話ずつの感想をmixiに書いていて、それを全話分まとめた上に「12話まで観た自分」が捕捉コメントを付けるという記事を書いていました。これ読み返すと、ホント自分の予想が全然当たっていないのに、自分が言及したところを見事に活かしてストーリーを作ってあることに恐れおののきますよ!

 アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』各話感想メモまとめ(1話~最終話)


 なので、素っ頓狂な予想であってもそれをしっかり残すことは、「視聴者が予想もしなかった展開が起きるアニメ」の凄さの証明のためには大切なことだと思うんです。
 例えば『まどか☆マギカ』の「あらすじ」を読んだだけでは面白かったか面白くなかったかなんて語りようがないです。リアルタイムに観ていた人達が、毎週毎週何に驚かされていたのか――――を残さないと、テレビアニメの評価なんて後世に残せないと思うんです。

 また虚淵さんが関わった作品である『アルドノア・ゼロ』をきっかけに、それを思い出したので「各話感想まとめ」をもう1回しっかりやろうと始めたのです。
 素っ頓狂な予想を「過去に僕、馬鹿なこと言ってましたー!」と世に知らしめてしまって「オマエの予想は全然違っているじゃないか!」と怒られるかも知れないし、1クール目ラストの解釈も2クール目が始まったら「全然違うじゃねえか!」と怒られるかも知れないけど、それこそが作品の凄さを伝えられる唯一の手段だろうと。

 アニメ『アルドノア・ゼロ』各話感想メモまとめ(1話~12話)


 色々言われたからもうこの作品のことは触れたくなかったんですけど、ついでだから書いておきます。『グラスリップ』の4話時点で書いた記事、ここで書かれている予想はそりゃあまあ思いっきし間違っていたんですけど……記事としては間違っていないんですよ。
 だって、最終話まで観た上でこの作品の1~3話を観ると、序盤は「こういう作品だろうな」と思わせるように偽装してあって、その後「全然違う!」と予想を裏切るようにしてあったのですから。4話の時点で「こういう作品だろうな」と思っておくのは、あの作品を楽しむためには最も正しい観方だったと思うんです。

 「俺は第1話からこういう展開になることを予想していた」って人は、驚きも何もなく残り話数を消化するだけですから、むしろ作品を楽しめない可哀想な人じゃないかと思いますよ。

 『グラスリップ』にプンプン感じる「面白くなりそう」な素材


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○ 何のためにブログなんて書いているのか
 私は「どうだ!俺の予想は当たっただろう!」なんて自尊心のためにブログなんてものを書いているワケじゃないです。漫画についてもアニメについてもゲームについても、大好きな作品の「手助け」を微力ながら出来ないか―――自分が記事を書くことで大好きな作品のファンが一人でも増えてくれたら嬉しいと思って書いています。

 「紹介記事」は、その作品を知らない人に作品を紹介するため。
 ネタバレの感想記事は、その作品を楽しんだ人に「私はここが面白かったー」と自分のツボを伝えて、その作品の新しい魅力を伝えるため。
 放送中のアニメについて語る記事は、「今後も楽しみだ!」と視聴継続する人が多くなるように、自分の思う作品の見所を紹介するために書いてきました。


 だから、今後の展開予想も、「作品をもっと楽しめるような予想」は書きますけど、「作品がつまらなくなってしまうような予想」は書きません。だってさ、“予想”って当たっちゃうと“ネタバレ”と変わりませんからね。
 「こんなことが起こるだなんてーーーーー!」と驚く喜びを、奪ってしまいかねません。それでは作品の足を引っ張っているのと一緒です。



 この話……書くか迷ったけど書きます。
 私がこのブログを続けていて落ち込んだことTOP10に入る出来事だったんですけど。

 『とある科学の超電磁砲』アニメ、「2期からでも!」のススメ

 『超電磁砲』のアニメ1期が大好きだったので、アニメ2期が始まる直前に「1期を観ていない人も2期を観よう!」と書いた記事でした。ネタバレはしないように「1期はこういう話だったから自分は大好きでした」→「だから、この作品を知らない人も観よう!」と宣伝する記事だったんですけど。

 「原作読んでないで記事書いてんのかよ」「2期は1期と話が全然違うぞ」「コイツ自身がショックで2期は脱落しちゃうんじゃねーの」と散々言われました。コメント欄じゃなくてTwitterで陰口を。
 確かにそうなんです。私は「アニメ→原作」の順で観るので、この時点で『超電磁砲』の原作コミックスは(3巻までしか)読んでいませんでした。そして、2期が1期のような明るい話ではなかったことも確かです。


 でも、『禁書』アニメで観てるんだから、内容は全部知ってましたよ……

 『超電磁砲』アニメ2期は「美琴視点で描くシスターズ編」で、それは『禁書目録』アニメ1期の「当麻視点で描くシスターズ編」と裏表の話です。だから、どういうことが起こっていて、この後に美琴がどういう目にあって、その後どうやって解決していくのか―――全部知っていました。

 でも、それ書いちゃったら“『超電磁砲』アニメを2期から観る人”にとってはネタバレでしょうよ。

 何の予備知識もなく観た人は、ただ一度だけ「こんな凄惨な事件が起きていただなんて……」と驚けるチャンスを与えられています。なのに、「『超電磁砲』アニメを2期から観る人に向けた記事」にそれを書いちゃったら、そのたった一度のチャンスを奪ってしまうことになっちゃうじゃないですか。


 ブログに限らずですよ。
 文章って、書き手の知っていることを全部書くワケじゃないですからね?

 知識自慢とか、自尊心のために書くのならそれも手かも知れない。
 でも、私は大好きな作品の「手助け」をしたくてブログを書いています。あの記事をきっかけに『超電磁砲』を2期からでも観てくれる人がいてくれたらと思って書いたし、そういう人に「こんな展開になるなんて予想しなかった!」とハラハラドキドキして欲しかったから敢えて「シスターズ」の話は書きませんでした。


 でもまぁ……ああいう反応しか来なかったということは、ああいうタイトルの記事を書いても「○○を知らない人」は読んでくれずに「○○が大好きな人」しか読んでくれないんですよねー。んで、「どうして◇◇について書いてないんだ!」と文句を言われる。
 書いていない理由くらい自分で考えろ!脳みそ付いてんのか!




 うーむ……「書くか迷った」まま、永遠に迷ったままの方が良かったかも知れぬ(笑)。
 だからまぁ、今の話は2013年4月の記事なんですが……この時に感じた「ブログって何のために書いているのかなぁ……」という無力感が、3ヵ月後の7月のこの記事に集約されたのかも知れないですね。こんな記事が書かれたのは、Twitterで陰口を言っていた人達のせいなんです。よーし、責任転嫁だ!


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何故「ゲームのストーリーはつまらない」のか

 相変わらずずっとキンドルのセールで全巻購入した桜井政博さんのコラム本を読んでいるのですが……長年自分が引っかかっていたことも、桜井さんは見事に分析していると膝を打つことが多いです。
 今日は、『ゲームを遊んで思うこと』に収録されているコラム「横から楽しむ作品」(2010年3月11日発売号掲載)を読んで……「ゲームのストーリーは何故つまらないのか」という疑問の答えがあるんじゃないのかと思った話です。



 あ、一応言っておきますと。
 桜井さんが「ゲームのストーリーはつまらない」と仰ったワケじゃないですからね。

 桜井さんのコラムでは、桜井さんは『Halo』『Halo2』『Halo3』『Halo 3: ODST』とゲームを4作クリアしていたのだけど、アニメーション作品『Halo Legends』を観て初めて「Haloってこういう設定の話だったんだ」と分かったと語られていて―――ゲームというのは基本的に「主人公視点で物語を見る」ため、設定や世界観の全体像が分かりづらいのかも知れないというお話でした。


 で、私はその桜井さんのコラムから、だから、「ゲームのストーリーはつまらない」と言われるのかーと思ったんですね。ということで桜井さんのコラムがきっかけですが、今日の記事で語ることは全て私の責任で私が考えたことですから悪しからず。


 まず前提なんですが……
 「ゲームのストーリーはつまらない」って言われて、皆さんはどう思います?

 「そんなことはない!」「ストーリーの面白いゲームもあるぞ!」「ジャンルによるんじゃない?」と反論したくなると思います。面白いかつまらないかは主観に依りますが、私もそう思います。「ストーリーの面白いゲームもある」と思っていますし。「ゲームのストーリーはつまらない」って言っている人を見かけたら「何をーー!」と噛み付いてきました。

 でも、桜井さんのこの“ゲームというのは基本的に「主人公視点で物語を見る」”という分析で考えると、何故「ゲームのストーリーはつまらない」と言われるのか分かったような気がするんです。すごく基本的なことなので、どうして今まで気が付かなかったんだろうと思ったほどです。



 「ゲームの主人公」というのは、言ってしまえば「プレイヤーの分身」です。
 『Halo』のような一人称視点のゲームとか、『ドラゴンクエスト』のように主人公=プレイヤーというゲームは分かりやすいですよね。
 そうでない場合であっても……例えば、私は自分のことを「俺がマリオだ!」なんて思ったことは一度もないですけど、『スーパーマリオ』をプレイしていると「ジャンプしているマリオ」と「操作している自分」が一体になる感覚はいつも味わっています。アクションゲームというのは特に、この「主人公」=「自分」が一体になれるジャンルだと思うのです。

 「主人公」=「自分」と感じられるかで言うと……実は自分の場合、『ドラゴンクエスト』のようなコマンドバトルRPGとか、『ファイアーエムブレム』のようなSRPGの方が、「複数のキャラを神の視点の自分が操っている」感覚なので「主人公」=「自分」とは思えなかったりします。
 それを言い出すと『テトリス』はどうなるんだとか、『ファミスタ』は誰視点なんだとか、『バイナリィランド』は「グリン」と「マロン」のどっちが俺なんだとか、キリがないんでこの辺で辞めますけど(笑)。


 まぁ、とにかく。
 ゲームというのは、「主人公」=「自分」と感じさせる「没入度」の高さが特徴のメディアであって……これが、複数のキャラの視点を切り替えながら進む「客観性」のメディアである映画とかドラマとかアニメとは違うんですね。


 例えば、アニメ『機動戦士ガンダム』の第1話だったら。
 まず、ザクの視点から始まり、次にフラウ・ボゥの視点、そこから連邦軍の軍人の視点になって、テム・レイの視点、シャアの視点、最初のザクのパイロット(デニムとジーン)の視点に戻り、ようやくその後に主人公であるアムロの視点になります。主人公の視点になる前に、「敵」と「味方」と「一般人」とを描いていって状況の設定を説明してから主人公の話になるんですね。
 その後Bパートもシャアの視点→アムロの視点と移り、パオロ艦長の視点、ガンダムとザクの戦闘シーンも各パイロットの視点を入れ替えながら戦います。戦闘後もブライトの視点、シャアの視点と移って1話が終わります。

 たった20数分のアニメであっても、「視点となるキャラ」を目まぐるしく変えて物語を語っているのです。ここまで人数が多いのは極端な例かも知れませんが、一人の視点から見える世界は狭いですから、映像作品では複数のキャラの視点を切り替えながら語る作品が大多数だと思われます。



 しかし、ゲームの場合は先ほども書いたように「主人公」=「自分」と感じさせる「没入度」の高いメディアです。「客観性」の高いメディアである映像作品と似て非なるものなので、映画やドラマやアニメのようなストーリーを描くのには向いていないと思うんです。

 例えば、『ガンダム』の第1話をアムロの視点だけで描くと……「どうして戦闘が起こっているのか」がサッパリ分かりません。シャアも出てきません。テム・レイがアムロの写真を飾っていることも分からないので「この父親は禄でもない父親だな!」としか思えません。主人公だけの視点で描けば、名作『ガンダム』でさえ大して面白くないストーリーになることでしょう。

 逆に、『ガンダム』第1話のように細かく視点が切り替わるゲームを作ると……ザクの視点、フラウの視点とゲーム開始からしばらくプレイヤーは操作出来ません。ようやくカートに乗って出発をしたところで、また操作不能になって連邦軍の軍人の視点、シャアの視点、デニムとジーンの視点……とずっと操作出来ません。
 ようやく操作出来るぞー!と退避カプセルの外に出て、ガンダムに乗っても、一つ動くことにジーンの視点に切り替わって「コイツ……脅えてやがるぜ……」とか言われます。あーーー、早く思う存分操作させろよ!とイライラすることでしょう。


 だから、ゲームでストーリーを語るにはそれだけのハンデがあると思うんです。
 「物語の視点を切り替えられない」し、「切り替えたらゲームの没入度が下がる」。
 映画やドラマやアニメなどの映像作品と比較すると、そりゃイマイチだろうと思うんです。「ストーリーを楽しむだけならゲームじゃなくてDVDでも借りてくるよ」って言われちゃってもおかしくないでしょう。


 でも、実際には「ストーリーの面白いゲーム」もありますよね。
 そうした作品はつまり、映画とかドラマとかアニメなどの映像作品の単なるマネじゃなくて、「主人公」=「自分」と感じさせる「没入度」の高さを活かしたストーリーをちゃんと考えているからじゃないかと思うのです。


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○ 「主人公」=「自分」だからこそ語ることが可能なストーリー
 先ほどの項では、割と乱暴に……

・映像メディアは「複数の視点を切り替えながら」語れるから有利で
・ゲームは「主人公の視点だけでしか」語れないから不利だ


 と分類しました。確かに「基本的には」そうなのですが、「基本的には」というカッコ書きを付けるということは「例外もある」ってことですし……そもそも比較対象が“映像メディア”だけというのは、論法の誤魔化しでもあります。


 ノベルゲームは「主人公の視点だけでしか語れない」ことがネックにならないジャンルですよね。
 小説には「一人称視点の小説」もあれば「三人称視点の小説」もあるし、「主人公を切り替えながら進む群像劇の小説」もあります。小説というメディア自体が「主人公の視点だけで語る」ことを苦にしないどころか得意としているメディアですし、それをゲームに落とし込んだノベルゲームも「主人公の視点だけで語る」ことが得意じゃないかと思うのです。

 私は数えられるくらいの本数しかノベルゲームをやっていないんですけど……恐らく多くのノベルゲームが「一人称視点」の小説になっているんじゃないかなと思います。それはゲームの持つ「主人公」=「自分」という没入感と、“選択肢を選ぶ”というノベルゲームのシステムと、「一人称視点」の小説がとても上手くマッチするからです。


 ノベルゲーム以前のアドベンチャーゲームを考えても、『ポートピア』等の「推理系アドベンチャーゲーム」は「主人公の視点だけでしか」語れないことで自分が推理して犯人を特定する感覚が味わえていたと思います。
 『逆転裁判』を遊んでいても、「俺が!俺こそがナルホド君だ!」とは思いませんけど、犯人を追い詰めていく際には「自分」と「ナルホド君」が一体になって追い詰めていっているような感覚が味わえますよね。あのゲームも「主人公の視点だけでしか語れないこと」は、マイナス要因にはなっていません。



 「一人の視点から見える世界は狭い」を活かすストーリーもたくさん考えられますよね。
 例えばホラーゲームとか、サスペンス系とか、主人公が何かに巻き込まれて何かも分からずジェットコースターのように進む話とか……「主人公にもプレイヤーにも何が起こっているのか分からない」からこそ、手探りでゲーム内を進むことに説得力があって、ますます「主人公」=「自分」の没入度が増すということもあると思います。

 私はホラーゲームはほとんどやらないんですけど、「何が起こっているか分からない」から「それを究明するorそこから脱出する」というシチュエーションは、「主人公」=「自分」と思えるゲームというメディアにものすごくマッチしたジャンルだとも言えますね。だからこそ怖いし、私はやらないんですけど(笑)。

 ネタバレになるからどの作品かは言いませんけど、一人の主人公を操って世界を救う冒険をするゲームで……自分一人で世界を救う戦いをしていると思っていたら、最後のダンジョンで今まで出会ってきた仲間達が援軍にやってくるシーンがあって。私はそのシーンがすごく好きで。
 ああいう演出も、「主人公」=「自分」と思えているからこそ「戦っているのは……俺一人じゃなかったんだ……!」とジーンと出来るんだろうなぁと思います。



 では、映画やドラマやアニメは……という話。
 先ほどは「映像作品では複数のキャラの視点を切り替えながら語る作品が大多数」と書きましたけど、実際には「一人の視点でのみ語られる映像作品」も結構ありますよね。

 一人称視点で描かれた小説をアニメ化した際には、その主人公の視点でストーリーを進めることが多いですし。
 ホラー映画なんかでは、たくさんのキャラの視点を切り替えるよりも主人公達の視点に限定することで「主人公」=「観客」という没入度を上げることが出来ると思います。私はホラー映画を観ないんで、「多分そう」って話ですけど(笑)。

 さっき『ガンダム』の例を出しておいてアレなんですけど、アニメの第1話なんかは「敢えて一人のキャラクターの視点だけで描く」ことで視聴者を作品世界に没入させるという手は多いと思います。この話……別記事に書いた方が良さそうなので、ここで具体例は挙げませんけど!


 映像メディアで「敢えて一人のキャラクターの視点だけで描く」際にも、狙いとしては「視聴者の没入度を上げる」ことがあると思います。しかし、「没入度」ということに関しては「実際に自分で動かすことが出来る」ゲームというメディアに分があるようにも思うので、実は「ゲーム」の方が「映画やドラマやアニメ」よりも得意なストーリーというのがあると言えるのかも知れませんね。



○ 「主人公」=「自分」とは敢えて思わせないストーリー
 日本において「ゲーム内でストーリーを語る」ことの転機となったのは、やはり堀井雄二さんの『ポートピア連続殺人事件』とか『ドラゴンクエスト』のヒットからだと思うのですが……
 日本のアドベンチャーゲームや和製RPGでは、この「没入度の高いゲームというメディア」と「複数の視点を切り替えられないハンデ」について実は早い段階で気付いていたんじゃないかと思うのです。

 「主人公を複数にする」ことで、「視点となるキャラクターが切り替わる」手法。

 1990年の『ドラゴンクエストIV』は、全5章の「1章」「2章」「3章」「4章」「5章」でそれぞれ別の主人公を動かすストーリーでした。本当の主人公は5章の主人公なんですが、そこにたどり着くまでに4つの話をクリアすることで世界を5つの視点で見ることが出来た―――と言えると思うのです。
 今までは世界を救う勇者の話ばかりだった『ドラゴンクエスト』において、武器屋のトルネコ視点での話をねじこむ辺りは流石です。これによって『ドラゴンクエスト』の世界観が一気に深まりましたからね。



 『ドラクエIV』が最初だったかは分かりませんが(いや……もっと前にあった記憶もあるんですけど……)、ストーリーが進むことでプレイヤーキャラも変わるRPGはその後のスタンダードになっていきますよね。

 例えば『ファイナルファンタジーV』(1992年)では、主人公達が捕まってしまって絶体絶命のピンチの時に、プレイヤーキャラが変わって「彼らを助けに行く」シーンがありました。「え?オマエが主人公なの?」とは思ったけど、あのシーンはスーパー熱かった。
 『FF』シリーズでは以後そういうシーンも珍しくなくなりますが、特に1994年の『ファイナルファンタジーVI』は「特定の主人公がいない」「ストーリーによってプレイヤーキャラが変わる」群像劇的なRPGになっていました。それによってドラマチックなストーリーになっていたと言えるし、RPGの文法としてはなかなかギリギリなことをやっていたと思います。


 あの当時、ゲーム雑誌なんかでも『ファイナルファンタジー』はRPGではないみたいなコラムがありましたもんね。RPGというのは本来は「役割を演じるゲーム」であって、「主人公」=「自分」と思わせるゲームでなければならない。しかし、『FF』は複数のキャラが勝手に動いているのを眺めるだけで、これではちっとも、「主人公」=「自分」と思えない!みたいなコラム。
 その後、プラットフォームがPSやPS2に移り、『VII』『VIII』『IX』『X』と発売していく中でも、とにかく「ゲームをしたいのにムービーばかり見せられる」とか「日本のRPGは本来のRPGではない」みたいな批判はたくさんありましたもんねー。


 今日の「没入度」という話からすると、確かに複数のキャラが切り替わるゲームは「主人公」=「自分」とは思いにくいと思います。でも、私は「別にそれでイイじゃん」って思いますけどね。没入度の高いゲームがあって、没入度の低いゲームがあって、両方とも価値があると思います。
 今日の記事から考えるに、「没入度の高いゲームというメディア」でストーリーを語るにあたって、「敢えて没入度を下げる」ことで自由なストーリーを語る―――という選択は、上手い選択だと思います。これはこれで“個性”だと思いますよ。


 そもそもさ。
 「好き」「嫌い」ならともかく、「こんなのは本来のRPGじゃない!」って批判は何なんだろうって思いますよ。娯楽の創作って“今までにないもの”を作ることでしょう。前例に従って、先輩作品達と同じようなゲームばっかり作る方が問題でしょう。
 んで、「こんなのは本来のRPGじゃない!」を言った口と同じ口で「最近は斬新なゲームが出ていない」とか言い出す人がいるから、それって単にオメエの好き嫌いじゃねえの?って言いたくなりますよ!


 誰と戦っているんでしょう、このブログ。
 あと、『FF』が受けたからって似たようなことをやっていたら「斬新なゲームではない」と思いますし、私はゲーム中に流れるムービーが嫌いです。でも、その批判を「本来のRPGとは……」という根拠でしか出来ないのは、すっげえダサイと思います。自分の言葉で喋れや。



 さて……『ドラクエIV』だったり『FF』だったり、ストーリーが進むことでプレイヤーキャラも変わるRPGはさほど珍しいものではなくなりましたし。「視点のキャラが切り替わる」という分析で考えると、映画やドラマやアニメなどの映像メディアに近いものと思います。
 私はこの記事の序盤で述べたように、コマンドバトルRPGは「複数のキャラを自分で操作する」ため、あまり「主人公」=「自分」とは思わないんですね。どっちかというと「チームに命令を出している指揮官」という感覚で遊んでいます。『ファミスタ』とかと同じ感覚。

 だから、コマンドRPGでプレイヤーキャラが切り替わることを、「没入度が下がるじゃないか!これは本来のRPGではない!」なんて私は思わないんですね。むしろコマンドRPGというジャンルは、「プレイヤーキャラが切り替わる」ことと相性がイイんじゃないかと思います。




 んで、ここから。
 「視点のキャラが切り替わる」ゲームではなくて、プレイヤーが「視点のキャラを切り替える」ことをシステムに落とし込んでいるゲームもありますよね。

 例えば1987年の『新・鬼ヶ島』は、「男の子」と「女の子」という2人の主人公を切り替えながら進めるゲームです。「主人公の切り替え」をプレイヤーが自ら行うんですね。なので、「主人公」=「自分」という没入度は低く、プレイヤーは「神の視点」で彼ら彼女らを操作しているような感覚でした。


 プレイヤー自ら「視点」を切り替えられるゲームは、まだ他にありそうですが……
 有名どころで言えば、何と言っても『街』や『428』といったザッピングシステムのノベルゲームです。
 『428』で言えば、一人称視点のノベルゲームが5本入っている(※1)のだけど……そのままだと「A」というキャラのノベルゲームはバッドエンドになってしまうので、「B」というキャラのノベルゲームに切り替えて「A」を助ける選択肢を選ぶ―――といったカンジに、プレイヤーが自由に「視点となるキャラ」を変えることがゲームの攻略になっているという。

 だから、『428』をプレイしても、「主人公」=「自分」という没入度は低いです。
 どっちかと言うと「神の視点」で「この事件を解決させる」ために、5人のキャラを動かしているという感覚でした。

 複数の主人公が切り替わる群像劇の小説は、「起こっていることをただ眺めている」感覚なんです。倒れていくドミノを「あー倒れてる……」と眺める面白さというか。
 『街』や『428』はそれを「ゲームならでは」と再構築して、この「主人公の切り替え」をプレイヤーにやらせることで、確かに自分が事件を解決させていくという没入度が生まれているのです。「主人公」=「自分」という没入度は低いですが、「神の視点」の没入度が高いというか……「俺は神だ!神になったんだ!」と思えるというか。

(※1:正確に言うと、『428』は一人称視点の小説ではないんですけどね。主人公だけを追いかける三人称視点の小説。そうすることでプレイヤーも客観的な視点を持てる)



【三行まとめ】
・ゲームは、「主人公」=「自分」という没入度の高いメディアだ
・「主人公」=「自分」という没入度を活かしたストーリーというのは一つの手
・逆に、敢えて没入度を下げて「神の視点」を操作させるという手もある



 まぁ、ここまで書いておいてアレなんですけど……
 ゲームはどうしたって「プレイ時間」が膨大になりがちなんで、その点だけでも「ストーリーだけを楽しむなら映画で十分」と思っちゃうところはありますね。もちろん何十時間もプレイしたからこその感慨もなくはないんですけど、手軽に2時間で感動できるならそっちでイイやと。

 なので、私にとってゲームの「ストーリー」は「別にどうでもイイ」と思って始めて、「ゲームとして楽しい」に加えられる付加価値としての「ストーリーも良かったらラッキー」くらいの優先順位でしかありません。
 「ゲームとしては大して面白くないけど50時間プレイするとエンディングは泣ける」とか言われても、私は「ゲームとして面白いゲーム」が遊びたいです!

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『SHIROBAKO』第1~2話に登場する元ネタ解説

※ この記事はテレビアニメ『SHIROBAKO』第2話「あるぴんはいます!」までのネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。

 今季の自分の一推しアニメは、P.A.WORKSの『SHIROBAKO』です!
 P.A.WORKSのファンとしては、久々に感じるエンタメエンタメした作品で嬉しい!

 インターネットで観る場合にも第1話はしばらく無料配信で、この記事がアップされる予定の10月21日時点ではニコニコ動画GyaOで2話が1週間無料配信されていると思います。つまり、今ならまだ間に合う!みんな観るがイイさ!
 ちなみにdアニメストアなら有料会員は全話見放題なので、読むのが遅くて「もう無料期間終わっちゃったよー」という人はdアニメストアという選択肢もありますよ!




 さて、ネタバレ防止のための行数は稼いだかな。
 『SHIROBAKO』はアニメ業界を描いた作品です。
 第1話の冒頭は、主人公達の高校時代の「アニメーション同好会」のシーンから始まり。その5人の少女が高校卒業後、それぞれ「制作進行」「アニメーター」「声優」「CG制作」「脚本家」の卵としてアニメ業界で働いていく姿を描く作品なのです。5人主人公の群像劇って言えばイイのかな。

 恐らく……同じように5人主人公だった『TARI TARI』のように、それぞれにメイン回が割り振られていて、第1~2話は「宮森あおい編」だったんじゃないかと思うのですが。
 『TARI TARI』が5人主人公制とは言え「同じ学校の同じ部活の仲間達」という近い存在だったのに対して、『SHIROBAKO』は5人とも社会に出て別々のところにいる状態のアニメ―――ここからどうやって5人の物語がクロスしていくのか非常に楽しみです。


 アニメ業界の人からすると「あるある…過ぎて、胃が痛い…」アニメだそうですし、業界の人間ではないただのアニメファンの私としても「アフレコってこんな狭いスタジオでやるんだ!」とか「1話オンエアーの頃にアフレコは7話やってて、13話のコンテがまだ出来ていないんだ!」とか色んなことが知れて楽しいんですけど……

 アニメ業界に興味がない人でも、若者達の群像劇+成長物語として観ると楽しいと思いますよ!YOSAKOIに興味がなくても『ハナヤマタ』は面白かった、みたいな話で。



 というとこで、終わらせてもイイんですけど……
 『SHIROBAKO』のメインスタッフ、水島努監督と横手美智子さんのシリーズ構成ってコンビ……最近の『げんしけん』コンビなんですよね。私は『げんしけん』は最初のアニメと1代目の原作コミックスしかチェックしていませんでしたし、『SHIROBAKO』も「P.A.WORKSの新作だーー!」としか思っていなかったんですけど。

 「業界人版『げんしけん』」と言っちゃってもイイくらいに、結構なパロディが散りばめられているんですね。木下監督がCV.檜山さんなのも斑目を意識した配役じゃないかと思いますしねー。


 で、私は「パロディネタ」ってあんまり好きじゃないんです。
 「みんなが知っている有名な台詞」をただキャラに言わせるだけでアハハハハハみたいなノリが合わないんです。
 なので、『SHIROBAKO』も別にパロディが多いから面白いだなんてことは思いません。主軸はあくまで群像劇で成長物語で、でもアニメ業界を描くからには欠かせない会社名なんかも出さなきゃいけないけど、そのまま出すのは権利上問題があるので「パロディ」にしているというか。

 昔の野球ゲームだと、オマリーが「オマルー」として登場するみたいな話で。



 ウチのブログは「普段アニメを観ない人にもアニメを観てもらうためには何が必要だろう」と語ってきました。その視点で考えるなら、初めて観るアニメが『SHIROBAKO』だって人もいるかも知れないんです。
 そういう人でも『SHIROBAKO』は全然面白いと思うんですけど、「アニメ詳しくないからこのシーンはよく分からないなー」と思ってしまう人がいるかも知れません。だから、今日はアニメ初心者のために解説記事を書きます!だから、みんな!『SHIROBAKO』観ようぜ!!




◇ 公式サイト
 いきなりここから(笑)。
 私は「ネタバレになるから」という理由でアニメの公式サイトは極力観ないようにしているのですが、第1話放送の数日前Miiverseに誰か『SHIROBAKO』のキャラを描かなきゃなーキャラクターリストのページを見ていたら……キャラクター設定の時点で「ん……?」と思えるネタが結構あったのです。

 なので、ここから書いていこうと思います。


○ 「なにわアニメーションの堀内さん」
 アニメーター安原絵麻が憧れているアニメーター。「日常芝居を得意とする」だそうな。

 なにわ→大阪→京都……
 ということで、「京都アニメーションの堀口悠紀子さん」が元ネタだと思われます。
 『らき☆すた』『けいおん!』『たまこまーけっと』のキャラクターデザイン・総作画監督を担当された人です。京都アニメーションは特に「作画」に関してものすごく評価の高い会社ですが、特に堀口さんの『けいおん!』キャラは日常アニメの代表格として一世を風靡しました。


○ 「赤鬼プロダクション」
 新人声優:坂木しずかが所属している声優事務所。

 赤鬼→青鬼→青二……?
 ということで、「青二プロダクション」が元ネタだと思われます。

 青二プロダクションは、東京都港区南青山2丁目にある声優専門の芸能事務所です。
 大御所の声優さんから若手声優まで、多くの声優さんが所属していて「有名な人は誰誰」と言い尽くせないほどの大手声優事務所です。

 しずかはまだアニメデビューしていないので、所属と言ってもジュニア所属かな……





◇ 第1話「明日に向かって、えくそだすっ!」

○ あおいが聴いているラジオ番組「アニラジぽくぽく」
 一瞬ですが、液晶が映ります。
 「AM 1134KHz 23:54」

 このアニメは舞台が東京ですから、AM1134kHZは「文化放送」です。
 文化放送はA&Gゾーンという「アニラジ放送枠」を1990年代から設けていて、現在でも地上波のアニラジ番組が幾つもあるだけじゃなく、「超!A&G+」等インターネットラジオサービスも行っています。アニラジと言えば文化放送と言っても過言ではありません。

 文化放送のこの時間帯でアニメの話題をしている番組と言えば、土曜日の『こむちゃっとカウントダウン』ですかねぇ(番組公式サイト)。ラジオMC二人は別人ではありますが、男女ペアによる番組ですし。

 ただ、残り6分で番組が終了するんですよね(笑)。
 『こむちゃっとカウントダウン』はアニソンや声優さんの曲を紹介する音楽番組なので、「アニラジぽくぽく」のようにアニメ作品の特集をするのはその前の番組『アニスパ!』公式サイト)の方に近いかなぁ。



○ 中春鳴
○ 伊藤鈴鹿
○ 茅菜夢衣

 作中アニメ『えくそだすっ!』で主役の3人「トレイシー」を演じる3人の声優さん。

 元ネタも何も……中の人、の中の人の名前をもじっているだけなんですけど。
 「中春 鳴(なかはる めい)」=「中原 麻衣(なかはら まい)」さん
 「伊藤 鈴鹿(いとう すずか)」=「伊藤 静(いとう しずか)」さん
 「茅菜 夢衣(かやな むい)」=「茅野 愛衣(かやの あい)」さん


 ちなみにこの3人は兼役で、「武蔵野アニメーションのスタッフ」も演じられています。
 中原さんは、総務の興津さん。
 伊藤さんは、動画検査の堂本さん。
 茅野さんは、キャラクターデザイン&総作画監督の小笠原さん。

 ラジオのMCも誰かの兼役だと思うんですが……声優ソムリエ出来ないんで、誰だか分かりませんでした。


○ G.I.STAFF
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<テレビアニメ『SHIROBAKO』第1話より引用>

 宮森あおいとカーレースをした富ヶ谷さんの務めるアニメ会社。
 ロゴが思いっきりこの会社っぽい!

 Production I.Gは東京都武蔵野市にあるアニメ制作会社。武蔵野……なるほど、あおいとしょっちゅうカーレースをしているっぽいワケだ(笑)。
 代表作はなんと言っても『攻殻機動隊』シリーズ。最近では『ハイキュー!』とか『翠星のガルガンティア』なんかが話題作ですかね。水島監督と横手さんコンビの『げんしけん 二代目』はProduction I.Gが制作していたので、その縁もありそうですね。

 富ヶ谷さんが原稿を持っていた『SSDR II』ってアニメは、元ネタあるのかな……何かのコードネーム?


――11月28日追記――
 G.I.STAFFの元ネタは、Production I.GとJ.C.STAFF公式サイト)を合わせているんじゃないかとコメント欄の指摘がありました。どちらも東京都武蔵野市にある会社なので可能性は高そうですね。
 J.C.STAFFは現在『selector spread WIXOSS』を制作中のアニメ制作会社で、過去の作品で言えば『ハチミツとクローバー』や『とある魔術の禁書目録』『とある科学の超電磁砲』、水島監督と横手さんコンビの『じょしらく』なんかが代表作ですかね。



○ 『ファイト』
○ 『Gコレ』

 制作の本田と落合が「今季の注目アニメ」として挙げている作品。

 ファイト→フェイト→『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』
 Gコレ→Gレコ→『ガンダム Gのレコンギスタ』

 公式サイトはこちらこちら
 私はちゃんと今季の注目作品に『SHIROBAKO』挙げてましたからね!『Gレコ』の次に、だけど!!


○ 武蔵野アニメーションの社内に貼られているポスター
 これは、自分にはよく分かりませんでした。
 明確に「元ネタはこれ!」ってあるんじゃなくて、「なんかそれっぽい」ものを用意しているだけかなぁ……と思うのですが、「それの元ネタは○○だよ!」って分かる人がいらっしゃったらコメント欄に書き込んでくださると助かります。

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<テレビアニメ『SHIROBAKO』第1話より引用>

 『ホシガリタコダ』……?
 こういう絵柄は元ネタありそうですけど……このポスターは2話にも登場します。

――10月22日20時30分追記――
 コメント欄にて『ホシガリタコダ』の元ネタは『クレクレタコラ』ではないかという情報をいただきました。1973年~1974年の東宝製作の特撮番組だそうです。「他がアニメなのに、これだけ特撮が元ネタ?」とは思うんですが、ネーミングもフォントもまんまなので……「タイトルとフォント」と「絵柄と構図」は別の元ネタがあるのかも知れませんね。



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<テレビアニメ『SHIROBAKO』第1話より引用>

 『マハゼドン』……?
 マハゼが主人公のアニメとはニッチな……しかし、この構図もどっかで観たような……

――10月22日20時30分追記――
 コメント欄にて『マハゼドン』の元ネタは『ハゼドン』ではないかという情報をいただきました。まんまだ!1972年~1973年に放送された創映社(後のサンライズ……という説明でイイのかな)の第一号作品だそうです。サンライズのスタッフなら誰か自分も知っている人がいないかなぁとスタッフの名前を見てみたら……「設定担当:丸山正雄さん」だそうです。なるほど……



 『BUMIN』
 なんだかムーミンみたいなキャラが、よくあるハードボイルドみたいな構図で抱き起こされているポスター。「よくある構図」とは言ったけど、これって何のイメージだろう。

――10月23日1時30分追記――
 絵柄もフォントも違うので元ネタかどうかは悩むんですが、一応『ムーミン』の解説も書いておきます。元々はフィンランドの絵本で、日本でのアニメ化は1969年~1970年、1972年。権利関係でゴタゴタがあって、1990年以降に作られる『楽しいムーミン一家』が公式になったことで、こちらの『ムーミン』は闇に葬られることになってしまいます。

 子どもの頃『楽しいムーミン一家』を観ていると、「元々はこれじゃなかったんだよ」と親が言ってきていたのはそういう理由だったのか。



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<テレビアニメ『SHIROBAKO』第1話より引用>

 『アマゾン……べこ?』
 なんだろう……

――10月23日1時30分追記――
 フォントが違うんで、確信は持てないんですけど……『ジャングル黒べえ』が元ネタとしては怪しいかなと思います。藤子・F・不二雄先生の漫画ですが、テレビアニメと連動した企画だそうで、テレビアニメの放送は1973年。

 『ジャングル黒べえ』をもじるなら、『アマゾン赤べこ』あたりですかねぇ。


――10月28日21時追記――
 第3話にもこのポスターが出てきました。フルのタイトル名は『アマゾン白べこ』。
 元ネタは『ジャングル黒べえ』で良さそうですね。




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<テレビアニメ『SHIROBAKO』第1話より引用>

 『……きパッチ』
 『みなしごハッチ』とか『みつばちハッチ』っぽい。

――10月23日1時30分追記――
 他が1970年代のアニメばかりなので、これも『みなしごハッチ』が元ネタで良さそう。
 1970年~1971年と、1974年にテレビアニメ化されて、1989年~1990年にはリメイクもされて、2010年には『みつばちハッチ』として劇場版アニメも公開されました。



 『夏草冬虫の歌』
 このフォントと構図も何かっぽいんですけど……元ネタが分かりません……
 「夏草冬虫」とは「冬虫夏草」のことですかね。漢方とかに使われるキノコ。

――10月23日1時30分追記――
 コメント欄でいただいた情報で、『夏草冬虫の歌』の元ネタは『てんとう虫の歌』じゃないかという説をいただきました。絵柄もフォントも違うので微妙と思われるかもですが、「冬虫夏草」を「夏草冬虫」とわざわざ言い換えている辺り、元ネタとしてはかなり確率が高いんじゃないかと思います。

 『てんとう虫の歌』は川崎のぼる先生による漫画で、テレビアニメは1974年~1976年に放送されました。




○ 『とあるお寺の即身仏』
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<テレビアニメ『SHIROBAKO』第1話より引用>

 『えくそだすっ!』の放送前に流れていたTVCMの作品。
 カタカナもうっすら書いてあるんですけど……ウチのテレビじゃちょっと判読が難しい……「ノーヴィジュクタ」……?何のことだろう。

 元ネタは『とある魔術の禁書目録<インデックス>』だと思われます。
 公式サイトを見れば分かるようにロゴがソックリ(笑)。

 『とある魔術の禁書目録』は電撃文庫で2004年から刊行されているライトノベルで、2008年と2010年にテレビアニメ化されて、2013年には劇場版アニメも公開されました。スピンオフ作品である『とある科学の超電磁砲<レールガン>』も2009年と2013年にテレビアニメ化されて有名ですね。

 実はこの『SHIROBAKO』も、『とある』シリーズ2作も、川瀬浩平さんのプロデュース作品なのでそういう縁なのかなと思います。
 それと、『SHIROBAKO』のコミカライズも、『とある』シリーズと同じメディアワークスの電撃大王で連載中なんですよね。だから『SHIROBAKO』のテレビ放送では、間に『とある』シリーズのキャラが出てくるTVCMが流れてて。そういう縁もあるのかも。

 ついでに語っておくと『SHIROBAKO』のコミカライズは、アニメ第1話の冒頭で駆け足に描かれた「主人公5人の高校時代の話」なんですってね。すげー面白そう!早く単行本出ないかなぁ。


○ Lanfis
○ ブケロード

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 『えくそだすっ!』のスポンサー。
 Lanfisの元ネタはレコード会社Lantisだと思われます(公式サイト)。
 深夜アニメの主なスポンサーにはレコード会社があって、深夜アニメの目的とは「ブルーレイ&DVD」と「主題歌CDやキャラソンCDやサントラCD等」を売ることと言うことも出来ます(テレビ局が製作するアニメは必ずしもそうではないんだけど……)
 Lantisが音楽制作をしている最近の作品で言えば、なんと言っても『ラブライブ!』とか、今季で言えば『天体のメソッド』、このブログで最近話題にしたアニメで言うと『グラスリップ』とか『境界の彼方』とか……たくさんありますね。

 ブケロードの元ネタはブシロードだと思われます(公式サイト)。
 主にトレーディングカードゲームを制作している会社で、『ヴァイスシュヴァルツ』などはとにかくたくさんのアニメのキャラクターが参加していますね。そういうこともあって、深夜アニメを支えるスポンサーの一つですね。


 ちなみに……Lantisもブシロードも『SHIROBAKO』のスポンサーではありません!(笑)



○ バーナキョーダイ社
 総務の興津が社長の丸川に、「プロデューサーからメールが来ていました」と言っていた会社。

 バーナキョーダイ→バーナ兄弟→バーナブラザース→ワーナー・ブラザースか!

 ワーナー・ブラザースは『SHIROBAKO』のスポンサーで、「ブルーレイ&DVD」を販売している会社。ハリウッドの映画会社の日本法人で、最近の深夜アニメで言えば『ジョジョ』や『selector infected WIXOSS』なんかもワーナー製作の作品ですね。

 話の流れからすると、『えくそだすっ!』の「ブルーレイ&DVD」はバーナキョーダイ社から出るみたいなので、そこのプロデューサーから「面白かった」と言ってもらえることは、この時点で一番の結果なんですね。



○ 瀬川さんが聴いているラジオ
 液晶に映っているのは「AM 1548khz 12:10」

 この周波数のラジオ局は実在しないみたいですが、喋り口を聴く限りでは「AM 954kHZ」のTBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』公式サイト)ですかねー。この時間帯のラジオ番組は流石に詳しくないんですけど、喋り方が「似せている」っぽいですし、TBSラジオは漫画家やアニメーターの人達がよく聴いている局ですし、「954→1548」という周波数は“もじり”っぽいですし。

 1話のアニメで2回ラジオ聴いているシーンが出ることも珍しいと思いますが、「アニメを特集している局」と「アニメーターが聴いている局」が違うという辺り、すごく細かい(笑)。



◇ 第2話「あるぴんはいます!」

○ 『俺様のハーレムが少しずつ崩壊しているかもしれないけどたぶん気のせいかもしれない(仮)』
 坂木しずかが持っていたオーディション原稿の作品名。
 ネット上でもよくネタにされる「文章になっている長いタイトル」の作品ですね。明確に何が元ネタということではなくて、こういう作品名って多いよねってネタだと思われます。

 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2010年)
 『お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!』(2011年)
 『僕は友達が少ない』(2011年)
 『お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ』(2012年)
 『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』(2013年)
 『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(2013年)
 『勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。』(2013年)
 『俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力で邪魔している』(2013年)
 『最近、妹のようすがちょっとおかしいんだが。』(2014年)

 ほんの一部を紹介しましたが……どれも長い!
 しかし、これらの作品以上に 『俺様のハーレムが少しずつ崩壊しているかもしれないけどたぶん気のせいかもしれない』は長い!「(仮)」ということは、これは原作があるワケじゃないオリジナル作品なのか?


 それと……一概には言えませんけど、「ハーレム」作品というのは一人の男主人公にたくさんのヒロイン達という構図になるので、女性声優さんの役が多いアニメですよね。そういう理由もあってか、若手女性声優さん達の登竜門になりやすいジャンルと言えるかも知れません。新人声優のしずかにとっては、チャンスの作品だろうと。



○ ぷるキュー
 監督の過去作『ぷるんぷるん天国』の9話が伝説級の作画崩壊回だったために、付いてしまったネットスラング。流石にこれは特定の何かを元ネタにしているワケではないと思うんですけど……

 ネットスラングにまでなった作画崩壊回と言えば……
 1998年の『ロスト・ユニバース』4話の「ヤシガニ」か、
 2006年の『夜明け前より瑠璃色な』3話の「キャベツ」ですかね。

 自分はコレらの作品を観ていないので何とも言えないのですが、ネット上で崩れた作画を笑いものにする風潮はあまり好きじゃないです。そういうのは、いつか自分に跳ね返ってくるので……


○ 武蔵野アニメーションの社内に貼られているポスターII
 げっ、これって第2話にもあるのか……
 しかも、第1話で放送を観ている部屋と、第2話で会議している部屋は違うので……貼ってあるポスターも全部違う……


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<テレビアニメ『SHIROBAKO』第2話より引用>

 右端から行きます。

 『男どアホウ国立競技場』
 藤村国立競技場が主人公のサッカーアニメ(笑)。
 これは流石に元ネタ分かります。原作:佐々木守先生&作画:水島新司先生による『男どアホウ甲子園』が元ネタでしょう。主人公の名前は藤村甲子園。アニメ化は1970年~1971年でした。

 えーっと……説明するまでもないかも知れませんが、「甲子園」というのは高校野球の全国大会が行われる“聖地”で。「国立競技場」というのは高校サッカーの選手権大会の(開幕戦と)ベスト4の試合が行われる“聖地”です。今は改装中ですけど。

 超有名な野球漫画を、サッカーアニメに置き換えてしまったというネタですね。
 ポスターに書かれているフレーズは「サッカーどアホウ藤村国立競技場たぁ わいのこっちゃ!」関西人なのは変わらないのか!
  

 『鼻の子ブンブン』……?
 これ、元ネタは全く知らなくて……検索して初めて知りました。
 『花の子ルンルン』公式サイト)。東映魔女っ子シリーズの1つで1979年~1980年に放送されたそうです。


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<テレビアニメ『SHIROBAKO』第2話より引用>

 『おしゃべりの艦隊』
 「艦隊」の名のつくアニメはたくさんあるけれど、恐らくこのタイトルから考えられる元ネタはかわぐちかいじ先生の『沈黙の艦隊』だと思われます。アニメ化は1995年にビデオで発売されて、1996年にテレビ放送されました。制作はサンライズ。作品紹介はこちらです。しっかし、『おしゃべりの艦隊』のポスター超楽しそう。

 『お尚さん!』
 フォントからしても、元ネタは『一休さん』でしょうね。1975年~1982年に放送された東映アニメーション制作のアニメです。作品紹介ページはこちら


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<テレビアニメ『SHIROBAKO』第2話より引用>

 『……伝説』?
 これだけじゃ……何とも……


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<テレビアニメ『SHIROBAKO』第2話より引用>

 『宝鳥』
 誰もが一度は考えるようなネタを……(笑)
 フォントからしても、元ネタは『宝島』。1978年~1979年に放送された東京ムービー新社制作のアニメだそうです。

 その隣は『ホシガリタコダ』。
 1話にも出てきていましたね。元ネタが分かる人がいたらコメント欄で教えてください……

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<テレビアニメ『SHIROBAKO』第2話より引用>

 『杉の木ポック』
 これも検索して初めて知りました。元ネタは恐らく1972年の『樫の木モック』です。タツノコプロ制作。『ピノッキオの冒険』をアレンジしたアニメだそうです。




 『沈黙の艦隊』は例外として、残りはみな1970年代のアニメですね。
 流石に私もどれも観たことないです。

 武蔵野アニメーションは「7年ぶりに元請制作をする」という台詞が第1話にあるのですが、これらのポスターが貼ってあるということは業界では古株の会社ということなんでしょうか。



○ スタッフの人達にも実在のモデルがいる?
 『SHIROBAKO』について、最近話題になっていたツイート。




 正直、「キャラ」についてはモデルが誰だとか考えるのは失礼かなと思うところもあるんですね。実在の人物に対する風評被害にもなりかねませんし、監督クラスならともかく、演出の人とか原画の人とかになるとアニメファンだって個人の人となりは知りませんし。
 矢野先輩は!矢野先輩にもモデルはいるんですか!あの、二次元の夢を詰め込んだみたいな矢野先輩にも実在するモデルがいるんですか!みたいなストーカーを生みかねませんしね。

 しかし、山岡ゆりさんは『境界の彼方』の愛ちゃんみたいなすっげあざといキャラだけじゃなくて、矢野先輩みたいなキャラも上手く演じるんですね。一歩間違えると冷たいキャラにとられかねないのに、ちゃんと宮森への後輩愛が感じられるキャラになっていて、見事ですよ。


 閑話休題。
 ということで……人物に関しては、特に取り上げないでいこうと思っていたんですけど。




 監督が言っちゃってるじゃないか!!
 じゃあ、この記事でも取り上げちゃうか!


 「木下誠一監督」のモデルは「水島精二監督」?
 水島誠二監督作品と言えば、何と言っても2003年版の『鋼の錬金術師』。『ガンダムSEED』の後番組、いわゆる「土6」での大ヒットを起こし、当時の人気は凄まじく、数々の賞を受賞しました。
 また、2007年には『ガンダム00』の監督を務めましたし。この秋に公開される虚淵玄さん脚本の劇場版アニメ『楽園追放』の監督を務めています。

 まぁ、業界を代表するヒットメーカーの一人と言って過言ではないですよね。
 奥さんに三行半を突きつけられたかどうかは知りません(笑)。にしても、木下監督はCV.が檜山さんなので、「斑目がアニメ監督になった」みたいな熱さが2話にはありました。


 「丸川正人社長」のモデルは「丸山正雄社長」?
 丸山正雄さんは元マッドハウスの取締役社長で、退職後の現在はMAPPAを設立して代表取締役を務めています。MAPPAは『残響のテロル』や『神撃のバハムート GENESIS』のアニメ制作会社です。


 「音響監督:稲浪良和さん」のモデルは「音響監督:岩浪美和さん」?
 アニメを観れば分かるように、音響監督というのは裏方なんでなかなか名前を覚えられるポジションではないと思うんですが、岩浪さんはラジオに出たりイベントに出たりもするのでその中では結構な有名人じゃないかなと思います。Twitterもやられています。



 あれ……
 ひょっとして第2話に出てきた音響スタッフみんなモデルがいるの……?


 「効果:大山匠さん」のモデルは「音響効果:小山恭正さん」?
 名前が似てないんで、岩浪さんが仰らないと気付きませんでした……
 小山さんもTwitterをやられていて『SHIROBAKO』にも参加しているスタッフさんですね。


 「ミキサー:山渕篤さん」のモデルは「サウンドミキサー:山口貴之さん」?
 この方もTwitterをやられていて、『SHIROBAKO』に参加されていますね。


 「音響制作:中田恵理さん」のモデルは「音響制作担当:田中理恵さん」?
 件のツイートに貼られている写真は声優の田中理恵さんらしいのですが、同姓同名の別人だそうです。明田川進さんのマジックカプセル所属の音響技師で、この人も『SHIROBAKO』の制作に参加しています。


 「ミキサー助手:藤明日香さん」のモデルは誰でしょう……?
 『SHIROBAKO』スタッフで言うと、このポジションは「録音助手:小笠原頌さん」だと思うのですが。“もじり”にしてはしっくり来ないんですよね……


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 たった2話だけだから、ササッと書いて終わるだろう!と思って書き始めた記事だったんですが……思った以上に細かいネタが多くて、結構な文量になってしまいました。書き終わるのに3日かかった!

 なので、アニメ業界に関係ないようなネタは省きました。ファーストフード店の名前とか、円が持っていたタブレット端末のマークとか。いちいち挙げていたらキリがないですからね。タローの机のフィギュアも「これ……元ネタはアレっぽいな」と思うキャラもいたんですけど、タローのキャラをそこまで掘り下げる気にはなりませんでした(笑)。


 重ね重ね、元ネタが分からないと面白くないアニメでは決してないと思うんですよ。
 だから、元ネタを解説する意味なんて本当はないのかも知れないのですが……例えば、あおいがカーラジオで聴いているラジオ局と、瀬川さんが聴いているラジオ局が違う、とかは……ラジオ大好きな自分からしても「細かいとこ作ってあるな!」と思える部分で。
 そういう細かいところを作っているからこそ「作品世界」が説得力を持っていると思うんですね。この作品の魅力を語るには、それを書く意味はあるだろう、と。




 それと……今日の記事の話とはズレるんですけど……

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shirobako19.jpg
<テレビアニメ『SHIROBAKO』第2話より引用>

 このカットですよ!このカット!

 高校時代は並んでアニメを作っていた二人が、同じアニメ制作会社で働いていても、この距離という。その距離感を表現するために、あおいを見つめる絵麻の表情までしっかり描いてあるんですよ!!
 それこそ絵麻の憧れるアニメーターさんじゃないけど、京アニが『たまこまーけっと』や『たまこラブストーリー』でやってのけたことを、P.A.だって出来るんですよ!!

 百合とかじゃなくて……いや、別に百合でもイイですけど!
 高校時代とは変わってしまった距離感を、絵麻のこの表情とか、しずかとの電話とかで描写していて―――“青春が終わった後の人生”をちゃんと描こうとしている、この作品の姿勢が私はホント大好きなんですよ。ここから5人の主人公の物語がどうクロスしていくのか、すげえ楽しみです!みんなも観るがイイさ!!

――追記――
第4~6話の元ネタ解説はこちら
第7~10話の元ネタ解説はこちら
第11~14話の元ネタ解説はこちら
漫画版1巻&小説版はこちら
第15~19話の元ネタ解説はこちら
第20話~最終話の元ネタ解説はこちら

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『たまこラブストーリー』が『たまこまーけっと』から受け継いだもの

※ この記事はテレビアニメ『たまこまーけっと』全12話劇場版アニメ『たまこラブストーリー』のネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。

 ようやっと観られました。
 『たまこまーけっと』とは、2013年1月~3月に放送された京都アニメーション制作のテレビアニメで、『けいおん!』のメインスタッフが再集結して作られたアニメとして話題になりました。私は知らなかったんですけど、京都アニメーションが元請制作を開始してから10周年記念の作品だったんですってね。
 『たまこラブストーリー』は、その後日譚を描いた劇場版アニメで2014年のゴールデンウィークに公開されました。私は当時両親の入院などで大変な状態だったので映画館まで観に行くことは出来ず、今回のブルーレイ&DVD発売でようやく観ることが出来ました。



 正直なことを言うと……あんまり期待していなかったんですね。
 『たまこラブストーリー』公開当時に「『たまこまーけっと』がイマイチだった人は楽しいと思うけど、『たまこまーけっと』が好きだった人は「コレジャナイ」って思うかもなー」という感想ツイートがRTされていて、『たまこまーけっと』が大好きだった自分としては楽しめないかも……って不安でした。

 ゲームの続編なんかでも、「俺の好きだった要素がなくなってて!これじゃ全然別物じゃねえか!」ってガッカリすることは多いですもんね。実際、『たまこまーけっと』の最終回ではたまこが「恋愛よりも大事なもの」を選んだのに、続編が『たまこラブストーリー』って何だよって思ったところもあります。


 で、観てみたところ……


 まぁ、号泣しましたよ!

 どこで泣いたかって言うと、みどりちゃんの「サンキュ、かんな」なんですけど。
 それはつまり『たまこまーけっと』から続いてきた物語の結末だったからであって、この『たまこラブストーリー』は『たまこまーけっと』から地続きの話だったし、『たまこラブストーリー』を観て初めて『たまこまーけっと』が何を描きたかったアニメだったのかが分かった気がしました。



 そもそもの話なんですけど……この『たまこラブストーリー』という企画がいつから始まっていたのか、『たまこまーけっと』を作っている時点で『たまこラブストーリー』で完結するという計画だったのかが疑問だったんですね。

1.『たまこまーけっと』で完結する予定だったが、好評だったので『たまこラブストーリー』を作った
2.最初からテレビアニメ『たまこまーけっと』と劇場版『たまこラブストーリー』のワンセットで企画されていた
3.元々はテレビアニメ2作を作る予定だったが、1作目(『たまこまーけっと』)の売上が不調だったために2作目は劇場版『たまこラブストーリー』に変更された


 私は最初「3」だと思っていました。
 「2」の可能性も、『中二恋』や『境界の彼方』のように「テレビ版→劇場版」の流れが続いていることから考えられるのですが……テレビ版のラストで商店街に残ったデラが、劇場版では「その後に帰った」と不自然な形で繋がっていないことから、「3」かなーと思っていました。

 しかし、実際に『たまこラブストーリー』を観てみると「1」のような気がするんですね。
 『たまこまーけっと』は『たまこまーけっと』だけで完結していました。デラが商店街に残ったことも、チョイちゃんの消化されていない伏線も、「あの世界ではコレから先もドタバタした日常が続くんだ」という終わり方だと考えれば納得出来ますし。


 ただ、テレビアニメ12話には収まりきらなかった話があったのも確かです。
 テレビアニメでは描ききれなかった「たまこ」と「もち蔵」と「みどり」の三角関係の結末を、もう一度『たまこまーけっと』が描いてきたもので描き直そうというのがこの『たまこラブストーリー』だったのだと思うのです。

 分かるんですよ?分かってはいるんですよ?
 「たまこ」と「もち蔵」が主人公の映画なんだってプッシュの仕方は分かるんですよ。そういう宣伝をしていったからこそ、私は「やられた!」と思ったのですし。
 でも、言わせてくれ!この映画の真の主人公は「みどりちゃん」だろ!!




 北白川たまこは特別な存在だし、特別な存在と描かなければならなかった

 『たまこまーけっと』が何を描いていたのか―――
 私は「恋愛」か「恋愛よりも大事なもの」かを選ぶ話だと思って、テレビアニメ全12話が終わった後に上の記事を書きました。しかし、その説明はちょっと足りていませんでした。もうちょっとシンプルに考えれば良かったと思います。


 『たまこまーけっと』というのは、「あなたが一番大切なものは何か」を描いていたストーリーだったのだと今なら思います。
 たまこは最後、「お妃になること」よりも「この商店街で生きていくこと」を大切だと選んだ。
 デラも最後、「本来の使命」よりも「たまこの一番大切なもの」を守ろうと走った。

 さゆりさんの幸せを願った清水屋さんもそうでしたよね。
 「一番大切なものは、さゆりさんが幸せになること―――」

 テレビ版の『たまこまーけっと』は、そういう話だったのです。





 だから、

 「でも……たまこが悩んでるのは、あんまし嬉しくない」

 自分が、もう選ばれないことは分かっている。
 もち蔵と違って、告白をすることも出来ない。

 でも、一番大切なものは「たまこの幸せ」だから、みどりちゃんは嘘をついてでもたまこの背中を押すんですよ。「二人の幸せのために……」じゃないな、「たまこの幸せのために……」。




 「誰が誰を好きになってもイイんだよ」

 かんなちゃんのこの台詞で始まったと言ってもイイ『たまこまーけっと』の物語。
 みどりちゃんがたまこを好きになってもイイんだよ。
 でも、みんながみんな選ばれるワケではない。選ばれなかったみどりちゃんが、それでも一番好きな人のために出来ることをする―――その姿を尊く描き、「みどちゃん……今、ちょっと良い顔してますよ」と締めくくる。



 「あんこは変わるの怖い?」
 「急に今までと違う世界になっちゃう、みたいなカンジ……」


 告白をする、告白をされる、好きな人が自分以外の人とくっつく……
 今までとは違う世界になってしまう瞬間。「誰かを好きになっても」辛いことばっかりだ。


 でも、新しい世界でのみ見られる景色もある――――


tamakolove1.png
tamakolove2.png
<映画『たまこラブストーリー』より引用>

 それを、かんなちゃんの木登りで表現するという!

 つらいことも、大変なことも、怖いこともあるけど、その新しい世界には見たこともないような景色がある―――それをこのシーンの、かんなちゃんの表情で見事に描いたこのシーンが無茶苦茶美しかったです。かんなちゃんは、このシーンのために存在していたと言っても過言ではない。



 単に……私がかんなちゃん大好きだから、「今度はかんなちゃんに見せ場があって良かった!」と絶賛しているみたいになってしまった……

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 あと、やはり……京都アニメーションの技術力で「何を描くか」、劇場版というリッチな環境で「どんな凄いことをやるのか」という焦点で考えると。例えば『けいおん!』の劇場版だったらロンドンまで行ってしまったのだけど。

 自分の部屋の窓から見える、向かいの家のあのコの部屋までの距離―――

 という、あくまでこの狭い世界をひたすら描くことに全力を注ぎ。だからこそ、たった一つのことで「自分の世界」がこんなに変わってしまったんだということに説得力を持たせられる使い方も見事でした。何も考えていなかったら、より「豪華に」、より「派手に」、より「壮大に」という方向に進んでしまいそうなものなんですが、そうはしなかった。

 この作品、例えばみどりちゃんがたまこに話しかけている時に、遠くに映るかんなちゃんの表情とかを丁寧に描いていて――――すっごく地味かも知れないけど、すっごく大切なことを描こうとしているんだなと改めて思いました。私はどんだけかんなちゃん好きなの。


| アニメ雑記 | 17:46 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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レビューの点数は「絶対評価」ではない

 この記事の続きの話。

 レビューに点数を表示したくなる気持ち……分かります!

 実際にウチの「紹介記事」に点数を付けるかどうかは、まだ悩んでいるところですが……もし付けるとしたら、来年になってからにするつもりです。
 そして、「2015年に遊んだゲーム」として点数を付けていって、「好きな順」に並べていって、そこで終わり。2015年と2016年は別の基準で点数を付けるというレギュレーションにしようかなと悩んでいます。

 具体的に言うと……例えば2015年に遊んだ『A』というゲームに75点を付けて、『B』というゲームに80点を付けたら、私は『A』よりも『B』の方が気に入っているということなのですが。2016年に遊んだ『C』というゲームに80点を付けても、2015年の80点と2016年の80点は別のものさしで付けているので、『C』は『A』より気に入っているとは限らない――――と、したいのです。


 ややこしい?
 ワケわかんない?
 なんでそんなことするんだ?


 実は、これこそが私が「レビューに点数を付ける」ことの最大の問題だと思っているんですね。レビューの「点数」の基準は、本来は“人によって違う”んだよという問題。


 本題に入る前に、ちょっと酷い例を見せようと思います。
 私はこのブログにおいてゲームを紹介する際には「点数」を付けないようにしてきたのですが、毎年の年度末には「1年間観てきたアニメ」を「好きな順」のTOP5にして点数付きで発表してきました。2009年度~2013年度まで、まとめて載せている記事はこちらになります。

 この記事を読むと、自分で点数付けてランキングにしたのだから当然なんですけど……「点数を付けるメリット」「点数を付けるデメリット」の両方が分かります。

 「点数を付けるメリット」はすごく分かりやすい。
 点数を付けることで「1位と2位は同じくらい好きなんだ」とか「2位と3位にはこれだけの差がある」といった“好き度の差”が一目で伝わるのです。1位、2位、3位、4位、5位と並べただけではこれは伝わりません。

 逆に、「点数を付けるデメリット」は……過去に付けた点数に自分が縛られることです。
 1年目でいきなり「100点満点中175点」というワケの分からないことをやってしまったことで、それ以降の作品の評価が「100点満点」ではなくて「175点満点」というよく分からないことになってしまいました。
 また、何年もやっていると「過去作品の点数との比較」がワケ分からなくなってきて……『けいおん』2期(90点)よりは上だけど、『TARI TARI』(95点)よりは下だけど……『たまこまーけっと』(92点)よりは上だから、えーっと94点!みたいな窮屈なことになりかねません。これを20年とか続けていると、「100点満点中152.3点です!」とかワケ分からない点数が付くことになりそうです。


 だから、「点数を付けるメリット」を残したまま、「点数を付けるデメリット」を消すために、毎年基準をリセットするというのは一つの手かなと思うのです。正直、アニメの点数を自分で見返しても「え?『進撃の巨人』より『あの夏で待ってる』の方が点数高いの?おかしくね??」と自分でも思いますもの(笑)。



 そう……つまり、私がこの記事で語りたいのはこのことなんです。
 レビューに付けられる点数なんて、「人によって違う」し、もっと言うと……「その人が最初に付けた点数によって変わる」んです。1年目の『とある科学の超電磁砲』に175点なんてワケの分からない点数じゃなくて、100点を付けていたら―――その後の点数は全部変わったと思いますからね。

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○ 数字は「絶対評価」ではない
 今は……えっとまぁ、なんか色々あって別々に行動している漫才コンビ:アンタッチャブルが、ラジオでよくネタにしていたことに「M-1グランプリの歴代最多得点は自分達だ」という話がありました。漫才師の日本一を決める大会だったM-1グランプリの第2~10回大会のファーストラウンドにおいて、自分達の出した673点が最高点だという話です。

 もちろん本人達は「分かって言っている」のですけど、それは別にアンタッチャブルの漫才が歴代で一番面白いという証明にはならないですよね。
 その点数というのは、あくまで「第4回大会のファーストラウンドに出場した9組の中の点数」です。M-1グランプリは毎回審査員も変わっていましたし、同じ審査員であっても1組目の漫才に付けた点数を基準に全9組を審査するだけであって前回の点数を基準にはしないでしょうし出来ないでしょう。



 「点数」なんてそんなものだと思うんですね。
 あくまでその場に並んだ“対象”を相対化するための方法でしかない、と。

 例えば、通信簿の数字だって多くの場合は「相対評価」です。
 そのクラスとか、その学年とかの中で、どれだけ成績がイイかというだけなので……すごく頭の悪い学校のオール5と、すごく頭の良い学校のオール3だったら、「すごく頭の良い学校のオール3」の人の方が頭が良かったりするワケです。

 人数関係なく、テストの点数によって成績を割り振る「絶対評価」もありますが。
 そもそも「テストの点数」自体、そのクラスとか学年とかの中でどれだけ成績がイイかを「相対的に判断する」ために作られるワケで―――すごく頭の悪い学校のテストの100点と、すごく頭の良い学校のテストの70点だったら、「すごく頭の良い学校のテストの70点」の人の方が頭が良かったりするワケです。

 偏差値だって、その学年における「相対評価」なので。
 すごく頭の悪い学年の偏差値60と、すごく頭の良い学年の偏差値50だったら、「すごく頭の良い学年の偏差値50」の人の方が頭が良い……かどうかは、さすがに断言する勇気はないです(笑)。



 しかし……「レビューの点数」にまつわる話を色んな人がしているのを見ると、どうも「点数」というものを絶対視している人がいるように思えるのです。絶対視というか「絶対評価」だと思っているというか。数字は客観的なものだ、と思っているというか。

 「レビューに点数を付けるのが一人だけだったら偏った評価になってしまうんじゃないか」とか、「このゲームに10点を付けるレビュアーはおかしい」とか、そういう話を目にするたびに……レビューの点数って「人によって基準が違う相対評価」でしかないと思うんだけどなーと、悶々としていました。偏るのも、他人から見て納得がいかないのも、当然だろうと。



 まぁ、こういう話を書くと「どこにいるかも分からない誰々さんに対する反論のために書かれた記事なので読んでいるこちらは不快になります!」と言われるんで、じゃあもっとデカイものをディスっていこうと思います。


 こんな風にあくまで「相対評価」でしかないレビューの点数を、合計して平均して「客観的な評価が出ました!」と表示するのって愚の骨頂だと思うんですね。
 Amazonのレビューだってそうですし、任天堂のeShopもそうですし、モノを売る系のサイトには大抵そういう機能があります。ユーザー投稿型のレビューサイトもそうですし、ファミ通のクロスレビューとかもそうですね。厳密には「平均」ではないものもありますけど、私はとにかく「人によって基準の違う点数」を足すことにすごく無意味さを感じるのです。

 例えば……私、eShopの評価に「☆5つ」って滅多に付けないんですよ。1年に1本か2本くらい。割合で言うと10~15本に1本くらいしか「☆5つ」を付けません。大抵は「☆4つ」、不満が少しでもあると「☆3つ」、不満の方が多いと「☆2つ」、このメーカーのゲームはもう買わないと思ったら「☆1つ」。
 だってさ……eShopの評価って「これまでで一番満足したソフトを☆5つとすると、このソフトは☆いくつくらいの満足度でしたか?」って訊いてくるんですよ?歴代ベスト級のゲームと比較しろって言うんですよ?『FF5』とか『神々のトライフォース』とかと比較しちゃうと、そりゃ滅多に「☆5つ」なんか出せませんよ!


 でも、eShopを見る限り他の人は結構バンバン「☆5つ」出しているっぽいんですね……
 「☆5つ」が300件、「☆4つ」が2件、とかの割合だったりするし……


 ということで、私にとっての「☆5つ」の価値と、他の人にとっての「☆5つ」の価値は全然違うのに……それが一緒くたに集計されてしまうことがすごくおかしいと思うのです。
 全ての人間が全てのソフトを買って遊んで評価するのならイイのですが、当然そんなことは金銭的にも時間的にも不可能ですから……簡単に言うと、こういう集計方法で点数を出していくと「何も考えずにバンバン☆5を付ける人」が買うゲームは高得点になりやすくて、私のように「辛い基準で☆5つを出し渋る人」が買うゲームは高得点になりにくいんです。


 そう思ってしまってからは迷宮入りで……
 eShopでは辛口評価を付けていた私ですが、Amazonのレビューは「これではいけない!」と思って……本来の気分では「☆3つ」のものも「☆4つ」のものも「☆5つ」のものも「☆5つ」を付けるようにしたから、もう「☆5つ」が何だか分からなくなってきました!!
 『とある科学の超電磁砲』に175点を付けてから基準がムチャクチャになってしまった反省を、全く活かせていません! 

 だから、ファミ通のクロスレビューとかも……私がアレに対して思うのは、基準の違う4人の「点数」を足すなよってことんですね。4人の合計点数で殿堂入りが決まるみたいなシステムにしちゃったら、迂闊に低い点数付けられなくなっちゃうじゃないですか。
 他の3人が8点・8点・8点って付けているのに、俺だけ2点!残念、28点では殿堂入りになりませんでしたーってなるの怖いですもん!私がレビュアーだったら、絶対他の人に「何点付けます?」って探りを入れますよ!「みんな8点なのかー、じゃあ無難に6点くらいにしておくか……」ってなりますよ!




 なので、私は「点数」というのはあくまで並んだ“限定的な対象”を相対化するために付けるべきだと思うんですね。「クラスの生徒」とか「決勝戦に進出した9組の漫才師」とか「2015年に遊んだゲーム」とか、あくまでその中でだけ完結するものであって、その基準を来年に持ち越したり合計して平均値にしたりしても意味がないと思うんです。

 ゲーム雑誌のクロスレビューもさ、「今週発売したゲーム」を各レビュアーが「1位」「2位」「3位」って付けていくスタイルにしたらすげー面白いと思うんですけどね。毎週1位を独占するソフトが現れるかも知れないし、1位は分散するかも知れない。
 「○○社の新作が最下位独占したらヤバイでしょ!」って心配があるなら、じゃあ必ず毎週「100点」を1本付けなくちゃいけなくて、そこ基準で残りのソフトも点数を付けていくとか……



 私が「毎年基準を変えて点数を付けようかな」と考えているのは、こういう「点数は絶対なものである」という固定観念への反逆という意味もあります。175点満点でアニメの点数を付けているのも、ある意味で反逆ですけど……
 例えば2015年は10点満点、2016年は100点満点、2017年は1000点満点で点数を付けるとかどうだろう。それまでこのブログやってんの?と自分でも思う。


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| ひび雑記 | 17:50 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

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クリエイターかサラリーマンか。『テレキネシス 山手テレビキネマ室』全4巻紹介

【三つのオススメポイント】
・「昔の映画」を題材にした、「昔の映画」に詳しくない人に向けた漫画
・クリエイターでもあり、サラリーマンでもある「テレビ局の社員」の物語
・1話完結で読みやすい、けど大きな流れもある漫画


テレキネシス 001―山手テレビキネマ室 (ビッグコミックス) テレキネシス 002―山手テレビキネマ室 (ビッグコミックス) テレキネシス 003―山手テレビキネマ室 (ビッグコミックス) テレキネシス 004―山手テレビキネマ室 (ビッグコミックス)


○ 「昔の映画」を題材にした、「昔の映画」に詳しくない人に向けた漫画
 久々の漫画紹介です。
 とある記事を書くために、どうしても1話だけ読み返さなきゃ……と本棚の奥から引っ張り出してきたところ、ついつい他の話も読みたくなって全巻読破してしまいました。

 昔好きだった漫画って、何年も経ってから読み返すと「あれ……記憶にあるより面白くないなぁ……」と思うことが多いです。年齢を重ねることで好みも変わるでしょうし、思い出は美化されますし、それはそういうものだと私は割り切っているのですが。この『テレキネシス』は数年ぶりに読んでも、リアルタイム時と同じくらい面白かったし、今だからこそ分かることも多かったです!


 この漫画は2004年~2007年にビッグコミックスピリッツに不定期連載されていた作品で、全4巻で完結です。この記事を書いている2014年10月14日現在、どうもこの漫画の電子書籍はどこででも出ていないみたいですね……名作なのに勿体ない。

 作画は『金魚屋古書店』の芳崎せいむさん。
 原作は“浦沢直樹のブレーン”として有名な長崎尚志さんのペンネーム「東周斎雅楽」。


 なので……「題材が映画になった『金魚屋古書店』」とか「舞台がテレビ局の『MASTERキートン』」と言えば、分かる人には分かりやすいと思うのですが。それらの作品を知らない人だってたくさんいるよね、というのがウチのスタンスなので。「○○みたいな作品」という説明を敢えて使わないで説明しようと思います。


 主人公は、関東大手の民放テレビ局「山手テレビ」の社員:東崋山と野村マキノ。
 担当する番組は、「金曜深夜テレビキネマ館」―――昔の映画を放映する深夜番組です。ドラマ制作をしたくて山手テレビに入ったマキノは、ドラマ制作でも映画制作でもなければ、ゴールデンでもない深夜番組の担当になることにショックを受けるのですが……

 出会った東崋山という男。
 「昔の映画」に詳しいだけでなく……悩んでいる人や傷ついている人に、相応しい「昔の映画」を見せることで前を向かせることが出来る人で、その崋山の姿を見てマキノも変わっていきます。言ってしまえばこの作品、悩んでいる人や傷ついている人を応援していく作品なのです。


 なので、この作品の各話タイトルには『風と共に去りぬ』や『めぐり逢い』などの「昔の映画」のタイトル名が付いていて、その映画の話が出てくる1話完結のストーリーになっているのですが―――――「昔の映画」に詳しくないと楽しめないなんてことはなく、むしろ「昔の映画」に詳しくない人に向けた漫画となっています。
 主人公の片方である野村マキノが「昔の映画」に詳しくない新人なので、読者はマキノ視点によって「昔の映画」のことを知ることが出来るのです。だから、別に読者も「昔の映画」に詳しくなくて全然構わないのです。

 私も、この漫画の中に出てくる「昔の映画」で以前から観たことがあった映画は多分1~2本だけで。この漫画に出てきたことで興味を持って観てみた映画は何本もあります。そういう意味でも、「昔の映画」の入門作品としても楽しめるんじゃないかなーと思います。


○ クリエイターでもあり、サラリーマンでもある「テレビ局の社員」の物語
 私がこの漫画に出会った頃は、ちょうど私自身が漫画を描き始めようかと思っていた時期なので……この漫画を「クリエイター達を応援する漫画」として捉えていました。

 テレビ局も、コンテンツを作る場所ですからね。
 ドラマを作る人、バラエティ番組を作る人、報道番組を作る人―――この漫画には様々な“クリエイター”が出てきて、彼ら彼女らが傷つき悩み、それでも前を向いていく姿が描かれています。また、題材となる「昔の映画」だって監督やら俳優やらの様々な“クリエイター”が作り上げたもので、その姿が現代を生きる登場人物達と繋がってくることで、自分自身にも創作する勇気が湧いてくるものでした。


 しかし、今……冷静になって全巻を読んでみると、この漫画を「クリエイター達のための漫画」と評するのは一面的だったなと分かりました。テレビ局の社員は、“クリエイター”であり“サラリーマン”なんです。

 彼らは大組織の中で生きている。
 「面白いものを作れば許される」ワケではなく、人と人との繋がりがあって、予算があって、査定があって―――という中で生きているのです。主人公の一人:東崋山が、ドラマ作りには天才的な才能を持っていたのだけど、組織の中ではなかなか生きられずに「深夜に映画を放映する番組」に異動させられてしまったキャラですからね。

 この漫画のキャラクター達は……そうした“クリエイター”なのに、“サラリーマン”だからこその悲哀を持っていて。そうした微妙なバランスを描いている、「サラリーマンを応援する漫画」でもあったことにようやく気付きました。



○ 1話完結で読みやすい、けど大きな流れもある漫画
 この辺は、今なら……なるほど『MASTERキートン』っぽいと思う話なのですが、前述したようにウチのブログは「MASTERキートンを知らない人」にも分かるように書くスタンスなので。そういうスタンスで説明していこうと思います。

 この漫画は、構成としては「1話完結」のストーリーです。
 その回で話が決着して、次の回ではまた全然違うストーリーが始まるし、それぞれの回に違うキャラクターが登場します。なので、すごく読みやすい。ちょっとした飽き時間に「1話だけ読もうっと」と、ちょっとずつ読みやすいのです。1話の長さも大体同じだから1話を読む時間が計算しやすいですし、次はもう別の話だから後を引くこともないという。

(関連記事:「続きが気にならない」型エンタテイメント


 ただ……一気に読むと分かる話の繋がりも、なくはないストーリーでもあるんですね。
 この回で左遷された人が、ここでまた出てきたり。ここで名前が出てきた人が、後に登場する人だったり。同じキャラが出てくることで、テレビ局という“組織の中の話”だとカンジさせられる―――というのは、サラリーマンとしてのテレビ局社員を描くこの作品においては重要な要素だと思います。



 それと。
 あんまり書くとストーリーのネタバレになっちゃうので躊躇われることなのですが。この漫画のストーリーを引っ張る推進力には二つあって。

 一つは、東崋山が探している「父親の遺作」の行方。
 ドラマ部から映画放映の深夜枠に飛ばされても、まだ崋山が山手テレビにしがみついている理由は、父親が最後に撮ったテレビ作品『国民の手品師』のフィルムを探しているから―――で。どうして崋山がこのフィルムを探しているのか、このフィルムが何処に行ったのか、このフィルムを崋山は見つけることが出来るのか、という興味で視聴者を惹きつけるのです。

 そして、もう一つはマキノの成長です。
 ドラマを作りたくて、山手テレビに入って、でも映画を放映する番組にまわされて、「マスコミの最前線」とは縁遠いところに追いやられてしまったマキノが……この場所で、何を学び、どう成長するのかという物語でもあるのです。
 “クリエイター”になりたくて、でも“サラリーマン”だから望まぬ部署に配属されて、という主人公の成長物語は……誰もが望んだ人生を歩めるワケではない世の中で、その中でも必死に生きている人達への励ましにもなっていて。これが描けているからこそ、この作品の「最後の一ピース」が埋まったのだと思うのです。


○ 総評
 ということで、自分にとっては大好きな漫画なので「今更紹介するまでもない」と思っていたのですが……Amazonのレビューも3~4件しか付いていなくて、『金魚屋古書店』なんかと違って電子書籍化もされていないし。

 「あれ?ひょっとしてこの漫画ってマイナーなのか……?」と思い、今更ですけど応援の意味を込めて紹介記事を書きました。全4巻だからそんなに量ないし、1話完結だから読みやすいし、みんな読むとイイさ!

| 漫画紹介 | 17:48 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

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据置ゲーム機を悩ませるコンセント事情

 「普及台数」という視点だと、どうも三機種全滅になりそうな日本市場における据置ゲーム機。「普及台数が増えなければソフトは売れないので、日本市場向けソフトは発売されなくて、ますます日本市場では普及しなくなる」悪循環に陥っています。

 これは別にスマホがどうのこうのとかじゃなくて、私は前世代の据置機の時点で散々言っていました。「このままだと未来はないよ」と。

(関連記事:据置ゲーム機のメリットって何なんだろう?
(関連記事:「自分だけ」の携帯ゲーム機と、「他人と共有する」据置ゲーム機と
(関連記事:据置ゲーム機にこそ、「中断セーブ機能」を付けて欲しい

 これらは2009~2010年頃に書いた記事なんですけど、読むと「テレビ画面を使わなくても遊べるWii U」とか「スリープモード搭載のXbox One」って、前世代の据置機に対する不安要素をしっかり汲んだ今世代の据置機になっているんだなーと思いますね。それでも全然普及してないんですけど。



 ということで……このブログにとって「日本で据置ゲーム機が売れない!」なんて話はもう5年前に語りつくしちゃった話題なので、今更書くことなんて何もないと思っていたんですけど……最近、私にとって新たな問題が突きつけられまして、「据置ゲーム機にはこの問題もあった!」と気づくことがあったので書こうと思います。


dengen1.jpg

 これは、私の部屋のテレビ周りのコンセント事情を写した一枚。
 一つのコンセントから延長コードを引っ張ってきて、6つの差込口を確保しています。その内訳は写真の右から……

1.テレビ
 言うまでもなく大事。
 これがないとアニメが観られないからなっ!

2.PS3
 ゲーム機としてはほとんど使っていないけど、この部屋で唯一「DVD」や「ブルーレイ」を再生できる機械なのでもちろん大事。

3.Wii U
 ゲーム機としても、体重計としてもフル稼働中。
 12月に『スマブラ』出るし、絶対に大事。

4.フットヒーター
 超冷え性の自分が机に向かって漫画を描いたり、パソコンに向かってブログを書いたりするには、これからの季節は絶対に欠かせない。ないと風邪ひく。超大事。

5.トレス台
 漫画を描く際に、下から光を当てることで「下の紙の絵を上の紙に透かす」機械。
 使う・使わないは個人差がありますけど、私の場合は「ないと何も出来ない」レベルで使いますんで……そりゃあもう大事なワケですよ。

6.録画用ハードディスク
 「1」のテレビと接続することで、テレビ番組を録画出来るスーパー便利機械。これがないとリアルタイムにテレビにかじりついていないといけないし、「今の台詞を聞き逃した!10秒戻ろう」ってことも出来ません。アニメ視聴にはミラクル大事。



 ということで、6つの差込口全てが大事で、1つたりとも外せません。
 「どうして日本で据置ゲーム機が売れないんだ!」とか、「ゲーム好きだったら全機種揃えるのが当たり前だろう!」とか、ゲームが大好きな人はよくネットで叫んでいるものですけど……現実問題、私が今新しい据置ゲーム機を買ってもコンセントの差込口がないんですよ。


 「たこ足配線すればイイんじゃん?」と仰る人もいるかも知れませんが、現時点で6つの差込口に分けている上に、「フットヒーター」とか「PS3」とか消費電力の大きそうなものも繋いでいるので……正直これ以上のたこ足配線は怖いんですね。恐らく、今の状態もそんなに安全でもなさそうですし。

 例えば、PS4を買ったならPS3を下げられるんじゃんということでもなく……PS4にはPS3のソフトを動かす互換機能はありません。まぁ、私の場合はPS3のゲームをほとんどプレイしていないんでそこの点の心配はないんですけど、一般論として「後方互換を付けないゲーム機」というのはコンセントの差込口争いの点においても相当ネックだなぁと思うのです。


 私にとっては「据置ゲーム機をもう1台買うかどうか」以上に現実的な問題もありました。
 Wii U用の外付けハードディスクを差し込むコンセントがない。
 12月に発売する『スマブラ』は、気軽にプレイ出来るようにするためにもダウンロード版を買いたいなぁと思っているのですが……現在の我がWii Uの空き容量は13GB。この記事を書いている10月12日現在はまだ『スマブラ for Wii U』の容量は発表されていませんし、前作の「亜空の使者」に相当するモードがないのなら収まる可能性もゼロではないと思うのですが。
 もし入りきらなかったとしても、外付けハードディスクを差し込む余裕がないんですね。

 「バスパワータイプのハードディスクを買えばイイんですよ」と教えてくれる人が現れそうなので、予め書いておくと……私、1年前にもうセルフパワータイプ(コンセントが必要なやつ)を買っちゃったんですよね。
 どうして使ってもいないハードディスクを買ったのかは覚えていないのですが、未使用のセルフパワータイプのハードディスクを持っている状況で『スマブラ』のためだけにバスパワータイプのハードディスクを買い足すのは避けたいのです……パッケージソフトを1~2本買えちゃう値段しますからねぇ。




dengen2.jpg

 二つ付いているコンセントの一つは延長コードでテレビの方まで引っ張っていましたが、もう一つの方はというと……こちらも延長コードで4つの差込口にたこ足してあります。こちらも右から説明すると……


1.電気スタンド
 机に置いて、漫画を描く時に使用。
 「下から光を当てるトレス台」と「上から光を当てる電気スタンド」を頻繁に切り替えて漫画を描いているので、どちらも大事。

2.プリンター&スキャナー複合機
 超大事。
 漫画を描くのにも使うけれど、最近鬱病の母にインターネット上にある無料の数独の問題をプリントアウトしてきてくれと毎日のように頼まれるようになったので欠かせなくなってしまいました。

3.パソコンのモニター
 自分が使っているのはデスクトップパソコンなので、これもすげえ大事。
 ないと何も見えない。

4.パソコン
 色々書いてきたけど、これが一番大事。
 タブレット端末なんかで代用できる部分もあるけど、処理スピードが全然違うし、画面も大きいし。
 ノートパソコンにすればコンセントをモニターと一まとめに出来るとは思うのだけど……自分は色々な理由でデスクトップ派なのです。


 ということで、こちらも4つとも大事。
 この延長コードを差込口が6つあるタイプのに換えて、トレス台とフットヒーターのプラグをこっちに差し込むというのが現実的な手かも知れませんが。デスクトップ型パソコンこそが消費電力の大きい代表格みたいなイメージがあるので、正直怖いです。



dengen3.jpg
 モデム周りは、実は隣の部屋から延長コードを引っ張ってきて3つ繋いでいるという。
 既に現状足りてなくてムチャクチャなことをやっているのです。おかげで冬場はちょっと隙間風がする……(笑)



dengen4.jpg

 こうして「据置ゲーム機は大変だよねー」と語ってきましたが、じゃあ携帯ゲーム機はどうなのかと思ったので、今度はベッド周りのコンセント。こちらも延長コードで6つにタコ足しています。私は、携帯電話や携帯ゲーム機は寝る前に全部挿して充電しています。


1.キンドルファイアHDの充電器
 常に持ち歩いて電子書籍を読んだり、いかがわしいファイルが入っていたり、とにかくまぁ大事。電子書籍は敬遠する人はとことん敬遠するけど、私の場合は電子書籍を導入してから読書量(漫画も含む)は数倍に跳ね上がりました。今はもうない生活は考えられない。

2.携帯電話の充電器
 まぁ、一応大事。

3.ミニコンポ
 ひょっとしたら今の若い人は「コンポ……?はて……」くらいにしか知らないのかも知れませんが、CDを聴いたり、ラジオを聴いたりする機械です。私の場合はラジオをSDカードに録音するのにフル稼働しているので、そりゃあ大事。ラジオがあるから私は生きていられる。

4.アースノーマット
 虫除けの機械。
 私はとにかく蚊に刺されやすく、何でか知らんけど1年中蚊に刺されることがあるので、割と大事……しかし、付けていても蚊に刺されるんだから、ひょっとしたら大事じゃないのかも。

5.枕元の電灯
 あ、これは大事じゃない!
 以前は、夜寝ていて咄嗟に枕元にある何かを探したくなった時に使っていたのですが……部屋の電灯をリモコン式のに換えてからは、ほとんど使っていません。大事じゃない!

6.3DSの充電器
 まぁ、大事かなぁ……
 実を言うと私の3DSは、現状かなりガタが来ていて……「タッチパネルは補正できないくらい狂っている」「スライドパッドのカバーが半分くらい割けている」状態で。正直、new3DS LLに買い換えたいのですが。まだプレイ途中の『新パルテナ』があって割とスライドパッドもタッチパネルも酷使するゲームなので、これをクリアするまで新しいゲーム機に移りたくないんですね。しかし、その『新パルテナ』も『クニットアンダーグラウンド』の2周目が終わるまで再開できないという。

 なので、最近あまり3DSは起動していないのです。


 まぁ、ベッド周りは正直「消費電力の大きそうなもの」もないですし、あんまり使っていない器具もあるし、こう考えると携帯ゲーム機の充電はハードルが低いなぁと思いますね。



dengen5.jpg

 それはそうと、部屋の反対側の差込口は余っています。
 差し込んであるのは扇風機(冬は石油ストーブになる)と、Wii Uゲームパッドの充電器。

 テレビ周りとパソコン周りに「電源が必要なもの」が集まっているんですよね。このコンセントを上手く活用できないものかと思うのですが……ここから延長コードを引っ張ってくると、部屋のど真ん中を対角線上に延長コードが横切ることになるので。夜中にトイレに行く時とか、絶対ひっかけてすっ転んで色んなものをドンガラガッシャンなりそう。うーむ。


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 個人的には、この「コンセントの差込口が足りない」問題は割と地味に悩んでいるのですが……ゲーム大好きな人達の間で、この手の話が上がっているのを見たことがないです。複数の据置ゲーム機をプレイしている皆さんどうしているのでしょう?

 躊躇なく、たこ足配線にしているのか。
 ゲーム機以外に電源を使う機械を極力置かないのか。
 使うゲーム機のみをコンセントに挿すようにしているのか。


 そう言えば、ファミコンやスーファミの時代。
 友達の家なんかには、それらのゲーム機が必ず箱にしまってあって、遊ぶ時だけ箱から出して線を繋いで、遊び終わったら箱にしまって押入れに入れる―――という家がありました。我が家はファミコンもスーファミも常に出しっぱなしだったので、「とても行儀の良い家だ!!」といつも思っていました。

 これなら据置ゲーム機を何台買ってもコンセントに困ることはありませんね。押し入れがいっぱいになっちゃうけど。それと、押しいれから引っ張り出してくるのがすっげえ面倒くさいので起動のハードルがますます上がりそう。


 現実的に考えると……私の場合「PS3のコンセントを抜く」が一番妥当かなぁ。
 DVDやブルーレイを観る時にトレス台は使わないので、そういう時だけトレス台の差込口をPS3に差し替える―――これでコンセントの差込口が一つ確保できるように思えます。ただ、コンセントの抜き差しって面倒くさいんですよね……
 節電の観点からも誉められた発言じゃないことは自覚しているのですが、コンセントの抜き差しというワンアクションが必要になるだけでPS3の使用率はガクンと下がってしまいそうな予感はします。うーむ。

| ゲーム雑記 | 17:52 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

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Twitterのツイートアクティビティが面白い!

 ツイートアクティビティ:アカウントのアクセス解析が一般利用可能になりました!
 (ツイッター入門ガイドさん)

 利用方法を含めた詳しい話は上述の記事に書かれているので、そちらをどうぞ。

 色んな使い方がありますが、私が面白いと思うのは「各ツイートに対するデータ」です。
 これまでは一つ一つのツイートに対して「どれだけリツイートされたか」と「どれだけお気に入りに入れられたか」しか見ることが出来なかったのですが、このサービスを利用すると

・「そのツイートがどれだけの人に見られたか」
・「貼り付けたURLをどれだけの人がクリックしたか」
・「そのツイートから何人がツイートしたユーザー(=俺)のページを開いたのか」


などを見ることが出来るようになったのです。


 何も考えずに呟いていたTwitterだけど、このツイートはたくさんの人に読まれていて、このツイートはそうでもないとか色々知れて面白いです。


◇ フォロワーの数=閲覧数ではない
 「フォロワー」というのは、自分を「フォロー」しているユーザー数です。
 私の場合、10月10日現在の「フォロワー数」は1088人です。じゃあ、私が今「うんこうんこ!」って呟いたとして、このツイートを1088人の人が読むワケではないんですね。

activity1mini.jpg

 大体この辺かなぁ……
 右から三番目の数字が「インプレッション」=「ツイートの閲覧数」です。
 自分の場合、全くリツイートされなかったり、誰も検索してこなかったりというツイートだと、閲覧数は300~400台が標準値になります。当然、1088人のフォロワーの中には「過去に私をフォローしたけどその後にTwitterを開くのをやめた人」とか「気が向いた時のみTwitterを開く人」等がいるだろうと覚悟していたのですが……にしても、「あ、こんなに少ないんだ」とは正直思いましたね。



activity2mini.jpg

 逆に面白いのは、この閲覧数って「ツイートした直後」だけでなく数日かけて徐々に増えていって最終的に300~400台に安定するんですね。画像のように昨日呟いたツイートは閲覧数が200台だったりします。私が今、なんかテンション上がっちゃってつい「うんこうんこ!」と呟いたものを、数日後に改めて読む人がいるってことですね。

 迂闊なことを呟きにくくなる……!
 数日後に読んでもタメになるような、もっとこう、人生の教訓になるようなことを呟くべきなのか……?


◇ 意外なところで、閲覧数は増える
 この閲覧数のカウント……
 詳しくは分かりませんけど、恐らく他の人のタイムラインで読み込まれた回数をカウントしているんじゃないかと思います。ブログのサイドに置いているのとかは、ブログのアクセス数を考えるとツイートの閲覧数に偏りが出ないのがおかしいので、恐らくカウントされていないと思います。


 では、どういうケースで「他の人のタイムラインで読み込まれる」のかと言うと……
 当たり前ですけど、私をフォローしている人のタイムラインには読み込まれますよね。これがまぁ基本。時間が合わなくて流れちゃったりもするけど、基本的にはツイートとはフォロワーさんが読んでくれるものです。

 あとは、リツイートされた場合。
 フォロワーさんがリツイートしてくれる場合もありますし、フォロワーさんがリツイートしてくれたツイートを見てリツイートしてくれる場合もあります。

activity3mini.jpg

 リツイートしてもらうことで、300~400台が標準だった私のツイートが2000とか3000人に読んでもらえることがあります。棒グラフを見てもらえば分かりますが、「私がツイートした直後」よりも「フォロワー数の多い人がリツイートした直後」の方が閲覧数が跳ね上がっているのです。

 “フォロワー数の多い人”と書きましたけど、実はこれは正確な話ではありません。
 リツイートがどういうものかというと、「私をフォローしていない人のタイムラインにも私のツイートを表示する」機能なので……フォロワーさんが似通っている人にリツイートされるよりも、フォロワーさんが全然違うメンバーの人にリツイートされた方が閲覧数は跳ね上がるんですよね。




 あと、これが本当に意外だったことなんですけど……
 「今、話題になっていること」をツイートすると、検索から閲覧する人がドカンと増えることってあるんですね。私は自分が「検索」をほとんど使わないので、これに驚きました。恐らくTwitter公式の「トレンド」とか、ついっぷるの「HOTワード」とか、ああいうのはワンクリックで検索できるのでドカンと閲覧数が増えるんじゃないかと思います。

activity4mini.jpg


 例えばコレ。
 リツイート数は「1」、ハッシュタグも付けていない、「ゲーム好き」や「アニメ好き」の多い私のフォロワーさんに対する「野球」話で、大してリアクションを期待しないで呟いているのですが……「ソフトバンクvsオリックス」の首位決戦に固唾を呑んでいた人が、「サファテ抑えたあああああ!よし、サファテで検索だ!」と検索してやってきたと思われます。
 ホントに……?でも、それしか考えられないんですよねぇ。


 なので、アニメの感想を呟くにしても。
 テレビ放送の直後はものすごく閲覧数が上がるんですけど、翌日に録画放送を観て呟いても大して閲覧されないんですよねぇ。物議を醸した『アルドノア・ゼロ』の1クール目の最終回直後の感想は、こんなカンジに閲覧数が高めでした(リツイートしてもらったというのもありますが)。

activity5mini.jpg

 11話直後の感想ツイートは、どうも「エデルリッゾ」で検索してやってくる人が多かったらしく、エデルリッゾについて言及したツイートだけ閲覧数が多いという(笑)。

activity6mini.jpg




◇ Twitter→ ブログへの誘導は成功しているか
 私がTwitterを続けている理由の一つに、ブログの更新などのお知らせをTwitterでして、一人でも多くの人にブログを読んでもらおうと思っているというのがあります。


activity7mini.jpg


 そしたら!8人しかクリックしてないでやんの!!


 アクセス解析を見ても、Twitterから記事に飛んでいる人は大体同じ数。
 407人中8人ということは、Twitterを見ている人からブログへの誘導率は2%か。うーむ……Twitterで宣伝する意味あるのか、これ。


activity8mini.jpg

 まぁ、リツイートしてもらって閲覧数が跳ね上がると、集客効果がないワケではないとも言えるけど……それでもTwitterを見ている人からブログへの誘導率は4%という厳しい数字。もちろんブログへのリンクをブックマークして下さっている人なんかもいらっしゃると思いますから、直接URLをクリックするだけが全てではありませんが……

 Twitterは「Twitterの中」だけで完結させる方がイイのかなーとは思いますね。


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 しかし、私なんかが「わーい、自分のツイートに対するデータが見られるの面白ーい!」なんてノホホンと言っている裏で。
 こういうデータが見られるとなると、企業の広報アカウントなんかもこの数字が「評価」になっているんでしょうね。「フォロワー数が多くてもインプレッション数が少ないじゃないか!」とか、「自社サイトへのURLクリック率が低いじゃないか!」とか、大変そう。知ったこっちゃないけど。






activity9.jpg
 それはそうと、
 フォロワーさんの98%が男性ってことは、女性フォロワーさんは約20人ってことか……割とリアルな数字だな!

| ひび雑記 | 17:51 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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レビューに点数を表示したくなる気持ち……分かります!

 自分にとっても思うところのある話題だったので……

 【お知らせ】インサイドではゲームレビューに点数を付けますiNSIDEさん)


 いきなり話が変わっちゃって申し訳ないんですが……
 現在、私は桜井政博さんのコラム本を1巻から一気に読んでいるところです。桜井政博さんというのは『星のカービィ』シリーズの生みの親で、最近では『スマッシュブラザーズ』や『新パルテナ』を作っている人です。ファミ通に連載コラムを持っていて、それをまとめた本が現在のところ6冊発売中です。

 自分が桜井さんに共感できるのは、桜井さんが「世の中には色んな価値観があるから、このコラムに書くのはあくまで“私の価値観”でしかない」というスタンスなところです。だからコラム本のタイトルも「桜井政博のゲームについて思うこと」なんですね。


 自覚している人もいれば自覚していない人もいるのですが、世の中には「“正しい考え”というものが存在していて、それを全ての人が持つべきだし、それを持たない人間は間違っている」と言う人もいます。私も「色んな考えがあるから世界は面白い」というスタンスでブログを書いていますから、もう何百回と言われてきました。
 そういう人からすると「自分の価値観はたくさんある価値観の一つに過ぎないんだよ」というのは“逃げ”とか“言い訳”のように思えるかも知れませんが……桜井さんの場合は、実際に作品でそれを実践しているんですよね。

 桜井さん自身は、年間100本とかのゲームを遊ぶ“超ゲーム好き”です。
 しかし、桜井さんが「ゲームを作る」場合、そういう“超ゲーム好き”のためのゲームを作るのではなく、“初めてゲームを遊ぶ人”に向けて『星のカービィ』を作ったりするワケです。

 「自分にとってのゲームって、自分がつくって自分で遊ぶためのものではないんです」という言葉があるように、桜井さんにとって「自分が遊びたいゲーム」と「自分が作らなければならないゲーム」は別だと言えて。
 それは、(少なくとも)二つの価値観があると思っていなければ出来ないことですよね。「俺が楽しいゲームは万人が楽しいに決まっている」と思っていたら、こういうことはしませんから。



 さて……冒頭の「ゲームレビューに点数を付ける」ことについて。
 iNSIDEさんのあの記事に対して、Twitterのタイムラインを見ていたら「どうしてわざわざ今更そんなこと宣言すんの?」という声をチラホラ見かけました。まぁ、確かにこそっとやっておけばイイじゃんとは思います。

 私は「作品」に「点数」を付けて評価すること自体が無茶だと思っています。
 先ほどの桜井さんの話で言えば、桜井さんが好きな“超ゲーム好き”のためのゲームと、桜井さんが作る“初めてゲームを遊ぶ人”のための『星のカービィ』―――どちらがイイ作品なんかなんて決めようがないじゃないですか。

 例えば、自分にとっての「好き」を数値化することなら出来ると思いますよ。
 私が今年遊んだゲームで言えば……『ドラゴンクエストII』と『クニットアンダーグラウンド』のどちらが好きかを、それぞれに点数を付けてランキングに並べることは出来ると思います。全く別ジャンルの二つのゲームですけど、あくまで「私の好みに合ってるランキング」ですからね。

 しかし、「どちらの方が優れているか」なんて分かりません。点数を付けてランキングにすることは出来ませんし、することに何の意味があるのか分かりません。
 「どちらの方がみんなにオススメできるか」を考えればもっと分かりやすいですが、勧める相手がどういう人でどういうゲームが好きでどのくらいの時間とお金をゲームにかけられるのかが分からなければ勧めようがありません。


 「ゲームレビューに点数を付ける」ことに対して、「一人の人しか点数を付けないのなら偏らないか心配だ」という声を目にしましたが。偏るに決まってるじゃん。というか、偏らないレビューって何?
 一人の人間が“超ゲーム好き”と“初めてゲームを遊ぶ人”の両方の視点を持てるワケがないし、仮に持てたとしてもいちいちそれを全部書くのが「偏らないレビュー」なの?“初めてゲームを遊ぶ人”には難しいけれど、過去にゲームを1本でもクリアしたことがあるくらいの人にはちょうどいい難易度で、年間100本ゲームを遊ぶ人にとっては目新しいゲームでもないのでやる必要はないと思います、75点。これはもちろん僕がテキトーに書いた例えですけど、「75点」って誰にとっての75点だって思いますよね。


 ということで、「レビューに点数を付ける」のは良くない!反対だ!
 とは言えないから困るもんなんです。気持ちは分からなくはないし、ぶっちゃけ私も付けたくなる気持ちはあります。次から付けようかと悩むくらいです。

 だって、みんな「レビューの文章」なんて読まないじゃないですか。


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○ 「文章」ではなく「点数」で評価するメリット
 長年ブログを続けていますと、自分が狙って書いたことが相手に全く伝わらなかったことなんてしょっちゅうです。


 自分がよく使う構成……実はこの記事も意図してそういう構成にしているんですけど、「今まではAだと思っていたけど、実はBだったんだよ!」前半と後半で正反対のことを書く構成を私はよく使います。当然これは「B」が私の言いたいことであり、「A」は「B」に説得力を持たせるための“私が否定しようとしている意見”です。「A」には「過去の自分が思っていたこと」「誰誰さんが言っていたこと」「一般的にそう思っている人が多そうなこと」なんかを持ってくることが多いですね。

 こういう構成の記事を書くと、半分くらいの確率で「Aなんて間違っているぞ!」という批判が来ます。前半だけ読んで後半は読んでくれなかったり、前半を読んだ時点で「後半もきっと同じようなことを言っているんだろうな」と思い込んでいるから後半も180度違う解釈になったりするんだろうと思います。

 ゲームレビューじゃないですけど、「世間では○○って叩かれていますよね。でも、私は○○ってこんなメリットがあると思うんです。もっと○○が広まって欲しいです!」と書いたら「○○の悪口を言うな!」ってコメントが付いたこともあったっけ……数ヶ月落ち込みました。



 ゲームレビューで言えば、「本当によく出来たゲーム!歴史に残る名作ゲームなだけあるわー。ただ、アクションゲームとしての難易度は高いのでアクションゲーム苦手な人にはキツイかも」と書いたら、「この程度で難易度が高いとか!昔はもっと難易度の高いゲームがたくさんあったのに、最近の若い者は!」とコメントが付いたり。
 「最近の流行とは違うけれど、俺はこういうゲームが大好き!もっともっと応援していきたい!」って書いたら、「(最近流行の)○○が萎えるって言われてもそういうゲームは昔からある!知識もないのに語るな!」ってTwitterで拡散されたり。




 こういうことを愚痴ると、「オマエの文章が読者を誤解させるような下手くそな文章なのが悪いんだろう」って言われるでしょうし、そこは別に否定しませんけど……自分のブログに限らず、今のインターネットって「俺の大好きな○○が批判された!」ってのに飢えているって思うんです。
 「◇◇が任天堂を批判したぞおおおおお!拡散して殺せええええええええ!」とRTがまわってきてゲンナリすることしょっちゅうですもの。見てみても「え……これで批判って言われちゃうの……」ということも多いですし。みんなリンチ出来る対象を探すのに必死。


 だから、「誤解を招かないためにレビューに点数を付ける」気持ちは凄く分かるんです。
 “批判もしていないのに「批判したぞ!拡散して殺せ!」と言われるリスク”を、最後にチョコッと点数載せるだけで防げるなら安いもんだろうと思います。まぁ、そういう人は「数字も読まない」可能性もありますけど。

 「誤解されないためには結論を記事の冒頭に書いてみたらどうでしょうか?」って言われたことがあるんですけど、記事のタイトルも読まない人は多いですからねぇ……『MOTHER2』の記事を書いたら「MOTHER1は違ったぞ!」ってコメント付いた時は、「MOTHER1とMOTHER2は別のゲームです」から説明しないといけないのかと思ったっけ……



 もう一つ。
 これはiNSIDEさんの話とは違いますけど、例えばファミ通のクロスレビューだったら「レビューの文章は読まないけど点数だけは見る」って人が多いんですね。
 日本人の知能が低下しているから長い文章が読めない―――って話ではなく、世の中にたくさんのゲームが溢れていて、その一つ一つのソフトにレビューが書かれているって状況だと。全部のレビュー記事をしっかり読む時間のある人なんて限られていると思うんです。最近はそうでもないけど、ファミ通のクロスレビューの点数だけが話題になっていたのって象徴的だったと思います。大多数の人は本文なんか読んでないで、「この点数はないわー」とか言ってる。

 逆に「点数」から興味を持つパターンもあると思うんですね。
 記事の冒頭とか、タイトルとか、一覧のページに「点数」が書いてあったら……「このゲーム、全く知らないけど高得点だな!読んでみよう!」と思ってもらえるとか、あとはネタバレがイヤな人からするとレビュー記事なんて読みたくはないけど「点数が高いのだけ確認したから買おう」と思ってもらえるとか。




 他がどうかは知りませんけど、ウチのブログは「私が好きなゲーム」を紹介して「もっと売れればイイ」と思って紹介記事を書いているのですから。「イイゲームかどうか」とか「客観的な評価がうんぬんかんぬん」とか関係なく、「俺の好きな順」に点数にして並べたって問題はないはずなんですよね。

 それはつまり、世の中にあるたくさんの価値観の中から、「私の価値観」を提示することにもなるのだから―――



 んで、思うことなんですけど……
 ファミ通のクロスレビューでも、iNSIDEさんのレビューでも、“レビュアーの過去レビューしたソフトの点数の一覧”が見られると「そのレビュアーの価値観」が伝わりやすいんじゃないかなと思います。点数の高い順から一気に並べると視覚的に分かりやすい。レビュー本数が少ない人は今まで遊んできたソフトを並べてもイイかも。

・この人は俺の嫌いなゲームに高得点を付けているから参考にならないな、とか。
・俺の大好きな○○に高得点を付けている人が、他に高得点付けているソフトがあるからやってみよう、とか。
・この人はRPGに高得点を付ける傾向があるからRPGは話半分に読もう、とか。


 「レビューに点数を付ける」からには徹底してそういうことまでやっちゃえばイイと思うんですよ。そうすればレビュアーの自己満足だけじゃなく、読者にとっても有益な情報になるだろうと。



 まぁ……ただ、それを徹底してやるにしても、人気ソフトが全く肌に合わない場合にそれを点数にしちゃうのって勇気がいるんですよねぇ。
 例えば私は3Dアクションゲームが大嫌いなので、「自分の価値観」を提示するために点数を一覧にして並べると、3Dアクションは軒並み「100点満点中2点」とかになっちゃうと思うんです。そうするとまぁ炎上するでしょうし、「やまなしが任天堂を批判したぞおおおおお!拡散して殺せええええええええ!」ってなりそう(笑)。


| ゲーム雑記 | 17:53 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

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考察:「つるぺた」を好きなのか、「ヒンヌー」を好きなのか

 ちょっと前に、私が尊敬している某氏がTwitterでこの記事を紹介していたので読んでみたらすごく面白かった記事。こういうことを本気で語ってこそインターネットだと思います。

 「つるぺた」の誤用はどこから一般化したか長椅子と本棚さん)

 「つるぺた」とは、元々は「つるつる」と「ぺたぺた」を合わせた言葉です。
 「つるつる」というのは「陰毛が生えていないこと」で、「ぺたぺた」というのは「おっぱいが膨らんでいないこと」です。つまり「つるぺた」とは元々は第二次性徴前の女児を表す言葉であって、大人になってもおっぱいが小さい人を指す言葉ではなかったんです。

 しかし、少なくとも2013年の時点では、『アイマス』の千早や琴浦さんに代表される「女子高生だけどおっぱいが小さいキャラ」に対して「つるぺた」という言葉が使われている現状で―――上で紹介した記事はその“誤用”のルーツを探る記事なのですが。
 更に面白いのはこの記事のはてブのコメント。色んな人が書いているので、それらをまとめて私なりに意訳しますと……


「千早や琴浦さんに陰毛が生えているとは限らないだろ!
彼女らが“つるぺたではない”と証明するためには、彼女らの陰毛の存在を証明してください!」


 一休さんかよ!




 さて……私は正直「言葉の変化」については「そういうもんだ」と思っています。
 元々は「役割を演じるゲーム」という意味だったRPGが、『ドラクエ』のヒット以後、「経験値を貯めるとレベルが上がるゲーム」という意味になってアクションRPGやシミュレーションRPGというジャンルが生まれる―――みたいな話で、何かのきっかけ一つで「言葉が持つイメージ」はガラッと変わってしまうものだと思います。そこを「RPGの本来の意味はうんぬんかんぬん」言われても「知ってるよ!」としか言えませんものね。

 だから、「つるぺた」も単に「おっぱいが膨らんでいないこと」という意味で使われていること自体は「どうでもいい」と思うんですね。



 ただ、言葉というものが何故生まれていくかを考えるなら、それはその言葉によってしか表現できないものがあったからだと言えて……ルーツを考えれば「つるぺた」と「貧乳(以下、ヒンヌー)」は別の現象を指していた言葉だという事実は忘れてはいけないことだと思います。
 前者は「第二次性徴前の女児」のことで、後者は「年齢関係なく小さなおっぱい」のことです。


 だから、本来は「つるぺた好き」と「ヒンヌー好き」も違う人間を指す言葉なのですよね。
 前者は「第二次性徴前の女児を好きな人」で、後者は「年齢関係なく小さなおっぱいを好きな人」だったはずです。なのに何故か、私が「ヒンヌーが好きです」と言うと、「あぁ……ロリコンなのね」と言われるという!おかしいでしょう!私が真にロリコンだということを自己アピールしたいのなら、「私はつるぺたが好きです」と自己紹介していますよ!「つるぺたが好きです」ではなく「ヒンヌーが好きです」と敢えて言っている理由を考えろおおおおおおおおおおお!!

 こうしたことが起こる理由が、「つるぺた」という言葉の意味が変化してしまって、「つるぺた」と「ヒンヌー」が同じ意味の言葉だと思っている人が増えたからだとすれば……言葉の意味が変化したことを、安易に容認するべきではなかったのかも知れません。

(関連記事:「貧乳好きな男」=「ロリコン」説を唱えているのは誰だ?



 こういう話をブログに書くことで得があるのかと考えると、正直「ない」んですけど。
 まぁ……イイや。書いちゃおう。うん、今更失うものもありませんし。



 私は、女性の陰毛が大好きなんですよ。

 あくまで私個人の好みですけど……
 なので、私は陰毛が生える前の女児には興味がないし。
 例えばAVなんかでも、18歳以上の女性の陰毛を剃って「つるつる」になっている「パイパン女優」だとガッカリしてしまいます。剃毛のシーンは好きなんですけどね。


 ハイ、ここで数少ない女性閲覧者の何割が脱落したことでしょう!
 えっと……まぁ、女性に対してフォローする意図で書くワケじゃないんですけど、衛生面だったりファッションだったりの理由で敢えて剃るという女性がいることも知っていますし、中にはホルモンの関係で成人していても陰毛が生えない女性がいることも知っています。伊達に私は女性の陰毛が好きなワケではないんですよ!(えっへん)

 エロ同人誌とかエロ二次創作の類で、アニメキャラのエロイ絵を描こうとすると……例えばピンク髪の女性は陰毛もピンク色なのかという問題が出てくるから、敢えて無毛にして描くという文化があることも知っています。確かに陰毛好きの私からしても、ピンク色の陰毛を見せられて「ムッハー」とはなりませんもの。


 ちょっとマジメな話を書きますと……
 1990年代の「ヘアヌードブーム」の頃は、例えば女性タレントが「脱ぐ」→「ヘアが見える」ということが“女性の一番大事なところを見ている”感覚だったので。
 インターネットで無修正の女性器画像が見られたり、元アイドルがAVやったりが珍しくない現在だと信じられない話かも知れませんが……あの時代に“性の目覚め”の時期を迎えてしまったことが、陰毛に執着する現在の私を生んでしまったのだと思います。そうです、私がおかしいのではないのです、時代が、時代が私という性癖を作り上げたのです!私のせいではありません!



 あとまぁ、皆さんもう御存知だと思いますが。
 私は妊婦さんが好きなので。
 妊娠可能になる前の女児=元々「つるぺた」と表現されていた年齢の女性には、別にエロスを感じないんですね。だからまぁ「ロリコン」という言葉は定義が広くなりすぎちゃったので微妙ですが、少なくとも「ペドフィリア」ではないんです私。これは二次元も三次元も。



 この手の話は流石に女性フォロワーさん達に聞くワケにもいかなかったので、ササッとインターネットで検索してみたところ……現代の女性の「初潮」の平均年齢は12歳前後みたいですね。出てきたページによって「12~12.5歳」とか「11~12歳」とか「10.0歳~14.5歳」とか様々でしたが、ザッと大体その辺。

 んで、「おっぱいが膨らみ始める時期」は、「初潮」の1年くらい前から始まり、段階を踏んで4年くらいで成人型になるそうです。12歳に「初潮」が来る場合は、11歳~15歳くらいですか。これはエロい目線抜きでも、女子中学生のキャラを描くことも多い漫画描きにとっては重要な話ですね。
 「陰毛が生え始める時期」は、この「おっぱいが膨らみ始める時期」と関連していて、「初潮」の1年くらい前から生えてくるケースが多いみたいですね。ということで、こちらも11歳くらいからか。


 こう考えると、
 あくまで平均値で言うとなんですけど……元々の「つるぺた」という言葉に当てはまる年齢は、およそ11歳未満の女児のことで。「ペドフィリア」の定義である「11歳以下の児童」とほぼ同じくらいの年齢で、日本の刑法で「お互いの合意の下にセックスしても強姦扱い」になる13歳未満とも近い年齢ですね。



 ということで……大体13歳~15歳くらいの女のコがストライクゾーンで、13歳~15歳くらいの女のコを妊娠させたいと思っている私は、「つるぺた好き」でもなければ、「ペドフィリア」でもないし、「犯罪者予備軍」でもないんですよ!私は「犯罪者予備軍」ではないんですよ!!私は「犯罪者予備軍」ではないんですよ!!


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○ 本当に余談
 ちなみに、男性の場合はどうかと言うと……
 ザッと検索してみたところ、「精通」の平均年齢が12~13歳、「陰毛」が生え始めるのが平均11~15歳くらい、「声変わり」が平均12~13歳くらいらしいです。

 女性作家さんの参考になるかも知れないので私の場合を書いておきますと、「精通」は13~14歳頃、「陰毛」は11歳の時に気付いたら生えていた、「声変わり」は12~13歳でした。男性器の「勃起」自体は9~10歳くらいからしていて、その頃から触ると気持ち良かったです(エロスの目覚め)。
 女性の「初潮」と違って明確なタイミングが分からなくて……男性閲覧者の方は同意してくれる人も多いと思うんですけど、「エロイこと考えて興奮するし勃起もする」けど「射精はできない」時期ってあるんですよね。んで、その頃は「射精」というものがどういうものかを知らないので、恐らくカウパー氏腺液が出た段階で「これが……射精か?」と思っていた時期があって、正直どのタイミングが「精通」だったかよく分からないんですね。


 ショタものを描く予定の女性作家さんの参考になればイイなと思います!


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| ヒンヌー | 17:46 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

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「最近のゲームは~~~」と嘆く声はなくならない

 電子書籍の魅力は、何と言っても「しょっちゅうセールをやること!」。
 角川・ドワンゴ統合記念で角川グループの書籍が2万冊、キンドルで半額以上セールをしていました。他の電子書籍販売サービスでも行われているセールですが、とりあえずキンドルでの期限はどうも7日までじゃないかと言われてて(不確定情報)……「セールだ!何か買わなきゃ!」という使命感に駆られた私は、桜井政博さんがファミ通に書いているコラムをまとめた本を6冊全部買っちゃいました。

 桜井政博さんというのは、『星のカービィ』シリーズの生みの親で、最近では『スマッシュブラザーズ』や『新パルテナ』を作っている人です。

 「わーい!1巻から順々に読むぞー」と意気揚々と読み始めたら、翌日他のサイトの後追いで「割引重ねがけ」で角川グループの書籍が更に安くなっていました。角川以外も自分が確認した中では芳文社・一迅社・双葉社も若干安くなっていますが、角川は元々半額だったところに更に安くなっていて……
 このブログの右カラムに載せている作品で言えば、『のんのんびより』は全巻185円、『いなり、こんこん、恋いろは。』は全巻242円になっています。安い!


 ということで、私が買った時より更に安くなっている桜井政博さんの著作。
 キンドルの本ですが、キンドルの「活字の本」扱いではなくてレイアウトを崩さないために「絵本」とか「画集」とかと同じ扱いになっていますね。なので、キンドル端末を持っていなくてもパソコン上からKindle Cloud Readerで読むことが可能です。

 せっかくだからみんなも買えばイイさ!面白いから!



 さて、ということで1巻から読み始めているのですが……
 1巻のコラムは「2003年~2004年」に書かれたもの。これを2014年に読むというのは、ちょっとしたタイムトラベラー感覚になれます。
 例えば、桜井さんは当時「携帯電話でゲームがしたいのだけど今の携帯電話では『ゼビウス』すらマトモに遊べない!もし今後携帯電話でのゲームが普及するには、○○と××と△△と◇◇が必要だと思います」と書いているんです。これを2014年に読んでいる私はニヤニヤです。当然、その後の10年間でソーシャルゲームブームがあってスマホの普及があって『パズドラ』の大ヒットがあってというのを知っている私は、「なんだよ~、桜井さん分かってるじゃないか~~」とニヤニヤしながら読んでいるという。


 そろそろ今日の本題に。
 このコラムの中に「E3に行ってきた!」という回があります。当然2003年のE3です。
 2003年のE3を桜井さんはこう表現しています(そのまま載せると怒られそうなので意訳です)。

 「今年もFPS等の銃を撃つシューティングゲームが多かった」
 「RPGやスポーツゲーム、オンラインゲームやアクションゲームやレースゲームは“形”が定まってきてしまっている」
 「ゲームは触ってなんぼだと思っているけど、今回のE3で印象的だった作品は『メタルギアソリッド』『鬼武者』『Halo』などの大作シリーズの新作で、ビデオ展示だけで触れない作品ばかり。でも、そういう作品は映像だけでも華があるのですよ!」
 「ゲームにはオリジナリティが大切だ!と思っているけど、これだけたくさんのソフトがあると版権ものでも続編ものでもリメイクでもないソフトは埋もれてしまうよなぁ」


 2013年のE3の話ではないですよ?2003年のE3の話です。
 ビックリするくらい、今と状況が変わっていないのです。
 他のコラムでも「斬新なアイディアがあったとしても企画が通らない」という話もありましたし、次の巻には「オリジナルのゲームが売れなくなっている」という話があります。

 「大きな問題を解決出来ずに10年経ってしまった」のか、それとも「こういう問題は時代に関係なくあり続けるもの」なのか。前者の理由ももちろんあるでしょうけど、後者の理由も半分くらいはあるんじゃないかなーと思うのです。



 ちょっと話が変わりますが……
 「最近のゲームはダメだ!」「昔のゲームは良かったのに……!」「どうしてこうなってしまったんだ」と、ゲームの現状を嘆くユーザーの声をよく目にします。でも、それこそそういう声は10年前もあったし、きっと20年前もあったんじゃないかと思うのです。

 例えば、私は『ファイナルファンタジー』シリーズがプレステで新作が作られると発表された時、「カクカクの3Dポリゴン」に「暗い世界観」ですごくガッカリしてしまったんですね。スーファミ時代のドット絵が好きでしたから、「もうこのFFはダメだ!」「昔のFFは良かったのに」「どうしてこうなってしまったんだ」と。
 でもきっと、『ファイナルファンタジー』シリーズがスーファミで展開されている時にも、「もうこのFFはダメだ!」「昔のFFは良かったのに」「どうしてこうなってしまったんだ」と嘆いているファミコン時代の『FF』ファンはいたと思うんですね。


 「最近の若者は……」と嘆く声が少なくとも2000年前から存在しているように、「最近のゲームは……」と嘆く声もコンピューターゲーム黎明期から存在していて。決してなくなることはないし、時代が進むことで必ず嘆く人が出てくるのなら、「最近のゲームは……」という声が出てくるのは時代が進んでいる証拠なんじゃないのかと思わなくもないです。

 もちろん、その「進んだ時代」が「自分のための時代」ではなくなるから、「最近の若者は」「最近のゲームは」と在りし日を懐かしがって嘆いてしまうのですけど。




 桜井さんの話に戻します。
 1巻が書かれた「2003年~2004年」頃はPS2全盛期で、確かに「大作至上主義」の時代で、ゲーム会社も大手の会社が次々と統廃合していった時期でした。ゲーム業界全体に「これで大丈夫なのかなぁ……」という空気はあったんだと思います。

・スクウェアとエニックス→ 2003年合併
・セガ→ 2003年サミーの傘下に
・バンダイとナムコ→ 2005年に経営統合
・ハドソン→ 2005年にコナミの子会社に
・タイトー→ 2005年スクウェア・エニックスの子会社に

 その後、ゲームボーイアドバンスで蒔いていたタネが2005年の年末商戦辺りからニンテンドーDSの大ブームとして発芽して、「非大作主義」の流れが出てきます。DSのソフトって聞いたことがないようなメーカーも参入していましたものね。
 そこから前後して、「ダウンロード専売ソフト」のサービスも各ゲーム機で始まり、パッケージソフトでは出せないような小規模なゲームでも販売する道筋が出来ました。

 そして、ソーシャルゲームブーム。重課金の問題で批判もありましたし、自分もその手のゲームにはあまり興味がありませんでしたが、確かにあの時代には「ソーシャルが儲かる!」みたいな夢はありましたよね。
 んで、スマホの普及に『パズドラ』の大ヒットで、E3に出品されていたような「大作至上主義」の流れとは違う流れが現在の日本のゲームのメインストリームになったとも言えるのですが……


 さて、整理。
 DSブームは収束。あの頃“Touch!Generations”のゲームを遊んでいた人達は今は何をしているのかが分かりませんが、3DSでは“Touch!Generations”を廃止。ゲーマー向けゲーム機の方向に舵を取り、参入しているメーカーやパッケージソフトの数は3DSはDSよりも減っていると思います。

 ダウンロード専売ソフトは元気。
 スマホのゲームの移植や、インディーゲームの取り込みなんかもあって、「非大作主義」の最後の砦になっていると思います。

 ソーシャルゲームブームは……
 何を持って「ソーシャルゲーム」と呼ぶかにもよるんですが、とりあえず「ソーシャルが儲かる!」みたいな夢はもう誰も持っていないかなと思います。

 スマホと『パズドラ』のヒットに関しては、今も一番元気なところだと思いますが。
 ここはここで「少数の超勝ち組と、大多数の負け組」に分かれちゃっているところはあります。『パズドラ』に代表されるゲームって、言っちゃえば「オンラインゲーム」ですから終わりがないんですね。「ドラクエはクリアしたから次は桃太郎伝説買おうかな」みたいに次に行かれず、ずっと同じゲームを遊び続けられてしまう。
 結果的に、ここも大手の会社以外は太刀打ちできない「大作主義」の市場になっちゃっているんじゃないかなぁと思います。まぁ、これは資本主義の宿命という気もしなくもない。


 ……と考えると、2003年のゲーム業界が持っていた閉塞感と、2014年のゲーム業界が持っている閉塞感が似ていても。一周まわって同じところに着いてしまっただけとも思うんですね。
 人気の市場があると、多くの会社やソフトが参入して、性能競争だったり「少しでも他より見栄えを良くしよう」競争だったりが起こり―――結果的に、大手の会社や人気シリーズだけが残る。ずっとその繰り返しをしているんじゃないかと思うのです。


 「DSの時代は良かったなぁ……」とか「ソーシャルゲームが儲かっていた時代は夢があったなぁ……」とか思っているメーカーは多そうだけど、それこそ「最近のゲームは~~~」と嘆いているユーザーと一緒で、永遠になくならない「時代が進んでいる証拠」なのかもなぁと締めて。キレイにまとまったカンジにさせる。

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| ゲーム雑記 | 17:48 | comments:2 | trackbacks:1 | TOP↑

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『ハナヤマタ』は「踏切」に始まり「踏切」に終わる「踏切アニメ」だった!

※ この記事はアニメ版『ハナヤマタ』全12話のネタバレ原作漫画版『ハナヤマタ』4巻までのネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。

 もう10月。
 秋アニメも始まっている頃ですが、夏アニメについてもまだまだ語り終わっていないことがあります!これについては、このブログが語らなければどこが語るというのだ!

 春アニメ『一週間フレンズ。』の時に、私は『一週間フレンズ。』4話の“FUMIKIRI理論”に痺れるという記事を書きました。踏切の遮断機を使って、離れてしまった主人公とヒロインの距離を見せる演出に痺れまくったのですが……
 『一週間フレンズ。』は、この4話以降は特に「踏切」のシーンは出てこなかったんですね。4話は「踏切」をこれでもかというほど使ってくる「踏切回」だったのですが、『一週間フレンズ。』というアニメ全体では「踏切アニメ」と呼べるほどではありませんでした。

 そりゃそうです、アニメのために演出があるのであって、演出のためにアニメがあるワケじゃないですからね。“FOOD理論”の話とかもそうですが、演出アイテムはストーリーを面白くするために使われるのであって、演出アイテムのためにストーリーが作られるのではないのです。


 とか思っていたら、夏アニメにまさかの「踏切アニメ」が現れたという。
 夏アニメ『ハナヤマタ』は「踏切」「踏切」また「踏切」―――と、繰り返し「踏切」が出てきただけでなく、作品全体で描いているテーマが密接に「踏切」で喩えられているというまさに「踏切アニメ」でした。


 だから、この話はこのブログで語らなければならないのです。
 「ハナヤマタが面白かったか、面白くなかったか」は人それぞれ好みはあるでしょうから「俺は面白かったけどみんながどうだったかは知らない」といったカンジに断言できるものではないのですが、「ハナヤマタは踏切だったか、踏切じゃなかったか」と聞かれれば間違いなく胸を張って「踏切だった!」と言えるので、もう踏切なんですよ踏切踏切!



【オープニング】
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<『ハナヤマタ』オープニングより引用>

 いきなりこれ。
 オープニングが始まり、『ハナヤマタ』のタイトルの後のカットがいきなり「踏切」です。


 その後、画面は「踏切の向こうにいる」なるのワンカットを映し、そのなるが目を開いて―――その次に映るカットがこちら!

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<『ハナヤマタ』オープニングより引用>

 なるから見て「踏切のあちら側」にいるハナとヤヤを映します。
 カメラはここで「なるの視点」に移るんですね。

 つまり、この時点で「踏切のこちら側=なる」、「踏切のあちら側=ハナ、ヤヤ」と描いていて。そして、これ以降……このアニメでは徹底的に、「踏切のこちら側=なるのように輝いていない人の世界」、「踏切のあちら側=ハナやヤヤ等、輝いている人達の世界」として描かれるのです。

 もちろんこれは「なるの主観」でしかないのだけど……「輝いていない人間の世界」と「輝いている人間の世界」がまるで別の世界のように感じているなる(達)の気持ちを、踏切によって分断された「こちら側」と「あちら側」で表現しているんですね。



【第1話】
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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 第1話の最初のシーンも、「踏切」から始まります。
 主人公:関谷なるは「踏切」の前で電車が通るのを待っていて、そこにヤヤがやってきます。その後なんやかんや喋った後、ヤヤに「行こう」と言われて、なるはヤヤの後ろをついて踏切を渡ります。

 つまり、「踏切のこちら側」にいるなるは、ヤヤの後をついていかなければ「踏切のあちら側」には渡れない―――と描かれているのです(※1)

(※1:もちろんこれは画面の演出上の話であって、流石に中学二年生なんだからなるだって自力で踏切を渡ることは出来ると思いますよ?)



 さて、2つ目の「踏切」シーンの前に。
 その直前の、なるのモノローグを文字に起こしてみます。

<以下、引用>
 小さい頃、一度だけ大きな映画館に連れてってもらったことがある。
 みすぼらしかったヒロインの少女は、魔法使いや王子様と出会って、とてもキレイなお姫様になった。

 私もいつか……こんな風に輝ける日が来るのかな……そう思うと、胸が踊った。

 いつか、誰かが、この世界から連れ出してくれる……
 そう思って私は、ずっと待ち続けた……物語のヒロインみたいな、不思議な出会いを……

</ここまで>

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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 そこに響く、鳴子の音。
 月夜に一人踊るハナの音に惹かれ、この後なるは踏切を渡り、階段を登り、妖精のような少女:ハナと出会います。

 「踏切のこちら側」=「この世界」から、「物語の世界」のような「踏切のあちら側」へと向かうのですが……ここでも、なる一人の力で渡るのではなく、「踏切のあちら側」にいるハナを追いかけることでようやく踏切を渡れるという。
 この時点でのなるは、(演出上)一人の力で「踏切のあちら側」に渡ることが出来ないのです。


 ちなみに、このなるのモノローグ……原作とちょっと違うんですよね。
 アニメ版のモノローグでは、原作以上に「みすぼらしかったヒロインの少女」が「誰か」の力で「とてもキレイなお姫様になった」ことが強調されているという。つまり、「なる」が「ハナ」の力で「物語の主人公」になっていきたいという他力本願感がより出ているのです。



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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 閑話休題。
 このシーンは、なるが不在なのですが……ハナもヤヤも「踏切のあちら側」にいることがポイントです。なるから見たら「キラキラしている」「輝いている」「物語のヒロインのような」世界。なるがまだ憧れるだけで行けない世界に、二人はいるのです。


 が……


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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 ハナはジャンプして「踏切のこちら側」に飛んできます。
 なるが「輝いていない人間の世界」と「輝いている人間の世界」がまるで別の世界のように思っているのに対して、ハナはその二つの世界の境界などお構いなしに飛び越えられる象徴として描かれているという。



【第4話】
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<『ハナヤマタ』第4話より引用>

 さて……実は、「踏切」シーンで心理描写がされているのは、なるだけじゃありません。
 なるもハナもタミもマチも「踏切」によって心理描写がされているのです(ヤヤちゃんはちょっと微妙だけど)。

 第4話はタミお姉ちゃんの回。
 第1話のなると比較すると分かりやすいんですけど……なるは、「踏切のあちら側」に憧れたんですね。ヤヤがいて、ハナがいて、キラキラして、輝いている世界。だから、ヤヤの後をついて踏切を渡ったし、ハナを追って踏切を渡りました。

 しかし、タミお姉ちゃんは「踏切のこちら側」に憧れているんです。
 タミお姉ちゃんは「踏切のあちら側の世界」にいる人で、物語のヒロインのように、お姫様のように、輝いている存在でした―――でも、「踏切のこちら側」にいる普通の人達に憧れるのだけど、タミお姉ちゃんは“ただ一人”で「踏切のあちら側」に帰るしかないのです。

 “住んでいる世界の違うお姫様の孤独”を、踏切を渡るというたった1シーンで表現しているとも言えます。


【第9話】
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<『ハナヤマタ』第9話より引用>

 サリー先生と断絶してしまっているマチの心理を、「下りてくる遮断機」で表現しているシーン。流石にここは「どんだけ踏切好きなんだよ!!」とツッコミたくなりました(笑)。



【第12話】
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<『ハナヤマタ』第12話より引用>

 最終話。第1話と全く同じアングルで、同じようなシーンがあります。
 しかし、ハナはもういません。

 第1話でハナを追いかけて踏切を渡って始まったなるの物語は、
 最終話でハナと出会った場所に向かうため一人で踏切を渡り、遠く離れたハナに誓って締めくくられるのです。

<以下、引用>
 私じゃ、ハナちゃんの代わりにはなれないけど……
 ハナちゃんの分までいっぱいいっぱい頑張るから……だから!応援しててね、ハナちゃん!

</ここまで>

 「物語のヒロイン」に憧れた関谷なるは、「物語のヒロイン」のようなハナに出会いました。
 なるは……決してハナにはなれませんでした。
 みすぼらしかった少女は、物語のように「とてもキレイなお姫様になった」というエンディングにはなりませんでした。それでも……それでも…関谷なるは、関谷なるとして踊るのです。


<以下、引用>
 私……ずっと物語のヒロインみたいに輝けることを夢見てたんだ。
 誰かがこの世界から連れ出してくれることを、

 でも……

 「なんだかよく分からないですけど……!
 人は、誰でも頑張れば輝けると思うので……!」

 そうハナちゃんは言ってくれて。
 “誰か”じゃなくて“自分が”頑張れば、なりたい自分にちょっとだけでも近づけるんだね……!

</ここまで>

 『ハナヤマタ』というアニメについて「面白かったけど、YOSAKOIである必然性はなかったよね」と言っている感想を見かけました。私は、そこには異論があります。
 このアニメの第3話で海ボーズ兄貴が言っていたように、YOSAKOIは「衣装」も「曲」も「振り付け」も全て自分達で用意しなければなりません。“誰か”の言うとおりにしたり、“誰か”の見よう見まねで出来ることではないのです。“自分”達で考え、“自分”達だけのYOSAKOIを作らなければならない――――


 「踏切のあちら側」にイメージされるように、「ここではない物語の世界」に「誰かが」連れ出してくれないかと待ち続けていた関谷なるの物語は。
 「踏切のこちら側」にイメージされる、「この場所」で「自分達自身の力で」世界のどこにもない「自分達が主役の物語」を作って締めくくられるのです。それが彼女にとっての物語だったというのなら、関谷なるは間違いなく「物語の主人公」だったし、誰もが「物語の主人公」として輝かねばならないYOSAKOIという題材は関谷なるにとっての必然だったと私は思います。

(関連記事:『けいおん!』の更に向こうへ。『ハナヤマタ』第1話が素晴らしかった!



 と、いうことで……
 脚本としても、第1話から積み上げてきたものを見事にまとめた最終話でしたし。演出としても「踏切」で始まった関谷なるの物語を「踏切」で締めくくる見事な最終話だったと思います。






 ですが、
 これだけで終わらないのが『ハナヤマタ』なんですよ!


h-fumiki10.jpg
<『ハナヤマタ』第12話より引用>

 最終話のラスト、ハナが戻ってくるシーンにも「踏切」が!
 なるがハナを追いかけて「踏切のこちら側」から「踏切のあちら側」に渡って始まったこのアニメが、最後の最後はハナがなるのところに戻るために「踏切のあちら側」から「踏切のこちら側」に渡ってくるんです!
 この『ハナヤマタ』のアニメは、なるが「踏切のあちら側」に憧れて始まるのですが、でも物語の舞台となるのは「踏切のこちら側」なんです!「踏切のこちら側」で自分達の力で輝こうとしているなる達のところに、「踏切のあちら側」からハナが戻ってくるんです!


 そして、このシーン……第1話の「警官に追いかけられて、ジャンプして踏切を越えるハナ」との対比になっています。今度は、警官に誘導され、ちゃんと走って踏切を渡ります。飛び越えるのではない、この境界線をちゃんと走って越えてくるのです。


 この「走る」という行為は。
 『ハナヤマタ』という作品において、それぞれのキャラにそれぞれの「走る」シーンが用意されて、そこを通過して初めて「よさこい部の仲間になる」と描かれているのです。


 なる
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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 タミ
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<『ハナヤマタ』第4話より引用>

 ヤヤちゃん……(´;ω;`)
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<『ハナヤマタ』第7話より引用>

 マチ
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<『ハナヤマタ』第9話より引用>

 そして、ハナ。
h-hashiru5.jpg
<『ハナヤマタ』第12話より引用>


 ヤヤちゃんだけなんか扱いが酷いと思うんですけど……(笑)。
 最終話にしてようやく、これでハナが「よさこい部の仲間」になれたと言えるのです。



h-zennin.jpg
<『ハナヤマタ』第12話より引用>

 全員集合!
 ホント、見事な全12話でした。
 “『けいおん!』の更に向こう”、私は見せてもらったと思います。『ハナヤマタ』大好き!

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○ 余談
 ちなみに……この「踏切」の演出。
 私は原作を、現時点でキンドルで出ている4巻までしか読んでいないのですが……少なくとも4巻までだとこうしたシーンに原作では「踏切」が出てこなくて、「踏切」演出は全てアニメのオリジナル演出となっていました。舞台が江ノ島なので背景に「踏切」がチラッと映るところはありましたが、アニメのように「こちら側」と「あちら側」の対比みたいには使われてはいませんでしたね。
 「原作から付け足されたアニメオリジナル要素こそがアニメスタッフの描きたかったもの」説で言えば、「踏切」こそがアニメスタッフが描きたかったものと言えるでしょう!


 マジメに解説すると……原作はモノローグが多くて、各キャラの心理描写が分かりやすいんですよ。アニメの後に原作を読んで初めて「あー、タミお姉ちゃんはだからこんなに苦しんでいたのか」と分かったところも正直あります。
 しかし、アニメと漫画は違うメディアですから……原作と同じモノローグをそのままやると、尺が足りなかったり、テンポが悪かったり、くどくなったりしてしまいます。なので、アニメはモノローグを最小限にして画面の演出でそれを伝えるようにしていたのだと思います。

 空のカットや花のカットの変化で、キャラの心情の変化を描いていたりしましたものね。

(関連記事:「小説」と「アニメーション」の違い


 そう言えば……『ランゲージダイアリー』のあいばたんが『ハナヤマタ』をこう表現していました。




 『一週間フレンズ。』の記事には、「踏切」と同様に「高架下の道路」や「階段」も“本来なら何かに遮られていて別の空間であった「こちら側」と「あちら側」を繋ぐ装置”と書いていたのに、すっかり忘れていました(笑)。
 言われてみれば、この『ハナヤマタ』という作品は“「こちら側」と「あちら側」を繋いでいる境界線上”が頻繁に出てくるんですね。


【階段】
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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 第1話のなるや、第2話のヤヤなど―――この『ハナヤマタ』で階段が効果的に使われるのは、いつも「階段の途中」なのです。「こちら側」と「あちら側」の中間。
 第1話のなるは、階段を昇りきらずにハナをただ眺めているのだけど最終的にハナを追いかけて昇りきります。逆に、その後のシーンでハナは階段を下りようとしているなるを途中で叫んで止めています。この演出はアニメオリジナル。
 第2話のヤヤは、屋上で踊っているなるを見た後に階段を下りようとするのですが、途中で引き返して屋上に戻ります(ここの演出も、原作だとちょっと違うんですよね)。


【トンネル?】
h-tonnnel2.jpg
<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 なるの家の前の……トンネルみたいなところ。
 もう、見るからに「別世界への入口」みたいな場所ですよね。第1話、まだハナにも出会わずどこにも行けないなるが、この真ん中でポツンと立つ絵があるという。「こちら側」と「あちら側」の中間で迷っている―――という印象を受けます。これもアニメオリジナルシーン。


【橋】
h-hashi.jpg
<『ハナヤマタ』第4話より引用>

 橋もまた、「こちら側」と「あちら側」を繋ぐ場所。
 橋を渡ろうとするタミが強風で吹き飛ばされそうになる瞬間、なるがタミを助けるシーンです。「こちら側」と「あちら側」の中間でどうしてイイか分からなくなっているタミをなるが救う展開と、場所が見事にシンクロしている演出ですね。これは原作にもある演出。


【踊り場】
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<『ハナヤマタ』第9話より引用>

 階段とほぼ同じような場所ですけど……
 「こちら側」と「あちら側」のちょうど中間地点でマチを引き止めるタミ―――というのは、4話の「タミとなる」を今度はタミがやるという演出ですね。こっちはアニメオリジナルの演出で、原作だと屋上なんですよねぇ。


【窓】
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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 「こちら側」と「あちら側」の境界線。
 「踏切」のシーンでもチラッと解説しましたが、ハナはこの「こちら側」と「あちら側」を飛び越えられるキャラとして描かれていましたから……こうやって「窓」の向こうから果敢になるを追ってくるのです。フリーランニングってすごいね!


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<『ハナヤマタ』第11話より引用>

 そして、11話。
 かつて「なるを同じ世界に引き込もう」と窓に張り付いたハナは、今度は「なると別の世界に離れてしまう」ことを告げに窓に張り付きます。同じように「こちら側」と「あちら側」の中間にハナがいるというシーンだけど、全く正反対の意味を持つ二つのシーンという。
 この後、別々の世界に離れてしまう二人が、その前に一緒にお風呂に入って、一緒にアイスを食べて、一緒に寝るというアレが凄い好き。よく見れば分かるんですけど、なるはハナが来る前に髪を拭いているので、一度風呂に入ったのにもう一回風呂に入っているんだぜ。



 一つ一つのシーンをちゃんと意味を込めて作りこんでいる凄いアニメでした。
 そして、何より「人は、誰でも頑張れば輝ける」というテーマを描くことに、ここまでの全力を注いでくれたアニメが出てきたことが嬉しかったです。『けいおん!』から5年。日本のアニメは全然止まっていなかったんだと思わせてくれました。最高の作品でした!

| アニメ雑記 | 17:50 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

≫ EDIT

「パーティーゲーム」ってどんなゲーム?

 「スマブラって基本パーティゲームでしょ?」

 『スマブラ』の記事を書いた際についたコメントで、こういうものがありました。
 その人の真意は分かりませんけど、ネット上でコンピューターゲームについて「パーティーゲーム」と言葉が使われる時は「揶揄」だったり「皮肉」だったり「侮蔑」の意味で使われることが多いと思うのです。「コアゲーマーの俺には関係のないゲーム」「女子供が遊ぶゲーム(※1)」「リア充のためのゲーム」……

 まぁ……当時しょっちゅう言われた「Wiiにはパーティーゲームしかない」みたいなアレですよ。「わーい!Wiiを買えばいっぱいパーティーが出来るぞおおおお!」という意味ではなく、「たくさんゲームが出ていてもWiiには俺のためのゲームがない」という意味で「Wiiにはパーティーゲームしかない」と言っていた人がたくさんいました。

(※1:偏った「女」イメージに、偏った「子供」イメージですけどね)


 しかし、一方で「ゲーマーはパーティーゲームパーティーゲームと馬鹿にするけど、パーティーゲームをちゃんと作れるメーカーがどれだけあるのか」というコメントをもらったこともあります。私もそう思います。友達が遊びに来た時に、ちゃんとみんなで楽しめるゲームって実はすごく限られているんです。


 『スマブラ』はパーティーゲームと呼べるのか?
 これ……結構な難しいお題じゃないかと思うのです。
 私はどちらかと言うと「呼べない」と思っているのですが、それを説明するには「パーティーゲームの定義」から考えていかないとならないでしょう。ということで、今日は「パーテーゲームとは何だ?」を考えていこうと思います。




仮説1.パーティーの時に遊ばれるのがパーティーゲーム
 みなさーん!パーティーしていますかーーーー!
 私はしたことありませーーーーん!!

 つか、「パーティーゲーム」の定義以前に、「パーティー」の定義がよく分かりませんよね。

 パーティ - Wikipedia
・会合、集会、お楽しみ会などのこと。宴会、コンパ。

 恐らくこの辺の意味でしょう。
 しかし……「宴会」や「コンパ」でイメージする場と言うと……例えば、「結婚式の二次会」とか「忘年会」とか「新歓コンパ」とか基本的に「外」ですよね。“お店を借りる”とか“場所を借りる”とか。そういうところにWiiを持ち込んで「スマブラやろうぜー」とスマブラをやる人は……いないとは断言しませんけど、100万本や200万本売れるほど多いとは思いません。

 据置ゲーム機が「家」に置かれるものと考えるなら、この場合のパーティーとは「結婚式の二次会」とか「忘年会」とか「新歓コンパ」ではなく、「ホームパーティー」のことだと思います。
 「ホームパーティー」なんて私は主催したことはないですけど、子どもの頃に「友達の誕生日会」とか「クリスマスパーティー」とかに呼ばれたことならあります。しかし、そういう特別な会は大抵10人~15人くらい集まっていました。『スマブラ』が「みんなで遊べるゲーム」と言っても、4人対戦までです。15人では遊べません。
 いや、『スマブラ』はまだ「1試合2分」で終わるから交替で遊べばイイし、そういうモードも付いているからまだマシな方です。しかし、『桃鉄』とか『いたスト』みたいに「1勝負が何時間もかかるゲーム」は交替で遊ぶことは難しいでしょう。


 コンピューターゲームの「パーティーゲーム」が想定しているのは、多くの場合は4~5人の人数までであって。これって「家族みんなで遊ぶ」とか「友達が遊びに来た」とか「親戚の家に遊びに行った」くらいの人数でしかなくて―――これらを「パーティー」と呼ぶのは無理があると思うんです。

 つまり!「パーティーゲーム」は、パーティーで遊ばれるのに向いていないんです!!




仮説2.複数人同時に遊べるのがパーティーゲーム
・一人で遊ぶゲームが「コアゲーム」
・複数人で遊ぶゲームが「パーティーゲーム」

 こう定義している人は結構いるかなーと思います。
 「一人で遊ぶゲーム」というのは、オンラインに繋いでみんなで遊ぶFPSとかMMORPGとかも含みます。「画面の前には俺一人!」なのがコアゲーム。そうすると、オンライン対戦のある『スマブラ』は「コアゲーム」ということになると思うし、ここで話が終わってしまいかねませんが……気が付かなかったことにします(笑)。


 しかし、コンピューターゲームというのは(少なくとも私が知っている)ファミリーコンピュータの頃から「複数人で遊ぶゲーム」がたくさんあります。
 『マリオブラザーズ』、『ファミスタ』、「くにおくん」シリーズ、『ストII』ブームに続く「格闘ゲーム」全般、『テトリス』に続く「落ちモノパズル」のほとんど、スポーツゲームもほとんどの場合に対戦モードがありますし、『モンハン』に代表される狩りゲーだって言ってしまえば「複数人で遊ぶゲーム」です。『FF』シリーズだってスーファミの頃は二人同時プレイが出来たし、自分はやったことがないですけど『テイルズオブ』シリーズも複数人で戦闘を遊ぶことが出来る(シリーズもある)らしいですからね。

 これらのソフト全部が「パーティーゲーム」だというのは無理があると思います。
 「メインのモードは一人用で、サブのモードに複数人で遊ぶゲームがあるのは別だ」と思われるかも知れませんが、『ファミスタ』や『ストII』みたいなゲームはどちらがメインかは微妙ですし、『モンハン』だって微妙ですよね。



 「2人同時プレイはパーティーゲームではないが、4人同時プレイはパーティーゲームだ」と思う人もいるかも知れませんが、そうすると『モンハン』が真っ先にパーティーゲームになりますし、『ウイイレ』とか、さっき書いた『テイルズオブ』シリーズもパーティーゲームになってしまいますし、画面4分割で対戦できるFPSとか、4人同時プレイ可能な横スクロールアクションとかもパーティーゲームになってしまいます。



 「モンハンこそがパーティーゲームだ」と言われれば、「じゃあスマブラもパーティーゲームかな」と思えるのだけれど……「モンハンはパーティーゲームではないがスマブラはパーティーゲームだ」と言われると、その2つの違いは何だよと思ってしまいますし。この2つの違いにこそ、「パーティーゲームの定義」を考える道筋があると思うのです。

 要するに、「複数人で遊べる」だけではパーティーゲームではないですよねー。




仮説3.下手な人とも楽しく遊べるのがパーティーゲーム
 いよいよ核心に迫ってきました。
 パーティーゲームは「パーティーで遊ばれるゲーム」ではなく、「友達が遊びに来た時に遊ぶくらいのゲーム」と仮説1の項で書きましたけど―――「友達が遊びに来た時に遊ぶくらいのゲーム」というのが実は結構難しいのです。

・私← そのゲームの持ち主。300時間遊んでやりこみまくり。
・友達1← そのゲームを初めて遊ぶ人
・友達2← そのゲームを初めて遊ぶ人
・友達3← そのゲームを初めて遊ぶ人

 この状況で対戦したら、普通だったら私が1位になりますよね。
 それが実力というもの、弱肉強食の世界なんだから仕方ないじゃないか、ゲームを上手くなろうとしない連中が悪いんだ―――とコアゲーマーの皆様はお思いになるかも知れませんが。初心者をフルボッコにした私は楽しくないし、持ち主にフルボッコにされた友達3人も楽しくありません。それじゃあ、全然盛り上がらないんですよ。

 「パーティーゲーム」というのは、プレイヤー間に実力差があっても全員が楽しめるゲームでないとならないのです。単に複数人で遊べるモードを入れただけでは、上級者が初心者をフルボッコにして終わりなんです。

 でも、難しいですよね。
 ゲームというのは、普通「上手くなる」ために遊ぶものです。
 上達して、昨日は出来なかったことが出来るようになったり、昨日はクリア出来なかった面をクリアしたりするのが楽しいのですから。『ドラクエ』式コマンドバトルRPGにも「上達」はありますし、レベルによってキャラクターが成長する要素もありますよね。


 つまり、ゲームというものが本来持っている「上手くなるのが楽しい」と、パーティーゲームの「実力差があっても楽しい」は相反するものなんです。


 では、実際に「パーティーゲーム」と呼ばれるゲームが如何にして「実力差があっても楽しい」を実現しているかを見ていきましょうか。


 一つには「運」の要素を入れるというものがあります。
 パーティーゲームの定番と言われる『マリオパーティ』や『桃太郎電鉄』、『いただきストリート』などのスゴロクゲームは、「サイコロ」という運の要素が入っています。こればっかしはどんなにゲームをやりこんでも上達出来ない要素があるのです。

 しかし、完全に運だけで勝負が決まってしまうと「ゲームとして上達の余地がない」ことになってしまいます。なので、これらのスゴロクゲームであっても―――例えば『マリオパーティ』なら「ミニゲーム」、『桃太郎電鉄』なら「カードの使い方」、『いただきストリート』なら「株の売買」といったカンジに、「運」ではない「プレイヤーの上達が発揮される要素」が入っているのです。

 スゴロクゲームと一言で言っても、「運」の要素と「上達」の要素のバランスは様々で―――例えば、「上達」の要素が強い『カルドセプト』のことを「パーティーゲーム」と呼ぶ人はあまりいないけど、「運」の要素が強くて小さな子どもとも対等に遊べる『人生ゲーム』は「パーティーゲーム」と呼ばれますもんね。

(関連記事:『人生ゲーム』はどうしてWiiウェアランキング1位になり続けたのか


 では、スゴロクゲーム以外の場合はどうなのかと言うと……
 『マリオカート』や『スマブラ』の場合、「どのアイテムがどの人のところに出るのかはランダム」という「運」の要素があります(『マリオカート』に関しては後で補足します)。これによって、同じメンバーで対戦をしても必ずしも実力差通りの結果にはならないということがあり。

 『ストリートファイターII』に代表される格闘ゲームと、『スマブラ』の違いは、この「運」の要素にある―――と考えることが出来て、「スマブラ好き」の中にはこの「運」の要素を嫌って「アイテムなし・ステージも固定」でのみ遊ぶ“ガチ勢”と呼ばれる人達がいます。実際、今回の『スマブラfor』のインターネット対戦ではこの“ガチ勢”のための「ガチ部屋」を作って隔離棲み分けられるようになっていますからね。


 ただ、私はこの考え方にはちょっと同意できないんですね。
 これ……確か桜井さんもどこかで仰っていたように記憶しているんですけど、『スマブラ』を本当に強い人って「どのアイテムがどこに出るのか分からないランダム要素」の中でも勝てる人だと思うんです。
 例えば麻雀だって、配られる牌は言っちゃえば「ランダム」なワケです。でも、勝負は必ず「運」だけで決まるワケではなく、半荘も続けていれば「プレイヤーの実力」で勝つ人・勝てない人には分かれていくじゃないですか―――『スマブラ』における「どのアイテムがどこに出るのか分からないランダム要素」の要素も、「何が起こるか分からない局面でどう行動を起こせるのか」というアドリブ要素だと思うんですね。

 この記事は「パーティーゲームとは何だ」という話なので、先ほどの例に戻します。
 300時間『スマブラ』をやりこんだ持ち主と、初心者3人でプレイした場合――――『スマブラ』に「どのアイテムがどこに出るのか分からないランダム要素」があろうがなんだろうが、10回やって9回は持ち主が勝つと思います。これでは「パーティーゲーム」とは呼べないでしょう。「運」の要素と「上達」の要素のバランスで言えば、『スマブラ』は圧倒的に「上達」の要素の方が強いんです。



 「パーティーゲーム」と呼ばれるゲームが如何にして「実力差があっても楽しい」を実現しているかの例、二つ目は「そもそも上達の余地がほとんどない」ゲームです。
 先に出てきた『人生ゲーム』のように「運」の要素が強いゲームはそうですね。

 また、『Wii Sports』のように「誰でもいきなり遊ぶことが出来る」ゲームもそう言えるかも知れません。本当は「コツ」のようなものもあるんですけど、その伸び代が普通のゲームよりは小さめなので、持ち主と初心者が対戦しても対等に遊べることが出来ました。
 しかし、そうなると「底が浅い!」「すぐに飽きる!」と言われるので、続編となる『Wii Sports Resort』や『Wii Sports Club』ではジャイロセンサーで細かい反応を検知して「深く遊べるようになった」分、持ち主と初心者の差が大きくなった―――と私は思っているのですが、この話は以前に書いて全く同意されなかったのでまあいいです(笑)。

 あとは、クイズゲームのように「ゲームをプレイすることでの上達」よりも「ゲーム以外で得られる知識」が活きるゲームもコレに当てはまるかも知れませんね。このブログを読んでいる人は全員漏れなく買って遊んでいるに違いないから説明不要な『安藤ケンサク』なんかも基本的にはそうですね。「上達」よりも、その場の「推理」や「想像力」が活きるタイプのゲーム。

 『スマブラ』は先ほど書いたように、「運」の要素と「上達」の要素のバランスで言えば「上達」の要素の方が強いゲームなので―――この面だけ見ると、あまり「パーティーゲーム」っぽくはないですね。

(関連記事:「みんなで遊べるWiiのゲーム」を探しているアナタ!『安藤ケンサク』を買うんだ!



 「パーティーゲーム」と呼ばれるゲームが如何にして「実力差があっても楽しい」を実現しているかの例、三つ目は「最後の最後まで逆転の可能性を残す」ゲームです。
 最終問題だけ「正解者に4351点です!」みたいなアレ。

 『マリオカート』は代表例ですね。先ほど私は「マリオカートはアイテムがランダムで~~」と書きましたが、『マリオカート』シリーズは「順位が上だとショボイアイテムが出やすい」「順位が下だと強いアイテムが出やすい」というバランスで逆転が起こりやすくなっています。なので、下手くそな人がアイテムの“引き”で最後に逆転するという可能性もあるゲームなんです。
 まぁ……この辺のバランスは作品によって微妙に違うらしくて、最新作『マリオカート8』は「スーパークラクション」で随分変わっているんじゃないかと思うのですが……とりあえず、これまでのシリーズでは「マジメに上位を走るのがバカらしくなってくる」という意見も聞きました。「運」の要素のところで書いた話と似た話で、「逆転」の要素が強すぎると「上達」するのがバカらしくなるという側面は出てくるでしょう。

 先ほど書いた『安藤ケンサク』の「パネル9」も「最終ターンで順位が低い方がチャンスがもらえる」という要素があるので、最終ターンまでは如何にして順位を落としていくかみたいな戦略が生まれています。それゆえに「ビンゴ」が重要になるのだけど……逆にここが持ち主と初心者の実力差が出ちゃうところになるので、本末転倒な感はあるかな。

 そう言えば……最近の作品はやっていないから自信がないですけど、パーティーゲームとして定番の『桃太郎電鉄』とか『いただきストリート』とかにはこういう「順位が低い人ほど有利になる」要素ってないですよね……?それ故に、順位が低い人は途中でやる気がなくなっちゃうなんてことが「あるあるネタ」でよく言われますけど、かといって「順位が低い人ほど有利になる」と誰も真剣にやらなくなっちゃいますしねぇ。


 さて、『スマブラ』はどうかと言うと……
 『新パルテナ』の「社長が訊く」で桜井さんはこう仰っています。

<以下、引用>
桜井「あと、対戦ゲームについては、『スマブラ』もそうなんですけど、わたしは駆け引きに対してあまりウソをつきたくないんです。」

岩田「ゲーム全体ではドタバタ感を出しつつも、対戦の駆け引きはマジメにつくるということですか?」

桜井「そうです。たとえば『マリオカート』だと、トップで走っている人が、後ろの人からいろいろなものを食らうことになりますよね。」

岩田「そのことによって、「最後まで誰が勝つかわからない」という、遊びになっていますね。」

桜井「それは方向性として、とても正しいと思いますし、自分がレースゲームをつくれと言われたら、そうするかもしれないです。
 けれども、『スマブラ』や、今回の『パルテナ』の対戦では、コンピューターが勝っている者を不利にするとか、逆に負けている者を優遇するとか、そういう要素はほとんどないんです。

岩田「確かに『スマブラ』も相手にダメージがたまっていたりすれば、弱い人でも強い人をやっつけられることはありますけど、長いレンジで見たら強い人はちゃんと必ず結果を出しますからね。」

桜井「もちろん偶発性において、弱かったキャラクターのたまたま近くに強力なアイテムがあった、ということは起こりえるのですが、弱いキャラクターのそばに、どんどん強いアイテムを意図的に送り込むようなことはしていません。」

岩田「誰もが平等に戦えるように、公平な舞台を用意している、ということなんですね。」

桜井「そうです。
 でもなぜか初心者も上級者もいっしょに遊べるし、腕の差にかかわらずいろんな対戦結果が出ます。」

岩田「それはどっちが正しいか、ということではなくて、どっちを選ぶかという、選択肢の問題なんですよね。」

桜井「はい。『マリオカート』があのような遊びなので、自分のところではこうする、というのに近いです。
 上級者が初心者をめった打ちにすることは避けたいですが、コンピューターで上からハンデを与えるのではなく、大きな変化の幅で補いたいです。遊びの本質としては、ガチで遊んでほしいと思っています。」

</ここまで>
※ 改行や強調など、引用者が一部手を加えました


 これ……『スマブラ』というゲームのルールの上手さだと思うんですけど。
 「相手を吹っ飛ばした数-自分が吹っ飛んだ数」のポイントで競うルールなので、「4人対戦」だと最後の最後で4ポイント差をひっくり返す可能性があるゲームなんですね。残りの全員を吹っ飛ばして自分に「+3」、吹っ飛ばされた相手は「-1」。
 そして、実際に「最後の切りふだ」や「ゴールデンハンマー」が上手くハマればそういう事態にはなります。だから、『スマブラ』は「最後の最後まで逆転の可能性を残す」ゲームと言えるのですが――――だからと言って、順位が低い人にのみそのチャンスが与えられるワケではないというのが『スマブラ』なのです。

 ということで、『スマブラ』は「逆転」の要素と「上達」の要素の両方を兼ね備えたゲームと言えるのかも知れません。



 「パーティーゲーム」と呼ばれるゲームが如何にして「実力差があっても楽しい」を実現しているかの例、最後は「ハンデを付けられる」ゲームです。
 これがアリなら元も子もない!
 しかし、コンピューターゲームの「対戦モード」と「ハンデ」は切っても切り離せない関係にあると思うので語っていこうと思います。

 いつから「対戦ゲーム」に「ハンデ」があったのかは定かじゃないのですが……
 ファミコン時代の「対戦ゲーム」は「キャラクターやチームの能力差」によってハンデを付けることが多かったと思います。『ファミスタ』だと「初心者はLチーム、持ち主はSチーム」とか、『熱血行進曲』だと「初心者はれいほう、持ち主ははなぞの」みたいなカンジで。
 あの頃は「キャラやチームの強さに差がある」ことが悪いことではなかったですよね。最近のゲームでもサッカーゲームとかだとハンデで弱いチームを選んで「初心者はユベントス、持ち主はタイ代表」とかで対戦したりはしますね。ごめんなさい、タイ代表!

 『ストII』くらいの時代になると、「キャラクターやチームの能力差があるゲーム」は良くないという価値観になり始めていて。バランス調整のために、続編になるたびに弱体化するガイルとかがいましたよね。
 んで、その頃には……スーファミ版の『ストII』のような格闘ゲームや、『ぷよぷよ』みたいな落ちモノパズルゲームの「対戦モード」には「ハンデキャップ」を付けられるのが普通になっていました。初心者は攻撃力が高くなるとか、上級者は最初から不利な状況で始まるとか。

 ゲームというものが本来持っている「上手くなるのが楽しい」と、パーティーゲームの「実力差があっても楽しい」が“共存”出来るシステムが……この「ハンディキャップ」システムと言えるかも知れません。持ち主も初心者も真剣に遊ぶことが出来るシステム。


 『スマブラ』も、この「ハンディキャップ」システムを搭載しています。
 最新作のページはないんですけど、Wii版『X』の時のページが残っていたのでどうぞ。上手い人は「常にダメージ蓄積」状態で戦うというハンデシステム。勝ち続ければ続けるほどハンデが重くなるオートハンデモードもあります。

 さて、白状しますけど……私はWii版『スマブラX』を

・私← そのゲームの持ち主。100時間遊んでやりこみまくり。
・友達1← そのゲームを初めて遊ぶ人
・友達2← そのゲームを初めて遊ぶ人
・友達3← そのゲームを初めて遊ぶ人

 という状況で遊んだことがあります。
 当然普通に戦えば私が全員を無双して終わりなのですが、この「オートハンデモード」を付けることで、私のダメージ蓄積は常に「160%」くらいで、しかも残り3人が全員で私を殺しに来るので大層盛り上がりました。だから……「初心者でも一緒になって楽しめる」ことがパーティーゲームの条件ならば、『スマブラ』もパーティーゲームと言えるのかも知れません。


 しかし、そうすると……
 「ハンディキャップ」モードが付いたゲームは、『ファミスタ』も「くにおくん」シリーズも格闘ゲーム全般も落ちモノパズルゲームのほとんども、全てパーティーゲームになってしまうのです。それは、やっぱりなんか違くないですか!だから、私は『スマブラ』を「パーティーゲーム」と呼ぶことに抵抗があるのです!!

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【三行まとめ】
・「パーティーゲーム」とはパーティーで遊ばれるゲームではない
・初心者も上級者も一緒になって遊べるのがパーティーゲーム
・ということは……全ての対戦ゲームはパーティーゲームと呼べるのではないか!?



 『モンハン』だって、「上級者」が「初心者」をサポートしながら遊んでいるTVCMが流れていますし……立派に「パーティーゲーム」と言えるかも知れませんね。そうだ!みんなパーティーゲームなんだ!僕らは生まれながらにしてパーティーゲームを遊ぶべくして生まれてきたパーティーの申し子だったんだ!



 という結論だと「ふざけんな!」と言われそうなのでマジメにも書きますけど。
 「パーティーゲーム」という言葉を揶揄として使っている人は、「初心者も上級者も一緒になって遊べるのがパーティーゲーム」という定義で使ってはいないと思うんですね。

 「コアゲーマーの俺には関係のないゲーム」「女子供が遊ぶゲーム」「リア充のためのゲーム」……みたいなカンジで。
 その定義で考えると、恐らく……「パーティーゲーム」と呼ばれるゲームが如何にして「実力差があっても楽しい」を実現しているかの例の二つ目に出した「そもそも上達の余地がほとんどない」ゲームを指しているんじゃないかなと思います。

 つまり、「運」の要素が強い『人生ゲーム』だったり、初心者でも楽しめる『Wii Sports』だったり、ゲーム以外の知識が役立つ『安藤ケンサク』だったりをイメージしているんじゃないかと思います。その定義で考えると『スマブラ』は当てはまらないし、『ファミスタ』も『ストII』も『ぷよぷよ』も「くにおくん」も『モンハン』も当てはまらないと思うのです。


【本当の意味での三行まとめ】
・「パーティーゲーム」という言葉は使っている人によって意味が違う
・揶揄として使っている人は、「上達の余地がほとんどないゲーム」の意味かなと思う
・『スマブラ』は「上達」していくゲームなので、その意味なら当てはまらないんじゃないかな


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| ゲーム雑記 | 17:50 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

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