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物語に「成長の気持ちよさ」は必要か

 『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の感想まとめの記事でも紹介したんですけど、『鉄血のオルフェンズ』の2期(3クール目)開始前に公開された監督の長井さんとシリーズ構成の岡田さんのインタビュー記事で長年私が抱えていた違和感の正体が分かった気がしました(※ インタビュー記事は『鉄血のオルフェンズ』1期のネタバレを含んでいるので注意してください



 「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」特集 長井龍雪監督×シリーズ構成・岡田麿里 対談 (1/4) - コミックナタリー 特集・インタビュー

<以下、引用>
──岡田さんのほうでも方向性を探ってみるんですね。

岡田「例えば、長井監督ってキャラクターを成長させるのがあんまり好きじゃないんです。わかりやすい成長を見せたがらないタイプで。」

長井「急に「成長」とか言われると、「なんでだよ」ってちょっと引いちゃう部分があるんです。

岡田「こういった群像劇って、成長物語と食い合わせがよすぎて難しい部分もあると思うんです。なので脚本を書くときに「このぐらいの成長描写だったらいいのか?」「こういうセリフを言ってもいいのか?」っていう、チャレンジみたいなものはします。とは言え、完成した映像を観ると、監督は成長を成長としてしっかり描くんですよね。通してくれたところは全力を持ってやってくれる。」

長井「コンテを描いてるときに「ああ、こういうことだったんだ」ってシナリオに対して理解し直すところがあって。シナリオだけ読んでいるときは、自分の理屈で考えるので納得いかない部分もあったりするんですけど、コンテにしてみるとなんとなく見えてくるものもあるんです。他人事というか、キャラクターを俯瞰で見られるようになるんですよね。「そっか、こいつ成長するんだ」「まあでも、ここで成長するよな」って、納得できるんです。

</ここまで>
※ 強調など、一部引用者が手を加えました


 『鉄血のオルフェンズ』の感想は以前の記事に散々書いたので、この記事では触れません。
 私は『鉄血のオルフェンズ』以前から長井監督の作品が大好きで、彼の監督したテレビアニメは全て観ているのですが(多分)、大好きな割に特に原作なしのオリジナル作品には毎回どうにもノリきれないところがありました。「中盤くらいまでは無茶苦茶面白いのに、どうもラストまで観るとしっくり来ないなー」と。

 この記事を読むまでその理由が分からなかったので、「たまたまかな」くらいに思っていたんですけど……「わかりやすい成長を見せたがらない」という説明で、すべてが納得いきました。
 これは「監督の描きたいもの」と「私の観たいもの」がズレていたというだけなんですが、私は「わかりやすい成長」が観たかったんですよ。「最後はキャラクターが成長するだろう」と期待して観ているのだけど、最後までキャラクターが成長しないまま終わってしまうので、「あれ?これで終わり?」という消化不良感が残ってしまっていたのです。

 もちろん監督自身が「まあでも、ここで成長するよな」と納得して成長させているケースもあるので、全部が全部ノれないワケでもないのですが……「主人公を成長させよう」という目標でストーリーを作っていないのだから、必ずしも自分が観たいラストにはならないのは当然だったのかなと思いました。



 「成長」というのは、それだけで気持ちが良いものです。
 『ドラゴンクエスト』というゲームで、「キャラクターのレベルが上がり」「強い武器・防具を手に入れる」成長は、昔は苦戦していた敵にも勝てるようになり、行動範囲が広がる気持ちよさがあります。
 「レベル」という概念のないゲームであっても、プレイヤー自身の指に経験値を貯めることで「昨日はクリアできなかった面をクリアできた」「昨日より高いスコアが出せた」「昨日より脳年齢が若返った」と成長を感じるのが楽しいのであって、ゲームとは「気軽に成長を体感できるツール」だと私は思っています。

 勉強でもスポーツでもお絵かきでも音楽でも、それが長続きする人は「分からなかったことが分かるようになる」「出来なかったことが出来るようになる」から楽しくて続けられるのであって、「成長の気持ちよさ」がなければ続かないと思うのです。



 だから、物語に「成長」の要素を組み込む作品がたくさんあるのです。
 最初の『機動戦士ガンダム』にしても、主人公達の成長物語ですしね。それは単に戦闘が強くなったというだけでなく、アムロにしてもブライトにしてもカイにしても、作中で起こった様々なことで「何と戦っているのか」「何のために戦っているのか」を考えるようになって人間的に成長していく話です。

 長い長い物語を追っている視聴者からすれば、主人公達が成長していく姿を見れば「自分が観てきたこの物語には意味があった」と思えるし、そこにカタルシスが生まれて気持ちよくなれます。

 私が好きなテレビアニメ作品を思い出してみても、『SHIROBAKO』にしても『響け!ユーフォニアム』にしても『けものフレンズ』にしても「主人公達の成長」が軸になっている物語ですし、長井さんが監督をした『とある科学の超電磁砲』だって主人公達が人間的に成長していく物語でしたしね。



 しかし、言われてみれば……あまりにも「成長」を妄信していないか?という気もするのです。
 上述の記事をTwitterで紹介した際に話題として盛り上がったことなのですが、最初から主人公が無敵の作品は「俺TUEEEEE作品」だと(ネット上では特に)馬鹿にする人がたくさんいるのに、主人公が最初はダメダメだけど超人的なスピードで成長していく作品は「しっかりと成長が描けている」と無条件に褒められすぎではないか?という気もするのです。

 それは「強さ」とか「上手さ」だけでなく、「人間的な成長」についてもです。
 昔どこかの記事でチラッと書いたことがあるんですけど、私はアメリカのCGアニメ映画が基本的に苦手で……最初はイヤなヤツだった主人公が、事件の中で誰かに出会って、その人と交流していく内に人間的に成長して事件も解決してハッピーハッピーエンドというストーリーの作品がどうも受け入れられないんですね。だって、ついさっきまでコイツすげーイヤなヤツだったじゃんって思ってしまうのです。
 今はただこの場のテンションで立派なことを言っているかも知れないけど、コイツの元からの性根の腐り方からすると、1週間も経てばまたイヤなヤツに戻るだろうとハッピーハッピーエンドが納得できないのです。



 だから、長井監督の「急に「成長」とか言われると、「なんでだよ」ってちょっと引いちゃう部分があるんです」という話もすごくよく分かるんですね。「成長物語」が大好きで、好きな作品を思い出せば必ず「成長」の要素が入っているような私でさえも、人間って、そんなに都合よく変わったり出来ないよね―――とどこかで思っていて、そっちの方がリアルに感じている側面もあります。

 例えば『新世紀エヴァンゲリオン』なんかは、徹底して「主人公を成長させない物語」でしたもんね。普通あれだけのことをやっている主人公ならば、人間的に一皮も二皮も剥けて成長していきそうなのに、そのタイミングでことごとく主人公を叩き落す事件が起きてどんどん追い詰められていくという。
 『魔法少女まどか☆マギカ』も終盤まではそんなカンジでした。


 ちょっと毛色が変わりますけど、先ほど挙げた「俺TUEEEEE作品」だって一説によれば「若い世代は“努力は必ず報われる”みたいな物語に共感ができない」ことの裏返しで支持されているなんて話がありますよね。成長物語を観ても「人間って、そんなに都合よく変わったり出来ないでしょう」と引いてしまうから、むしろ最初から無敵の主人公の方が「強いやつは最初から強い」とリアルに感じられるという見方もあるのかなと。


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 この話は、どちらが優れているという話ではなくて……
 「キャラクターの成長を描く物語」には気持ちよさがある分だけ御都合主義的に思えてしまうところがあって、「キャラクターを成長させない物語」には気持ちよさはないけどリアリティがあって―――みたいなカンジで、どちらにも長所・短所があって、それぞれに違う需要があるってことだと思うんですけどね。

 それを認識すると、“自分の好み”を把握しやすくなるんじゃないかなと思いまして……
 例えば私、『エヴァ』とか『まどマギ』って「すっげー面白いし夢中になって観ていたけど、話としてはそんなに好みじゃない」という微妙な距離感だったのですが。これも、「わかりやすい成長」を求めているのに「主人公を無理矢理にでも成長させない」ことで気持ちよくなれなかったからと考えれば納得がいきます。すごくエロイのに抜けないエロビデオ、みたいな。

| アニメ雑記 | 18:00 | comments:13 | trackbacks:0 | TOP↑

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