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やまなしなひび-Diary SIDE-

変わらない価値のあるもの

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マリオを動かしているのは誰だ?俺が、俺が……マリオなのか?

 偶然なんですけど、この記事この記事とで連続して「一人称視点」「三人称視点」の話になったので、この機会に「ゲームにおける視点」についての話を書いておこうと思います。


 ゲームにおいて「一人称視点」「三人称視点」という言葉が出てきたとき、それが意味するのは「カメラの位置」です。

 「一人称視点」は、「カメラの位置」が「主人公の目」とイコールなゲームですね。
 『DOOM』や『Halo』といったFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)が代表例ですが、古くは『ウィザードリィ』や最近では『世界樹の迷宮』などの3DダンジョンRPGも「一人称視点のゲーム」と言えますし、『ポートピア連続殺人事件』や『ファミコン探偵倶楽部』などのテキストアドベンチャーも「一人称視点」なことが多く、そこから派生している恋愛アドベンチャーゲームなんかも「一人称視点」なことが多かったです。

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<画像はセガサターン版『慟哭 そして…』より引用>

 ゲームがドット絵からポリゴンになって、シームレスに動きまくれる3Dアクションゲームが出てくるのは大体90年代の中盤ですが、それ以前から「一人称視点のゲーム」は(特に非アクションゲームならば)たくさんあったんですね。主人公の目線とプレイヤーのカメラをイコールにすることで没入度を上げる手法は、コンピューターゲームの黎明期から続く手法なんです(例えば、最古のFPSは1973年の『Maze War』というゲームらしい)




 それに対する「三人称視点」は、「カメラの位置」がキャラクターとは関係のない場所にあるゲームです。
 『Splatoon』や『フォートナイト』のように「キャラクターの背後にカメラが回り込む」タイプのTPS(サードパーソン・シューティングゲーム)が分かりやすい例と言えますが、監視カメラのような位置から画面を映していた初代『バイオハザード』や、『スーパーマリオブラザーズ』のような横スクロールアクションや『ゼルダの伝説』のようなトップビューのアクションアドベンチャーも「三人称視点」と言えば「三人称視点」なんですよね。

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<画像はプレイステーション版『バイオ・ハザード ディレクターズカット』より引用>


 マリオシリーズは3Dアクションになった以降も「三人称視点」ではあるんですが、初めて3Dになった『スーパーマリオ64』のオープニングで「ジュゲムがカメラを持って飛び回る」姿を描いて、今までは固定されていたカメラが今回から動き回るんだとプレイヤーに教えて始まるという。「三人称視点」のカメラワークにちゃんと理由を付けている稀有な例だと言えるのですが、「ジュゲムって敵じゃないの?」とは当時から私納得がいっていません(笑)。

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<画像はWii Uバーチャルコンソール版『スーパーマリオ64』より引用>



 「一人称視点」か「三人称視点」かの話で語っておかなくちゃいけないのは『ドラゴンクエスト』の話です。『ドラゴンクエストソード』の記事では「ドラクエは元々一人称視点のゲームだった」と書きましたが、それは半分ウソで、『ドラゴンクエスト』は元々「戦闘は一人称視点」だけど「移動は三人称視点」のゲームなんですね。

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<画像はWii版『ドラゴンクエスト』より引用>

 これは、戦闘部分は「一人称視点」の3DダンジョンRPG『ウィザードリィ』を、移動部分は「三人称視点」のターン制RPG『ウルティマ』を参考にしているからだと言われていますが、『ウルティマ』もダンジョンは3Dらしいんですね。
 そのせいか『ドラクエ』以前の日本産RPGにも「一人称視点」と「三人称視点」を融合させたものも結構あって、光栄の『ダンジョン』とか、『夢幻の心臓』とか……流石にこれらの作品は私やったことがないんで、どういう狙いでそうしたのかは分からないんですが、この時期のスタンダードな方式だったと言うことが出来るのかなとは思います。



 「一人称視点のゲーム」と「三人称視点のゲーム」を比較すると、「三人称視点のゲーム」の方が“カメラがキャラクターに縛られない”ために自由なアクションが出来るかなぁと思います。
 もし『Splatoon』が「一人称視点のゲーム」だったなら、イカになってインクの中に潜伏した途端に何も見えなくなってしまいます(笑)。もし『マリオ』や『ゼルダ』が「一人称視点のゲーム」だったなら、スピンジャンプや回転斬りをするたびに画面が高速でグルグル回るので3D酔いが半端なかったでしょう。

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<写真はWii Uソフト『Splatoon』より引用>


 なので、「一人称視点のゲーム」は『マインクラフト』とか『Portal』みたいに「主人公が多彩なアクションをする」のではなく「フィールドの方に様々な働きかけが出来る」ゲームの方が向いていると言えますし、『フィンチ家』とか『Firewatch』のような最近流行のウォーキングシミュレータのようにアクション要素があまり強くないゲーム(注2)や、コマンドバトルRPGやテキストアドベンチャーなんかに向いているのかなぁと思います。

(注2:いや、『フィンチ家』はある意味では「多彩なアクションをするゲーム」か……?おかげでむっちゃ3D酔いするので自分はクリア出来なかったのだけど)




 というのが、お行儀よく「一人称視点」「三人称視点」について語った話です。
 ここからは私らしく、ぶっ飛んだ話をしていきます。

 そもそも、ゲームというのは「プレイヤーがキャラクターを操作する」以上、すべてのゲームが「一人称のゲーム」と言えるんじゃないかとも思うのです。カメラの位置に関係なく。

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<画像はNintendo Switch Online版『スーパーマリオブラザーズ2』より引用>

 例えば、『スーパーマリオ』でマリオをジャンプさせている時(この画像はルイージだけど)、私達は超能力のようなものでマリオ(ルイージだけど)をコントロールして彼の体を操っているとは思っていませんよね。私の指とマリオ(ルイージだけど)が一体になって、俺が、俺こそがマリオ(ルイージだけど)なんだ!と思ってプレイしているんじゃないでしょうか。



 これは、『スーパーマリオ』のマリオだろうが、『ゼルダの伝説』のリンクだろうが、『星のカービィ』のカービィだろうが一緒です。私が操作している以上、私は「私が操作しているキャラクター」になりきっていると思うのです。
 女の子が主人公のゲームを遊んでいる時は私は女の子になるし、『ファイナルファンタジーVI』みたいに「プレイヤーキャラが次々と切り替わるゲーム」はその度に「俺がティナだ!」「俺がロックだ!」「俺がマッシュだ!」となりきるキャラクターが切り替わります。

 野球ゲームを遊ぶときは打順によって「俺が秋山だ!」「俺が清原だ!」「俺がデストラーデだ!」となりきっているし、守備時は「俺が渡辺久信だ!」と投げた後、例えば4-6-3のダブルプレイとかだと「俺が辻だ!」と思った後「俺はボールだ!」とボールになりきって飛んでいるように思います。

 この辺りから段々「やまなしさん、何言ってんの……?」と思われてそう(笑)。



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<画像はSteam版『プリンセスメーカー リファイン』より引用>

 『プリンセスメーカー』とか、『たまごっち』とか、『nintendogs』みたいな育成シミュレーションは、「俺が娘だ!」「俺がおやじっちだ!」「俺が犬だ!」と思うのではなく、育てる側と一体になるので「俺がお父さんだ!」「俺が飼い主だ!」「俺がお父さんだ!」となりきります。

 同様に『シムシティ』とか『A列車』みたいなミニスケープ型のシミュレーションゲームも、「俺がビルだ!」とか「俺が線路だ!」なんて思わず、「俺が市長だ!」「俺が社長だ!」となりきってプレイしています。
 『信長の野望』のような歴史シミュレーションも、一人一人の武将ではなく、それを指揮する立場になりきって「俺が信長だ!」と遊びますし。『ファイアーエムブレム』のようなSRPGや、リアルタイムストラテジーやタワーディフェンスなどのゲームも、全体を指示して動かす立場になりきってプレイします。「俺がマルスだ!1人10体くらい倒せ!」

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<画像はWiiバーチャルコンソール版『デア ラングリッサー』より引用>

 これは『ドラクエ』とか、私はプレイしたことがないですけど『ポケモン』とかもそうで、『ドラクエ』や『ポケモン』のようなコマンドバトルRPGは「たくさんのキャラを操作している」のではなく「主人公が仲間に指示を出している」という形なんですよね。なので、4作目以降の『ドラクエ』は仲間が勝手に動くようになったのに、主人公だけはオート戦闘に出来ないという。



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<画像は『アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージ』より引用>

 ソーシャルゲーム……というか、キャラをガチャで集めてチームを編成して育てていく基本無料ゲームもこの延長線上にあるので、例えば『デレステ』でリズムゲームを遊んでいても「俺が橘ありすだ!」となるのではなく、プレイヤーはあくまで彼女らのプロデューサーで彼女らに指示を出しているという形なんですよね。


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<画像は『BanG Dream!ガールズバンドパーティ!』より引用>

 これが『バンドリ』になると、プレイヤーは「ライブハウスの新人スタッフ」というポジションで、(プレイヤーがその場にいない)彼女達に起こった出来事を後日「こんなことがあったんですよ~」とノロケ話のように聞かされているという。
 百合ゲーとして捉えるなら、「私は彼女達を眺めるだけの壁になりたい」みたいな意味での「俺は壁だ!」ということなのか。


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<ファミリーコンピュータ Nintendo Switch Online版『ドクターマリオ』より引用>

 落ちものパズルゲームはどうなのかというと、『ドクターマリオ』は分かりやすいですよね。「俺がマリオだ!」と思ってカプセルをぶん投げる。ぶん投げた後のカプセルを自由に動かせたり、ぶん投げるカプセルを選べなかったりするのはどういうことだと思わなくもないですが、落ちものパズルゲームも「全体を指揮する立場」になるゲームだと思います。

 『ぷよぷよ』も一匹一匹のぷよ(スライム)になるんじゃなくて、「ばよえーん!」とか叫んでいるアルルのポジションがプレイヤーですもんね。「俺がアルルだ!」
 『テトリス』は分からん。アレって誰がなんのためにブロックを積み上げて消しているの……?ゲームボーイ版でロケットが打ちあがるということは、「ブロックを揃えることで何かの部品が完成してやがて大きな製品が出来上がる」みたいな意味なのかな。とすると、プレイヤーはそれを維持する為政者とも考えられて「俺が共産主義だ!」ってこと????


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<画像は『どうぶつの森+』収録の『ピンボール』より引用>

 「俺は一体、誰なんだ……?」と謎なのは、「ピンボール系のゲーム」です。
 いや、ファミコンの『ピンボール』のようなゲームなら、「俺はピンボール台の前に立っているプレイヤーだ!」と思うことが出来るのですが……謎なのは、そこから派生した「アクションゲームにピンボールを足したようなゲーム」達です。

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<画像はSteam版『SEGA Mega Drive and Genesis Classics』収録の『Sonic Spinball』より引用>
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<画像はNintendo Switch版『Yoku's Island Express』より引用>

 『ソニックスピンボール』や『Yoku's Island Express』は、2Dアクションゲームのように主人公キャラを動かしつつ、フィールド中に多数存在するフリッパーもすべて私が動かします。「俺が!俺がソニックだ!」と思っていたら、「あれ?そのソニックを打ち上げるフリッパーも俺なの?」となってしまうという(笑)。




 とまぁ、一部まだ考察したりないジャンルはありますが、コンピューターゲームは基本的に「プレイヤーが特定のポジション・キャラクターになりきって操作する」ものだと思うんですね。「一人称視点」だろうが「三人称視点」だろうが、ゲームは大体「一人称」だろうと思うのです。

 しかし、そう考えると謎なのはむしろボードゲームとかカードゲームです。
 将棋やチェスは「指揮官になるゲーム」で、囲碁やオセロも「陣取り合戦の指揮官になるゲーム」だと思うんですが、麻雀はナニあれ。あれは一体何をしているの?一九字牌を全部集めたから「国士無双だ!」って、俺は一体何をしているの?

 トランプゲームはもっと謎で、ババ抜きとか大富豪(大貧民)は恐らくマスゲームの一種だと思うのですが……神経衰弱とかは俺はどの立場で何をやらされているのだろうか?ページワンから派生したUNOとかも、俺はどの立場で「手札を0にしたら勝ち」なのか。世の中に「早く失った方が嬉しいこと」なんてあるのだろうか。煩悩か?あれは煩悩を捨てているのか?


   

| ゲーム雑記 | 17:54 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

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