任天堂はソーシャルなゲームの会社である
公式サイトはこちら。
このソフトの存在自体は10月のニンテンドーダイレクトで配信予告がされていたので知っていたのですが、まぁこれが予想していた以上に楽しい楽しい楽しい楽しいのです。
このソフトを一言で言ってしまえば「3DSのフレンドリストに登録した人へ、日記や写真や音声メッセージが送れる」だけのソフトなんです。まんまSNSの日記サービスで、mixiのフレンドだけに公開している日記とか、全員鍵つき状態のTwitterとそんなに差はないんです。だから、「別に今更すごいことでもないよなー」くらいの温度で期待していたのですが。
未プレイの人は公式サイトの動画を見てもらえば一目瞭然なんですけど……
描いた軌跡が一筆・一筆順番に表示されるんです。
これがすごい。描いているMiiがせっせと描いている姿も表示されるので、まるで本当にその場でMiiが描いているような感覚を味わえるという。これが凄く楽しいんです。完成した画像が送られてくるだけだったらこんなに面白くないと思いますもん。
また、細かいことですけど「後で消した線は表示されない」仕様なので、後で消したアタリ線や迷い線なんかは最初からなかったように描かれるので―――自分で描いた絵なのに、すげー自分が絵が上手い人みたいに思えるという。「これ一発で描いたのかよ!」みたいな。
さて、本題。
こんな風に任天堂が「思いっきりSNS」なソフトを出しても、「任天堂がソーシャルゲームに参入した!」みたいには言われないんですよね。
特にゲーム関連のニュースを専門としていない一般マスコミは「任天堂はいつになったらソーシャルゲームに参入するんだ」「このままじゃ時代に取り残されてしまうぞ」と書き続けています。
それに対して、任天堂の岩田社長は色んな場で「任天堂は昔っからソーシャルなゲームを作ってきましたよ」と反論しているのですが(例えばここのA6)、相も変わらず「旧来のゲームvs全く新しいソーシャルゲーム」という二項対立にされてしまうんですよね。
ファミコンは最初からコントローラを2つ標準装備にしていて、「二人プレイ」が出来るゲームが数多く登場しました。また、当時は一つの家に子ども達が集まって順番に『スーパーマリオブラザーズ』をプレイする、みたいな風景が日常でした。
ニンテンドー64ではコントローラポートを4つ搭載して「四人対戦」が出来るゲームが数多く登場しましたし、その延長でWiiでは「家族みんなで遊べるゲーム」が大ヒット連発したというのも記憶に新しいです。
「同時にゲームを遊ぶ」ことだけでなく、『スーパーマリオブラザーズ』のワープ土管や『ゼルダの伝説』の隠し部屋の情報をみんなで交換したりという遊びは、近年の『どうぶつの森』や『トモダチコレクション』のヒットに繋がっていますし。
『脳トレ』が「親戚が集まったお盆の時期に話題になった」ことを受けて、「親戚が集まるであろう正月の時期」に向けて『もっと脳トレ』を急ピッチで開発したなんてのもありましたし。今やっている「あつまればWii」のTVCMなんかもそれを意識していますよね。
もちろんこれは任天堂だけの話ではありません。
『ドルアーガの塔』の情報を交換したり、『ドラゴンクエスト』について教室で話し合ったり、『ストリートファイターII』を知らない人と対戦したり、今で言えば『モンスターハンター』をみんなで集まって遊んだり。ゲームというのは常に「他人と共有される」「ソーシャル」なものだったワケで。
「任天堂はいつソーシャルゲームに参入するんですか?」と言われても、
とっくの昔からこちとら作ってんだよ!!という気分なんだろうなと。
ということでね……
ソーシャルゲームって「ソーシャルなゲーム」のことじゃないんですよね。
言葉の定義論がそもそもズレているんです。
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「ソーシャルゲーム」をWikipediaで調べてみました。
ここに書かれている特長をピックアップしていきますと……
・専用のソフトウェアが要らない
→ パソコンや携帯電話・スマートフォンだけで遊べる
・SNSが運営している場所での提供
→ SNSが持っているコミュニケーション機能を活かしたゲームになっている
・多くのソフトは基本無料+アイテム課金という料金形態
ふむ。こんなところでしょうか。
一番根っこにあるのは恐らく「SNSが運営している場所」ってところじゃないかと思います。
SNSが運営しているゲームだから、コミュニケーション機能を活かす必要があるし、コミュニケーション機能を活かすためには多くの人に触れて欲しいから「基本無料」「パソコンや携帯電話だけで遊べる」ようにしているので―――「基本無料」「パソコンや携帯電話だけで遊べる」という特徴は、結果であって根本じゃないんですね。
つまり、「任天堂はいつになったらソーシャルゲームに参入するんですか?」という質問は―――
「ソーシャルなゲームは出さないんですか?」とか「SNSの仕組みのようなものを取り入れないんですか?」とか「基本無料のソフトは出さないんですか?」ということではなく、
「任天堂はいつになったら(GREEやモバゲーのように)“ゲーム機”を使わないソフトを出すんですか?」とか、「任天堂はいつになったらGREEやモバゲーにソフトを提供するんですか?」みたいな意味なんですよね。
「GREEやモバゲーのようになる」のか「GREEやモバゲーと組む」のどっちか。
これはゲームファンからすると「今度発売するニンテンドー64という新型ゲーム機でプレステのソフトは遊べるんですか?」並のアホな質問のように思えるのですが、ゲームに興味のないマスコミからすると「どうしてゲームソフトを遊ぶためにゲーム機なんて買わせるんだよ」「そんなのもう時代遅れだろ」ということなのかなと。
それはつまり「任天堂はソフト作るのがすげーんだからハード(ゲーム機)からは撤退したら?」と言い換えてもイイのかも知れません。
確かに、冷静に考えると「なんでか」って説明できないですもんね……
10年後・20年後まで「ゲーム機」を売るビジネスモデルが続いているかどうかは、正直分かりません。これはプレイステーションもXboxも同様。『マリオ』も『アンチャーテッド』も『Halo』も手持ちの携帯電話で全部遊べれば、消費者としてはそれに越したことがないのかも。
そう考えるとマスコミが「任天堂はいつになったらソーシャルゲームに参入するんですか?」としつこく訊いてくる意味も分かりますし、10年後・20年後にはそうなっている可能性も十分にあると思います。
でも、そういう意味なら「言葉」が悪いですよね。
岩田社長が「任天堂は昔からソーシャルなゲームを作ってきましたよ!」と反論しているように、質問の本来の意図は全然伝わっていないような。「ソーシャルゲーム」って言葉は、言葉の持つイメージと、本来持っている意味が離れてきちゃっているんじゃないかって思うでげすよ。
○ とりあえず現状は
自分はゲーム機所有者なので「ゲームはなるべくゲーム機で遊びたい」と思っていて、なのでソーシャルゲーム自体には興味がないんですけど……今回の『いつの間に交換日記』のように、SNSの影響を受けて出来たソフトもあるワケで、頭ごなしに全否定するもんでもないと思うんです。
『いつの間に交換日記』って、既存のSNSを凄くよく研究していると思いますもん。
このソフト、見た日記に「感想」をくっつけられるんですが……
「1つの日記に1回しか感想を付けられない」し「自分の日記には感想を付けられない(=感想に返信が出来ない)」ようになっているんです。これによって、「返信には返信を返さなければならない」みたいな義務感が出ないという。
あと、その「感想」も共通のフレンドだけに届くとか―――
送るフレンドを個別に選べるとか―――よく出来ているなぁと思います。
まぁ、「もらった日記を整理できない」という欠点だけはアップデートで直して欲しいですけどね。
3000件の日記が横一列に並ぶのとか、想像しただけでゾッとするわ。
こういうソフトが出てきたのも「ソーシャルゲームという脅威」があったからだとすれば、ソーシャルゲームをやらない自分にとってもありがたいことですし、それぞれに切磋琢磨していってくれたら一ユーザーとしては嬉しいなと思います。
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