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「いじめ」と「笑い」について

 先々週の『探検バクモン』(@NHK総合)はスペシャル放送で「いじめ」についての回でした。
 この番組で太田さんが語ったことが、以前ウチのブログで「いじめ」について書いたことの延長線にあることだと思いましたし、その更に先には「いじめ」を減らすことの出来る一つの答えがあるんじゃないかと感じたので今日はこの話を書きます。

(関連記事:いじめは「善悪の価値観」が狂うことで生まれるんだと思う


 放送を観ていない人は、番組HPの「探検記録」のページに放送後記的なものが書かれているので、そこでなんとなくの雰囲気だけでも感じてもらえればと思います。


 まず、この番組は二部構成で。
 一つは「過去にいじめ被害にあった子ども達が集まる学校」を爆笑問題が訪れるパートと、もう一つは「いじめ被害にあったことのある芸能人や若者、いじめについて調査をしている教育評論家などで討論をする」パートの二つで構成されていました。

 なので、自然と「いじめ被害者に寄り添った番組内容」になるんですよね。
 もちろんそれは悪いことではありません。
 今現実に「いじめ」に合っている人や、「いじめ」に合うかも知れない人に、「いじめに合ったとしてもこういう道があるんだよ」とか「いじめに合っていた人もこうやって克服してこんな立派になったんだよ」と見せる意味は物凄く大きいと思います。

 「いじめに合っている自分はもう死ぬしかないんじゃないか」と思っている人に希望の光を見せるためにも、そういう番組にするのは当然ですし、正しい形だと思います。




 それは大前提で。
 でも、いじめ被害者に寄り添うだけなら「いじめによる自殺」は減らせるかも知れませんが「いじめ」自体は減らせません。だって、「いじめ」って「いじめ被害者」に原因があって起こるワケじゃないですから。「いじめ被害者」の視点だけでは「いじめ」は減らせないんです。

 自分がこの番組を観ていて「太田さんって本当に勇気があるなー」と思ったのは、この番組において太田さんは「いじめ加害者」の視点で語ろうとしていたんですね。自分がしてきたことや今現在していることは、ひょっとしたら「いじめ」なんじゃないか―――と。

 「いじめ」について番組を作るとなると「いじめ被害者」に寄り添う番組になるのは当然ですし、「いじめって本当ヒドイよね」「いじめをするヤツなんて信じられない」という話になるのは当然だと思います。
 だからこそ、そこで敢えて「いじめ加害者は何故いじめをしてしまうのか」を語るのは勇気のある行動だと思うのです。下手すると「加害者の肩を持つのかよ!」と言われかねませんからね。



 自分も「いじめ」問題の最大のポイントはそこだと思っていて……
 いじめ加害者の立場から「何故いじめをしてしまうのか」―――いや、もっと直接的な言葉を使うのなら「何故いじめは楽しいのか」を考えなければ、「いじめ」が生まれるメカニズムは分からないし、「いじめ」を減らせないと思うのです。



 「いじめはヒドイことだ」(被害者にとっては)だけでなく、「いじめは楽しい」(加害者にとっては)という前提で考えなければ、「いじめ」は減らせないと思うのです。加害者は「楽しい」からやっているのであって、「ヒドイ」からやっているワケではないのですから。


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 番組内で太田さんが仰っていたことが、番組公式HPにも載っていたので一部引用させていただきます。


<以下、引用>
太田「俺は笑いはいじめそのものだと思っているわけですよ。
 下手すれば俺のやっていることは人を殺すなと思うのね。
 だから、お笑い、テレビ番組はいじめとは違いますっていう論理は、うちの学校にいじめはありませんって言っているやつと同じことだと思うね。人を馬鹿にして笑ったことがない人っていますかっていう。」
</ここまで>

※ 改行・強調は引用者が行いました


 HPに載っていない発言の流れを補足しますと……
 太田さんはまぁ、とにかく相方の田中さんに対してボロクソに言うワケです。「チビだ」と体のことを貶し、「片玉だ」と病気になったことを貶し、「カミさんに逃げられたヤツ」と人間関係まで貶し。
 それは太田さんにとっては「お笑いの仕事」なんだけど、もし明くる日に田中さんが自殺してしまったら、太田さんはもう終わりなんです。自分が「笑い」のためにやっていたことで、人を殺してしまった―――と。



 「お笑い、テレビ番組はいじめとは違います」って理屈は、自分は“理屈としては”分からなくはないです。
 その人達は「仕事で」やっているじゃん、「お金もらって」やっているじゃん、「役割を演じている」だけでカメラが止まったらその役割から降りるじゃん。学校や職場で起こっている「いじめ」とは違うじゃん――という理屈は分かるんです。


 でも、笑っている時、そんなこと考えています?
 「この人はギャラのために今カミさんに逃げられたことをチクチク言われてるーアハハハー」なんて思って笑っています?私はそんなことイチイチ思ってません。ただ単に「楽しい」から笑っているだけです。「田中さんが馬鹿にされている」のが面白いから笑っているのです。
 この放送で田中さんのギャラが幾ら幾らで、今馬鹿にされている分のお金で猫達のエサ代が払われているんだ、なんて考えたら笑えません。「この人、よくよく考えたら超金持ちだった。俺の方がよっぽどダメ人間じゃん……」と思って首を吊りたくなってしまいます。




 そもそも、そうやって仕事で「いじられ」ていることをテレビに出ているお笑い芸人さんが本当に望んでいるのかなんて私は知りません。
 ビートたけしや明石屋さんまに憧れて、あんな風に俺もなりたいとお笑い芸人を目指して、でも実際にやっていることは「いじられ」系の仕事ばかり。こんなことばかりやっていたくないけどこれ以外に仕事はないし、年齢的にお笑い芸人を辞めて他の仕事に就くのも手遅れな年だし、仕方ないから今日もパンツ一丁で雪山の中を走って水かけられてゲラゲラ笑われる仕事をしています――――


 こんな芸人さんがいたら、学校や職場で「いじめ」から逃げられない人達と何が違うのか。
 「嫌なら辞めればイイじゃん」「そういう役割なだけでしょ」「お前がいじられてみんなが笑っているからそれでイイじゃん」。学校や職場で「いじめ」被害に合っている人も、同じようなことを言われているんじゃないですか。



 「いじめ」で笑うのも、「お笑いの“いじり”」で笑うのも、そんなに大差はない。
 そう考えれば「いじめ加害者は何故いじめをしてしまうのか」に突破口が開けると思いますし、そこから目を背けていたら「いじめ」を減らすことなんて出来ないと思うのですよ。


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 私は「いじられ役」とか「嫌われ者」になったことはありますが、幸福なことに「いじめ被害者」になったことはありません。少なくとも自分は自分の人生を振り返ってそう思います。
 だから、「いじめ被害者」の本当の苦しみを真には理解出来ていないと思うし、「キミの気持ち分かるよー」なんて軽々しくは言えません。私なんかが想像も出来ないような凄惨な経験をしている人も沢山いるでしょう。そういう人達に私が何が言えるのか、正直分からないんです。

 そして、
 ひょっとしたら自分は「いじめ加害者」になっていたんじゃないか――?と、ずっと考えてしまうんです。

 その場のノリでみんなを笑わせようとして、ちょっとしたヒドイことをしたり言ったりした回数は数え切れません。
 それで周囲は笑っていたし、本人も笑っていたけど、本人の心の底は私には分かりません。本当は傷つけてしまっていたかも知れない―――太田さんが仰る「下手すれば俺のやっていることは人を殺す」は誰にでも起こることだと思うのです。私にも、アナタにも。




 番組の中に登場した、いじめ被害に合っていた若者の一人に。
 アフリカ系アメリカ人の血が入っていて、見た目にも「黒人の血が入っている」と思わせられる若者がいました。彼が中学に上がって英語の科目が始まった時、教科書に載っているキャラクターの一人に黒人のボブというキャラクターがいたので、そこからずっと本名ではなく「ボブ」というあだ名で呼ばれるようになって辛かった、と。

 「それくらいなら俺もやっちゃいそうだ」と、正直思いました。
 変なあだ名を付けて本名を覚えていない友達とかいたし、もし仮に本人が傷ついていたとしても、今の今までその可能性すら考えたことがありませんでした。悪気なくそんなことをしてしまっていました。


 まぁ、この話は「あだ名」という焦点だけでなく、「人種」という重たいポイントがあると思いますが。自分には関係のない話だなんて思えなかったのですよ。



 誰だって「いじめ加害者」になれるし、
 ひょっとしたら既に「いじめ加害者」になっていたかも知れない―――




 もちろん私は「いじめている相手の家に押しかけて預金通帳を奪う」なんてことはしたことがないし、「飛び降りろと命令した」こともありません。
 昨今のいじめ問題で騒がれている「一番ヒドイ事例」とはスケールは全然違います。でも、根本にある「楽しいからやってた」感情は変わらないし、「何故いじめをしてしまうのか」を考える際にスケールの話は重要じゃないと思うのです。



 太田さんのコメントの後半部分を引用します。

<以下、引用>
 人がずっこけるのはおかしいんですよ。それと同時にやっぱりそこに共感があるんですよ。
 サディスティックな快感も、もちろんあるんだけれども、「ああ、分かる、この気持ち」っていう。共感もして笑ってるはずなんだよね。
 人が死ぬ原因になるものと、人が生きる糧になるものは、本当に同じ場所にあって、例えば幸福と不幸とかさ、憎しみと愛情とかってさ、本当に同じものじゃないですか。

</ここまで>
※ 改行・強調は引用者が行いました



 太田さんが田中さんをボロクソに言う。
 田中さんがそれに傷ついてしまっていたら「いじめ」なのかも知れないし、田中さんが本当は傷ついているかどうかなんて私には分からない。

 なのに、私は「ボロクソに言われている田中さん」に救われるんです。
 「自分もダメだけど、この人もダメな人だなー」とゲラゲラ笑って、「明日も生きよう」と思えるんです。田中さんごめんなさい。



 「いじめ」を肯定する気はありませんし、「いじめ加害者」を仕方ないと言う気もありません。
 しかし、「いじめ」が加害者にとって“救い”になっているのだと考えることで、「いじめ」を減らす道が出来るんじゃないかと思うのです。「いじめ加害者は生まれながらの極悪人で、悪いことをするのが大好きだからいじめをするんだ」と考えるよりも、よっぽど現実的な対策が取れると思うのです。


 「いじめ」と「笑い」が繋がっているのだとしたら―――
 「笑い」が「いじめ」を生むのだという考えだけでなく、「笑い」が「いじめ」の代わりに“救い”になってあげられる可能性だってありますよね。


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| ひび雑記 | 17:58 | comments:1 | trackbacks:1 | TOP↑

COMMENT

ずっと引っかかっていたことがスッキリしました

この記事を読んで、以前あるテレビ番組で芸能人たちが行っていたいじめについての議論を思い出しました。確か「なかよしテレビ」という番組だったと思うのですが、いじめの議論の中で「お笑いがいじめを助長しているのではないか」という指摘があったんです。そこで芸人の水道橋博士が「“いじめ”と“いじり”は違う。“いじめ”は人を殺す。“いじり”は人を生かす。」と発言していました。

私はお笑いが好きなので、水道橋博士の言いたいことは何となく理解できたつもりでした。しかし一方で、昔いじめを受けていた頃のことを思い出して、何かすごくモヤモヤする気持ちを感じました。ずっと引っかかっていたのですが、自分の中でうまく言葉にできず、心の中に残っていました。

このブログ記事を読み、同じ「笑い」が人を殺すこともあれば人を生かすこともある、という考え方に触れて、スッと腑に落ちました。モヤモヤをドンピシャで晴らしていただき、この記事にとても感謝しています。

お笑い芸人にも関わらず「お笑いはいじめそのもの」と言ってのける太田さんは本当に凄い。この勇気ある言葉選びのおかげで、逆に、お笑いが人を救う(“いじり”は人を生かす)面もあることを深く納得できました。

1500回記念の傑作選からもう一度読んでその時のことを思い出し、コメントさせていただきました。いつも楽しく読んでいます。これからも陰ながら応援しています。

| シーラカンス | 2013/01/14 19:14 | URL | ≫ EDIT















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