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昔の名作ゲームを今遊んでも100%の面白さを味わえるワケがない

 ちょっと前の記事ですが……

 昔のゲームって本当につまらなかったんだな現実ゲームさん


 この手の「昔のゲームを遊んだことがない人が、名作だと評判だから昔のゲームを遊んだら全然楽しめなかった」という話題は頻繁に出てきますし、自分もこの手のことを書いたことがあります。
 この手の議論でよく行き着く結論は「昔のゲームも今のゲームも、面白いものとそうでないものがあるだけ」とか「アクションゲームは今でも面白いけど、RPGとかSLGはUIがキッツイ」とか「名作は模倣されまくってブラッシュアップされるから原点を後から遊んでも薄味に感じちゃうんだよ」とか―――これらはどれも正しいと思うんですけど。

(関連記事:名作だからこそ薄れてしまう味



 2013年の今、自分がこの手の話で真っ先に思うのは―――

 昔のゲームを今遊んでも「その当時の面白さ」を100%味わえるワケがない、ということです。
 これは特に後世まで名前が知れ渡っているような“社会現象”クラスのゲームであればあるほどです。『スーパーマリオブラザーズ』は確かに今遊んでも面白いです。ゲームを全く知らない現代の子どもに与えても、「これ面白いね!」と言わせる普遍的な面白さがあるでしょう。しかし、1985年や1986年当時『スーパーマリオブラザーズ』を夢中になって遊んでいた人達と同じ面白さは絶対に味わえないんですよ。



 例えば、1984年のアーケードゲーム『ドルアーガの塔』。
 自分は流石に世代ではないので、後に本とかインターネットで「こんな風に遊ばれていたんだよ」というのを聞いただけで、都市伝説的な誇張も含まれているとは思うんですが……

 このゲームは60階の塔を昇る探索型アクションゲームで、各階には宝箱が用意されているのだけど、この宝箱は「出現条件がノーヒント」な上に「効果も分からない」という(今の感覚で言えば)鬼畜仕様。獲らなきゃ絶対にクリアできない宝箱もあれば、獲ると不利になるトラップのような宝箱もあったそうな。

 私の大好きな『不倒城』さんでも、2005年に『ドルアーガの塔』について語られていました。


<以下、引用>
 例えば45階には、「エクスカリバー」という重要アイテムがある。
 取らなくては何をどうがんばってもドルアーガには勝てない必須アイテムなのだが、これをとる方法は「最初から見えている宝箱は放置したままリザードマン、ハイパーナイト、ミラーナイト、ブラックナイト、ブルーナイトの順に敵を倒し、後から出た宝箱→始めからある宝箱の順にアイテムをとる」というすげえ手順だった。繰り返すが、このアイテム必須。ないとドルアーガにボコられる。


 分かるかボケ。

</ここまで>
※ 改行など一部引用者が手を加えました


 「そんなゲームでも当時の若者は夢中になって遊んだ」ではない――――
 「そんなゲームだからこそ当時の若者は夢中になって遊んだ」んです。


 自分一人の力では絶対に攻略不可能なゲームだからこそ、ゲームセンターに人々が集まって「攻略情報」が共有されていったそうです。当時のゲームセンターには「ドルアーガの塔を攻略するため共有のノートやメモ」が誰かの手によって用意されて、みんながそれに情報を書き込んで、みんなの力で一つのゲームをクリアしていったのです。

 そういうゲームなので、当然ゲームセンターごとに「進行度」や「攻略具合」が違ってくるので、「あっちのゲーセンはもう○階まで行ったらしいぞ!」と話題になり、偵察にやってきた人を「いつもいないヤツが来た!」と余所者には画面が見えないようにフォーメーションを組んでブロックしたそうな。

 最後のは「ホントかよ」って思いますけど……(笑)



 こういうゲームを、今バーチャルコンソールで一人「攻略サイト」を見ながらプレイしてクリアして、当時の熱狂と同じものを味わえるワケがないんです。「宝箱の出現条件さえ知ってれば簡単なゲーム」とか、攻略サイト見ながら言ってんじゃねえ!そこを「知る」ことこそがそのゲームの肝だろうがっ!!!!



 もちろんコレは『ドルアーガの塔』に限った話ではありません。
 『スペースインベーダー』(78年)の裏技も、『ゼビウス』(83年)の隠しキャラも、ゲームセンターや学校の教室で「みんなで共有されていた」んです。そうした情報交換自体がゲームだったんです。

 時代がファミコンになってからもそうです。
 『スーパーマリオブラザーズ』(85年)のワープ土管を何故みんなが知っていたのか?
 あのゲームを何の情報もなく一人で遊んでいたら、私はワープ土管にも1-1の1UPキノコにも気付けなかったことでしょう。
 みんなで遊んでみんなで情報を共有したものが、兄貴が兄貴の友達から聞いたものが兄貴の友達はその兄貴が聞いたものでその兄貴はその友達から聞いたもので―――とどんどん伝染していったのです。だから、『スーパーマリオブラザーズ』は社会現象を起こして、みんなが夢中になって遊んだんです。

 同じ宮本茂作品の『ゼルダの伝説』(86年)もそうです。
 「ミンナニナイショダヨ」は、当時の「ゲームの情報はみんなで共有するもの」を逆手に取ったネタだったのでしょう。宮本さん自身、「今では一人で遊ぶゲームの代表となってしまったゼルダですが、初代の頃はみんなで遊ぶゲームを目指して作ったんです」と仰っていましたものね。


 『スーパーマリオブラザーズ2』(86年)の無限ループの鬼っぷりも多分そう。
 『スーパーマリオブラザーズ3』(88年)の笛の隠し場所もそう。


 『ドラゴンクエスト』(86年)シリーズも初期は「自力でこんなもん見つかるかーーー!」ってクリア必須アイテムがありましたもんね。

 自力では分からないようなことだからこそ、当時は「みんなで情報を共有して」みんなで夢中になって遊んだんです。みんなで一丸となって遊ぶことが「ゲームの楽しさ」の中核を成していたんです。



 当然これは80年代に限った話じゃないです。
 『ストリートファイターII』(91年)が大ブームだった格闘ゲーム全盛期、知らない町の知らないゲームセンターに行って「知らない人と対戦する」のがドキドキだったんです。

 『ポケットモンスター』(96年)は言うまでもなく、1本のゲームソフトでは全種類のポケモンが揃わないことで、「友達と交換させる」ことを狙ったゲームでした。『ポケモン』作者の田尻さんはそれこそ『スペースインベーダー』や『ゼビウス』らの時代を青春時代で過ごした人ですし、「みんなで情報を共有する遊び」に影響を受けていたでしょうしね。


 現代でもそうです。
 『モンスターハンター』(04年)シリーズや『どうぶつの森』(01年)シリーズを、20年後か30年後に何の予備知識もない人が遺跡から3DSやPSPと一緒に発掘して遊んで「何コレ面白い!」と思ったとしても、「リアルタイムに経験してた俺達の方が絶対に楽しんでるもんね!」と思いますもん。

 だって、ゲームは「一人で遊ぶ」だけじゃない面白さがあるから。
 友達と一緒に遊ぶゲームはもちろん、Twitterでゲームの話題を共有したり、お気に入りのブログが楽しんでいるゲームを自分も遊びたくなったり、ニコニコ動画でニンテンドーダイレクト見ながら「○○の新作キターーーー!」とみんなで歓喜のコメントしたり、フラゲしているヤツに殺意を覚えたり。


 初めて『Wii Sports』を遊んだ時の衝撃と、「Wii買ったから遊びに来なよ!」と友達にメールを送ったあの瞬間とか。『脳トレ』のお試し版を家族にやらせて脳年齢に爆笑したとか―――その瞬間その瞬間でしか味わえない「みんなで共有するゲーム体験」を私たちは味わってきたワケです。

 それは、「一人」では味わえない「リアルタイムのお祭り」のようなものでした。
 「お祭り」を30年後に一人で再現して行っても、同じ面白さは味わえないですよね。





 「ゲームの面白さ」は未来永劫普遍的なもので、箱に包んで冷凍保存をしたものを20年後も30年後も同じように楽しめる―――なんて考えてしまうのは、「ゲームの面白さの本質」をちっとも理解していない浅薄で傲慢な考え方だと思います。


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 2011年に自分はこの記事でこんなことを書いていました。


<以下、セルフ引用>
 そして、もう一つ。
 「ゲームというのは今日遊んでも10年後遊んでも同じように面白い普遍的な娯楽だ」と思っているからです。ファミコンのゲームだってスーファミのゲームだって今でも面白いですし、Wiiウェアのランキング上位に『ボンバーマン』『テトリス』『Dr.マリオ』が入っているというのは20年前のゲームが今でも通用する証明だと思います。

 「昔のゲームは良かったけど最近のゲームはダメだ」って話じゃないですよ?
 最近発売したゲームだって、10年後・20年後に同じように楽しんでもらえるゲームは沢山あるって話です。

</ここまで>




 私も「浅薄」で「傲慢」なことを書いているじゃないか!!
 自分のことを棚にあげて、何を言ってるんだコイツは!




○ ゲームはいつから「一人で遊ぶもの」になっていたのか?
 先ほど自分は『ドラゴンクエスト』シリーズも初期の頃は「みんなで情報を共有する遊び」だったと書きました。しかし、少なくとも『ドラゴンクエスト5』(92年)の時点でそういう遊びは主流ではなく、教室で新作ゲームの話題をするとむしろ「ネタバレするんじゃねえよ!」と言われていました。

 ゲームに使える容量が増えて、ハードが進化して使える絵も音もグレードアップして、漢字も使えるようになって―――「みんなで情報を共有する遊び」の代表だったRPGは、より「ドラマチック」に、より「ストーリー重視」に、より「一人で遊ぶもの」に、より「ネタバレされたくない」方向に進んでいくことになしました。

 『ドラゴンクエスト3』の終盤のアレ。
 自分は「自分で体感する」前にネタバレして知ってしまいました。

 「もし知らないで遊べたら…すさまじい衝撃と感動を味わえただろう」と今でも思います。


(関連記事:オチだけ知っている名作を楽しめるか




 懺悔しましょう。
 私は前段で、ゲームには「みんなで情報を共有する遊び」があって、みんなで遊んだあの体験は20年後や30年後じゃ味わえないんだ―――と書きました。その際に、意図的に“あること”に触れないように書いたのです。

 当時から『ドルアーガの塔』を攻略本見ながら一人で遊んでいる人はいましたよね。
 『スペースインベーダー』や『ゼビウス』の時代からミニコミ誌としての攻略本は存在していて、それこそ田尻さんの「ゲームフリーク」は元々はそうした同人誌の名前ですもんね。

 『スーパーマリオブラザーズ』の頃には攻略本が何十万部も売れていたそうですし、『ドルアーガの塔』も「ゲームセンターで共有ゲームメモを見ながら遊んだ」のではなく「家のファミコンで攻略本を見ながら遊んだ」という人も多いでしょう。



 だって、みんながみんな「友達がいっぱいいる」ワケじゃないですもん。
 「ゲームセンターに集まれる」ワケじゃないですもん。当時は「不良の巣窟」みたいに言われていましたし、「ファミコンで『ドルアーガ』出たー!やっと俺でも遊べるー!」という子どもも多かったんじゃないかと思います。


 みんながみんな「みんなで情報を共有する遊び」を楽しめたワケじゃない―――
 そういう人にとって「攻略本」は救いの手だったんです。この議論はひょっとしたら今の有料DLCの議論に通じるものがあるかもです。「友達がいる人には必要のなかった“攻略情報”をわざわざお金を出して買う」と。




 これはどっちが卵でどっちが鶏かという話ではなく。
 同時並行で起こった2つの事象がその後のゲームの方向性を決めていった、と考えた方がしっくりきます。

・容量アップとゲーム機の性能の進化によって、より複雑なゲームが作られるようになった→ 重厚なストーリーを描くゲームが増えた→ そうしたゲームはネタバレが命取りになる→ 「ゲームは一人で遊ぶもの」と思われていく。

・攻略情報をみんなで共有するのが当たり前だった→ 共有できない人のために「攻略本」がビジネスとして定着した→ 攻略本ありきのゲームが増えてきた→ 攻略本がなくても遊べるように“ゲーム内にヒントがある”方向性に進む→ 「ゲームは一人で遊ぶもの」と思われていく。

(関連記事:自由度を捨てて、『ドラクエ』や『ゼルダ』が得た“遊びやすさ”


 「ゲームというのは今日遊んでも10年後遊んでも同じように面白い普遍的な娯楽だ」とか書いていた自分や、この記事の話題の元となった「昔のゲームって本当につまらなかったんだな」の1さんのような人は、恐らく「ゲーム=一人で遊ぶもの」というこの頃の発想でゲームを捉えていたのでしょう。

 それは確かにそういう側面もゲームにもあると思います。
 しかし、それは一つの側面でしかありません。





 もちろん「みんなで情報を共有する遊び」が完全に途絶えたワケではありません。
 『ストII』だって『ポケモン』だって『ぶつ森』だって『モンハン』だって、それ以後に登場するワケですし。「社会現象を起こしたゲーム」って往々にして「友達や家族を巻き込む」要素があったのだと思います。


 それと、2000年代に入ってから「インターネット」が急激に普及します。
 『ファイナルファンタジー9』(00年)は攻略本ビジネスをやめて、雑誌などにも攻略情報を載せないようにして、公式サイト等に攻略情報を載せていました。自分も当時インターネットを始めたばかりの頃で、「ここ掘れチョコボ」の場所が分からず、「攻略情報」を探して色んなサイトを巡ったんでした。公式サイトよりも個人の人が作った攻略サイトの方が見やすくて重宝した記憶があります。

 『不倒城』さんが書かれていた『三国無双』の例もそうですし。
 今思えば、自分が酷評した『428』の「真のエンディング」にまつわる仕様もコレを狙っていたのかも知れませんね。


 かつて“ゲームセンター”や“教室”や“友達の家”で行われていた「みんなで情報を共有する遊び」を、“インターネットという新しい場所”を使ってまた体感して欲しい。


 もちろんMiiverseが狙っている一つの要素でもありますよね。
 『ニンテンドーランド』の裏技とかテクニックとかの情報はMiiverse上で交換されているので、攻略Wikiが全然情報が書き込まれていないという(笑)。





 80年代から90年代の境目くらいにRPGが「みんなで情報を共有する遊び」から「ストーリー重視になるからネタバレすんな」に変わっていったのとは逆で、最近は「ストーリー重視のゲーム」はなかなか厳しいことになっていると思います。
 インターネット上ではあっという間にネタバレ情報が広がりますし、プレイ動画の問題なんかもあります。ストーリー重視のゲームだと「1回遊べば十分」と中古に売られてしまう危険性も高いですし、なかなか企画が通らなくなっているのが現状だと思います。


 ということで……今世代(次世代?)のゲーム業界のキーワードは「みんなで情報を共有する遊び」になると思いますし、自分がMiiverseに期待しているのはこういう理由だったりします。「Miiverseを使ってみんなで何かを成し遂げる」ことが出来るかどうか、だと――――


 80年代にゲームセンターに通えていたような人達が『ドルアーガの塔』で体感できたような「みんなで情報を共有する遊び」を、Miiverseを使ってみんなに味わわせることが出来るのか―――そんなゲームが現れるかどうか、自分は注目をしています。


(関連記事:Wii Uの新機能「MiiVerse」でゲームはこんなに面白くなれる!
(関連記事:Miiverseを実装した任天堂の未来は


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| ゲーム雑記 | 17:56 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

いい記事だ!

ファミコン世代にも今の子供世代にも納得できる良い内容だったと思います。
スペランカーコレクションについて何か紹介記事を書こうとしていたけど、今回の考察を読んで、なんかもう、下手なことは書かなくていいかな、という気分にまでなってしまいました。

| 南里 | 2013/01/23 19:13 | URL | ≫ EDIT

情報の共有とは真逆ですが、ブレイブリーデフォルトはみんなで情報を隠してますね
最初のARムービーに仕込まれた布石からはじまり、FFに慣れたユーザーの思考を予想して通せんぼする感覚を味わってほしいわけですよ
一個のネタバレが全体のパズルの崩れてしまいますからみんな必死です

情報の共有と情報の隠蔽という行為は違えども、共感という意味では同質のものかと

| ああああ | 2013/01/23 20:45 | URL |

アーケードのドルアーガの塔が凄かったのは、まず何よりグラフィック、サウンド、世界観が当時飛び抜けて格好良かったからってのが大きいです。

謎解きを情報交換しあって楽しめたという人は勿論いますけど、かなり限られた層だったんじゃないかなと思ってます。

それでもあのナムコの、ゼビウス遠藤氏の最新作で、当時はまだ珍しい、本格的な中世ファンタジーの世界観。そしてゲーム開始時のイントロがめちゃくちゃ格好いい。

謎解きも当時のゲーセンには殆どなかった概念で、「反射神経の壁」「入力精度の壁」しかなかったところに謎解きによる「知識の壁」が導入され、それが初めての体験だったからこそ皆必死に攻略したという感覚です。
で、それが一部の人以外には面白くなかったからあまり定着しなかった、とw
今はもとより、当時も飽きられたあとは「世界観は魅力だけどゲームは理不尽だったよな」って言われるゲームでした。

| あわれ | 2013/01/24 06:27 | URL | ≫ EDIT















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