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アナタが楽しんでいるのは「フィクション」か「ドキュメンタリー」か

 ちょっと時期遅れの話題になってしまいますが……
 「アイドルは恋愛をしてはいけないのか」が話題になっている頃、自分は数年前にザ・インタビューズで訊かれた「声優さんの熱愛発覚についてどう思いますか?」という質問を思い出して、しばらく考え込んでいました。「どの角度から見ればしっくり来る話なのかな」と。


 んで、今現在の自分が「一番しっくり来る角度」は―――
 “ソレ”は「フィクション」なのか「ドキュメンタリー」なのかって角度だったのです。


 フィクションとは、「架空の創作物」です。
 「現実には起こっていないし、現実には存在しないキャラクター」を描くのがフィクションです。『ドラゴンボール』も『ガンダム』も『スーパーマリオブラザーズ』も全部フィクションで、現実にはドラゴンボールもガンダムもマリオも存在しないのです。


 ドキュメンタリーとは、「現実に基づいた創作物」です。
 ノンフィクションという分野の「映像作品」のことをドキュメンタリーと言うらしいので、「ドキュメンタリー風の漫画」とか「ドキュメンタリー風の小説」とは正確には言わないみたいですが、“観念”として伝わりやすいと思うのでこの記事では「ノンフィクション」という意味で「ドキュメンタリー」という言葉を使わせていただきます。

 「現実」って面白いんです。
 予定調和ではない、何が起こるか分からない、何十億人という登場人物全てにバックボーンがあって好き嫌いがあって物事を考えていて悩んで苦しんでいるし、私達の知らない世界でありながら“私達の世界と地続きで繋がっている世界”なんです―――面白くないワケがないんです。

 W杯やオリンピック等の「スポーツ中継」にどうしてみんなあんなに夢中になるのかというと、あれは「現実」だからです。勝つか負けるかガチで分からない、唐突に予想外なことが起こるし、勝者にも敗者にもドラマがあるし「この選手は昔から見ている」ということで感情移入も出来るし、実際にこの世界に存在して同じ空気を吸っている人が登場人物だからなんです。
 それは、言ってしまえば「ドキュメンタリー」な魅力なんです。


・現実に起こっている事象を記録して編集した映画は「ドキュメンタリー映画」。
・スポーツ選手に限らず、特定の人に密着取材してその人の人間性や生活を掘り下げるテレビ番組は「ドキュメンタリー」と言えるし。
・ラジオのパーソナリティが「昨日こんなことがあったんですよー」とエピソードトークを語るのも「ドキュメンタリー」とも言えるし。
・小説家が自分の人生をそのまま描いた“私小説”というジャンルは「ドキュメンタリー」とも言えるし。
・漫画も「現実に起こったこと」を描く旅行漫画とかは「ドキュメンタリー」とも言えるし、本編は「フィクション」だけどあとがきで作者の近況を描いたりするのも「ドキュメンタリー」とも言えるし。

 言っちゃえば、ブログとかTwittrとかだって「ドキュメンタリー」ですよね。作られたキャラクターではない、実在する人間が書いているという「ドキュメンタリー」性がそこにはあるのです。
 「ぼく!ヒンヌーの女性が好きです!だから、アナタがモテナイ理由はヒンヌーだからじゃなくて性格が悪いからだと思いますよ!」とか書いてヒンヌー女性から「死ね」と言われるのも、決して「作り物の世界」でなくて「現実に起こっている話」ですよね。

 あ……私、現実で「死ね」って言われてんだな……改めて考えると……うん。




 「フィクション」と「ドキュメンタリー」のどちらが面白いのか?
 これはもう「面白さのベクトルが違う」としか言いようがないです。
 「スポーツ漫画」と「スポーツ中継」のどちらが面白いか?と言われても、「比べられるもんじゃないよ」としか言いようがないのです。前者は作者が提供した「みんなが楽しめるエンターテイメント」になっているから、ある程度のカタルシスなどが保証されているけど。後者はホント何が起こるか分からないから、日本代表が0-5でボロ負けしたりする。


 あと、例えば「フィクション」を提供する業界自体を「ドキュメンタリー」として楽しむ―――みたいな享受をされているものもありますよね。

 昨日書いた話にも通じますけど、「ゲームを遊ぶこと」は「フィクション」だけど、「ゲーム業界の内部事情について話す」のは「ドキュメンタリー」―――みたいなね。
 ジャンプに連載されている漫画自体は「フィクション」として楽しんでいるけど、「この漫画は打ち切られるんじゃないか」とか「打ち切られないようにアンケートハガキを書こう!」とか「10週打ち切りになりそうな頃から応援していたこの漫画が看板漫画に!」みたいに「ドキュメンタリー」として楽しんでいる側面―――とかね。





 さっき書いた「ドキュメンタリー」の例も、それを伝える人の主観や演出が加わっていて、現実そのもではなくて「フィクションのようなエンターテイメント」になっていることも多いですよね。

・ドキュメンタリー映画は監督の「メッセージ」に合わせた編集になるし。
・テレビのドキュメンタリー番組は、意図した構成になるようにした結果「やらせだ」と言われることもあるし。
・ラジオのエピソードトークなんて、「面白おかしくなるように」加工された部分も多いだろうし。


 「現実は面白い」けど、「現実をそのまま伝えたからと言って面白いというワケではない」ので。
 万人が楽しめるように「ドキュメンタリー」だけど「フィクションのような分かりやすい面白さ」を取り入れたものはたくさんあるし―――逆に、『第9地区』みたいに「フィクション」だけど「ドキュメンタリーみたいな現実っぽさ」を演出したりするものもあって。



 「フィクション」と「ドキュメンタリー」の中間の、白でも黒でもないグレーな面白さというものがあるよね―――ということで、ここに行き着くのです。




 「アイドル」は「フィクション」なのか?「ドキュメンタリー」なのか?


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 「アイドル」というのは元々は「偶像」という意味です。
 本来の「神」ではなく、「神を模した像」を「神」として崇めることにより、幅広い人々に浸透していく代わりに「神ではなく像が崇められるようになってしまう」畏れがうんちゃらかんちゃら。


 アイドルってのは本来は「フィクション」なんですね。
 元々は現実に存在する若い男のコや若い女のコだけれど、キレイに着飾って、プロがメイクして、「売り出し方」に沿ったキャラクターで「キレイな側面」だけをカメラの前では見せて、「作られた自分」を商品にするのがアイドルなんです。

 自身の恋愛の話はしないとかもそうだけど、事務所の方針で「笑わないアイドル」というキャラクターになったり、「百合っぽい関係性」を匂わせたり―――多かれ少なかれ「フィクション」の要素を加えて“商品としての付加価値”を付けようとしているのが「アイドル」なんだと思うのです。




 横道として、声優さんの話。
 ちょっと具体的に誰ということは書きませんけど、昔、某女性声優さんか女性アーティストかの中間くらいの人のラジオを聴いていた時。最初の頃はエピソードトークの中に「お父さん以外の男性が一切出てこなかった」んですが、あるタイミングから「中学校の頃の彼氏が―――」みたいに過去の恋愛話をエピソードトークをするようになって驚いたことがあったんです。
 多分、その辺で事務所かレコード会社の路線変更があったんでしょうね。「アイドル」から「アーティスト」路線への変更というか。そして、ラジオのエピソードトークは「過去の恋愛話」を解禁した後の方が遥かに面白くなりました。

 ……あ、これを書くとひょっとしたら「あの人のことか?」と思われそうですが、多分その人じゃないです。その人ほど有名じゃない人で、「俺以外の誰がこのラジオを聴いてんのかな」みたいな人だったんで。




 閑話休題。
 アイドルの話に戻ります。女性アイドルの話。

 「フィクション」だったアイドルという存在の“解体”“再構築”が始まったのが1980年代だと言われています。自分はストライク世代ではないので聞きかじった話ですけど―――それこそ秋元さんが手がけた「おニャン子クラブ」や「なんてったってアイドル」は、今までは「フィクション」だったアイドルという存在を、私達と地続きの存在の「普通のコ」がやっていると見せつけたと言われていますね。

 その後、1990年代になると「歌手としてのアイドル」は冬の時代を迎え、「バラエティ番組に出るアイドル」や「グラビアで水着になるアイドル」、「ドラマで主演を張るアイドル」などなど多様化していき――――


 1990年代後半にテレビ番組『ASAYAN』出身のモーニング娘。が出てきます。「オーディションの段階から密着」「CDを5日間で5万枚売り切ることができたらメジャーデビュー」といったカンジに、普通のコがアイドルになっていく過程を「ドキュメンタリー」的に描いたんですね。


 この頃のテレビ番組を思い出してみると、猿岩石以降の『電波少年』とか『ガチンコ』とか、無名の人が番組を通して成長&スターになっていく様子を「ドキュメンタリー」のように描く「リアリティ番組」が人気でしたもんね。

 そして、その頃にもあったことです。
 「ドキュメンタリー」だと思って観ていた視聴者が「台本があったんかい!」「飛行機乗ってたんかい!」と裏切られ、「これはバラエティ番組であってドキュメンタリーではありません」と番組側が公言した―――みたいな話。「フィクション」を「ドキュメンタリー」のように見せた結果、「本当はドキュメンタリーじゃなかったのかよ!!」と受け止められてしまった話。




 さて、AKB48の話です。
 「会いに行けるアイドル」というコンセプトのアイドル。

 つまり「俺達の世界と地続きのアイドル」なんですよね。
 劇場に行けば会える、CDを買って投票すればそのコの露出が増える、CDを買えば握手が出来る―――AKB商法という言葉で「お金儲け」の部分だけが取り上げられて批判されることも多いですけど、自分はこの「ファンが自分も参加しているんだと思える没入感」の作り方は素直に凄いと思っています。

 今書いてて思いましたけど、「プロスポーツの興行」に似てますよね。
 「スポーツの試合を観戦する」「アイドルのライブを観覧する」という受容する娯楽だけでなく、「そのチームを応援したい」「そのコを応援したい」という参加する娯楽になっているところとか。


 秋元さんがAKB48とモー娘を比較して「音楽のレベルはモー娘の方が高い」と言っているのを聴いたことがありますけど、それは別に「AKB48が劣っている」ということではなくて、二つのグループの方向性の違いを比べれば納得できる話ですよね。
 モー娘は「普通の子がアイドルになっていく過程を描く」のだから、最終的に出来上がる音楽というのは凄いものでなければならない。AKB48は「一人一人を応援したくなるように見せている」のだから、音楽のレベルでトップになる必要はないんでしょう(目指さなくては応援する人がいなくなっちゃうのだけど)。




 つまりは――――
 今のアイドルって「フィクション」でありながら、非常に「ドキュメンタリー」性が高いんですね。そう見せている。本当は現実とは違うかも知れないけど、現実を切り取って見せているように見せている。だから、応援したくなる。


 「恋愛禁止」は「フィクション」なのか?「ドキュメンタリー」なのか?
 「丸刈り坊主謝罪」は「フィクション」なのか?「ドキュメンタリー」なのか?


 受け手によって反応が様々なのは、アレらを「フィクション」として受け取っているのか「ドキュメンタリー」として受け取っているのかの違いなんだと思うのです。

 「恋愛禁止」を「フィクション」として受け取っていた人は、「まーまー。実際のところは恋愛してるよね」と笑い話にできる。「ドキュメンタリー」として受け取っていた人は、「裏切られた!この嘘つきめ!」と怒る。
 「丸刈り坊主謝罪」を(画面の向こう側で起こっている出来事として)「フィクション」として受け取った人は「上手いこと考えたなぁ……」と思える。「ドキュメンタリー」として受け取った人は「何もそこまでしなくても!!」と感情を揺さぶられる。





 ということで、初音ミク最強である。
 ってのは冗談ですけど(笑)。

 「AKB48のこれから」とか「AKB48の次の時代のアイドル」が、「ドキュメンタリー」性を強めるのか弱めるのかは凄く気になるところですし、この一件というのは今後どっちに振れてもその転換点となって「日本のアイドルの歴史の1ページ」に刻まれてしまう出来事だと思います。

 100%「フィクション」の初音ミクは、老けないし太らないし熱愛も発覚しません。
 二次元アイドルと戦う三次元アイドルは大変ですよね。

 三次元が二次元に勝てる最強最大の武器は「実在する」という「ドキュメンタリー」性だと思うんですが、そこを前面に出していけばアイドルではなくなってしまいます。
 自分は漫画描きなので、「フィクション」を如何にして「現実にある世界で起こっている出来事か」と見せるかに苦心するんですけど―――現実に生きている人達は現実に生きている人達で、どうやって「フィクション」になるのかってのが大変なんだなぁと。


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| ひび雑記 | 18:46 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

AKBをドキュメンタリー風アイドルと取っている人と、普通のアイドルと同じに取っている人がいるのでしょう。
わたしは後者です。
そういう人はわたしも含めて応援要素には興味がない。
お泊りとかも昔からある「アイドルの醜聞」と捉えています。
けっこう、そういう人は多いんじゃないでしょうか。
あ、わたしはAKBには好意的ですよ。
すいえんさーで科学実験をしてた姿で好印象を与えられたので。
彼女たちを例えるならスーパーで売ってる「手作り風クッキーとか煎餅」ですかね。

| 児斗玉文章 | 2013/02/17 07:58 | URL |















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