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『翠星のガルガンティア』で描かれている「命の構造」の違い

※ この記事はテレビアニメ『翠星のガルガンティア』第3話「無頼の女帝」までのネタバレと、テレビアニメ版『魔法少女まどか☆マギカ』全12話のネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。



 『翠星のガルガンティア』が面白い!
 このアニメは『魔法少女まどか☆マギカ』でアニメ脚本家としても高い注目を集めた虚淵玄さんがシリーズ構成を務めている作品ということで放送開始前から話題になっていましたが、それ故に『まどか☆マギカ』に通じるもの・『まどか☆マギカ』とは違うものが見えてきて、『まどか☆マギカ』とは何だったのかな―――と、放送終了から2年経った今に再び考えるきっかけにもなってくれました。



 『まどか☆マギカ』って「構造」の話だったと思うのです。
 「構造を理解しているキュゥべえ」と「構造を理解していない少女達」の間で。
 視聴者としては「構造を理解していない少女達」に近い視点で物語が始まるのですが、第2話の「正義の魔法少女が悪い魔女をやっつける」という一見すると勧善懲悪的な描写の中にも、ソウルジェムの件やほむらの存在など「なんだこの設定……?」と構造への違和感があって。

 “魔法少女が魔女になる”という「構造」を知った少女達は苦しみ追い詰められるのだけど、最終的には「構造を理解した上で」まどかは魔法少女になることを選び、「構造を変えて」「新たな構造を作る」側に回る―――という結末でした。



 自分は観ていなかったので聞いた話ですが、虚淵さんがストーリー原案を務めた『PSYCHO-PASS』も「社会構造」の話だったそうですし。これは虚淵さんの作風なのかなーと思いつつ、今日の本題の『翠星のガルガンティア』に入ります――――






 『翠星のガルガンティア』は、異なる二つの「社会構造」に生きてきた登場人物達が出会う物語です。
 「人類銀河同盟」で戦士だったレドと。
 「地球」に暮らすガルガンティアの面々。

 『まどか☆マギカ』は「構造を理解している者/理解していない者」のギャップでしたけど、『ガルガンティア』は「異なる構造で育った者」というギャップ。彼らは異なる「死生観」を持ち、「命」に対する認識も異なるのです。
 だから、第2話のこのシーン―――自分が凄く好きなシーンなんですが、


チェインバー「水棲生物の“死骸”である」
レド「死骸!?」

レド「……どうしろと?」
チェインバー「無害な食料と推測」
レド「まさか食えって言うんじゃ!?」
チェインバー「友愛の儀式と推測される」
レド「し、死骸だぞ!?」



 このシーンの直前にレドはウィダーインゼリーみたいな食料を取っていて、「このままでは食うものもなくなるからコールドスリープも考えろ」とチェインバーから提案をされていました。
 そこにエイミーがやってきて食料を施そうとするので視聴者は「良かったじゃん、レド!」と思った矢先に、レドは「し、死骸だぞ!?」と恐怖におののくという(笑)。


 このシーンは「文化的な違い」「科学技術的なレベルの違い」を表すだけでなくて、彼らが“命”をどう認識しているかという「死生観の違い」を表している見事なシーンだと思うのです。



 私達は――地球に暮らしている視聴者も、ガルガンティアに暮らす人々も――言ってしまえば「動物や植物の死骸」を加工して食べて生きています。肉や魚だけでなく、白米もパンも元々は生物です。“他者”の命を奪って食すことで私達は生きることが出来ているんです。逆に言えば、“他者の命”がなければ私達は生きていけないんです。

 レドはそれを“死骸”と呼んだ。
 人類銀河同盟での食事はみなゼリー状のものなのか、あれはパイロット食であって、植物の死骸ならOKなのかとかの設定は分かりませんが―――レドは、というか人類銀河同盟の人間は、“我々とは違う「死生観」で生きている”ことがあの短いやり取りの中に凝縮されているのです。




 『まどか☆マギカ』の経験から「これは終盤の重要な伏線になるに違いないぞ!」とワクテカしていたら、第2話~3話であっさり使われてしまいました(笑)。
 エイミーに仲間を助けてと頼まれたレドは、海賊を皆殺しにしてしまったことでますます孤立無援になってしまいます。レドの「死生観」では何も間違ったことではなかったのだけど、地球の「社会構造」の中ではルール違反な行為だった。



レド「敵の排除に理由が必要なのか?」
ベローズ「……!
 ……宇宙じゃどうだか知らないが、ここでは殺生は何よりも戒められている」
レド「生物を殺して食用とすることは、問題とされないのか?」
ベローズ「確かに私達は魚や鳥を殺して食っているさ。
 でも、それだって自分達が生きるのに必要な分だけだ。無駄な殺生はしちゃいない」



 『まどか☆マギカ』は「構造」を理解しないまま少女達が行動をしてしまい、悲劇へと突き進んでしまった―――それに比べると『ガルガンティア』は対話を続ける。お互いの「社会構造」をちゃんと話し合い、相手が何故そうするのかを理解しようとしている。

 もちろんここから先の展開がどうなるかは分かりませんけど。
 お互いの異なる「構造」を理解し合おうとするこういう描写は、すごく、好きです。





 また……人類銀河同盟が我々とは違う「死生観」で生きていることが分かるシーンが第1話にあります。

チェインバー「貴官は生存し、繁殖するに相応しい優秀な人類であることが証明された。
 栄誉であり、歓喜すべき成果である」



 レドの軍務時間が規定時間に達したため、「自由飲食」や「生殖の自由」が認められた際のチェインバーの台詞。宇宙では「命」は「全ての命が大事」ではないんです。生き残ることも、種を次世代に残すことも、「優秀な人間」でなければ許されないんです。


 そういう「命の構造」で生まれ育ったレドが、地球で何を想うのか――――
 これは生殖と繁殖シーンが描かれるに違いない!妊婦さんヒャッホイ!!




 ……というのはまぁ、置いといて。


 一つ一つのシーンは、SFアニメでよくある描写だと思います。
 兵士と一般人では命の考え方が違うから、「何故敵を殺してはならない?」とかさ。
 優秀な人材を生み出すために、優秀な人間だけに生殖が認められるとかさ。
 地球での食事に、宇宙育ちの人間が戸惑うとかさ。

 「違う文化圏で生きていた者同士が出会う」のはSFの定番ネタだと思います。


 しかし、『まどか☆マギカ』でありがちな「魔法少女アニメとは何か」を構造的に描こうとしたように、『ガルガンティア』ではありがちな「SFアニメとは何か」を構造的に描こうとしていて―――究極的には「命とは何か」まで踏み込んで描くつもりじゃないかなと思うのです。

 そう考えると、キャラクターデザイン原案がエロ漫画家の鳴子ハナハル先生なのも意味深な気がします!女性キャラクターがみんな肉感的でムチムチで男性の本能を直撃しようとしているのも、これは「命とは何か」を描くためなんですね!そうなんですね!エロスこそが生命の源!


 ……まぁ、私はヒンヌー派なんで、もうちょっとヒンヌー要員が多ければなぁと思っていますが。


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