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“親不在”の主人公 で描けるたくさんのもの

 最初に答えを書いてしまうと、
 「“頼れる親”がいると“絶体絶命感”が出ないよね」ということ。


 自分の尊敬する『不倒城』さんがこんな記事を書かれていました。

 漫画や小説における「日常との線引き」と「親がいないという設定」について

 「ライトノベルの主人公に親がいない設定ばっかなのは何で?」という話はTwitterでもよく目にしていました。
 で、よく見る結論としては「ライトノベルや深夜アニメが好きな中二病の年代は“親がいない世界”を望んでいる」とか「親がいたらハーレムアニメにならないじゃないか」とかが多くて、自分はあまりしっくり来ていませんでした。確かにそういう作品もあるけど、それは“ライトノベルや深夜アニメ”全体ではなくて、一部の作品の一部のシーンについてのみ語っているんじゃないか?と。

 と思っていたところなので、『不倒城』さんが“物語世界への没入感”という切り口で考えたのを読んだ時は「流石楽しいものを楽しむ天才だな」と膝を打ちました。




 ただまぁ、「凄いね!」で終わらせるのもアレなんで。
 端くれ中の端くれな“漫画描き”として、「“親不在”の主人公に設定するストーリー上のメリット」というものを考えてみようと思いました。
 特にこないだ発売した電子書籍『春夏秋冬オクテット』に収録されている8本の読みきり漫画は、“家族”が裏テーマになっているということもありますし。自分にとっても考えたことのない話でもないのです。300円です!みんな買ってね![露骨な宣伝]


 そもそもこれは“ライトノベルや深夜アニメ”に限った話ではないですよね。
 古今東西世界各国の物語に見られる現象なんじゃないかと思います。『スターウォーズ』のルーク・スカイウォーカーだって、言ってしまえば“両親不在の主人公”ですし(本当の両親は…というのはネタバレになるので書かないでおきます)。

 『ももたろう』だって“両親不在の主人公”ですよね。
 「いや、桃太郎はおじいさんとおばあさんが親代わりになっていたじゃないか」とも言えますが、「おじいさん・おばあさん」と「お父さん・お母さん」ではやっぱり違うんです。仮に桃を拾ったのが、老いた「おじいさん・おばあさん」ではなくて「室伏広治・吉田沙保里という夫婦」だったとしたら、

桃太郎「お父さん、お母さん。僕は鬼が島に行って鬼退治をしてこようと思います」
室伏「ならば、私も付いていこう」
吉田「私も行きましょう」


 と、室伏広治と吉田沙保里がガキと犬と猿と雉を引き連れて鬼退治に出かける物語になってしまって、「『ももたろう』ってタイトルの割には桃太郎の存在感薄いな!」「むしろタイトルを『むろふしよしだ』にするべきだ!」とAmazonレビューが大荒れになることでしょう。

(関連記事:『ももたろう』はどうして面白いのか


 もちろん今のは極端な例ですし、室伏さんと吉田さんは「今とっさに思いついた超強そうな男女二人」なので二人が密かに付き合っているとかそういう話は聞いたこともないのですが―――
 多かれ少なかれ子どもにとって“両親”というのは頼れる存在なので、“両親”のいる主人公だと「イザとなったら“両親”が助けてくれる」と思われてしまう可能性があるのです。
 「主人公に思われてしまう」というよりも、「読者に思われてしまう」。



 なので、少年漫画―――バトル漫画は特に“親不在”の作品が多いですよね。
 『ドラゴンボール』は、両親不明の拾われた子ども。
 『ダイの大冒険』も、両親不明の拾われた子ども。
 『幽遊白書』は、母親はいたけど父親とは別れて暮らしていた子ども(葬式にも来ない)。
 『ハンター×ハンター』は、父親を探す旅に出る子ども。

 もちろんストーリーが進むと後々に親が登場することも多いのですが、登場した頃には「もう頼れなくなっている」ケースが多いです。
 『ジョジョ』は第1部・第2部・第3部・第4部…とそれぞれ異なる“親”の配置になっているんですが、「頼りになっていた親が……」という使われ方が多いですね。

 逆にスポーツ漫画は今も昔も親が出てくる漫画が少なくないと思います。
 「よーし!息子がピンチだから俺に投げさせろ」って展開には出来ませんから(笑)。



 “ライトノベル→深夜アニメ”の例で、今が旬な『とある魔術の禁書目録』『とある科学の超電磁砲』という作品がありますが。あの作品は、登場人物全員が超能力開発のために親元を離れて学園都市で暮らしているという設定です。登場人物全員が“親不在”の世界。

 だから、当麻にしても美琴にしても、“親”に頼らず、自分で問題にぶつかって弾かれて苦しんで乗り越えていかなければなりません。アニメ版『超電磁砲』2期には、美琴が「小さい頃、私が泣くと眠っている間にママが全部解決してくれた…」と回想するシーンがあります。

 でも、もうママは助けてくれない――――
 彼ら・彼女らは自分の力で解決しようと戦い、“頼れる両親”はいなくて、だからこそ“絶体絶命感”が生まれるのです。





 もちろん、“親不在”の主人公で描けるストーリーは“バトル漫画の絶体絶命感”だけではありません。“頼れる両親”がいないことで、主人公達は「悩み」も「苦しみ」も自分の力だけで乗り越えなければなりません。

 例えば『たまこまーけっと』の終盤、主人公たまこが誰にも頼れずに夜の自分の部屋で一人ジタバタするシーンがあるんですが……あれは“母親がいない少女”だからこそのシーンなんですよね。母親がいたら、きっと自分の苦しみを全部吐露出来てしまったし、そもそもあの状況まで追い込まれなかったろうし。

 そういう意味では、『けいおん!』の唯憂姉妹と『たまこま』のたまあん姉妹は、同じスタッフのイチャイチャ姉妹だけど本質的にはかなり違うんですよね。“母親がいない姉妹”というのがちゃんと描かれている、だから『たまこまーけっと』はイチャイチャ姉妹好きにとって傑作なんですよ![布教活動]






 そろそろまとめます。
 “両親”がいないことで、主人公達には“頼れる存在”がいません。
 だから、バトル漫画ではより一層“絶体絶命感”が出るし、内面的な葛藤や成長も描けることが出来るのです。


 もちろんこれらを逆手に取る作品もあります。
 最初は“頼りになる親”を登場させるんだけど、途中で退場させることで「更により一層“絶体絶命感”を出す」とか。親は出てくるんだけど、「頼りにならない親」として描いたり、「親を頼りに出来ない状況」に追い込んだり。

 例えば、恋愛モノならば、両親の存在はむしろ“邪魔者”として使えますもんね。



 あとは、“頼りになる親”とは別に“頼りになる師匠ポジション”というのもいて、師匠が親代わりになるケースも多いです。『スターウォーズ』で言えばオビ=ワン・ケノービ、『ドラゴンボール』で言えば亀仙人、『ダイの大冒険』で言えばアバン先生、『幽遊白書』ならば幻海師範、『ハンター×ハンター』のビスケはちょっと違うかな……

 「何故、“親”ではなくて“師匠”なのか」というのも考えてみると面白い話。
 あと、「“師匠”はいつ物語から退場するのか」という作品ごとの違いも考察してみると面白そうです。



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| 漫画読み雑記 | 17:59 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

・・・なるほどぉ。
端的な指摘だけどかなり的を射てる気がします。素直に感心。
私も趣味で書いてる小説があって、それもやはり
親不在プラス師匠退場みたいな設定なんですが、
自分自身ではあまり考えなく作った設定でしたけど
考察に当てはめてみると得心する点がありますね。

| HILO | 2013/07/22 23:10 | URL | ≫ EDIT

優秀な師匠なら読者も、自分もあの人の下で修行したいと思うけど
親ならそうは思えないかな?

| ああああ | 2013/07/22 23:43 | URL |

僕はやっぱり色んな厄介事をスルー出来るというのが大きいと思いますね。
まあつまりそれは不倒城さんのいう日常側に引っ張り込むことだとも思うんですが、
そこらへんの描写でいらないページを喰わない(特に必要ないことに言及しなくていい)
というのもあるのかなーと。

| ああああ | 2013/07/23 01:14 | URL |

近年のアニメ漫画、ラノベにおける親不在はただのご都合主義でしかないので論ずるに値しない

『頼る者の不在』に関してはほとんどの物語において頼れる師匠や先輩系列のキャラクターが登場するので、頼る存在がいなくて云々というのは理論として成立しない

個人的には主人公の両親の存在をしっかり立てた上で語られる物語こそ一流であると考えている

| 名無しの壺さん | 2013/07/24 05:46 | URL |

ご都合主義的に両親が不在な作品もあることは承知のうえで、「そうでない作品もある」「こう読み解くと面白い」というポジティヴな姿勢に共感しました。

『たまこまーけっと』は、ほんとに「母の不在」が裏テーマでしたね。たまこは、母を亡くし、あたりまえに見える日常の儚さを認識していたからこそ、あんなにも商店街の維持=平穏な日常の維持に必死になっていたのだと思います。

「禁書目録」「超電磁砲」も、設定作りが上手いですよね。
両親の不在を、たんなる作劇上のご都合に終わらせない演出もそうですし、思春期に誰しもが自己承認がらみで悩む「才能の有無」や、その結果の「格差」なんかも、世界観の構造レベルで組み込んでいて。

この記事を読んで、両親の登場しない作品を「そのことは、作品にとってどうプラス(マイナス)に作用しているのか?」という観点で見るのも面白いなー、と思いました。楽しく読ませていただきました。

| TOP5レコーズ | 2013/07/24 09:14 | URL |

あと、大人のやることを子供のままでやってしまいたいというのもありますね。
中学生なのに結婚して子供まで作ってしまう「男一匹ガキ大将」が大ヒットした頃からの流れなんでしょうか。

| 児斗玉文章 | 2013/07/24 11:46 | URL |

現実社会の「親」、ひいては「親子関係」というものが今はどういうものなのか、ということもフィクション大きく影響していると思います。

| いいいい | 2013/07/24 14:48 | URL |















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