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我々は何が楽しくてゲームをするのか

 他の記事にもチラッと書いたのですが、父親の容態が芳しくなかったのでなかなかゲームをする気になりませんでした(これを書いている3月1日時点では回復傾向にあるのでひとまず安心しています。御心配してくださった方々、どうもありがとうございます)。
 ちょうど『ファイアーエムブレム 紋章の謎』のノーリセットプレイを再開していたところでしたが、とてもじゃないけどこういうゲームはする気になれないと再び放置していました。



 ゲームって「問題」をわざわざ抱え込むものだと思うんですよ。
 『スーパーマリオブラザーズ』や『ドラゴンクエスト』は、「お姫様がさらわれたので助けに行かなければならない」とか「世界を滅ぼそうとしている魔王を倒さなければならない」とか。
 『脳トレ』や『Wii Fit』は、「脳を鍛えなければならない」とか「下半身から鍛えなければならない」とか。
 『どうぶつの森』だって「バリバリ働いて借金を返せだなも」って言われるし、『パズドラ』に代表されるスマホの育成ゲームだって「強いパーティを作らなければいけない」ゲームですよね。『なめこ』ですら「図鑑をコンプリートしなくてはいけない」ゲームですよね。

 それは「目標」とも言えて、これがあるからゲームを楽しめるとも言えます。
 「自由に遊べるゲーム」も、「クエスト」とか「実績」的なシステムを導入して我々プレイヤーに「こう遊べばイイんだよ」と教えてくれますよね。それはゲーム側から我々に「問題」を与えてくれているとも言えるのです。

(関連記事:やりこみ要素があるから初心者でも安心して遊べるね!


 プライベートに「問題」を抱えている状況だと、ゲームをしてまでわざわざ「問題」を抱えたくないというのがここ数週間の正直な気持ちでした。
 時間的な都合や身体的な都合は大丈夫であっても、精神的につらかったのです。
 実の父親が生きるか死ぬかの瀬戸際にいる状況で、命中率18%のドラゴンの炎を喰らってオグマが死にそうだーとかでドキドキ出来ませんもの。オグマが死んだらその後の面の難易度が跳ね上がると思いますけど、そんなことより父親の容態の方が心配でしたもの。




 ですが、今現在……父親の容態が回復しつつある状況で、再び考えてみると……じゃあ、今までの私は何が楽しくてゲームをしてきたのかなと思うんですね。
 実の親の生死以上に大きな「問題」を抱えたことはないですけど、私だって人生において「オグマが死ぬかどうか」よりも大きな「問題」には何十回と直面してきました。でも、ゲームを続けていますし、ゲームに救われてきたことも何度もあります。

 恐らくみなさんの中には、「肉親を亡くす」とか「伴侶に裏切られる」とか「受験に失敗してしまう」とかの大きな「問題」を抱えたことがある人もいらっしゃると思いますし。その瞬間はともかく、そこからしばらく経ってゲームを遊んで救われたことがあるんじゃないかと思うのです。



 それこそが、ゲームという娯楽の「特性」で。
 それ故に、他の娯楽では代替できない「魅力」があるんじゃないかと思うのです。

 ゲームは我々に「問題」を与えるけれど、
 「問題」を乗り越えることによる「達成感」もゲームは我々に与えてくれる―――だからこそ我々はゲームを続けているんじゃないかと思うのです。


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 人生に「問題」は付きものです。
 そして、それらは“必ずしも乗り越えられるとは限らない”ものです。


 全ての人間はいつかは死ぬのですから、「実の親の死」はどこかのタイミングでやってきます。恋愛が“一人対一人”で行われる以上、どんなに頑張ったって「成就しない恋愛」もあります。みんなが努力をするのだから、定数のある受験では「受からない人」が出てしまうものですし。会心の記事を書いたところで、誰もRTしてくれなかったら「アクセス数が全然上がらない」ことだってあります。


 言ってしまえば、私達の人生は「負けること」に慣れていくのです。
 「問題」を抱え、そしてそれは乗り越えられるとも限らないから「達成感」も味わえない。




 ゲームに限った話ではありませんが、娯楽作品は敗北に満ちた我々に「何かを成し遂げる達成感」を与えてくれるもの―――と言うことも出来ます。
 アクション映画なら2時間の間に「テロリストをやっつけて世界を守る」という達成感を味わえますし、推理小説ならば1冊の間に「誰も分からなかった犯人を主人公が暴く」という達成感を味わえますし、恋愛ドラマならば1クールかけて「何やかんやあったけどまぁ良かったよね」という達成感が味わえますし(曖昧)……それこそオリンピックとかW杯などのスポーツイベントに夢中になるのは、「ずっと見てきた選手が金メダルを獲る」という達成感を味わいたいからだとも言えますものね。

 ゲームは、そこから更に一歩踏み込んで「それらを自らの手で体感する」のです。
 アクション映画の主人公も、推理小説の主人公も、恋愛ドラマの主人公も、オリンピック選手も、我々自身が操作して「問題」を乗り越えて「達成感」を味わえるのがゲームだと思うのです。だから、他の娯楽以上に大きな「達成感」がゲームでは味わえるし、



 逆に言うと……
 自分のプレイ次第では「達成感」を味わえない娯楽とも言えるんですね。
 映画や小説やドラマはボーッと観ているだけで主人公が何かを成し遂げてくれますし、スポーツ中継を観ていて我々に出来ることなんて「祈る」ことくらいしかないのですけど。
 ゲームは我々がちゃんと操作しなければ何も成し遂げずに終わってしまうものなのです。マリオはピーチ姫を救えず。世界は竜王に支配されて。脳はどんどん衰えて。下半身も衰えて。借金は返せず。強いパーティも組めず。図鑑も埋まらないで終わってしまうかも知れないのがゲームなのです。


 だから、自分はここしばらくゲームが出来なかったのです。
 ゲームが与えてくれる「問題を乗り越える達成感」よりも、ゲームが押し付けてくる「問題を抱えることの重み」に耐えられなくなってしまったのです。特に『ファイアーエムブレム 紋章の謎』というのは「一つの面に一時間前後かかる」「ちょっとの油断で容赦なく仲間が死ぬ」「死んだ仲間は(基本的に)生き返らず、戦力を失った状態で以後の面をクリアしなくてはならない」ゲームです。クリア出来ればそりゃ大きな達成感を得られますが、そこまでがもう大変極まりない。精神的に追い詰められていた自分が耐えられるものではありませんでした。



 今日の記事をわざわざ書いたのは……これは「私だけの話」ではないと思ったからなのです。自分が大好きなゲームを友人に薦めようとする時、我々はついそのゲームが与えてくれる「達成感」の方ばかり語りがちです。だって、そこが楽しいし、そこが好きだから友達にまで薦めようとしているのですからね。
 自分が上手くなる喜び、キャラクターが成長する楽しさ、感動的なストーリー……確かにそれらは素晴らしい「達成感」を与えてくれます。

 でも、薦められる側にとって大事なのは「抱える問題」の方だと思うのです。上手くなるまでにはどれだけの努力が必要か、キャラクターが成長するためにはどういうことを知っていなくてはならないのか、ストーリーで感動するまでには何時間かかるのか。それに耐えられるような時間的余裕・身体的な余裕・精神的な余裕があるのかこそが大事ではないかと思うのです。


 例えば、以前の記事で私は『ラビ×ラビ』シリーズを「自分が好きだから薦めたけど……」と書きました。
 あのシリーズなんかはまさに「“解法”が思いついた瞬間の俺って天才だ感」がキモチイイのですが、思いつかなかったら永遠に何も出来ないワケですよ。私は「達成感」の部分ばかりを絶賛していたのだけど、本当に重要なのは「与えられる問題の重み」の方だったのかもと。

(関連記事:「ゲームを進められない時間」が「俺って天才!」感を生む



 自分は今回『ファイアーエムブレム』が苦しくなっちゃいましたけど、任天堂のシリーズで言えば『ファイアーエムブレム』だけではなくて『マリオ』だって『ゼルダ』だってこのジレンマを抱えていて、近年のシリーズでは少しでも「与えられる問題の重み」を軽くしようと救済措置を入れていますもんね。


 「問題」と「達成感」のバランスの話は“救済措置”の話に合わせてこれまでにも何度か書いてきて、自分はずっと「問題を軽くしてしまえば達成感も薄れてしまうんだ」と思っていたんですけど……自分がその立場になると、「問題を軽くすること」の重要さも実感しました。

 今後もうちょっとこの視点で考えていこうかなーと思います。



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○ 余談
 この手の話をTwitterで呟いていたら、オススメされたゲームがありました。

 DSiウェア『おでかけタコりん』

 自分はまだ1時間もプレイしていないので「オススメ!」とは言いませんけど、なるほど確かに今の自分にはこういうゲームはありがたいです。このゲームって「問題」が与えられないんです。というか、何が目的かもよく分かりませんし(笑)。

 恐らく「タコりん」を色んな場所におでかけさせて拾ってきたアイテムを図鑑に入れてコンプリートするのが、長い目での目的だと思うので、それこそ『なめこ』とかに近いのかなと思うのですが。このゲームには“ミス”という概念がないので、気が向いた時に起動して「タコりん」がバシューンバシューンと飛んでいくのを眺めているのが心地よいです。
 「それは“ゲーム”なのか?」と言われるかも知れませんが、今の自分にはこれくらいがありがたいのです。




 あと、最近の自分の楽しみは3DSの『ニコニコ』です。
 動画自体は3DSでは全く観ていないんですけど(笑)。オススメ動画をセットして、その動画をオススメしている人全員の歩数が合計されて「東京駅からどこまで歩いたか」が出るのが面白くて、夜に起動して報告するのが楽しみになっています。

 私がオススメしている動画は私しかオススメしている人がいないので、純粋に私が歩いた歩数でどこまで歩いたのかのカウントになっているという。2月はプレミアム会員になっていなかったので、「1回の報告で歩ける限界の距離」であるプレミアム会員の壁に阻まれてなかなか東京から出られない出られない(笑)。

 でも、その「一人でせっせと歩いている」カンジが楽しいので、どの動画をオススメしているかはここに書きません!『みでし』関連の動画(not違法コピー)なので、4月になったらしれっと違う動画に変えていそうですし。


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| ゲーム雑記 | 17:43 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

目的も障害もない娯楽。
「散歩」がそれですよね。

| 児斗玉文章 | 2014/03/03 12:21 | URL |

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| | 2014/03/03 15:25 | |

震災の時に同じ事を感じました。
自分がまず元気にならないと、何も出来ないんだなって。読書や録画しておいた番組を観ることすら気が滅入りました。

入院してた時は3DSに随分助けてもらいましたよ。

私は昔から、そういった目標がないゲームを出来るだけ選んで来ました。アイテム集めとかクリアする目標より、自分がどう楽しむかを目標にしたいんです。

今なら、未だにWiiスポーツ初代をやってるんです。目的らしい目的もハードルが低いとこにあって、どう遊ぼうが自由。こういう自由度の高さって好きです。

| neko | 2014/03/04 07:42 | URL | ≫ EDIT















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