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「視聴者にもキャラクターにも何が起こっているか分からない」ストーリー

※ この記事はアニメ『グラスリップ』第10話「ジョナサン」までのネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。

 今季の自分はアニメをいつもより多い週6本観ていることもあって、観ているアニメがとても対照的なストーリーだなと興味深く観ています。今日の話はアニメに限った話ではないと思いますが、「視聴者に視聴を継続させるために興味を惹きつけ続ける」続き物のメディアだからこその話かも知れません。


 『アルドノア・ゼロ』は「視聴者だけが全てを知っている」アニメだということは以前に書きました
 黒幕が誰なのか、真実を知っているのは誰なのか―――視聴者は知っているけど、作中のキャラクターはそれを知りません。なので、「コイツとコイツは目的が同じで仲間になれるはずなのに、それを知らないからこうして戦ってしまって!」というもどかしい気持ちになるのです。

 これは『アルドノア・ゼロ』のような群像劇に限った話ではなく……例えば『野崎くん』にて佐倉さんを見てどうしてあんなにニヤニヤ出来るのかというと、佐倉さんが野崎くんに片想いをしていることを視聴者は知っている(野崎くんは気付いていない)からです。

 視聴者だけに神の視点でそれを知っているという“優越感”を与えるとともに―――「バレてしまうんじゃないか」というハラハラと、「早く気付いてくれ!」というドキドキで、視聴者の興味を惹きつけ続けるストーリーになっているんですね。



 対照的に、『残響のテロル』は「視聴者には何が起こっているか分からない」けど「特定のキャラクターだけが全てを知っている」というアニメです。主人公達がどこから来て、何のためにテロを起こすのか、視聴者には分からないまま話が進みます。
 主人公達は当然それを知っているのだけど、視聴者には分からないので、ストーリーの進行とともに少しずつその謎が解明されることで視聴者の興味を惹きつけ続けるのです。

 明確に「この作品はどっち」と分けられるワケではなくて、どの作品も「この部分はそっち」「この部分はあっち」と考えられるだけなのですが……
 例えば『魔法少女まどか☆マギカ』だったら、「ほむらちゃんだけが全てを知っている」のだけど「視聴者は何が何だか分からない」まま話が進み、ストーリーの進行とともにほむらちゃんの知っている真相を視聴者も知るという作品でした。
 『エヴァンゲリオン』なんかも、碇司令達が行っていることはメインキャラ達にも視聴者にもさっぱり分からないまま話が進むことで、視聴者がそれを考察したりするアニメでしたものね。この謎が明らかになるまでは観よう、と視聴を続けさせるストーリーと言えます。んで、あのテレビ版の最終話に「えええええええええええ!?」と愕然としたという(笑)。





 さて、『グラスリップ』です。
 『グラスリップ』は、このどちらのタイプのストーリーでもありませんでした。

 私は当初このアニメは、透子の見ているものが未来だと「視聴者だけは知っている」アニメなんだと思っていましたが……割と早い段階で「未来の欠片」だということを透子は知ることになります。
 なので、じゃあこのアニメは「沖倉くんだけがこの現象の秘密を知っている」アニメなのかなーと思って観ていました。言ってしまえば、沖倉くんがほむらちゃんポジションなのかなと。そしたら、沖倉くんもこの現象が何なのかはよく分かっておらず。挙句の果てには「今までは見ていたものが“未来”だと言ってきたけど、実は違うのかも知れない」とか言い出す始末です。

 視聴者としてはポカーンですよ。
 「一体これは何が起こっているんだ」と分からないまま観ていたら、沖倉くんも「何が起こっているのか俺にも分からない」と言い出して、「オマエも分かっていなかったんかい!」と思わずツッコミました。




 「視聴者だけが全てを知っているアニメ」でもなくて「特定のキャラクターだけが全てを知っているアニメ」でもなくても、みんなが慣れ親しんだ“型”があるので「安心して観ていられるアニメ」というのもあります。

 例えば、『ハナヤマタ』なんかはまさにその典型だと思います。
 『けいおん!』以後の青春部活アニメの“型”というか、映画『ウォーターボーイズ』系の“型”というか。主人公達が出会って、部を作って、メンバーを集めて、顧問の先生がいて、季節ごとのイベントをこなしつつ、仲間達の悩みを解決させながら、最終話のライブ等で練習の成果を発揮する――――

 『けいおん!』も『TARI TARI』も『ハナヤマタ』も“型”は一緒なので「この後どういう展開になっていくのか」という予想は出来るのだけど、中身がそれぞれ違っていて、そこで勝負をしている。そういうアニメでした。私は観ていなかったのだけど『ラブライブ』なんかもこの“型”の作品だったのかな?


 先ほど例にも出した『エヴァンゲリオン』なんかも、設定とか裏ストーリーとかは難解だったのですが、やっていることと言えば「使徒が攻めてきた」ので「エヴァでそれをやっつける」という『ウルトラマン』以後の王道ヒーローものの“型”なんですよね。それは『マジンガーZ』だって『ガンダム』だって『アルドノア・ゼロ』だってそうだし、『ジョジョ』3部だってそうだと思います。
 “型”が一緒だからみんな似たような作品になるかというとそんなことはなく、それぞれその“型”を活かして独自性を出して新境地を開拓している―――斬新さと難解さだけで『エヴァンゲリオン』はヒットしたのではなく、過去作品から受け継がれてきた“型”を上手く活かしたからこそ多くの人に受け入れられたアニメになったのだと思います。



 『グラスリップ』に話を戻します。
 「未来が見える主人公」と、「高校3年生の男女6人の仲間達」という設定を見た時―――私は「超能力を得た主人公がみんなを救っていくアニメ」の“型”をイメージしました。細田守監督の『時をかける少女』みたいなカンジで。だから、4話時点であんな記事を書いたのですが……

 まさかの「未来が見える主人公と言ったな……アレは嘘だ!という斜め上すぎる展開に、もはやこのアニメがどこに向かっているのかさっぱり分からない状況です。




 ただ……これ、ひょっとして「狙ってやっている」のかなぁとも思うのです。
 つまり、「視聴者には何が起こっているか分からない」「キャラクターも何が起こっているか分からない」「アニメの“型”にも当てはまらないからどこに話が進むのかも分からない」―――でも、高校3年生にとっての「未来」ってそういうものですよね。

 それを表現するためにやっているのだとしたら、まさに作り手の狙い通りに事が進んでいるのかも知れません。

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 私はアニメについて「このシーンにはこういう意味があって、この作品はこう見ると面白さが分かるんだよ」という解説記事を頻繁に書いているのですが、その度に「そんなの考えすぎだ。アニメなんてそんなに深く考えて作っているワケがない」と言われ、「ナニクソー!」と思ってきたのですが。

 実際、『境界の彼方』のオーディオコメンタリーで石立監督が「そう言えば、このアニメって食べているシーンが多いですね」と言っていて、ズッこけたこともあります。だから……オーディオコメンタリーは聴きたくないんだ……

(関連:生きるためには食べなくてはならない!『境界の彼方』の食事シーンを読み解く


 なので、この『グラスリップ』についての考察も「考えすぎ」なのかも知れません。
 特に放送中のアニメについての考察は、その後の展開で「全然ちがうじゃん!」となって大火傷を負いかねないのですが……放送が終わってから書いても「今更観られないし……」「観返す時間なんてないし……」と言われるだけなので、今書かなくてはならないのです。

 『グラスリップ』というアニメは、恐らく「未来なんて見えない」ことを描いているんだと思います。
 私達は未来なんて見えませんよね。そんな当たり前なことを当たり前に書くために、「未来が見える主人公」を敢えて置いて「実は未来なんて見えていなかった」としているんじゃないかと思うのです。視聴者もキャラクターも、何が起こっているのかもこれから何が起こるのかも分からない状態を作ったからこそ、「未来なんて見えない」ことが表現できているんじゃないかと思います。

 高校3年生というのは、これから選ぶ道が分かれる時期。
 沖倉くんの進路の話もありましたし、第1話で「卒業したら……」という話もありましたが。これからそれぞれ、みんな別の道を進み、地元を離れる人、地元に留まる人に分かれる時期です。先行きが不安な時期、雪哉は「また元のように走れるのか」が不安で、幸は体のこともそうだけど「想いを告げたら友達ではいられなくなるんじゃないか」と不安なのです。


 「未来が見えたら不安なんか消し飛ぶんじゃないか―――」


 しかし、やなぎはそれを否定します。
 「ウチは未来なんか見ない」と言った彼女は、透子が見ているものが「未来」だと恐らく気付いているのだけど、未来を見ようとはしませんでした。
 やなぎだけじゃなく、雪哉も、幸も、「未来が見えない」状況でも勇気を振り絞って行動を起こし、自分を変えようとしました―――その行動を起こす原動力は、「未来が見える」超能力なんかではなく、陽菜の言葉や祐の存在でした。普通の人間の普通の存在が、人を未来に向かわせたのです。


 10話まで見た段階だと、むしろ透子や沖倉くんの方が「自分達には未来が見えているんじゃないか―――」という呪縛によってなかなか未来に進めず、ストーリーの中で全然成長しない存在として描かれています。だから、この二人に感情移入しちゃうと『グラスリップ』ってあんまり面白くないんですよね。
 逆に、この二人を反面教師にして、未来に向かっている他のキャラクターに感情移入していると面白いです。雪哉とやなぎのシーンは……ホント、味わい深いなぁ。


 ここから先の展開がどうなるかは分かりませんし、私のこの考察も「考えすぎ」で終わるのかも知れませんが……この作品の締めくくりとして最も重要なのは、「未来が見える能力」にどういう決着を用意しているのかだと思います。だから、ひとまずそこに注目して期待しています。なんんにも用意してなかったら、みんなで笑おう(笑)。


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| アニメ雑記 | 17:53 | comments:5 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

記事タイトルを見て真っ先に思い浮かんだのがヱヴァQだったので裏をかかれましたw

| ああああ | 2014/09/07 19:58 | URL |

>ああああさん

 書こうと思って記事内に書くのを忘れてしまった話なんですけど(汗)、新劇場版『ヱヴァ』はムチャクチャなことが起こっているようで旧作のストーリーを見事になぞっているので「視聴者だけが全てを知っている」作品と言えるんじゃないかなと思います。
 リメイク作品ならではというか、「二周目」ならではのお楽しみというか。んで、『Q』より先は本当に誰も知らないストーリーになるかなと。

 旧作を観ていない人が新劇場版から観てどう思うのかは気になるところですが(笑)。

| やまなしレイ(管理人) | 2014/09/07 23:51 | URL | ≫ EDIT

石立監督の話。
考えるんじゃなくて感じるんだ!ってのがクリエーターなのかも知れませんね。
行きすぎると長嶋さんですがw
でも、理詰めで作っていく監督さんも好きだし…。

| 児斗玉文章 | 2014/09/08 11:10 | URL |

グラスリップは琴浦さんのような広い意味での能力者モノの青春劇だと思ってました
その力のせいで悩んだり、どきどき幸せになったりして、最終的にその力とどう向きあうかが、能力者モノの“型”かなと
ちょうど琴浦さんはそんな感じでしたね
グラスリップがイマイチよくわからないのは、そもそもストーリー上に能力の必然を感じない
それ以前に登場人物全員が何を考えているのかよくわからないというのが問題かなと
型がないから、かたなし
グラスリップはそんな感じがします

| ああああ | 2014/09/09 01:25 | URL |

グラスリップの事

初めまして、エイジと申します。いつもやまなしレイさんの書かれるアニメ記事を楽しく読ませて頂いております。
雪哉とやなぎのシーンは良かったですね。雪哉から「おかえり」と言われ、柳が(それ私のセリフだよ…)と言いたそうな表情を一瞬した後に「ただいま…」というシーンに悶絶ですw
そこからひとしきり会話を交わした後、今度は柳からの「雪…おかえり」でまた悶絶しましたw この「おかえり」には様々な意味が含まれているんだろうな~と想像すると更に込み上げてくるものがありますね。

| エイジ | 2014/09/09 01:46 | URL |















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