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『ハナヤマタ』は「踏切」に始まり「踏切」に終わる「踏切アニメ」だった!

※ この記事はアニメ版『ハナヤマタ』全12話のネタバレ原作漫画版『ハナヤマタ』4巻までのネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。

 もう10月。
 秋アニメも始まっている頃ですが、夏アニメについてもまだまだ語り終わっていないことがあります!これについては、このブログが語らなければどこが語るというのだ!

 春アニメ『一週間フレンズ。』の時に、私は『一週間フレンズ。』4話の“FUMIKIRI理論”に痺れるという記事を書きました。踏切の遮断機を使って、離れてしまった主人公とヒロインの距離を見せる演出に痺れまくったのですが……
 『一週間フレンズ。』は、この4話以降は特に「踏切」のシーンは出てこなかったんですね。4話は「踏切」をこれでもかというほど使ってくる「踏切回」だったのですが、『一週間フレンズ。』というアニメ全体では「踏切アニメ」と呼べるほどではありませんでした。

 そりゃそうです、アニメのために演出があるのであって、演出のためにアニメがあるワケじゃないですからね。“FOOD理論”の話とかもそうですが、演出アイテムはストーリーを面白くするために使われるのであって、演出アイテムのためにストーリーが作られるのではないのです。


 とか思っていたら、夏アニメにまさかの「踏切アニメ」が現れたという。
 夏アニメ『ハナヤマタ』は「踏切」「踏切」また「踏切」―――と、繰り返し「踏切」が出てきただけでなく、作品全体で描いているテーマが密接に「踏切」で喩えられているというまさに「踏切アニメ」でした。


 だから、この話はこのブログで語らなければならないのです。
 「ハナヤマタが面白かったか、面白くなかったか」は人それぞれ好みはあるでしょうから「俺は面白かったけどみんながどうだったかは知らない」といったカンジに断言できるものではないのですが、「ハナヤマタは踏切だったか、踏切じゃなかったか」と聞かれれば間違いなく胸を張って「踏切だった!」と言えるので、もう踏切なんですよ踏切踏切!



【オープニング】
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<『ハナヤマタ』オープニングより引用>

 いきなりこれ。
 オープニングが始まり、『ハナヤマタ』のタイトルの後のカットがいきなり「踏切」です。


 その後、画面は「踏切の向こうにいる」なるのワンカットを映し、そのなるが目を開いて―――その次に映るカットがこちら!

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<『ハナヤマタ』オープニングより引用>

 なるから見て「踏切のあちら側」にいるハナとヤヤを映します。
 カメラはここで「なるの視点」に移るんですね。

 つまり、この時点で「踏切のこちら側=なる」、「踏切のあちら側=ハナ、ヤヤ」と描いていて。そして、これ以降……このアニメでは徹底的に、「踏切のこちら側=なるのように輝いていない人の世界」、「踏切のあちら側=ハナやヤヤ等、輝いている人達の世界」として描かれるのです。

 もちろんこれは「なるの主観」でしかないのだけど……「輝いていない人間の世界」と「輝いている人間の世界」がまるで別の世界のように感じているなる(達)の気持ちを、踏切によって分断された「こちら側」と「あちら側」で表現しているんですね。



【第1話】
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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 第1話の最初のシーンも、「踏切」から始まります。
 主人公:関谷なるは「踏切」の前で電車が通るのを待っていて、そこにヤヤがやってきます。その後なんやかんや喋った後、ヤヤに「行こう」と言われて、なるはヤヤの後ろをついて踏切を渡ります。

 つまり、「踏切のこちら側」にいるなるは、ヤヤの後をついていかなければ「踏切のあちら側」には渡れない―――と描かれているのです(※1)

(※1:もちろんこれは画面の演出上の話であって、流石に中学二年生なんだからなるだって自力で踏切を渡ることは出来ると思いますよ?)



 さて、2つ目の「踏切」シーンの前に。
 その直前の、なるのモノローグを文字に起こしてみます。

<以下、引用>
 小さい頃、一度だけ大きな映画館に連れてってもらったことがある。
 みすぼらしかったヒロインの少女は、魔法使いや王子様と出会って、とてもキレイなお姫様になった。

 私もいつか……こんな風に輝ける日が来るのかな……そう思うと、胸が踊った。

 いつか、誰かが、この世界から連れ出してくれる……
 そう思って私は、ずっと待ち続けた……物語のヒロインみたいな、不思議な出会いを……

</ここまで>

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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 そこに響く、鳴子の音。
 月夜に一人踊るハナの音に惹かれ、この後なるは踏切を渡り、階段を登り、妖精のような少女:ハナと出会います。

 「踏切のこちら側」=「この世界」から、「物語の世界」のような「踏切のあちら側」へと向かうのですが……ここでも、なる一人の力で渡るのではなく、「踏切のあちら側」にいるハナを追いかけることでようやく踏切を渡れるという。
 この時点でのなるは、(演出上)一人の力で「踏切のあちら側」に渡ることが出来ないのです。


 ちなみに、このなるのモノローグ……原作とちょっと違うんですよね。
 アニメ版のモノローグでは、原作以上に「みすぼらしかったヒロインの少女」が「誰か」の力で「とてもキレイなお姫様になった」ことが強調されているという。つまり、「なる」が「ハナ」の力で「物語の主人公」になっていきたいという他力本願感がより出ているのです。



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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 閑話休題。
 このシーンは、なるが不在なのですが……ハナもヤヤも「踏切のあちら側」にいることがポイントです。なるから見たら「キラキラしている」「輝いている」「物語のヒロインのような」世界。なるがまだ憧れるだけで行けない世界に、二人はいるのです。


 が……


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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 ハナはジャンプして「踏切のこちら側」に飛んできます。
 なるが「輝いていない人間の世界」と「輝いている人間の世界」がまるで別の世界のように思っているのに対して、ハナはその二つの世界の境界などお構いなしに飛び越えられる象徴として描かれているという。



【第4話】
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<『ハナヤマタ』第4話より引用>

 さて……実は、「踏切」シーンで心理描写がされているのは、なるだけじゃありません。
 なるもハナもタミもマチも「踏切」によって心理描写がされているのです(ヤヤちゃんはちょっと微妙だけど)。

 第4話はタミお姉ちゃんの回。
 第1話のなると比較すると分かりやすいんですけど……なるは、「踏切のあちら側」に憧れたんですね。ヤヤがいて、ハナがいて、キラキラして、輝いている世界。だから、ヤヤの後をついて踏切を渡ったし、ハナを追って踏切を渡りました。

 しかし、タミお姉ちゃんは「踏切のこちら側」に憧れているんです。
 タミお姉ちゃんは「踏切のあちら側の世界」にいる人で、物語のヒロインのように、お姫様のように、輝いている存在でした―――でも、「踏切のこちら側」にいる普通の人達に憧れるのだけど、タミお姉ちゃんは“ただ一人”で「踏切のあちら側」に帰るしかないのです。

 “住んでいる世界の違うお姫様の孤独”を、踏切を渡るというたった1シーンで表現しているとも言えます。


【第9話】
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<『ハナヤマタ』第9話より引用>

 サリー先生と断絶してしまっているマチの心理を、「下りてくる遮断機」で表現しているシーン。流石にここは「どんだけ踏切好きなんだよ!!」とツッコミたくなりました(笑)。



【第12話】
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<『ハナヤマタ』第12話より引用>

 最終話。第1話と全く同じアングルで、同じようなシーンがあります。
 しかし、ハナはもういません。

 第1話でハナを追いかけて踏切を渡って始まったなるの物語は、
 最終話でハナと出会った場所に向かうため一人で踏切を渡り、遠く離れたハナに誓って締めくくられるのです。

<以下、引用>
 私じゃ、ハナちゃんの代わりにはなれないけど……
 ハナちゃんの分までいっぱいいっぱい頑張るから……だから!応援しててね、ハナちゃん!

</ここまで>

 「物語のヒロイン」に憧れた関谷なるは、「物語のヒロイン」のようなハナに出会いました。
 なるは……決してハナにはなれませんでした。
 みすぼらしかった少女は、物語のように「とてもキレイなお姫様になった」というエンディングにはなりませんでした。それでも……それでも…関谷なるは、関谷なるとして踊るのです。


<以下、引用>
 私……ずっと物語のヒロインみたいに輝けることを夢見てたんだ。
 誰かがこの世界から連れ出してくれることを、

 でも……

 「なんだかよく分からないですけど……!
 人は、誰でも頑張れば輝けると思うので……!」

 そうハナちゃんは言ってくれて。
 “誰か”じゃなくて“自分が”頑張れば、なりたい自分にちょっとだけでも近づけるんだね……!

</ここまで>

 『ハナヤマタ』というアニメについて「面白かったけど、YOSAKOIである必然性はなかったよね」と言っている感想を見かけました。私は、そこには異論があります。
 このアニメの第3話で海ボーズ兄貴が言っていたように、YOSAKOIは「衣装」も「曲」も「振り付け」も全て自分達で用意しなければなりません。“誰か”の言うとおりにしたり、“誰か”の見よう見まねで出来ることではないのです。“自分”達で考え、“自分”達だけのYOSAKOIを作らなければならない――――


 「踏切のあちら側」にイメージされるように、「ここではない物語の世界」に「誰かが」連れ出してくれないかと待ち続けていた関谷なるの物語は。
 「踏切のこちら側」にイメージされる、「この場所」で「自分達自身の力で」世界のどこにもない「自分達が主役の物語」を作って締めくくられるのです。それが彼女にとっての物語だったというのなら、関谷なるは間違いなく「物語の主人公」だったし、誰もが「物語の主人公」として輝かねばならないYOSAKOIという題材は関谷なるにとっての必然だったと私は思います。

(関連記事:『けいおん!』の更に向こうへ。『ハナヤマタ』第1話が素晴らしかった!



 と、いうことで……
 脚本としても、第1話から積み上げてきたものを見事にまとめた最終話でしたし。演出としても「踏切」で始まった関谷なるの物語を「踏切」で締めくくる見事な最終話だったと思います。






 ですが、
 これだけで終わらないのが『ハナヤマタ』なんですよ!


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<『ハナヤマタ』第12話より引用>

 最終話のラスト、ハナが戻ってくるシーンにも「踏切」が!
 なるがハナを追いかけて「踏切のこちら側」から「踏切のあちら側」に渡って始まったこのアニメが、最後の最後はハナがなるのところに戻るために「踏切のあちら側」から「踏切のこちら側」に渡ってくるんです!
 この『ハナヤマタ』のアニメは、なるが「踏切のあちら側」に憧れて始まるのですが、でも物語の舞台となるのは「踏切のこちら側」なんです!「踏切のこちら側」で自分達の力で輝こうとしているなる達のところに、「踏切のあちら側」からハナが戻ってくるんです!


 そして、このシーン……第1話の「警官に追いかけられて、ジャンプして踏切を越えるハナ」との対比になっています。今度は、警官に誘導され、ちゃんと走って踏切を渡ります。飛び越えるのではない、この境界線をちゃんと走って越えてくるのです。


 この「走る」という行為は。
 『ハナヤマタ』という作品において、それぞれのキャラにそれぞれの「走る」シーンが用意されて、そこを通過して初めて「よさこい部の仲間になる」と描かれているのです。


 なる
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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 タミ
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<『ハナヤマタ』第4話より引用>

 ヤヤちゃん……(´;ω;`)
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<『ハナヤマタ』第7話より引用>

 マチ
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<『ハナヤマタ』第9話より引用>

 そして、ハナ。
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<『ハナヤマタ』第12話より引用>


 ヤヤちゃんだけなんか扱いが酷いと思うんですけど……(笑)。
 最終話にしてようやく、これでハナが「よさこい部の仲間」になれたと言えるのです。



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<『ハナヤマタ』第12話より引用>

 全員集合!
 ホント、見事な全12話でした。
 “『けいおん!』の更に向こう”、私は見せてもらったと思います。『ハナヤマタ』大好き!

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○ 余談
 ちなみに……この「踏切」の演出。
 私は原作を、現時点でキンドルで出ている4巻までしか読んでいないのですが……少なくとも4巻までだとこうしたシーンに原作では「踏切」が出てこなくて、「踏切」演出は全てアニメのオリジナル演出となっていました。舞台が江ノ島なので背景に「踏切」がチラッと映るところはありましたが、アニメのように「こちら側」と「あちら側」の対比みたいには使われてはいませんでしたね。
 「原作から付け足されたアニメオリジナル要素こそがアニメスタッフの描きたかったもの」説で言えば、「踏切」こそがアニメスタッフが描きたかったものと言えるでしょう!


 マジメに解説すると……原作はモノローグが多くて、各キャラの心理描写が分かりやすいんですよ。アニメの後に原作を読んで初めて「あー、タミお姉ちゃんはだからこんなに苦しんでいたのか」と分かったところも正直あります。
 しかし、アニメと漫画は違うメディアですから……原作と同じモノローグをそのままやると、尺が足りなかったり、テンポが悪かったり、くどくなったりしてしまいます。なので、アニメはモノローグを最小限にして画面の演出でそれを伝えるようにしていたのだと思います。

 空のカットや花のカットの変化で、キャラの心情の変化を描いていたりしましたものね。

(関連記事:「小説」と「アニメーション」の違い


 そう言えば……『ランゲージダイアリー』のあいばたんが『ハナヤマタ』をこう表現していました。




 『一週間フレンズ。』の記事には、「踏切」と同様に「高架下の道路」や「階段」も“本来なら何かに遮られていて別の空間であった「こちら側」と「あちら側」を繋ぐ装置”と書いていたのに、すっかり忘れていました(笑)。
 言われてみれば、この『ハナヤマタ』という作品は“「こちら側」と「あちら側」を繋いでいる境界線上”が頻繁に出てくるんですね。


【階段】
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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 第1話のなるや、第2話のヤヤなど―――この『ハナヤマタ』で階段が効果的に使われるのは、いつも「階段の途中」なのです。「こちら側」と「あちら側」の中間。
 第1話のなるは、階段を昇りきらずにハナをただ眺めているのだけど最終的にハナを追いかけて昇りきります。逆に、その後のシーンでハナは階段を下りようとしているなるを途中で叫んで止めています。この演出はアニメオリジナル。
 第2話のヤヤは、屋上で踊っているなるを見た後に階段を下りようとするのですが、途中で引き返して屋上に戻ります(ここの演出も、原作だとちょっと違うんですよね)。


【トンネル?】
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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 なるの家の前の……トンネルみたいなところ。
 もう、見るからに「別世界への入口」みたいな場所ですよね。第1話、まだハナにも出会わずどこにも行けないなるが、この真ん中でポツンと立つ絵があるという。「こちら側」と「あちら側」の中間で迷っている―――という印象を受けます。これもアニメオリジナルシーン。


【橋】
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<『ハナヤマタ』第4話より引用>

 橋もまた、「こちら側」と「あちら側」を繋ぐ場所。
 橋を渡ろうとするタミが強風で吹き飛ばされそうになる瞬間、なるがタミを助けるシーンです。「こちら側」と「あちら側」の中間でどうしてイイか分からなくなっているタミをなるが救う展開と、場所が見事にシンクロしている演出ですね。これは原作にもある演出。


【踊り場】
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<『ハナヤマタ』第9話より引用>

 階段とほぼ同じような場所ですけど……
 「こちら側」と「あちら側」のちょうど中間地点でマチを引き止めるタミ―――というのは、4話の「タミとなる」を今度はタミがやるという演出ですね。こっちはアニメオリジナルの演出で、原作だと屋上なんですよねぇ。


【窓】
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<『ハナヤマタ』第1話より引用>

 「こちら側」と「あちら側」の境界線。
 「踏切」のシーンでもチラッと解説しましたが、ハナはこの「こちら側」と「あちら側」を飛び越えられるキャラとして描かれていましたから……こうやって「窓」の向こうから果敢になるを追ってくるのです。フリーランニングってすごいね!


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<『ハナヤマタ』第11話より引用>

 そして、11話。
 かつて「なるを同じ世界に引き込もう」と窓に張り付いたハナは、今度は「なると別の世界に離れてしまう」ことを告げに窓に張り付きます。同じように「こちら側」と「あちら側」の中間にハナがいるというシーンだけど、全く正反対の意味を持つ二つのシーンという。
 この後、別々の世界に離れてしまう二人が、その前に一緒にお風呂に入って、一緒にアイスを食べて、一緒に寝るというアレが凄い好き。よく見れば分かるんですけど、なるはハナが来る前に髪を拭いているので、一度風呂に入ったのにもう一回風呂に入っているんだぜ。



 一つ一つのシーンをちゃんと意味を込めて作りこんでいる凄いアニメでした。
 そして、何より「人は、誰でも頑張れば輝ける」というテーマを描くことに、ここまでの全力を注いでくれたアニメが出てきたことが嬉しかったです。『けいおん!』から5年。日本のアニメは全然止まっていなかったんだと思わせてくれました。最高の作品でした!

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