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何故「ゲームのストーリーはつまらない」のか

 相変わらずずっとキンドルのセールで全巻購入した桜井政博さんのコラム本を読んでいるのですが……長年自分が引っかかっていたことも、桜井さんは見事に分析していると膝を打つことが多いです。
 今日は、『ゲームを遊んで思うこと』に収録されているコラム「横から楽しむ作品」(2010年3月11日発売号掲載)を読んで……「ゲームのストーリーは何故つまらないのか」という疑問の答えがあるんじゃないのかと思った話です。



 あ、一応言っておきますと。
 桜井さんが「ゲームのストーリーはつまらない」と仰ったワケじゃないですからね。

 桜井さんのコラムでは、桜井さんは『Halo』『Halo2』『Halo3』『Halo 3: ODST』とゲームを4作クリアしていたのだけど、アニメーション作品『Halo Legends』を観て初めて「Haloってこういう設定の話だったんだ」と分かったと語られていて―――ゲームというのは基本的に「主人公視点で物語を見る」ため、設定や世界観の全体像が分かりづらいのかも知れないというお話でした。


 で、私はその桜井さんのコラムから、だから、「ゲームのストーリーはつまらない」と言われるのかーと思ったんですね。ということで桜井さんのコラムがきっかけですが、今日の記事で語ることは全て私の責任で私が考えたことですから悪しからず。


 まず前提なんですが……
 「ゲームのストーリーはつまらない」って言われて、皆さんはどう思います?

 「そんなことはない!」「ストーリーの面白いゲームもあるぞ!」「ジャンルによるんじゃない?」と反論したくなると思います。面白いかつまらないかは主観に依りますが、私もそう思います。「ストーリーの面白いゲームもある」と思っていますし。「ゲームのストーリーはつまらない」って言っている人を見かけたら「何をーー!」と噛み付いてきました。

 でも、桜井さんのこの“ゲームというのは基本的に「主人公視点で物語を見る」”という分析で考えると、何故「ゲームのストーリーはつまらない」と言われるのか分かったような気がするんです。すごく基本的なことなので、どうして今まで気が付かなかったんだろうと思ったほどです。



 「ゲームの主人公」というのは、言ってしまえば「プレイヤーの分身」です。
 『Halo』のような一人称視点のゲームとか、『ドラゴンクエスト』のように主人公=プレイヤーというゲームは分かりやすいですよね。
 そうでない場合であっても……例えば、私は自分のことを「俺がマリオだ!」なんて思ったことは一度もないですけど、『スーパーマリオ』をプレイしていると「ジャンプしているマリオ」と「操作している自分」が一体になる感覚はいつも味わっています。アクションゲームというのは特に、この「主人公」=「自分」が一体になれるジャンルだと思うのです。

 「主人公」=「自分」と感じられるかで言うと……実は自分の場合、『ドラゴンクエスト』のようなコマンドバトルRPGとか、『ファイアーエムブレム』のようなSRPGの方が、「複数のキャラを神の視点の自分が操っている」感覚なので「主人公」=「自分」とは思えなかったりします。
 それを言い出すと『テトリス』はどうなるんだとか、『ファミスタ』は誰視点なんだとか、『バイナリィランド』は「グリン」と「マロン」のどっちが俺なんだとか、キリがないんでこの辺で辞めますけど(笑)。


 まぁ、とにかく。
 ゲームというのは、「主人公」=「自分」と感じさせる「没入度」の高さが特徴のメディアであって……これが、複数のキャラの視点を切り替えながら進む「客観性」のメディアである映画とかドラマとかアニメとは違うんですね。


 例えば、アニメ『機動戦士ガンダム』の第1話だったら。
 まず、ザクの視点から始まり、次にフラウ・ボゥの視点、そこから連邦軍の軍人の視点になって、テム・レイの視点、シャアの視点、最初のザクのパイロット(デニムとジーン)の視点に戻り、ようやくその後に主人公であるアムロの視点になります。主人公の視点になる前に、「敵」と「味方」と「一般人」とを描いていって状況の設定を説明してから主人公の話になるんですね。
 その後Bパートもシャアの視点→アムロの視点と移り、パオロ艦長の視点、ガンダムとザクの戦闘シーンも各パイロットの視点を入れ替えながら戦います。戦闘後もブライトの視点、シャアの視点と移って1話が終わります。

 たった20数分のアニメであっても、「視点となるキャラ」を目まぐるしく変えて物語を語っているのです。ここまで人数が多いのは極端な例かも知れませんが、一人の視点から見える世界は狭いですから、映像作品では複数のキャラの視点を切り替えながら語る作品が大多数だと思われます。



 しかし、ゲームの場合は先ほども書いたように「主人公」=「自分」と感じさせる「没入度」の高いメディアです。「客観性」の高いメディアである映像作品と似て非なるものなので、映画やドラマやアニメのようなストーリーを描くのには向いていないと思うんです。

 例えば、『ガンダム』の第1話をアムロの視点だけで描くと……「どうして戦闘が起こっているのか」がサッパリ分かりません。シャアも出てきません。テム・レイがアムロの写真を飾っていることも分からないので「この父親は禄でもない父親だな!」としか思えません。主人公だけの視点で描けば、名作『ガンダム』でさえ大して面白くないストーリーになることでしょう。

 逆に、『ガンダム』第1話のように細かく視点が切り替わるゲームを作ると……ザクの視点、フラウの視点とゲーム開始からしばらくプレイヤーは操作出来ません。ようやくカートに乗って出発をしたところで、また操作不能になって連邦軍の軍人の視点、シャアの視点、デニムとジーンの視点……とずっと操作出来ません。
 ようやく操作出来るぞー!と退避カプセルの外に出て、ガンダムに乗っても、一つ動くことにジーンの視点に切り替わって「コイツ……脅えてやがるぜ……」とか言われます。あーーー、早く思う存分操作させろよ!とイライラすることでしょう。


 だから、ゲームでストーリーを語るにはそれだけのハンデがあると思うんです。
 「物語の視点を切り替えられない」し、「切り替えたらゲームの没入度が下がる」。
 映画やドラマやアニメなどの映像作品と比較すると、そりゃイマイチだろうと思うんです。「ストーリーを楽しむだけならゲームじゃなくてDVDでも借りてくるよ」って言われちゃってもおかしくないでしょう。


 でも、実際には「ストーリーの面白いゲーム」もありますよね。
 そうした作品はつまり、映画とかドラマとかアニメなどの映像作品の単なるマネじゃなくて、「主人公」=「自分」と感じさせる「没入度」の高さを活かしたストーリーをちゃんと考えているからじゃないかと思うのです。


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○ 「主人公」=「自分」だからこそ語ることが可能なストーリー
 先ほどの項では、割と乱暴に……

・映像メディアは「複数の視点を切り替えながら」語れるから有利で
・ゲームは「主人公の視点だけでしか」語れないから不利だ


 と分類しました。確かに「基本的には」そうなのですが、「基本的には」というカッコ書きを付けるということは「例外もある」ってことですし……そもそも比較対象が“映像メディア”だけというのは、論法の誤魔化しでもあります。


 ノベルゲームは「主人公の視点だけでしか語れない」ことがネックにならないジャンルですよね。
 小説には「一人称視点の小説」もあれば「三人称視点の小説」もあるし、「主人公を切り替えながら進む群像劇の小説」もあります。小説というメディア自体が「主人公の視点だけで語る」ことを苦にしないどころか得意としているメディアですし、それをゲームに落とし込んだノベルゲームも「主人公の視点だけで語る」ことが得意じゃないかと思うのです。

 私は数えられるくらいの本数しかノベルゲームをやっていないんですけど……恐らく多くのノベルゲームが「一人称視点」の小説になっているんじゃないかなと思います。それはゲームの持つ「主人公」=「自分」という没入感と、“選択肢を選ぶ”というノベルゲームのシステムと、「一人称視点」の小説がとても上手くマッチするからです。


 ノベルゲーム以前のアドベンチャーゲームを考えても、『ポートピア』等の「推理系アドベンチャーゲーム」は「主人公の視点だけでしか」語れないことで自分が推理して犯人を特定する感覚が味わえていたと思います。
 『逆転裁判』を遊んでいても、「俺が!俺こそがナルホド君だ!」とは思いませんけど、犯人を追い詰めていく際には「自分」と「ナルホド君」が一体になって追い詰めていっているような感覚が味わえますよね。あのゲームも「主人公の視点だけでしか語れないこと」は、マイナス要因にはなっていません。



 「一人の視点から見える世界は狭い」を活かすストーリーもたくさん考えられますよね。
 例えばホラーゲームとか、サスペンス系とか、主人公が何かに巻き込まれて何かも分からずジェットコースターのように進む話とか……「主人公にもプレイヤーにも何が起こっているのか分からない」からこそ、手探りでゲーム内を進むことに説得力があって、ますます「主人公」=「自分」の没入度が増すということもあると思います。

 私はホラーゲームはほとんどやらないんですけど、「何が起こっているか分からない」から「それを究明するorそこから脱出する」というシチュエーションは、「主人公」=「自分」と思えるゲームというメディアにものすごくマッチしたジャンルだとも言えますね。だからこそ怖いし、私はやらないんですけど(笑)。

 ネタバレになるからどの作品かは言いませんけど、一人の主人公を操って世界を救う冒険をするゲームで……自分一人で世界を救う戦いをしていると思っていたら、最後のダンジョンで今まで出会ってきた仲間達が援軍にやってくるシーンがあって。私はそのシーンがすごく好きで。
 ああいう演出も、「主人公」=「自分」と思えているからこそ「戦っているのは……俺一人じゃなかったんだ……!」とジーンと出来るんだろうなぁと思います。



 では、映画やドラマやアニメは……という話。
 先ほどは「映像作品では複数のキャラの視点を切り替えながら語る作品が大多数」と書きましたけど、実際には「一人の視点でのみ語られる映像作品」も結構ありますよね。

 一人称視点で描かれた小説をアニメ化した際には、その主人公の視点でストーリーを進めることが多いですし。
 ホラー映画なんかでは、たくさんのキャラの視点を切り替えるよりも主人公達の視点に限定することで「主人公」=「観客」という没入度を上げることが出来ると思います。私はホラー映画を観ないんで、「多分そう」って話ですけど(笑)。

 さっき『ガンダム』の例を出しておいてアレなんですけど、アニメの第1話なんかは「敢えて一人のキャラクターの視点だけで描く」ことで視聴者を作品世界に没入させるという手は多いと思います。この話……別記事に書いた方が良さそうなので、ここで具体例は挙げませんけど!


 映像メディアで「敢えて一人のキャラクターの視点だけで描く」際にも、狙いとしては「視聴者の没入度を上げる」ことがあると思います。しかし、「没入度」ということに関しては「実際に自分で動かすことが出来る」ゲームというメディアに分があるようにも思うので、実は「ゲーム」の方が「映画やドラマやアニメ」よりも得意なストーリーというのがあると言えるのかも知れませんね。



○ 「主人公」=「自分」とは敢えて思わせないストーリー
 日本において「ゲーム内でストーリーを語る」ことの転機となったのは、やはり堀井雄二さんの『ポートピア連続殺人事件』とか『ドラゴンクエスト』のヒットからだと思うのですが……
 日本のアドベンチャーゲームや和製RPGでは、この「没入度の高いゲームというメディア」と「複数の視点を切り替えられないハンデ」について実は早い段階で気付いていたんじゃないかと思うのです。

 「主人公を複数にする」ことで、「視点となるキャラクターが切り替わる」手法。

 1990年の『ドラゴンクエストIV』は、全5章の「1章」「2章」「3章」「4章」「5章」でそれぞれ別の主人公を動かすストーリーでした。本当の主人公は5章の主人公なんですが、そこにたどり着くまでに4つの話をクリアすることで世界を5つの視点で見ることが出来た―――と言えると思うのです。
 今までは世界を救う勇者の話ばかりだった『ドラゴンクエスト』において、武器屋のトルネコ視点での話をねじこむ辺りは流石です。これによって『ドラゴンクエスト』の世界観が一気に深まりましたからね。



 『ドラクエIV』が最初だったかは分かりませんが(いや……もっと前にあった記憶もあるんですけど……)、ストーリーが進むことでプレイヤーキャラも変わるRPGはその後のスタンダードになっていきますよね。

 例えば『ファイナルファンタジーV』(1992年)では、主人公達が捕まってしまって絶体絶命のピンチの時に、プレイヤーキャラが変わって「彼らを助けに行く」シーンがありました。「え?オマエが主人公なの?」とは思ったけど、あのシーンはスーパー熱かった。
 『FF』シリーズでは以後そういうシーンも珍しくなくなりますが、特に1994年の『ファイナルファンタジーVI』は「特定の主人公がいない」「ストーリーによってプレイヤーキャラが変わる」群像劇的なRPGになっていました。それによってドラマチックなストーリーになっていたと言えるし、RPGの文法としてはなかなかギリギリなことをやっていたと思います。


 あの当時、ゲーム雑誌なんかでも『ファイナルファンタジー』はRPGではないみたいなコラムがありましたもんね。RPGというのは本来は「役割を演じるゲーム」であって、「主人公」=「自分」と思わせるゲームでなければならない。しかし、『FF』は複数のキャラが勝手に動いているのを眺めるだけで、これではちっとも、「主人公」=「自分」と思えない!みたいなコラム。
 その後、プラットフォームがPSやPS2に移り、『VII』『VIII』『IX』『X』と発売していく中でも、とにかく「ゲームをしたいのにムービーばかり見せられる」とか「日本のRPGは本来のRPGではない」みたいな批判はたくさんありましたもんねー。


 今日の「没入度」という話からすると、確かに複数のキャラが切り替わるゲームは「主人公」=「自分」とは思いにくいと思います。でも、私は「別にそれでイイじゃん」って思いますけどね。没入度の高いゲームがあって、没入度の低いゲームがあって、両方とも価値があると思います。
 今日の記事から考えるに、「没入度の高いゲームというメディア」でストーリーを語るにあたって、「敢えて没入度を下げる」ことで自由なストーリーを語る―――という選択は、上手い選択だと思います。これはこれで“個性”だと思いますよ。


 そもそもさ。
 「好き」「嫌い」ならともかく、「こんなのは本来のRPGじゃない!」って批判は何なんだろうって思いますよ。娯楽の創作って“今までにないもの”を作ることでしょう。前例に従って、先輩作品達と同じようなゲームばっかり作る方が問題でしょう。
 んで、「こんなのは本来のRPGじゃない!」を言った口と同じ口で「最近は斬新なゲームが出ていない」とか言い出す人がいるから、それって単にオメエの好き嫌いじゃねえの?って言いたくなりますよ!


 誰と戦っているんでしょう、このブログ。
 あと、『FF』が受けたからって似たようなことをやっていたら「斬新なゲームではない」と思いますし、私はゲーム中に流れるムービーが嫌いです。でも、その批判を「本来のRPGとは……」という根拠でしか出来ないのは、すっげえダサイと思います。自分の言葉で喋れや。



 さて……『ドラクエIV』だったり『FF』だったり、ストーリーが進むことでプレイヤーキャラも変わるRPGはさほど珍しいものではなくなりましたし。「視点のキャラが切り替わる」という分析で考えると、映画やドラマやアニメなどの映像メディアに近いものと思います。
 私はこの記事の序盤で述べたように、コマンドバトルRPGは「複数のキャラを自分で操作する」ため、あまり「主人公」=「自分」とは思わないんですね。どっちかというと「チームに命令を出している指揮官」という感覚で遊んでいます。『ファミスタ』とかと同じ感覚。

 だから、コマンドRPGでプレイヤーキャラが切り替わることを、「没入度が下がるじゃないか!これは本来のRPGではない!」なんて私は思わないんですね。むしろコマンドRPGというジャンルは、「プレイヤーキャラが切り替わる」ことと相性がイイんじゃないかと思います。




 んで、ここから。
 「視点のキャラが切り替わる」ゲームではなくて、プレイヤーが「視点のキャラを切り替える」ことをシステムに落とし込んでいるゲームもありますよね。

 例えば1987年の『新・鬼ヶ島』は、「男の子」と「女の子」という2人の主人公を切り替えながら進めるゲームです。「主人公の切り替え」をプレイヤーが自ら行うんですね。なので、「主人公」=「自分」という没入度は低く、プレイヤーは「神の視点」で彼ら彼女らを操作しているような感覚でした。


 プレイヤー自ら「視点」を切り替えられるゲームは、まだ他にありそうですが……
 有名どころで言えば、何と言っても『街』や『428』といったザッピングシステムのノベルゲームです。
 『428』で言えば、一人称視点のノベルゲームが5本入っている(※1)のだけど……そのままだと「A」というキャラのノベルゲームはバッドエンドになってしまうので、「B」というキャラのノベルゲームに切り替えて「A」を助ける選択肢を選ぶ―――といったカンジに、プレイヤーが自由に「視点となるキャラ」を変えることがゲームの攻略になっているという。

 だから、『428』をプレイしても、「主人公」=「自分」という没入度は低いです。
 どっちかと言うと「神の視点」で「この事件を解決させる」ために、5人のキャラを動かしているという感覚でした。

 複数の主人公が切り替わる群像劇の小説は、「起こっていることをただ眺めている」感覚なんです。倒れていくドミノを「あー倒れてる……」と眺める面白さというか。
 『街』や『428』はそれを「ゲームならでは」と再構築して、この「主人公の切り替え」をプレイヤーにやらせることで、確かに自分が事件を解決させていくという没入度が生まれているのです。「主人公」=「自分」という没入度は低いですが、「神の視点」の没入度が高いというか……「俺は神だ!神になったんだ!」と思えるというか。

(※1:正確に言うと、『428』は一人称視点の小説ではないんですけどね。主人公だけを追いかける三人称視点の小説。そうすることでプレイヤーも客観的な視点を持てる)



【三行まとめ】
・ゲームは、「主人公」=「自分」という没入度の高いメディアだ
・「主人公」=「自分」という没入度を活かしたストーリーというのは一つの手
・逆に、敢えて没入度を下げて「神の視点」を操作させるという手もある



 まぁ、ここまで書いておいてアレなんですけど……
 ゲームはどうしたって「プレイ時間」が膨大になりがちなんで、その点だけでも「ストーリーだけを楽しむなら映画で十分」と思っちゃうところはありますね。もちろん何十時間もプレイしたからこその感慨もなくはないんですけど、手軽に2時間で感動できるならそっちでイイやと。

 なので、私にとってゲームの「ストーリー」は「別にどうでもイイ」と思って始めて、「ゲームとして楽しい」に加えられる付加価値としての「ストーリーも良かったらラッキー」くらいの優先順位でしかありません。
 「ゲームとしては大して面白くないけど50時間プレイするとエンディングは泣ける」とか言われても、私は「ゲームとして面白いゲーム」が遊びたいです!

| ゲーム雑記 | 18:03 | comments:9 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

いつも見てます

はじめまして、いきなり長くなってしまいました
タイトルを見てまず「あのゲームはストーリーすごくよかったぞ!」、なぜか→謎がだんだん解けてくのがおもしろい→まどマギと一緒!と考えました。
そして、読み進めてくとやまなしさんも謎が解けていくのが面白いと考えている訳で。個人的にはまどマギのシナリオはゲームに使ってもあまり面白さを損ねないかなと。まあ、実際はリアルタイムで考察しあうのが盛り上がったのでやっぱり一番うまく活用できるメディアはって言われたらアニメですが(そこがテレビの強みですね)
逆にやまなしさんがゲームならではの強みとしてあげてる、主人公≒自分なのでより感情移入できることの例ですが、一番最初に上げたゲーム(ネタバレ防止のための伏せ字です)の別れのシーンが、ただでさえ、悲しい場面が他でもないプレイヤーが自分で名付け、操作し苦楽を共にした「自分だけの」キャラクターをしたってくれた友人との別れというものがあってより一層感情移入できてよかったです。主人公以外はオート操作で、主人公の設定もよく練られていたことで主人公=自分感も強くなっていましたし、もちろん、ゲーム部分もよくできており、かなりの名作でした。

| アニス | 2014/10/24 00:08 | URL |

最近、「書いてあることは読まれないのに、書いていないことが読まれる」等と愚痴っている割には、今回の記事なんかもうタイトルで釣る気満々ですね。
自分から誤解されにいってるじゃないですか……

| ああああ | 2014/10/24 09:46 | URL |

ゲームのストーリーでつまらないパターンが1つ。
次の街に向かわなきゃならない理由がメチャクチャでとてもその街に向かおうとは思わないけど、マップの繋がりや敵の強さの関係でそこに行くしかないので向う…ということがあると一気にシラけてツマンネーと思っちゃいますねw
システムとストーリーが乖離しているパターンがどうしても多くなるのがゲームのシナリオの欠点ではないかと。

| 児斗玉文章 | 2014/10/24 17:40 | URL |

>ああああさん

>タイトルで釣る気満々

 はい……?


>愚痴っている割には

 必死に生きているからこそ人は考えを変えていくものですし、必死に書いているからこそブログの方針だって変わるものですよ。

https://twitter.com/yamanashirei/status/522035365222162432
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| やまなしレイ(管理人) | 2014/10/24 20:06 | URL | ≫ EDIT

ああああさんが釣りタイトルって言うのも無理はないでしょ

やまなしさんの結論にちょっと補足させてもらいますが、今回言いたいことは↓こういうことでしょ?

 ・ゲームは、「主人公」=「自分」という没入度の高いメディアだ(からゲームでストーリーを語るにはそれだけのハンデがある。
  なので「ゲームのストーリーはつまらない」と言われることがある。)
 ・「主人公」=「自分」という没入度を活かしたストーリーというのは一つの手
 ・逆に、敢えて没入度を下げて「神の視点」を操作させるという手もある

タイトルに書いてあるのは結論そのものじゃなくて補足部分じゃん
しかも"「ゲームのストーリーはつまらない」と言われる"ではなく"ゲームのストーリーはつまらない"と言い切ってるし。

これが釣りでなくて何なのか。


釣りでもすっとぼけでもなく本当に「はい……? 」と思ってるなら
なんかもう人に何かを伝えることが根本的に向いてないんじゃないっすかね

| ああああ | 2014/10/25 18:09 | URL |

>ああああさん

 「何故「ゲームのストーリーはつまらない」のか」というタイトルを付ける。このタイトルを見て「この記事を読もう」と思った人は、「何故ゲームのストーリーはつまらないのか」を知りたくて読みに来ますよね。

 なので、一つ目の項で「(何故なら)ゲームは、「主人公」=「自分」という没入度の高いメディアだ」という回答を書いている。
 しかし、二つ目の項で「でも、実際にはストーリーの面白いゲームもあるよね」と、一つ目の項で説明した考え方を活かしたからこそのゲームの二つの例を挙げている。


 何もおかしくはないと思いますけどねー。
 タイトルに「結論」を書かなければならない決まりなんてないでしょうし。

| やまなしレイ(管理人) | 2014/10/25 19:35 | URL | ≫ EDIT

そもそも「ゲームのストーリーはつらない」なんて言われてるのを見ないから、単にシャドーボクシングしてるだけなんじゃないかなぁと思います。やまなしさん自身がつまらないと思われてるならこの記事は何らおかしくないとは思いますが、記事内で「なぜそう言われるのか」と補足されてますよね。

アクセス数が欲しいならこういう記事タイトルの付け方もいいと思いますが、変に反感を買いたくないなら正確な表現を使った方がいいんじゃないかなあと思います。もっともそういったタイトルを付けても変なコメントが付くから困られてるのだろうとは思いますが…

| ああああ | 2014/10/26 18:46 | URL |

>ああああさん

>アクセス数が欲しいならこういう記事タイトルの付け方もいいと思いますが、

 というより、どういう記事タイトルならみなさん納得するんでしょうね。
 みなさん「私は誤読しないけどこんなタイトルを付けたら誤読する人が現れるかも知れない」って心配しているんですけど、僕としては最も誤読されないタイトルだと思って考えた結果このタイトルにしたのだし、実際に誤読しているコメントも付いていませんよね……

| やまなしレイ(管理人) | 2014/10/26 19:55 | URL | ≫ EDIT

漫画やアニメだと、主人公目線でも敵側の信念や境遇を知るうちに「お互いが別の場所で出会っていれば、殺し合いにならずに友達でいられたのに…」と共感できるのですが、ゲームだとこのこの辺が薄れてしまうんですよね。

今見ているストーリーの理解力のなさ?
それ以上におもしろいストーリーを見たことがない?
ゲームへの偏見?
自分が望んだ結末とメーカーが提示した結末のズレ?

いろいろ理由を考えましたが、「ゲーム自体が目の前の敵を倒すことが本質なんだから、敵に悲劇を求めても興ざめするだけ」って結論付けています。

| ああああ | 2015/11/14 09:24 | URL |















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