やまなしなひび-Diary SIDE-

変わらない価値のあるもの

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

『Zガンダム』のラストがどういう意味だったのか、ようやく分かった

※ この記事はテレビアニメ版『機動戦士ガンダム』全43話テレビアニメ版『機動戦士Ζガンダム』全50話劇場アニメ版『機動戦士Ζガンダム』三部作のネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。


 現在の自分はブログにレポート記事を書くために、dアニメストアの「見放題」サービスでアニメを観まくっているのですが……『機動戦士Ζガンダム』の劇場版三作品を観終えたので、今日はその話を書こうと思います。先にスタンスを書いておきます。私は「すげえ面白い!」と思いました。テレビ版の『Zガンダム』が好きでなかった自分が、劇場版を観て初めて「Zガンダムってこういう話だったんだ!」とも思いました。


 ガンダムシリーズを全く知らない人も、このブログを読んでいると思うので説明します。
 『機動戦士ガンダム』は1979年~1980年に放送されたテレビアニメで、本放送の時は色々あって打ち切りとなってしまいましたが、再放送やプラモデルの発売が爆発的な人気を生み、社会現象化して1981年と1982年には総集編の映画が三本公開されました。

 『機動戦士Ζガンダム』は、その人気を引き継ぐ形で企画されたガンダムシリーズ第2弾のテレビアニメで1985年~1986年に放送されました。以後、ガンダムシリーズは『ガンダムZZ』『逆襲のシャア』『F91』……と続いて現在でもまだ新作が続く長寿シリーズとなったのです。

 劇場版の『機動戦士Ζガンダム』は、その20周年に合わせて企画された総集編映画で、2005年~2006年に三部作という形で公開されました。基本的には総集編なのだけど新作カットも多く、自分の感覚では“リメイク”と言ってイイくらいに作り直されたものだと思いました。



 私個人の好き嫌いの話をしますと……
 最初の『機動戦士ガンダム』はとても大好きです。通して5~6回観ていると思いますが、未だに新しい発見がありますし、それでいて「構造が分かりやすい」ところが自分の好きなところです。
 『機動戦士ガンダム』をものすごく噛み砕いて説明すると、たまたまホワイトベースという戦艦に乗り込んだ素人集団が、次々とやってくるジオン軍の追っ手と戦いながら成長していく話だと思うんです。バックボーンには深い設定があったりもするのですが、基本的には「追いかけっこ」と「少年少女の成長物語」だと私は思っています。


 それに比較して、『機動戦士Ζガンダム』はあまり好きではありませんでした。
 好きになれなかった理由を今回改めて考えてみると「何をやっている話なのかが分からなかった」からなのかなと思いました。“難解”というと私の読解力の問題ですが、そもそも“何も考えずに作っている話なんじゃないのか?”と私はずっと思っていたんですね。

 分かりづらいというのは、敵・味方がハッキリしないエゥーゴ・ティターンズ・アクシズの三つ巴の勢力だというのもあるのですが……
 私が思うに、『ガンダム』のホワイトベースの乗組員は素人集団だったために成長物語になったけど、『Zガンダム』のアーガマの乗組員は(カミーユ達一部のキャラ以外は)元々の軍人だというのが大きいと思うのです。ブライトやクワトロ大尉は言うまでもなく、エマさんもレコアさんも元々軍人で、カミーユの方が「プロの軍人の中に入った素人」という特殊なケースなのです。

 じゃあ、そうした歴戦の勇者達に囲まれたカミーユが一人成長していく話なのか―――と思って『Zガンダム』を観ちゃうと、よく分からない話になってしまうのです。
 カミーユって最初から無茶苦茶強いし、序盤からジャブロー攻略みたいな大掛かりな作戦に参加しているし、成長の余地があまりないキャラだと思うのです。人間性の成長としては、攻撃的だった性格がアムロやフォウとの出会いによって丸くなっていったところはあるのですが、それ以降のカミーユは「言うことを聞かないカツ」とか「思い通りにいかないサラ」とか「もうワケが分からないロザミィ」とかに苦しめられて報われることがないし。
 最終話のラストシーンまで行くと、結局カミーユは精神が崩壊してしまうワケで……「戦って戦って成長した先にあるものがコレかよ」というのが私の『Zガンダム』の感想でした。


 なので、『Zガンダム』の劇場版が公開されても10年間観ていませんでした。
 『Zガンダム』が元々好きじゃない、テレビアニメの総集編映画が好きじゃない、の二倍掛けで全然興味がなかったのですが……タイミング良くdアニメストアの「見放題」に入っていた(※1)ので、じゃあ話のネタにもなるだろうし観てみようかなーと視聴したのです。

(※1:3月31日までです。バンダイチャンネルの「見放題」も同様)


 そしたら、すげえ面白いの。

 元からテレビ版の『Zガンダム』が好きな人は正反対な感想を持つかも知れませんが……
 テレビ版の『Zガンダム』が好きではなかった自分にとっては、割と有名なシーンでも無駄なシーンは容赦なくカットして、逆にさり気なく追加されたシーンも多くて、とても分かりやすく再構成されていて。『Zガンダム』という作品が何を描いていた作品だったのかが、ようやく分かった気がしました。


 この記事を読んでから「じゃあ劇場版『Z』も観てみようかな」と思ってくださる人もいると信じていますから、決定的なネタバレは書きませんが……テレビ版からものすごく変わってしまったシーンも劇場版にはあって、当時それが宣伝として結構言われていたように覚えているのですが。
 私個人の解釈だと、確かに「起こっている出来事は違う」けど、「そのシーンが意味しているもの」はテレビ版の頃と一緒でそれを分かりやすくしただけかなと思っています。『エヴァンゲリヲン』の旧テレビ版と新劇場版が、「起こっている出来事が全然違う」けど「描かれているものには通じるものがある」リメイクなのと同じようなカンジかなと。



 『Zガンダム』って、『ガンダム』と裏表のような話だと思うんです。

 カミーユ・ビダンは、「アムロ・レイの再来だ」「アムロ・レイの再来だ」と言われていたけどアムロ・レイとは違う最後を迎えます。つまり、アムロになれなかった主人公がカミーユで、『ガンダム』になれなかったのが『Zガンダム』だったのだと思うのです。劇場版によって分かりやすくなったから私は今回初めて分かったのですが、元々そういうストーリーだったことに私が気付いていなかっただけじゃないかなと思います。


機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者- [Blu-ray]機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者- [Blu-ray]

バンダイビジュアル 2012-05-24
売り上げランキング : 35625

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

○ アムロ・レイになれなかったカミーユ・ビダン
 ということで、『Zガンダム』のラストを説明するには『ガンダム』のラストから説明するのがイイのかなと思います。

 『機動戦士ガンダム』という物語は、たまたま住んでいたコロニーがジオン軍に攻撃されたアムロ・レイがガンダムに乗り、ホワイトベースの面々と共にジオン軍に追われながら逃げ続ける話です。
 故郷を失ったアムロは逃げ続ける旅の中で母に再会しますが、ジオン軍との殺し合いを続けている自分と母とはもう住む世界が違うのだとアムロは母の元を去ります。また、その後に宇宙に上がったアムロは父とも再会しますが、父はもう「尊敬できる父」ではなくなっていました。

(関連記事:アムロ・レイは誰を殺すのか
(関連記事:アムロが父との再会で見たもの

 「帰るべき故郷」も「帰るべき家庭」も失ったアムロは戦い続けるしかないのですが、戦場で出会った「帰るべき場所」になってくれたかも知れないララァ・スンのことも殺してしまいます。ずっと傍にいて見守ってくれていたフラウ・ボゥも、自分ではなくハヤトを選んだのだと知り、最終決戦ア・バオア・クーではガンダムも破壊され、ホワイトベースも沈みます。

 正真正銘全てを失ったアムロは「死」を受け入れますが、最後の最後にララァの声を聞いたアムロは、ホワイトベースのみんなを導き、自分も生き残ろうとします。「ごめんよ、まだ僕には帰れる所があるんだ。」と。


 『機動戦士ガンダム』という物語は、戦争によって「故郷」も「家族」も「愛する人」も奪われた登場人物達に「それでも生きていいんだ」と希望を与えるストーリーだったのです。

(関連記事:帰る場所を探すストーリー。 『機動戦士ガンダム』全話を視聴し直して



 さて、では『機動戦士Zガンダム』はというと……
 『機動戦士ガンダム』の第1話と『機動戦士Zガンダム』の第1~2話は意図的に似せて作られていると思うのですが、似せて作られているからこそ決定的に違うことが分かります。
 『ガンダム』のアムロは住んでいるコロニーがジオン軍によって攻撃されたことで「帰るべき故郷」を失い、自分も生き残るためにガンダムに乗って戦うしかなくなるのですが。『Zガンダム』のカミーユは戦争とか関係なく、ティターンズの人をぶん殴ってしまったから帰れなくなって、エゥーゴの潜入による混乱に乗じてガンダムMk-IIを強奪、コロニーに潜入した側のエゥーゴに付いて逃げていくのです。

 戦争によって故郷を失ったアムロと、自分のせいで故郷に帰れなくなったカミーユ―――実はこの二人の始まり方は正反対なんです。

 しかし、初めて乗り込んだガンダム(Mk-II)を乗りこなしたことで「アムロ・レイの再来だ」「アムロ・レイの再来だ」ともてはやされて、(自分がティターンズぶん殴ってガンダム強奪したせいだけど)帰る場所も失ったのでなし崩し的に戦争に参加していくのです。



 『キャプテン』で言えば、アムロは最初は大した実力もなくて周囲からもなかなか認められなかったけど、努力が実って急激な成長を遂げたことで周囲の信頼も得てカリスマ化していく谷口タイプで。
 カミーユは最初からとてつもない才能を見せていたことで、扱いにくい性格でありながら即戦力で試合に投入されて、徐々に周囲をかき乱すこともなくなっていくイガラシタイプってところかなと思います。


 アムロが戦争の中で全てを失っていったように、カミーユもまた戦争の中で様々なものを失っていきます。(自分がティターンズぶん殴ってガンダム強奪したせいだけど)故郷にはもう帰れず、両親も死んでしまい、旅の果てで出会い惹かれあったフォウ・ムラサメも死んでしまいます。

 そして、アムロとは決定的に違うことに……アムロには、まだ最後の最後に「ホワイトベースで一緒に戦ったみんな」が残っていて、「まだ僕には帰れる所があるんだ」の台詞に繋がるのですが。
 カミーユの場合、共に戦った仲間も次々と死んでいってしまうのです。アポリーが死に、カツが死に、ヘンケン艦長らラーディッシュの乗組員は全滅し、レコアさんが死に、エマさんが死に、クワトロ大尉も生死不明―――アムロには残っていた「帰れる場所」がカミーユには残っていなかったのです。


 カミーユとシロッコの最後の対決で、カミーユは死んでしまった人達の想いを乗せてシロッコに特攻をかけて見事に倒します。しかし、勝ったカミーユに何が残るのか。故郷もない、両親は死んだ、愛したフォウも死んだ、共に戦った仲間のほとんどが死んだ。
 精神崩壊というラストは、初めて観た時は子どもながらにショックでしたが……「精神が崩壊した」ことはあまり重要ではないのかなと、『ガンダム』のラストから繋げて観ると思うのです。


 大人達に「アムロ・レイの再来だ」「アムロ・レイの再来だ」ともてはやされて戦場に送り込まれたカミーユ・ビダンは、『ガンダム』最終話で全てを失ったと思っていたアムロに最後に残った「帰れる場所」すら残っていない、正真正銘「戦争によって全てを失ってしまった主人公」だったんじゃないのか――――

 それはつまり、カミーユ・ビダンはアムロ・レイになれなかったということなんじゃないのか―――



 ここまで読んでくださった人の中で、『Zガンダム』のラストを知っている人は「え?」と思われていることでしょう。敢えてここまで私は一切触れないように書いてきましたからね。それは、「カミーユはアムロになれずに全てを失ってしまった主人公だった」ということを先に書いておきたかったからです。


 しかし、

 全てを失ったカミーユの横に、最後にはファ・ユイリィが残った―――

 これこそが『Zガンダム』という作品が描いていた「希望」だったのだと思います。


機動戦士ZガンダムⅡ -恋人たち-  [Blu-ray]機動戦士ZガンダムⅡ -恋人たち-  [Blu-ray]

バンダイビジュアル 2012-05-24
売り上げランキング : 41916

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

○ フラウ・ボゥにはならなかったファ・ユイリィ
 劇場版を観て改めて思いましたけど、『Zガンダム』という作品にはかなりの数の女性キャラクターが登場します。そして、その女性キャラクターの陰には男性キャラクターが配置されています。

 一番印象に残るのは、「女性を道具のように扱う男性キャラクター」と「男性に道具のように扱われる女性キャラクター」です。これは恋人関係に限らず。
 フォウ・ムラサメを操っていたのはベン・ウッダーでしたし、ロザミア・バダムに指示を出していたのはブラン・ブルタークで後にゲーツ・キャパになります。サラ・ザビアロフは言うまでもなくパプテマス・シロッコの道具でしたし、レコア・ロンドだってクワトロ・バジーナに利用されるだけの立場なのを嫌がってエゥーゴを抜けてしまいます。そこで向かう先がパプテマス・シロッコで、「結局そこでも利用されてるだけでは……」というのは言ってはならない。


 もちろん『Zガンダム』に登場する全ての女性キャラクターが男性に道具のように扱われているワケではなくて、「男性を鼓舞する女性キャラクター」もたくさん登場します。
 アムロ・レイを復活させたベルトーチカ・イルマは作中でもそう公言していましたよね。フラウ・ボゥはアムロを復活させられなかったけど、ベルトーチカ・イルマには出来たというのは象徴的。ジェリド・メサが幾度も立ち上がりカミーユに向かってきた背景には、ライラ・ミラ・ライラやマウアー・ファラオの存在があったからですし。ちょっと変則的な形ですけど、エマ・シーンへの想いがヘンケン・ベッケナーを駆り立てていたところもあると思います。


 ファ・ユイリィは、そういうキャラではないんですね。
 ファはカミーユを鼓舞しないし、カミーユはファのために戦うワケではありません。もちろんカミーユがファを道具のように利用することもありません。


 この辺、『ガンダム』におけるフラウ・ボゥとは対照的だなと思うのです。
 フラウ・ボゥは、戦いたがらなかったアムロを戦場に追い立てたこともあるし、逃げ出したアムロを追いかけてきたこともありました。結果的にそれがアムロを成長させてしまい、自分とは遠い存在になってしまったと思ったフラウ・ボゥはアムロの横から身を引くのですが。

 ファ・ユイリィはどうかと言うと……
 ファ・ユイリィは自分がパイロットとなって、カミーユの横に並ぼうとするのです。

 同じような「口うるさい幼馴染」ポジションで、同じように「母性の強いキャラ」として置かれていたファ・ユイリィですが、フラウ・ボゥとは対照的な行動を取っているのです。
 私はこれまで『Zガンダム』におけるファ・ユイリィの存在があまり好きではありませんでした。ファがパイロットになるってどんだけ人材不足なんだよというか。元から訓練を受けていたワケではない、カミーユのように特別な才能があるワケでもない、カツはまだ「前作のキャラが成長してパイロットになるのって燃えるじゃん」という理由で百万歩譲って認めるとしても、ファがモビルスーツに乗って戦う理由って何だろうとずっと思っていました。


 でも、フラウ・ボゥと対比して考えるとすごくよく分かるのです。
 「アムロ・レイの横にはいられなくなってしまったフラウ・ボゥ」に対して、「カミーユ・ビダンの横にいようとしたファ・ユイリィ」は“フラウ・ボゥのifの姿”だったと言えると思うのです。アムロをおだてて、叱咤して、母親のように接するのではなく、フラウがアムロとともに戦う道を進んでいたなら……ああいうラストにはならなかったというのがファだと思うのです。

 そして、ファのような立ち回りをする女性キャラは、『Zガンダム』の中では他に登場しません。強いて言うならマウアーは近いかも知れないけど、マウアーはジェリドを支えようとしていたのでファとはちょっと違うかなと。
 ファは離れてしまったカミーユに追いつこうとパイロットになって、カミーユの横に並ぼうとします。カミーユに利用される女にも、カミーユを支えるだけの女にもならず、カミーユと対等の立場で共に歩める女になろうとするのです。


 その結果、
 「戦争によって全てを失ってしまったカミーユ」の横に、ファは残れたのです。

 カミーユ・ビダンはアムロ・レイにはなれなかった。
 しかし、ファ・ユイリィはフラウ・ボゥに出来なかったことをやろうとした。


 劇場版は特にこの構造が分かりやすくなるように、カミーユとファのカットの直後に「アムロとフラウのカット」が入るんですね。別々のルートを進んだファとフラウが対比されて見えるように。



 様々な男女の姿が描かれて、ほとんどの女性キャラが死んでいったこの作品のラストにおいて、「男と共に肩を並べて歩めるように自立しようとした女」だけが残った―――というのは象徴的だなと思います。
 実はファ・ユイリィ以外にも戦場で生き残った女性キャラはいて、ハマーン・カーンもまた「シャア・アズナブルと共に肩を並べて歩めるように自立しようとした女性キャラ」と言えるかも知れません。「共に肩を並べて歩める」どころか「百倍速で追い抜いちゃった」くらいの関係性になってましたけど(笑)



 『Zガンダム』という作品を、私はずっと『ガンダム』のような作品として受け取ってしまって、だからこそ楽しめなかったのだと思います。劇場版で分かりやすくなったように、『Zガンダム』は『ガンダム』とは全く違うことをやろうとした作品だったと思うのです。
 「アムロ・レイの再来だ」「アムロ・レイの再来だ」ともてはやされたカミーユ・ビダンがアムロ・レイにはなれなかったように、『Zガンダム』は「『ガンダム』の続編だ」「『ガンダム』の続編だ」ともてはやされながら『ガンダム』のようにはなれなかった人達を描いていた作品だったのかなと。似通っているシーンやキャラ配置は、むしろその二つの差異が分かりやすくなるために描かれていたんじゃないかなと。


 それが分かって、今回劇場版を観てみて本当に良かったです。
 テレビ版から20周年で作られた劇場版を10年後に観て、今更ですけど(笑)。

 『Zガンダム』という作品がどういうものだったのか、ようやく分かった気がしました。


 よし!次は『ガンダムZZ』の総集編映画を作りましょう!
 今の技術でエルピー・プルのお風呂シーンを作り直すのだ!

 でも、アレも再構成することで化ける作品だとは思うんですけどね。来年が30周年ですし。


機動戦士ZガンダムⅢ -星の鼓動は愛-  [Blu-ray]機動戦士ZガンダムⅢ -星の鼓動は愛-  [Blu-ray]

バンダイビジュアル 2012-05-24
売り上げランキング : 46100

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| アニメ雑記 | 17:48 | comments:37 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

自分は、TV版が好きなので劇場版は駄目でした。
まだ1は良い。
正直わくわくしました。
2は許す。
3が面白いはずだから我慢しました。
フォウも、ヒロインではない扱いになっていたから、ゆかなでも許すw
だが3、お前は駄目だ(怒)
地上エピソード全カットで、宇宙で戦争するだけの話になってしまった。
別に、ガンダムにロボットアクションの格好良さだけを求めてはいません。
あのラストじゃ、ZZにも繋がらないしね。

Gレコなんかと比べれば、かなり判りやすいと思いますけれどね。
反ジオン(コロニー)のティターンズに、反ティターンズのエゥーゴ。
ちょっと判りづらいのがその他の連邦軍で、ジオン勢力のアクシズ。
あとは、シロッコの造反くらいだし。
それから、ひとつ考えて頂きたいのは、Zはクワトロ(シャア)の物語だと言う事。
劇場版1のエンドロール、最初にクワトロ・バジーナ:池田秀一とクレジットされて、「おぉ、判っているなぁ(^^)」と喜んだのになぁorz
シャアの物語第2話なのに、ダカールの日すらないなんてありえないですよ(怒)
フォウ好きとしては、キリマンジャロがないのも駄目の駄目駄目。
カクリコンやライラをカミーユに殺されて、フォウをジェリドが殺すって言う構図も崩れるし。

Zは嫌いと公言している富野が、Zを殺すために作ったのが劇場版だと、自分は思っています。

それから、当時から昔の映像の使い回しはどうなんだ、と思っていましたが、ヱヴァ新劇が完全描き下しでしたからね。
映像的にも、劇場版Zは非道い作品と言わざるを得ませんよ(-_-)

| Valhaloss | 2015/03/08 23:02 | URL | ≫ EDIT

いい記事だなあ~
自分も当時見てた口で、カッコいいけど何が何やらって感じでした
それから20年後位にビデオが廻ってきて通しで見たら苦痛でこんなの見せられてたのかって見た事無い人には見る価値無いって断言してましたw

劇場版は確かに苦痛では無かったですが最後ちょっと絵的に爆笑してしまい…
でもこの記事読んでラストで笑ってもいいんじゃないかと思い直しました(いいのかな?)
良い記事でした。ありがとうございます。

| ああああ | 2015/03/08 23:04 | URL |

そう考えると、ΖΖ冒頭のジュドー達にウザがられながら健気に戦うファは激しく蛇足でしたね…。

| 児斗玉文章 | 2015/03/10 08:33 | URL |

見解

TV放送時の企画書に、飽和で物があふれる時代に必要な物だけあれば十分ではないか、といったようなテーマがあったと思います。TV版では必要以上に背負うものが多かったカミーユは精神崩壊します。劇場版では必要な分だけ手に入れているカミーユは崩壊しません。それはファの愛情だと思います。クワトロとレコア、ヘンケンとエマ、クワトロとハマーン、カツとサラ、それぞれ必要な分だけでしょうか?憎愛、必要以上、拒絶、、、
20年の時を経て同じテーマを明るい形で終わらたのだと考えます。だからブライトさんは幸せそうなんだ(^O^)

| 名無し | 2015/07/11 07:34 | URL | ≫ EDIT

ちょっと質問

TV版ロザミアの中で、でカミーユはなぜロザミアの中にフォウの意思を見たのか?どう考えますか?
名前は名無しですがΖ一番と考える者ですo(^-^)o
ダブルΖは分かり易く面白いと思います、是非映画にしてほしい。

| 名無し | 2015/07/11 07:42 | URL |

>名無しさん

 質問をされても、4ヶ月も前に書いた記事なので正直覚えていないです……1つ記事を書き終えた瞬間から、もう次の記事のことを考えなければならないんで。

| やまなしレイ(管理人) | 2015/07/11 11:30 | URL | ≫ EDIT

強化人間と本来の自我の狭間で揺れる存在だと認識したときに、フォウの存在と重なって見えた、ではダメですかね。サイコガンダムMk-Ⅱを撃つ場面で、サラの意思を見たのも、同じ理由かと。

| ああああ | 2015/08/06 08:10 | URL |

アムロになれなかったって(笑)
なる必要ないでしょう。
カミーユはアムロとは違うってだけ。
ガンダムとZが違うようにね。
比較するのは構わないけどどちらかを貶めるような言い方でしか評論出来ないのは残念。

| ああああ | 2015/09/16 20:17 | URL |

>ああああさん

>比較するのは構わないけどどちらかを貶めるような言い方でしか評論出来ないのは残念。


 …………この記事をそんな風に読解する人がいるのか。

| やまなしレイ(管理人) | 2015/09/16 22:15 | URL | ≫ EDIT

○○になれなかった、○○にならなかったと言う表現は、○○ありきになりませんか?

ああああさんの言いたい事はそこではないでしょうか。

初代はナチュラル、Zはケミカル。

楽しみ方は人それぞれですよね。


| 木星人キラー | 2015/10/09 04:26 | URL |

全然違うかもしれませんが、Zガンダムのエンディング曲覚えていますか。

苦しい時こそ投げ出さないで そんな一節があった記憶が有ります。

カミーユのー歩んだ時間のように思えたのは、僕だけでしょうか。

そして、いつか見たあの青い空のように でアニメションがいつも終わっていた。

カミーユとファーと向き合うシーンで終わってた。

戦争アニメですから本来残酷だったり、悲惨だったりするのがあたり前かもしれません。
その中の希望って パンドラの箱みたいですね。

| 名無しさん@ニュース2ch | 2015/10/09 21:04 | URL |

>木星人キラーさん

>○○ありきになりませんか?
 それは別に僕が言い出したことではなくて、作中で繰り返し繰り返し何度も何度もカミーユは「まるでアムロ・レイだ」「アムロ・レイの再来だ」と言われていることです。
 フォウが出てくるシーンでも「まるでアムロとララァの関係のようだ」と繰り返し言われます。


 両者を比較しているのは作中の登場人物ですし、この記事では「それでもカミーユは(アムロとは違う)希望を手に入れたんだ」と書いているのです。
 「比較するな」と言うのなら、僕ではなく作中の登場人物に言ってください。


>楽しみ方は人それぞれですよね。
 僕が怒っているのはそういう次元の話ではないです。
 書いてあることを読まずに書いていないことをでっちあげてそれを根拠に批判されることに怒っているんです。

 この記事は「今まで気が付かなかったけどZガンダムってこういう話だったことが分かったし面白いんじゃん」と語っている記事です。今回自分でも読み返しましたけど、決して分かりにくい文章だったとは思いません。

 でも、コメントには「アムロと比較してカミーユを貶した」と書かれているんですよ?180度違う読解をされて、それを根拠に批判されるのならそりゃ僕だって反論しますよ。


>名無しさん@ニュース2chさん
 エンディング曲は飛ばして観ていたので覚えていません、ごめんなさい。しかし、最後がカミーユとファのカットで終わっていたというのは興味深い話ですね。

| やまなしレイ(管理人) | 2015/10/09 22:22 | URL | ≫ EDIT

くどい文章。やりなおし

| ああああ | 2015/10/28 09:26 | URL |

>ああああさん

 酷いコメントですね!

| やまなしレイ(管理人) | 2015/10/28 20:12 | URL | ≫ EDIT

同じく最近劇場版三部作を視聴し終えた者ですが、記事を拝見して膝を打ちました。

確かにその点に着目して見ると、アムロとカミーユは似て非なるというか鏡写しのように描かれていたんですね。
そう考えるとZガンダムの「ガンダムの続編」としての意味合いがとても強まるように思えます。

| 星野古道 | 2015/11/20 01:28 | URL |

Z自体がカミーユが演じた演劇をシャアに見せるための話だから仕方ないね

| ああああ | 2015/12/13 19:46 | URL |

拝見させていただきました。
個人的には初めてZガンダムを見たとき最後のコロニーレーザー内の戦闘カッケーくらいにしか思っていなかったので深く考えさせられました。

| ああああ | 2016/01/05 14:30 | URL |

星空のBelieve

 EDはご覧になっていなかったのですね。
 ファ・ユイリィがひたすらハロと一緒に宇宙を駈け続け、最後の最後でカミーユに追いつく……か、もしかしたら抜いた……? というアニメーションなので、まさにこちらの考察を読むと得心のいく代物でしたよ。

「アムロ、振り向くなアムロ」とは見事に対照的ですし、本編側でほとんど見せ場を与えられない期間中も、影の主人公としてファが「カミーユを追い、走り続けている」ことを印象付けていますし。

| kanata | 2016/01/10 17:41 | URL | ≫ EDIT

驚くほど、鋭い考察を有り難うございました。
いえ、作り手側はこれほどまでに考えてない気がします。
この考察で、2作が昇華したと言えると思います。
こういう漠然としたイメージを言葉に出来る人って凄いと思います。
うちの姉もそういうタイプです。
凄いなぁ

| ああああ | 2016/02/11 03:01 | URL |

全部を失ったのは、カミーユではなくシャアだと思います。

| ああああ | 2016/02/11 18:53 | URL |

何をやっているのか分からないって言ってるからそりゃ『zそのものが持ってる真のテーマは何なのか?』って事は理解できないし、目が向くわけないよね
初代(初代のキャラ)ありきの見方をするしかない

| ああああ | 2016/02/18 07:23 | URL |

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

| | 2016/02/25 11:25 | |

>承認待ちコメントさん

 記事に書いていますよー。


 この記事を読んでから「じゃあ劇場版『Z』も観てみようかな」と思ってくださる人もいると信じていますから、決定的なネタバレは書きませんが……テレビ版からものすごく変わってしまったシーンも劇場版にはあって、当時それが宣伝として結構言われていたように覚えているのですが。
 私個人の解釈だと、確かに「起こっている出来事は違う」けど、「そのシーンが意味しているもの」はテレビ版の頃と一緒でそれを分かりやすくしただけかなと思っています。『エヴァンゲリヲン』の旧テレビ版と新劇場版が、「起こっている出来事が全然違う」けど「描かれているものには通じるものがある」リメイクなのと同じようなカンジかなと。

| やまなしレイ(管理人) | 2016/02/25 20:07 | URL | ≫ EDIT

とても、Zガンダムの続きが気になるものです。
私はカミーユが精神崩壊していたのではなく、Zガンダムに魂を吸い取られたのではないかと思います。
理由はエマさんが死ぬ前に言っていた言葉
「私は見たの。Zガンダムは、人の意志を吸い込んで、自分の力にできるの」 この言葉から私は人の魂を吸う、つまり、自分の魂も吸われてしまったのではないかと思います。

あくまでも考査ですが(笑)

| ( *・ω・)ノ | 2016/08/01 21:41 | URL |

初代ガンダムを好きな人から見たZの感想ってこういう風なんだなーと参考になりました。
私は個人的には真逆でTV版Zガンダムが好きなタイプなので
やっぱり劇場版は違和感たっぷりだし、
意図は十分わかるのですが、それでも「アムロになれなかったカミーユ」というような言いまわしにはものすごく反感を持ってしまいますね。

生きているカミーユのそばにアムロのように生きている心を許せる人が残らなかったかもしれませんが、
私はあっちの世界でみんなと一緒になったカミーユが幸せだと信じているからです。
逆にいえば、(カミーユのように)ララァの元に行けなかったアムロと言う言い方もできるからです。

その視点で見るとどうしても劇場版は蛇足としか思えないんですよね・・・

| なるほど | 2016/08/25 00:49 | URL |

 というか、Z好きな人って結構「ZZでカミーユがどうなったのか」は観ていないんですね……

| やまなしレイ(管理人) | 2016/08/25 02:58 | URL | ≫ EDIT

私のことでしたらZZも見ていますが
それで「Zガンダムのエンディングへの感想」は特に変わりません。
むしろ何故観てないと思われたのですか?

| なるほど | 2016/08/25 22:07 | URL |

>なるほどさん

 劇場版Zのラストのカミーユは、ZZラストのカミーユと一緒なので(というかZZをすっ飛ばしてZ単独でカミーユの物語を完結させると劇場版の終わらせ方になる)。

 劇場版Zのラストを「蛇足」と仰られるのなら、「テレビ版のZは大好きで、ZZは蛇足で、ZZ準拠の劇場版Zも蛇足になる」ってことなんですかね。

| やまなしレイ(管理人) | 2016/08/25 23:47 | URL | ≫ EDIT

ZガンダムはZガンダム、
ZZガンダムはZZガンダムですからね。
劇場版Zが蛇足だと思うとは申しましたが、
ZZが蛇足だとは思いませんよ。

そもそも、新約ZのラストのカミーユとZZのラストのカミーユが同じだとも思いません。むしろ、共通点がファ傍にいて、
笑っているというくらいしか思いつきませんが
一見その情景が同じようなものに見えたとして
経る過程が違っていればそれは全く別の結論でしょう。

もっと言えばTV版Zと劇場版Zのカミーユは根本的に別物(別人)だと思います。

| なるほど | 2016/08/26 00:41 | URL |

>なるほどさん

 まぁ、解釈は人それぞれですからね。

| やまなしレイ(管理人) | 2016/08/26 00:45 | URL | ≫ EDIT

全くですね。

ただ、それとは関係なく、言語化することにより考えが整理できたというか、
自分がこんなにもあの繊細で純粋で優しいカミーユが好きだったんだなぁと再認識できました。

ありがとうございました。

| なるほど | 2016/08/26 01:03 | URL |

初めまして今回初めてブログを拝見させていただきました

映画Zは精神崩壊をしなかったし気がついたらロザミア死んでた!!
とかTVとは違った展開が三つ目でとても多かったのが不味かったんですかねw

個人的にはキャストの方々(TVでもやってた方)の声色というか演技力がとてもうまくなっててビックリしました。カミーユとか別次元です

何はともあれ面白い記事を読まさせていただきありがとうございましたm(__)m

| ナナシン | 2016/09/19 19:21 | URL |

劇場版派です

私は昨日初めて劇場版をDVDで見ました。
個人的には劇場版の方が好きです。

理由は私にとってガンダムの大事なテーマの一つが

「人には帰るべき場所がある」
(そして最後にその場所へ帰る)

だと思っていたからです。

私は元々、テレビ版が好きではありませんでした。
登場人物の作り込みが薄っぺらで、主人公を含め行動や発言に全く感情移入や共感が出来なかった(理解不能・意味不明でした)

決定打はDVDを購入しブックレット記載されていた富野氏の
「こんな作品を見ている奴はバカだ」という発言

この発言を見て富野氏が自分の作品に対して

「愛情の欠片も持っていないし、嫌いで憎んですらいる」
「作品を見る人達を馬鹿にしているし嫌ってさえいる」

そして、その結果が薄っぺらな登場人物、救い様の無い終わり方
という事が解ってしまったのです。

以降「Zガンダムを含めた富野作品全て」見る価値がないゴミ作品となってしまいました。

劇場版では、富野氏自身が認めていますが、Zガンダムを作っている時に精神的におかしくなっていた(狂っていた)
それが作品にいろんな形で出ていたことを後悔しています。

それを長い年月を経て心理的に立ち直った富野氏が自分自身が
愛することが出来なくなった作品をしっかり見つめなおして
いるのがわかります。

劇場公開時はわかりませんが
DVDを見る限り、意味不明だったキャラクターの行動や発言が
だいぶ保管されているように感じます。

例えばTVではレコアの理解不能な行動や発言も追加シーンで大分
分かる様になっています。

ロザミアやフォウの出番が減ったのは微妙な所ですが、代わりに
ファの出番が強調されて(あちこちで頑張ってますね^^;)
最後の帰る場所としてうまくまとまっていると思います。
(カミーユの無事生還はファが頑張ったご褒美?w)

もちろん悲惨な最後を批判するわけでは無いのですが
ガンダムはハッピーエンドであってほしいと思っています。
多少嘘っぽくても、アニメで必要以上に悲惨にするのはどうかと思っています。(08だって片足失う必要はないと思うのです)

何はともあれ、異論もある方も多いと思いますが、
私はハッピーエンドが好きなのでこんな感想です^^;

| TAKA | 2016/09/25 02:24 | URL |

AMAZON Primeで劇場版→TV版で見直し見ました。Amazon様々です。
個人的にはTV版の方がしっくり来ますかね…
シャアにとどめを刺せなかったアムロと違い、カミームは強い意志のもとで自分の限界を超えてシロッコを消し去っています。限界を超えた力の代償としてカミーユは自己を捨てている訳で、精神崩壊しなければ命を失っていたと思えば、紙一重で救いがある結末だったかと。
アムロもカミーユもシャアもシロッコも、地球の引力に魂を引かれた人間を超えたニュータイプの可能性にかけているんですよね。それが故に悲劇を生むというのがガンダムの主題なんでしょうけど。

| NANASHI | 2016/10/10 02:32 | URL |

いろんな解釈は自由なので、良いと思います。
が、アムロとカミーユは反対であるとか、違いが帰る場所の有無とか、
少しズレているかと思います。

アムロのニュータイプ能力というのは実は対したこと無くて、
「パイロット能力が異常に高い」程度のものだったんですね。
逆シャアでも一貫していますが、
アムロは最後まで「一介のパイロット」なんですね。
なので特に精神崩壊する理由はありません。

対してカミーユはニュータイプとして正しく進化しすぎました。
もはやパイロットという範疇を超えてるんです。
シロッコとの戦いを見ても分かる通り、死者の精神まで取り込んでます。
背負いすぎました。
こうなるとカミーユへの負担は膨大で、自我崩壊に至ってしまう訳です。(TV版)

劇場版でのカミーユは上手いこと自責から解き放たれていますからね(物語の端々にてそれは感じられるかと思います)、無事で済みました。

なので、あなたの考察は面白いのですが、
カミーユがアムロになれなかった、という解釈はズレているかな、と。
なので、コメント欄にてモヤモヤされている方が多いのだと思います。

| Y | 2016/12/06 15:09 | URL |

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

| | 2016/12/30 14:18 | |

面白かったです!

このレポート、すごく良く判ります!
私もガンダムといえばファーストなので「Z」をどうしても続編という比較の視点でしか観れません。
「Zは世界観から作ったからキャラが駒扱いなのかな?」「行き当たりばったりで富野さんも息苦しかったのかな?」なんて偏見があったのですが、映画「Z」は面白かったです。
富野さんがTV当時、細部まで考えていて、投げ出してなかった事がよく判りました。
映画「Z」は新作カットが安彦さんぽくてきれいだったので楽しんで観れたような気がします。テレビ版も作画監督が安彦さんだったら観てたかも知れないです。
ちなみに「逆シャア」は、絵のせいで話が入って来ません。

ところで下の代には「ガンダムと言えばZ」という友人もいるのです。
彼が言うには、むしろ「ファーストはどうでもいい。単純にZがめちゃめちゃ面白い」だそうです。
こういう方の中には、ファーストが好きな人から「Z」を続編扱いされたり、比較されたりする事に抵抗がある方もいるのかなと思ったりもしました。
私もウルトラマンと言えば「帰ってきたウルトラマン」ですので・・・

ファーストと「Z」を両方とも等しく大好きな方が比較すれば、どんな視点のレポートになるのでしょうね。

私にとっては非常にスカッとした最高のレポートでしたよ!

| TAKU | 2017/01/22 20:45 | URL |















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://yamanashirei.blog86.fc2.com/tb.php/1905-cb004658

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT