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アニメ『純潔のマリア』各話感想メモまとめ(1話~最終話)

 冬アニメの感想メモまとめ……えっと、これ何本目だっけ。
 とにかく!4月になりましたが、春アニメが始まるまでに完成させておきたい感想メモまとめいきます!今季、私が観た唯一の1クールアニメでした。


<ルール>
・1話から最終話までの感想ツイートを貼り付け
・“最終話まで観終っている”現在の自分のコメントを補足
・なので、基本的に最終話までのネタバレを含みます
・「まとめ」という記事タイトルですけど、まとめるのは「私の感想」だけです。「みんなの感想」をまとめるのが目的の記事ではありません
・思うがままに書いた感想なので、ところどころに間違いがあったりするでしょうが優しく許して下さいな


 今回の記事も長くなることが予測されるので格納しました。
 続きは「続きを読む」を押してもらえれば表示されます。ではでは。




LIBER I VIRGO INTACTA― 第一話 完全なる乙女 ―

 情報をほとんど入れずに観た第1話。
 「主人公が圧倒的に強くて戦争を妨害していく話」と言えば、ガンダムシリーズなんかでもよくある話ではあるんですが。こちらはキャラクターも時代背景もファンタジーの設定も「この作品のために」考えられて&選ばれたものなので、「主人公が圧倒的に強くて戦争を妨害していく話」達の中でも原液のような話だったと思います。



LIBER II CONTRA MUNDUM― 第二話 世界に対す ―



 第2話にして早くもマリアのやっていることに「これはいいことなのか……?」と考えさせる展開でした。ぶっちゃけた話をすると、全12話の中でこの頃が一番私のテンションが高かったです(笑)。
 こういう話ですから、こういう「主人公のやっていることは正しいことなのか?」と考えさせる展開がどこかで来るだろうとは思っていましたが、そういう展開が中盤以降ではなく序盤で出てきたことでグイグイ引き込まれました。



 どうしていつもそうなのかは分からないんですが、倉田英之さんがシリーズ構成を担当されるアニメって毎回序盤がムチャクチャ面白いんですね。どんどん引き込まれて、続きが観たい!続きが観たい!と思わされる。で、中盤くらいで「そんなでもないかな……」と一旦引いて、終盤は「あー、良かった。面白かった。」と思わせる展開になっていくという。

 原作があろうがなかろうが、どの監督と組もうが、何故だか倉田さんがシリーズ構成の作品はいつもそう感じるんですね。どんな作品だってそういうところはあるのかも知れないけど、倉田さんがシリーズ構成の作品は特にそう思います。



LIBER III FIDE, NON ARMIS― 第三話 武器でなく信仰で ―


 ミカエルから送り込まれた監視役としてエゼキエルが登場の回。
 その上、「純潔を失えば力も失う」という枷がマリアに課せられて、基本的な設定が整った回でした。

 処女だ、純潔だという話の出てくるこの作品でしたが、アンのおかげであまりエロ方向には進まないのが自分としては好きだったんですけど……作品テーマ的なことを考えると、もうちょっとエロ方向の生々しさがあった方が良かったのかなぁと思わなくもないです。放送時間的に、あまりやりすぎると『妹ちょ。』の二の舞になりかねませんが。



LIBER IV MEMENTO MORI― 第四話 死を思え ―

 よく考えると、プリアポスとエゼキエルは美海とまなかなんだな……

 ビブの登場、マリアが救えなかった村と、ガルファの語る野望と―――
 作品が描いている世界がグンと広がって「マリアの持つ価値観が全てではない」と改めて考えさせられるとともに、エゼキエルの視点から見たマリアを描くことで視聴者としてもマリアの別の側面を見ることが出来た回でした。




LIBER V SAPERE AUDE― 第五話 勇気を、分別を、 ―


 そんなことはなかった>魔女軍団の出番
 橋本ちなみさんとか小澤亜李さんとか、まだ若手だけど主役経験者の魔女軍団でした。魔女軍団は好きなキャラ達だったので、最終決戦に出てきたのは感動しました。時代がこの後に魔女狩りへと進むことを考えると、彼女らがその後どうなったのかは少し考えてしまうところはありますが。


 ここの回は個人と個人の決闘だったので「不殺」という表現を使いましたが、『純潔のマリア』は「不殺」とはちょっと違いますよね。
 『るろうに剣心』や『ガンダムSEED』後半のキラは「戦うけど殺さずに相手を無力化する」ことで死人を出さないようにしていましたが、マリアの場合はそもそも「戦いが起こらないようにしていた」ので……『ガンダムOO』における「全戦争行為への武力介入」に近いのかも知れません。


LIBER VI SUB ROSA― 第六話 薔薇の下で ―

 「このままフランス側が勝てばしばらく戦争は起こらないから、この戦いだけ目を瞑ってはくれないか」という回です。結局、目を瞑らずに戦争に介入したマリアはガルファの恨みも買うし追い詰められていくのだけど……難しい話だなぁと思います。

 逆にマリアがここで目を瞑っていたら、マリアは自分を見失っていただろうし、ビブからも見限られただろうし……それはそれでああいうラストにはならなかったと思いますしね。この辺りの葛藤はとても面白かったです。



LIBER VII BELLUM SE IPSUM ALET― 第七話 戦争は戦争を食う ―

 戦争に介入したことでミカエルの槍を喰らうマリア―――
 魔女軍団との交流やエドウィナの家に押しかけるところとか、終盤に向けての伏線を仕込んでいる展開ではあるんですが……ここから数週はマリアが追い詰められていく展開が続くので、面白いことは面白いんですけど、精神的にはなかなかつらかったです。



LIBER VIII LUPUS EST HOMO HOMINI― 第八話 人は、人にとって狼 ―

 ゼロ年代のアニメは、この谷口悟朗監督の作品を始めとしてサンライズ制作のアニメを中心にして同じような構成のアニメは多かったんですね。
 序盤はキャラクター達の日常を描いて掘り下げて、視聴者にとっても愛着が出てきた中盤辺りから大きくキャラを動かして主人公は全てを失い仲間を失い孤立していって、何もかもを失った終盤に主人公が最後に答えにたどり着く――――という構成のアニメがたくさんありましたし、この『純潔のマリア』も同じような構成のアニメでした。

 まだ自分は原作漫画を読んでいないんですけど(キンドルで出ていないんですよね……)、アニメ版の中盤以降にマリアを追い詰めていくガルファもベルナールもル・メ伯も全員アニメオリジナルのキャラクターなんですってね。自分は原作からこうだったのかと思っていたのですが、このマリアが徹底して追い詰められていく展開はアニメオリジナルの展開だったんですかね。どうりで谷口監督っぽい展開だなーと思いました。


 んで……正直、私はこの構成のアニメに飽きちゃったところがあるんですね。
 というか、谷口監督の代表作『プラネテス』(2003年)からして「孤立して逃げ場のなくなる主人公」の答えを見せてもらっているので、同じような展開をされても「うん……そりゃこうなるよね」と思ってしまうんですね。
 そのテンプレがあまりによく出来ているから、中盤ドキドキして、終盤すっきりして「あー面白かった」という満足感が得られるのは確かなんですが、そのテンプレ以上のものは感じられないなぁというのは正直あります。



LIBER IX CUM GRANO SALIS― 第九話 一つまみの塩を ―

 マリアが強姦されかけて、魔法を失って、捕らえられて異端審問にかけられていく……という。この時は「ビブ、かっけえ!」と思ったのですが、この展開は「頼みの綱のビブも敗れる」という更なる絶体絶命&孤立無援を描くための展開だったんですよね。

 ベルナールとジルベールはこれ以降「神が存在するか」という点で思想が異なる方向に進むのだけど、これは後のキリスト教が分派していくって話の暗喩なんですかね。世界史で習ったけど、どういう思想の違いだったか全然覚えていません!


LIBER X ODI ET AMO― 第十話 我憎み、我愛す ―

 魔法を失い、ビブが敗れ、ジョセフは戦争に行ってしまい、人々からは処刑される姿を見世物のように扱われ、全てを失ったマリアのところにエドウィナが―――

 「この構成のアニメに飽きちゃったところがある」と書いた私ですけど、でもやっぱりこのシーンはテンション上がりましたね(笑)。やっぱり「絶望的な状況からの逆転」というのは根源的な人間の欲求を満たしてくれるものなんだろうなと思います。だから、こういう作品がたくさんあるワケなんですが。
 んで、似たような構成のアニメがたくさんあるのなら、その中で差別化をはかるのは「どうやって逆転するか」の差だと思うのですが……これまで頑なに戦おうとしなかったエドウィナがとうとう立ち上がるという展開も、「勇気のない人間が振り絞った勇気で立ち上がる」という少年漫画の王道パターン的な展開だったのでそりゃ燃える燃える。

 お話全体のクライマックスは、この次の回のマリアが魔法を取り戻すところだったと思いますが……個人的にはこっちの回がクライマックスでした。


LIBER XI SI VIS AMARI, AMA― 第十一話 愛を望むなら愛せ ―

 ジョセフvsガルファ。
 「大人しい男ほどキレると厄介」というのはセオリーだけど、ジョセフがその後に反省するように、人間誰しもが己の中に獣を飼っているというのが「憎しみ」とか「戦争」がなくならないことを表しているのかなぁと思います。

 逆に、強い自己を持っていると思われたマリアだって支えが必要な時があって、ジョセフに愛されることで失われた魔法を取り戻すということは、「人の弱さ」と「弱いからこそ支え合って強くなれる」ことを描いていたのかなぁと思います。


 そう思うんですけど、その後のマリアのアホみたいな浮かれっぷりに「何だったんだこの話は……」と思わなくもなかったです(笑)。この作品が、この作品そのもので提示していたことは「戦争の是非」とか「武力の是非」とかではなくて、「人には人の支えが必要なんだ」ということだったので……すっごく壮大な話に、ものすごく個人的なオチが付けられたような感覚はどうしてもしてしまいます(笑)。

 「マリアらしい」っちゃ「らしい」んですけどね。


 アンとケルヌンノスの話はすごく好きでした。
 9話の感想で「アンが可哀想」と書きましたけど、「可哀想」なんて同情される必要もなく、アンはアン自身で「マリアを忘れない!」と宣言したのにはすごく感動しました。最終話で明らかになりますけど、この作品のナレーションがアンだった=アンは年老いてもまだマリアのことを素晴らしい思い出だと覚えているってことですからね。



LIBER XII APOCALIPSIS OMNIA VINCIT AMOR― 最終話 愛は全てに勝つ ―


 「人と人との支えが……」って作品なので最後にみんなハッピーエンドで終わるのは当然として、その見せ方として「ミカエルが今までのキャラにマリアのことを訊く」という展開は上手いなと思います。その結果死ぬベルナール。カワイソス。


 でも、ベルナールの「神の言葉を伝えるだけなら道具に過ぎない」という話は、ミカエルやエゼキエルに通じる話なんですよね。エゼキエルはミカエルの道具のように現れたけど、マリアと出会い、プリアポスやアンと接することで自分の意志を持ち、最後にマリア達を守ろうとした―――その姿は感動的でしたし。

 ジョセフがル・メ伯の下を去ろうとした時に「強い意思を持っている」と言われるところとか、実は自分のことは自分にすらよく分かっていないと伝わってくるシーンで好きでした。ル・メ伯の下を去るジョセフも、ミカエルの下を去るエゼキエルも、この作品の中で「自分の意思」を持って「誰かの言いなりになるだけ」ではなくなったということですからね。


 形は違うけれど、アルテミスとプリアポスとエゼキエルはそれぞれマリアと一緒にこれからも暮らすのだろうし、見事なハッピーエンドでした。ベルナールは可哀想でしたが、自業自得とも言えますしね。


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 原作は電子書籍では出ないんですかねぇ……原作チェックしたいけど、紙の本で読むしかないのか……

 アニメはアニメオリジナル要素が多かったみたいで、谷口監督&倉田さん脚本の色がよく出ていたし、1クールのアニメとして非常によくまとまっていたと思います。歴史考証なんかもかなり力入っていたみたいですし、あの時代の日常を描いてくれた楽しさもありました。
 反面、「またこの構成かぁ……」というのは正直あります。「アニメ化するにはこのテンプレに当てはめれば楽だ」みたいなカンジになっていて、「飽きちゃっている」と書きましたけど「慣れちゃっている」というのが正確なんだと思います。どんな欝展開になっても「ハイハイ、最終話を盛り上げるためには9~10話目くらいには欝展開になりますね」くらいにしか思えなくて。


 良くも悪くも、「典型的な、まとまった1クールアニメ」だったかなぁという感想です。
 原作からどの程度変わったのかをチェックしたいのだけど、紙の本しかないのなら……本棚を整理してからかな、これは。

| アニメ雑記 | 18:03 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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