やまなしなひび-Diary SIDE-

変わらない価値のあるもの

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記憶に残るアクションゲームの場面とは

 とある理由のために読み返していたら、ちょうど今語るのに面白そうな話題を宮本茂さんが話されていたので……『スーパーマリオギャラクシー』の「社長が訊く」の引用から今日は始めます。


<ここから引用>
宮本「(略) それに、今回はコースも短めにして、ボスまでわりと近いので、忙しい人にも遊びやすくなってると思います。中間ポイントも置くようにしてますしね。」

岩田「マリオが倒れてしまって、「さあ、もう1回」って引き戻されるのが、かつては、ものすごく長いコースを引き戻されていたわけですよね。」

宮本「ゲームが3Dになり、スケールも大きくなって、どうしてもコースが延び気味になってしまうんです。
 それは見直さなきゃいけないんですけど、ホントは同じところを何度もやるのは楽しいはずなんです。同じコースを何度もやっているうちに、思い入れがどんどん深まっていくと思うんです。
 それが、中間ポイントを置いて、お手軽に次に進めるようにすると、プレイヤーの心の中に残るものが少なくなってしまうんです。たとえば5年後に「あのゲームはどうやった?」って聞かれても、なにも答えられなかったりして。僕は、みんなの心に残るようなものをつくりたいんです。」

岩田「同じことを延々としてもらってるんだけど、お客さんの挑戦意欲がまったく衰えないモノをつくるのが理想ですよね。」

宮本「個人的な話ですが、クラシックの1時間の演奏とかって、メインの曲しか覚えていなかったりするんですけど、たとえばビートルズの曲だと、ほとんどの曲を覚えていたりするんです。曲によっては、それをはじめて聴いたときの情緒とか、そのときの出来事を思い出すようなところがありますよね。
 ゲームにもそういうものがあったら、と思うんです。その意味では、継ぎ足して、継ぎ足して、中間ポイントを置くようなことはあんまりやりたくないんですけど、忙しい時間を割いて、ちょっと遊ぼうと思ってるのに、スターを1個とるのに30分はないやろうと(笑)。
 だから、わりとほどよい距離感に収まったんじゃないでしょうか。実際、体験会では、「ゲームのテンポがいい」とか「アクションが苦手だったのに、楽しめた」という声がたくさん聞かれましたしね。だから、意外な人がゲームを好きになってくれる可能性があって、今作でも、そんな期待もちょっとしてます。」

</ここまで>
※ 改行・強調は引用者が手を加えました

 これは2007年に発売されたWii用ソフト『スーパーマリオギャラクシー』についての話で、私は現在2010年に発売された続編『スーパーマリオギャラクシー2』をプレイしているので、ここの話をとても興味深く読んでいました。本当は宮本さんは「中間ポイント」なんてものは入れたくないのだけど、『スーパーマリオギャラクシー』には仕方なく入れたんだってカンジがしますよね。


 「中間ポイント」とは?
 アクションゲームでミスをした際に、リスタート出来る位置のことです。例えば、『スーパーマリオブラザーズ』はミスをした場所によって「ステージの最初から」やり直しになる場合と、「ステージの途中の中間ポイントから」やり直しになる場合があります。

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<画像は『スーパーマリオブラザーズ』(Wii Uバーチャルコンソール)より引用>

 これは『スーパーマリオブラザーズ』1-1の中間ポイントです。
 これ以降の場所でミスになった場合、ステージの最初からではなく、ここからの再開となります。

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<画像は『スーパーマリオワールド』(Wii Uバーチャルコンソール)より引用>

 こちらは『スーパーマリオワールド』ヨースター島コース1の中間ポイントです。
 今作から中間ポイントは「中間ゲート」となり、コースに1つ設置され、このゲートを切っておくと再開した時にここから始められると分かりやすくなりました。


WiiU_screenshot_GamePad_01994.jpg
<画像は『スーパーマリオ64』(Wii Uバーチャルコンソール)より引用>

 しかし、『スーパーマリオ64』には原則的に中間ポイントがなく、ミスをしたらステージの最初からやり直しとなってしまいました。
 これは、2D時代の『スーパーマリオブラザーズ』や『スーパーマリオワールド』は「スタート地点からゴールに向かう」ゲームだったためにその中間に「中間ポイント」を置けたのに対して、ゲームが3Dになった『スーパーマリオ64』は「箱庭空間の中を自由に歩き回ってスターを探す」ゲームになったために「中間」というものがハッキリしなくなってしまったからだと思われます。

 そのため、『スーパーマリオ64』はマリオのライフが「8」もあって死亡してやり直しになる回数を減らそうとしたのだと思いますが、相変わらず穴に落ちたら一発で死んでしまうマリオですから、ちょっとの操作ミスで穴に落ちたらこの長い道中をやり直しになってしまうという緊張感の中でプレイしたのを覚えています。
 岩田社長が仰っている「マリオが倒れてしまって、「さあ、もう1回」って引き戻されるのが、かつては、ものすごく長いコースを引き戻されていたわけですよね。」とは、このことだと思われます。



 んで、Wiiの『スーパーマリオギャラクシー』です。
 同じ3Dマリオという括りにされる『スーパーマリオ64』と『スーパーマリオギャラクシー』ですが……『スーパーマリオギャラクシー』は惑星から惑星に飛んでいってゴール地点のスターに向かうゲームと言えるので、実はゲームの構造としては2D時代の『スーパーマリオブラザーズ』や『スーパーマリオワールド』の方に近いんですね。3DSの『スーパーマリオ3Dランド』になると「右」か「奥」に進んでゴールポールに向かうゲームになっていて、更に2D時代に近くなります。

 なので、『スーパーマリオギャラクシー』には「中間ポイント」が置かれるようになりました。
 当時このゲームをプレイした自分はまだ「アナログスティック」にも「3Dアクションゲーム」にも不慣れだったのですが、細かく「中間ポイント」が置かれているので、ミスしてもすぐそこからやり直しに出来ることと、1UPキノコが大量に手に入るのでゲームオーバーになる心配も少なかったことを覚えています。

 アクションゲームが苦手な人でも「ミス」しても「すぐそこの中間ポイントから再開」して、少し進んで「ミス」しても「次の中間ポイントから再開」、とちょっとずつ前に進むことでゴリ押しでクリア出来るようになっていたので。後半は割とキツいかもですが、前半までならアクションゲームをやらないウチの母でもゴリ押しで進めていましたからね。
 宮本さんが仰るとおり「意外な人がゲームを好きになってくれる可能性がある」ソフトだったと思います。



 しかし、宮本さんが 「それが、中間ポイントを置いて、お手軽に次に進めるようにすると、プレイヤーの心の中に残るものが少なくなってしまうんです。たとえば5年後に「あのゲームはどうやった?」って聞かれても、なにも答えられなかったりして。僕は、みんなの心に残るようなものをつくりたいんです。」と仰ったように、『スーパーマリオギャラクシー』から8年が経った現在……「あのゲームはどうやった?」って聞かれても、具体的なステージを私は何一つ思い出せないのです。


 さて、続編となる『スーパーマリオギャラクシー2』を私は現在プレイしているのですが、このゲームは恐らく『1』よりも「中間ポイント」が少ないです。1つのステージに1つか2つくらいが平均で、細かくやり直しが出来た『1』に比べると「引き戻される距離」が長くなったような印象を受けました。
 その続編となる『スーパーマリオ3Dランド』になると中間ポイントは1つのステージに1つとなって、『スーパーマリオ3Dワールド』は私はプレイしていないので分かりませんが、恐らく『スーパーマリオギャラクシー』以降の3Dマリオは「中間ポイント」を減らして同じコースを何度もやり直しさせる傾向にあるのかなぁと思います。


 それがどうしてなのかずっと疑問でした。
 「『マリオギャラクシー』はあんなにプレイヤーに親切だったのに、どうして変わっちゃったんだろうな」と思っていました。『マリオ』以外のアクションゲームの中には、「死んでもすぐその場からやり直し出来る」「残機は無限にあるので何度でもチャレンジ出来る」ゲームは少なくありません。むしろ、海外のゲームを中心にそちらの方が最近では多いんじゃないのかと何となく思うので、時代に逆行している『マリオ』のこの仕様はどうしてなんだろうと疑問だったんですね。

 なので、今回ふと『スーパーマリオギャラクシー』の「社長が訊く」を読み返して納得したんです。むしろ『スーパーマリオギャラクシー』の「たくさんの中間ポイント」みたいなことは、最初から宮本さんは「あんまりやりたくないんですけど」と消極的だったのだと。




 確かに、宮本さんの仰るとおり「同じコースを何度も何度もやり直している」ことは強烈な記憶に残ると思います。「中間ポイント」の少ない(ステージによっては全くない)『スーパーマリオギャラクシー2』をプレイしている自分はその話にとても納得しています。ただ、そんな風にやり直しを喰らっている私の率直な気持ちは「ふっざけんなよ……」「またここからやり直しかよ……」です。
 一つのステージを誇張じゃなく100回とか200回とかやり直している自分は、その度にスタート地点に戻らされるので死んだような目でプレイしながら、最初の内はスタッフへの殺意ばかり頭に浮かんでいましたが、その後は「なんでこんなゲームを遊んでいるんだろう」「なんでこんなゲームを買ってしまったんだろう」という気持ちになって、最近ではもう達観してきていて「これはきっと罰だ」「前世で罪もない人々をやむを得ず殺してしまった罰で延々と同じ箇所をプレイしなければならないんだ」「この苦行を500回繰り返した時にきっと私は新しい境地にたどり着いてあらゆる欲から解放されるはずだ……!」と思いながらプレイしています。

 私はきっと5年後も『スーパーマリオギャラクシー2』のことを忘れていないと思いますが、恐ろしいほどのトラウマになっているか、聖人君子のようになっていて穏やかな顔で「あのゲームのおかげで私は妬みや憎しみを持たなくなりました…」と感謝しているか、どちらかだと思います(笑)。



 この話……考えてみると深い話だと思うんですね。
 アクションゲームって一発でクリア出来てしまったら、一回しかプレイしない面だってたくさんあるワケですよ。私も『スーパーマリオギャラクシー2』の中に楽しかったステージはたくさんありました。でも、「どのステージが好きだった?」と訊かれても何も思い出せません。
 逆に「どのステージが大嫌いだった?」と訊かれたら、「空中に浮かんでいる遠近感つかめないメダルを鳥に乗って取る面!」「バネマリオの面!」「チカチカブロックの高速面!」「高速で動いている段差のある足場を上からのカメラアングルだから全然距離感がつかめなくて落下しまくる面!」「影マリオが追いかけてくる面!」「真の最終面!」「真の最終面の真の最終面!」とわんさか出てきます。


 アクションゲームって「楽しかった面」よりも「つらかった面」「苦しかった面」「二度とやりたくない面」の方が記憶に残りやすいのではないか―――と思ったのです。


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○ 「記憶に残っているゲームの場面とは?」
 ストーリーのあるゲームならば、5年後・10年後と経って「あのゲームはどうだった?」と訊かれても、感動的だったシーンや衝撃的だったシーンを思い出しやすいです。
 恐らく「貴方にとって思い出に残っているゲームのシーンは何ですか?」というアンケートでランキングを作ったら、『ドラクエ』や『FF』のようなRPGや、「泣きゲー」のようなアドベンチャーゲームが上位を占めるんじゃないかと思いますし。それらはきっと「美しい思い出」として語られると思うのです。


 しかし、『マリオ』のようなアクションゲームの場合、「美しい思い出」と言われてもあまり思い出せません。
 楽しかった面のことはあまり覚えていなくて、宮本さんが「同じコースを何度もやっているうちに、思い入れがどんどん深まっていく」と仰ったように何回も何回もやり直しをさせられた面のことを強く覚えているように思います。

 例えば、『スーパーマリオブラザーズ』の1-1と1-2を未だに覚えているのは、あのゲームにはセーブ機能がなかったので必ず1-1と1-2をプレイしなければワープして好きな面に進むことが出来なかったからだと思うのです。通学路みたいなもので、毎回通っていることで記憶していく道中。今の感覚で言えば不便を強制されることで覚えている記憶。なので、1-1と1-2に比べると1-3なんか全然覚えていませんもの(笑)。

 また、一度ではクリア出来ず、何度も何度も挑戦しなければならないステージも覚えています。現在私が100回とか200回とかプレイしている『スーパーマリオギャラクシー2』のステージもきっと5年後や10年後でも忘れていないことと思います。吐き気を催すほどのトラウマになっていなければイイですね。
 「やっとの思いでクリアした」というのも強烈な記憶に残るので、『洞窟物語』の「聖域」とかは今でも思い出して「あんなの二度とクリアできないだろうなぁ……」と遠い目をすることがあります。

 あとは、やはり「精神的にキツイ面」も記憶に残ります。
 『スーパーマリオブラザーズ』で言えば、延々とトゲゾーが降ってくる4-1は、今なら何てことなく楽勝でクリア出来るのですが幼少期のトラウマが今でも残っているせいで思い出されますし。『スーパーマリオブラザーズ3』の太陽が追いかけてくる面も、難易度的にはもっともっと難しい面もあるはずなのに、あのシチュエーションの恐怖で『スーパーマリオブラザーズ3』と言えばで最初に思い出されます。
 『ダウンタウン熱血物語』の五代とか、『ゼルダの伝説』シリーズで言えば追いかけてくる手とか、パッと思い出せるのは大概「ふざけんじゃねえよ」という敵ばかりだ!


・何度もやり直しさせられるステージ
・何度も死んだステージ
・トラウマになるようなステージ


 まとめると、アクションゲームで記憶に残っている場面ってこういうのばかりじゃないかなぁって思うのです。RPGやアドベンチャーゲームの「美しい思い出」に比べると、アクションゲームには「つらい思い出」が多いです。私は別にアクションゲームが嫌いなワケではないのですが、アクションゲームの「美しい思い出」をほとんど思い出せません。

 これは別にアクションゲームに限った話ではなく、カジュアルモードのなかった頃の『ファイアーエムブレム』とか『風来のシレン』で予想外の悲惨な死に様が強烈に記憶に残ってしまっているような話で、ゲームって元々「美しい思い出」よりも「つらい思い出」の方が残りやすいんじゃないかと思うんです。
 セーブデータが消えた記憶とかね、何度目かの挑戦でようやく中ボスを倒した後のイベントを観ている間に雷が落ちて停電になって全部ムダになった記憶とか、絶対不可能だと思われた『鬼トレ』のゲームを何十回目の挑戦でようやくクリア出来ると思った瞬間に3DSの電池が切れた記憶とか、そういうのはすぐ思い出せますもんね(笑)。



 そう考えると、「思い出に残っているもの」ってアテにならないと思うんです。
 例えば5年後に私が「『スーパーマリオギャラクシー2』を遊ぼうか悩んでいるけど、あのゲームどうだった?」と訊かれたとして、その時に思い出せるのは「つらかった面」ばかりです。100回、200回、500回とスタート地点まで戻らされて「またここからなのか……」と死んだ目でプレイし続けて、「あぁ……世間では『Splatoon』が発売されていてタイムラインのみんなは楽しそうに遊んでいるのに、俺は前世で背負った罰のせいでずっと同じ面をプレイしなければならないんだ……」と思った記憶しか残っていないと思います。

 楽しかった面もたくさんあったはずなのに、そうした「楽しかった思い出」は5年後まで覚えていられないと思うのです。


 これ、紹介記事を書く時もそうだと思うんですね。
 私が『スーパーマリオギャラクシー2』を始めたのは3月で、3月末に書いた「3月のまとめ」を読むと「すげえ面白い」って書いているんです。それが4月末に書いた「4月のまとめ」を読むと「やりこみ要素が作業でつらい」と書いていて、恐らく「5月のまとめ」には「ひたすら1つの面を何百回もやり直しているだけなのでこういう地獄に堕ちたみたいだ」と書くことと思います(笑)。

 このゲームを始めた頃の「楽しかった思い出」って、何とか全ステージをクリアした頃には忘れちゃっているんですね。いや、クリア出来るかは知らんけど。出来るとは思えないからつらいのだけど。
 残っているのは「つらい思い出」だけで、この「つらい思い出」だけで紹介記事を書いたらそりゃ辛口のものになっちゃいますよ。



 そう考えると、ゲームのレビューを「クリアしてから書く」というのは、ストーリーのあるRPGとかアドベンチャーゲームにとっては大切なことだと思いますが、アクションゲームにとっては必ずしも正しいことではないのかもと思うのです。


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| ゲーム雑記 | 17:52 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

あれは俺には無理だったよわはは
と言いやすい仕組みもあればいいんですけどね
できなかったことだって思い出のひとつなわけで
例えば自分はMH4Gの極限ラージャンという敵がどうしても倒せませんが、リアル友人と「あれは無理だわw」と笑って同じゲームでほかの遊びをしていますし
出来ないことが間違っている、劣っているという考えになってしまうのは勿体ないことだよなと思ってしまいます

| hirano_ryo | 2015/05/05 23:45 | URL |

>hirano_ryoさん

 この記事で書いていることは、「でも5年後に覚えているのは極限ラージャンのことだったりするんだよね」という話なのです。
 「間違っている」とも「劣っている」とも思っていません。敢えて間違っているものを探すとすれば、前世で罪のない人々を殺してしまった私が間違っているのです。

| やまなしレイ(管理人) | 2015/05/05 23:56 | URL | ≫ EDIT

なるほど、趣旨を勘違いしておりましたすみません

辛さ自慢というと嫌みですけども、そういう楽しみは確かにある気はしますね
誰かとゲームを語り合う時に「あそこ半端なく難しくなかった?」という話題はかならずありますし
そこから共感を得たり、「~すれば楽だよ」とか「もしかして~できること知らないの?」とか話題が広がりますし
記憶に残りやすいというのは、単にそのゲームが自分の内部に留まるというだけじゃなくて外に広がってゆくことに繋がるからで
それは結局そのゲームに詳しくなること、そのゲームへの思い入れに繋がるなぁと

だからレビューが辛口になることもそれに対して誰かが反感を覚えることも共感することも
そのゲーム、そのコンテンツにとって価値あることのように思えます
そうやって語り合うこと自体がゲームに新しい価値を生じさせてるように思えるというか
とはいえ根も葉もないバッシングや単なるおちょくりは勘弁ですけども

| hirano_ryo | 2015/05/06 00:54 | URL |

同じく、宮本さんみたいな思想の作りは自分も今はウンザリするようになりましたw

ただ10代の頃は糞難しいアクションを腹をムカムカさせながら何度もコントローラー投げつつも1日中リトライして、でもそれは嫌な思い出というより楽しい思い出になってたりする(年が経って許されたというわけでなく、当時の時点で「俺はあの面でこんな苦労したぜ!お前もやってみな!」みたいに楽しく自慢げに語ってた記憶)んですが、現在は大きく戻されると「あーこういうのもうしんどいから気持ちよく先行かせて…」となるので、年齢的なものや舌の肥えからくる飽きってのが大きいのかなと思っています。

今も時々「つらいステージこそが楽しい思い出だった時代」を懐かしく思う事もありますが、今はどうしてもつらいステージはつらいです…

| あわれ | 2015/05/06 02:44 | URL | ≫ EDIT

挫折に至る試行錯誤の日々を楽しく思い出せるゲームもあれば、
挫折の嫌な思い出が憎々しげに口から出てしまうゲームもありますからね。

| 児斗玉文章 | 2015/05/06 07:49 | URL |

アクションゲームで思い出に残るものといえば確かにつらいステージを何度もやったというものもあると思いますが、宮本さんが目指しているものはどちらかというとつらさというよりも操作して楽しい、ステージの仕掛けが楽しい、その結果として何度も同じステージをプレイして思い出に残るということじゃないかと思います。自分はマリオ64なんかはスターを探すために何度も同じステージをやりましたがつらいというより楽しかった思い出があります。しかし今の3Dマリオは探索というよりは基本一本道で後はアクションの技術の問題になってくるのでクリアしたら繰り返しやらない、出来ないと何度もやることになってしまうということなんでしょうね。

| qua | 2015/05/06 20:56 | URL |

今のとひとくくりにするのも何か違うように感じますね
探索が楽しかったとか印象に残ると言われているマリオ64は思いで補正が強いんだろうなぁと思っちゃうんですよね
もちろん64マリオも楽しいんですけど、最終的には一番楽な方法で楽してスターを取得するしかなくなるので何度もやると自由度があるようで一本道になりRTAとかやらない限り物足りなさを感じてしまうというか、それでいて100枚コインは妙にだるかったりとか
最近改めてやったら100枚コインよりももっとすれすれなアスレチック要素を強くしてくれと思うところもすごく多かったのですよ

たぶん私はここの管理人と逆で、やられると高揚感や嬉しさが出てくるという感じなのでこういう意見なのでしょうね
どっちの意見もできる限り反映させなければならないっていうのが開発者の難しいところでしょう

| 通りすがり | 2015/05/20 01:53 | URL | ≫ EDIT

難しいアクションって、一人でやってるとほんとに怨嗟しか出てこない
同じところでつまずいて愚痴を言い合える友人がいなければ
今頃ゲームはやっていなかったかも

| あー | 2015/05/24 21:55 | URL |















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