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“嘲笑するシーン”が苦手な人

 私自身はそのテレビ番組を観ていなかったのですが、先日Twitterのタイムラインを見ていたら某テレビのバラエティ番組で某プロレスラーの方が某アニメが好きだと熱く語ったところ某ひな壇にいる大多数から嘲笑されていたということが話題になっていました。「某」をつけても隠せてなくないかな!?

 タイムラインでの反応は「酷い」「またアニメが虐げられている」「こうやって嘲笑するくらいのことしか出来ないからテレビ離れとか起こるんだ」といったカンジに、番組を楽しみにしていた人達の失望感でいっぱいだったのですが……私はその番組を観ていないので番組に対してとやかく言う気はありません。そんなタイムラインを見ていてふと気付いたことがあったので、今日はその話を書こうと思います。


 そもそも私、「誰かが誰かを嘲笑する姿」を見るのが苦手なんだと気付きました。
 「嫌い」というより「苦手」。「直視できない」というか、「居たたまれない」というか、「逃げ出したくなる」のです。もし私がそのバラエティ番組を観ていたとしたら慌ててテレビの電源を消していただろうくらいに「苦手」なのです。今後はNG項目の一つに挙げようと思います。

 これは別に「アニメ好きが虐げられていたからヲタクが拒否反応でテレビ局を叩いている」みたいなことではなくて……
 子どもの頃から私は、例えば授業中に「簡単な問題が答えられない子」とか「体育や音楽で失敗してしまう子」をクスクス笑う“空気”がすごく苦手でしたし。総理大臣が漢字を読み間違えることをみんなで笑いものにしたりとか、車会社のTVCMで「免許を持っていないヤツはモテなくて当然」と笑いものにしたりとかの“空気”がものすごく苦手で、「うわああああああああああああ!」と逃げ出したくなってしまうのです。

 「それはオマエが嘲笑される側だからだろ?」ということではないのです。
 私は子どもの頃はそこそこ勉強が出来たので「問題が答えられない」みたいなことはなかったですし、漢字もそんなに苦手ではありませんし、普通自動車の運転免許も持っています。私は“私に近いかどうか”に関係なく、「誰かが誰かを嘲笑する姿」が耐えられないのです。

 もっと深く考えてみると、私には「嘲笑される人が可哀想」みたいな感情も特にありません。「嘲笑される側」に感情移入をしているとか、好きな人が「嘲笑されている」のが耐えられないとかではなく、「嘲笑している側」の露悪的なところを直視できないのです。



 "恥をかくシーン"が苦手な人たち

 昨年こんなことが話題になっていました。映画とかドラマとかアニメで「キャラクターが大勢の前で恥をかく」姿を見るのが耐えられない人がたくさんいて、検索してみると同じような悩みを持っている人は海外にも結構いるみたいなんですね。日本人特有の概念というワケでもないのは意外でした。

 私はこの話を読みながら「自分も比較的そうだな」と思いつつも、「決定的にそうなワケでもない」というのが分からなくてずっとモヤモヤしてました。でも、今回の「嘲笑」というキーワードが組み合わさって初めて、自分の苦手なものが分かったのです。私は「恥をかく」シーン自体は構わないのだけど、その後にそれを「嘲笑する」シーンが入ると途端に苦手になるのです。

 例えば、『けいおん!』の平沢唯とか『ラブライブ!』の高坂穂乃果とか『ご注文はうさぎですか?』のココアとか『がっこうぐらし!』の丈槍由紀とか、天然ボケが主人公のアニメだと「みんなの前で失敗して恥をかく」ことは頻繁にあります。でも、これらの作品の中では、彼女らを「嘲笑」する者はいません。ツッコミを入れたり、呆れたり、逆にパワーをもらったり……平沢唯がどんな失敗をしても、律っちゃんが「みんな唯のことが大好きだよ」と言ってあげるのがこれらの作品なのです。

 だから、これらの作品は「苦手」ではないのだけど……
 『のんのんびより』で小鞠が恥をかいて、それを夏海が笑うみたいなシーンは、実はものすごく「苦手」です。あれは「嘲笑」に見えてしまうため、居たたまれなくなってしまうのです。



 もちろん「みんなもそうでしょう?」と言う気はないです。
 テレビ番組で「嘲笑」する姿が延々と流されて、それを楽しんでいる人がいる以上、「誰かが誰かを嘲笑する」のが大好きだって人はたくさんいるんだと思います。それこそ「漢字を読み間違えた総理大臣」とか「免許がないからモテないTVCM」とかでゲラゲラ笑っている人はたくさんいましたからね。

 特に映画や漫画やアニメなどのフィクションは「誰かに迷惑をかけている」ワケではありません。フィクションの世界でそういうシーンを描いてそれをゲラゲラ笑える人がいるのならそれは立派なエンターテイメントだと思うのです。私自身は楽しめませんが、「小学生とセックスするエロ漫画を読む人がいてもイイと思う」のと同じくらい、楽しむ人がいるのならそれは娯楽として価値があるだろうと思います。




 私が興味があるのは、「どうして私は苦手なのか」という方なのです。
 物語を作る立場として考えても、この疑問は無視できなくて……自分で自分の作品を振り返ってみると、私の漫画には「恥をかくシーン」は結構あるんですね。ただ、それを「嘲笑するキャラクター」は登場しません。意識してそうしていたのではなく、恐らく無意識化で私は「私の苦手なシーン」を描かないように逃げてきたのです。

 そういう事実がある以上は、「私はどうして“嘲笑するシーン”が苦手なのか」と「“嘲笑するシーン”にはどういう演出意図があるのか」と「これから先は(演出上必要ならば)そういうシーンも描いた方がイイのか」を考えなければならないと思うのです。

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◇ 「嘲笑するシーン」とはどういうシーン?
 「嘲笑」という言葉を辞書で引くと、「人を馬鹿にして笑うこと」といった説明に行き着きます。ただ笑うのではなく「見下し」や「軽蔑」のニュアンスが混じった笑いなのかなと思います。


 ただ、私……さっきから散々「嘲笑するシーンが苦手」と書いてきましたが、必ずしも「人を馬鹿にして笑っている人」を見るのが100%苦手なワケではなくて―――
 例えば、誰にも出来ないようなことを成し遂げるほど能力の高い人が、「どうだ愚民ども!オマエらにはこんなことは出来ないだろう!俺はスゴイんだぞ!ワーハッハッハ!」と笑うような姿は別に嫌いではありません。「一人」が「多数」を見下して笑っているのは別に構わないんですね。


 また、ラジオなどで「一人」が「もう一人」に対して「そんなことも知らないの!?」とか「それは普通じゃないよ!」とツッコミを入れて笑うのも、それほど苦手ではありません。「一人」が「一人」を馬鹿にして笑うのは、私の中では「面白」の範疇に入っているんですね。
 ただ、これがスタッフも巻き込んで、その場の全員で「ここにいる全員知っているよ、知らないのキミだけだよ」とか「キミだけが普通じゃないよ」と笑い出したら途端に苦手になってしまうのです。「多数」が「一人」を馬鹿にして笑い始めるのが、私にとってはNGなんだと思うのです。


 例えば……ドラえもんがのび太に対して「キミは本当に馬鹿だなぁ」とか「世界中がキミみたいな頭になったらおしまいだ」みたいな酷いことを言うのは、私は全然「面白」だと思うんですけど。
 のび太がテストで0点をとって、先生に怒られている姿をクラスのみんなでクスクス笑っているのは、私には「面白」に感じられないんです。集団で一人を馬鹿にしている構図が、どうしても「イジメ」の構図に見えてしまうという理由がありそうですね。


 これは「学校のクラス」のような物理的に集まっている集団だけでなく、例えばTwitterなんかで「こんな馬鹿がいたぜ!」と晒してみんなで笑いものにしている姿も苦手です。しかし、「そういうのは好きではない」と何度も何度も言っていたら、今度は「頭のおかしいヤツらを擁護している人」と私の方にも矛先がまわってきて……なるほど、自分が苦手だったのはこの「同調圧力」の息苦しさだったのかと思ったことがあります。

 石を投げないものは、ヤツらの味方だ―――的な。


 例えば、のび太がテストで0点を取ってみんなから笑われている時、ジャイアンとかスネオはそれを率先して馬鹿にしていると思うのですが。しずかちゃんや出来杉くんは何を思っているのだろうと考えることがあるんですね。特に出来杉くんくらいの人ならば、「0点を取ったくらいで馬鹿にするのは良くない」くらいなことを考えてもおかしくないと思うのです。

 でも、それを言うことは許されません。
 ただみんながのび太を「嘲笑する空気」の中で黙るしかない―――イジメを黙認する人はイジメに加担しているのと同じだという理論で言えば。嘲笑を止めない時点で「個」を失い、「全体」の中に溶け込んで、弱い「個」を馬鹿にすることに加担していると言えます。あの瞬間、しずかちゃんはしずかちゃんでなくなるし、出来杉くんは出来杉くんでなくなって、ただ「のび太を嘲笑するマシーン」になるのです。



 一応言っておきますけど、しずかちゃんや出来杉くんは「例え話」であって、『ドラえもん』批判じゃないですよ。
 冒頭で紹介した某バラエティ番組で某プロレスラーが集団から嘲笑されていたという話―――私は番組を観ていなかったので他に誰が出ていたのかは分かりませんが、恐らく「嘲笑している側」の出演者の中にも「本当は馬鹿にするようなことではないのだけどこの場の空気に乗って嘲笑しなければならない」という人もいたんじゃないのかと思うのです。

 私はその空気が耐えられないのです。
 「個」を消して、「全体」の中に同化して、何も考えずにみんなと同じように「嘲笑しなければならない」という場が怖いのです。その場にいる全員が、意志を持たないマシーンのように見えて怖いのです。なんなら自分も「嘲笑しないと許されない」と強制されているようでつらいのです。


 思えば、「嘲笑するシーン」ほど直視できないというワケではないのですが……深夜のテレビショッピングのコーナーなどで、出演者が口を揃えて「この商品は素晴らしい!」と絶賛しているのも苦手です。
 知らない外国人ならばそんなに気になりませんが、知っている日本人のタレントさんだと「あの○○さんがただただ商品を絶賛するだけのマシーンになっている……!」と怖くなってしまうのです。そりゃ宣伝なんだからそうだろって話なんですが、あの「迂闊なことを言ってはならない」空気が恐怖なのです。



◇ 「馬鹿にする」ことで見える人間性
 ただ、そうは言っても「みんなで絶賛する姿」よりも「みんなで嘲笑する姿」の方がやはり苦手です。「嘲笑」という行為そのものに、何か見てはいけないものを見てしまったような感覚を覚えるのです。

 この記事だって言ってしまえばそうなのですが、人間は生きていれば何かを「批判」することがあるでしょう。気に喰わないこと、気に喰わない人、気に喰わない作品……そうしたものを悪く言いたくなってしまうことは誰にだってあると思います。
 しかし、何かを「批判」する時、私はいつも「攻撃をする瞬間が、自分が一番無防備になる瞬間だ」と意識するようにしています。そう考えるようになったのは、『ハンター×ハンター』の3巻にそう書いてあったからです(笑)。


 「面白かった」「楽しかった」と書くのなら、“作品”のことだけ語ればイイんです。
 しかし、「面白くなかった」「つまらなかった」と書く場合、「何故それが面白くなかったのか」「何故つまらなかったのか」を語らねばならず、そうするとどうしたって“自分”を語らないと説明が付かなくなるんですね。分かりやすく言うと、この人は「何に怒る人なのか」がバレてしまうのです。何は許せて、何は許せないのか、その人の「人となり」が曝け出されてしまうのです。

(関連記事:初心者のための“作品の誉め方”講座


 同様に、「嘲笑」という行為には、相手を見下すという批評性も込められているため、「その人が何を見下して生きているのか」がバレてしまうと思うのです。
 「0点を取ったのび太を笑う人」は、「勉強の出来ない人は笑ってイイ」と思っていることがバレますし。「体育や音楽でミスをした子を笑う人」は、「自分には簡単に出来ることが出来ない人もいる」ということが分からないことがバレますし。「漢字を読み間違えた総理大臣を笑う人」は、「こんな簡単なことも出来ないの?と馬鹿にする小学生時代から進歩していない」ことがバレますし。「免許を持っていない人はモテなくても仕方ないと笑う人」は、「モテない人間への差別意識」を持っていることがバレますし。


 「嘲笑している人」が「恥を晒している」だけなら別に構わないのですが……
 上の文章を読めば分かるように、誰かが「嘲笑することによって恥を晒している」姿を見た瞬間に、私の中にもその人達に対する「見下し」という批評性が生まれ、私もまた「自分がそういう人達を見下して生きている」という恥を自分の中に晒していることに気付いて耐えられなくなって、直視できなくなって、居たたまれなくなって、逃げ出したくなって、最終的には「もう死にたい」となるのです。


 つまり……「嘲笑」は「人を殺す」のですよ!
 「嘲笑している側」からしても、「嘲笑されている人」ではなく「モニターの向こうでそれを見ていた第三者」がいきなり自殺するのには「何故!!?」としか思えないでしょうけど(笑)。


◇ リスペクトのない「笑い」
 「いじめ」と「笑い」について

 3年前に書いた記事です。
 爆笑問題の太田さんが、田中さんに対して「チビ」「片玉」「奥さんに逃げられた」と馬鹿にすることは、本人は「お笑い」のためにやっているのだけど「いじめ」と何が違うのか―――といった話です。「笑う」というのは、本来は残酷なことなんだと、そこからの3年間ずっと私は考えていました。


 そこから3年後……
 今の私は、「笑い」には「笑わせてもらっている」という“敬意”があるんじゃないのかなぁと考えています。

 例えば、ラジオにしたってテレビにしたって、ものすごーーくたくさんあるバラエティ番組の中から「この番組を聴こう(観よう)」と選んで聴く(観る)ワケで。そこには「この人が出ている番組ならばきっと笑わせてくれるぞ」という期待があると思うんです。それは決して「見下し」とか「馬鹿にしている」といった嘲笑ではなくて、「尊敬」とか「好意」とか「愛着」があるからこその期待ではないかなと。


 逆に言うと、「嘲笑」にはそういう「尊敬」とか「好意」とか「愛着」が一切感じられないため、すごく気持ちの良くない笑いに感じてしまうんじゃないかなと思います。まぁ、「気持ちの良くない笑い」なんて主観でしかないので、一般化する気などさらさらありませんし、あくまで「私が苦手な理由」を語っているだけなんですけど……

 私の「笑い」の好みには、「尊敬」とか「好意」とか「愛着」が重要なんだと書きながら自分で思ってきました。
 考えてみると、ギャグ漫画でもキャラクターが好きになれないシュール系のギャグ漫画は昔も今も得意じゃないですし、二次元・三次元問わず人間的に好きになれない人が何を言っても笑えないところはあります。「笑う」のって実は、ものすごく繊細な感情なのかもなーと思いますね。

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【三行まとめ】
・みんなが嘲笑しているのだから全員しなければならない、みたいな空気に耐えられない
・「嘲笑している人」の醜い部分が見えてしまうのに耐えられない
・自分にとって「嘲笑」は、「気持ちの良くない笑い」なんだ


 あくまでこれは「私の理由」ですが、「私が“嘲笑するシーン”が苦手な理由」を自分なりに考えてみました。

 「おめーの好みなんて興味ねーよ、ばーか」という声が聞こえてきそうですが、重要なのはここからです。逆に考えればそれだけ心を揺さぶるシーンにはそれだけの効果があるとも言えるんですね。フィクションの中でそうしたシーンを入れる演出意図というのも分かる気がしてきました。

 「みんなが嘲笑しているのだから全員しなければならない」という空気は、「嘲笑されている側」のこれ以上ないほどの絶望的な孤独を描くことが出来ます。のび太がクラスの全員から笑われているシーンも、世界中の誰も自分の味方にはなってくれないというのび太の孤独を描くためには必要なんですね。そこで出来杉くんが「0点を取ったくらいで笑うのは良くないよ!」と言い出したら、のび太は孤独にならないのです。のび太→出来杉のフラグになってしまうのです。それはそれで……(笑)

 「嘲笑している人の醜い部分が見えてしまう」というのも、例えば主人公を「嘲笑する側」にまわらせて、「嘲笑する主人公の醜い部分を見せる」という狙いのシーンだったらこれ以上ない効果が出ると思います。

 「嘲笑は、気持ちの良くない笑い」だというのも、「笑わせよう」という狙いのシーンではなく「重苦しさを描くシーン」だったら狙い通りの効果が出ると思います。「嘲笑」ではないですけど、『灰と幻想のグリムガル』でランタがなんかワケの分からないことを言って、それで場の空気が悪くなる―――みたいなシーンは、「笑わせよう」ということではなく「重苦しさを描こう」という演出意図でしょうしね。



 そう考えていくと、今までは「ただ苦手」なだけで「描くのを逃げてきた」シーンでしたけど……効果を考えて使えば面白いことが出来そうだなと思えてきますよね。まぁ、冒頭で話題に出した某バラエティ番組がこういう効果を狙っていたとは思いませんけど(笑)。

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| ひび雑記 | 18:04 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

「同調圧力の息苦しさが苦手」というのは私も全く同じで…その点で私は嘲笑だけでなく“笑い”全般が苦手ですね。
面白いマンガ読んだりネタツイート見たり動画見たりで笑うことはそりゃあるんですけど、TVや劇場なんかで“ここ笑うところですよ!”みたいな空気が耐えられなくて…笑い声のSEなんか入ってると最悪ですね。笑いはあくまで自発的個人的なものとして行いたいというか。

とは言うもののスタジアムで皆と声出して応援してゴールシーンに興奮してなんてのは好きなので…一方“日本全体でアレを応援して感動しなければならないみたいな空気が嫌”という人も結構いますよね。
喜怒哀楽をはじめとした様々な人間の感情の中で“これは皆と共有するの好きだけど、これは共有するの苦手”というのは個々人によって千差万別なのでしょうね。

今回もいろいろ考えさせる良記事でしたありがとうございます。

| shimole | 2016/02/09 21:21 | URL |

すっごいわかります!
アニメの場合制作側もわかっているのか意図的にそういうシーン省いている場合(滑っているけどあえて嘲笑は描写しない)もありますよね。
そうなっているととても安心する自分がいるのです。

バラエティは特にマイノリティを馬鹿にするスタイルは、そのまま学生の行動に反映される気がするのであんまりよくないんじゃないかとか変に高尚なこと考えたりもしちゃいますが、
そのありなしの基準は人によってあやふやですから、それも個人の価値観でしかないんですよね。

あと自分が某3時前の芸人さんが好きなのがわかった気がしました。

| ああああ | 2016/02/10 13:22 | URL |

>shimoleさん

 あぁ、これはまた1つ記事にして書きたいような話ですね……

 僕の場合は「スタッフの笑い声」はすごく好きで、ラジオだと構成作家さんが笑うかどうかで「構成作家さんの個性」が分かるので特に好きなんですけど。
 例えばテレビ番組で漫才なんかをする時、他の出演者が大笑いしているアップに切り替えたりするのはすごく苦手です。「笑っている人を映すことによって笑いを誘発させる」という冷静な意図が見えるのがイヤなのかなぁと自分では思っています。

 しかし、ニコニコ生放送とかでみんなで「wwwwww」とか打ち込むのは割と好きなので、「強制されている空気」の強さによって自分は180度好き嫌いが変わるのかも……


 サッカーの話もよくよく考えてみると……「俺サッカーなんか興味ないから」と言われ続けてきた歴史がありますから、僕の中に未だにサッカーはマイナースポーツという認識があって「マイノリティだけど頑張って応援している」という反骨心があるのかも知れません。
 いや、代表戦なんかは視聴率取るのは分かっているんですけど、どうにもまだ「サッカーは虐げられている」感が残っているんですね。だから、まだまだ「もっとみんなも応援しようぜ!」と話題にしているのかも。


 ちなみに野球は、なので「パ・リーグ派」なのです。


>ああああさん
 「某3時前の芸人さん」(笑)

 学生どころかオジサン達が集まって飲む時も、ダメなヤツ(共通の知り合いとか有名人とか)を嘲笑することでしか盛り上がれなくなっているので……卵が先か鶏が先か分かりませんが、テレビにはもうちょっと頑張って欲しいなぁと思いますね。「居酒屋レベルかよ」というか。

| やまなしレイ(管理人) | 2016/02/11 00:40 | URL | ≫ EDIT

わたしも誰かがバカにされてみんなから笑われるシーンが苦手だったのですごく共感しました
浮いてるキャラを描くには必要なシーンなのかもしれませんが…いたたまれなくなります

バラエティでたまにある、大御所が新人に怒ったふりをするドッキリも怖がるのをスタッフで笑ってる空気が嫌で苦手ですね…ただ新人をいじめてるようにしか見えなくて

自分が苦手なものを何故苦手なんだろう、作品内ではこの描写にどんな効果があるのか突き詰めて考えるのは興味深いですね

| ああああ | 2016/02/12 15:12 | URL |

>ああああさん

 記事を書いている時には全く気付いていなかったのですが、コメントを読んで「そう言えば自分もドッキリ番組が苦手だ!」と気付きました。

 しかし、一方でアニメなどで「視聴者だけが全てを知っていてドキドキする」ストーリーは大好きで……
 構造的には似たような二つなのですが、「ドッキリ番組は他の出演者も知っているので“多数が一人をイジメている”ように見える」のに対して、「視聴者だけが全てを知っている作品は、他のキャラクターも真実を知らない」のが決定的に違うので。

 苦手なものと大好きなものは紙一重のようで、その違いはこの記事に書いた「嘲笑」にあったんだなぁと改めて思いました。

| やまなしレイ(管理人) | 2016/02/14 00:00 | URL | ≫ EDIT

同感です

全面的に筆者さんのお考えに共感しましたが、特に「尊敬のない笑いが苦手」という部分は大きく頷いたポイントでした。
笑いの世界には「いじる」という手法があって、これっていじられる側への「尊敬」があって初めて成り立つものであり、尊敬のないいじりはただ人の心を踏みにじっているだけです。
私たちの生活でもこのようなことが起こっていると思いますが、こういうことをしてしまう人の中には「とても弱い心」があって、それを隠すために無自覚的に周りを巻き込んで他人を貶めようとするのだと思います。
彼らが、この「弱い心」とどういう付き合い方をしていくのかが課題だと思うのですが。。。

| 匿名 | 2016/08/04 23:44 | URL |















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