やまなしなひび-Diary SIDE-

変わらない価値のあるもの

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

「恥をかいたキャラなどいない」のに感じる「共感性羞恥」問題

 ちょっと前の話になるんですけど……

 ニコニコ生放送で実況しながら『リンクの冒険』をプレイしている際、レベル上げの時間が暇だから「今季観ているアニメの話」をダラダラしていたことがありました。「今季」というのは、当時放送されていた春アニメのことです。そこでちょっと興味深いコメントがあって、それからしばらくそのことについて考えていました。


 『エロマンガ先生』のアニメ第1話で、「共感性羞恥」がつらくて視聴をやめてしまった―――

 こんなコメントでした。
 私は『エロマンガ先生』のアニメが大好きで、春アニメで一番好きだったくらいなのですが。私の好き嫌いを置いておいても、かなり意外だったんですね。
 『エロマンガ先生』ってものすごーーーーーくよく考えて「視聴者のストレスになること」を排除して作られている作品で、その意味では私は冬アニメの『けものフレンズ』と並び立つと思っているんですけど。その「居心地のイイ世界」が逆に耐えられなくてハマれないというのなら分かるんですが、「共感性羞恥」で耐えられなかったというのはすごい意外だったのです。


 「共感性羞恥」とは、
 昨年ネット上でも話題になりましたが、映画とかアニメとかで「キャラクターが恥をかくシーン」が耐えられない感情だそうです。

 例えば、同じ春アニメでも『月がきれい』第1話でファミレスで親同士が勝手に挨拶を始めちゃうシーンとか、第2話の運動会で失敗してしまうシーンとか……ああいうのはは「共感性羞恥」が発動されて「うわああああ」ってなってもしょうがないと思うんですね。
 『サクラクエスト』の序盤でも、主人公が飾りなだけの「国王」にさせられてどこに行っても邪険にされるのとか……「恥をかく」とはちょっとちがうかも知れませんが「耐えられない!」ってなってもおかしくはないと思うんですが。



 『エロマンガ先生』の場合はあんまりそういうことがないというか……
 そもそもあの作品のキャラ、基本的にずっと家にいるので「みんなの前で恥をかく」みたいのが起こらないと思ったのですが。第1話のニコ生のシーンが「共感性羞恥」としてつらかったそうなんですね。

 アニメ第1話のAパートまでの話なんで、ネタバレですけどまぁ内容は書いちゃおうと思います。気になる人は数行読み飛ばしてね。

・妹がニコニコ生放送(のようなもの)でお絵描き配信をしている
※ 顔はお面をかぶって隠している
→ 絵を描き終わって、配信を終了させたつもりが終了できていなかった
→ それに気がついていない妹は、カメラの前で着替えようと服を脱ぎ始める
→ それを見ていた兄は、「妹の裸が全世界に晒されてしまう!」と焦る
→ 急いで妹の部屋の前まで走って、ドアを叩いて、それに気づかせる
→ 無事に、全裸を晒すことなく配信を終了させる



 あれ?誰も「恥をかいて」いなくない?

 というのが、今日の記事のポイントです。
 妹は「危うく裸を全世界に晒すところ」でしたし、もしそのまま裸を晒していたのなら「恥をかく」どころか「公開羞恥プレイ」になっていましたが、兄のおかげですんでのところで食い止められました。
 “共感”ということで考えると、この段階での視聴者視点は兄の方にあるので、「このままじゃ妹の裸が全世界に晒されてしまう!」とあたふたする感情に共感してハラハラさせられる展開だと思うのですが……「ハラハラさせられる」のと「恥をかく」のとだとちょっと違うと思います。

 裸は見られていなくても、「ニコ生で失態をしてしまう」ことがそもそも恥なのだという考えもあるかも知れませんが……そもそもそのコメントを下さった人は私のゲーム実況を観ている人ですから、「下手すぎじゃね?」「どうして敵に当たりに行くの」「防御できるって知ってます?」みたいに言われまくる失態しかしていない私の放送に耐えられて、「配信を切り忘れる」くらいの失態が耐えられないとも思いませんし。


 ということで、思ったのです。
 「共感性羞恥」とは、「キャラクターが恥をかいているかどうか」と関係がないのでは??と。



 そう言えば、『エロマンガ先生』のアニメは(2017年7月5日現在)Amazonプライムビデオで全話配信されているので、この記事で興味を持った人はどうぞ!
 

 閑話休題。
 「共感性羞恥」について色々と検索してみたらこんな記事が出てきました。

 【いたたまれない気持ち】共感性羞恥はこっち側の問題でしかない

 「共感性羞恥」という言葉で広く知れ渡ってしまったけれど、最近では「観察者羞恥」と呼ぶことの方が多いといった記事は、この記事に限らずたくさん出てきました。その事例としてこの記事がすごく分かりやすかったので是非読んでほしいのですが、「共感性羞恥」という言葉だと「恥をかいている人に共感してしまう」と誤解してしまうのだけど、実際には「恥をかいている人」が存在しなくても起こるらしいんですね。

 それこそ、『エロマンガ先生』の例もそうです。
 当人達はアレをまったく「恥をかいた」とは思っていません。妹はその後もニコ生でお絵描き配信をしていますし、兄は「ファンと交流をとっててすごい!」とむしろ嬉しそうでした。

<以下、引用>
にもかかわらず、あなただけが恥ずかしくなったり、いたたまれなくなったりしていたのです。

共感しているつもりでも、実は共感なんて成立していないことが多いという事実を踏まえているのが、「観察者羞恥」です。

</ここまで>

 まさに観察者=私達の側が“勝手に”羞恥を覚えてしまう「観察者羞恥」ですよね。
 「共感性羞恥」という言葉だと「そんなに耐えられないようなシーンだったかなぁ」と思うのだけど、「観察者羞恥」という言葉なら「確かに人によってはアレが耐えられないのかも」と思えますし、どこから羞恥を覚えるのかという基準が人によってちがうことも納得できます。

 私は自分で配信する側なので、「ニコ生を切り忘れて家族に注意される」くらいは面白いハプニングだと思うのですが。視聴するだけの人なら、「ニコ生を切り忘れて家族に注意される」のはみっともない・いたたまれない・恥ずかしいことだ―――もっと言うと「もし自分がこんなことをしてしまったら耐えられない」みたいに考えてしまっても仕方がないと思うんですね。



 「何が耐えられないかは人それぞれだよねー」と言ってしまえば、元も子もないんですけど(笑)。
 難しいのはNG項目とちがって、「俺はコレが耐えられない!」というハッキリとした線引きが本人にも出来ないことなんですよね。「私は寝取られが耐えられない!」という人には、「この作品には寝取られがある/寝取られがない」と「0/1」で線引きが出来ますけど。
 「観察者羞恥」の場合は、その人が何に羞恥を感じるかは人それぞれなので線引きすることも出来ないというか。「この作品にはニコ生を切り忘れて家族に注意されるシーンがある/ない」と、いちいち挙げていくワケにもいきませんし(笑)。


パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)パンツが見える。―羞恥心の現代史 (朝日選書)
井上 章一

朝日新聞社 2002-05-01
売り上げランキング : 196694

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| アニメ雑記 | 17:51 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

若いグラビアアイドルによくある
「水着だから恥ずかしくないよ」って説明して
白い水着の上にセーラー服着せて体育座りさせて
見ている側にとってはパンチラにしか見えないから
「ぐへへ恥ずかしい格好しやがって」っていう例のアレですね!(違う)

| ああああ | 2017/07/06 19:38 | URL |

「共感性羞恥」とは若干違うかもしれませんが、アニメを観ているときに急に自分のリアルの人生と重ねてしまって落ち込んでしまうことはよくありますね。



※ここから先、若干「月がきれい」最終回のネタバレあり。



それこそ、春アニメの「月がきれい」は、とっても素晴らしい作品で、やまなしさんのツイートきっかけで後追いできてとてもよかった作品なのですが・・・

最終回のエンドロールを最後まで観て、30代中盤で独身・彼女なし・学生時代はもちろん現在もほとんど恋愛したことが無い自分自身と安曇くんのそれからを比較してしまって物凄くブルーになりましたね・・・・自分はこの先どう生きていくんだろうかと途方に暮れてしまいました・・・

でもそれは全然経験のない自分でも「恋愛ってすばらしいな、自分もしてみたいな」と心動かされてしまうほど「月がきれい」がリアリティのある素晴らしい作品ってことなんですよねー。

観る人の心を動かす作品にはリアリティがあって、リアリティを追及すると人によっては共感性羞恥のような副作用がでてしまうのかな・・・と思います。

| yatarou | 2017/07/06 20:15 | URL |

>ああああさん

 なんか、かすっているような、全然かすっていないような例えだ!(笑)
 実をいうと「恥ずかしがる女のコ」と「恥をかく女のコ」のちがいについても言及する予定だったのですが(というか、最初はそっちがメインだった)、上手くまとまらなくて全カットにしたんですね。だから、このコメントを拝見して「あれ?カットし忘れたっけ?」と焦りました(笑)。



>yatarouさん
 あー、「共感性羞恥」とはちょっとちがいますが、踏み込んで語りたい話題ではありますね。

 『月がきれい』の例で言うと、多分「二人はこの後、高校に進学しましたとさ。めでたしめでたし」というラストだったらそんなにダメージにならなかったと思うんですよ。
 でも、二人が「大人」になったところまで見せられて、急に自分に近い位置まで来られたことで「自分との差」を意識するようになってしまった。


 「視聴者のストレスになる要素が排除された作品」と書いた『エロマンガ先生』にも、実は文筆業とか絵描きの人には「若くして売れっ子で活躍しているキャラ達」にダメージを受けている人もTLでは結構見かけました。

 私もね……紗霧ちゃんが「下手だった頃」という回想シーンに出てきた小学2年生くらいの頃のイラストが、私より上手くて「お、おぅ……」ってなりましたし(笑)。


 「自分に近い部分」があると直視できなくなるのは割とある傾向なのかなーと思うんですね。
 『ごちうさ』みたいな「女のコだけがひたすらイチャイチャするアニメ」が人気なのも、「自分とはまったくちがう世界の話」だから自分と比べなくてイイというのもありますし。

 この話、改めてブログに書くかも。

| やまなしレイ(管理人) | 2017/07/07 23:49 | URL | ≫ EDIT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://yamanashirei.blog86.fc2.com/tb.php/2295-42b7d586

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT