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アニメの学校はどうして廃校になる(なりそうになる)のか

※ この記事はいろんなテレビアニメのネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。

 まぁ、たまにはこんな記事も。
 ネタバレへの配慮を考えずに、アレやコレやを語る記事を久々に書きます。

 こういう記事タイトルで、冒頭に「○○というアニメのネタバレを含みます」って書いてあったら「『○○』というアニメを今から観ようと思っていたのに、廃校になっちゃうのかよ!」と分かっちゃいますからね(笑)。













 先月Amazonのプライムビデオで『ガールズ&パンツァー』のTV版→OVA版→劇場版と通して観まして。プライム会員になっている人は、配信終了になる前に頼みますから観てください後生ですからと言いたくなるくらいに超面白かったんですが……





 ふと、「そう言えばこの時期、やたら学校が廃校になるとかならないとかのアニメが多かったよなぁ……」と思い出しました。

 例えば、2012年の夏アニメ『TARI TARI』
 ストーリーの終盤、主人公達の通う高校が廃校になると発表され、準備していた文化祭が開けなくなるという展開がありました。

 『ガールズ&パンツァー』は2012年の秋アニメでした。
 序盤からそれとなく匂わされていましたが、こちらもストーリーの終盤、出場している戦車道の全国大会に負けてしまえば高校が廃校になってしまうと主人公達が知らされる展開があります。

 こちらも大ヒットアニメ『ラブライブ!』は2013年の冬アニメでした。
 こちらは第1話に高校が廃校になるという告知があり、主人公達がそれを食い止めようとスクールアイドルを目指す設定の作品です。

 2014年冬アニメの『桜Trick』も、廃校が決まっている高校が舞台でした。
 こちらは確か予め廃校が決まっている中で入学してくる「最後の1年生」という設定だったはず。上の3作品とちがって原作漫画がある作品で、原作は2011年から始まっています。


 これらの作品は2011年~2013年辺りに集中していますが、じゃあこれ以前も「学校が廃校になる作品」が多かったかというと正直あまり思いつきません。僻地を舞台にしているとか、戦争中などの非常時で生徒がいなくなるとかはあったと思いますし、生徒会の圧力によって廃部の危機に瀕している部がメインの作品は腐るほどあったと思いますが、普通に生徒が通っている都会の学校全体が廃校になる作品ってあまりなかったと思うんですね。

 「少子化だから現実に廃校になっている学校が多い」という理由も一つにはあると思うのですが、じゃあ2011年~2013年以降の最近にも多いかというとそうでもないと思います。『ラブライブ!サンシャイン!!』は『ラブライブ!』をなぞっているので例外として、他はあまり思いつきません。


 とするのなら、これらの作品そのものに理由があるというよりかは、2011年~2013年頃の「流れ」に理由があるのだと思いますし。ひいては、その流れを考えることが「2010年代のアニメ」が何だったのかを考えることにもつながるんじゃないかと思い、今日はそういう「流れ」を語っていこうと思います。





◇ 「ゼロ年代」の前半と後半
 2010年代を語る前には、2000年代を語らなければならない―――
 という項目で、いきなり1990年代から始まると「一体いつまでさかのぼるんだよ!」と若い人には苦笑されそうですが(笑)。

 ゼロ年代の漫画・アニメを語る上で欠かせないのは『新世紀エヴァンゲリオン』の影響だと思うんですね。
 テレビアニメは1995年~1996年の放送でしたが、最終回が何というか……当時の感覚では「え?これで終わり?話が終わってなくない?」というもので、1997年の劇場版で完結しました。


 そこからポスト『エヴァンゲリオン』と言える90年代終盤~ゼロ年代前半の時期は、「セカイ系」と呼ばれる作品や「鬱アニメ」と評される作品が大流行していきました。
 『エヴァ』という作品を身も蓋もなくざっくり解説してしまうと「たった一人の少年に世界の命運を背負わせる話」だと思うんですね。例えば、『ガンダム』(1979年~)とか『マクロス』(1982年~)とかは主人公は組織の中の一人にしか過ぎず、アムロが一人で獅子奮迅の働きをしてもそれだけで戦争に勝てる話ではなかったのですが。『エヴァ』という作品はシンジ君一人に何もかもを背負わせちゃう話だと思うのです。

 んで、その後に台頭してくる「セカイ系」の代表と言われる『最終兵器彼女』(原作は1999年~、アニメは2002年)なんかは、世界の命運を背負わされているのはヒロインの方で、その彼氏となる主人公と彼女との関係が「世界の破滅」と直結しているみたいな作品でした。
 こちらもざっくりと解説してしまうと「『エヴァ』を観ててミサトさんがもうちょっとしっかりしてたらシンジ君はああはならなかったんじゃないかと思ったら、ミサトさんを主人公にして男女が逆転したのが『最終兵器彼女』」みたいな。どちらのファンからも刺されそうな解説(笑)。

 「鬱アニメ」についてはどうかというと……「観ていて憂鬱になるアニメ」というのはこれ以前にもこれ以後にもたくさんあると思うんですが、ゼロ年代前半に主流になった「鬱アニメ」は「主人公が精神的に追いつめられていく内面」にフィーチャーしたものが多く、昨今のそれとはちょっとちがうようにも思うんですね。
 『エヴァ』とか「セカイ系」みたいに「世界の破滅」と直結はしなくても、アニメ版の『プラネテス』(アニメ版は2003年~)や『舞-HiME』(2004年~)なんかは「主人公を追いつめて追いつめて追いつめて、全てを失ったところで自分が一番大切なものと向き合うことになる」といった話でしたし。ゼロ年代前半を代表する大ヒットアニメ『機動戦士ガンダムSEED』(2002年~)やアニメ版『鋼の錬金術師』(アニメ版は2003年~)も、主人公が「過去に犯した罪を内面に背負っている」作品でした。


 もちろんゼロ年代前半にも「明るいアニメ」はたくさんありましたけど、流れとしては「シリアスなアニメ」がブームだったと思うんですね。今もシリーズが続いている『魔法少女リリカルなのは』(2004年~)だって、テイストは無茶苦茶シリアスですしねぇ。



 じゃあ、「ゼロ年代の後半」はどうかというと……
 その転換点として象徴的なのが『涼宮ハルヒの憂鬱』(アニメ版は2006年~)でした。

 あの作品のヒロイン涼宮ハルヒは、『エヴァ』のシンジ君や『最終兵器彼女』のちせなんて比じゃないくらいに「世界の命運をにぎっている」超重要人物で……それを主人公キョンの視点から描いているので、二人の関係性が「世界の破滅」と直結している「セカイ系」に分類されるはずの作品なんですけど。

 あの作品(2006年版)の最終話は、「世界の破滅」よりも「日常」を選ぶんですね。
 世界なんて滅ぼしてしまえばイイと言うヒロインに、「毎日学校楽しいだろ?」と見せつける話なんですね。そして、実際その後のハルヒには野球やったり夏休みを満喫したり文化祭に向けて映画を撮ったり文化祭でライブしたり、楽しい毎日が待っていたワケですから。


 ということで、ゼロ年代の中盤あたりからムーブメントは「日常の楽しさ」にシフトしていったように思われます。『ARIA』のアニメ1期が2005年の秋アニメ、『涼宮ハルヒの憂鬱』は2006年の春アニメ、『ひだまりスケッチ』のアニメ1期が2007年の冬アニメ――――『ハルヒ』以後の京アニ作品でいえば、『らき☆すた』が2007年の春アニメ、『けいおん!』1期が2009年の春アニメ。

 そのちょうど切り替え時期に、『涼宮ハルヒの憂鬱』と。
 あと、『ひぐらしのなく頃に』(原作ゲームは2002年~2006年、アニメは2006年~)があるのかなと思います。



◇ 「ポスト日常系」と言える2010年代
 この流れからすると、2010年代になったばかりの時期に「廃校になるアニメ」がドカドカッと出てきたのも不思議ではないと思うんですね。「廃校」というのは、キョンがハルヒに言ってあげた「毎日学校楽しいだろ?」という日常が終わってしまうことですから。「日常」の終わりの象徴。

 高校が廃校になってしまう『TARI TARI』(2012年)の前年である2011年、同じP.A.WORKSのオリジナルアニメ『花咲くいろは』も終盤に主人公達が働いている旅館をたたむという話が出てきます。そこにあった日常は終わり、そこで夢を見つけた主人公達は別々の場所に旅立っていく――――この「日常の終わり」=「旅立ち」というラストは、『TARI TARI』と同じなんですね。

 というか、P.A.WORKSのオリジナルアニメは同じようなテーマの作品が結構ありますね。「この日常は永遠に続くものではなく、次の夢を見つける時間」という。『クロムクロ』(2016年)とか『サクラクエスト』(2017年)もそうでしたし、言っちゃえば『Angel Beats!』(2010年)や『Charlotte』(2015年)もそう言えるのかも知れません。




 2010年代を代表するアニメと言えば、2011年の冬アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』ですが……この作品も「ポスト日常系」と言えるのかもと思います。「普通の魔法少女の日常」(作中ではOPくらいしか描かれていませんけど)を守るための戦いですからね。つまり、「楽しい日常」が奪われることが前提で「それを守るために戦う」のが『まど☆マギ』なんです。

 これのフォロワーと言ってイイであろう『結城友奈は勇者である』(2014年~)なんかは、この「日常パート」と「バトルパート」を明確に分けて、「日常パート」の描写を濃密にすることによって「守らなければならない日常」と「バトルによって失われた日常」を際立たせていて―――1期の時は「新日常系アニメ」と名乗っていましたね。
 「新日常系」の定義は微妙ですけど、恐らく『がっこうぐらし!』(原作は2012年~、アニメは2015年)とか、『この世界の片隅に』(原作は2007年~、アニメ映画は2016年)なんかも当てはまるんじゃないかと思います。




 さて、ようやく核心に近づいてきました。
 同時期に「学校が廃校になるのを食い止めようと戦うアニメ」として出てきた『ガールズ&パンツァー』と『ラブライブ!』ですけど、彼女達が守ろうとしたものも「楽しい日常」なんです。先も書いたように「廃校」というのは「日常の終わり」の象徴なので、それを食い止めようとする戦いは「日常を守るための戦い」なんです。そういう意味では、『ガルパン』や『ラブライブ!』は実は『まどか☆マギカ』なんかと近い作品なんだと思うのです。


 ナ ナンダッテー!!
 Ω ΩΩ


 以前、『ラブライブ!』を観たことがない友達に「『ラブライブ!』って『けいおん!』みたいなものでしょ?」と言われたことがあるのですが、『けいおん!』と『ラブライブ!』では決定的にちがうところがあって――――『けいおん!』には「対戦相手」とか「ライバル」がいないんですけど、『ラブライブ!』には「対戦相手」とか「ライバル」がいるんですね。

 同じように女のコがたくさん出てきて、みんな可愛くて、音楽やって……というアニメですけど。『けいおん!』が自分達が楽しくて音楽をやっていただけなのに対して、『ラブライブ!』は明確に「廃校を食い止めるためにラブライブを勝ち上がっていかなくちゃならない」という目標があって音楽をやっていたワケです。こういう視点で見ると、μ'sとAquorsの終盤の展開がちがうことが面白いのですが……それは置いといて。


 2010年代のアニメは、「日常こそが何よりも大事」と描いたゼロ年代後半から、「だから、その日常を守るために戦わなければならないんだ!」という主人公達を描いてきた時代だったのかなと思うのです。
 『まどマギ』も『ガルパン』も『ラブライブ!』も『結城友奈は勇者である』も『がっこうぐらし!』も『この世界の片隅に』も、そして『けものフレンズ』だってそうだったと思うんですね。戦い方はみんなそれぞれちがっていて、『この世界の片隅に』のすずさんなんかは別に武器を手に取って戦ったワケじゃありませんけど。


 今回久々に『ガルパン』を観て思ったんですけど……テレビアニメ版のストーリーって構造的にものすごく分かりやすくて、西住ちゃんに「この学校に来て良かった!」「みんなと出会えてよかった!」と思わせる展開を終盤まで描いておいて、終盤に「負けたらその学校がなくなっちゃうんだよね……」と明かすんですよ。「だから、この日常を守るために戦わなければならない!」となっていくという。

 もし『ガルパン』がゼロ年代前半のサンライズアニメだったら、そこで西住ちゃんが鬱化して「もう終わりだ……結局、私はすべてを失ってしまうんだ……」とか言い出して、実際に廃校になってみんなとも散り散りに別れてしまい、でも「私にとって一番大切なものは何か!」を思い出して再び戦車に乗って戦い出す―――みたいな展開になったと思うんですけど、あそこで鬱化せずに「分かりました。じゃあ、諦めずに戦いましょう」と西住ちゃんが言うのが2010年代っぽいなーと思いますね。
 「自分にとって大切なものは何か」を見つけるのがゼロ年代で、「みんなの日常を守ろう」と戦うのが2010年代というか。



 『まどマギ』はもちろん、『ガルパン』や『ラブライブ!』もアニメの制作期間を考えると影響があるのかは微妙だと思いますが……2010年代にこういうアニメがたくさん作られて、そして受け入れられて大ヒットしたのには、やっぱり2011年3月の東日本大震災があるのかなぁと思います。
 「当たり前だと思われた日常」が一瞬で壊れてしまうことを日本中の人が目にしたワケで、せめてフィクションの中でだけでも「守らなければ失われてしまう日常を守るために戦う話」が観たいという願いがあったんじゃないか――――と思うのです。



 そして、その「守らなければ日常は失われてしまう」という象徴が「廃校」なんです―――
 『まどか☆マギカ』にとっては「ワルプルギスの夜」だし、『ガルパン』や『ラブライブ!』にとっては「廃校」だし、『結城友奈は勇者である』では「バーテックス」だし、『けものフレンズ』では「セルリアン」が……「ポスト日常系アニメ」において「日常を守るために戦う相手」なんです。


 という話で締めくくると、今日の記事はそれなりにキレイにまとまるんじゃないかなと思ってここまで書きつらねてきたんですけど。




 こう考えると、「廃校になるから思い出作りのために女のコ同士でキスしよう」という『桜Trick』ってすごくないですか?「日常の終わり」の中で、「とりあえずキスだ!」となるんですよ。『がっこうぐらし!』なんて比じゃないくらいの狂気を感じます。
 ですが、よくよく考えてみると『エヴァ』だって「世界の破滅」と隣り合わせの状態で「大人のキス」とかしてたし、『最終兵器彼女』だって「世界の破滅」の中で「セックスのようなもの」をしてたワケだし、「日常の終わり」に直面したらそうなるものなのかも。そう考えると、『桜Trick』は、『エヴァ』や『最終兵器彼女』なんかから続く「セカイ系」の系譜にあたる作品だったのかも知れません。

 ナ ナンダッテー!!
 Ω ΩΩ

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| アニメ雑記 | 17:51 | comments:8 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

2020年代はどうなるんだろう?

| ああああ | 2017/12/08 01:40 | URL |

そうきたか

こんな作品群の中に「この世界の片隅に」が出てきてびっくりしました。

| Dr.K | 2017/12/08 07:50 | URL | ≫ EDIT

真っ先に逆境ナインの校長の「廃部だっ!」を思い出しましたが、そう言えばアニメになってないのでした…。
あの漫画は特にアニメファンとの相性がいいんで密かにみんな「将来、アニメ監督になったらこんなの作りたい!」って影響されてたりして。

| 児斗玉文章 | 2017/12/08 12:26 | URL |

>ああああさん(2017/12/08 01:40)

 こればっかしは分からないですねぇ……
 2020年代も日本のアニメ業界が無事でいられるかも分からないので……


>Dr.Kさん
 『この世界の片隅に』の原作はゼロ年代の作品ですけど、原作発表時以上にアニメ映画公開時に話題になったのは、(アニメ映画の出来ももちろんあるのでしょうが)2010年代に求められる内容だったからなんじゃないかと思うのです。


>児斗玉文章さん
 記事にも書きましたが、「廃部」ネタは割と昔からあると思うんですよ。それこそ『けいおん!』アニメ1話のサブタイは「廃部!」ですし(笑)。

 でも、その頃の「廃部」というのは「部活=青春=夢、目標」みたいなものを終わらせる象徴で。2010年代の「廃校」はもっと大きなものなのかなぁと思います。個人か、みんなか、という。

| やまなしレイ(管理人) | 2017/12/08 22:29 | URL | ≫ EDIT

アニメがゲーム化してます。
ジブリみたいなストーリーが欲しい。

| 三川恵子 | 2017/12/09 08:47 | URL | ≫ EDIT

>三川恵子さん

 仰っている意味がよく分かりませんが。
 「ジブリみたいなストーリーが欲しい」のなら、ジブリ作品を見ればイイんですよ。よそにそれを求めるのは、今の恋人に「元カノみたいな髪型をして欲しい」と要求するようなものです。

| やまなしレイ(管理人) | 2017/12/11 23:14 | URL | ≫ EDIT

好きな戦車はチャーチルクロコダイルです。

2000代初頭から「日常を守る為の戦い」を続けてるプリキュアシリーズもありまっせ。
まぁ、全般的に男子向けヒーローは「正義」「勧善懲悪」の為に戦い。
女児向けバトルヒロインは「ささやかな願い」「救済」の為に戦う傾向にありますが。

| ナナシンガーおじさん | 2017/12/13 08:31 | URL |

>ナナシンガーおじさんさん

 そういうこと言い出すと、『ウルトラマン』だって「日常を守るために戦っている」ワケですから……この記事は「それ以前にそういう作品はなかった」みたいな話じゃないんですよ。

| やまなしレイ(管理人) | 2017/12/14 22:08 | URL | ≫ EDIT















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