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何故「アドバイス罪」は「罪」になるのか

 「アドバイス罪」という言葉は、あきまんさんが作ったんですってね。知らなかった。

 「関係のない人間からのアドバイスなんて、間違っていたところでその人は困らないから真剣みがないし、嘘かも知れないから、耳を傾けるだけ無駄だ」という考え方で、私は流石にそこまで割り切れないですけど、あきまんさんの仰ることもすごくよく分かります。
 ろくでもないアドバイスを真に受けて、それで大損害を受けて困り果てても、そのアドバイスをした人は知らぬ存ぜぬで助けてもくれないのがインターネットです。それなのに今日も昨日も知らない人からの何らかのアドバイスが飛んでくるのがインターネットなのです。


 例えば私が「助けてください!」「困っています!」「アドバイスをください!」と言っているのならともかく、頼んでもいないのに知らない人から「ブログのレイアウトを変えろ」とか「○○を見習え」とか「動画は○分以内に編集してアップしろ」とか「絵を描くのならまずこの本を読め」とか「ゲームはこう遊べ」とか「漫画を描くならこの漫画が勉強になりますよ」とか言われてもそんなの頼んでねえから!としか言いようがないです。

 んで、アドバイス通りにしないと「人の話に耳を傾けない自分勝手なヤツ」「空気を読まない」「心が狭い」「ネット向いていないから辞めればイイ」とか言われるんですよ。これ全部実際に言われたことですからね!



 とは言え、「アドバイスをしたくなる人」の気持ちも分かるんですよ。
 人間には「教えたい欲」というものがあって、秘蔵のコレクションを見せつけたいと思うように、自分の知っていることをとにかく「教えたい」という欲求が誰にでもあると思うんですね。

 小さな子供が、親は全然興味ないアニメやゲームについて延々と解説したがるとか(ウチの甥っ子はやたらベイブレードの解説をしてくる)。大人であっても「良かれと思って」今私が読んでいる本の結末をネタバレしてくる人がいるのとかも。年齢や性別に限らない、誰にでもある「教えたい欲」によるものですからね。
 私だってブログやTwitterをやっている理由の何割かに、「自分が思いついたことを書いて知らしめたい」という欲求があるのだと思います。私はそれを「読みたい人だけが読めばイイ」「読みたくない人は読まなくてイイ」とブログに書いていますが、そういう場所を持たない人は誰かへのリプライとかコメントとかで「教えたい」「教えたい」「教えたい」「教えたい」という欲求を発散させるしかないのだと思います。


 つまり、私のこのブログがオナニーだとしたら。
 誰かへのリプライとかコメントとかで「アドバイスをする人」は顔射だってことですね。

 本当に合ってる、この例え!?





 「アドバイスをしたい人」と「アドバイスをされたくない人」―――
 このインターネットは、完全なる供給過多で「アドバイスをしたい人」が余っている状況なのです。ふぁぼっていなかったので流れてしまって見つけられなかったのですが、「女子高生がおっさん達からお金をもらってアドバイスをさせてあげるビジネスとかあったら流行るんじゃないか」みたいなネタをTwitterで見かけたこともあって、ものすごく的確に現在のインターネットを評しているなと思ったことがあります。それくらい「アドバイスをしたい人」は余っているという。





 さて、前提の説明が終わったので、ここからが本題です。

 「では、インターネットでは絶対にアドバイスをしてはいけないのか?」と言うと、私はそうは思いません。
 冒頭のあきまんさんのように「アドバイスをしてくるな」と言っている人にアドバイスをするのは、「ネタバレしてきたら殺す」と言っている私にネタバレをしてくるのと同様に、それが善意であろうが許されることではないとは思いますが……ほとんどの人は「役に立つアドバイスは欲しい」けど、「役に立たないアドバイスは要らない」と思っているんじゃないでしょうか。


 んで、困ったことに「アドバイス罪」と言われる厄介な人達は「俺のアドバイスは役に立つぞ!」と思っているので、「このアドバイスは役に立つのか/立たないのか」を自分で判断することは出来ないという(笑)。
 というか、役に立たないアドバイスをしてくる人ほど「俺のアドバイスは役に立つぞ!」を思いがちなのが、真理のように思えはしますが。

 そうすると、本当に「役に立つアドバイス」が出来る人が、「この人、困っているみたいだな。アドバイスしようかな?でも、迷惑かも知れないし、アドバイス罪って言葉もあるもんな。仕方ない、黙っていよう」と黙ってしまうかも知れないので……「アドバイス罪」という言葉で躊躇してしまって、アドバイスしてイイものなのか悩んでいる人に私が教えてあげましょう!教えたい欲の発動だ!




 長らくインターネットに生息してきて、個人サイトからブログ、mixi、Pixiv、Twitter、Miiverse、ニコニコ生放送、YouTube、Mixerと様々な場所を渡り歩いてきた私は―――頼んだ時もあれば、頼んでいない時も、たくさんのアドバイスを投げつけられてきました。それらのたくさんのアドバイス達を、「ありがたいアドバイス」と「イラっとするアドバイス」に分けて考えたらものすごくシンプルなことに気が付いたのです。

 つまり、これからインターネット上で「アドバイスしてイイものなのか」と躊躇っている人は、これから言うことに気を付ければそこまで相手をイラっとはさせないと思うのです。「イラっとするアドバイス」かどうかの自己判断が出来るんですね。






 「イラっとするアドバイス」とは……


 採用しないと、「せっかく俺がアドバイスしてやっているのにどうして言うことを聞かないんだ」と怒り出すアドバイスです。

 ぶっちゃけた話、「このアドバイスは役に立つのか/立たないのか」はあまり重要ではなくて、「役に立たないアドバイス」をしてきたとしてもそれだけならイラっとはしないんですよ。
 例えば私はパーソナルなことを全てブログに書いているワケじゃないですから、「そのアドバイスは既に実践済みだ」とか「それが出来ない事情がある」という事情で「役に立たないアドバイス」をしてくる人もいると思うんですね。仮にブログには書いていたことであったとしても、全部の記事を読んでもらえているとも思いませんし。

 こちらの事情を相手が100%分かっているワケではないから、間違ったアドバイスをしてくることもあるよねというのは分かるんですよ。あきまんさんみたいな有名人ならその量が半端ないから「間違ったアドバイスかどうか」を判別するのも大変で、だから「アドバイス自体してくるな!」となるのだと思うのですが、私くらいなら別にそれが大変でもないんです。


 だから、「間違ったアドバイス」をもらってもスルーしたり、「それはやらないんですよ」とコメントを返したりするのですが……そうすると、中にはブチギレてくる人がいるのです。「せっかく俺がアドバイスしてやっているのにどうして言うことを聞かないんだ」と。

 それってもう「困っている人を助けたい」じゃないですよね?
 「困っている人を助けてやって、感謝されて、俺が気持ちよくなりたい」ですよね?



 「アドバイス罪」というのは、「アドバイス」の中身に罪があるのではなくて。
 「アドバイス」を送る側の“姿勢”とか“態度”に罪があるんじゃないかと思うのです。ムリヤリ顔射しようとしてきたので避けたら「どうして避けるんだ!俺が顔射してやろうとしたのに!」とか怒り出す人、すげー怖いですよね。「アドバイスの通りにしないと怒り出す人」ってそんなカンジなんですよ。世の中のすべてのことは顔射で例えられるような気がしてきました。



 なので、「アドバイスしてイイものなのか」と躊躇っている人は―――「自分のアドバイスが役に立つか/立たないか」よりも、相手にも事情があるので「そのアドバイスが採用されないこと」も覚悟してアドバイスをすればイイんじゃないのかなと思うのです。

 「せっかく俺がアドバイスしてやっているのに」という気持ちが芽生えてしまったなら、それはもう相手のためではなく自分のための行為です。そりゃ相手から嫌がられても仕方ありませんし、「罪」にもなります。
 「採用されないこと」を覚悟していれば、「それはやりたくないのですよ」と返されても「どうして言うことを聞かないんだ」とは思いませんよね。顔射もそうですよね。本来それは顔になんて出すものではありません。「避けられて当然だ」と覚悟していれば避けられても腹は立たないですよ。



 ここまで書いておいてアレなんですけど、私は顔射モノのAVはあんまり好きじゃないです。

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