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やまなしなひび-Diary SIDE-

変わらない価値のあるもの

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「嫌いなゲームかどうか」と「面白くないゲームかどうか」は別

 この話、新年1発目の記事の「前置き」として考えていたことなんですが……「前置きにしては長くなりそうだ!」と思ったので、先にこちらだけ独立して書いてしまいます。

 「好きな作品」と「面白い作品」と「素晴らしい作品」は別

 随分と前にこんな記事を書いていました。
 作品に対する評価軸は、「好き←→嫌い」みたいな一軸で語れるのではなく、「好きだけど素晴らしくはない」とか「面白いけど好きではない」とか「素晴らしいけど面白くはない」といったカンジに複雑に入り組んでいるよねという話でした。


 今日の話もその繰り返しと言えば繰り返しなんですけど……ことゲームに関して言えば更に複雑で、「昨日は大嫌い」だと思っていたゲームを「今日は大好き」だと思うみたいなことが起こるのが“ゲーム”というメディアだと私は考えています。自分の「好き」という感情すら信用ならないのです。


 これはゲームが「ストレス」と、それを乗り越える「カタルシス」によって構成されているからで……分かりやすい例を挙げるのなら、『バイオハザード』みたいなホラーゲームはプレイヤーに「ストレス」を与え続けるゲームとしてイメージしやすいんじゃないでしょうか。
 私も今年の夏に『バイオハザード』1作目をクリアまで実況しましたけど、「あのゲーム、好きです?嫌いです?」と訊かれたら「大嫌いですよ!」と即答します。新しい場所を探索するのも怖いし、出てくる敵キャラ全部気持ち悪いし、アイテムのやりくりが大変だし、マップもメモ取りながらじゃないとどこに何があるのか分からなくなるし、「二度とやりたくない」と思っています。

 でも、「あのゲーム、面白かったですか?つまらなかったですか?」と訊かれたら「超面白かったですよ!」と答えます。あのドキドキとハラハラと、緊張感と絶望感は、他のゲームでは味わえない体験でした。実況も盛り上がりましたしね。

 「どちらが好きなゲームでした?」と訊かれたら、その前にプレイした『Dの食卓』を挙げますけど。「どちらのゲームが面白かったですか?」と訊かれたら、『バイオハザード』の方を挙げます。「ストレス」を過度に与えられるゲームは私の好きなゲームではないけれど、それを乗り越える「カタルシス」は確かに面白いんです。



 でも、これって迂闊な書き方をすると誤解されかねなくて……
 この記事を読んでくださった人ならば「このブログを書いているやまなしさんという人は、“好きかどうか”と“面白いかどうか”を分けて考えているのかー」と分かってくださるでしょうが……
 この記事を読んでいない人が、例えば他の記事に「バイオハザード面白かったけど、二度と遊びたくないくらい大嫌い!」と私が書いているのを読んだとしたら、「コイツ、バイオハザードを“大嫌い”って批判したぞ!」とマイナス表現のところだけに食いつきかねないと思うんですね。「面白かったけど」の部分は無視しちゃって。

 なので、炎上を避けるために、「二度と遊びたくないくらい大嫌い!」の部分は削って「面白かった」としか書かないようにするのが普段の私の記事なのですが……でも、『バイオハザード』にとっては「二度と遊びたくないくらい大嫌い!」の方が大事な情報でしょうし、ホラーゲームにとって「二度と遊びたくないくらい大嫌い!」はそこまで怖がってもらえたという誉め言葉ですよね。それだけゲームにパワーがあったということなんですから。




 ホラーゲームの例は比較的みなさんに共感してもらえるんじゃないかと思うのですが、ゲームというのは多かれ少なかれ「ストレス」と「カタルシス」で成り立っているので、どんなジャンルのゲームであっても「ストレス」が大きくなると同じようなことが言えると思います。

 アクションゲームで「とてもじゃないけどクリア出来そうにないステージ」に直面したとき、RPGで「装備を整えるためには何時間もレベル上げをしなくてはならない」と知ったとき、シミュレーションRPGで「うんざりするくらいの大量の敵が現れた」とき、経営シミュレーションゲームで「ずっと赤字続き」なとき―――「つらい」が「たのしい」を上回ったとき、「こんなゲーム大嫌いだ!」と思ってしまうことはあると思うんです。

 でも、そんなステージをクリアしたとき、やっとの思いで装備が整ったとき、大量の敵をすべて駆逐できたとき、赤字が直って経営が安定してきたとき……苦労の分だけ大きな「カタルシス」がやってきて、「あー面白かった」と思えるし、さっきまで苦しんでいたことを忘れて「このゲーム大好き!」と言ったりもしちゃうワケで。




 最近ちょっと考えることんですけど……
 私、『Splatoon』を「好きだったのかな?嫌いだったのかな?」と自分でもよく分からないんですよ。

 あのゲーム、勝てばムチャクチャ嬉しいし、負ければムチャクチャ悔しいので……昨日は調子良く連勝できて「このゲーム大好き!」と思っていたとしても、今日はボロクソに負けてスタート地点から降りることも出来ない試合ばかりだと「こんなゲーム大嫌いだ!」となったりするんです。
 でも、そこで「こんなゲーム大嫌いだ!」の日のツイートだけを切り取って「またやまなしが任天堂のゲームを批判したぞー!殺せー!」と拡散されるのは、酷い話じゃないのかって思うのですよ。対戦ゲームにとって「負けて悔しいから大嫌いだ!」と言われるのは、それだけ熱中させた面白いゲームだったという誉め言葉じゃないのかって思うのですよ。



 「面白くないゲーム」というのはいわゆる「クソゲー」と評されるどうしようもないゲームのことなんでしょうけど、「大嫌いになるゲーム」というのはそれだけ人を熱中させているのだから「クソゲー」とはちょっとちがうと思うのです。『バイオハザード』や『Splatoon』を私が「嫌い」と言ったとしても、それはそれらのゲームがよく出来ているからでしょう。


 そもそも「好きなゲームになるかどうか」なんて人によって様々で、極端な話をすると、「ヒロインが可愛いから好きなゲーム」みたいに面白いかどうかはそっちのけで好きになる人もいますよね。「グラフィックがキレイだから好き」とか、「自由気ままに遊べるから好き」とか、ゲームの面白さ以外のところを好きになるゲームなんてたくさんあるでしょう。

 ならばその逆もまた言えることで、「嫌いなゲームになるかどうか」だってゲームの面白さとは関係のないところで嫌いになることはありえるし、「大嫌いだけど面白いゲーム」というのは何一つ矛盾していないし、よくあることだと思います。だから、仮に私が今後何かのゲームを「大嫌い」と言ったとしても、批判として受け止めないでくださいね!



◇ 余談
 実はこの話、「ゲームに限ったことでもない」んですよね……

 ホラー映画だってホラーゲームと同様に視聴者に多大な「ストレス」をかける娯楽ですし、ヒーローものの王道ストーリーだってヒーローがピンチになるという「ストレス」からの大逆転という「カタルシス」を得る娯楽ですし……「ストレス」からの「カタルシス」というのは娯楽作品の根源的な面白さで、それ故にどんなジャンルだって「ストレス」が過多になりすぎた作品は耐えられなくなる人は出てくるものです。

 ただ、ストーリーを追うだけなら必ずしも「ストレス」は必要なくて、例えば『ゆるキャン△』のアニメみたいに徹頭徹尾ノンストレスで楽しめる作品だってあります(『けものフレンズ』のアニメだって終盤の展開以外は観ててつらいシーンはほとんどありませんでしたよね)。




 それと比べると、ゲームというメディアは、それがアクションゲームであってもRPGであってもシミュレーションゲームであってもシューティングであってもアドベンチャーゲームであっても「出来ないことが出来るようになる」ことに面白みがある以上、ある程度の「ストレス」はどうしても存在するんですね。
 例えば、比較的こういう「ストレス」が少なそうな『どうぶつの森』だって、お金を稼がないと部屋が広くならないし、部屋が広くならないと家具がたくさん置けないしで……ゲーム開始直後は「思ったことが出来ないストレス」との戦いで、せっせと果物や魚やカブを売って「億万長者になったぜー!これで何でも出来る!」となっていくことでカタルシスを得るゲームなんですね。

 ストーリーを追うだけのノベルゲームとかならどうかというと、1周目を終えた後にセーブポイントからやり直して別のルートを目指すとか、2周目は既読スキップを使って時間を短縮するとかは「出来ないことが出来るようになる」成長の楽しみと言えますし、1周目は「ストレス」で2周目は「カタルシス」と言えるのかも知れません。
 それを言うと、ゲーム以外の推理小説とかだって「真相が分からない1周目」はストレスで、「真相が分かった上で読み直す2周目」はカタルシスと言えるか……?推理小説を結末から読んで、犯人とトリックが分かった上で最初から読むという人は「ストレスを感じたくない」からそうしているんでしょうし。



 なので、ゲームに限らず漫画でもアニメでも小説でも映画でも演劇でも、「ストレス」をかけるシーンが耐えられなくなって「嫌い」と思うことは作品にとっては狙い通りな結果でしょうし、そこを「嫌い」と言ったからとしてもその作品がダメなワケじゃないと思うんですね。作品として一番ダメなのは「何とも思わない」「何の感情も揺り動かない」ですからね。

 あ、「ストレス」の部分じゃなくて「カタルシス」の部分が許せないパターンの「嫌い」は、作品の狙い通りではないので「ダメな作品」と言われても仕方ないと思いますけどね。






| ゲーム雑記 | 17:57 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

面白いゲームで、自分の趣味に合ってれば好きだと人に言えて、それが人生を少しでも変えてくれたゲームなら素晴らしいゲームになるのかなーと思いました。

例えば自分の場合ファンタジーが好きなので、面白くてもSFが入ってたりすると好きとは言えなくなるとか。
最近だとゼノブレイド2がそういう感じだったかな?

| エネルゲイア | 2018/12/31 10:00 | URL |

>エネルゲイアさん

 ふむふむ。
 「面白いゲーム」の中に「好きなゲーム」があって、更に「好きなゲーム」の中に「素晴らしいゲーム」があるんですか。同じ言葉であっても人によって捉え方がちがうのは面白いですね。


>例えば自分の場合ファンタジーが好きなので、面白くてもSFが入ってたりすると好きとは言えなくなるとか。

 あぁ、「好き」になるかにそういう要素はかなり重要ですよね。漫画とかだと、どんなに内容が面白くても「主人公に好感が持てない」みたいな理由で「好きにはなれない」ことは多いですし。

| やまなしレイ(管理人) | 2019/01/03 00:50 | URL | ≫ EDIT

あー、確かにありますよね
TRPGでも、シナリオ道中に織り込んだ鬱や不穏や憤りで「溜め」させたストレスをうまくクライマックス・ラストバトルとエピローグで開放できるかどうかが鍵ですよね。

プレイヤーの時も謎解き失敗したエンディングで「あー、あの時のそれがこうなるのかー!!」って言ったりするときは悔しさと一緒になぜかすっきり感ありますもん。
逆にマスターの脳内当てだったりするとげんなりしますけどね…

| まるーや | 2019/01/03 10:03 | URL |

>まるーやさん

 僕は漫画や小説なんかも書いているんですが、最後にスッキリ爽快を味わってもらうためには途中ちょっと苦しい場面も描かなくちゃいけなくて……
 「最後まで読んでもらえたならカタルシスがあるので、どうか途中で読むのをやめないでくれ!」と祈りながら書いています。

 この記事に沿って言うならば、「一度は嫌いになってもらってでも最後は好きになってもらいたい」ということなんですけど……どうしても「嫌い」のところで読むのをやめちゃう人もいるんですよね。
 推理小説の前半だけ読んで「犯罪を美化しているのか!」と言われたときは、かなり落ち込みました……

| やまなしレイ(管理人) | 2019/01/05 00:02 | URL | ≫ EDIT















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