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「一人称の物語」と「三人称の物語」

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 この機会に書いておきたいのが、「一人称視点」と「三人称視点」の話です。

 このブログを読んでいる人にはゲーム好きの人が結構いると思うので、3Dアクションゲームや3Dアドベンチャーゲームにおける「一人称視点」と「三人称視点」のちがいは直感的に分かる人が多いかなと思います。

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<画像はWii用ソフト『ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔』より引用>

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<画像はプレイステーション版『Dの食卓』より引用>

 ウチのブログで紹介したゲームで言うと、『ドラクエソード』や『Dの食卓』なんかは「一人称視点」のゲームです。有名どころで言えば『マインクラフト』は基本的には「一人称視点」ですし(「三人称視点」にも切り替えられるみたいですが)、VRのゲームなんかは「一人称視点」のものが多いですね。



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<画像はNintendo Switch用ソフト『Splatoon2』より引用>

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<画像はNintendo Switch版『フォートナイト バトルロイヤル』より引用>

 それに対して『Splatoon』や『フォートナイト』はプレイヤーキャラの後ろにカメラがあるので「三人称視点」の3Dアクションシューティング(TPS)と呼ばれています。ゲームの分類においては、「カメラ=キャラクターの目線」なものを「一人称視点」、「カメラがキャラクターも映す」ものを「三人称視点」と言っているのだと思います。

 要は、「どこにカメラがあるのか」って分類なんですね。

 それによってゲームがどう変わるのかとか、例えば『スーパーマリオブラザーズ』とか『ドラゴンクエスト』とか『逆転裁判』とかはどうなんだという話も書いてみたいのですが、今日の記事で語りたいのは「小説」の話なので、「ゲーム」の話はまたの機会にしましょう。




 さて、ここからが「小説」について。
 「小説」を読む側の人はあまり意識しないかも知れませんが、「小説」には「一人称の小説」と「三人称の小説」があります。どこがちがうのかと言うと、これも「ゲーム」の話と一緒で「どこにカメラがあるのか」がちがうだけです。ただ、小説のカメラは「画面」だけでなく「気持ち」とか「情報」も映せるというのがポイント。


 例えば、超有名な『吾輩は猫である』の冒頭部分を見てみましょう(リンク先:青空文庫)。

<以下、引用>
 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。

</ここまで>

 一行目から「主人公=猫」の視点で描かれる「一人称の小説」だと宣言するところから始まります。猫の目線から人間の生活を見ていくという作品ですが、例えば「どこで生れたかとんと見当がつかぬ。」という表現から分かるように「主人公(=猫)が知らないことは描けない」というのが「一人称の小説」なんですね。これがもし「三人称の小説」だったら「親猫はこの猫を産んだ後、うんぬんかんぬんなのじゃ」みたいな説明が入ったかも知れませんが、「一人称の小説」ではそれは出来ないんですね。

 「読者」と「主人公」の知っていることがイコールになるので、没入度も増すというのが「一人称の小説」の特徴です。





 では次、こちらも冒頭部分が超有名な『走れメロス』を見てみましょう(リンク先:青空文庫)。

<以下、引用>
 メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。
</ここまで>

 一行目から、主人公:メロスを客観的に見て「メロスは激怒した」と表現しているように、この作品は「三人称の小説」です。
 だから、「(メロスは)邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。」みたいなことが言えるんですね。一人称の小説でこれをやると「私は、邪悪に対しては人一倍に敏感である」と言い出すイタイ人になっちゃいますからね。まぁ、こういう人Twitterにはいっぱいいますけどね!


 「三人称の小説」の特徴は、「主人公が本来知らないことも描くことが出来る」ことにあります。例えば『走れメロス』にはこういう描写も出てきます。

<以下、引用>
 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。この嘘つきに騙された振りして、放してやるのも面白い。そうして身代りの男を、三日目に殺してやるのも気味がいい。人は、これだから信じられぬと、わしは悲しい顔して、その身代りの男を磔刑に処してやるのだ。世の中の、正直者とかいう奴輩にうんと見せつけてやりたいものさ。
</ここまで>

 これはメロスが王に「セリヌンティウスを置いていくから3日間待っててね」と言った際の描写です。主人公:メロスには分かるはずがない「王の思惑」が描写され、このおかげでラストシーンのカタルシスが増すのです。このため『走れメロス』は「メロスの物語」なだけでなく、「王の物語」とも言えるのです。

 “神の視点”で、主人公以外のキャラクターの「思惑」や「状況」も描けるので、読者が「全体」を把握できるのが「三人称の小説」の特徴でしょう。





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<画像は『その日 世界は…』1巻2話「ずいぶんと遠くにいっちゃったなぁ…」より引用>

 んで、基本的にマンガって「三人称視点」なんですよ。
 もちろん「カメラがずっと主人公を追いかける」タイプの漫画もあるし、「主人公以外の心情描写をしない」タイプの漫画もあって、それらは「一人称の小説っぽいマンガ」だと思うのですが……マンガである以上、カメラが三人称視点の位置にあるので、完全な形の「一人称視点」にはなりづらいのです。

 短編とかなら、「カメラ=主人公の目線」の実験的マンガというのもなくはないですが……一発ネタであって、それを長期的に描くのは難しいかなと思います。
 「主人公=作者」のドキュメンタリー漫画とかエッセイ漫画でも、作者をキャラクター化して「三人称視点」で描きますからね(映画なら、ドキュメンタリー映画だと監督の顔が映らないものも結構あるし、フィクションでも一人称視点のものがチラホラ出てきてるらしい)

 恐らくですけど、マンガって「表情でキャラクターの気持ちを描写する」文化なため、完全な「一人称視点のマンガ」だと主人公の気持ちが読み取れなくて怖くなってくると思うんですね。「一人称の小説」とは逆に「読者」が「主人公」に感情移入できなくなるので、むしろそれを利用して「主人公が読者の理解できない行動をとる」サイコホラーっぽい作品なら「一人称視点のマンガ」も面白く出来そうかな。ストーカー視点のマンガとか。



 こんなカンジに、私は長年マンガを描きながらこの「視点の限界」についてずっと考えてきました。例えば『朝が来る』なんかは、「主人公以外の心情描写をしない」ことで「一人称の小説っぽいマンガ」にしようとしましたし。例えば『たのしみのない家族』は、「カメラが追いかける主人公を次々と切り替える」ことで「心情描写を敢えてしないキャラの心理を推測させようとした」のだし。

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<画像は『春夏秋冬オクテット(冬)』「たのしみのない家族」より引用>



 「ライトノベルを書いてみたらどうでしょう?」とコメント欄で言われたとき、最初はピンと来なかったんですけど、マンガでは出来ない「完全な一人称視点」が小説なら出来るじゃないかと思ったのです。

 マンガより小説の方が優れた表現媒体だとか、マンガを描くのにもう疲れたから小説に逃げるとかじゃなくて、自分の思いついた作品で「マンガという表現媒体に向いているものはマンガで描いて」、「小説という表現媒体に向いているものは小説で書けば」イイじゃないか―――その選択肢が増えるのはイイことだと思って、今回初めて小説を書くことにしたのです。

 なので、もし「ゲームという表現媒体に向いている」という作品を思いついた場合は、BASICで作るのでしょう(笑)。



 というワケで、今回の小説短編集に収録している5本の作品は、「一人称の小説」であることを活かして出来ることを考えて生まれた作品です。キャラクターから作るとか、ストーリーから作るとかじゃなくて、まず構造から作っているんですね。んで、それを活かせるシチュエーションは何かと考えていっている……

 ネタバレにならない範囲で説明しますと、5作品目『待つことしか俺には出来ないのか』は「視点となる主人公キャラを切り替える」ことで全体像が見えてくることを狙った作品です。短編集のラストということで最も高度なことを読者にさせようという試みで、『たのしみのない家族』とかなり似た構造の作品になっています。

 「構造」から入っているため、最後までどっちを書くか悩んでたもう一つの候補は「ケンカしている女子中学生グループの一人一人に話を聞いてケンカが起こった本当の原因に迫る」というキャラクターもストーリーもシチュエーションもテイストもまったくちがう作品でした。ただ、「構造」だけは一緒なんです。
 ちょっとお話し的に地味だったのと、2本連続学園モノは飽きられそうだったのと、中学生ヒロインは亜希ちゃん一人でイイやと思ったのとで、連続殺人事件の方を5作品目に選んだのでした。「そんな理由で殺されたのか!」と被害者の人達から顰蹙を買いそう(笑)。


 ちなみに投稿サイトの段階でボツになった「幻の4作品目」は、お笑い芸人が主人公で「ドッキリを仕掛けられている」と思いこんだ人の「一人称視点」で「読者の全員が気付いていることに主人公だけが気付いていない」コメディでした。
 しかし、この「主人公が気付いていないことに読者全員が気付く」というのが、マンガだったら簡単に描けそうなのに、「一人称の小説」で書いたらすごく難しくて……んで、元々5作品目として考えていた(短編集では4作品目)『待ってるこっちの身にもなってくれ』が似たような構造で、こっちの方が分かりやすいじゃないかと思ったので「幻の4作品目」は幻に消えていったのでした。




 そんなカンジに「一人称の小説」を書くのは、「三人称視点のマンガ」を描くのとは別の楽しさがあって、機会があればまた書きたいなとネタもたくさんあるのですが……唯一「一人称の小説」を書くにあたって難しいなと思ったのが、「自分と語彙がかけ離れた主人公には出来ない」ということでした。

 自分より語彙が豊富な主人公にしようとしても、自分の知らない言葉はなかなか出てこないし。
 逆に、自分より語彙がない(例えば小さな子供とか)主人公にしようとしても、ついつい自分の知っている言葉を使ってしまいがちだし。

 「すごい天才」も、「すげー馬鹿」も、なかなか主人公にしづらいんですよね。
 だから、あの、『その日 世界は…』の夏央みたいな主人公は「一人称の小説」だと書くの難しいと思うんですよ。あのコ、語彙が10個くらいしかないので(笑)。マンガで描いてて良かった!

  

| 小説創作 | 17:51 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

一人称小説の反則技?

ライトノベルですと、基本一人称なのに場面展開して主人公以外のことを書くパターンって結構多いですね(女湯のガールズトークとか)。

あと「ようこそ実力至上主義の教室へ」ではあきらかに主人公が読者に情報隠してるだろというモヤモヤ感があります。

やまなしさんはマンガから一人称を試みたくて小説に手を出したわけですが、逆に一人称小説がアニメ化(必然的に三人称)されたときに原作者がアニメオリジナル脚本を書くと原作ではできないことをやろう=主人公不在の話になってしまうというお約束w(「涼宮ハルヒの憂鬱」「ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?」が該当)

| 太田拓也 | 2019/06/05 10:52 | URL | ≫ EDIT

>太田拓也さん

 あー、話が長引くとキャラ数も増えるので、視点となるキャラを切り替えるというのは割とある手法なのかな。


>逆に一人称小説がアニメ化(必然的に三人称)されたときに原作者がアニメオリジナル脚本を書くと原作ではできないことをやろう=主人公不在の話になってしまうというお約束w

 お約束ってほど多くもないと思いますけど(笑)

| やまなしレイ(管理人) | 2019/06/07 23:28 | URL | ≫ EDIT















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