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何故ぼくはフローラを結婚相手に選んだのか~1992年にあったゲームの分水嶺

※ この記事はゲーム版『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』のネタバレを含みます……というか、記事タイトルがネタバレです!
※ 劇場版『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』については観ていないので語りませんし、ネタバレもありません。



 チラッとTwitterで話したことなんですが、もうちょっとしっかり文章にまとめた方がイイかなと思ったのでブログに書きます。

 『ドラゴンクエストV』というゲームは、ストーリーの中盤で「結婚相手」を選ぶイベントが起こります。スーファミ版では「幼馴染のビアンカ」と「その町のお嬢様:フローラ」の二択で、このイベントを通過しなくてはゲームが進まない強制イベントです。
 そして、選んだ方のキャラがお嫁さんとなって一緒に冒険することになり、更にストーリーが進むと子供も生まれます。この子供の髪の色が、ビアンカを選んでいると金髪、フローラを選んでいると青髪になるのも芸が細かいんですよね。


 この「ビアンカかフローラか」論争というのは、何十年間もゲーム好きの間で話のタネになっていて。「ストーリーの流れでは絶対にビアンカでしょ」「幼馴染を裏切ってフローラを選ぶヤツは人でなしだ」みたいに、その人の人間性をはかる指針になっているところもありました。

 ゲームの攻略的に見ると「フローラの方が戦力にはなる」「金持ちの義父が支援してくれる」とフローラの方にメリットがあるのに対して、「ストーリーの流れではビアンカを選ぶのが普通」「選ばれなかった場合のビアンカは山奥でずっと父親の世話をするはめになって可哀想」とストーリー的にはビアンカが正規ルートっぽいカンジがするのも確かです。そんなこと言われるビアンカのお父さんも可哀想じゃない?


 この辺がよく言われること。
 ただ、この「ビアンカかフローラか」論争であまり語られない要素があるな―――と思ったので、今日ここに記事を書くことにしたのです。
 このゲームが発売された1992年にこのゲームを遊んでいれば誰もが何となく分かったであろう“当時の空気感”みたいなものがあまり語り継がれていなくて、『ドラクエV』は遊んだことがないけど「ビアンカかフローラか」論争だけは知っている人とか、リメイクなどで後から遊んだという人も多くなってしまい。「ビアンカかフローラか」論争が、「ストーリー的にはビアンカ」「ゲーム攻略的にはフローラ」みたいな単純な二択にされているのは大事な本質が抜けているだろうと私は思うんですね。


 つまり、「ゲームデザインとしてのフローラの存在意義」について、語る人があまりに少ないと思うのです。



◇ それはそうと1992年のスーファミタイトルってやばくない?
・1月28日 『ロマンシング サ・ガ』
・3月7日 『弟切草』
・6月10日 『ストリートファイターII』 ※ アーケード版は1991年稼働開始
・7月14日 『マリオペイント』
・8月27日 『スーパーマリオカート』
・9月27日 『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』
・10月30日 『真・女神転生』
・12月6日 『ファイナルファンタジーV』

 時代を切り開いた名作が次々と発売されている年なのです。
 スーファミ本体発売が1990年11月21日ですから、ハード2年目に入って「スーファミの性能を活かした新しいゲーム」がどんどん出ている時期―――この時期に『ドラクエV』は発売されたんですね。あの『ドラクエ』がとうとうスーパーファミコンで出るぞ!と。


 んで、ちょっと話をズラします。
 このブログを長く読んでいる人なら耳にタコができるほど読んだ話だと思いますが、「ファミコン→ スーパーファミコン」にゲームが移行するにあたって、『ドラクエ』や『ゼルダ』はかなり別のゲームに変化しているんですよね。
 ヒントも最小限で「さぁ!好きなところに行くがよい!うっかり強敵だらけのところに足を踏み入れて死んでも知らんぞ!」というファミコン時代から、「そっちはまだ行っちゃダメ。だから、岩で区切っておくね。ここでストーリー進めてこのアイテムを手に入れたころには強くなっているだろうから、そうしたらここ通れるようになるよ。安心でしょ?」というスーファミ時代に変わりました。

 自由度を捨てて、『ドラクエ』や『ゼルダ』が得た“遊びやすさ”


 「自分で考えて冒険するゲーム」から、「ストーリーを追うゲーム」へ。
 『ドラクエII』でよく語られる思い出話が「ロンダルキアが地獄すぎた」とか「水門の鍵とかどこにあるか分かるワケねーだろ」といった冒険の難所についてのものが多いのに対して、『ドラクエV』でよく語られる思い出話が「ビアンカとフローラどっち選んだ?」とか「キラーパンサーのシーンが泣けた」といったストーリーについてのものが多いのも、象徴的だと思うんですね。


 もちろんそれで『ドラクエV』も、この後の『FFV』も大ヒットしたから「当時の需要にマッチした」と私は思うのですが……このスーファミ時代は「日本のRPGはロール(役割)をプレイングする(演じる)ゲームではなくなってしまった」「一本道のストーリーを追うだけのジャンルになってしまった」とよく言われたものです。
 そして、それは後のプレステ時代につながり、「ムービー偏重でゲームというより映画みたい」「これはもうゲームでなくてイイのでは?」みたいに言う人が出てきて―――その流れで、未だに「海外のゲームは自由度が高い。日本のゲームは一本道のストーリーを追うだけ。日本人は自由度が高いと何をしてイイか分からなくなるから」みたいに言ってる人がいるくらいですからね。その話題、1992年の時点で散々語られたヤツですよ!?20年以上前からタイムスリップしてきたの!?


 しかし、流石の堀井雄二です。
 『ドラクエV』が「一本道のストーリーを追うゲーム」になってしまったところに、一つの爆弾を落とすワケですよ。それが「ビアンカかフローラか」の二択です。「自分で考えて冒険するゲーム」から「ストーリーを追うゲーム」になってしまったから、そのストーリー部分に「自分で考えなくてはならない二択」をぶちこんだのです。


 つまり、ですね。
 「フローラという選択肢」は、ゲームにおけるマルチシナリオ・マルチエンディングの走りだと思うんですね。


◇ 「自分の選択」がゲームに反映される時代が来た、1992年
 マルチシナリオ・マルチエンディングの定義は難しくて、『信長の野望』(1983年~)とか『三國志』(1985年~)のような歴史シミュレーションも「自分だけのシナリオが展開するゲーム」と言い張ることも出来るのですが……自分の肌感覚としては、やはりこの「1992年」が時代が変わった瞬間だったと思うんですね。


 一つには、フリーシナリオRPG『ロマンシング サ・ガ』。
 実はこのゲーム「選んだ主人公によってちがう展開をするのは序盤だけ」みたいに言われることもあるのですが、最初に選ぶ8人の主人公によってスタート地点が変わったり、起こるイベントがプレイヤーが行く場所次第だったりすることで、プレイヤーの数だけちがう冒険があるゲームでした。
 当時の自分にはシステムが複雑すぎて、クリア出来なかったですね……そのくらい斬新すぎるゲームでした。

 もう一つは、サウンドノベルの草分け『弟切草』。
 「正解を探すアドベンチャーゲーム」ではなく、「選んだ選択肢によってストーリーが分岐するアドベンチャーゲーム」として作られていて、何度も遊んで別のエンディングを目指すゲームでした。まだスーパーファミコンを持っていなかった自分が、友達の家で初めて見てぶったまげたゲームNo.1でしたよ。こんなゲームが世の中にあるのかと思ったものです。


 「存在しなかった」とまでは言いきれませんが(例えば1991年発売の『くにおくんの時代劇だよ全員集合』なんかもマルチシナリオと言えなくも……ない、か?)ファミコン時代には「選択肢によってストーリー展開がまったく変わるゲーム」って相当珍しかったと思うんですね。
 形としては「はい/いいえ」という選択肢が用意されているのだけど、正解は「はい」であって、「いいえ」を選んでも「そんな、ひどい…」と言われるだけで永遠とループし続けるとか。「世界の半分をやろう」に「はい」を答えるとその場でゲームオーバーとか(これもある意味では「マルチエンディング」の先駆けか?)―――選択肢は用意されていても、正解の方の選択肢は決まっているというのがファミコン時代のスタンダードだったと思うんですね。


 そこに来た『ドラゴンクエストV』です。
 当時の私は、発売日にこのゲームを買った兄貴のプレイを後ろから眺めていたのですが……「ビアンカかフローラか」を選ぶシーンでは、「いやいや、どうせコレはビアンカが正解であって。フローラを選んでも、なんだかんだストーリーが進まないでビアンカを選ばされるんだろ?」と兄弟で話したのを覚えています。

 そうしたら数日後、兄貴のクラスメイトの中には「フローラを選んで、フローラと結婚して、フローラの子供が生まれた」と言い張っているヤツがいるという噂を聞くのです。「いやいや、それってアレでしょ?高橋名人が指にバネ仕込んで逮捕された、みたいなデマでしょ?」と思ったら、ホントでやんの。ホントにフローラと結婚できるでやんの。
 この衝撃って、予め「ビアンカかフローラか結婚相手を選べるゲーム」として知った上で始めた人には絶対味わえないものだったと思います。


 ファミコン時代の自由度なんて、初代『ゼルダ』にしても『ドラクエII』にしても、「必ず行かなくちゃいけない場所」を好きな順番で行けるくらいの自由度だったと今なら思います。スーファミ時代の自由度は、「自分の選択によってストーリーが変わる」という衝撃だったのです。
 今の若い人に説明するなら、『ブレス オブ ザ ワイルド』で「明らかに正規の解法じゃない方法でクリアしちゃって、え?イイの?と思った」ようなあの衝撃を―――1992年に『ドラクエV』を遊んだキッズ達は受けたのです。本当にビアンカと結婚しなくてイイの?フローラと結婚しちゃってイイの?と。

 ちなみに、同じ1992年の『ファイナルファンタジーV』もラストバトルの内容によってエンディングが変わるという要素があります。これは流石に「自分の選択によってストーリーが変わる」とまでは言えないと思いますが、同じ1992年の二大RPGの比較としてなかなか面白いなと思います。



 恐らく、若い人からすると「自分が選んだ選択肢によってストーリーが変わる」なんてことは何の衝撃もないんじゃないかと思います。この後、マルチシナリオ・マルチエンディングのゲームなんて山ほど出てきますからね。「それが普通じゃん」「ストーリーが変わらない選択肢なんて意味があるの?」くらいの感覚かも知れません。

 しかし、マルチエンディングのRPGとして有名な『クロノ・トリガー』は1995年発売ですから、この3年後。プレイヤーの選択によって好きなヒロインと結ばれるマルチエンディングの恋愛シミュレーションゲーム『ときめきメモリアル』は1994年発売ですから、この2年後のゲームなんです。
 PCのゲームも考慮すると、『ときメモ』につながる系譜として……例えば『卒業』や『同級生』は1992年、『プリンセスメーカー』でも1991年が初出です。


 先の『ロマサガ1』や『弟切草』の例のように、1992年当時ってマルチシナリオ・マルチエンディングのゲームは最先端のトレンドだったんだと思うのです。ゲームに使えるスペックと容量が増えたことで、こんなことも出来るようになったぞという流行だったのだと思うんですね。

 そこに『ドラクエ』が持ってきたのが「ビアンカかフローラか」という、結婚相手の二択だったのですよ。

 『ドラクエ』シリーズは元々「ゼロから画期的なものを生み出すシリーズ」というよりかは、既にあるものを万人向けに編集してその魅力を伝えるシリーズだと思うんですね。PC向けのRPG自体は『ウィザードリィ』や『ウルティマ』などたくさんあったところ、日本のファミコンユーザーでも楽しめるRPGとして初代『ドラクエ』は生まれたワケですし。

 「マルチシナリオの要素」も、別に「初めてマルチシナリオを採用したゲームはドラクエVだ」なんてことは言いませんが、あの当時に「自分の選択によってゲームのストーリーが変わってしまうんだという体験」を初めて味わった人が多かったのがドラクエVのビアンカかフローラの二択だったとは言えると思います。



 その観点が、「ビアンカかフローラか」論争には欠けていると思うんです。
 若い人の中には、「ビアンカを選ばないなんて人でなしだ」とか「むしろビアンカ以外の選択肢を用意する意味が分からない」とまで言う人がいます。マルチシナリオやマルチエンディングが当たり前にある時代の人間からすると、そういう感想になるのかーって思いました。当たり前にあるものは、それがなかった時代のことなんて考えられないというか。


 少なくとも発売日近辺に『ドラクエV』を買って結婚相手にフローラを選んだ人は、「フローラと結婚すれば金持ちの義父が支援してくれる」とか「フローラはイオナズンを覚える」みたいな理由で選んでいません。そういう理由でフローラを選ぶ人が出てくるのは、攻略本などが発売されて情報が出そろってからの話です。

 今のインターネット時代、配信開始日のソシャゲでも「有利なキャラが出揃うまでリセマラする」みたいな攻略方法が当然なのかも知れませんが。1992年時点の日本ではインターネットはほぼ普及していません。何も分からないそういう状況でフローラを選んだ人達を「金に目がくらんだ」みたいに言うのは、当時の皮膚感覚としてはありえません。


 じゃあ、彼らはどうしてフローラを選んだんだ?って思いますか?
 「お金目当て」でも、「イオナズン目当て」でも、「子供の髪色を青色にしたくて」でもなくて。

 我が家では「兄が買ったゲームは兄がクリアするまで弟は触ってはいけない」という決まりがあるので、私が『ドラクエV』をプレイ開始したのはもうちょっと後だったと思いますが……何を隠そう、私は「フローラ」をお嫁さんに選んだ人間です。その私からフローラを選んだ人間の理由を語らせてもらえば。

 選択肢によってストーリーが分岐するのを見たかったんです。

 ストーリー上では明らかに「ビアンカを選べ」と言っている。
 そもそも発売前からビアンカが「唯一のヒロイン」みたいな扱いで宣伝されてた。
 パッケージにもソフトにも「ワシが嫁やで」と言わんばかりの顔で描かれていた。
 でも、それに逆らうことが出来る。

 ゲームが進化したことで、「用意されたストーリー」に逆らうことが出来たのです。
 生まれて初めて、ゲームに逆らうことが出来た―――その象徴がフローラなのです。


 これは、もっと本格的な「マルチシナリオ」のゲームである『ロマサガ1』や『弟切草』よりも強烈な体験でした。「8人の主人公の中から1人を選ぶ」とか「選択肢によってストーリーが分岐する」以上に、「明らかに用意されているヒロインじゃない方を選ぶ」という体験は背徳的で印象深いものですからね(強いて挙げるなら『ロマサガ1』のアイスソードの選択肢はこれに近いかも)(私は当時そこまで行けなかったけど)




 一応言っておきますが、「だから、フローラ派はエライんだ」みたいな話じゃないですよ?
 ビアンカを選ぼうが、フローラを選ぼうが、デボラを選ぼうが、人の自由だと思います。

 ただ、未だに熱く議論される「ビアンカかフローラか」論争で、1992年当時には確実にあった「フローラを選ぶことが出来るだなんてこのゲームはすごい!」という衝撃が何故だか語り継がれないのがもどかしかったのです。それが語り継がれなかった結果、「フローラを選ぶような男は金に目がくらんだクズ野郎だ」みたいに言う人があふれているのはホントどうかと思いますよ。

 「ビアンカかフローラか結婚相手にどっちを選ぶ?」って場面で、攻略サイトを開いて「お、フローラを選ぶと資金援助してもらえるのか。よーし、フローラを選ぶぞー」ってやると思っているの?
 ゲームにおける選択肢を、攻略サイトを読み込んですべて最適なものを選んでいるという考え自体が私はキライですわ。自分の頭で考えろよ!そのために、わざわざ堀井雄二は「二択」を提示してくれたって言うのに!


| ゲーム雑記 | 17:50 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

当時のスーファミ版だと、パッケージにビアンカが描かれており、「結婚はビアンカとするものだ」という認識でやってました。鳥山先生のデザインでもフローラはまだ存在してなかったのです。
フローラと結婚できるという事実を知ったのは、ときめきメモリアルなどをやった後くらいでしたがやる機会もなく、プレイステーション版のリメイクが出だときに初めてフローラサイドでプレイしました。
当時のリメイクは会話システムというものがあり、それぞれのパーティにいる人と会話でき、進み具合でいろんな会話をきくことが出来て、それぞれのお嫁さんで楽しく遊べました。
個人的にはどっち派、3人のうちの誰?というわけでもないので、きのこの山とたけのこの里のどっち派?のような感覚で見てます。

先日、ニコニコ生放送の公式でドラクエ5のプレイ実況があったのですが、あかほり先生が、想像ではありますが、こうゆう理由で、真の勇者ならフローラを選ぶというなかなか面白いお話されていたので、こんな考え方もあるんだなーと。
個々のヨメさん候補でここまで長年議論できる作品は他にはないのではないでしょうか?

| 孤軍奮闘 | 2019/08/22 09:07 | URL |

全くもってその通りです。
久しぶりに良いお題を読ませてもらいました。
これからも楽しみにしております。

| アウターワールド | 2019/08/22 16:04 | URL |

私の場合フローラを選んだ理由というのは幼年期のビアンカの言動がムカついたからだったりします。

確かにドラクエ5はメジャータイトルであれをやったという点では革新的でしたが、私のリアルタイムな反応は「『時の継承者ファンタシースター3』の二番煎じ?」というものであまり驚かなかったですね。

ガンダムAGE形式の三世代ものなのですが、一世代目のラストで結婚相手を選ぶことで二世代目の主人公やシナリオが別物になり三世代目では合計4ルートになるというものでした。

>プレイヤーの選択によって好きなヒロインと結ばれるマルチエンディング

全キャラ攻略後にメインヒロインの真ルートに入るという形式はやめてほしいです(やまなしさんが知ってるのだと「CLANNAD」)。メインヒロイン以外を好きになる傾向のある私には苦痛で…

| 太田拓也 | 2019/08/23 13:51 | URL | ≫ EDIT

>孤軍奮闘さん

>当時のスーファミ版だと、パッケージにビアンカが描かれており、「結婚はビアンカとするものだ」という認識でやってました。鳥山先生のデザインでもフローラはまだ存在してなかったのです。

 ですねぇ。
 FFで言う「○○は実は死なせない方法がある」みたいなカンジで、当時のフローラは「実は結婚できる」隠しキャラ的な認識だったと思います。それが『いたスト』などのスピンオフ作品に出るようになって、いつの間にかビアンカと肩を並べるキャラになっていったのには「オマエはそんなキャラちがうだろ」感はちょっとあります(笑)。


>アウターワールドさん
 あざっす。


>太田拓也さん
>「『時の継承者ファンタシースター3』の二番煎じ?」というものであまり驚かなかったですね。

 あっはい。そういう人もいるでしょうね。

| やまなしレイ(管理人) | 2019/08/25 21:14 | URL | ≫ EDIT

>『ドラクエV』が「一本道のストーリーを追うゲーム」
Vは海や川が浅瀬で細かく区切られているため、自由に船で移動できず、地形も一本道で狭苦しいイメージがありますねえ。

| ああああ | 2019/08/26 12:27 | URL |

>ああああさん

 昔は「船とった!どこにでも行ける!」ってなっていたのが、船で行けるところ、魔法のじゅうたんで行けるところ、天空の○○で行けるところ、と段階的に増えていくのがストレスでしたねー。

 ストーリー上、今はここに行かれては困るみたいのは分かるんですけど。

| やまなしレイ(管理人) | 2019/09/01 00:18 | URL | ≫ EDIT















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