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「昔のゲーム」は「グラフィックが粗い」から「想像力を働かせて楽しめる」、に対する私の考え

 先月末、こんな記事がTwitterのタイムラインで話題になっていました。

 スーパーファミコン100台、ソフト2本付きで無償提供…日本レトロゲーム協会・石井豊理事長「親子で楽しむ時間にしてくれたらうれしい」

 この記事の終わりの方に書かれている「今のゲームだと映像がきれいだから、想像力を使うことがない。ドット絵のゲームは、十分感情移入ができる。想像力を働かせて楽しめるのが魅力だと思う。」が取り上げられて、Twitterで怒っている人をたくさん見かけたのです。
 「最近のゲーム」vs.「昔のゲーム」という構図に落とし込んで、「最近のゲーム」を批判しているかのように見えるコメントは、そりゃ「最近のゲーム」が好きな人は怒るだろうと思うのですが……

 正直なところ、これ……記事の編集に問題があるんじゃないのと思うんですね。


 スーパーファミコン100台自腹プレゼント 仕掛人が伝えたかったこと

 ほぼ同じことをもっと詳細に取り上げているwithneswの記事では、「昔の粗いドット絵のゲームは、そこから世界を想像する楽しみがあり、想像力を豊かにしてくれる」と「最近のゲーム」を批判している部分はありません。もちろん相対的に「最近のゲームに比べて昔のゲームのイイところ」を語っていますが、それはスーパーファミコンをプレゼントするという企画なのだから語っても当然でしょう。


 実際に「今のゲームだと映像がきれいだから、想像力を使うことがない。」と言ったのかは定かではありませんが、長々と語ったインタビューの中からどのコメントを文面に載せるのかを考えるのは「この記事を書いた記者」です。
 仮にそう言っていたとしても、「最近のゲームじゃなくて昔のゲームをプレゼントするのは何故ですか?」と聞かれたなら想像力うんぬんのコメントが出てきてもおかしくないし、それをわざわざ文章の末に載せて「こういう意図があってやってるんですよー」とまとめるなど“編集”したのは記者ですよね(新聞記事の場合はインタビューを受けた人がどんな記事になるのかチェックすらできないと言われています)。


 この記事に限らず、編集されたインタビュー記事だけを見て「この人がこんなことを言っていた」と分かった気になるのは危険じゃないかと思うんですね。「この人が言ったことを記事になるようにこの記者が編集した」だけのことで。




 ということで、私は上述の企画や発言について批判するつもりはありません。
 でも、「今のゲームだと映像がきれいだから、想像力を使うことがない。ドット絵のゲームは、十分感情移入ができる。想像力を働かせて楽しめるのが魅力だと思う。」みたいなコメントって、これまでに10000回くらい繰り返し聞かされた&読まされた“テンプレートのようなコメント”だと思うんですね。最近のゲームと比べて昔のゲームが良いって語る人は大体これを言うってくらいに。

 「最近のゲーム」も「昔のゲーム」も同等に大好きな私はこれが不思議だったんですね。どうしてこんな“テンプレートのようなコメント”が出てくるのか、果たしてこの“テンプレートのようなコメント”は正しいのか、ちょっと考えてみたくなりました。



◇ そもそもスーパーファミコンのゲームって、むっちゃグラフィックきれいじゃない?
 ついさっき、上述の企画や発言を批判するつもりはないって書いた直後で申し訳ないんですけど(笑)。最近のゲームは映像がきれいだとか、昔のゲームはドットが粗いけど想像力を働かしてたみたいな話をしながら、じゃあその企画はスーパーファミコンのどのゲームをプレゼントしているのかというと――――


 『ファイナルファンタジーVI』『スーパードンキーコング』ですって。

 オイオイオイオイオイ!
 その2本って、スーパーファミコンの中でも屈指の「むちゃくちゃグラフィックがきれいな2本」じゃないか! 「想像力を働かせる」必要もないくらい、精細で緻密でリアルなグラフィックが売りのゲームじゃないか!

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<画像はWiiバーチャルコンソール版『スーパードンキーコング』より引用>


 これが、ファミコンの『ボコスカウォーズ』とか『たけしの挑戦状』とかなら「なるほど、昔のゲームは想像力で補っていたもんな」だと思えるんですけど、当時リアルなグラフィックでみんなを圧倒した『ファイナルファンタジーVI』と『スーパードンキーコング』に対してそのコメントは出てこないでしょ? いや、全国の小学生に『たけしの挑戦状』を送り付けたらただの嫌がらせだと思いますけど!

 だから私、本当にこのコメントを言ったのか?って思ったんですよ。懐古厨がどうのとかじゃなくて、1994年当時にこの2本のゲームを遊んだオッサン世代ほどこんなコメントは出てこないでしょ。本当の懐古厨なら「昔のゲームも、最近のゲームに負けないくらいグラフィックがきれいなんですよ」くらい言うでしょ!少なくとも俺は言う!

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<画像はWiiバーチャルコンソール版『たけしの挑戦状』より引用>


 もちろん、「最近のゲーム機」に出来て、「スーパーファミコン」に出来ない表現はたくさんあります。
 例えば、「最近のゲーム機」のゲームの主流は、3Dモデルで作ったCGのキャラを動かす「人形」や「ジオラマ」のような表現です。そのおかげで3D空間を自在に動き回ったり、カメラをグルグルまわすような映像を見せたりできるのに対して……「スーパーファミコン」の時代はドット絵という「イラスト」を2D空間の中でアニメーションのように動かすことしか出来ません(『スターフォックス』みたいな例外は一部にはありましたが)。

 つまり、表現方法の方向性が全然違うんですね。
 かたや「超精密な人形」、かたや「細かく描かれたイラスト」。

 フィギュアの丸山彩ちゃんと、イラストの丸山彩ちゃん―――どっちが可愛いかと聞かれても「そんなものは比べられない」としか言えないでしょ! だから、そもそもの「スーファミに比べて最近のゲーム機はグラフィックがきれい」という言い回しがピンと来ないんですね。その2つは比べるものじゃないでしょう。

 


 動かせるものが「人形」か「イラスト」かが違うので、「最近のゲーム機」に出来て「スーパーファミコン」に出来ないゲームって―――グラフィックがどうのこうのじゃなくてそもそもゲームシステムが全然違うんですよ。超広大な3Dフィールドを自由に歩き回ったり、飛び回ったり、ガケをよじ登ったりできる『ブレス オブ ザ ワイルド』をスーパーファミコンで作ることはできないし。3D空間でバトルする『Splatoon』や『フォートナイト』もスーパーファミコンでは作れません。


 だから私、「ジャンルの違い」による「昔のゲームは良かった……」という意見は分からなくもないんですね。
 ゲームが3Dになった64~PS2くらいの時代は猫も杓子も3Dでゲームを作ろうとしていたため、スーパーファミコンの時代にはたくさんあった「横スクロールの2Dアクションゲーム」とか「見下ろし視点の2DRPG」が好きな人にはかなりつらい時代でした。そんなカンジに「昔は人気だったジャンルを懐かしむ気持ち」は、分からなくもないんですね。

 ただ、「横スクロールの2Dアクションゲーム」はDSの『Newマリオ』以降は完全に復権して(3Dのキャラで2Dアクションゲームを作るようになった)、Nintendo Switchには『マリオ』も『ドンキー』も『カービィ』も『ヨッシー』も2Dで出ているし、インディーゲームにはごまんとあふれているし。「見下ろし視点の2DRPG」も、数はそこまででもないですがそこそこは出ているし。

 ダウンロードゲームがたくさん販売されている現状、「昔は人気だったけど今はなくなったジャンル」ってあんまりないんですよね。そのせいで「スーファミのころは良かった」と言う時には、想像力がうんぬんくらいしか言うことがなくなったんじゃないかと思わなくもない。




◇ どうして昔のゲームには「想像力」が必要なのか
 冒頭の記事が話題になった際、「昔のゲームを遊んでいる人も別にそこまで想像力を働かせてたワケじゃないだろう」「最近のゲームだって想像力を働かせて遊んでいるだろう」と怒っている人をたくさん見かけました。納得できる意見もあれば、反論したくなる意見もありました。

 そもそもが「最近のゲーム」←→「昔のゲーム」という二項対立で考えるのが間違いだと私は思います。
 想像力うんぬんの話って、「ディフォルメ表現」の話だと思うんですね。CGで作られたゲームはディフォルメ表現を少なくできるけど、ドット絵で作られたゲームはどうしてもディフォルメ表現をしなければならないので想像力で(自動的に)補う部分も多かった―――でも、「昔のゲーム」であってもなるべくディフォルメ表現をしないで作ろうとしたゲームもあるし、「最近のゲーム」であってもディフォルメ表現をしているゲームもたくさんあります。

 だから、「最近のゲーム」←→「昔のゲーム」という二項対立ではピンと来ないのです。



 「ドット絵は想像力で補わなくてはならない」の例を一つ出しましょう。


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<画像はNintendo Switch版『ライザのアトリエ』より引用>

 CGで表現されたキャラクターの代表として、ライザちゃんに出てきてもらいました。かわいい。どっからどう見てもかわいい。ありとあらゆる角度から見てもかわいい、奇跡の造形。

 ただし、このライザちゃんを見て「俺、ヒンヌー好きだからライザちゃんもヒンヌー美少女に見える!」って思える人はいませんよね。想像力を働かせる余地もないくらいに、ライザちゃんのおっぱいは大きく表現されているのです。


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<画像はNintendo Switch用ソフト『オクトパストラベラー』より引用
 ©2018 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.>


 一方の、最近のゲームでありながらドット絵で表現されたキャラクター代表として、『オクトパストラベラー』のトレサちゃんはどうでしょうか。おっぱいが大きく見えますか、小さく見えますか? 私には、私好みのヒンヌー美少女にしか見えません!私がヒンヌーが好きならヒンヌーに見えるという「想像力の余地」が残っているのです。



 私は前項で『ファイナルファンタジーVI』のことを “「想像力を働かせる」必要もないくらい、精細で緻密でリアルなグラフィックが売りのゲーム”と評しましたが、それは主に背景のグラフィックのことで、あのゲームに出てくるキャラクター達もトレサちゃんと同じようなドット絵のキャラです。

 ぶっちゃけドット絵のキャラなんてスクショだけ見てもかわいいだなんて思えませんが、ゲームの中で動いて、喋って、一緒に冒険していると、それが生きているキャラクターに見えるもので―――リルムは天真爛漫なロリっこだったし、ティナは薄幸の美少女だったし、セリスの拷問シーンで性に目覚めた男子も少なくなかったでしょう。

 それはやっぱり「ドット絵のゲームには想像力を働かせる余地があった」と言えるものだと思います。冒頭の記事のコメントも「今のこども達にもライザちゃんの大きなおっぱいでシコシコするんじゃなくて、ドット絵で描かれたトランス状態のティナを見てオナニーできるくらいに想像力を養ってほしい」と言っておけば共感は得られたんじゃないですかね!別の炎上をしていたと思いますけど!



 実際この「ゲーム機のスペックが上がってCGのキャラを動かせるようになったことで、プレイヤーの想像力をかきたてることを忘れてしまう」問題は、NINTENDO64の頃に宮本茂さんも仰っていたんですね。MOTHER3の開発中止に伴う、糸井重里さんと岩田聡さんとの鼎談このページで語られています

<以下、引用>
糸井「いま、山奥でコツコツ「ガソリンで走る自動車」ってものを一人で開発したひとがいても都会に出てきたらすでに自動車乗っているひとがたくさんいた、なんていうことになっちゃう。コンピュータがらみのものってぜんぶ、いま、そうですよね。そういう意味で、時期の問題というのはすごく大きいですよね。
 ところで、『マリオ64』の影響というのはいろんなところで語られるけれど……」
 
岩田「『マリオ64』の功績と、罪。」
 
糸井「いいオトコすぎたんで、ほかのタレントが出られなくなっちゃった。
 あの動きでロールプレイングゲームができたら最高だろうな、ってみんな思うわけですよ。宮本さんはゼルダとマリオで実際にできるんだ、ってことを一人で証明しているわけですよね。」
 
岩田「……じつは違うんですよね。
 じつは違うんですけれど、でも、そう言わしめるだけ、やってますよね。」
 
糸井「で、あこがれちゃうんですよね。
 ロールプレイングゲームというのは記号と記号が出会って何かが起こったとき、また記号で表現されるみたいなシステムですよね。そこに対する欲求不満がいつもあって、記号以上のものに見せていきたい、となったときに、マリオ(64)の中にものすごくいいヒントがあったりする。こんなに、生理的に体感できるドラマになる、ということを、入れられるんじゃないかって。」
 
岩田「映画的な手法を、上手に使って、ロールプレイングというものの刺激を強められるんじゃないかというのをみんなが思っていることですからね。」
 
宮本「N64のはじめの頃、ドラクエの堀井さんにマリオの試作品を見せたんですよ。堀井さんも、一気に3Dに走るんですよ。この感じでドラクエがやれたら全然違うって。
 でもやっぱりまともにここに入ってくるとドラクエじゃなくなるから、まだまだですよ、って止めたんですが、止めたせいでPSへ行っちゃったかもわかりませんけど(笑)。正直すぎたかも。
 あの冷静な堀井さんでさえもほとんど現実に近い感じのところに自分のキャラクターを全部置いてみるということにすごく興味を持っていました。」
 
糸井「したいんですよ、たぶん。」
 
岩田「たぶん、シナリオを書くひとの本質的な欲望だと思いますよ。」
 
宮本「僕は、逆に、あれを見せないから堀井さんの筆が面白いんやないか、って。
 
岩田「それは第三者だから分析できることじゃないですかね。」

</ここまで>
※ 改行や強調、補足など引用者が一部手を加えました


 記号と記号で成り立っていたRPGというジャンルのゲームが、3Dで表現できるCGの世界を手に入れた時「映画のようなRPGが作れるんじゃないか」と思ってしまった―――ディフォルメ表現をしなくて済むとみんなそっちに行きたがったけど、宮本さんは「ディフォルメ表現だからこそ堀井さんのシナリオは面白いのに」と思ったという。

 ゲームがみんな3Dの方向に進んでいた時期の、最前線でゲームを作っている人達の貴重なナマの声だと思います。





 さて、そこから更に約20年が経過してしまいました。
 「最近のゲーム機」はCGが主流で、「スーパーファミコン」はドット絵がほとんどだったという雑な説明をしましたが、最近のゲームでも敢えてドット絵で表現しているゲームもインディーゲームにはたくさんあります。中には、『Undertale』のように世界中で大ヒットしたドット絵ゲーもあります。それこそさっき例に出した『オクトパストラベラー』だってそうですよね。

 最近のゲームだって、必ずしもCGを使って3Dのキャラで表現するワケでなく、想像力を働かせる必要のある「ディフォルメ表現」の強いドット絵のゲームがたくさんたくさんあるんです。

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<画像はNintendo Switch版『Undertale』より引用>

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<Nintendo Switch版『熱血硬派くにおくん外伝 リバーシティガールズ』より引用>

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<画像はNintendo Switch版『Stardew Valley』より引用>



 また、ディフォルメ表現のあるゲームはドット絵ゲーに限った話ではありません。
 例えば、現在の主流と言われている「スマホ用のソーシャルゲーム」の会話パートは、大体が「キャラクターの立ち絵」と「背景」と「台詞」だけの組み合わせで出来ています。『バンドリ』だって『FGO』だって『アズールレーン』だってそうです。Live2Dを使おうかなんだろうが、キャラの動きとかはプレイヤーが想像で補完しているんですね。

ついに気付いてしまったか
<画像はiOS版『バンドリ!ガールズバンドパーティ!』より引用>



 「昔のゲーム」と「最近のゲーム」を比較すると、私達はついつい『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』のようなバリバリの3D空間を歩き回るゲームを「最近のゲーム代表」として考えてしまいがちですが……2Dのゲームも、ドット絵のゲームも、立ち絵だけのゲームもたくさん出ていますし、ノベルゲーだってありますからね。

 更に、これを言っちゃうと元も子もないんですが、Nintendo Switchでもスーパーファミコンのゲームが遊べますしね。


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<画像は『スーパーファミコン Nintendo Switch Online』メニュー画面より引用>

 『スターフォックス』みたいな例外はありますが、ほとんどがドット絵のゲーム、2Dのゲーム、想像力を働かせるゲームですよ! 「最近のゲーム機」でも想像力を働かせながら遊べるじゃないですか! スーパーファミコンを送ってもらわなくても、お手元のNintendo Switchの月額有料会員になるだけで遊び放題ですよ!


 というのを知らないワケでもないので、恐らくは(まだ)『スーパーファミコン Nintendo Switch Online』に入っていない『ファイナルファンタジーVI』と『スーパードンキーコング』を送ったのだと思いますし。このスーパーファミコンを送って欲しいと応募してくるような家庭は、Nintendo Switchどころかバーチャルコンソールなどが動くゲーム機を持っていない家庭じゃないかと思われますし、重ね重ねこの企画自体を批判したいワケじゃないんですよ。

 「Nintendo Switchを買ってもらえない家庭のこども達に、せめて自分達が大量に保管しているスーパーファミコンを送って遊んでもらえたらイイなと考えました」なんて正直に言っちゃったら角が立ちますし、“どういう家庭が応募に殺到したのか”を考えると「教育の問題」「貧困の問題」に関わってくると思うんですね。
 そう考えると「最近のゲーム機じゃなくて、昔のゲーム機にもイイところがあるんだよ」というコメントは応募してくれた家庭を傷つけない絶妙なバランスのコメントで、唯一傷ついたのは「最近のゲームのことをなんも知らねえんだな」とボロクソに言われた自分達だけだったというおとぎ話のような展開を見せたワケで。


 結局、一番「想像力を働かせる」必要があったのは、このニュース記事を読む私達だったのでした―――ちゃんちゃん、というオチで逃げ切ることにしよう。

 

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