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漫画原作のアニメは古典落語のようなものかも知れない

 『ドラえもん』で文字を覚え、『ドラゴンボール』で男子はどう生きるべきかを学び、『てんで性悪キューピット』で性に目覚め、今では朝から晩まで漫画のことを考えて生きている―――もはや自分自身を形成しているものの80%くらいは漫画なんじゃないかと思っているほど、漫画が大好きな僕ですが。

 かつてはモビルスーツを型番で言えたくらい『ガンダム』ヲタクで(もう忘れました)、アニメで泣くのは当たり前、『舞-HiME』25話では30分の間に6回泣いたという新記録を作り、作画のお供にアニメラジオを聴くのが習慣となっている―――もはやアニメなしでは生きていけないくらいのアニメ好きな僕ですが。


 好きな“漫画”作品が“アニメ”化された時だけはテンションが上がらないという不思議があります。
 「それは別にその漫画がそこまで好きじゃないからだろ」と思う人もいるとは思いますが、原作漫画が大のお気に入りな『おおきく振りかぶって』や『もっけ』がアニメ化された際にも1話も観る気にはなりませんでしたし―――喩えば、1週間に1度は話題に出しているほど好きな『よつばと!』がもしアニメ化されたとしても観ないと思います。

 というかですね……敢えて過激な言い方をするならば、「漫画で読んだ話をまたアニメで観ようなんて人が理解できない」とさえ思っていたのですよ。しかも、原作好きな人は大抵「無駄なオリジナル展開なんて入れるな」「シーンを削ったりしたら容赦しねえ」と言うじゃないですか。
 これは“ネタバレ過敏症”とも揶揄される僕が捻じ曲がっているだけかも知れませんが……原作のまんまがイイのならば、原作を読めばイイじゃないかと思うのですよ。まだ僕はアニメオリジナルの要素があった方が観る気が起こります。

 そもそも……1話30分という絶対的な制約があるアニメと、“見開き”2ページ単位で考えられている漫画は全然別のメディアなので。全く同じ話になんか出来ませんし、したところで面白くなるとは思えませんしね。
 「野球の試合はTV中継には長いから、夜7時~8時45分までの105分間の時間制にする!」とか言い出すくらいムチャクチャなことです(どうして野球に時間制限が付けられないか気になる人は、漫画『ONE OUTS』を読もう!)



 ……と、こんな風に最近までは思っていました。
 でも、そう言いつつ自分で自分の矛盾には気付いていたんですよ。「漫画とアニメで同じ話を観るなんて理解できない」とか言いつつ、『おお振り』も『もっけ』も『よつばと』も十回くらい読み返しているワケで……原作は何度読んでも楽しめるのに、アニメはストーリーを知っているから楽しめないなんて理屈はおかしいですよね。

 そして、一週間前。
 「あ、これならほとんどの説明が出来る気がする」というある仮説に辿り着いたのです。

 それが“漫画原作のアニメは古典落語のようなものなんじゃないか”説でした。

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 こんな記事を書き始めておきながらアレなんですけど、僕は落語には物凄く疎いです。「上手い/下手」が分かるレベルどころか、そもそも観たことも聴いたこともほとんどありません。

 なので、聞きかじっただけの知ったかぶりな知識でしかないのが恐縮ですが。
 落語を扱ったドラマ『タイガー&ドラゴン』には、「落語というのは聴いたことがあるストーリーを聴かせて楽しませるものなんだ」という台詞がありました。つまり、話の筋道をお客さんは全員知っていることを前提に楽しませる娯楽ということですね。ストーリーよりも話術(と呼ぶのか…?)の方に重点が置かれているので、同じ話でも演者によって全く違うものになる―――

 別に落語に限った話じゃなく、演劇とかミュージカルとかもそうですよね。名人と呼ばれるほどの芸能でなくても……文化祭なんかで(演劇部ではない)素人がやるお芝居とかは“演じている人”を観るのであって、ストーリー自体は皆が知っているベタな話の方が受けたりするものです。


 言われてみれば……
 漫画原作のアニメに対して原作ファンがよく使う言葉に、「クオリティ」というものがあります。何を持って「クオリティが高い」かは置いといて、「原作通りのストーリーでやれ(アニメオリジナル展開を入れるな)」「高いクオリティで仕上げろ」というのは原作ファンの二大要望と言ってもイイんじゃないかと思います。

 これ、落語で考えれば当然の話ですよね。
 幾らフィクションだと言っても、これまで受け継がれてきた話に劇的な変化を付けるワケにはいきませんもの。僕は落語に疎いので「高いクオリティ」が何を指すのかは分かりませんが、そこに「上手い/下手」という序列がある以上、分かる人には分かる「クオリティの差」があるんでしょう。


 原作ファンがアニメに期待しているものは―――ストーリーではなくアニメならではの表現(演出だったり作画だったり声優さんの演技だったり)の方なのでしょう。
 それでいて作り手側からすると……「(原作を知らない)初めて観た人楽しめるようにしなくちゃ」と意識をしなければならないので、そこにズレが生まれるのは必然的なことのようにも思えます。


 んでんで。これで「僕が漫画原作のアニメを観られない理由」も説明がつくのです。
 僕にとって原作漫画というのは“原点”であり“到達点”であり、“名人芸”なんですよ。見開き2ページの繰り返しの中で、読者の視線を考え抜かれた構成・コマ割・台詞回しは“数ミリズレただけで別のものになってしまう”絶妙なバランスの中で形作られているワケで―――

 これをアニメという“他の演者にやらせて”も、絶対に“名人芸”は超えられないだろうと思っているからなんです。
 オリジナルアニメはそれとして“新作落語”のように楽しめるし、原作を読んだことがないアニメも“名人芸”を知らないので楽しめる……矛盾していると思っていた自分の趣向も、こう考えると説明がつくのだと思いました。



 なるほど……アニメ化を素直に喜べる原作ファンと僕との違いは、「名人芸の後にも他の演者で同じ話が聴けるかの違い」とか「そもそも何を持って名人芸とするのかの違い」から出てくるものだとすれば―――どちらかというと、そうした原作ファンの方が広い度量で原作を受け入れているような気もします。

 優れた原作は原作者のみの表現ではなく、別の者による表現も観てみたい―――という意味でアニメ化ないしメディアミックス化が喜ばれているのだ考えると、アニメヲタクも落語ヲタクも構造的にはさほど差がないのかも知れません。

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 一つ、古典落語と原作漫画の違いをあげるとなると……「ライツ」の問題があります。
 この辺りの著作権法の問題は落語以上に僕は分からないのですが、漫画がアニメ化されれば原作者にお金が入る仕組みなのは確かですし、逆に言えばお金を原作者に払わなければアニメ化できないという仕組みだとも言えます。

 別に現状の仕組みが悪いとは思いませんし、じゃなければ誰も漫画なんて描かなくなっちゃうと思いますし、「著作権なんかクソ喰らえだ!」という最近の風潮は僕は好きではないのですが……
 もし50年後、100年後、ひょっとしたら200年後かも知れませんけど。先人達が描いてきた漫画を自由に題材として使ってイイ時代が来たとしたら、“創作”の表現の幅がまた広がるのかも知れないなぁと思いました。



 あれ……?
 でも、空知英秋氏の『だんでらいおん』が中学生によって舞台で演じられたなんて話も聞いたことがあるんですが、漫画原作で勝手に舞台にしちゃうのってどうなんでしょう。
 非営利のアマチュアだからイイの?それとも中学生から版権料もらったとか?(それは流石に……)。読みきりの『だんでらいおん』ならともかく、これがアニメ化もされてキラーコンテンツとなった『銀魂』だったら集英社も黙ってないんじゃないか?

 あー、でもそういうことを言い出すと同人誌とかも取り締まらなきゃならなくなるし、「グレーゾーンだけど黙認」ということなのかも。もしくは『だんでらいおん』の例で言えば、本人に許可取ったからイイとか。


 出版社の中には「二次創作は自由ですよ♪」という会社もあるんですが(集英社は違います)、二次創作ってどういうのまでOKなんですかね。原作と全く同じ話を原作より面白く描く自信があるから描いちゃいました、なんてのもアリ?
 ちゃんとライツ取っているんだろうけど、浦沢直樹氏の『PLUTO』なんかもこういう方向ですよね。

 そう考えると……漫画を“文化”“芸能”として定着させるのって、案外「二次創作」の存在が鍵なのかもなぁと思ったり。コアユーザー向けの「二次創作」と、ライトユーザーの入り口としての「アニメ化」みたいな棲み分けというか。

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| アニメ雑記 | 20:47 | comments:6 | trackbacks:1 | TOP↑

COMMENT

関係あるような関係ないような話

演劇の場合、非営利のアマチュアでも上演許可というのが必要だったりします。
これは高等学校演劇協議会のですけど
http://koenkyo.org/zyouen/zyouenkyoka-1.html
こんな風に許可を取るよう指導されてますし
申請した際に集英社が必要だと判断したなら上演料も取っていると思います。
(学生且つ非営利の場合上演料無料であることも多いですが
 払うとしたら5000円~10000円くらいじゃないでしょうか)

| 和泉 | 2007/11/02 22:10 | URL | ≫ EDIT

>和泉さん

 なるほどー!
 これで長年抱えていた「空知先生はどうしてそのことを知っていたんだろう?」という疑問が氷解しました。空知先生自身が仰っていたということは、まず間違いなくこの許可が申請されたということでしょうね。

 当時はまだ空知先生も売れっ子じゃなかったでしょうし、集英社側も「宣伝にもなる」と判断したかも知れませんが……恐らくは、こういう申請に対するガイドラインみたいなものが各社ちゃんと用意されているんでしょうね。

 漫画の実写化には激しく萎える僕ですが、学生演劇ならば観てみたいですね。今年の目標だった「エロフィギュアを作ってもらえるような漫画を描く」は達成できそうにないので、来年の目標は「学生演劇にしてもらえるような漫画を描く」にしたいと思います。

| やまなし(管理人) | 2007/11/03 11:54 | URL | ≫ EDIT

演劇の世界でもそうですね。
脚本自体は良く知られている伝統的なもの。筋書きも登場人物も結末も全部見に来る人は知っている。
それを役者がどう味付けするか、解釈するかを観劇者は観に来るのだという。
見に来るじゃなくて観に来る。

私も自他共に認める原作原理主義者だけど、原作を超えたと思うアニメが二つあります。
一つはハルヒでもう一つは瀬戸の花嫁でした。
どっちもテンポが完璧で演出も素晴らしかった。声優が声芸で笑わせてるところまであって、原作に加点するとはこういうことなんだなと思わされました。
大半は見る気もしないアニメ化ばっかりですけど。

この業界だと似たようなプロット、たとえば
「冴えない青年のもとに何人ものヒロインが」とか
「地球最後の日」とか「何人もの能力者によるバトルロイヤル」とか
そういう似通ったものがいっぱいあるけれど
そういう題材をどう味付け、料理、演出するか、を観る文化というのが日本古来の文化としてあるという話を誰かしてたような気がします。

朝の戦隊モノシリーズとか仮面ライダーシリーズとかの長寿シリーズモノもそうかな。
年度が変わるごとに同じ枠組み(ヒーローが現れて敵を倒す)の中で違った試みや設定演出構成がなされているのが中々。

| ああああ | 2007/11/03 19:31 | URL | ≫ EDIT

>貴様に名乗るHNなど~さん

 僕は演劇にも疎いんですけど(何に詳しいんだ……)、こういう視点からするといわゆる“演技の上手い役者/下手な役者”とか“上手い演出家”とかが見えてくるのかなぁと思いました。正直、素人目には役者さんの演技の上手さなんて分かりませんが(下手な人は分かるけど……)、知っているストーリーなのに客が呼べるという人は本当に実力があるんだろうなと。

>原作を超えたと思うアニメ
 僕は原作漫画→アニメの順に観たものはほとんどないので、一つもありません(汗)
 大抵の場合、アニメで入って、面白かったものは原作も読んでみようと手を出すくらいですかねー。

>そういう題材をどう味付け、料理、演出するか、を観る文化というのが
 なるほど。時代劇とかバラエティ番組とかの“偉大なるマンネリ感”とかもそうですね。
 海外のヲタクが「どうして日本ではハーレムアニメが沢山出てくるのですか」的なことを『ひぐらし』に対して言ったというネタがありましたけど(『ひぐらし』がハーレムアニメ…)、そういう既存の設定を独自に使いこなすというのは日本人特有の文化なのかも知れませんね。

 でも……個人的にはハリウッド映画とかの方が「全部一緒に見える」と思いますけどね(笑)

| やまなし(管理人) | 2007/11/04 21:13 | URL | ≫ EDIT

一落語好きとしての感想ですが、
「落語の名人芸=アニメの原作漫画」
という構図よりは
「落語の名人芸=原作を引き立たせた製作会社(製作チーム)」
という感覚のほうが近いかと思います。

口伝が原則の落語でも、古典落語ではネタ本があったりします。
これ自体がいわゆる「演じ手の色の全くついていない」、即ち原作漫画に最も近い存在で、
誰かが演じた瞬間、その演じ手の色がつきます。
加えて、これも個人的な感覚ですが、よほどの落語好きでない限りは、
原作(ネタ)よりも、演じ手(味付け)のファンであるように思います。
名人芸は、既にメディア変換されたものなのです。

そういう視点で見ると、現状のアニメはなかなか「名人」にめぐり合える環境が
色々な意味で整っていないため、原作好きにとっては厳しい状況にあり、
かつ、(主観ですが)あずまんがやハルヒのように、名人芸の域に達したアニメが語られ、
ハルヒ以降も名人芸を連発した京アニが「名人」的立場で語られるのではないかと思います。

落語とアニメの決定的な違いは、
落語は原作がメディア変換されることを前提とした娯楽であるのに対し、
アニメは原作漫画自体が娯楽として完成されたメディアである点です。
この意味で言えば、ラノベ→漫画でも漫画→ドラマでも構図は同じで、
必然性のないメディア変換を敢えて実施しているため、
演じ手(メディア変換の主体者)の力量が、際立って問われるのだと思います。

#同じ製作チームでも、原作との相性によって出来不出来の評価が異なったりするのも
#「製作会社=演じ手」という感覚に近いです。
#九代目正蔵の人情噺、圓歌師匠の軽妙な語り口、、っとキリがないので割愛^^;

| 漂流者 | 2007/11/06 02:45 | URL | ≫ EDIT

>漂流者さん

 なるほど、面白い御指摘ありがとうございます。

 これは人それぞれの解釈があって当然なんですが、僕なんかは原作漫画も「味付け」がされているものだと思っているのですよ。
 本当の意味での“原作”というのは脚本的なものだったり、プロット的なものだったり、ネーム的なものだったり、脳内に思いついたまんまのものだったり、編集者からの「○○みたいな漫画が流行っているからオマエも描けよ」という命令だったり(笑)で―――漫画にするということも漫画家独自の演出がなされているので、同じ原作であっても描き手によって異なる話になると僕は思っています。
 まぁ……ほとんどの場合、1原作1漫画家となっているのが現状ですが、1つの原作を色んな漫画家の解釈で描かせるのも面白いかも知れませんね。


 もちろん仰るとおり「漫画」と「アニメ」ではその間にメディア変換があるので、厳密には落語の例とは合致しないんですけどね(汗)。
 漂流者さんの「現状のアニメはなかなか「名人」にめぐり合える環境が 色々な意味で整っていない」という考え方も確かに仰るとおりだと思いますし、落語の例にはそちらの方がしっくり来ますね。

 アニメの場合は漫画や落語と違って「制作(というよりも製作?)に膨大なコストがかかる」というのも名人が生まれない要因かも知れません。ビジネス的な見方からすると、「ファミコン時代のゲームをPS3用にフルスペックで作り直す」くらいリスキーなことなのかも。

| やまなし(管理人) | 2007/11/06 20:46 | URL | ≫ EDIT















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| 残虐な天使の涙 | 2007/11/02 21:45 |

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