関係あるような関係ないような話演劇の場合、非営利のアマチュアでも上演許可というのが必要だったりします。
これは高等学校演劇協議会のですけど
http://koenkyo.org/zyouen/zyouenkyoka-1.html
こんな風に許可を取るよう指導されてますし
申請した際に集英社が必要だと判断したなら上演料も取っていると思います。
(学生且つ非営利の場合上演料無料であることも多いですが
払うとしたら5000円〜10000円くらいじゃないでしょうか)
【2007/11/02 22:10】
URL | 和泉 #HfMzn2gY [ 編集]
>和泉さん なるほどー!
これで長年抱えていた「空知先生はどうしてそのことを知っていたんだろう?」という疑問が氷解しました。空知先生自身が仰っていたということは、まず間違いなくこの許可が申請されたということでしょうね。
当時はまだ空知先生も売れっ子じゃなかったでしょうし、集英社側も「宣伝にもなる」と判断したかも知れませんが……恐らくは、こういう申請に対するガイドラインみたいなものが各社ちゃんと用意されているんでしょうね。
漫画の実写化には激しく萎える僕ですが、学生演劇ならば観てみたいですね。今年の目標だった「エロフィギュアを作ってもらえるような漫画を描く」は達成できそうにないので、来年の目標は「学生演劇にしてもらえるような漫画を描く」にしたいと思います。
【2007/11/03 11:54】
URL | やまなし(管理人) #KBwqQFSI [ 編集]
演劇の世界でもそうですね。
脚本自体は良く知られている伝統的なもの。筋書きも登場人物も結末も全部見に来る人は知っている。
それを役者がどう味付けするか、解釈するかを観劇者は観に来るのだという。
見に来るじゃなくて観に来る。
私も自他共に認める原作原理主義者だけど、原作を超えたと思うアニメが二つあります。
一つはハルヒでもう一つは瀬戸の花嫁でした。
どっちもテンポが完璧で演出も素晴らしかった。声優が声芸で笑わせてるところまであって、原作に加点するとはこういうことなんだなと思わされました。
大半は見る気もしないアニメ化ばっかりですけど。
この業界だと似たようなプロット、たとえば
「冴えない青年のもとに何人ものヒロインが」とか
「地球最後の日」とか「何人もの能力者によるバトルロイヤル」とか
そういう似通ったものがいっぱいあるけれど
そういう題材をどう味付け、料理、演出するか、を観る文化というのが日本古来の文化としてあるという話を誰かしてたような気がします。
朝の戦隊モノシリーズとか仮面ライダーシリーズとかの長寿シリーズモノもそうかな。
年度が変わるごとに同じ枠組み(ヒーローが現れて敵を倒す)の中で違った試みや設定演出構成がなされているのが中々。
【2007/11/03 19:31】
URL | ああああ #VoLJaUPg [ 編集]
>貴様に名乗るHNなど〜さん 僕は演劇にも疎いんですけど(何に詳しいんだ……)、こういう視点からするといわゆる“演技の上手い役者/下手な役者”とか“上手い演出家”とかが見えてくるのかなぁと思いました。正直、素人目には役者さんの演技の上手さなんて分かりませんが(下手な人は分かるけど……)、知っているストーリーなのに客が呼べるという人は本当に実力があるんだろうなと。
>原作を超えたと思うアニメ
僕は原作漫画→アニメの順に観たものはほとんどないので、一つもありません(汗)
大抵の場合、アニメで入って、面白かったものは原作も読んでみようと手を出すくらいですかねー。
>そういう題材をどう味付け、料理、演出するか、を観る文化というのが
なるほど。時代劇とかバラエティ番組とかの“偉大なるマンネリ感”とかもそうですね。
海外のヲタクが「どうして日本ではハーレムアニメが沢山出てくるのですか」的なことを『ひぐらし』に対して言ったというネタがありましたけど(『ひぐらし』がハーレムアニメ…)、そういう既存の設定を独自に使いこなすというのは日本人特有の文化なのかも知れませんね。
でも……個人的にはハリウッド映画とかの方が「全部一緒に見える」と思いますけどね(笑)
【2007/11/04 21:13】
URL | やまなし(管理人) #KBwqQFSI [ 編集]
一落語好きとしての感想ですが、
「落語の名人芸=アニメの原作漫画」
という構図よりは
「落語の名人芸=原作を引き立たせた製作会社(製作チーム)」
という感覚のほうが近いかと思います。
口伝が原則の落語でも、古典落語ではネタ本があったりします。
これ自体がいわゆる「演じ手の色の全くついていない」、即ち原作漫画に最も近い存在で、
誰かが演じた瞬間、その演じ手の色がつきます。
加えて、これも個人的な感覚ですが、よほどの落語好きでない限りは、
原作(ネタ)よりも、演じ手(味付け)のファンであるように思います。
名人芸は、既にメディア変換されたものなのです。
そういう視点で見ると、現状のアニメはなかなか「名人」にめぐり合える環境が
色々な意味で整っていないため、原作好きにとっては厳しい状況にあり、
かつ、(主観ですが)あずまんがやハルヒのように、名人芸の域に達したアニメが語られ、
ハルヒ以降も名人芸を連発した京アニが「名人」的立場で語られるのではないかと思います。
落語とアニメの決定的な違いは、
落語は原作がメディア変換されることを前提とした娯楽であるのに対し、
アニメは原作漫画自体が娯楽として完成されたメディアである点です。
この意味で言えば、ラノベ→漫画でも漫画→ドラマでも構図は同じで、
必然性のないメディア変換を敢えて実施しているため、
演じ手(メディア変換の主体者)の力量が、際立って問われるのだと思います。
#同じ製作チームでも、原作との相性によって出来不出来の評価が異なったりするのも
#「製作会社=演じ手」という感覚に近いです。
#九代目正蔵の人情噺、圓歌師匠の軽妙な語り口、、っとキリがないので割愛^^;
【2007/11/06 02:45】
URL | 漂流者 #5sShKE5A [ 編集]
>漂流者さん なるほど、面白い御指摘ありがとうございます。
これは人それぞれの解釈があって当然なんですが、僕なんかは原作漫画も「味付け」がされているものだと思っているのですよ。
本当の意味での“原作”というのは脚本的なものだったり、プロット的なものだったり、ネーム的なものだったり、脳内に思いついたまんまのものだったり、編集者からの「○○みたいな漫画が流行っているからオマエも描けよ」という命令だったり(笑)で―――漫画にするということも漫画家独自の演出がなされているので、同じ原作であっても描き手によって異なる話になると僕は思っています。
まぁ……ほとんどの場合、1原作1漫画家となっているのが現状ですが、1つの原作を色んな漫画家の解釈で描かせるのも面白いかも知れませんね。
もちろん仰るとおり「漫画」と「アニメ」ではその間にメディア変換があるので、厳密には落語の例とは合致しないんですけどね(汗)。
漂流者さんの「現状のアニメはなかなか「名人」にめぐり合える環境が 色々な意味で整っていない」という考え方も確かに仰るとおりだと思いますし、落語の例にはそちらの方がしっくり来ますね。
アニメの場合は漫画や落語と違って「制作(というよりも製作?)に膨大なコストがかかる」というのも名人が生まれない要因かも知れません。ビジネス的な見方からすると、「ファミコン時代のゲームをPS3用にフルスペックで作り直す」くらいリスキーなことなのかも。
【2007/11/06 20:46】
URL | やまなし(管理人) #KBwqQFSI [ 編集]
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