やまなしなひび-Diary SIDE-

変わらない価値のあるもの

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テレビって“ちゃんと観ていない人”もいるメディアなんだよね

 以前に書いたような、書いてないような……どちらの記憶もあるのですが、一応「当時は迷ったけど書かなかった」という体で今現在の僕の意見をここに書き残しておきます。

 先月、アニメ版『ひぐらしのなく頃に』第2期が最終回を迎えました。
 僕は原作をプレイしていないので、第1期から通して楽しませてもらいました。お話としては一区切り付いているので第3期がどうなるのかは分からないのですが、そちらも素直に楽しみにしたいと思います。


 『ひぐらし』第2期と言えば、ちょうどタイミング悪く“作品を連想させてしまうような”凶悪事件が起こってしまったことにより、予定していた放送を中止するテレビ局が出てきたことでも話題になってしまいました。
 僕が住んでいる神奈川県ではTVKが最終話まで放送してくれたので騒動の蚊帳の外でして、ストーリーの途中で放送を取りやめられたことに怒る声も尤もだと思いましたし、悪影響だけをカウントして良い方向の影響をカウントしないのは減点主義でしかモノを考えられない日本社会がどーのこーのとか感じていたのですが……


 そうした怒りの声の中に、ちょっと「ん?」と思う意見がありました。
 『ひぐらし』放送中止に怒る声があるのは物凄く同意なんですけど、その意見だけはどうなんだろうなーと思ったのが……


1.「『ひぐらしのなく頃に』は殺人行為を肯定する話ではなく、殺人行為ではない解決策を模索する(殺人行為を否定する)話である」
2.「そんなことも分からずに放送を取りやめるテレビ局は愚かしい」


という論理展開でした。

 1に関しては、まぁその通りではあります。
 『ひぐらし』の中で描かれる殺人行為は、恐らくは普通の漫画・アニメ以上に「やってはいけないこと」として描かれている……こんなことは、このアニメ(原作ゲームでもそうでしょう)をちゃんと観ている人ならば10人が10人分かって当然だと思います。

 でも、テレビって“ちゃんと観ていない人”もいるメディアなんですよ。
 たまたまテレビの電源を付けた人が事件を連想させるようなシーンを目撃してしまったなら、「何だコレは!不謹慎だ!」と思うかも知れない。その時に「いやー1話から最終話までちゃんと観れば殺人行為を否定する話だって分かるんすけどねー」とはテレビ局は言えないので、“触らぬ神に祟りなし”と放送を自粛した気持ちも分からなくはないのです。


 もちろん……それ以後の『ひぐらし』アニメには事件を連想させるシーンはほとんどなかったので(虐待シーンはちょっとキツかった)、僕が上で述べたような事態にはなりにくかったと思いますし、そうした視点から放送中止に怒る気持ちには大いに同意したいのですが……



 漫画好き・アニメ好きの人達は、どうにも「しっかりと作品の本質を理解しようとちゃんと観ること」が正しいことだと思っているような気がします。
 確かにその気持ちは分からなくはないですし、そうしたファンの思想が作品を育てている側面も確実にあるとも思うのですが……テレビには、「ちゃんと観る」人だけではなく「たまたま観ている」人もいるということは忘れてはならんと思うのです。


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 元々僕はテレビよりもラジオ派な人間ですから、「たまたま観ている人」に向けて瞬間瞬間の面白さだけに走るのはあまり好きじゃないですし。深夜アニメのように、何週間に渡って視聴を継続しないと真意が分からない媒体の方が好きなのは確かです。

 ですが、テレビが提供する「瞬間瞬間の」「分かりやすい」娯楽というのも、まんざらバカに出来たものじゃないなーと最近は思うようになりました。1時間の番組を最後の10分だけ「たまたま観ても」面白いというのはスゴいことです。それはそれでその分野に特化した一級品であって、どちらが優れているということじゃないんですよね。
 どちらの方がお金になるのかというのはありますが、どちらにも需要があるのは間違いないと思います。それがアニメヲタク向けの深夜アニメであっても、テレビでやる以上は「瞬間瞬間の」「分かりやすい」娯楽に寄ってしまった方が裾野は広がるんじゃないかと頭の片隅で思ったりもするのです。


 僕が以前投稿作品として『Re:Survival』をとある漫画賞に出した際、「読者がアナタのファンだと思ってはいけません」というコメントを頂きました。「何度も読めば意味が分かるようなことも、一度しか読んでくれない読者にとっては意味不明なのです」ということだったのですが……
 よくよく考えれば……自分が漫画雑誌を読む時は、読みきりの漫画なんて「ほとんど読まない」か、せいぜい「絵柄が気に入ったから一度は読んでみる」くらいなんですよね。まずはページをパラパラめくっているその手を止めることが一番大事だという。ぶっちゃけ内容は二の次なんじゃないかとすら思ってしまいます。


 ………まぁ結論を言ってしまえば、「瞬間瞬間の面白さ」にも「分かる人には分かる面白さ」にも両方の良さがあって、そのバランスが大事なんでしょうし、その舵取りに創作の醍醐味があるんでしょうが。
 これは別にテレビとかアニメとか漫画に限った話じゃなくて、人生で触れ合うもの全てに当てはまることだよなーと思うのです。食だとか観光だとかでもそう。


 ありとあらゆる分野で「分かる人には分かる面白さ」を分からないことを「愚かだ」とぶった斬っちゃう人ってよく見かけますし、『ひぐらし』アニメの放送を自粛をしたテレビ局への批判でそうした意見も見かけたのですが……それもまたバランス感覚を欠いた一方的な意見であって、世界を「分かる人」だけだと勘違いしてしまうのは危険じゃないかと思ったりするのです。


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| アニメ雑記 | 23:26 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

方向

現状認識としては書いてある通り「分かる人には分かる面白さ」を「分かる人」と、
「分からない人」が両方いるとして、レイくん自身の意見(希望と言ってもいい)
としてはこれからどっちが増えればいい、どっちの方向に世の中進めばいいと思ってるの?

それとも色んな人がいるのが大事だから、「分かる人」と「分からない人」の
比率は現状くらいで理想的だと思っているの?

僕は「分かる人」の比率が増えていった方が創作関係の世界だけでなく、
一般的な世の中全体に関してもイイ世の中になっていくと思ってるので、
例えばひぐらしの残虐描写を見てすぐに不謹慎だと騒ぐ「分からない人」
よりは(この記事はこっちの人も世の中にはいるのを前提として受け入れる
べきって趣旨だよね?)、残虐描写の裏にあるメッセージを読解できる
「分かる人」、あるいは、一瞬不謹慎だと思っても、
「でも何か意図があるのかもしれない」と思慮深く自分を客観視できる人
(ベクトルとしては「分かる人」に近い)が増えていったほうがイイと思う。

そういう意味で「分かる人」が「分からない人」を「愚かだ」とするのは、
別に侮蔑のニュアンスを込める必要はないけど、大人が文学作品を理解
できない子供に対してまだその域に達してないと認識するような状態として
「愚か」と認識するのは悪いことではないように思える。
それがないと、「分かる人」から「分からない人」への解説、教育、といった
「分からない」→「分かる」へと変わっていくための成長の循環も生まれないと
思うから。

それとも、「分からない」→「分かる」への成長自体を既にレイくんは成長と
とらえていなくて、「分からない」人というのも存在してニーズがあるのだからそれでいい、
それはそのままか、あるいは逆に拡大してもいいくらいに思ってるの?
文学を理解できないなら、理解できない人向けの楽しめる媒体
を見てればイイくらいに思ってるの?(僕は能力としては文学も読解できる素養がある
人が多い方が豊かな世の中だと思ってる)

現状は確かに「分かる人」と「分からない人」が混在していて、その状態を多様
とも言うけれど、今後としてどうなっていくのが望ましいと思っているのか聞かせて
欲しい。

僕は「分かる人」が増えていけばいいと思ってるわけなので、
「分からない人」が増えてもいい、あるいは現状数のままでいいという
主張でこの記事を書いているのだとしたら、ちょっと賛同できない。

| あいば | 2008/01/10 05:03 | URL | ≫ EDIT

>あいばたん

 うーん……
 そもそも“能力として”「分かる人」と「分からない人」に二分できるという考え方が、僕にはイマイチしっくり来ないんですよ。頭では「そういうこともあるのかな」と思うのだけど、実感がないというか。

 喩えば、『ひぐらし』のアニメを1期から2期まで全部観た上で「これは殺人行為を肯定する話だ!不謹慎だ!」と騒ぐ人がいるのなら、(世に出せる)作品の幅も広がらないし、今後も不安だと思うのですが……
 多分、「不謹慎だ!」と騒いでいる人の大半って、禄に観たことない人や、途中で興味を失って観なくなっちゃった人や、観ていたとしてもトビトビだったりながらだったりという人や―――「分かる人」と呼ばれる人よりも、かけている労力や時間が少ないだけの人とか。そもそもアニメ(のような)の文法に慣れていないだけの人なんじゃないかと思います。


 そういう意味では、漫画・アニメに対して「興味を持とう」「時間をかけて全話観よう」「しっかりと真意を読み取ろう」という人が増えて欲しいとは思うのですが、その結果として作者サイドが思い描いている「意味」と違う受け取り方をしても僕は「それはそれで面白い」と思っていますし。
 「興味を持とう」という人を増やすためには、一時的にでも「分からない」人が増えてでも、そうした人達から「分かる人」が出てくればイイんじゃないですかね。(もちろん、「分からない」ままの人もいてイイと思う)


 あいばたんの興味外のとこから引っ張ってきて申し訳ないのですが、僕としては任天堂の岩田社長の思想が一番現実的で理想的な方向かなーという意見。
 「(次世代機と旧世代機の)違いが分かる人だけを相手にしては危険だ」とハイスペック路線を捨ててDSとWiiを出して、『脳トレ』や『Wii Sports』で新しいユーザーを大量に取り込んでおく一方で、「分かる人」のために『ゼルダ』や『メトロイド』を作っているという。んで、『脳トレ』にも「分かる人」がハマる要素があるし、『ゼルダ』にも「初心者」が入りやすいように配慮されていて(挫折した僕が言うことじゃないけど)、ユーザー層を意識してクロスさせているのが面白いです。


 なので、「作る側」としての僕の意見を言わせてもらえば……「分かる人だけ分かる面白さ」と「パッと見の面白さ」の両方を入れておいて、「パッと見」で惹き付けた人の中から何割かに「分かる人だけ分かる面白さ」に気付いてもらえればイイかなと思っています。その比率は作風とかターゲット層によると思いますけどね。

| やまなし(管理人) | 2008/01/11 22:28 | URL | ≫ EDIT

確かに

>レイくん

ゲームの例は僕には確かによく分からないんですが、
それは嗜好の問題であって、僕が言っている能力の問題では
ないような印象を受けます。脳トレ好きもゼルダ好きもそりゃどっちも
いていいと僕も思うんで、そのパーセンテージが今後どうなっていこう
とそんなに気にはなりません。

なので、上手くコミュニケーションできなかった思うので、最初のコメントを書いた背景
だけお伝えしておきますね。

僕は国語教育のビジネスを水面下で準備していて、現役の国語教師とも
よくお話するんですが、その時ひぐらしのお話もでまして、やはり今の生徒達
は殺人描写とかの過激な所にだけ反応して、それこそ実は殺人の否定の
お話なんだとか、さらに僕がブログで書いたりしてるような物語の本質まで
読みとれる力は持っていない、どうやったら物語の読解力をつけてあげる
ことができるのかという話が出まして。

これは「分かる」「分からない」に二分する話では勿論なく、「分かる度レベル1」
~「分かる度レベル100」まで仮にあったとしたら、できるだけそのレベルをあげたい
というお話でして、細かく専門的に
分析していけば、物語を表面だけじゃなくてパースペクティブで捉える認知的
な能力をどうやって身につけさせるかとか、比喩表現を理解できるようになる
ためにシニフィアンとシニフィエを分離して理解できる認知的能力をどうやって
身につけさせるかといったお話になっていくんですが、そこにあるのは、脳トレが
好きかゼルダが好きかといった嗜好の問題ではなく、やはり能力の問題があります。
僕らは、そういった「分かる度レベル」が高い人を育成したい、パーセンテージとしては
増やしていきたいんですね。

で、ひぐらしに話を戻せば、そういった僕や国語教師、認知科学者達が頑張って
試行錯誤して伸ばす方法を考えている能力が、
やはりある人の方が物語は読解できるし(解釈は一つという
前提なわけではもちろんないですよ。多様なりに本質にせまれるということです)、
ない人の方が勘違いして殺人賛歌の話だと短絡的に思ってしまうケースが多い
と思うのです。

そういう背景があったものですから、もしこの記事が、殺人賛歌と短絡的に
思ってしまうのも一つのニーズだからしょうがない、むしろそういう人がいた方が
良いという趣旨で書かれているものだとしたら、
僕や国語教師達が日々やってる生徒達に読解力を身につけて貰うにはどうすれ
ばいいのかという試行錯誤や努力に意味なんかないということになってしまう
ので、レイくん本人としては、僕らがやってるようなより多くの学習者達に
読解力というか広義の国語力を身につけて貰いたいという活動は、意義がある
ものと思って貰えるのかどうか、意味なんか無いと思うのか、その辺りを
聞いてみたかったのです。

| あいば | 2008/01/11 23:21 | URL | ≫ EDIT

>あいばたん

 こっちこそ、上手く主旨を伝えられなくてゴメンなさい……

 この記事でも、前のレスでも、僕の基本的なスタンスとしては……「(読解力という意味での)能力がなくて『ひぐらし』の本質が読み取れない人」よりも、「嗜好の問題で『ひぐらし』の本質が読み取れない人」の方が多いんじゃないかと思うのです。
 「嗜好」というよりも、「どれだけ時間と労力を費やせるのか」と言った方が的確かな。

 ゲームの例を出した意図としては、ここ最近のゲーム系ブログで話題になっている「いいゲームとは何か?」という議論の中心にこの「どれだけ時間と労力を費やさせるのか」があったんですけど……まぁ、そこを省略して説明したら伝わらんですよね(汗)。
 
 分かりやすい例を出すと……『脳トレ』や『Wii Sports』なんかは「ちょっとやってみ」と渡すと10秒で面白さが分かる(=自分がそのゲームを面白いと思うかどうかが分かる)のですが。
 Wiiの『ゼルダ』なんかは、1プレイで1時間くらい進めないと次のセーブポイントまで辿り着けない上に、クリアまでの平均時間が50~70時間くらいかかってしまいます。それだけの時間と労力をゲームに費やせる人は限られているので、売れないのも仕方ないんだろうなーという議論が起こっているのです(もちろんそこには様々な反論も起こっているのですが)。


 で、僕は同じことはアニメにも言えると思っていて……
 僕が『ひぐらし』を「殺人行為を否定する話だ」と気付いたのは、アニメ第1期の終盤になってようやくでした。4月から観始めて、9月にようやく気付いたくらい。流石に「殺人賛美の話だ」とは思いませんでしたが、「人は分かり合えない」みたいな話なのかなーと思っていました。
 その半年の間に脱落・挫折した人は沢山いたろうし(僕も詩音メインの話の時は観るのが辛かった)、そうした人達が「『ひぐらし』は殺人行為を否定する話だ」と読み取れなくてもそりゃ当然だと思いますし。それを「読解力がない」とぶった斬るのって、ファンとしての心情は分からなくはないのだけど、“作り手”としては「そりゃ視聴者への責任転嫁だよなー」と思うのです。


 んで、本題。
 「能力」としての話をするのなら、正直『ひぐらし』はあまりイイ喩えじゃないと思うんですよ。いやはや、僕が現実をあまり観ていないだけかも知れませんが、『ひぐらし』を(アニメでも原作でも)一通り“ちゃんと観て”それでも「殺人賛美だ」と思う人がそんなに多いとは思えませんもの。「いや、多いんだ」と言われると「そりゃ問題だ」ですけど……

 どっちかと言うと『SEED』とか『OO』とかの夕方アニメの方が、この議論には相応しいんじゃないですかね。てゆうか、この手の作品の読解は僕も自信ない(笑)。なので、読解力を鍛えていこうという方向にはもちろん賛成ですよ。


 ……
 これを書いている間に、今週も『ガンダムOO』の録画を忘れていたことに気付きました。毎週ビデオ予約をセット出来るかも“能力”ということか。

| やまなし(管理人) | 2008/01/12 21:15 | URL | ≫ EDIT















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