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| ネタを切り捨てる勇気 |
日本橋ヨヲコ『G戦場ヘヴンズドア』という作品に、主人公が描いた漫画(正確には漫画になる前のネームだけど)が「このコマを省略」「このフキダシは削って表情で見せる」と指示されるだけでどんどん読みやすくなっていくというシーンがありました。
僕がこのシーンを読んだのは自分で漫画を描き始める前だったので……“作品を良くする”という行為―――スポーツ漫画で言えば名監督がフォームを修正してくれるとか、バトル漫画で言えば師匠が新しい必殺技を教えてくれるとかに該当する行為に、『G戦場ヘヴンズドア』という漫画描き達を描いた漫画では“削ること”が使われていたことに驚きました。
“足す”なら分かりやすい。“変える”でもイイ。 しかし、この漫画では“削る”“省略する”“切り捨てる”ことこそが、漫画描きにとっての奥義であると描いていたのです。
そして数年経って。 自分で漫画を描くようになって3年、ようやく“削る”難しさと大切さが身に染みてきました。
何故、“削る”ことが大事なのか? 恐らく、必死すぎるのだと思うんですよ。思いついたものは全部見せなければ不安。作品の全部を伝えなければ魅力は伝わらないんじゃないかと不安。手を抜いていると思われたらどうしようという不安。 だから、全部のコマに自分の全部を詰め込んでいくのだけれど、その結果として重くて脂っこくて読みづらい漫画になってしまうのです。トンカツ!焼肉!ラーメン!みたいなもんで、年を取った我が身にはキツイですよと。
『G戦場ヘヴンズドア』の例では「コマ」や「フキダシ」という細かい単位でしたが、「シーン」や「エピソード」を丸ごとカットするなんてことは日常茶飯事ですし、場合によっては「キャラを丸ごと」削らなければならないこともあります。 “読みやすさ”のための場合もあれば、“際立たせる”ための場合もありますね。似たような女のコが二人いるならば、一人に集中させた方がイイだろうとかね。
後はもちろん……“尺”の問題もありますね。 テレビアニメやテレビドラマなんか典型的に“尺を変えられない”メディアなんで、泣く泣くシーンカットなんてのは当然でしょう。テレビドラマの場合は「人気があったから最終回の時間を増量しました」みたいなことがありますけど、アレって“本来は削るはずだったシーン”で水増ししているだけですよね? 映画もやはり観客が快適に観れる時間を考えなきゃなりませんし、ゲームの場合は容量の問題や手頃さのためにシーンカットをしているケースも多いです。
『大乱闘スマッシュブラザーズX』のアドベンチャーモードで、デデデとメタナイトのエピソードを丸ごと1つ削ったせいでよく分からなくなったという話が「スマブラ拳」最後の更新で語られていましたね。個人的には、アレくらい謎があった方がストーリーに食いつけるものではあるんですが。
映画でも、せっかくキレイにまとまっていた作品だったのに「未公開シーンを足した完全版!」のDVDを観たらゲンナリしちゃうこととかありますよね。「削るだけの理由があるシーンだったな…」とか、「削ってくれたままで良かったのに…」とか。
なので、僕はどんなジャンルでも「長さ」を謳っているものには魅力を感じません。 ですが、それは僕が“間”とか“緩急”を最重要視しているからだけで、「長く楽しめることが一番の幸せなんだ!」という考えの人もいるでしょう。好きな漫画に長く続いて欲しいとか、このゲームの冒険はいつまでも終わらないで欲しいとか、そういう考えの人が多いのも頷けます。
奥義が常に最強なワケじゃありませんからね。
さて、ここからが本題。 似たようなことはブログにも言えるんじゃないでしょうか。
“読みやすさ”のために、記事内で敢えて触れない事柄があるというのは当然のことながら…… そもそも、何でもかんでも記事を書けばイイものなのか?というのが最近の僕の迷いだったりします。 アクセスアップのコツとかは知りませんし、僕が語れることなんて何もないですが……書いてみてから自分で「面白くないなぁ」と思った記事をアップするかどうかに悩む人って、僕以外にも結構いるんじゃないかと思います。
ちなみに僕は昨日、久々の貧乳カテゴリーネタとして「俺達は女子高生が好きなんじゃない!女子高生の制服が好きなんだ!」というアレすぎる記事を書いていたのですが……3分の1まで書いたところで没にしました。面白くならなかったんですよ。
「変態に対する普通とは?」とか「準児童ポルノ禁止法の問題」とか「単純なデザインの美しさ」とか「僕はQさまで宮崎美子がセーラー服を着ているのでも全然イケるんだけど、女子高生の制服(でのエロ描写)を規制しろと言っている人達は、今言った僕のような思想を禁止することで被害者児童を減らせると思ってるのでしょうか」とか―――ダイジェストにしてみても、話にまとまりがなさすぎてワケ分からね。
アレやコレやを詰め込んで「で、一番言いたいことは何なの?」と言いたくなってしまうまるで僕が描く漫画のような記事になっちゃったんですよ。これは人に読ませるものじゃないな、とお蔵入り。自分が好きすぎることほど書きにくいという典型例でした。
「面白くない」ならまだマシな方で、「他人を不快にする」ようなものを何も考えずに書いてしまうことだって多いですからね。「世相を切ってやるぞ!」と書き始めたのに、「あれ?別に困ることじゃなくね?」と途中で気付いたりとか。 そういう記事を書いてしまった時、「これは人に読ませるものじゃない!」と言う天使と「でも、せっかく書いたんだし……喜んでくれる人だっているかも知れないし……」と言う悪魔の葛藤に悩まされるのです。
半年後も同じことを言っているかは分かりませんけど、とりあえずこのブログは「書いた記事でも納得がいかなければ切り捨てる」方向で行こうかなと思っています。 逆説的な話なんですが……「つまらなかったら切り捨てればイイ」という余裕があるからこそ、書き終わった時のことを計算せずに色んなことを書き始められるというのもありますしね。必死すぎないことが大事。
まぁ……こういうことを書くと、これから先アップされる記事全部が僕にとって「どうだ!面白いだろ!!」という記事だと宣言したということになるんですね(笑)。それでも別にイイですけど。
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