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「ピッコロ大魔王」編の衝撃は半端なかった

 この記事は『ドラゴンボール』全編のネタバレを含みますー。

 ドラゴンボール(漫画)の「ラディッツ」はどういう役割だったのか?(情報元:痕跡症候群さん)

 主人公(悟空)の兄というポジションにも関わらずコミックス1冊分であっさり退場、その後に「あんな役に立たんヤツ」呼ばわりされるなんてあんまりだという意見もあれば。
 話が宇宙規模に広がり、圧倒的な強さや戦闘力の概念などを読者に見せ付けた当時の衝撃は凄かったという意見もあり―――確かに、彼の登場からアニメが『ドラゴンボールZ』(今では『ドラゴンボール改』か)にリニューアルされたことに代表されるように、作品の大きな転換点だったのかなぁと思います。



 個人的には、悟空が子作りをしていたことの方が衝撃だったんですけど。
 それはさておき、この中のコメントの一つに「ピッコロ大魔王編の絶望感に比べると、ラディッツ戦は組み手っぽい感覚だった」というものがあり。言われてみれば、自分もそう感じていたのかなぁと思い出しました。

 「ピッコロ大魔王」編の衝撃が半端なさ過ぎて、その後の天下一武道会も、このラディッツ戦も、ナッパに次々と味方が殺されていく様も、あんまりドキドキ出来なかった記憶があるのです。絶望にも免疫が出来ると言うか。



 今振り返ってみても、『ドラゴンボール』における「ピッコロ大魔王」編は特別な要素を抱えていたと思うのです。それまで『ドラゴンボール』という作品が守ってきたものを、ことごとく破壊していったと言うべきか。




1.初めて、味方キャラが殺された衝撃
 後期『ドラゴンボール』から考えれば意外なんですけど、初期『ドラゴンボール』は“人が死なない漫画”だったんですよね。飛行機が墜落してもピラフ一味は生きているし、月に連れてかれてもウサギ団は生きているし(亀仙人が月を破壊した後は知らん)。ギャグ漫画だった『Dr.スランプ』からの流れですから、それがフツーだったんですよね。

 最初の転機としてはレッドリボン軍編があって、恐らく登場人物が“死ぬ”のはあの辺りからでしょう。それでも基本的に死ぬのは“悪者”に限られていて、唯一の例外がウパの父ちゃん(ボラ)なんですけど……悟空はわざわざボラをドラゴンボールで生き返らせますし、そもそもボラは登場の2週後に殺されてしまう“死ぬために出てきたキャラ”とも言えるワケで……


 それと比較すると。
 初期から登場していて、悟空の良き仲間でありライバルでもあったクリリンが殺されてしまった衝撃というのは計り知れないものがありました。しかも、戦闘シーンすら描かれず、悲鳴だけで殺されてしまい。しかもしかも、ピッコロどころか一部下に過ぎないタンバリンに殺されるというあの絶望感は半端なかったです。

 更に言うと、その後に亀仙人や餃子も殺され、天津飯は1回限りの魔封波に全てを賭け(ようとして)、ヤムチャは骨折しているという、徐々に味方キャラがいなくなっていくあの感覚も恐ろしいものでした。



2.亀仙人の死んだ後の世界
 悟空にとって亀仙人が師匠だというのは言うまでもないのですが……

 初期『ドラゴンボール』にとって、亀仙人の存在は「悟空がどこまで強くなったか」の指針になっていたんだと思います。
 最初の天下一武道会では悟空が敗れたり、その後も亀仙人自らが「ワシを超えた」とか「ワシにも動きが見えんかった」と悟空を評したり。亀仙人が登場しない間でも、「かつて武天老師(=亀仙人)が修行に来た」とカリン様が言ったり。既に亀仙人を超えていたと思える天津飯との決勝戦も、亀仙人が解説役に回ったり。


 「ピッコロ大魔王」編でも、亀仙人は天津飯・餃子を指揮してドラゴンボール強奪しようとするなど“精神的支柱”になっていました……が、結果的にピッコロ大魔王との戦いに敗れ、死んでしまいます。

 当時まだ“気を感じる”ことが出来なかった悟空なんですけど、亀仙人の死だけは何かを感じていたみたいなんですよね。
 その後、超神水を飲んだ悟空は、亀仙人のいない世界で、ピッコロ大魔王を見事に倒すのですが―――この瞬間こそ、悟空が初めて亀仙人という偉大な師匠の下を卒業した時だったのかなと思いました。



3.神龍の破壊、ドラゴンボールの悪用
 よくよく考えると、ドラゴンボールが敵側に使われたのってこの1回だけなのか……

 初期はドラゴンボールを集めること自体が大変だったのですけど、悟空達が強くなりすぎたためか、マンネリ防止のためなのか……この頃から、ドラゴンボールを集めること自体には苦労せず、それをどう使うのかということに焦点が当たるようになりました。
 逆に言うと、1回ウパの父ちゃん(ボラ)を生き返らせたのだから、この後に誰が殺されてもドラゴンボールで生き返らせてもらえる―――と安心してしまったところがあったんですよね。ブルマも悟空も、天津飯に「死んでしまってもドラゴンボールで生き返らせるから!」と言ってましたもの。


 「死」が軽んじられてしまうというか、緊張感も絶望感もなくなってしまうところではあったのですが…
 それを防ぐために、ピッコロ大魔王自らが神龍を殺してしまうというのは、流石のセンスですよね。もちろんピッコロ大魔王の強さを見せ付けることにもなりますし、子ども心に「ドラゴンボールが使えなくなったこの後の世界はどうなってしまうんだろう」と震え上がったのを覚えています。


 この後、神様がドラゴンボールを復活させて、「神様orピッコロが死ぬとドラゴンボールが消滅する」「1度適えた願いは適えられない」「神の力は超えられない(神様以上の敵は倒してくれない)」と次々と設定が後付されてバランスを保っていき、ドラゴンボールは手軽に人の命を生き返らせるアイテムみたいな価値になってしまうのですが……

 ドラゴンボールの価値が絶対的だった「ピッコロ大魔王」編の時期に、それを利用してここまで絶望を感じさせたあの衝撃は凄まじいものがありました。ドラゴンボールはなくなってしまったけど、人の力で世界を救うというエンディングに物凄く熱くなったのを昨日のことのように思い出します。


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 しかしまぁ、振り返ればこれって「ピッコロ大魔王」編に限った話ではなく。
 『ドラゴンボール』という作品は、常に作品内の前例を覆すことを考えていた作品だったというか。飽きさせない工夫をこれでもかと繰り返していた作品だったのかなぁと思います。


 サイヤ人編では、1人対多数のバトルを。
 ナメック星編では、フリーザという強大な敵から逃げ回る三竦みの戦いを。
 人造人間編では、パワーアップし続ける敵を。
 魔人ブウ編では、味方ですら合体パワーアップを(ナメック星人は合体してたな…)。


 外側だけ見れば「いつも闘っている」バトル漫画というジャンルに一括りにされるんでしょうが、それぞれのシリーズでそれぞれ新しいことを取り入れてマンネリ化しないように心がけていたように思えるんですよね。
 各シリーズで細かい設定が変わっているとかも、その時々で読者を熱中させるために様々なことにチャレンジした結果でしょうし。「ドラゴンボールは○○編までだよね」みたいなことが議論になるのも、『ドラゴンボール』という作品が常に変わり続けたことの証なのかもと思ってみたり。


(関連記事:『ドラゴンボール』におけるインフレバトルの葛藤
(関連記事:天津飯にはどうして「かめはめ波が効かない」のか?



 それはそうと、『みんなのニンテンドーチャンネル』を見ると……
 今度出るDSのゲームソフト『ドラゴンボール改』には、ランチさんとかウサギ団とかのレアキャラも出ているみたい?ランチさんは特に後半登場しなくなった憶測が色々と言われているキャラですし、ちょっと驚きました。まぁ、どっちにしろそんなに出番は多くないでしょうけど。

 餃子が戦力外通告されていたのが泣ける。


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| 漫画読み雑記 | 18:21 | comments:12 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT

個人的にはピッコロを倒したところで終わっておけば良かったと思う。
たしか作者もピッコロを倒したときに終わらせようとしたけど、
編集者から続けろと言われてサイヤ人編以降を描いたとか?
漫画家としては売れるのは嬉しいだろうけど、
鳥山明ほどの人でも自分の描きたい漫画が描けないというのは腑に落ちないなぁ...

| ああああ | 2009/04/25 02:10 | URL |

思えばギャグの要素が無い敵役もピッコロ大魔王が最初だったな。
ピラフ一味は間の抜けている描写が多いし
レッドリボン軍もレッド総帥がドラゴンボールを集める目的が「慎重を伸ばすため」と実に下らなかったり
何処か憎みきれない部分が少なからず存在したけど、
ピッコロ大魔王はそう言った部分が感じられない「絶対悪」として描かれている訳だし。
さすがにファミコンジャンプで悪の親玉に選ばれただけの事はある。

| 名無しさん | 2009/04/25 17:50 | URL |

「常に作品内の前例を覆すことを考えていた作品」というのはホントに感じますね。
特にドラゴンボールが完全な復活アイテムになってからは「死」=「終わり」ではなく、
死んでも「あの世」という世界で修行し直し、強くなって帰ってくる。
何気に凄いシステムですよね~。
これにより「命を軽んじてる」って意見もありますが、
「強くなれるなら死んでようが生きてようがどっちでもかまわない!ただ強くなりたい!!」
っていうインパクトこそ悟空というキャラの魅力だと思います。

| てつはる | 2009/04/25 22:47 | URL | ≫ EDIT

悟空が完膚なきまでに負けたってのも印象的でしたね。
それまでにも何回か負けたことはあったけど、ピッコロとの初対決の時みたいに
何やっても通用しないみたいな負け方は見たことなかった。

| 111 | 2009/04/26 03:05 | URL |

わしはタオパイパイ編からが、一番衝撃でしたよ。
一度完全に負けて、パワーアップして再戦はここが最初かなと。

| ああああ | 2009/04/26 07:00 | URL |

「ピッコロ大魔王」編から、巨悪から世界を守ることになっちゃったから、
読んでる方もストレスが半端なかったよ。読むのがつらかった。

これ以前の自分の為だけにドラゴンボールを探してた頃の方が
毎回ワクワクしてた

| 中将 | 2009/04/26 20:25 | URL |

1人対多数のバトルはさすがの鳥山明もあまり魅せられていなかったと思います。むしろどうやって1対1に持っていくか腐心していたのではないかと。
今でこそ多人数バトルは珍しくなくなりましたが、不自然な描写になったり結局は1対1になるケースも結構多いですからね。
絶妙なコンビネーションが発揮されるバトルを描けるってだけでもその漫画家を尊敬してしまうぐらい多人数バトルの敷居は高いでしょう(漫画以外では「FFVII AC」など)。

| レト | 2009/04/26 20:30 | URL | ≫ EDIT

悟空の戦いの動機も、それまでは単に「強くなりたい」だったのが、ピッコロ編では「仲間の敵を討つ」ということにシフトしていましたからね。
ピッコロ大魔王との死闘の末のフィニッシュ、「つらぬけーーーっ! はーーーっ!!」は読んだ人全ての印象に残るくらいのインパクトがあったと思います。

本文とは直接関係ないのですが、個人的には、更に先の展開を描いた「絶望への反抗!!残された超戦士・悟飯とトランクス」でもやまなしさんと同じ様な絶望感を感じました。
「悟空が居ない」というだけでこんなに絶望してしまうとは……「ドラゴンボール」という作品に於いて、悟空はなくてはならないキャラクターなんだなあ……(苦笑)

| じぇふ茶 | 2009/04/26 23:44 | URL |

悟空が8頭身化した時点でついていけなくなった

| ああああ | 2009/05/03 00:13 | URL |

確かに作品の雰囲気は絶望感でいっぱいになったし
クリリンや亀仙人まで死んだりでかなり暗黒だけど
あくまで悟空が一番絶望したのはラディッツ戦だろうとは思う
ラディッツが来た瞬間にビビりまくってたし悟空が唯一ワクワクしなかったり
むしろ「おっそろしくてガタガタしてらぁ」言っちゃってるし
後のベジ戦やセル戦ではワクワクしてるのにな

| DEATH | 2009/11/16 18:26 | URL | ≫ EDIT

面白い批評でした。
週刊誌での連載という競争に晒されたからこその名作ですよね。

| 名無しさん | 2011/08/09 01:36 | URL |

でも原作が終わった今となっては桃白白編が一番絶望感あるかな。
仲間不在で悟空一人で戦うのとボラ以外はドラゴンボールで生き返っていないという二点で。

服の仕立て屋のおじさんが死にっぱなしなのが別の意味で絶望感を感じる。

| ああああ | 2016/11/15 07:57 | URL |















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